7日目、プロブティブ
プロブディフはブルガリア第二の都市で、芸術の町・ヨーロッパ最古の都市
のひとつとしても有名です。6つの丘に囲まれたアップダウンの激しい地形
も特徴で、この町には紀元前4000年頃から人が住んでいたというほど長い
歴史を持っています。
ロブディフの旧市街にはブルガリア復興期(18~19世紀頃)の町並みが多く
残っています。
旧市街の断崖上にある古代ローマ時代に建設された劇場跡です。音響効果を
高めるため半円形をした劇場は、その周囲を、大理石のようなローマン・コンクリートでできた、3000人も収容できる観客席が取り囲み、遠くはロドビ山脈までも見渡せる、眺め最高のロケーションです。
舞台背後の壁部分には、何本もの壁を支える円柱が残り、一部2段重ねに
舞台背後の壁部分には、何本もの壁を支える円柱が残り、一部2段重ねに
なっている所には、皇帝あるいは神の像が残り、かなり保存状態の良い立派
な劇場です。
町の中心に突如として現れるリムスキ・スタディオン広場。地下に向かって
すり鉢状になっている遺跡で、ローマ時代の競技場の一部です。
競技場として、ローマ時代には戦車を使ったデモンストレーションや剣士同士の戦いなどが行われたこの場所。
現在も当時使われていた石段があったり、降りやすいように鉄の階段が設置されていたりして、自由に下まで入ることができます。
コプリフシティツァ
この村には、19世紀に商売で財をなした人たちや、芸術家や名士が建てた立派な邸宅が残っていて、ハウスミュージアムとして公開されています。
この村には、19世紀に商売で財をなした人たちや、芸術家や名士が建てた立派な邸宅が残っていて、ハウスミュージアムとして公開されています。
1876 年の英雄的な 4 月蜂起の中心地であり、オスマン帝国の支配に対する
最初の攻撃が行われた場所でもありました。 町には19 世紀の民族復興期の
雰囲気が今も残っており、当時の 380 を超える建造物があり、そのほとんどが元の姿に復元されています。
民族解放闘争のリューベンの家
ソフィアへ。
ブルガリア最大規模で、かつ美しさ際立つ「アレクサンダル・ネフスキー寺院」。なんと5000人を収容できるほどの大きさです。
エメラルドグリーンと黄金のドームが上品な雰囲気をまとい、360度どこから見ても、違った表情を見せます。寺院の鐘は街じゅうに響き渡ります。
エメラルドグリーンと黄金のドームが上品な雰囲気をまとい、360度どこから見ても、違った表情を見せます。寺院の鐘は街じゅうに響き渡ります。
ツァール オスヴォデイテル通り。
ヨーロッパの町らしく石畳の大通りです。しかしこの通りが数ある石畳と
大きく違うのはその色です。石が黄色です。あとから塗装したものではなくて元々の石が黄色とのことです。なんとも不思議な景観を作り出しています。
車が走るとカタカタと音がしておりました。
「聖ゲオルギ教会」バルカン半島では最古のキリスト教聖堂で、4世紀から
の歴史を持ちます。
教会の背後にはローマ時代の遺跡が広がり、都会にあるとは思えないような
教会の背後にはローマ時代の遺跡が広がり、都会にあるとは思えないような
風景です。ローマ時代には浴場が築かれていたことが分かっています。
聖ぺトカ地下教会
ソフィアの中心となるスヴェタ・ネデリャ広場からすぐそこにある聖ペトカ
教会は小さな一軒家のような見かけですが、11世紀のブルガリアの聖人ペトカを祀っている教会。
地面をわざわざ掘り下げて建てられていて、普通に路上に立つと上半分しか見えず、まるでそこだけ陥没したかのよう。
これは、この教会が建てられた14世紀はオスマン朝の支配下にあったため、モスクより高い建物にする事は許されなかったからなのだそう。
地面をわざわざ掘り下げて建てられていて、普通に路上に立つと上半分しか見えず、まるでそこだけ陥没したかのよう。
これは、この教会が建てられた14世紀はオスマン朝の支配下にあったため、モスクより高い建物にする事は許されなかったからなのだそう。
夕食は森の中にあるレストラン。
チーズがてんこ盛り
お肉です。やはり食生活が違いすぎます。
今回もメインはパスでした。
レストランの裏庭で何故か日本の火渡り神事?
行事の由来がトラキア時代の太陽崇拝だそう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます