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★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
目に見えないものを知りたい。

何となく

2025-01-16 | 最近おもうこと
「何となく。。。」
と言う感覚はとても大事なのだと思う。

何となく始めて
何となくやって
その先に何かがあると
2回目からは何かしらの動機が入ってしまう。

だから、「何となく」と言う
そこに動機が入っていないと言う感覚が大事になる。
現代人は思考を使い過ぎている。

「何となくやってみよう」
「何となく行ってみよう」
そんなことがいい。

けれども、それさえも頭で考えて
取り入れようとするのは、また違ってしまう。。。

「何となく。。。」
そんな無思考な部分は
自分にとって必要な場所へ導くことは多く
思考した先は
自分に課す場所へ行こうとするのかもしれない。


役割

2025-01-15 | 最近おもうこと
誰かに何かをするときは
程度の差こそあれ、「喜んでもらいたい」
と大体は心のどこかで思っている。

単に「手伝ってあげよう」と思うこともあるけれど
1回目に喜ばれたら、次回はやはり心の中で
喜んでもらえると思ってしまう。

他者に何かをするとき
全く無心でやり続ける人はほとんどいないだろう。
そこに、見返りは求めていないにしても
「喜んでもらえる」
ということは期待してしまうかもしれない。

でも、最近自分のことを通して思った。
見返りを求めないとは言うけれど
誰かの喜ぶ顔さえも期待しない
と言うのはとても難しいことで
無心で黙々と自分のためであるかのように
人のために何かをし続けることは難しい。

人にはそれぞれ役割がある。
自分の人生を振り返って
何が自分に合っているのか
どうしていくことが人生を豊かにできるのか
考えてみてもいい。
そんなことをぼんやり考えた。









今年は

2025-01-12 | 最近おもうこと
去年は環境の変化に
また馴染むのに時間がかかった。

自分だけの時間、生活として
動けたり考えるのなら簡単なことでも
親のことを思うと、つい振り回されてしまう。
近くに住んでいるのと、
私の放っておけない性格のせいだ。

元から気難しいけれど
更にとても気難しくなっている父や
年をとってきて母もできないことが増えたり
何かと気になることが多いのだ。

それぞれの家族の関係がある。
その中で、それぞれの「やっている」という意味合いも違う。
また、それぞれの自立という感覚も違う。
親は親とそこそこ割り切れる人もいれば
私のようにそうできない人もいる。

それぞれの家族の関係や個人の性格などで
意識することもなく「選択」をし
それに自分なりの言い訳をつける。
本当は「できる」ことでも
「しない」言い訳をつけることをする。
逆に、「無理をし過ぎ」ていることでも
「しなければならない」言い訳をつける。

けれども、今年は自分の人生として
バランスをとりながらやっていこうと思う。
自分の人生を後回しにしないように心がけよう。


特別で特別でない

2025-01-08 | 最近おもうこと
ほとんどの人は、もちろん自分も含めて
自分自身を分かっていない。

頭で分かっていること
人に言っていることを
実際に自分自身では行っていない。

何かと自分自身を良くも悪くも特別扱いしているのだ。

自分には適切な言い訳や理由がある。
けれど、他人のことは細かな理由を知らないから
結果や目に見える行いだけで判断して批判する。

自分は忙しいけれど、
他人は自分ほど忙しくないはずだと勝手に思い
他人の多少の勝手も許せない。

自分の甘えた考え方自体に気づいていない。

自分自身さえ満たせないのに
他人のアドバイスをして満たされた気分にさせる。

単に欲が強いだけなのに正当な言い訳をつける。

そんな風に、自分はできていると思っている
勘違いを常にしている。
それぐらい自分を特別扱いしているのだ。

本当は自分は自分自身で完結させることが必要なのに
何かと誤魔化すことを探している。
自分自身で向き合うより、
誰かが助けてくれると思いたいし
今の自分自身ややってきたことを肯定したいのだ。

肯定したり、特別でありたい。
何者かでありたいのだ。
何者かでなければ生きることが難しいのかもしれない。

もっともっと魂を感じ、魂として人生を生きる。
それ自体に気づくことから。。。
本当は何者でもなく、
単に人生を経験するだけの魂としての自分を認める。

そうすると、
人を批判することも自分を批判することも
どうでも良くなっていくようだ。










魂として生きるには

2025-01-07 | 最近おもうこと
自分の感情や正しいという考えのもと
人は選択したり言動したりする。

それは社会の傾向かもしれないけれど
多くの人が賛同するから社会が変化する。
時代によって、
親は子供に対する考え方や教育は変化している。
票をとるために、政府の方針も変化する。

外国に行く人
外国で育った人
外国の情報が多く入ることによって
良くも悪くも日本本来の教育、考え方は変わった。

昔は子供は親を、目上のものを敬うものと言った
子供の口答えは一切許さないような教育が
家庭でも社会でもあった時代から
家庭では友達親子といったような
子供に主導権が移り、
子供に好かれたい親が増えた。

果たして自分の考えは自分のものなのだろうか?
自分の軸に基づいているものだろうか?
単に社会に流されているのだろうか?
単に社会にそぐわない、変わっているだけなのか?

そんな風に思うとき
単に自分の感情に振り回され
何かを犠牲にしていないか冷静に眺めてみる。
社会の流れがどうであろうと
自分が持つ正義は流行とは関係ないはず。

人生は自分自身で生きなきゃいけない。
自分の外側の社会に溶け込むことが人生ではない。
限られた人生を魂として生きることが何なのか
じっくり考えてみるにはいい時だ。









五感と言葉

2025-01-06 | 最近おもうこと
最近、もっと五感を活かそうと言う事を書いた。

五感を使っていくと
言語が乏しくなってくるのは私だけだろうか?
言語では表せない気がしてしまうのだ。。。

たくさんの言葉を使えば使うほど
浅く、無意味なものになっていくような気がする。

また、オブラートに包む言い方も煩わしく
聞いているのも発するのも何だか無駄に感じてしまう。
単に言葉を発しているのか
本当に発する言葉に意識を乗せているのか?

私は小さな人間なので少し神経質で
そうならないように気をつけているけれど
なかなか達観した考え方や見方ができず
やはり、人混みは苦手なままで
更に苦手にありつつある。。。

ただでさえ、一人でいることも満喫できるのに
より人と関わらないようになってしまうのは
いかがなものかと自分で思ってしまう。。。

偏屈な年寄りにだけはならないようにしたいものだ。



文化の大事さ

2025-01-03 | 最近おもうこと
明けましておめでとうございます。

私は年末の体調不良からも
おかげさまで復活できお正月を過ごしました。

ところで、お正月の過ごし方は
それぞれ違うし家庭によっても違う。
現代では特に違うし、
日本の文化に対しての考え方自体も変わっている。

私自身は日本の文化を得に意識し
大事にしていたわけではないけれど
暦の中で行われるような行事は略式でも取り入れる方だ。
でも、最近自分が年をとったのか
日本人として日本の文化を継続することの大事さを想っている。

西洋かぶれと言う言葉があるけれど
日本人は愛国心が薄く、
いやらしいほどかぶれている。
今後はもっと、自分の本来の文化に
意識を向ける必要があると思う。
西洋人っぽくなることより日本人の本来、
言語や道徳、考え方などの本来持っていたのに
失われつつある性質の部分を
民族として取り戻すことが必要だと感じる。

家族との絆、他への思いやり。。。
元々強く持っていたものだろうけれど
物質が豊かになるに従って
親の子供に対する愛の形が変化したのかもしれない。
しかし、目に見えないものは変化しないけれど
目に見えるものは変化する。
愛をモノで表し始めるに従って
愛と関係性も変化したのかもしれないと思ってしまう。

目に見えないものは全て
本や説明の中からは理解できないし計れない。
誰かが解いたところで理解なんてできない。
感じることでしか理解できず、
感じる深さによってしか、また理解の深さも得られない。

しかし残念なことに、
人はある程度成長してしまってからでは変えられない。





他人の想いと、自分の想い

2024-12-24 | 最近おもうこと
自分の持つ想いと、
人の持つ想いにズレがあると
怒ったり、落胆したり絶望する人もいる。

その時の心に湧き起こる感情は
瞬時に来てしまう。

恋人
親子
仕事
どんな距離の関係であったとしても
他人と関わるのなら
自分ではないのだから
完璧に自分と同じと言うのはあり得ない。

例え、会話をして自分の想いを
伝えていたとしても
相手が完璧
自分の真意を受け取っていない場合もあるし
少しズレて理解していたり
もしかしたら、全然理解していない場合もある。

自分の想いは
他人に押し付けることが出来るものではない。
少し共有できたのならいいのだ。
そこで勘違いして、
他人も自分と完璧に同じだと思い込むのは
大きなも違い。

何かを具体的に共有したいのなら
その最優先ポイントを話してみて
相手も共有したいのか
確認してみることも必要かもしれない。
最初は共有したいと思っても、
途中から相手の思いは変わるかもしれない。

勝手に「共有」していると思い込まないこと。

自分の想いは自分の自由。
他人の想いはその人の自由。

他人の想いを自分の想いで縛り付けないこと。






他人に従うより、自分の心に従う

2024-12-22 | 最近おもうこと
何をするにも
「こうあらねばならない」
「まずは、こうしなければいけない」
と言ったように
何でも気軽に勉強したり、教えたり
目に見えない世界のことであっても
情報が簡単に手に入るせいか
やたらと「こうあるべき」だと言うことをよく聞く。

何でも、誰でも、
そんな事を言うけれど
本当にそうだろうか?

今日と明日で自分や状況は変わらない。
そんな事を追っかけるより
自分の軸で感じて考えてみる方が大事だ。

何も感じない人は影響されていないかもしれないし
やったところで大差ないかもしれない。
そのままで問題もなく快適ならそれでいいのだ。

例えば、資格がないとできないものなど
必要に応じて取る必要があったとしても
必要もないのにやたらと資格や肩書きから欲しがり
なかなか実際の行動が始められない。

肩書きだけで満足してしまったりするのは
いかがなものだろう?
資格がないことで自分を卑下したり焦ったり、
それを言い訳にダメなままでい続ける。

必要な物事なら
自分流であったとしても、
誰かに従わなくても、
自分の元に来る時はくる。

頭でばかりうんちくを積み上げても
大事なものが遠ざかっていくこともある。

まるで一つしか選択がないように
がっかりしたり怒ったりするけれど
本当は選択は幾つもあるし機会もある。
自分の思考、視野が狭いだけの話で
そもそもは、
それがダメなら必要のないことなのかもしれない。

人に怒ったり、がっかりしたり。。。
自分に怒ったり、がっかりしたり。。。

「こうするべき」
そんな思考や言葉に制限されて
心を縛り付けてしまっていないか見てみよう。
意外と、日常の中に多いものだ。














もっと心の声に敏感になる

2024-12-20 | 最近おもうこと
人生は一つ一つの些細と思っている
本当に何げない選択から作られているのだと
最近つくづく感じている。

日々、無関心に選択したり
行うと言うことがとても多い。
中には嫌々行っていることもあるだろう…

私たちは、もっと心の声を聞く必要がある。
頭で考えた選択や行動に慣れ過ぎて
自分自身に物事を強制していることさえ気づいていない。
例え、それが些細な事だとしても…

人は生まれたからには、いつか死を迎える。
それがいつかは普通は分からない。
けれど、これも様々な選択や行動の延長線上にある。

いつか来る寿命まで
大いに充実して全うしよう。