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★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
目に見えないものを知りたい。

会話

2024-10-12 | 最近おもうこと
人は、どうでもいい話はするのに
大事な話をしない人が多い。

自分自身の考えていること、
思ったこと、意見や
様々な出来事に関して感じたことなど
自分自身に関しての本音は
話さない、話せない人が多いようだ。

単に無口な人もいる。
その一方で自分以外の他人などについてなら
いくらでも話す人もいる。

会話が噛み合わない人とは
もちろん話も続けられないけれど
そのような人とはそこまで親しくはならないだろう。

レストランなどで全く会話していない人たちをよく見る。
夫婦、恋人、家族など
それぞれ手持ち無沙汰を埋めているのか
単にいつもそうなのか
それぞれが携帯をいじっている。
小さな子も動画を見ているだけだ。

せっかく同じ時間を共有しているのに
実際は何も共有していない状況だ。
これでは、どんなに長い時間一緒にいても
何年も一緒に暮らしても
実際は全くお互い理解し合えていないだろう。





孤独というもの

2024-10-10 | 最近おもうこと
「孤独」を感じた、感じている人は多い。

この「孤独」の中で恐れや痛みを誤魔化さずに
自分自身で受け入れ、耐え、行動し
変化を望み続けると
自分が選択するべきこと、本当に必要なものが
閃くように分かる時が来る。

けれど、「孤独」という恐れと痛みを見ないよう
手っ取り早く誤魔化したくなるものだ。
立ち向かう覚悟より、さまざまな言い訳を並べ
まるでその考えが正当だというように言葉を並べる。

私は、この内省しなければならない機会の先に
自分が望む本当に必要なものは
必ず手元に来ると感じている。

本当に必要なものが解ればだ。

また、よく起こす間違いは
自分が欲した、
本当に必要なものが手に入り孤独を忘れると
すっかり全て忘れ傲慢になる。
究極的に自分が欲した、
たった一つの大事なものへの感謝はなくなり
不満しか見えなくなる。

自分の弱さはいつだって足を引っ張るのだ。






自分の歩調

2024-10-04 | 最近おもうこと
人は自分が恵まれていることに目を向けないことが多い。
それよりも、自分の不足や成せないことに目を向けたがる。

今、何か上手くいかないことがある。
人生に行き詰まりを感じている。
気持ちが不安や落ち込みでいっぱいである。

人生の中で何もかもが上手くいかなくなることもある。
一つ大きなつまずきがあるだけでなく
そんな時にはさらに追い打ちをかけて来られるような
出来事が起こったりするものだ。

世の中で自分だけ見放されたような状態になり
全てを失った気分にもなる。
実際にどん底なのだ。

けれど、よくよく観察すれば
まだ恵まれている部分もあるものだ。

そうなるまでにはどん底であると思ったところが
どん底で無かったと分かるくらい
さらに落とされないと気付けない。

「え?まだ底じゃ無かったの?」
となれば逆に開き直るしかないし
自分にとっての底ならそれ以上は下がりようもなく
上がるしか進みようがないと思えてくる。
すると、暗闇の中
恵まれていることや恵まれていたことに気づけるのだ。

いつまでも暗闇でうずくまっていることもできる。
ずっとずっと、そうやってい続けることはできる。
けれど、うずくまり続けることに疲れたら、
顔を上に上げてみよう。
次はうずくまるのをやめて立ってみよう。

恵まれている人は多いのだ。
だから、恵まれていることに気づけない。
気づけないほど、実は、恵まれているのだ。



信じる行為

2024-09-30 | 最近おもうこと
信仰とは何だろう?と思うことがある。

例えば何かの宗教を信仰している、
何かの信仰に関わる仕事をしている。
宗教という枠ではなくても。。。

彼らは教えに沿った生き方、言動を
自分自身がおこなっているのだろうか?
教えに沿って生き、
心からの豊かさや幸せを日々実感しているのだろうか?
教えを解く側にいて我欲がとても強く
さらに我を強く出す人たちも多いのは何故だろう?

学び、それを自分の中で消化し身につくことは難しいのだ。
「頭の中だけで解ったフリをする」
また人に押し付けることは実行するより容易い。
身に染み付くというより、
自分にも強いて「そうあるべき」
頭で表面的な行動を考えて行うことをする。
そうすると、湧き出る感情や抑圧された思考もより強くなり
ネガティブなものが強くなるように見える。

信じる力は大きなエネルギーを生み出すと私は感じているけれど
それがエネルギーのために信じようという
逆の動機では何か弱いままに見える。
不足から何かを信仰したいというより
単に信仰したいだけから得られていくというものがある。

自分の中の不足、弱さを
「何かにすがりたい」
「何かで納得したい」
と頼ってしまうのかもしれない。

何に頼るにしても、納得させようとするにしても
自分の中からの答えと、
一つづつ身につけ、自分を根本から
変化させていくこともしなくてはいけない。

全ては他力ではなく自力で行って
初めて、自分のものになっていくのではないかと思うのだ。








調和

2024-09-11 | 最近おもうこと
全ては調和。

本来は完璧な調和で在るのだけれど
人がその調和を壊す。
調和で生かされていることを人は忘れてしまうのだろう。

全ては調和により在る。

それが崩れた時に問題が起こり始める。
早い段階で気づけたのなら
その問題はまだ解決もできるし不調和を調整していくこともできる。

けれども、あまりにも欲望が先立てば
どんな不調和にも気づかない。
気づかないようにできるのかもしれない。
また、意識しないと気づかない。



行動の大事さ

2024-09-03 | 最近おもうこと
現代は頭でっかちになり過ぎて本当に自分で経験したこと、
自分の中から湧き出た思いや感情、考えがおざなりになりがち。

自分自身として考えるとあまりにもちっぽけに見え過ぎて
焦りや虚無感に襲われるかもしれない。
誰かの体験や考え、思いなどで
分かった風な感覚で自分を誤魔化している方が
安心だったりする。

けれども、自分自身から逃げていると
本当の自分についてずっと分からないままだ。
何かを知る、何かを学ぶのはいいことだけれど
何も消化せずに積み上げるだけではあまり役に立たず
また、何もそこから実行しないのなら意味がない。

何事も実行するために知り、学ぶのだ。
もっともっと、活発になっていい。
自分を情けなく感じる時は不活発なだけ。

この肉体はどんどん体験し感じるためにある。





視点

2024-09-02 | 最近おもうこと
自分の視点をどこに置くのかで見え方は全く変わっていく。

どのくらいは離れた場所から
どの方向から見るかで感じ方、捉え方は変わる。

自分に起こる物事において
人はあまりにも視点が近くなり過ぎて
感情的になったりし冷静に捉え、考えることが難しくなる。
また、自分ごとや身近な人のことなどは
その方向からばかりの見方になってしまう。

もっと距離を置いて眺めるくらいがいい。
気持ちに余裕がない時は特に近い視点で見ている。
さらには呼吸も浅くなっている。

イラッとしたり、行き詰まったり
そんな時は視点を変えて、離れてみてみよう。
ゆったり、息を吸うことも忘れずに。




傲慢さが不調和をうむ

2024-08-29 | 最近おもうこと
自分はよく知っている
自分はこれが上手い
自分は力がある
そんな風に、何につけ人は自分を特別だと感じている。
自信がないようなことを言いつつ、
内心では自信満々で人を下に見ている人は多く
ますます傲慢な人が増えているように感じる

たとえ、多くを知っていても
たとえ、ある程度成功しようが単にそれだけ。
もしも一国を動かす力や世界を動かす力があるのなら
その運命は大きな責任を背負っているという話だ。

一般の私たちはもっと小さな存在で
自分のできることをできる中で
調和を持って精一杯やっていく、それが人生であり
またこの全体と調和するということが逆に重要なのだ。
けれども、それさえもできていないのが現実ではないだろうか?
傲慢さが区別し、分裂を生んでいっているのが現実だ。

自分さえ良ければいいといった感覚の人はとても多く
この「自分は特別」といった錯覚から
傲慢さや不調和を生み出していくのだと思う。

全くのお山の大将だ。
それも、とても小さな枠の中でもこの状態だ。
なんとも動物園の檻の中を見ているような感覚にもなる。

全てのものに絶妙な調和があり
それが崩れた時に、その流れは止められない。
なるようにしかならないのだ。
ちっぽけな範囲で特別であろうとするより
もっと自分ができる範囲での調和を考えれば
違う動きや流れも出るかもしれない。





自然なものを食べること

2024-08-20 | 最近おもうこと
私が健康関連のことについて
興味津々なのはいつも書いている。

今日、閃き分かったことがある。

それは、私たちが
「自然なものを自然に食べていたら病気にはならない」
と言うこと。

そんなの当たり前だと言うかもしれないけれど、
世界では、体のためにこれを食べるといい
こう言った生活がいいと常に新たな情報や流行が出るくらい
病気や不調があり、歳を取っても健康でいたいと思っている。
「普通に」とか、「当たり前」と思っていることを
現代の生活様式で私たちはしていないのだ。

でも、そんなことはさて置き
自然と調和して生きることがいかに大事だと言うことを
思い出さなくてはいけない。

本来なら、農薬など一切使っていない旬の食材で
調理することができたらいいのだけれど、
一般の人はスーパーで食材を買うので
農薬は使っているものだ。
それでも、洗い流したりして使うなど
出来ることを取り入れることはできる。

加工品、買ってきたものを食すのではなく家で作る。
コンビニ弁当やカップラーメン、出来合いのものは控える。
旬なものや地産なものを取り入れる。
そう言った、お手軽な食生活をなるべく止めること。
自分の生活もできるだけ自然と共にあるようにする。

化学製品や薬品、農薬などばかり過剰に摂取していれば
当然病気にもなるし、精神にも影響する。
その上、陽にも当たらず日焼け止めを通年を通して塗るのだから
骨も免疫も弱くなり精神も不安定になるのも当然だ。
赤ちゃんの時から日焼け防止をさせるのもいかがなものだろう。

しかし、食もこだわり過ぎて
あれはダメ、この食材しかダメ
この製法のものしかダメ、この食べ方でないとダメ。。。
そんなこだわりは逆に精神に良くないし
第一、一緒に食事をする人がいるなら周りに迷惑だ。

食は美味しく、楽しく食べないと内臓にも悪いので
良かれと思ったこだわりで神経が苛立ったら元も子もない。
逆効果だ。

早く寝て、適度な運動をして
自然の食材をバランスよくとれば健康だ。
思考も食も自然と共にあれば本来の働きをしてくれる。















静かにあること

2024-08-12 | 最近おもうこと
誰かが何か言うと、
特にその業界で注目されている人なら尚更
注目を集めるし影響される人は多い。

すぐに飛びついて肯定する人もいる。
これはどの分野でも同じだし
今はネットという拡大しやすい道具もあり
自分自身で感じたり、考えたりし
「自分自身の内側から気づく」機会を減らすことにもなる。

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
鵜呑みにし過ぎて、勝手に思い込むこと
それを多くの人がそう思い込めば
そうだと言う事が広がる。。。
そうだと言う扱いになっていく。。。

信じることは強いエネルギーを作る。
信じるものに影響を受ける。
けれども、それは「誰かの信じたいこと」だけかもしれない。

もっと自分の内面からくること
もっと静かに気づくこと
そこからくる自分自身の考え、思いに耳を傾けてみよう。