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★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
目に見えないものを知りたい。

自分自身が学び実践する時代

2025-03-29 | 最近おもうこと
西洋かぶれが進んでいる一方
日本は特別だとやたら言いたい人もいる。

個人的にはどちらもバランスが崩れていると感じる。
今の時代は様々な文化、
特に西洋の食べものや考え方、生活様式など
隔たりなく多くのものが日本で使われ食されている。

1980年代くらいまでは
まだ西洋的にはここまでなっていなかった。
様々な統計や論文などに基づいて
西洋でいち早くいいと言われた物事が
数年遅れで日本にやってきて真似していく。
子供の教育や子育てにもそれは反映していて
一般家庭でもそれらを「今はこうだから」と取り入れる。

さらには、西洋の大学、大学院、企業を経て
日本に戻りそれらを推し進めていき
また、西洋で学んだり生活した人は素晴らしいと
日本人自体もなぜか持てはやす。

現代の日本人には本来持っていた
様々な感覚は無くなってきている。
けれども、これは時代と共に仕方がないことで
戦後から様々な日本の在り方は変わったのだ。
混ぜこぜでありながらバランスを取ることが
必要だということで、
どちらが良いとかではない。

子供の感覚を育てるのは親だ。
その親を育てた人の感覚が引き継がれ。。。
もう、大人になるとなかなか感性を変えるのは難しい。
日本にあった良き感覚を育ませることができるのは
小さな子供たちへの教育だけなのだろう。
けれども、その教育者は?

生活様式、食べ物、考え方など
やはり今まで通り、個々が自分で選び取り入れる。。。
それなら、まずは選び取る思想が必要だ。






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社会性

2025-03-19 | 最近おもうこと
ある高校の野球部で監督が
生徒を殴ったか、ぶったかで高校を辞めさせられた
という話が姉と両親と一緒の時に出た。
その後、別の高校に行くことになったらしい。
そこに問題の生徒以外もついてくとか何とか。
詳しい話は知らないけれど。。。

姉は「今の風潮」は何があっても
絶対手を上げてはダメで、
問題になる結果になるのがわかってるのだから
だめなんだという。

甲子園に行くような競争の激しい
チームワークや闘争心も育てる中で
感情が出ることもあるから
分かってはいても
つい手が出ることもあるかもしれないから
入部の際に親御さんに一筆書かせて
それでも大丈夫なら入部の許可を出したらいいと反論する私。

それでも、学校や上の組織が問題にするし
世の中がその風潮なのだからダメなんだと。。。

私はこの「風潮」というものに
とてもとても違和感がある。
そんなものはコロコロ変わるもので
そこに愛や正義といった道徳は含まれないことも多い。

手を出すことはダメだ。
けれども、人間なのだからミスを犯すこともある。
また、普段どうかという人間性かも見る必要があるし
その状況といった、その場のやり取りだって大事だ。

今は、まず自分の保身のために「風潮」を読む。
熱心になれば感情的にもなりやすいので
やや冷め、周りのご機嫌をとりながら
好かれようとする。
一生懸命ではなく、そこそこやれば丸く収まる。
これが良いことだとは私は思わない。

「今はこうだから」
組織になればなるほど守るもの大きくなるので
世の中の目を気にしなくてはならない。

世の中で働く多くの人は
利益を出すこと、
会社という組織の中の一員であること
などの社会の枠組みの中の一員として
折り合いを上手にとり動いている。
それは、人の目や世の中のその時の風潮で動く必要があるのだ。。。

いい、悪いといったことは
頭で作る「風潮」より
内面から育まれる変わらないもの
ではないかと私は思っている。
だから私は社会からズレているのだろう。。。






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バランス、均衡

2025-03-13 | 最近おもうこと
バランス、均衡を保つこと。

常に考えておくべき事なのに蔑ろにされてしまうことだとつくづく感じてしまう。

小さなこと、小さな場所から
大きなこと、大きな場所まで
一人一人が意識して
行動しなくてはいけないこと。

欲で動こうとすれば
バランス、均衡を崩した思考になる。
けれど、今ではほとんどの人や会社、世の中は
そのような動き方をしている。

目で見える部分、見えない部分
全てバランス、均衡を保つようになっている。

気づかずにバランス、均衡が偏り続ければ
それだけ大きな反動として元に戻すことになり
ダメージから復活させることは大変になる。

常に調整して大きな歪みになる前に
気づいていきたいもの。
少なくても個人としてなら意識次第でできる。
まずは足元から考えてみよう。



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考え方は自分次第

2025-03-03 | 最近おもうこと
人は自分が甘ったれた考え方をしながら生きてきたか気づかない。

人は自分が厳し過ぎる考え方をしながら生きてきたか気づかない。


自分の在り方や考え方と比較して
周りの人達の在り方を見ているのは普通のことだ。

古代から人が社会として話題にし
考えてきた問題は現在も変わっていない。
何千年も同じ問題を考えている。
それだけ、人が考える事や思う事、感情は変わらないと言うこと。

集団生活や国といった、
人が作る場は常に同じ問題があり、繰り返している。

その中で、駒として生きる大多数の人や
権力をもち、作る側になろうとする人、
または自分の魂としての生き方を貫き続けられる稀な人もいる。

駒である大多数の中でも何とかいい立場になりたいとあれこれやるので問題は尽きない。
普通とか道徳とか自分本位に作りあげてしまうのは、「どんぐりの背比べ」のような中でも
考え、思い、感情は常に別れてしまうから。

これらは全て何かや誰かと比べているだけで
本来の自分自身を単に客観的にみていない事も問題なのだ。

人の上に
人を踏み倒して
人に合わせる
人より出来ない

自分はどうしたい?
どう在りたい?
その為に何をしよう?

自分に甘ったれた続けることも出来る
自分に厳し過ぎ続けることも出来る

でも、どちらも大変そうだ。。。

とにかく、自分を蔑ろにはせずにも
相手を尊重することができたら
一方通行にはならないのは間違いない。




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常識は流行に影響される

2025-02-22 | 最近おもうこと
「まだそんなことしているの?」
と、人の生活スタイルなどについて
言及しているのを見ると
なんとなく不思議な気がする。

世の中の傾向、好まれる流れ
言ってはいけないことなど
流行りの言動をすることがいいとされている。

どうしてそうなるのだろう?
自分はどうだろう?
気づかないうちに全体に流されていないか?

生活スタイル、食生活、言動
何もかもその時の世の中が良いというもへ
飛びついて気にしすぎて流される。

元々、共同体として考えれば
人に迷惑などの行為はしていないはずで
極端に変えていく必要もない。

自分より下だと思う人に怒鳴っていた人は
今ではパワハラで訴えられるのを気にして
怒鳴らないように気をつける。
生活スタイルも世の中が流されているから
自分も始める。

「電車の中で携帯で話すな」と世の中がなると
マナーモードにし忘れた電話がなってしまい
慌てて「今電車だから後で」などと出ようものなら
大声でいつまでも怒鳴り非難する人が現れたり。。。
今ではそれも見ない。
たまに、電話がなってしまい
電話に出て話す人は今でも見るけれど。

自分の常識はそんな風に流されているだけなのか?

もしも共同体として、
また自分の肉体として考えたら
流されていくだけでなく、
感じて思って、考えて自分の中から生まれていく
流行りでない思いやりを持つことができる。

気づかずに間違えることはあっても
経験から思いやりを学べる。
危ないことだって同じように経験だ。
全てが他力に習うものではないと感じる。



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我が道を行く

2025-02-19 | 最近おもうこと
誰かが言ったこと、やっていることに
便乗することは元々ほとんどない。

もちろん、誰かの考え方の邪魔はしないし
こちらに強要もされたくない。
だから、集団行動ができないのだろう。。。

自分より若い人は知識や経験もないと
思う年配者も多いし
道徳や常識を持ち合わせていると
思い込んでいる人も多い。

よく思うのだけれど
それらは果たしてそうなのだろうか?

個人的には年齢が上がっても
知識や経験を増やしていきたいと思っている。
道徳や常識もできるだけ柔軟に
広げていけたらと思う。

もちろん私も、
ある程度の道徳はあると思ってはいるけれど
常識はどうだろう。。。
社会で集団行動をしていない時点で
常識的でないことも多いのは認めている。

知識はわからないことが多いので
知りたいことを知っていきたいし
経験もさらに増えるのだろう。

そんなことで、
誰かの言動に便乗している暇はないのだ。



















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自分で経験をする

2025-02-06 | 最近おもうこと
人はそれぞれの歩んできた
自分の人生を通しての中で物事を計る。

けれど、私たちの中には
自分でもまだ気づいていないような
自分が持つ感情もある。

環境や状況によって、
まだその感情は表に出る機会がないだけ。

様々な経験を通して
見方、感じ方、考え方、捉え方
対応の仕方など自分なりの物事が行われる。
そして、人の経験を見聞したとしても
それは自分のものではない。
疑似体験のようなもので決して同化はしていない。

人によって想像力、共感力や反応も違うので
他人の体験を想像したものだけでは
実際足りないのだと思う。

経験を通してのものは
自分の中から湧き出るもの。
これは同じ経験をしても
人それぞれ、また違った対応をするのだから
自分の経験が必要なのだ。







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2025-01-31 | 最近おもうこと
社会としてみたときに
多くの人は成功、お金がある人を崇める。
それが権力になっている。
今の社会はお金を持っていることが
権力と繋がっている。

自由に使えるお金が全くなく
食べるもの着るものにも困っている人が
何かを言っても
今は誰も興味を示さない。

権力を持てば注目が集まり
周りが気を使ってくれる。
思い通りに周りが動くし
エゴは常に満たされる。

「人徳」のある人を崇める時代もあった。
でも、今はそのような見方は誰もしないし
単に「人徳」を求めようとする人も
ほとんどいないのだろう。
中にはそのように見せつつお金儲けも大好きな
何とも都合がいい人も多い。
唯物主義な時代が長く続いてきた。

人のことになるとやたら批判する人も多いけれど
そんなことより自分を顧みて
日々、少しでも「徳」に繋がるような自分になろう。


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良心と行動

2025-01-29 | 最近おもうこと
似たような考え方や選択の仕方を
するような人に出会うと心が躍る。

同じような考え方をしても実際の選択は違う
そういった場合は多い。。。
社会というのは打算が多く
「分かって入るけれど。。。」と言いながら
別の選択をするのだ。
人それぞれ何かを恐れている場合もある。

全く違う考え方や思い方をするのは
根本的に違うのだけれど
似たような考え方をしても
何を実行に移すかは別の話なのだ。

また、自分で物事を考えない人もいて
ただ誰かが言ったことに流され続けている。。。

人間という構造は同じだけれど、
そこに宿る、目には見えない何かは全く違うのだ。
本当はそこが見えたらいいのに、と思う。











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何となく

2025-01-16 | 最近おもうこと
「何となく。。。」
と言う感覚はとても大事なのだと思う。

何となく始めて
何となくやって
その先に何かがあると
2回目からは何かしらの動機が入ってしまう。

だから、「何となく」と言う
そこに動機が入っていないと言う感覚が大事になる。
現代人は思考を使い過ぎている。

「何となくやってみよう」
「何となく行ってみよう」
そんなことがいい。

けれども、それさえも頭で考えて
取り入れようとするのは、また違ってしまう。。。

「何となく。。。」
そんな無思考な部分は
自分にとって必要な場所へ導くことは多く
思考した先は
自分に課す場所へ行こうとするのかもしれない。

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