goo blog サービス終了のお知らせ 

★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
目に見えないものを知りたい。

与えられる

2024-12-14 | 最近おもうこと
自分には何が出来るのだろう?
そんなことを探していた時期が長くあった。

それがいかに傲慢なことであったか
今は気づいている。
何でも自分でやっている気になっていたのだろう。。。
だから息詰まるようなものに
必死に食らいついて何とかできると頑張っていたり。

うまく回るようなものは流れがスムーズであり
そんなにしがみ続けなければならない
ようなことにもならない。

上手くいかないのに
あの手この手で何とかなると
「それ」に固着して
他はないように感じたりしてしまう。

本当は「自分でやっている」のではなくて
与えられることに意志をもって
熱心にやることが流れになるのだと思う。
どこかで、自分の欲といういやらしさが入ると
またその流れが変わってしまうけれど。








より良い世の中へ

2024-12-11 | 最近おもうこと
人は自分より歳をとった人のことを
馬鹿にするようなところがある。

20代なら
おじさん、おばさん、ジジイだとかババアだとか
失礼な言葉を使い様々な場面で馬鹿にしたりする。
それこそ仕事場ではそんなことが多い。
「だからできないんだ」なんて言う。

もちろん、
例外のほんの一握りのやり手の人たちは別で
拝められているけれど。。。
ほとんどの一般人は失礼な扱いを受ける。

それは若い人に限ってではなく
考えてみれば中高年だって同じようなことをする。
高齢者に対してはどうだろう?
似たり寄ったりなことをしていないだろうか?
口に出さないにしても
心の中で毒づいていないだろうか?

自分より何か劣っていそうな部分を見つけて
馬鹿にしたりする。
高齢になると人によって身体の動きの違いが出る。
他人から見ると大差ない外見でも
何か他人のことは老けて言えるらしい。

口に出さなければいいと言うのではなく
心の中から
もっと他人に親切になれないものだろうか?
年々、生きていれば誰もが歳をとる。
どの年代でも、いずれ我が身と思って優しくしよう。

若い人も中高年も高齢者も
みんながお互いに優しく協力する
調和が生まれたらより良い世の中になれるのに。



結婚とは

2024-12-08 | 最近おもうこと
時代によって「結婚」の意味は変化している。
相手選び、経緯など色々変化している。

時代によっては家同士の理由だったり
お金や子孫を残すためだったりと言った
自分では決めることができなく
愛や好意と言ったものは何もない場合もある。
会ったこともない人と一緒になる場合もあった。

今の近代国家では
自分で選ぶことがほとんどなのにも関わらず
それでも愛や好意がない人は多い。

妊娠した
仕事をしたくないから養ってほしい
お金

よく知らない人と今も結婚する。

問題が起こった時、
愛があっても大変なのに
愛がないと
一方が、または双方が文句を言い合う。
特に問題がなくても歳を取れば
誰でも体は弱りできないことが出たりし
支え合うことが必要になるのに
文句や喧嘩が増えるなんて
そんな老後は特に悲しい。。。

子供で二人の関係を誤魔化したり
その関係は高齢になっても子供を巻き込む。

安易にした結婚は、二人だけでは完結しない。

両親が高齢になり、
また高齢の人たちを見ていて思うのは
結婚というのは責任だ。

自分が選んで人生を共にした相手に関しては
責任があると私は思ってしまう。

子供がいてもいなくても
結婚していてもしていなくても
基本は自分の人生は自分の責任なのだ。

そこに「結婚」という
他人との人生を共に歩むことを選択したのなら
自分の人生と
相手の人生の一端の責任を持つということだ。
助けてもらうこともあるし
自分が助ける側になることもあると
覚悟をしなくてはいけない。

古いと言われても現実はそうなのだ。

生きる力

2024-12-06 | 最近おもうこと
年齢に関係なく生きる力が薄い人がいる。

どんなに周りのサポートがあっても
本人が持つ性質に多少の柔軟性がなければ
何の役にも立たず、
逆に周りのエネルギーも奪っていく。

本人しか変えられない事がある。

誰がどんなに協力しようが
悲しい事に全く持って何も変わらない。
いつでも自分を悲観しているだけで
人生を持て余している。。。

生かされていると言う感性はなく
自分が生きていると思っていて
こう言った人は、
外に対して「感謝」と言う気持ちに欠けている。

人がもしも、少しでも見えない世界も
あるのかもしれないと感じることができれば
「自分が全て行っている」と思わないだろう。。。
さらには、肉体が終われば
全て終わりとも思わないだろう。。。

こう言う人は、
すっかり魂が肉体の中で小さく縮こまってしまっている。
私たちは、肉体では収まりきらないほどの
大きなエネルギーとしての魂にすることもできる。

気づくだけの感性を持てる人もいれば
気づくことがない人もいるのだ。








自分自身の中から湧き出るもの

2024-12-05 | 最近おもうこと
先日も少し書いたけれど
静かな中にあると言うことが
近年ではすっかり減っているのではないだろうか?

常に動画を見たり、
全てそのようなものを頼っている。
調べもの
本の内容
考えかた
習うもの
音楽
何でも便利に使うことができる。

便利な反面、
自分で考えたり
想像したり
感じたり
することを必要しなくなってしまっている。

けれど、そんなことに気づかないで
便利はいいことと促されていく。

私も同じように行動していたことが
フッと自分の考えや感じ方ではなく
誰かのものを通したこと
を受け入れるだけになっていることに気づいた。

便利なものは便利
でも、時間がかかっても
アナログなままがいいことも多いのだ。

自分自身の思考、感性、想像を
いつも向上させることは大事なことだ。


風の時代に入り

2024-11-26 | 最近おもうこと
「風の時代」という言葉を
聞いたことがある人もいると思う。

私も詳しいわけではないのだけれど
長らく「土の時代」だったものが
昨今は「風の時代」に入り
社会、人の感覚が変わり
価値観が変化していくと言われている。

戦後の昭和の高度成長などは
まさに「土の時代」のようなものを感じる。
とにかく働いて、働いた分得られるものがあり
所有することに重きを置かれる競争社会だ。

最近は何だか地に足のつかないような感覚だったり
がむしゃらさはないのに欲や当たり障りのない
ふんわりしたものを感じたりする。
身の丈に合わないものを得ようとするのも
目に留まるような競争はよくないと
うわべではされる平等社会になってきた。

「風の時代」になったからといって
すぐに変化するわけでもない。
けれども、なぜか集団になってある方向へ動こうとしたり
考えを同じ方向へと促すことも多く見るようになっている。
ちょっと、これは気味が悪くも捉えられる。

人の意識というのは大きなうねりを作るのに
集団という機会を作り無意識なものを
ある方向へ促すことは冗談の域ではないと私は思ってしまう。
けれども、昨今のネット社会では
そいった個人の考えや思いを
大きな集団にしてしまうことも可能なのだ。

集団になることは私個人的な感覚では
新しい時代的でないと思ってしまうのだけれど。。。

どんな風に世の中が変化していくのか分からないけれど
偏らず、私は中立な立場で傍観しているだろう。













自然のままとは。。。

2024-11-24 | 最近おもうこと
「自然のまま」「作り上げない状態」である物事は
ますます無くなっている。
何を持って「自然」と定義するのか曖昧になっている。

その中で生きている人たちは
どこからが自然でどこからか作り上げているのか
分からなくなるし、
自分の都合でそれらのハードルへの考えも変化する。

私は歳をとったせいか
「自然」な物事に魅力を感じてしまう。
考えてみれば昔から人に対して
本音で話していない人とお近づきにもならなかった。
前にも書いたけれど
比較的人の性質が多少わかるところが
私には影響しているのかも知れない。

自然と思っているものも自然でないものが増え
それこそ食物だって人だって
不自然に作られているものに囲まれている。
私たちはすっかりそれに埋もれて気づかないだけだ。
食物に旬もなくなり太陽も浴びずに育ったもの
見た目は同じだけれど
実は違うものも日常で手にしている。

それはビジネスという観点からだけでなく
私たち自身がそれらを欲しているために作られていく。
結局は私たちの多くが欲している先に
自然でない物事が次々に生まれていく。

これは科学や医療が進めば
より私たちが欲するものを作り上げられ
未来は人の欲をますます満たすものが
作り上げられるだろう。。。

それは人にとって
どう影響していくことになるのだろう?













人生を生きる

2024-11-21 | 最近おもうこと
どの年代でも自分で人生をどう生きたいか
その都度、覚悟を決めて行動しなくてはいけない。

あれもこれも理想ばかり並べても
決して実現しないような他人が関わることならば
きっと、それは単に自分の希望であり
現実化するのは難しい。
それより、自分ができる現実を
どう生きるのかを考える方が得策だ。

一つの理想のために
自分らしくない、自分の気持ちを我慢して
手に入れることが本当に幸せなことなのか考えてみる。
本当は一つの先に密かにもっと望んでいることがある。

その理想はどこからきたものなのか考える。
人に自慢したい、いつからかそう思い込んでいるなど。

他人の気持ちを無視して自分さえ良ければいいと
あまりにも傲慢になっていないか考える。
自分が望むことを他人も同じように望んでいると
思い込む人は多い。

または、悲観的になっている自分を可愛そうと
見ていないか考える。
多くの人は自分の問題を
他人のせいであるかのように見ている。

決めたら、くどくど言わずに出来ることを行動に移す。
とにかく言い訳無用でやる。

自分のこと、
自分が望むこと、
そのために自分が決めたこと、
それを実行する。

これが自分の望む姿ならば
泣き言や言い訳をし、他人のせいにすることもなく
いつも笑顔で幸せであるはずだ。
望まないから愚痴や文句が多く弱々しくなるのだ。

それならば覚悟し決めたことを実行することだ。







魂の道を歩んでいる

2024-11-19 | 最近おもうこと
人生を通し変化していく人もいれば
変化しない人もいる。

人生を通して持って生まれた性格を
どのように活かし、どのように変える必要があるのか。

変えずに済む環境の人
変えようとしない人
変えざるを得ない人
変えたいという気づきを得る人

経験から変えようと努力してきた人にとっては
自分を変えずに周りのせいにしたり
泣き言を言い続けている人を
一喝したくなる気持ちにもなるだろう。

けれど、よく観察していると上手くできていて
変えなくていいような状況を生きていられるようになっている。
ブツクサ言い続けていても本人自身も
自分が問題だということに全く気づかない。

人は自分の人生に物語をつけたがるけれど
それは既にある程度設定されていて
起こってきた事なのだと思う。

だから物語を語るより、人生で起こる出来事に自分で対処し
自分で内省し気づいた気になっていることに
少しの謙虚さを加えた方がいい。
全てはそうなるようになっているから。。。

きっと、そう決めてここにきている。
誰もが人生を大まかに決めた中で生きている。
日々、最善の自分としてやっているのかだけが
必要なことなのだろう。

そう思うと、人との関わりや自分自身が
違ったように見えるようになる。
人はそれぞれ違うのだ。
違って、また同じようにここにいるのだ。











物質と精神

2024-11-13 | 最近おもうこと
歳をとっているからといって
見合った人格を形成されているかといったら違う。
子供や孫がいるからといって
見合った人格を形成されているかといったら違う。
学歴や会社が立派だからといって
見合った人格を形成されているかといったら違う。

人は様々な外部の条件とは関係なく
自分自身でしか人格を形成することはできないのだと思う。
自分が歩んできた人生の中で
自分自身をどのように見つめていくかが必要だ。
残念なことに、自分の性格を正しく見つめている人は少ない。

傲慢さや頑なさ、わがままさ
全てを思い通りにしたいという強さは
物質を手に入れるという面では必要なこと。
そのように育っていく人もいるし、
自分でそのように生きていく人もいる。

精神、物質が伴わないという
この違いはなんだろう?
これは、魂の違いなのかも知れないと。。。
性格だと言う人がいるけれど
では、その性格を変える必要なく
歳を取れると言うことは?

物質世界、精神世界の両方のバランス。。。
どちらかばかりを追うことも偏ることも
肉体を持って生きている私たちにとって
結局、生きることを難しくさせる。
それこそ、周りにいる人はもっと大変だけれど
きっとそこにも何らかのカルマがあるのだろう。

普通の人にとっては
どちらもちょうどいいバランスで成長することが
肉体を持って上手くこの世を体験していけたことに
繋がるのかも知れない。
極端過ぎることもまた、何かをなすには必要だけれど
そこまでに至らないのが多くの普通の人たちだ。