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★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
目に見えないものを知りたい。

ブログや動画など

2020-12-09 | 日記

私はネットなどに疎いのもあるけれど

面倒だし興味の幅が狭いのかもしれない。

益々使い方が分からなかったり使いきれないままだ。

仕事に使うには不利だろうけれど

今は仕事で使うことが無いので進歩していない。

 

このブログは随分たらたらと続けているけれど

これだって違う形になることもあるかもしれない。

始めたころから使用法は少しづつ変化しているけれど

全然使いこなせないままで

かなり経って新しい機能に気づいたりする始末だ。

まぁ、完全に自分の思ったことの

はけ口だから続いているだけのこと。

人は一方的なものでも言いたいものだ。

 

ブログ以外にも多くのツールがある時代

どのツールを使っていくのか

まだまだ変化していきそうだ。

 

 

 

 

 


スッキリいこう

2020-12-01 | 日記

やったほうが良いと思いながらやっていないこと・・・

ずっと引っ掛かっているのに後回しにしていること・・・

 

別にやる必要はないことなのかも?

やった方がより良いのだろうけれど、

今必要に駆られていないわけだ。

それに、そこまで興味を持てないことなのだろう。

 

それなら、その先も必要ないかもしれないし

今は一旦止めてしまおう。

 

ずっと引っ掛かっていることで直ぐ片付くことなら

重い腰を上げてやってしまおう。

 

引っ掛かったまま何年も同じ状態で放置しておくのは

心身ともに不健康だ。

 

本当に必要があるものは気づく。

放置なんて出来ない。

今年も師走。

やるべきことは手を付けて

後回しにできるようなことは

一旦、やろうと思うこと自体を止めてしまうのもありだ。

 

 

 

 

 


1日の比重

2020-09-26 | 日記

定期的に仕事で20歳前後の人たちと接しているのだけれど

自分のときはどうだったか振り返って思うことが沢山ある。

 

それくらいの年齢では、時間を深く考え機会が余りなく

むしろ無限にあるような気さえしてしまう。

それに将来に対しても本当にやりたい事なんて

決まっていない人が多い。

それなのに日本では、とりあえず大学

とりあえず専門学校など

やりたいわけじゃないのに

まだ教育を受けにいっている人も多くいる。

ローンを組んで通いたいほど真剣なのかと言うと

それも違っていたりする。

もちろん皆んなではないけれど

義務教育の時のように行きたくない時は休んだり

遅刻したり、出席するだけで

全く聞く気もやる気もない人たちも多くいる。

中には反抗的だったり邪魔したりもするだろう。

義務教育が終わり、お金を払ってまで行く学校でも

同じ気持ちのままで受け身であることが多い。

例え、自分でローンを組んで支払っていてもだ。

 

日本の大学進学率、卒業率は世界でも高い。

 

では、専門知識にたけた人が多いのかと言うと

また違うようだし

そこから全く違う分野で仕事をする人が多いような気もする。

 

全体的に日本は豊かだから進学率も高く

お金を支払って行く学校でさえ

出席するだけマシで受け身になるのかもしれない。

 

私もそうだったと思う。

時間を持て余し、ずっと時間はあるような気がしていた。

この、今ある時間を何て無駄に過ごしていたか…

 

寿命が長くなれば、

それだけ時間を無駄に過ごしてしまうこともあるだろう。

「まだまだ先」と言う思いは人生に真剣味を与えないし

年齢だけいった稚拙な人が増えるのかもしれない。

 

大人という言葉が示すのは

あくまで数字を指すようになってきている。

 

人生における「時間」を意識した時から

私たちの人生への向かい方も変わる。

 

よく、「今日が人生最後の日と思って過ごせ」と言うけれど、

「人生は有限である」

与えた人生の時間は限られていると意識することで、

何か真剣に取り組みたくなるのではないだろうか?

 

人生の時間が見えないときと

見えるときの人の反応は違う。

 

同じ1日なのに…

自分の意識が違ったものに見せるだけだと

いつだって分かっていれば

どんなに有意義に過ごせるだろう。

 

 

 

 


2020-09-06 | 日記

個の人生に適した環境、家族などといった条件に

生まれてきているとしたら

家族であってとしても、助けあったとしても

もっと個として自立した見方も必要なのかもしれない。

 

家族の場合でも、夫婦の場合でも

依存で成り立っていることも多くあるけれど…

 

難しいことでもあるけれど

環境によっては、それぞれが自分の人生を生きることに

集中することを選択ができる。

望まないのなら、誰かの為にばかり人生を使うのは違う。

自分の為に人生を使うべきだ。

 

子供は、親が子供の為にすることは当たり前

親は、子供が親の為にすることは当たり前

夫は、妻や家族の為にすることは当たり前

妻は、夫や家族の為にするのは当たり前

当たり前だと思う事を止めるべきだ。

 

何も当たり前なんてものは無い。

それに、人生を誰かの犠牲になることも無い。

それぞれが選択が出来るという自由意志を持つなら

それは、その人の責任の下にあるわけだ。

 

選択をしなかったものの責任は?

その責任の所在は別のところにあるのかもしれない。

責任、依存と言った一見あやふやに見られるものを

しっかり区別し、自分のやるべき事に集中したいものだ。

 

 

 

 

 

 


大きなもの

2020-09-04 | 日記

今朝は赤っぽいピンク色の南国のような空でした。

最近のハワイも気象の変化か涼しくて

時期によっては寒いとハワイの人が言っていたくらい

世界の気象が変わってきているのだろう。

 

いくらテレビで異常気象だとか言っても

実際、日本で過ごしていて四季があると

ずっと暑いままではないし、

子供の時から夏は汗を垂らして過ごすほどで

制服のシャツもびっしょりだったし

こんなものと思えばこんなものだったような気がするし

テレビであおられれば全く違うような気もするけれど

学校にクーラーもなければ、炎天下の中で水も飲ませてもらえず

体育や部活をしていたのを考えると

いくら気温が上がったとは言えどちらがキツいか分からない。

子供の時から日焼け止めやラッシュガードを着る習慣があると

気持ちも日差しに対して強いものと感じそうだ。

親も日に焼けないように長袖やら日傘やら

今は過敏に反応するので

子供も当たり前に日差しは強いと感じるだろ。

気にも留めていなかったら

日差しに対して何も感じなさそうな気もする。

 

実際に自分の目で見たり感じたことでないと

本当のことは分からない。

テレビなどでみる光景だって全体の真実かも分からない。

 

だから、実際に地元の人に聞くと納得することもある。

 

自然の中の変化の早いものと遅いものを考えると

何か目に見えることもある。

進化が早い部分と遅い部分。

ただ、壊したものを修復するのは

何でも度合いによって大変さが変わる。

 

自分で築き手に入れたものでないなら

いつだって同じ状態で返さなくてはならないし

共有しているものに過ぎない。

意外と、自分で思っているより

「自分のもの」って少ないのだろう。

 

 

 

 

 


日々

2020-08-29 | 日記

幾つになっても知らないことが多い。

だから、新しい発見ができる。

それは生活の中でも常に起こるわけで

別にわざわざ勉強しなくてもいい。

 

身近なことさえ私たちは知らないことが多い。

 

1日を持て余してしまう日なんてない。

同じことでもしっかりやろうとすると

工夫したり頭を使うことになる。

そうすると、調べる必要があったり発見があったり…

 

外側に何か刺激を求めなくてもいい。

今ここに、興味深いことが沢山ある。

 


陥りやすいこと

2020-08-28 | 日記

どんなにスピリチュアルな知識を得ようと

何かしらを垣間見たような気がしようが

それらが真実かどうかは分からない。

 

また、それらを人に押しつけたり

信じさせようとすることも違う。

 

誰かにとって効果的なものでも

他の人にとっては違ったものが効果的かもしれない。

 

自分にとってのアプローチの仕方を見つけること。

誰かの真似では上手くいかないかも…

自分の真実は自分にとって有効なのかもしれない。

自分を深掘りして自分を知っていくことが

どれほど人生を変えていくのだろう。

 

自分の世界を豊かにするのは自分自身だ。

誰かが賛同するとか、信じるとかどうでもいい。

自分自身を鵜呑みにせず、常に深掘りして更新するだけだ。

謙虚に見つけた知識を更新し続けることしかない。

 

スピリチュアルな世界を信じ、勉強することで

逆に陥りやすい傲慢さに気をつけることが必要だ。

 

 


人生を輝かそう

2020-08-07 | 日記

何がある訳でもないのに

何となくウキウキ、ワクワクすることがある。

 

「見えない未来」を不安ばかり募らせていたときもあった。

いつの間にか、

同じことでも違った気持ちでいられるようだ。

もちろん時には不安になるかもしれない。

でも、今はそれも何だか楽しみだ。

 

歳をとっていくのは

細胞の面でしょんぼりすることがあるけれど

精神面ではラクになって楽しくなっている。

 

そうは言っても、なかなか学ばないので

何度も繰り返すことも多いので時間がかかる。

そんな要領の悪さも含めて自分だと認めはじめたけど・・・

 

時間がかかったとしても、きっとよくなる。

人生は沢山の経験ができるのだから

いろいろチャレンジしていこう。

 

周りのことを気にかけている暇はない。

周りを大事にするように、自分も自由に楽しむこと。

 

 

 

 

 


イメージの不思議さ

2020-07-21 | 日記

自分を何かの型にはめられて言われるは

とても不愉快だ。

 

ほとんど話したこともない人に

自分のことについて上から目線で

知ったようなことを言われるのは

これもまた不愉快だ。

 

あいさつ程度で

ほとんど知らないのに

知ったようなことを言われるのは不愉快だ。

 

でも、人は不思議なことに自分が上に立って人を評価し

イメージを使って知ったような気になるのかもしれない。

 

真実はどうでもいい。

 

 

人によって、

または職業によっては

自分自身で自分がよく分からなければ

それに流されてしまうかもしれないし

イメージされたものに対し

自分もそうだと思っていくかもしれない。

 

少し前にも、またそんなことで私も腹を立ててた。

 

でも、よく考えてみると面白いもので

人によってイメージするものが真逆だったりする。

 

誰しも他面性を持っているし

自分で自覚のない自分自身もあるだろうし

あまり表に出さない嫌な自分もあるかもしれない。

だから、人が言うイメージは

何処かの角度で見える一面でもあるのかもしれない。

 

ただ、誰に言われるか?で不快に感じてしまうのかも・・・?

 

結局よく考えてみたら

不愉快だったことも不愉快でもなくなってくる。

「そんな面もあるかもね~」と聞き流しておけばいい。

イメージはイメージでしかない。

実際ではないものさえイメージしてくるのも

また、何かの面をみてイメージしたのだろう。

 

自分でさえ自分のことが

よく分からなかったりするのだから

イメージされることも自分の一片であるかもしれない。

 

そんな曖昧なことで

私たちの身の回りは出来上がっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


そのままでいい

2020-07-20 | 日記

今、自分から取りに行かなくても

様々な必要のない情報が向こうから入ってくる。

 

だからこそ、必要なものだけに絞って

その他のものは自分から排除しないと

揺らぎやすい場合、

いつの間にか影響されてしまうことになりかねない。

 

そのうち、そんなことどうでもよくなるだろうけれど・・・

 

 

実際に言葉に出さず内心で思っていることなら

どんなことでもいい。

 

陰で言う分には何でもいい。

それこそ実際に面と向かって言うわけじゃないから

誰に何を言っても構わない。

 

いくら表面的に良い人や大人しい人を

出していたところで意味は無い。

何のためにそのままの性格を出さないのか?

 

自分の世界は自分で作るわけで

陰で文句を言いたくなるほどの

うっぷんが募る生活はずっとついて回る。

 

何も恐れることもない。

とっても単純なこと

自分の現実は自分が生み出していくだけだ。

 

だから慌てて何者かになろうとする必要もない。

そのままの自分でただ在るしかないのだから。