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気まぐれ読書・映画・音楽の記録。本文に関係のないコメントについてはご遠慮させていただきます。

五木寛之「青年は荒野をめざす」

2009-03-26 | 小説

ぼくらにとって音楽とは何か? セックスとは? 人間とは? 放浪とは? 燃焼する人生を求め、トランペットひとつかかえて荒野をめざす青年ジュンのヨーロッパ放浪の旅!
ジャズ・ミュージシャンを目指す二十歳のジュンは、ナホトカに向かう船に乗った。モスクワ、ヘルシンキ、パリ、マドリッド…。時代の重さに苛立ちながら、音楽とセックスに浸る若者たち。彼らは自由と夢を荒野に求めて走り続ける。60年代の若者の冒険を描き、圧倒的な共感を呼んだ、代表作。


五木 寛之
1932年福岡県生まれ。作家。戦後北朝鮮より引き揚げたのち、早稲田大学文学部露文科に学び、その後、作詞家、放送作家等を経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で第6回小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞、76年『青春の門 筑豊篇』ほかで第10回吉川英治文学賞受賞。81年より一時休筆して京都・龍谷大学に学んだが、のち文壇に復帰。小説のほか、音楽・美術・歴史・仏教など多岐にわたる文明批評的活動が注目されている。また2003年から全国の古寺100をめぐる紀行「百寺巡礼」を本、映像で発表。

 

桜庭一樹さんの「荒野」を読んで、この本を読まなくてはならない。と初めて手にとった五木さんの本です。

冒頭、謎のプロフェッサーと呼ばれる老人。

「スイングとは何か。それはアンビバレンツの美学。つまり二つの対立する感情が同時に緊張を保って感覚されるような状態の中で、激しく燃焼する生命力がスイングだ。愛と憎悪、絶望と希望、落後感と高揚感、瞬間と永遠、記憶と幻想、それらがスパークするところにスイングが生まれる~」

そうそう、これこれ、「だからどうなんです。僕に欠けているのは、何ですか?」

「苦労…」

青年は、バイトでためたお金とトランペットを手に荒野へと旅立つ。

まあ、そこで、様々な人間と出会い、思慮深い人間へと成長していくジュン。

 

ケンという少年のようで話すと老人のような青年。

「あんたはまだ人間の愚劣さが見えていない歴史というやつの虚しさもだ。個人の限界も、組織の無意味さも、何もかも判っちゃいない。俺にはそれが見えるんだ。あんたが狂った音階を見分けられるようにな」

 

謎の同性愛者リシュリュー氏

「音楽は人間だ。だが、それは素朴なヒューマニズムの論理では割り切れないものさ。音楽という奴は、もっとなにか恐ろしいところのあるものだ。

良い人間が良い音楽を演奏できるというもんじゃないだろう。

苦悩の大きさが、イコール、音楽の深さにはならない。ジャズだってそうだ。卑劣な人殺しにだって見事なブルースがやれんとは限らん。汚い手で感動的な演奏が成り立つこともあり得る。音楽とは、そんな残酷な、非人間的なものなんだ」

ユダヤ人虐殺の過去の目撃に

「私が絶望したのは~略、そんな間の指から、あの美しい音楽が流れ出した、まさにそのことに大してだったのだ、私は美しい音楽は美しい心からしたたり落ちる音だと信じていた~。」

リシュリュー氏が、女性を抱かない衝撃の告白。

 

川のほとりでトランペットを吹きながら教授(プロフェッサー)の言葉を思い出す。

「音楽は最初からあったわけじゃない。誰かがそれを発見し、創り出したんだ。だからミュージシャンは誰でもそれをやらなくちゃいけない。音楽は既にあるけど、彼自身の音楽は誰も用意しちゃくれないんだ。自分でしれうぃ発見する以外に方法はないのさ。音楽をやるって事は、だからつまり、自分自身を発見するということと同じことなのだ。」

 

遊園地でのアルバイト子供らの歓声に包まれながらの心地よさ。

~ジャズには、常に独りで荒野の闇の中を歩くような処がある。だが、マーチは、陽光の降り注ぐ下を、腕を組み合って歩く感じだ。そこには一首の原始的な健康さがあり、それは、ジュンが長い間忘れていた大切なもののようにも感じられた。

 

レッドの落書き「ジャズと自由は手を繋いでやってくる」

ジュンとレッドは、人間に愛された唯一のネズミ、偉大なドゴールの為に、その晩の最後のデュエットをした。なかなか悪くない演奏だった。

 

あるスペイン人マテオとの対決

「馬鹿馬鹿しい。それは俺にも分かっている。だが、それが俺たちの生き方だ。人間はなんの為に死ぬか。金のためでも国家のためでもない。それは名誉の為だ」

 

日本を飛び出し、半年でジュンが見つけたこと…

自分自身のことを考えるより、周囲を見て色々感じたことが多かった。いろんな人にあったことが最大の収穫~と

彼は、出会った人と一定の距離を保ちつつ、しだいに結びあっていく。

これは対立では無くて、それこそ共生なんだと思う。

異なる価値観を受け入れ、でも、流されず自己を確立する。

相手のやり方を受け入れる為には、時に体を張ら無ければならないこともある。

そして、相手を尊重し、時に助け合いながら、共に生きる。ってことだ。

 

プロフェッサーいわく

「若いときはことに、これでおしまいだなどど考えたがる物差。だが、宋じゃない。人生は何度でも新しくなる。青春は、その人も気持ちの持ちようで、何回でも訪れてくるんだよ」

 

 

酔いのまわったプロフェッサー「この国の青春は過ぎてしまった。人は思いこんでいる。このファド(ポルトガル民謡)の物哀しさは、過去の黄金時代を懐かしむ挽歌のメロディー。

哀しいもの、失われていくものは、どこか人間の心に触れる美しさを持っている。

しかし、このポルトガルが支配した植民地の連中から見ると、ムチを持った暴君なのだ。ああ、貧しく横暴なるポルトガルよ」

 

ジュン~あの暗く沈んだ家並みの1つ1つの下に、様々な人間の生活があり、人生があるということがひどく重たい実感で感じられた。ブルースが人々を感動させるということは、人間は不幸を背負っているからだろうか~幸福な人間たちは、一体何を生み出すのだろう。

 

麻紀「なんだか生きていることが哀しいみたいな気持ちになっちゃった」

プロフェッサー「だから、そんなときに人間は歌を歌いたくなる、そして酒を飲んだり、祈ったり、人を殺したり、恋をしたりするのかも知れん」

「男たちは常に終わり無き出発を夢見る。安全なあたたかい家庭、バラの匂う美しい庭、友情や、愛や、優しい夢やそんなものの一切に、ある日突然、背を向けて荒野を目指す。だから彼らは青年なのだ。それが青年の特権なんだ。~

わしだっていま、若い者たちと何が待っているか分からないアメリカに行こうとしている。つまりわしも毛屋を目指す青年の一人なのだ。そうじゃないか?」

 

ジュンが父に送った手紙…

~音楽は、クラシックも、ジャズも、ポピュラーも、みんなひっくるめて、やはり人間だという感じがするのです。道徳的な意味や、教養とは別な、人間性。どんな飲んだくれの魂の中にもある、あの広い永遠の荒野。どんな無知な人間も持っている、その深い魂の淵。国境や、肌の色をこえて、何かの共通するものが、そこにあるとぼくは思うのです。そして、それを音で表現するのが音楽だと考えるようになりました。

 

35年の月日が経っても、色あせない五木さんのしっかりと心に届く文章。

今を生きる私たちの心に、新鮮な息吹を感じさせるおはなしでした。

 



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