2日目、新市街は近代的な街並みです。
こんなところにも落書きです。下からは見ることはできないでしょう。
高層ビル用です。
BONES 骨は語る・・・・
朝食の夫のフルーツにイクラがのっている。イクラじゃないのです。
何かの果実のようです。
建築中の建物、柱が細い・・・・地震がないのでしょうか。
プリウス、レクサスも走っておりました。
ポーランドといえばショパンです。この日はショパン、ショパン、
ショパン!!
ワルシャワから50kほど西にあるジェラゾヴァ・ヴォラの村。
この村でフリデリック・ショパンは1810年3月1日に生まれました。
ショパンの生家の見学。ガイドさんがチケットの手配中に皆さんは
トイレにダッシュ。
私は見学する前からミュージアムショップをチェック。
ショパンの生家がある公園は、もともとスカルペック伯爵家の屋敷が
あった場所。現在では、博物館としてショパンの生まれた部屋や
出生証明書等の貴重な展示を見ることができます。
フランス出身のショパンの父親ミコワイは伯爵家の家庭教師で、
母ユスティナはスカルペック伯爵の遠縁にあたり、フデリックという
名前は名付け親となった伯爵の名前にあやかったそうです。
花が置かれている部屋がショパンが生まれた部屋。
ショパンがこの家に住んだのは7カ月程で、1810年の秋に父の仕事の
関係でワルシャワに移ります。
その日から祖国を出る20年間がワルシャワがショパンの生活の場で
ありました。
コンサートがあるらしくリハーサル中の男前さんです。
1万㎡もあるといわれている敷地は、1万本を超える世界各国から贈られた
植物を集めた公園になっております。
ジェラゾヴァ・ヴォラの北10kmのところにある聖ロフ教会。
この教会でショパンは洗礼を受けております。ここはショパン一家と
深い縁のある教会で両親も1806年に結婚式を挙げ、1832年には、姉の
ドヴィカの結婚式が執り行われております。
顔色悪いです。コップの中に蛇?
見学を済ませてワルシャワへ戻ります。
電柱、柱が細い!!
市内に戻り昼食です。
こちらのレストラン「Pad Gigantami」は、第二次世界大戦で破壊されず
オリジナルが残っています。
赤ビートのスープ「バルシチ」梅干しではありません。
ピエロギ(餃子みたいな)です。
クラクフ郊外通りから新世界通りと名前が変わる地点の少し北側にある
「聖十字架教会」
この柱の下にはショパンの心臓が埋められております。この教会も
第二次世界大戦中にドイツ軍に破壊され、心臓心臓は持ち出されて
しまったそうです。戦後、教会が再建されると心臓も返還されて
元の場所に戻されました。
ポーランドの三大偉人の一人コペルニクスの像。
17世紀初頭に大貴族オストログスキが建てたバロック様式のオストログスキ
宮殿内に、ショパン博物館があります。先にトイレダッシュ。
先にミュージアムショップを見学です。
チョコレートもショパンです。
生家のメガネケースに鍵盤の消しゴム。
博物館には、最後に使ったピアノや自筆の手紙など7000点を超える
関係資料や写真を所蔵しているそう。
ショパンと言えばジョルジュ・サンド。
ショパンの死に顔のスケッチ。
デスマスク・・・夫の顔の半分位しかありません。
ショパンの遺髪・・・・・今でもツヤツヤでした。
お隣にあるワルシャワ・フリデリック・ショパン大学の壁に音符が
書かれておりました。
新市街にあるキュリー夫人博物館。
バルバカン。ワルシャワ歴史地区は、旧市街と新市街に分かれ、
旧市街は王宮から北にバルバカン迄続く地区で、クラクフから遷都される
以前からの町の中心。新市街はバルバカンから北へ進んだ地区で
ワルシャワが首都になってから発展しました。新市街といっても
16世紀以来の歴史を誇る古い地域。
両地区とも第二次世界大戦で破壊されましたが戦後に復元されました。
戦争で破壊された旧市街の航空写真。
爆撃で破壊された街並みも忠実に再現されております。
旧王宮も第二次世界大戦で破壊されましたが王宮内の調度品は
国外に持ち出されて難を逃れたうです。
ワルシャワ大学
+
最後はSzuster Palaceで「ショパンプライベートコンサート」
皆さん拍手するタイミングが解らず(私も)・・・横を見ればか~っと
口開けて寝ている夫。今回のツアーは9名なので目立ちます。
1日ショパン三昧でした。ホテルに戻り夕食です。
疲れました・・・・・