特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第486話 涼子・夢に縋った女!

2009年07月31日 03時07分03秒 | Weblog
脚本 桃井章、監督 北本弘
1986年10月16日放送

【あらすじ】
深夜スーパーに押し入った強盗が現金強奪に失敗し、店員を殺害して逃走した。捜査に乗り出した特命課は、防犯カメラの映像を手掛かりに犯人を割り出す。犯人の住むアパートを訪れた桜井は、インコを逃がしかけた女と出会う。その女こそ、犯人の妻だった。
妻によれば、犯人はギャンブル狂いで定職にも就かず、多額の借金を抱えており、妻がキャバレーで働いて生計を立てていた。犯人はここ1週間ほど戻ってなく、連絡もないという。夫が殺人犯として追われているにも関わらず、どこか他人事のような妻の態度に、疑惑を抱く桜井。その後の捜査で、妻が犯人の購読していたスポーツ紙の契約を打ち切っていたことが分かる。妻は犯人がもう戻って来ないと確信しているのだろうか?
犯人の立ち回り先を調べる特命課だが、犯行以来、足繁く通っていたギャンブル場にも現れず、完全に消息を絶っていた。一方、犯人の出身地に向った橘の調べで、犯人と妻が駆け落ちしていたことが判明。前夫の暴力に悩まされていた妻は、勤め先のスナックでバーテンをしていた犯人と深い仲になったという。そのスナックには、犯人からの手紙が届いていた。「近いうちに顔を出すから、金を貸してくれ」との文面にも関わらず、犯人が現れた形跡は無い。手紙の消印は群馬・水上温泉であり、時田が捜索に向かう。
同じ頃、叶の聞き込みから、妻が近所のラーメン屋の店員と密会を繰り返していることが判明する。妻の気持ちはすでに犯人から離れていたのだ。
そんななか、犯人から電話で呼び出された妻が、特命課に協力を申し出る。待ち合わせ場所に張り込む特命課だが、結局、犯人は現れない。アパートまで送っていく桜井に、妻は夫である犯人を見捨てた心情を明かす。「いつか二人で小さな居酒屋を持つという夢のために、死ぬ思いで溜めたお金まで、あの人はギャンブルで使ってしまった。あの人も、前の亭主と変わらなかったんです・・・」「それで、さっさと自分の前から消えてもらいたいというわけか・・・」桜井の痛烈な言葉にも、妻はひるまない。「いけませんか?そんな風に思っては・・・」女にとっては、その小さな夢だけが、生きる糧だというのか・・・そんな感慨を抱く桜井に、意外な報せが入る。水上山中で犯人の死体が見つかったというのだ。
死因は青酸性毒物によるもので、死後一週間は経っていた。では、スナックへの手紙や妻を呼び出した電話は、一体誰からのものだったのか?「主人だと思い込んでいました」と困惑する妻とともに、桜井は水上に向かう。死体は死後数時間経って運ばれていることから、他殺の線が濃厚だった。特命課は妻とラーメン屋の店員による共謀と見て取り調べる。二人は犯行を否定するが、店員の筆跡が手紙のものと一致する。だが、桜井は死体の側に薬の空き瓶が残っていたことに違和感を覚え、自殺ではないかと直感する。解剖の結果、自殺と判明し、桜井の直感が裏付けられる。では、誰が、何のために死体を運んだのか?
桜井は、妻と店員が犯人を生きているかのように工作した理由を追う。それは、約1年前に契約した犯人の生命保険にあった。1年未満の自殺であれば、保険金は支払われないが、犯人が自殺したのは期日の3日前。妻が保険金を得るためには、犯人が生きていると思わせる必要があったのだ。
その後、店員の部屋から強盗犯人の遺書が発見され、妻も事実を認める。「いけませんか?あんな男のために、せっかく溜めた金を使い切られた女が、夢を買い戻そうとしては?」妻は保険金を、男とのラーメン屋の開店資金にするつもりだった。だが、妻は知らない。店員もまた借金まみれで、保険金はその返済に充てるつもりでいたことを。

【感想など】
ラストの桜井のモノローグを借りれば「哀れな女の哀れな犯罪」の顛末を描いた一本ですが、ぶっちゃけ盛り上がりに欠けるのは否定できません。「好きな男と二人で店を持ちたい」という女の夢も、保険金を得るために死体を隠すという犯罪も、よく言えば現実味があるのですが、悪く言えばドラマ性に乏しく、そのせいで「いけませんか」との女の開き直りにもインパクトがなく、あまり視聴者の印象には残らなかったのではないでしょうか?また、桜井の言動もどこか傍観者的というか、活躍といえる場面が自殺と直感するくだりぐらいなので、それも印象の薄さに拍車をかけています。
脚本の意図としては、男運の悪さゆえに、夢のために犯罪に走るしかなかった女の哀れさを描きたかったのでしょうが、視聴者からすれば、ろくでもない男ばかり寄ってくるこの女にも問題があるとしか思えず、「もっとまともな男を探せよ」と忠告するほかありません。それにしても、わざわざ手紙を出して水上に捜査の目を向けさせたりしなければ、少しは死体の発見が遅れたと思うのですが、一体何を考えていたのでしょうか?

第485話 喪服のソープ嬢・1/30秒の殺人トリック!(欠番)

2009年07月30日 02時07分27秒 | Weblog
脚本 大野武雄、監督 天野利彦
1986年10月9日放送

残念ながら、ファミリー劇場での放送が欠番となり“幻のエピソード”となってしまった一本です。同じ大野脚本である第449話「挑戦・炎の殺人トリック!」、第467話「死体彷徨・水の殺人トリック!」に続く、トリック3部作のトリを飾る作品だっただけに、残念に思われている方も多いのではないでしょうか?
前2話の感想でも書きましたように、個人的にはトリック主体の展開は好みではないのですが、緻密な構成、論理的な推理、一ひねりしたラストと、見応えは十分であり、加えて今回は天野監督(前2話はそれぞれ辻氏、三ツ村氏が監督)ということで、演出面でも大いに期待できただけに、誠に残念です。

欠番となった理由としては、ファミ劇サイトによれば「原版素材不良の為、欠番として放送を見送らせて頂くことになりました」とのことですが、今後のDVD-BOXへの収録(今、改めてリクエスト投票をやったら、上位ランク入りは間違いないでしょう)や、再放送される望みはないということなのでしょうか?
一応、視聴困難という前提に立って、タイトルから内容を想像してみました。
・メインゲストはソープ嬢で、夫だか恋人だか、とにかく大切な人が(おそらくは何らかの犯罪で)死亡している。
・大筋のストーリーとしては、考えられるのは次の2パターン
1)ソープ嬢が大切な人の復讐のために殺人を犯し、特命課がソープ嬢のトリックを暴く
2)ソープ嬢の大切な人が殺され、特命課がその犯人を追う。
・「1/30秒のトリック」とは、想像を逞しくすれば、「サブリミナル効果」では?テレビの映像は1秒30コマなので、1秒当たり1コマのサブリミナル映像を流すことでターゲットを殺害した(第3者に対してターゲットを殺させるような映像を見せたか、あるいは、ターゲットに自殺させるような映像を見せた)のでは?

などと勝手に想像してみましたが、実際のところはどうだったでしょうか?過去に本編を見た記憶がある方、あるいは映像を所有している方がいらっしゃれば、是非、内容を教えてください。よろしくお願いします。

第484話 鉢植えの墓標・風俗ギャル殺人事件!

2009年07月29日 02時31分01秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 辻理
1986年9月25日放送

【あらすじ】
北陸なまりの女からの「渋谷のアパートで女性が殺されている」との通報が入る。風俗ギャルらしき被害者は重度のシャブ中で、特命課は内偵中の密売組織の客とみて捜査を開始する。だが、被害者の本籍や名前はでたらめで、手掛かりは友人らしき娘と一緒に写る写真だけだった。
そんななか、犬養の姪が家出して東京に向ったとの連絡が入る。神代から「一度、家に帰れ」と言われる犬養だが、公衆電話のピンクチラシの中に写真の娘の顔を発見。チラシをもとに呼び出した風俗嬢から娘の所在を聞き出す。娘を訪ね、被害者の素性を問い質す犬養。だが、娘は被害者の本名も実家も知らず、犯人の心当たりもないという。
同じ頃、家出娘の捜索願を調べていた時田は、被害者こそ見つからなかったものの、娘の捜索願を発見する。娘は3年前、同級生の少女とともに金沢から家出していた。時田はその同級生こそ被害者ではないかと考え、確認のため金沢へ向かう。周囲の証言から被害者=同級生との確証を得る時田だが、肝心の家族だけは「家の恥だ」と考えて、認めようとしなかった。それゆえ、被害者には捜索願が出ていなかったのだ。
一方、神代から娘の捜索願を見せられた犬養は、娘もまた偽名だったことを知って憤慨する。娘や被害者は、いったい何を思って過去を偽るのか?
その後、犬養は警察に保護された姪を引き取り、自分のアパートに泊める。姪の奔放な態度に翻弄される犬養は、姪が渋谷で出会ったスカウトマンの名刺に目を止める。
翌朝、犬養は娘を追及するが、娘は自身と被害者の素性がバレてもなお、偽名を言い張り続ける。やがて、被害者の死体を発見して通報したことは認めるが、犯人は見ていないという。「あんまりみじめだったから、せめてネオンが死体を飾っているうちに見つけて欲しかった・・・」まるで家出娘には相応しい末路だとでも言うように、自嘲気味に語る娘。「なぜ家出したんだ?」「理由なんかないわ。はずみなのよ・・・」
娘や被害者が過去を偽る真意を知ろうと、被害者の部屋を調べる犬養。たった一つ残された植木鉢には、枯れた朝顔の蔓と、まるで墓標のような支柱が立てられていた。犬養は、その支柱に被害者の本名が墓碑銘として記されているのを発見。植木鉢を掘り返してみると、そこには学生証が埋められていた。そして、同じような植木鉢は娘の部屋にもあった。
風俗店に娘を訪ね、被害者の学生証を見せる犬養。「本当の自分を葬り、別人になりすました君たちは、どんな恥ずかしいことでも平気でできた。『どうせ本当の自分じゃない』と自らに思い込ませたからだ・・・」犬養の言葉に、ようやく過去を認める娘。たった3年が、10年にも思えるような辛い日々。たとえ帰りたいと思っても、シャブ中になった友人を残して帰ることなどできなかった。家出を誘ったのは、娘の方だったからだ。娘は、シャブ中の風俗ギャルとして死んだ哀れな女を、ともに家出した友人ではなく、別人のままにしておきたかった。だからこそ、被害者の素性を認めたくなかったのだ。
被害者を殺したのは、被害者をシャブ中にしたスカウトに違いなかった。そのスカウトの名は、犬養の姪が持っていた名刺と同じものであり、特命課は名刺の指紋から犯人と断定する。犬養は姪を囮にスカウトを呼び出し、現れたスカウトを逮捕。そこに居合わせた娘が、ナイフを手にスカウトに襲い掛かるが、犬養が身体を張って制止する。
スカウトの自供によって、事件は解決し、覚醒剤組織も壊滅。時田の説得によって上京した母親によって、被害者はようやく偽名から、元の名前に戻ることができた。
実家に戻る姪を送ったあと、犬養は娘の部屋を訪ねる。だが、娘はすでに姿を消した後だった。部屋に残されていた植木鉢に立っていた割り箸の墓標。そこに墓碑銘として記されていたのは、娘の偽名だった。犬養は、それこそ娘が本当の自分を取り戻した証だと信じるのだった。

【感想など】
転落した家出少女たちの愚かな末路と、愚かであるがゆえの哀しさを描いた一本。理由もなく家出し、何も考えずに都会に迷い出た娘たちが、どんな目に遭おうと、まさに自業自得でしかなく、なかなか同情する気持ちにはなりません。ただ、そんな彼女らが偽名を使う理由が、彼女たちなりに自分(本名=本当の自分)を大切にしているから、という心理描写が、理屈がよく分からないがゆえに、かえってリアルに感じられました。

改めて「あらすじ」をまとめてみると、細かい台詞も矛盾のないよう計算されていて、よく練られていることは分かるのですが、「だから何なの?」というミもフタもない感想が出てしまうのが辛いところ。たとえば、ラストで娘が本当の自分を取り戻したという描写があるのですが、そこに至る娘の心情が説明不足なこともあってか、本当に真っ当な暮らしをできるかどうか疑問が残ります。本名に戻ったというだけで、「これで一安心」といった笑顔を見せる犬養がノーテンキに見えてしまうほどです。

また、犬養の姪の描写を見ていると、家出少女という存在を悲劇的に描くつもりがあったのかどうか、非常に中途半端に感じられます。おそらく、夜10時台の放送であれば、もっと悲惨な展開にできたと思うのですが、視聴者の年齢層が若い夜9時台ということもあって、若年層を意識した救いのある展開(言い換えれば、軽くて底の浅い展開)にせざるを得なかったでしょうが、そうした「どっちつかず」な態度が、結果として誰の心にも残らないドラマを生んでしまったのではないでしょうか?

全体的に見れば、そう悪くない話だとは思うのですが、ドラマの出来とは別に、テーマの中途半端さが気になってしまったため、厳しい感想になってしまいました。ネガティブな物言いにご気分を害したのであれば、謹んでお詫び申し上げます。

第483話 二重記憶喪失の女・青い鳥、堕ちた!

2009年07月24日 01時27分55秒 | Weblog
脚本 宮下隼一、監督 宮越澄
1986年9月18日放送

【あらすじ】
ある日、紅林はバイクと接触して倒れた女を助ける。女をアパートまで送ったところ、そこには見知らぬ青年が住んでいた。驚いて管理人に確認する女だが、「1年前、急に家賃も払わずに姿を消したそっちが悪い」と責められる。だが、女にとっては、今朝、出かけたばかりの部屋のはず。混乱して頭痛に襲われる女を病院に連れて行く紅林。どうやら、女は1年前に何らかの事故で記憶を失ったらしく、バイクとの接触でそれ以前の記憶を取り戻したものの、空白の1年間の記憶は消えたままだった。
空白の1年間、自分が何処で何をしていたのか分からず、不安なままに入院生活を続ける女を気づかう紅林。その手掛かりは意外なところから舞い込んできた。10ヶ月前に大阪で起こった殺人事件の容疑者の指名手配書に、女の顔があったのだ。
桜井と叶が大阪に飛んで調べたところ、女は当時、ホステスとして働いており、共犯として手配中のヤクザとともに美人局を繰り返していた。事件当日も女が被害者をアパートに招き入れ、殺して金を奪った上で放火し、逃走したと見られていた。アパートは焼け落ち、被害者の死体は黒こげ状態だったが、所持品から身許が確認された。被害者は、女の馴染み客である喫茶店主で、店の経営がうまくいかず、借金を重ねていた。犯行当時も金を借りたばかりで、その金を狙われたものと見られた。
ヤクザが女とともに都内に潜伏していたと見て、捜査に乗り出す特命課。自分が殺人容疑者と知ってショックを受ける女を病院から連れ出し、失踪当時の足取りを追う紅林。男を逮捕するためにも、そして女自身のためにも、空白の記憶を取り戻すことが必要だと考えたのだ。女を見て慌てて逃げ出す少年を問い質したところ、1年前、少年は自転車で女にぶつかったという。怖くなって逃げ出した際、少年が見たのは、ヤクザが女を助け起す姿だった。
一方、桜井らは、女が勤めていた店のママから事情を聞く。ヤクザは記憶をなくした女を強引に自分の情婦とし、ホステスとして働かせていた。さすがに哀れに思ったママが逃がそうとしたが、男に気づかれて失敗。男に乱暴される女を救ったのが、通りがかりの喫茶店主だった。それ以来、女は喫茶店主を兄のように慕うようになり、笑顔を取り戻した。そんな相手を殺したとは思えないとママは主張する。
その後も紅林とともに自身の足取りを追った女は、ペットショップの前でかすかな記憶を取り戻す。「青い鳥の声が聞こえる・・・」店員によれば、女はペットショップの常連客だという。そこに、サングラスで顔を隠した男がインコの餌を買いに来るが、女の顔を見て慌てて逃走する。男が手配中のヤクザと見て後を追う紅林だが、逃走を許してしまう。
付近を捜索し、女が男とともに潜伏していたマンションを発見する紅林。だが、指紋を採取したところ、男はヤクザとは別人だった。二人は兄妹として暮らしており、その暮らしぶりからは、女が無理に脅されているようには見えなかった。女がマンションで飼っていたインコの名前を呟いたことから、紅林は女が空白の記憶を取り戻したことを察する。紅林の追及に対し、女は「私一人がやったんです!」と殺人を告白するが、詳しいことは喋ろうとしなかった。
改めて大阪の事件を洗い直す特命課。そもそも、死体は本当に喫茶店主だったのか?死体の頭蓋骨を複顔したところ、再現された顔は、意外にもヤクザのものだった。被害者と見られた喫茶店主こそが、ヤクザを殺し、女とともにマンションで暮らしていた男だったのだ。やがて、喫茶店主は大阪に舞い戻ったところを桜井らに逮捕される。喫茶店主の告白によれば、事件当夜、女をめぐって口論になってヤクザを殺害。はじめは自首しようとした喫茶店主だが、女に「私を一人にしないで!」とすがりつかれると、借金を背負いながら妻と娘を養う日々への疲れから、女との新しい生活を選択。ヤクザの死体と着衣を取り替えて火を点けたのだ。そんな喫茶店主が、覚悟を決めて大阪に帰って来た理由は、自ら捨てたはずの妻子に会うためだった。連行される喫茶店主に駆け寄る妻と娘。「すまなかった!」泣きながら妻子を抱き締める喫茶店主の背に、後悔と安堵の思いが透けていた。
その頃、女は病院を抜け出し、マンションで男を待ち続けていた。大阪からの報告を女に語る紅林。「あの人が大阪に戻ったなんて嘘よ!」男に去られたショックから、インコとともに自殺を図る女。「記憶なんか戻らなければ良かったのよ!ずっと一人ぼっちだった私が、やっと幸せになれたのに・・・」「君はその寂しさを、犯罪に加担することで忘れようとした。しかし、そんなものは所詮、作り物だ。だから、彼はここに戻らなかったんだ!」たとえ偽りの日々だろうと、警察に怯えながらの暮らしだろうと、喫茶店主との日々は女にとって「一人ではない」というだけで、幸せなものだった。「待て!君は一人じゃない!」橘の言葉が、飛び降りようとした女を止めた。「親身になって君を心配し、君を信じた人間がいたことを、忘れてしまったのか?」女の視線を無言で受け止める紅林。泣き崩れる女に寄り添いながら、鳥カゴからインコを空へと放つ。「誰かが探しに来てくれるのを待つんじゃなく、これからは君が探しに行くんだよ。本当の、青い鳥をね・・・」

【感想など】
記憶を失うことで、初めて孤独から救われた哀しい女を、静かに見守る紅林の誠実さが印象的な一本。二重記憶喪失なるシチュエーションの元ネタは、サスペンスの名手・アイリッシュの傑作『黒いカーテン』かと思われますが、そのアイディアだけに頼るわけでなく愛する家族を裏切ってしまった男の哀しみと対象させることで、ドラマに深みを与えています。
女と男の微妙な心情については、ある程度あらすじで再現しましたので繰り返しませんが、正直なところ、ちょっと詰め込みすぎでバタバタした印象。「青い鳥」というモチーフにもやや食傷気味なところがあり、序盤の「死体が黒こげ・・・」という辺りで真相が読めてしまうのも、ちょっと残念ですが、ラストの爽やかさは紅林でなければできない(というか、下手をすればギャグになってしまかねない)ものがあり、後期特捜における紅林の代表作と言えるのではないでしょうか。
余談ですが、関西出身者の私としては、刑事やホステスのエセ大阪弁に苦笑というか閉口させられましたが、関東の方には普通に大阪弁として通用したのでしょうか?気になるところです。

第482話 警官失踪・闇に哭く銃声!

2009年07月22日 00時05分06秒 | Weblog
脚本 押川國秋、監督 三ツ村鐵治
1986年9月11日放送

【あらすじ】
ある夜、二人組の強盗がスーパーを襲撃。緊急配備についた若い警官から「逃走車両を発見した」との無線連絡が入る。その後、再び警官から連絡が入るが、通信は銃声とともに途絶え、警官は姿を消した。夜を徹しての捜査にも関わらず、警官と強盗は見つからず、特命が捜査に乗り出す。
銃声を聞いた付近の住人の証言から、発砲現場を絞り込む橘たち。付近には、日頃から警官が気にかけていた高校生が住んでいた。病気で入院中の母親を支え、アルバイトで生計を立てる高校生を、警官はいつも励ましており、事件当夜も励ましの声を掛けて行ったという。やがて、発砲現場と見られる操車場から血痕が発見されるが、警官の姿は無い。血痕近くに停めてあった貨車は、すでに東北に向けて出発していた。橘は、犯人が警官の銃を奪って警官を撃ち、貨車に放り込んだとみて、貨車の行方を調べる。
同じ頃、警官の乗っていたバイクが上野駅近くで発見される。目撃者によれば、中年の男が乗り捨てたらしい。さらに、上野駅から血の着いた一万円札が発見され、指紋から強盗の片割れだと判明。駅員の記憶から、その男は青森行の切符を買っていた。一方、桜井らの捜査により、強盗の共犯として、被害に遭ったスーパーをクビになった若者が浮上する。
やがて、貨車から警官が重態で発見されるが、拳銃は所持してなく、やはり犯人が持って逃走しているものと思われた。青森行の電車に乗ろうと上野駅にやってきた男を逮捕する橘だが、男は拳銃を所持してなかった。さらに若者も逮捕するが、こちらも拳銃は持っていない。果たして拳銃の行方は?
若者の証言によれば、車を発砲現場付近に走らせたのは男の指示であり、車を捨て後は別々に逃げたという。橘は、男が現場付近に同郷の誰かを訪ねてきたのでは、と推測し、現場近くで青森出身者を探す。すると、例の高校生の別れた父親が青森出身だという。もしや、と思って高校生に男を確認させるが、高校生は「知らない人です」と証言。だが、その態度から、橘は二人が親子だと確信する。
「親子で会っていたんだな?」との橘の追及に、男は重い口を開き「息子には会っていない」と主張。拳銃を奪って警官を撃ち、拳銃は下水に捨てたと言うが、金の行方だけは口をつぐんだ。
その夜、高校生の部屋を訪ねた橘が見たものは、拳銃で自殺を図ろうとして果たせず、泣き崩れる高校生の姿だった。やはり二人は会っていたのだ。事件当夜、高校生は男に電話で操車場に呼び出された。そこに警官が現れ、逃走する男を追跡。警官が男に拳銃を向けたとき、高校生は「撃たないで!」と警官に飛びかかり、はずみで放たれた銃弾が警官を撃ち抜いたのだ。兄のように慕っていた警官を襲ってしまったショックで自殺しようとする高校生から、男は拳銃を取り上げ「撃ったのは父さんだ。今夜のことは忘れろ」と言い聞かせる。自分の犯した罪を明かし、奪った金を託そうとする男だが、高校生は金を拒否し、「これを父さんに渡したら、何をしでかすかわからない」と、拳銃を持って立ち去ったのだ。
自分も、父親も許すことができず、自殺を図った高校生だが、病気の母親を思うと、死ぬことはできなかった。そんな高校生に、橘は語る。「あの警官は君に何と言っていた?身体に気をつけて、頑張るんだ。そう言ってたんだろう・・・」
取調べに対し、「どうしても父を許せない」と語る高校生だが、男が奪った金を母親の入院する病院に送ったことを聞かされ、男は男なりに、家族を思っていたのだと知る。取調べを終えて連行される途上、言葉を交わす親子のもとに、警官が奇跡的に命を取りとめたとの連絡が入る。高校生の、そして男の瞳から、大粒の涙が零れ落ちるを見て、橘は二人の間に親子の絆が甦ったことを確信するのだった。

【感想など】
妻子との絆を取り戻すために犯罪に手を染めた男と、兄のように慕った警官を撃ってしまった息子との哀しい再出発を描いた一本。この強引なまとめ方を見ても、いかに取り止めのない話だったかが分かろうというものですが、一体どこにドラマの焦点を置こうとしたのか、描写や演出が中途半端なために、見事なまでに心に響いてこないのが痛々しいほどです。
脚本は久々の押川國秋氏ですが、誠に失礼ながら“ローテーションの谷間”という印象が拭い難く、今回もその印象を再認識するだけでした。ちなみに、今回がラストの特捜脚本ですが、押川氏の代表作って何だろう?と考えても、首をかしげるしかありませんでした。

第481話 連続爆破・共犯者は街に溢れる!

2009年07月15日 01時52分34秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 天野利彦
1986年9月4日放送

【あらすじ】
交番やパトカーを標的にした連続爆破事件が発生するなか、特命課に一本のビデオテープが届けられる。そこには爆破現場の映像とともに、ビルの一室に仕掛けられた大量のダイナマイトが映されていた。「次は明日午後五時に都内のビルを爆破する。今度は一般市民にも犠牲者が出る。止めて欲しければ5千万円を用意し、明日の正午、この刑事に新宿駅に持って来させろ」とのメッセージの後に映っていたのは、私服姿の杉だった。
指示通り、軽装で新宿駅に現金を持参した杉を、桜井以下の刑事たちが遠巻きに見守る。最初に接近してきたサラリーマンは、杉にメモを渡して立ち去る。メモにしたがって構内を移動した杉を待っていたのは若い娘だった。杉は「爆弾はどこだ?」と娘を問い詰めるが、娘は事情を知らないらしく、「私はその鞄を持ってくるよう頼まれただけ」だという。やむなく、現金の入った鞄を娘に渡し、特命課が尾行する。鞄は娘からバイクの青年に、そして女へと託される。
その間、特命課は鞄と引き換えに報酬を受け取った娘や若者を取り調べる。しかし、いずれもアルバイト雑誌で雇われただけで、犯人とは無関係だった。だが、彼らを取り調べるために、刑事が一人、また一人と離脱していく。それこそが犯人の狙いなのか。
一方、時田と紅林は、映像に入っていた踏切や電車の音から路線を特定し、爆弾が仕掛けられたビルを探して路線沿いをしらみつぶしに捜索する。しかし、懸命の捜査にモ関わらず、爆弾は発見されない。踏切や電車の音は、捜査を混乱させるための犯人の細工ではないのか?
その頃、電車に乗った女は網棚に鞄を残して電車を降りる。鞄を持ち去ったサングラスの男は、タクシーで電車を乗り換えると、同様に網棚に鞄を残して立ち去る。誰も鞄に手を触れる者はなく、やむなく叶が確認したところ、中身は空だった。男こそ犯人であり、タクシー内で現金を詰め替えたのだ。特命課がしてやられたかに見えたが、タクシーに預けていた現金を受け取る男を杉が尾行していた。
同じ頃、神代はビデオテープに映っていたテレビ映像にフェーディング(電波干渉)を発見。爆弾を仕掛けたビル上空をヘリが飛んでいたと推測し、その航路を調べてビルを割り出すよう、橘に指示を出す。同じ頃、アルバイトの運び屋たちに渡したメモに残った指紋から、犯人の身許が判明。報せを受けた時田と紅林が犯人の自室に踏み込むと、そこは特命課に送られてきたビデオのマザーテープが。そこから爆弾を仕掛けたビルを示す手掛かりを捜し求める。
男=犯人の尾行を続ける杉は、男が新宿駅で最初に接触してきたサラリーマンだと気づく。隙をつかれて川に落とされながらも、懸命に男を追う杉。駆けつけた桜井と叶の協力もあって男を逮捕するが、男は「俺はまだ負けちゃいない!」と強がる。「爆弾はどこだ!」特命課に連行して男を尋問する桜井たち。男は爆弾については沈黙し、杉への恨みを明かす。男は数ヶ月前、サラ金ジャックの現場に客として居合わせ、杉の取調べを受けたため、周囲に借金がバレて生活に窮していたのだ。
ヘリの航路、マザーテープの映像、そして「俺をここから出せ!死にたくない!」と喚き立てる男の態度、それらが指し示す爆弾の仕掛先は、特命課ビルに他ならなかった。爆破予告時刻が迫るなか、神代以下、ビル内を探し回る刑事たち。爆破3分前、神代と杉が爆弾を発見。神代自らが爆弾を解除し、ギリギリのところで爆破は防がれた。暑く、長い一日が終わり、ようやく安堵の息をつく刑事たちの額を汗が照らしていた。

【感想など】
犯罪とは無関係の一般市民が、わずかな報酬のために、無自覚に犯罪の片棒をかついでしまう恐ろしさを描いた一本。なのでしょうが、こうした狙いは江崎の台詞で唐突に提示されるのみなので、今ひとつ視聴者に伝わってこないように思われます。むしろ、杉を中心とした汗まみれの追跡劇が他の刑事ドラマを想起させ、時間帯変更前からの視聴者は「特捜の汗臭さはもっと別ものなのに・・・」と違和感を覚えるのではないでしょうか。
爆弾を巡るサスペンスや、犯人の巧妙な仕掛け、巧みな連携と執念でそれらを一つひとつ解き明かしていく特命課、というストーリーの流れには引き込まれるものがありますが、「何で犯人は最初に杉の前に現れたのか?」「犯人に川に突き落とされる杉はあまりに迂闊では?」とか、細かい粗(と言っては気の毒か?)が気になり、それなりに楽しめた一本、という以上に特段の評価はありません。

第480話 殺人志願!少女、18歳の熱い夏

2009年07月10日 03時44分56秒 | Weblog
脚本 宮下隼一、監督 三ツ村鐵治
1986年8月28日放送

【あらすじ】
1年前、少年課に在籍していた江崎婦警は、非行を繰り返す一人の少女を補導した。婦人警官らともみ合う際に、少女が落としたペンダントを、「大事なものでしょうと」と拾って渡した江崎。それは、少女が幼い頃に死んだ母親の形見だった。「安心したわ。いくら悪ぶっても、貴方はお母さんに対する優しい気持ちを持ってる。だから、いつかは他の人にも優しくできる・・・」以来、少女は江崎に心を許すようになる。
それから1年が経ち、江崎は少年院から出所する少女を出迎える。少女は江崎に何かを告げようとして口ごもるが、江崎はそれを単なる不安と緊張と片付け、あえて追及することはなかった。後に、そのことを江崎は激しく悔やむことになる・・・
数日後、江崎のもとに、少女が保護司の元から姿を消したとの連絡が入る。そんななか、若者が若い会社員を刺殺し、たまたま居合わせた少女を人質に逃走する。現場に残されたペンダントから人質が少女だと知った江崎は、自分も捜査に加わりたいと神代に申し出る。
やがて、もう一人の犠牲者が発見され、逃走中の若者による連続殺人と判明。二人の被害者の唯一の共通点は、湘南でサーフィンに興じていたことだった。その後、若者がバイクを奪って逃走したとの報せが入るが、その際、少女が若者を手助けしたという。人質のはずだった少女が、なぜ共犯となったのだろうか?
湘南での聞き込みの結果、若者の身許が判明。若者は、湘南で恋人や3人のサーファー仲間と知り合い、青春を謳歌していた。しかし、1年前、サーファー仲間は若者への嫉妬心から、恋人をレイプ。恋人は自殺未遂を遂げていた。警察の動きは鈍く、業を煮やした若者は、苗字も知らないサーファー仲間を1年がかりで探し出し、うち二人に復讐を遂げたのだ。
警官の通報を受け、若者を追い詰める特命課だが、少女の妨害によって逃走を許してしまう。少女を捕らえた江崎は、共犯となった理由を問い詰める。「いつも、話そうとした。でも・・・」少女が胸に秘める何かが、その口を重く閉ざさせていた。果たして、少女の過去に何があったのか?
一方、若者の残したメモを頼りに、特命課は残る一人のサーファー仲間を追う。ようやく身許を割り出すが、自宅にサーファーの姿はなく、猟銃を持ち出した形跡があった。サーファーは若者を返り討ちにするつもりなのだ。若者の危機を知った少女は、ようやく口を開く。若者の潜伏先を知った特命課が急行し、サーファーと若者を逮捕。事件は解決する。特命課の取調べに対し、若者は語る。はじめは誰も殺すつもりはなかったが、自首するでもなく、恋人に詫びるでもなく、「たかが女一人のこと」と言い捨て、金で解決しようとするサーファー仲間たちの態度が、どうしても許せなかったのだ。若者は少女の身を案じ「彼女を許してやってください。彼女は、俺に自分のしたことを話してくれました。彼女はその罪滅ぼしをしただけなんです」と懇願する。
同じ頃、少女は江崎に自らの過去の過ちを告白していた。かつて、少女は通りすがりのOLの視線がカンにさわり、一緒にいたチンピラをけしかけてOLをレイプさせた。後日、娘は新聞でOLが自殺したことを知り、ようやく事の重大さに気づく。江崎に補導されたのは、その翌日のことだった。以来、少女は江崎にその罪を告白しようとし続けたが、自分の更正を信じる江崎に、どうしても告白できなかったという。保護司の元を抜け出したのは、OLの家族を探し出すためだった。レイプ犯のチンピラはすでに事故死を遂げており、自分だけでも罪滅ぼしがしたかったのだ。しかし、家族を見つけ出すことができず、リストカットを図るも死に切れず、そんななかで出会った若者の境遇を知り、若者への同情と、自ら罪を犯すことで裁かれようと、積極的に共犯となったのだ。
「優しくするだけでなく、もっと厳しく接してやれば・・・」と自らを責める江崎。「彼女がやり直すのは、今からでも遅くはないと私は思うよ」神代の言葉を受けて、江崎は少女をある場所へ誘う。それは、自殺したOLの墓だった。「許していただけるかどうか、それは、これからの貴方次第よ」江崎の言葉に背中を押され、少女はそこで手を合わせるOLの母親の背に、勇気を持って足を踏み出すのだった。

【感想など】
未熟さゆえに犯した罪の重みにもがき苦しみながら、贖罪への道を模索する少女の姿を、そんな少女を見守る江崎婦警の姿とともに描いた一本。贖罪といえば言葉は綺麗ですが、少女の犯した罪が余りに非道かつ身勝手なものであるため、個人的には、少女の苦しみに対して全く同情を感じることがなく、むしろ「許してもらおう」と思うこと自体が身勝手に思えました。
ラストシーンも、江崎視点、すなわち少女視点からすれば、被害者遺族に自らの罪を告白するという、痛みに耐える勇気を同情的に描いているつもりでしょうが、母親の立場からすれば、あまりに残酷な行為というか、耐え難い苦しみを押し付けるような行為だということに、果たして江崎や少女(そして脚本家をはじめとしたスタッフ)は気づいていたのでしょうか?

OLの死を報じた新聞によれば「遺書なく、動機不明」とのことでしたので、母親からすれば、娘が理由も語ることなく死を選んだことに、どれだけ悲しみ、苦しみ、悩んだことか、私のような部外者の想像を超えるものがあったと思われます。そんな地獄の苦しみから、ようやく気持ちの整理がついたであろう1年後になって、加害者がのこのこと現れ「実は軽い気持ちでレイプさせました」という、娘が口が裂けても言えなかった自殺の理由を明かされたとすれば、どれだけ頭を下げられようが、実際にどれだけ反省されようが、とても許せるものではありません。
あまりしたくはないのですが、「もし、自分に娘がいて・・・」と脳内シミュレーションをしてみると、怒りの余りに「うあああああああ」と声にならない叫びを挙げて「許してください」なぞと身勝手なことをほざく少女の首を締め上げてしまう自分の姿がありありと脳裏に浮かびました。
少女の行為は、贖罪と言えば聞こえはいいものの、その実態は「自分が許されたい、楽になりたい」という、極めて自己本位的な考えによるものであり、母親にとっては、まさに「傷口に塩を塗り込む」ような行為(もちろん、我が子が自殺した理由を知りたいとは思っているでしょうが、真実を知るのは余りに残酷です)です。さらに、下手をすれば、母親が怒りの余りに少女を絞め殺すことだって十分あり得るわけで、哀れな母親を犯罪者に仕立て上げる危険性すらあります。
それほどの非道を働いた上で、なおかつ許してもらおうなどとは盗人猛々しいにも程がありますが、そんな自信の卑怯さを自覚しておらず、下手をすれば、許してもらえない自分に対し、「なんて可愛そうな私。でも、負けちゃダメ」などと被害者ぶるような気持ちすら抱きかねない(つまり、自分を許さない母親を加害者にしてしまうという心理的なすり替えをやりかねない)その態度が、より不快感を募らせます。

今回の脚本では、「被害者遺族に自らの罪を告白する」ことを、真摯な行為として推奨しているようですが、上記のような理由から、私は(あくまで個人的には)それが決して褒められた行為ではないと思います。少女にできる贖罪とは、遺族と同じ苦しみを背負った青年の共犯になることでも、遺族に許してもらおうとすることでも、ましてや自ら死を選ぶことでもなく、一生、自分の罪の重さを自覚し、苦しみ続けながら、それでも一人の人間として、真っ当に生きて、子供を生み、育てることではないでしょうか。
おそらく、被害者の遺族が少女を許すことは、決してないでしょう。そして、決して自分自身を許してもいけないと思います。少女を許す者がいるとすれば、それは江崎であり、若者であり、これから少女を取り巻く人々です。今は少女を決して許せない私ですが、この後の少女の人生次第では、許そうと思うこともあり得るかもしれません。しかし、それはやはり、私が被害者遺族でないからであり、少女が心から楽になる(罪を許されたと確信できる)瞬間は、死の寸前にしか訪れることはないでしょう。少女の犯した罪は、それほど重いものであり、決して悪人ではないこの少女が、ふとした心の隙間から、そうした罪を犯してしまうという人間の業の深さこそが、本編の最大のテーマなのではないでしょうか。

第479話 テレクラ嬢殺人事件・亡霊からのラブコール!

2009年07月08日 00時03分01秒 | Weblog
脚本 宮下隼一、監督 北本弘
1986年8月21日放送

【あらすじ】
妻と子供が里帰りし、一人で寝苦しい夜を送る時田。深夜に掛かってきた電話は、若い女の声で「助けて・・・」とだけ言って切れた。一体誰が、何の目的でかけてきたのか?
そんななか、白い服の女に、男がカッターナイフで喉を切られて殺されると言う事件が続発する。現場にはいずれもテレホンクラブのチラシが落ちていた。捜査に当たる特命課に、昨夜の女から時田宛の電話が入る。マヤと名乗るその女は、「時田さん、どうして助けてくれなかったの?恨みを晴らしてやったわ・・・」と告げて電話を切った。時田はようやく心当たりに気づく。
半年前、時田は若い警官が少女を保護する現場に出くわした。マヤと名乗る少女は施設育ちであり、両親のいない寂しさからテレクラを使って買春を繰り返していた。似た境遇の警官は、少女を気遣い、少女の姉代わりである女性保護司に「きっと私が更正させる」と誓い、時田も「私もできるだけのことはする」と約束していた。
少女を連続殺人の容疑者とみた時田は警官を訪ねるが、そこで意外な事実を知る。少女はすでに死んでいると言うのだ。1週間前、少女はラブホテルで喉を刺されて殺された。犯人は買春客と見られたが、いまだ特定されていなかった。時田もその事件は知っていたが、本名で報じられたため、被害者がマヤとは気づかなかったのだ。警官は少女の葬儀の場で、女性保護司から「貴方にそんな資格はない!」と追い返されたと言う。保護司にとっては、犯人だけでなく、「更正させる」との約束を果たせなかった警官も、恨みの対象らしかった。
殺された男たちは、少女の買春客として取り調べを受けていた。犯人の狙いは、少女の仇討ちだと思われたが、その対象は少女を殺した犯人だけでなく、少女を買った男すべてに及んでいるらしい。時田は少女の葬儀の翌日から姿を消している保護司が怪しいとにらむ。しかし、時田に電話をかけてきた声は、保護司のものではなく、むしろ少女に似ていた。偶然か、それとも亡霊の呪いか、時田の喉も痛み始める。
捜査を続けるなか、時田は保護司らしき白い服の女を追って、ロープで首を吊り上げられて、絞殺されそうになる。危ういところを駆けつけた警官に助けられるが、時田は警官と同様に、自分もまた保護司の恨みの対象なのだと知る。
声帯を痛めて入院する時田のもとに、またも若い女の声で電話が入る。「もう一人殺してやるわ。邪魔しないで・・・」入れ違いにかかってきた電話は警官からだった。「保護司に呼び出されて廃ビルに行きます。」時田は警官が危ないとみて、伝言メモを残して病院を抜け出す。やがて、時田の不在に気づく特命課だが、メモが風邪に飛ばされたため、行方がつかめない。一方、橘らは、ようやく電話の声の主を女子大生と特定する。「保護司に頼まれて電話したのか?」と女子大生を追及するが、依頼主は若い男だったという。
同じ頃、廃ビルにかけつけた時田は、縛られた保護司を発見。背後から迫る白い服の人影は、女装した警官だった。困惑する時田に、警官は勝ち誇ったように真相を語る。少女に誘われるがままに関係を持った警官は、怖くなって少女に金を渡した。しかし、少女が友人たちに「セコい警官と寝た」と吹聴するのを聞き、昇任の妨げになることを恐れて少女を殺害。その後、警官の仕業と気づいた保護司に問い詰められたため、今回の計画を企てたのだと言う。
保護司をかばう時田に、警官のカッターナイフが迫る。危うい所を、ようやく駆けつけた特命課が救出。事件は解決する。取調室で、警官は少女が保護司に当てた手紙を見せられる。そこには、少女の警官に対する恋心と、金を渡されたときのショック、そして、警官の迷惑にならないよう、すべてを忘れようと決意していたことが綴られていた。後悔と自責の念にかられて涙を流す警官を、時田は保護司とともに見つめるのだった。

【感想など】
亡霊からの呪いの電話という、怪奇モノ仕立ての導入とは裏腹に、意外に真っ当なストーリーだった一本。ラストで再び悪夢の始まりを思わせる電話がかかってくるのですが、怪奇モノらしいラストと見るか、蛇足とみるかは、人それぞれでしょう。警官の心理も、少女の真意も、それぞれ納得いくものであり、序盤から二転三転する展開も見応えがあってよいのですが、かといって深く胸に響いていくるものはなく(もちろん、今回の脚本はそうしたドラマ性に重点を置いていないわけですが・・・)、普通に楽しめた一本、というの印象です。まったくの余談ですが、個人的には、女装した警官が長島☆自演乙☆雄一郎(K-1 MAXにも出場したコスプレ格闘家)みたいだったのが、一番印象に残りました。

第478話 真夏の夜の悪夢・風呂好きの死体!

2009年07月04日 02時56分56秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 辻理
1986年8月14日放送

【あらすじ】
なぜか神代の運転する電車に轢き殺される悪夢に襲われる紅林。それは、連日の暑さによる疲れなのか?それとも、半年前に近所で惨殺された一家の呪いなのか?
ある夜、帰宅中に不審な女を保護する紅林。「あそこで、恋人を殺したんです」と女が指差したのは、一家惨殺の舞台となった古びた洋館だった。怯える女を励ましつつ、洋館を調べる紅林。女の言う通り、風呂場には男の死体があった。しかし、何者かに襲われた女を助け、再び風呂場に戻ってみると、死体は消えていた。特命課に連絡し、本格的な捜査を開始するが、やはり死体は発見されず、濡れた足跡が屋外まで続いていた。死体が生き返ったのか、それとも誰かが運び去ったのか?
翌日、改めて事情を聞いたところ、女は最近、恋人の紹介で洋館に引っ越してきたが、暴力と浮気が原因で恋人を殺したという。ようやく半年前の事件を知った女は、被害者の亡霊が自分を襲ったと思い込み、恐怖にかられて紅林にしがみつく。
神代は、今回の事件が、ある映画のストーリーに酷似していることを指摘する。その映画の真相は、夫と情婦が亡霊の仕業に見せかけて妻をショック死させるというものだった。この映画をヒントに、恋人が浮気相手と共謀して女をショック死させようとしたのではないか、と推測する特命課。
浮気相手を訪ねたところ、つい先ほど、当の恋人から電話があったという。やはり恋人は生きていたのか?女を釈放して様子を見ようとする特命課だが、女は洋館に戻るのを恐れて「特命課は殺人犯を釈放するの?」と言い張る。だが、その後で「無実の人を殺す癖に・・・」と呟くのを、桜井は聞き逃さなかった。
紅林が護衛に付き、ようやく洋館に戻る女。浴槽から響く水音に、何事かと調べてみると、そこには恋人が横たわっていた。死体かと思いきや、笑顔で起き上がる恋人。「何であんな真似をした!」と激昂する紅林に、恋人は「女に『知り合いを脅かすから』と頼まれてふざけただけ」と涼しい顔で答える。女は懸命に否定するが、特命課は女と恋人による狂言とみて捜査を打ち切る。
「真夏の夜の茶番劇!」「怪談に踊らされた特命課!」など、マスコミが面白おかしく報じたことで、特命課の面目は丸つぶれ。恐縮する紅林だが、そもそも、彼女の狂言だとしても、一体何が目的だったのか?だが、事件はまだ終わらない。女は警察の説諭を受けながらも、「私は確かに恋人を殺した」と主張を曲げず、紅林に「助けて、恋人に殺される」と何度も電話をかけてくる。「忙しいんで・・・」と口では断わりながらも、洋館を訪ねる紅林。女は紅林の訪問を喜び、トロピカルジュースでもてなす。だが、紅林の真意は、女から事件の真相を問い質すことにあった。「貴方の本当の目的は何なんですか?」紅林に問い詰められ、女はある事実を明かす。女には亡き夫がいた。その夫は、無実の罪で紅林に殺されたのだという。
同じ頃、特命課でも紅林が過去に扱った事件から、女の狙いを察知していた。それは1年前、紅林と吉野が取り調べ中に、心臓発作で死んだ詐欺師だった。女の狙いは、特命課の名誉を貶めた上で、紅林に復讐することだった。トロピカルジュースに仕込まれた薬で、身体の自由を奪われた紅林が見たものは、女が手にかけた恋人の死体だった。夫の形見のチェーンソーを振るい、紅林を追い詰める女。「ま、待ってくれ・・・」必死の抵抗も虚しく、チェーンソーが紅林の喉下に迫る。危機一髪の紅林を、駆けつけた特命課が救出。顔面蒼白の紅林に、橘と桜井が肩を貸す。「どうして、分かったんですか?」紅林の問いに、笑顔で種明かしする桜井。「俺は紅さんと違って、女性にはクールだからな」紅林は思わず桜井の肩を離れ、橘に身を預けるのだった。
雷鳴のなか、疲労困憊で特命課に戻った紅林に、神代が優しく声をかける。「風呂にでも入って、さっぱりするんだな」「いや、お風呂はもうけっこうです・・・」

【感想など】
佐藤脚本による紅林主演の怪談モノといえば、かの名作(?)、第325話「超能力の女!」がありましたが、今回は時間帯以降の影響もあってか、前作以上にライトなノリで、ほとんどドリフの怪談コントを思わせるようなコメディータッチ。それでも一応の伏線や謎解きを織り込んでいる辺りはさすがですが、まじめに感想や評価を語るのは無粋というもの。何も考えずに頭を空にして、「こんな怪作もあったんだなぁ」と楽しむのが、大人の嗜みというものでしょう。

突如放送された第1話「愛の十字架」を見て

2009年07月03日 01時08分03秒 | Weblog
なかなかファミ劇の放送に更新が追いつかず、リアルタイムで視聴している方とは話題が合わない日々が続いていましたので、今回、欠番となった第485話に代わって放送された第1話「愛の十字架」について、簡単に触れておきたいと思います。(正式なあらすじおよび感想は、後日改めて第1話からの放送が再開された折に、更新させていただきます。)

長坂秀佳の著書「術」で、「わたしのねらった“リアルな新しい刑事もの”の姿はなくなってしまっていた」とこき下ろされていた第1話ですが(本来の第1話は長坂氏が書くはずでしたが、実際は第7話となってしまったそうです)、長坂氏の言い分を鵜呑みにするわけではありませんけれども、やはり「これは面白い!」「毎週必ず見なければ!」というほどのものでないことも事実。劇中でも、特命課が結成間もない時期であることが匂わされていますが、「特捜最前線」というドラマ自体が、方向性を定め切れていない時期であり、刑事たちのチームワークもまだ確立されていない、という印象でした。

ヤクザに取引を持ちかけたり、安易に辞表を出したりする課長。また「悪党一人のために家庭の平和を壊すようなことは、ごめん被る」と、捜査を投げ出そうとするおやっさん。さらに、汚職刑事が裁かれないまま(しかもそれでハッピーエンドだといわんばかりに)のラストなど、その後の特捜を知るものからすれば、違和感を禁じえないシーンも多々ありましたが、それも今から振り返ってみてはじめて言えること。ここから10年もの長きにわたって繰り広げられるドラマの成り立ちという、貴重な一本を見る機会に恵まれたとを、ここは素直に喜んでおきましょう。

ちなみに、脚本の宗方寿郎が、石松愛弘の別名だというのは有名な話ですが、最近の石松脚本を見て、改めて第1話を見てみると、脚本としての良否は別として、この人の中での神代像というのは、良くも悪くもブレがないのだな、と思いました。
それにしても、一体何が「愛の十字架」だったのでしょうか・・・