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★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
目に見えないものを知りたい。

物事を選択する基準

2024-11-11 | 最近おもうこと
物事がスムーズにいかないものは
一旦止まって再考してみたり、
または、その話を白紙にする。

いい話であっても進み始めるとすぐに
何度も問題が起こることがある。
問題が沸き起こっても対処はできるので、
文句を言いながらも突き進んでしまうこともできる。
断るか、そのまま進むか。。。
道をどちらか自分で選択していく。

条件のいい話だと
多くは進むことを選択するかも知れない。
それはそれで、「いい条件」というものは
達成することができる。
その他は、さておき。。。

断れば、手に入れたかも知れないものへの
多少の執着を残して何だかんだ理由をつけながら
自分がした選択が正しかったと思おうとするかも知れないし
潔い人は「もしかしたら」なんて思わずに
スパッと進めるかも知れない。

私はいつでも迷うような粘着した部分があるので
なかなかスパッと決断できないのだけれど
若い時よりはだんだんマシになってきたかも。。。

結局は自分で選択したもので全て完璧なのだ。
人生に「美味しい何処どりだけ」の人なんて滅多にいない。
必要なものを体験するように選択している。

あれこれ考えたところで
もしかしたら、進むべき道は決まっていて
自分で選択している錯覚の中にいるのかも。
または、本当に大きなゴールに向かってあれこれの道を
自分で選択しているのかも知れない。

どちらにしても、選択しなくてはならない時は
両方を選べないのだから
何を基準に選択するのかが
結局、自分らしい道につながるだろう。






変えたい性質は変える

2024-11-09 | 最近おもうこと
多分育った環境の影響もあったのではと思うのだけれど
人の考えていることや感情がすぐに分かる。

これは余計なこと、嫌なことを背負い込むことになり
私は良いことだと思わなかった。
その上、すぐに多くのものが目に入り
気づいてしまう物事が多かった。
神経質なことも良いことだと思わなかった。
だから、鈍感でおおらかな人をいつも羨ましく、
そうなりたいと思っていた。

不思議なもので、自分で変えたいと思うと
そう振る舞うことはできるようになってくるものだ。
余計なものを視界に入れないようにしていると
そう出来るようにもなる。

人の考えや感情が分かっても、
時と場合によって自分でうまく自分の感情を
コントロールできるようにもなる。

なるべく物事に少し鈍感でおおらかで在るように
練習していると神経質さも温和される。
きっと、今では大雑把に見られるかも知れない。

人の考えや感情がわかるということは
人の目を気にし過ぎ、人の顔色ばかり見て
自分で自分を疲れさせる。
また、自分自身の考えや感情より先に
人の影響を受けやすいということだ。

自分の特性を知って、その特性をどう扱うかで
なりたい自分になることはできる。
自分が思うネガティブな面を単に認識しているだけで
何も変えようとしなければ
そのネガティブを持て余してしまう。。。
よくないことのように言いながら
本当はそのネガティブが好きなのだ。
今のままで満足しているわけだ。

人は自分の性質を変えたいと思えば変えられる。















なるべくしてなる

2024-11-07 | 最近おもうこと
ある程度、先のことを考えることは必要だけれど
先のことばかり考えるのは違うような気がする。

以前、私も先のことばかり考えていた時があった。
その時は見えない未来のことにいつも焦りがあったけれど
考えてみれば、その焦りは今現在影響されていることで
起こってもいな事でストレスを受けているわけだ。

大まかな未来を描いたとしても
必ず、今に在ることが大事だ。
今に在り、どんと構えて日々を充実させること。

ずっと先のこと、どうでも良い他人のこと
そんなことに心を奪われていないで
自分の1日にしっかり目を向けて過ごすこと。

焦ったりイライラするより
今すること、できることを地に足をつけて行う。
適当に、出来ることもせずにいい加減に行わず
自分を信頼する、魂を信頼して
今、出来ることをしっかりやる。

必要な流れの中で出来事が起こり
しっかり必要な場所へ連れて行ってくれる。



人前で話すと言うこと

2024-10-29 | 最近おもうこと
随分前に読んだ誰かの本の中に書いてあったことで
「無用に喋りすぎるのは悪い、
けれども必要なことを喋らないのはもっと悪い」
といったようなことがあって印象に残った。

その頃、ちょうど人間不信で
人の感情や思考が分からなかった。
今でも分からないけれど。。。
喋らなくても喋っても人は勝手に話を作り上げるし
嫉妬や攻撃も個人の欲から勝手に他人に向けることがある。
「火のないところに煙は立たない」
という諺もあるけれど、
無くても自分が優位に立つと思えば
誰かを陥れるため、または潰しにかかるような時は
いくらでも勝手に最もらしい話を作り上げるものだ。

表面的に、ただニコニコして何も言わない人は
あまり攻撃される対象にならない。
意見を求められても考えるフリをして何も言わない。
相手に安心感を与えるのだろう。。。
けれども、よっぽど無関心か感覚がずれていない限り
喋らない人でも感情と思考はあり
内心では多くのことを喋っていて
単にその人の前で発言しないだけのこと。
不当な状況の中にいても上手にやり過ごす術を持っているだけ。
出る杭にもならず、
足を引っ張る対象に見せない。

それなら、適当にやり過ごして
何も聞かない、喋らないに徹した方が
いいのかも知れないと思っていた。
そんな時に読んで印象が残ったのだろう。
その時はよく意味が腹落ちせずに
「そうは言っても実際彼らの方が得をしている」
と、思っていた。

ただ今ならその意味の深さがよくわかる。
特に日本人の性質は
人前で自分の考えを発言をする、自分から話題を提供する
と言ったことが苦手だ。
苦手というよりしたくないのだろう。
人からどう思われるかをとても気にしている。

例えば、何かの講義や大勢がいる場で質問があるか問われた時
手を挙げ人前で話す人は少ないのに
終わった後に多くの人が駆け寄って個人的に質問をしたがる。
または、本人には言わず陰で色々言う人も多い。
人の話は根掘り葉掘り聞きたがるけれど
自分の話はなぜか隠す人もいる。

「喋る人」は、要するに開けっぴろげで計算が少ないのだろう。
隙をを見せる人だ。
「喋らない人」はいい人かも知れないし、
自分の腹を見せない注意した方がいい相手かも知れないわけだ。









人生の歩み方

2024-10-25 | 最近おもうこと
「情熱を持って取り組めるもの」
がある人は多いのだろうか?

子供とか孫とかと言ったことではなく
自分自身が好きで取り組めている何か。
何の打算もなく自分が自分のために取り組めること。。。

子供の時はいつも「将来の夢」などと言った作文を書かされ
本当に無駄な題材だと思って適当に書いていた。
皆んなが皆んな、そんな夢を持ってはいないのだ。
けれども、それしか題材がないので書いて提出しなければならない。
どうして、「3つの中から題材を選んで」とかにしないのだろう?
小学校から中学まで必ずそんな作文はあった。
周りからはすぐに書く音が聞こえてくるし
時間いっぱい考えても出てくる訳でもなく、
仕方ないので何とか言葉を長くして
作文用紙の半分くらいまで何か適当に書くのが毎回だった。

考えてみたら、子供の時から夢といったものを
持つことがなかったような気がする。
大人になっても、「こうなりたい」というものはなかった。

早くから、また後からでも「なりたいもの、やりたいこと」
が明確にある人は当然と思うかも知れないけれど
きっとその道へ行くようになっている。
無駄がなく歩める。
その一方、私のようなそういった夢が何もない人は
与えられたことを淡々とやるか、
あれこれやって合うものを探すしかない。
こういった人は、
人生を色々な経験を体験してまなべるよう
遠回りしながら歩むようになっているのだろう。









心や頭の中での悪口や愚痴

2024-10-21 | 最近おもうこと
前にも書いているけれど
自分が思っていること、考えていることが
表に筒抜けだったらどうだろう?

それでも何も困らない、問題ないと言えるぐらい
言動に表裏なく生きているだろうか?
言葉に出さないだけで、頭の中では
あれこれひどいことを言っていたり
考えていたりしていないだろうか?
悪口や愚痴、毒舌を吐いていないだろうか?

言葉や表情に出さないからいいと
思っているなら大間違い。
考えていること、思っていることも含めて
自分のエネルギー、振動なのだから
本質的には隠しようがない。

自分で重い、低い振動で在ることと
お金があるか無いかなど全く関係のない話。
表面的にはいい人ぶっていなくてはいけない、
けれども思考や感情は常にネガティブで文句も多く
悪口、毒舌を吐いていたら
実際、そのストレスは心身に影響を及ぼす事になる。

心身ともに健全で在りたいのなら
まずは、表裏の差を無くすことから。。。
それによって、周りも本来合う人たちと出会う。








呼び名や言い方

2024-10-20 | 最近おもうこと
人は言葉でイメージを作り上げる。

呼び名、分類分け
それこそ時代によって言い方が変わったり
使っていい言葉、使ってはいけない言葉など
または傷つけ無いよう、失礼の無いよう、差別の無いよう
こういった言葉や呼び方をしましょうと言う。

私はこういった事にいつも違和感を感じる。
単に物事をオブラートで包んでいるだけで
分離した捉え方は一緒のままだったり
悪い、恥ずかしいことなどを悪い恥ずかしいと
あまり本人や他人に思わせないように
誤魔化すための言い方をして
イメージを和らげたり変えたりしているだけに過ぎない。

言葉が変わっても、
やっていることなどは何も変わらない。
単に、言葉が軽くなることで行いやすくなるだけだ。
そのものの状態も行いも何も変わっていないのに
言い方や言葉が変わる事によって
受け手のイメージが柔らかくなるだけという
トリックを使っている。

でも、それは根本的な解決になんてならない。
言い方、呼び名を変えようと思うのは
受けとる側の感情を変えたいのだろう。

当の本人が呼び名を作り出すこともあれば
受け手側が良かれと思って変えようとすることもある。
けれど、呼び名が造られる時点で
その分類分けしたり、区別しているとした
考えは変えることはできない。
逆に呼び名がない方が区別の意識は無くなると思う。

時代とともに変化する道徳もあるのかも知れない。
けれども、残すべき道徳があって
本来の私たちの奥にある本質が
生かされていくような気がする。






選択の動機

2024-10-19 | 最近おもうこと
何だかここ数日胸騒ぎがしている。

何故だか分からないからただ静かに在ることに
意識を向けるしかないけれど
そんな時は気が散りやすいので気をつけよう。

最近様々な分野で二局の差が
どんどん大きくなっているようだ。
自分の都合が良くなるように
一見良い話を持ち出しているけれど
これは長い目で見たら堕落していくもの。

何もしないのに自分にとって都合のいいことが
降ってくるわけがない。
もし、そんなことがあるのなら
その裏に隠された意図がある。

独立し自分の人生に責任を持たないものが
責任のある結果を待つのはおかしなことだ。
どんな立場であっても、
どんなことをしていても
それは一人一人が
自分の人生の結果を見ることになるのだと。。。

自分さえ良ければいいと言った身勝手さは
結局自分に帰るものだと思って選択すればいい。
自分だけ特別はない。

身勝手の輪の中に生きることもできるし
調和の輪の中に生きようとすることもできる。




若い90歳

2024-10-17 | 最近おもうこと
昨日あった酒屋さんの店主は
なんと、90歳だと言う。

けれども姿勢もよければ頭の回転も良く
とても90歳のようには見えない。
奥様も元気で二人とも穏やかで柔軟そうな思考をしている。
全く歳を感じずに対等にお喋りを楽しめる。

朝の散歩をしていると
70代以上で何かしら大きな病気を経験したとか
今も病気や不調ではあると言った人は多いようだ。

現代では見た目の若さに意識がいく人が多いし
それが分かりやすく、お金儲けに繋げられるので
本人も世の中も表面的な若さを話題にする。

けれども、表面的なものは近代的などの国も
美容的技術を加えていることが多く
皮膚でも自然そのものの見た目ではないことがほとんどだ。
けれども、内臓はそこまで手を加えることはできず
年齢と共に不調が出ていく。

もちろん、外見的にも完全に自然のままで
若く綺麗なのは目指したいところだけれど
内蔵、筋肉や骨などの外見的でない部分を
いかに健康に保つかが人生を豊かに過ごすには欠かせない。

朝の公園で会う若々しい80代の人には秘訣を聞いている。
先日の酒屋さんのご夫婦からはうっかり聞きそびれたので
次に行った時に聞こう。

持って生まれたDNAや幼少期の過程とは別の
性格と生活習慣が大きく作用していると
知れば知るほど感じる。






自分で見極める感性

2024-10-14 | 最近おもうこと
私は誰かの噂話に興味はない。
聞いたとしても信じることはあまりない。

それこそ、自分が噂話の対象になった時があって
つくづく人の話はあてにならないことを知っている。

暇な人は自分の話題自体がないので
誰かの噂で話を盛り上げたいのだ。
それこそ、ニュースだって偏った見方で出ていたり、
深掘りした中立な事実だけを出していることもない。

また、人は話の中に自分の想像などを勝手に盛り込んで
話す人が多いので尚更真実でなくなることも多い。

だから、人から誰かの噂話を聞いても
私自身が本人にあったときに判断すればいいと思っている。
誰かの印象や噂話でなく自分自身で判断する。

自分に取り入れる全ての物事は
なるべく自分自身で判断し
いいもの、気に入ったものを選んでいくこと
真実を見る目を育てることが大事だと思う。
そうしていくことで、自分の感覚や感性も磨かれていく。

誰かがいいと言った、とても人気があるなんて
どうでも良くなっていく。
自分で見極める感覚を高めていこう。