特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第394話 レイプ・白いハンカチの秘密!

2008年03月31日 21時47分49秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 辻理

議員が顔見知りの女の部屋で殺され、女が逮捕される。失踪した夫の借金を抱え、幼い娘を育てながらスーパーで働いていた女は、議員との間にどんな関係があったのか?女の弁護を担当するのは、特命課とは旧知の女弁護士。女が被害者にレイプされたことを明かし、正当防衛を主張する女弁護士だが、女の証言には不審な点が多かった。
その後の調べで、女がかつて売春婦だったことが判明。「暴行されたんじゃなく、売春だったんだろう」と女を追及する叶。だが、女は婚約者との出会いを機に、売春を辞めていた。かつて女の客だった議員は、久しぶりに女の部屋を訪れ「もう売春は辞めたから」と断る女に、無理矢理襲い掛かったのだという。
事件当日の娘の様子が気になった叶は、いつも公園で絵を描きながら待っていたことを知る。「ママのお仕事の日」と題した絵に、ベランダの手すりにハンカチが描かれていることに気づいた叶は、それが売春中の合図ではないかと推測。娘に確認したところ、事件当日もそのハンカチが出ていたという。「あの女、まだ売春を続けていたんだ」
売春が事実だとすれば、正当防衛は認められないが、女は「何かの間違いです!」と認めない。そんななか、特命課に「あの女は、3年前にも人を殺している」とタレコミが入る。該当する事件を調べたところ、貯金を愛人に貢いだ夫を妻が刺し殺して自殺するという事件があった。その愛人こそ、容疑者である女だった。「あんな女は許せません!」と女への疑惑を強める叶。
なおも女の正当防衛を主張する女弁護士だが、叶は「売春婦がレイプされたといっても世間では通用しませんよ」と反論する。女弁護士は「やっぱり色眼鏡で見るんですね。更正しようとする女の足を引っ張って楽しいんですか?」と言い返す。やがて、女弁護士の調査で、無理心中は妻の妄想であり、貯金を失ったのはギャンブルにつぎ込んだためだと判明。売春の証拠であるハンカチについては「誰か、ハンカチの合図を知っていて、彼女に恨みを持つものの仕業では?」との推理を披露する。
女がひたすら沈黙を守るため、娘から聞き出そうとする叶。そこに、拘留中の女に代わって娘の面倒を見ている友人が現れる。「あんた、彼女と同じ商売をしてるね。ハンカチを結んだのも、タレコミも、あんたの仕業だね?」叶の言葉をあっさり認める友人。結婚が決まって売春を辞めるとき、女は友人に「あんたもこんな仕事辞めたほうがいいわよ」と言った。その言葉に、友人は激しい憎悪をいだいたという。「どうして友達の幸せを祝福してやれないんだ」叶の言葉に、友人は「あたしだってこんな商売辞めたいよ!」と涙を流すだけだった。
正当防衛が認められ、釈放される女に頭を下げ、偏見に満ちた捜査をしたことを詫びる叶。だが、女の口から、叶や友人を攻める言葉は出てこなかった。「私、自分の幸せに有頂天になって、他人の不幸が見えなくなってたんです」女の言葉は、叶の胸に深く突き刺さった。

「女性の犯罪体験手記シリーズ」第2弾ですが、今回の女も実際には犯罪を犯していません(あ、売春は犯罪か)。ストーリーはともかく、元売春婦への世間の偏見と闘う女弁護士の不愉快極まりない態度には閉口させられました。どこかで見覚えがあると思ったら、第338話「午前0時30分の証言者!」に登場した女弁護士でした。再登場するからには、視聴者から好評だったのでしょうか?そんなはずはないと思いたい私です。

女が売春婦だったことを知りながらも黙っていた女弁護士は「なぜ隠していたんですか?」と神代に問われ「同じ女性として、言いたくなかった」と語りました。「体を売った女が立ち直ろうとしても、世間は認めないもの。あなたも心証を悪くしたんじゃないですか?だから、彼女の過去を晒したくなかったんです」こんな理屈、少なくとも捜査に関わる人間には通用しません。「かつて売春していた女」ではなく、かつて「人を殺した男」を弁護する場合、その前科を知りつつ黙っているのは弁護士としてどうなのでしょう。
前科者の方や、元売春婦の方には大変申し訳ないのですが、世間の目からすれば、そうした方々を「平気で一線を越える人間」として信用しないのは当たり前のことでしょう。それを偏見と呼び、さらに「更正しようとする人間の足を引っ張る」などと非難されても、「開き直り」あるいは「逆ギレ」と言われてもしょうがありません。犯罪を犯した人や、売春した人からすれば、それぞれ止むに止まれぬ事情があったのでしょう。しかし、同じ状況にあっても、犯罪を犯さなかった人、体を売らなかった人がいることを忘れないで欲しい。かつて犯した過ちを、いつまでもほじくり返されるのは、それは嫌でしょう。しかし、そもそもの責任は過ちを犯した自分自身にあるのであり、安易に「過ち」と言って「過去のこと」にして欲しくありません。世間の偏見に晒されるたびに、自分の愚かさを改めて噛み締めることが、本当の贖罪なのではないでしょうか。

それはともかく、ラストで友人が真相を明かすくだり、粗筋がやけに唐突に思われるかもしれませんが、実際、こんな感じです。唐突にもほどがある展開に「そんなんでええんか?」と言いたくなりました。個人的な意見ですが、友人の気持ちは分からなくもありません。同じどん底にいるもの同士の友情というのは、ぶっちゃけ「傷の舐め合い」でしかありません。自分だけどん底を抜け出す際に、「あんたも抜け出せよ」と無神経なことを言うような女には、同情する気にもなれません。もちろん、本気になれば抜け出せるにも関わらず「辞められるものなら辞めたい」と嘆くだけの友人も同様です。「だったらなぜ辞めないの?」と聞いてみたいものです。

第393話 オレンジ色の傘の女!

2008年03月28日 01時36分09秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 松尾昭典

鉄工所を営む老父婦宅に強盗が押し入り、父親が殺され、母親も重傷を負った。病院に運び込まれた母親は、所轄署の刑事の「誰にやられた」との呼びかけに次男の名を口にする。長男の証言によれば、次男は両親との折り合いが悪く、最近も金の無心にきていたという。所轄署は次男を容疑者として逮捕。次男は犯行を否定し、同居中の女がアリバイを主張するが、所轄署は執拗な取調べを続ける。
所轄署を訪れた橘は、雨の中、傘を差してじっと立ち続ける女に気づく。殺到するマスコミから女を救い、詳しい事情を聞く橘。次男の無実を信じる女の言葉に真実を感じた橘は、独自に捜査を開始する。
父親の葬儀を訪れ、長男から事情を聞く橘。長男は次男の犯行と決め付け、女が元凶だと言い募る。それは、女がヤクザの娘であるがゆえの偏見だった。参列者に混じって手を合わせる女に気づく橘。親戚筋の女から「息子が結婚を控えているのに迷惑だ」と非難され、女は逃げるように立ち去る。
昏睡状態だった母親の呟きが、本当に犯人を名指ししたものかどうか、疑問を呈する橘。「最も心配する次男の名を、無意識に呼んだだけじゃないですかね・・・」だが、真実を語ることなく、昏睡状態のまま母親が死亡。次男の無実を証明する手段が消えてしまう。絶望した次男は、所轄署に犯行を認める。拘置所に送られる次男に「ずっと待っています」と呼びかける女だが、次男は「俺のことは忘れろ」と言い捨てる。それが次男なりの優しさだと知りつつも「そんな優しさより、信じて待っていろと言って欲しかった。やっぱり他人だったんですね、私たち・・・」と呟く女。次男との写真を引き裂き、海に流す女に、橘は「彼は、まだ君が本当の家族だと気づいてないだけだ。待っててやるんだ。必ず君のもとへ戻ってくる」と語りかける。
その後、父親の葬儀の香典から、血痕のついた紙幣から発見される。血痕が父親のものと断定され、強盗の真犯人が奪った金を香典に出したものと推測された。紙幣についた指紋をもとに、参列者のリストから真犯人を探す特命課。やがて、明らかになった真犯人は、結婚式を挙げたばかりの従兄弟だった。
事件解決を女に伝え、「君が彼を救ったんだよ」と勇気づける橘。だが、翌日、次男が釈放されたとき、女は姿を消していた。数日後、橘のもとに女からの手紙が届く。「引き裂かれた写真を繋ぎ合わせても、跡が残るように、一度二人の絆についた傷跡は、隠せはしないのです。お互いがもっと強くなるために、分かれるべきなのです・・・」雨の中、橘は傘を差したまま立っていた女の姿に思いを馳せるのだった。

今回から「女性の犯罪体験手記」シリーズとのことですが、一本目からなんとも微妙な仕上がり。朝倉陽子による「砂時計」なる挿入歌のせいもあって、「悪女の子守唄」シリーズの悪夢が甦ってきます。
何が微妙かといえば、ずばり女の演技です。あまりの棒読みっぷりに「ひょっとして、こういう演技スタイルなのか?」とも思いましたが、正直なところ、高校生の演芸部でももう少しましなのでは・・・ちなみに、次男役は丹波義隆。丹波哲郎の息子というより、スペードエースといったほうが通りがよい(のか?)。
演技はともかくとして、この女の言動もかなり微妙。まず、正式な籍を入れない理由を問われ「二人で夫婦としての実績を作って、ご両親に喜んでもらってから籍を入れるつもりだった」という理屈が意味不明。また、母親の死よりも、次男の無実を証明する手段が消えたことを嘆くあたりの非情さも興ざめです。極めつけは橘に宛てた手紙で語る分かれた理由です。何が言いたいのかさっぱり分かりません。
頭のおかしい女に毒されたのか、橘まで「強盗で奪った金を香典に出すという異常さは、結婚前に殺人を犯すという大胆さにつながります」と訳の分からん理由で従兄弟を真犯人と決め付ける始末です。あと、別にどうでもいいですけど、シリーズ名を普通に考えれば「犯罪を犯した女の体験記」を基にした脚本だと思うのですが、今回の場合、いったい誰の手記なのでしょうか?いろいろと疑問の残る一本でした。

第392話 幼児誘拐・5年目の再会!

2008年03月27日 03時34分37秒 | Weblog
脚本 広井由美子、監督 天野利彦

ある駅で、父親に連れられた少年が、倒れた脚立の下敷きになった。居合わせた吉野が救急車を手配するが、父親は傷ついた少年を抱いて、逃げるように電車に飛び乗った。数日後、父親が警察署から逃げるように立ち去るのを見かける吉野。通りすがりに空き巣を取り押さえたらしいが、被害者の隣家の様子を窺うなど、不審な様子だったという。父親を訪ねた吉野は、少年が無事な様子に安堵するが、父親は吉野が刑事だと知ると慌てて立ち去った。なぜ、そこまで警察沙汰を避けるのか、吉野は疑念を募らせる。
そんななか、特命課では5年前に起こった時効寸前の誘拐事件を洗い直していた。当時1歳の幼児が誘拐され、犯人からは何の要求もないままだった。被害者の現住所を聞いた吉野は顔色を変える。それは、父親が様子を窺っていたという住所だった。誘拐事件との関わりを聞こうと父親を訪ねたところ、すでに子供を連れて姿を消した後だった。
父親の過去を調べたところ、4年前に死んだ妻との間に子供はなかった。誘拐された幼児は、生きていれば少年と同じ年齢であり、父親が誘拐犯と見て行方を追う特命課。その後の捜査で、父親の事件当日のアリバイが確認されるが、その当時、妻は流産したショックで精神を病み、入院していた。退院したのは事件の発生当日であり、父親のもとへ帰る途中、発作的に誘拐を働いたのではないかと推測された。
少年の実の両親宅に電話を掛け「長い間すみませんでした。必ずお返ししますので」と伝えて電話を切る父親。ようやく父親の潜伏先を探し当てた吉野だが、父親は少年を残して姿を消す。実の両親のもと残されていた幼児の手形と、少年の指紋が一致し、吉野は少年に事実を明かすことを決意。涙ながらに少年を抱きしめる両親だが、少年は姿を消した父親を恋しがる。「お父ちゃん、どこにいるんだよ!」と泣き喚く少年の姿にショックを受ける両親。その恨みは父親に向けられる。
翌日、少年は両親の家から姿を消す。「夜になったら、父ちゃんと公園でサッカーするんだ」かつて少年が語った言葉を思い出し、公園へと走る吉野。そこには、一人でサッカーボールを蹴る少年の姿があった。時効まであと2日。思わず「来るな」と呟く吉野。だが、少年との約束を守るべく現れた父親の姿を認めたとき、吉野は捕らえるしかなかった。「お父ちゃんを連れて行かないで」と泣く少年に、吉野は何も答えることができなかった。
実の両親のもとで暮らすうちに、次第に心を開いていく少年だが、吉野に対しては敵意をむき出しにする。自分に憎しみをぶつけることで、何かを乗り越えようとする少年の姿に、吉野は「坊主、俺を憎め」と呟く。やがて、取調べを終えた父親に、特命課はせめてもの温情として、少年との対面の場を用意する。実の母親の胸で眠る少年を見て安堵の涙をこぼす父親に、実の母親はそっと頭を下げるのだった。

血の繋がらない少年に、実の父親のような愛情を注ぐ男を好演するのは、藤木悠。Gメンの山田刑事役などでお馴染みですが、個人的にはハングマンのいずれかの第一話で、ハングマンになり切れずに死んでしまう役が印象に残っています。
正気を失った妻が少年を誘拐した当初、警察に届け出なかったのは、少年が高熱を出したからだといいます。「子供の命より、殺人犯になるのが怖くて、必死に看病したんです・・・」と語る父親ですが、少年が回復したときには、もはや手放せないほど愛しい存在になっていたのでしょう。それからの5年間、実の両親の哀しみを思い、返さねばと決意しながらも、愛しさの余り返すことができない父親。吉野の前から姿を消したのも、行方をくらますためではなく、最後の思い出を作るためだったのでしょう。
吉野に取り押さえられた際、少年を抱きしめ「許しておくれ。お父ちゃん、悪い奴なんだよ。お前、本当はよその家からさらってきた子供なんだよ。お父ちゃん、これから警察に行かなくちゃいけない。だから、お前は本当のお父さんとお母さんのところで、幸せになっておくれよ」と涙するシーンは、藤木氏の朴訥極まりない演技もあって、涙を誘います。
加えて印象深いのが、実の両親のもとに戻りながらも、育ての親である父親を慕う少年を見て「これでよかったんですかね。俺があの子の立場だったら、納得いかんと思うんですよ」と悩む吉野。そんな吉野に、おやっさんは大岡裁きの事例を持ち出します。「子供を取り合う二人の女に子供の両手を引っ張らせて、痛いと泣く子供の手を放した方が本当の母親だという。よく考えたもんだ。けどね、両方が手を離したら、どう裁いたんだろうね」実の親も、育ての親も、子供に対する愛情に偽りなどありませんでした。当初は父親を憎んだ実の両親も、父親が5年間注ぎ続けてきた確かな愛情を感じ取れたからこそ、最後には許す気持ちになったのでしょう。
特捜にしては甘いラストかもしれませんし、少年にその場を誤魔化すだけの稚拙な嘘をつく吉野など引っかかる点もありますが、不幸な事件にも関わらず、最後には収まるべきところに収まった心温まるエピソードとして、それなりに満足できる一本だと思います。

更新遅れのお詫び

2008年03月26日 01時07分09秒 | Weblog
先週から多忙と花粉症のためブログを書く暇と気力がなく、視聴したまま放置しているのが4本も溜まってしまいました。(正直言えば、このところ魅力的な話が無かったというのもありますが・・・)せっかくコメントいただいているですとらさんさんにもお返事できず、誠に恐縮です。何も「楽しみにしてくれる人のためにも更新しなければ」などと自意識過剰になっているわけではありませんが、更新もしていないのにアクセスいただいている好事家の方々が、多少なりともおられるようでしたので、放置したままというのはやはり気が引けます。
昨日今日で仕事がひと段落したこともあり、何とか明日からぼちぼち更新したいと思います。幸い(というのも変な話ですが)、今週末はファミリー劇場が特別編成のため、特捜の放送もお休みですので、この間に何とか追いつきたいと思っています。(それにしても、何でまたパプワ君の一挙放送なのか、理解に苦しみます)
それでは、明日からまた改めてよろしくお願いします。

第391話 遺留品ナンバー4号の謎!

2008年03月14日 04時02分40秒 | Weblog
脚本 塙五郎、監督 宮越澄

宮城県の寒村で一台きりの個人タクシーを営業する運転手が、客を乗せたまま失踪した。数日後、そのタクシーが都内で発見される。車内には大量の血痕が残されており、運転手が宮城から乗せてきた客に殺され、死体はどこかに遺棄されたものと見られた。
運転手の素性を調べるため、宮城に飛んだ橘。駐在は運転手が失踪した当日、隣町で起こった強盗殺人事件の捜査に駆り出されていた。強盗殺人は無事解決したが、逮捕された犯人は「自分は共犯。殺したのは足の不自由な男だ」と主張しているという。運転手はかつて東京で勤めていたが、早くに妻を亡くしたらしく、今は小学生の娘と二人暮しだった。「お父さんを探して」と頼み込む娘に、橘は事件を告げることはできなかった。
東京に戻った橘は、遺留品ナンバー4号、すなわち車内に残された犯人の靴を調査し、その靴を修理した老靴磨きを探し当てる。修理を依頼したのは女だったが、老靴磨きは「靴の持ち主は片足が不自由な男だ」と見抜く。橘は、それが隣町で起きた強盗殺人の主犯ではないかと直感。逮捕された犯人の証言から、その推理が裏付けられる。
老靴磨きの協力で、修理を依頼した女を探し出した橘たち。女の夫は行方をくらましており、強盗の前科もあることから、有力な容疑者と見られた。夫から連絡があるはずと、女を見張る橘たち。女は何者かに呼び出されて出かけるが、待ち受けていた影に殺されかける。危ういところを橘らが救出するが、女は何も語ろうとはしなかった。
そんななか、運転手の娘が父を探すべく単身上京してくる。駐在から連絡を受けた特命課は娘を保護。娘が持っていた写真を見て驚く橘。そこには運転手とともに、女が写っていた。娘は運転手の実子ではなく、女と容疑者の間に生まれた子供だった。容疑者と別れられなかった女は、自分に好意を寄せていた運転手に娘を託した。娘の所在を知った容疑者は、はじめから運転手を殺し、我が子を取り返すつもりだったのだろう。女は「娘は、あの人の子でいた方が幸せなんです!」と、娘に事実を明かさないよう頼む。
娘を宮城へと送って行った橘は、意外な事実に気づく。失踪当日、客を乗せたタクシーは、帰宅する娘を追い抜いていった。それが東京へ向かう道路とは逆方向だと気づいた橘は、運転手宅へと急ぐ。「タクシーは運転手の家に向かったんだ!車が家につく頃には、二人は互いが誰かを知ったに違いない。そして、争った末に殺した・・・」橘の推理どおり、運転手宅の納屋から死体が掘り出されるが、それは運転手ではなく、容疑者のものだった。
翌日が娘の運動会だと知った橘は、運転手が現れるはずと学校に網を張る。運動会当日、学校に娘宛の電話が入る。「どうして見に来てくれないの?」娘の叫びも虚しく、運転手は自分が生きていることを示しただけで、連絡を絶った。それでもなお、運転手を待ち続ける橘。やがて、娘の徒競走が始まる。スタート直後に転倒する娘を見て、思わず人込みから飛び出す運転手。自分と同様に転倒した友達に手を貸し、一緒にゴールする娘を見て、満足げな笑みを浮かべる運転手に、そっと近づく橘。運転手が取り落とした毛糸のマフラーを拾い上げ、「娘さんに渡しておくぞ」と囁くのだった。
そして、冬が訪れた寒村で、娘は今日も毛糸のマフラーを巻いて登校する。今もなお、父親が逮捕されたことを知らないままで。

事件の背後に隠されていた、血の繋がらない親子の愛情が胸に迫る一本ですが、サブタイトルはもう少し何とかならなかったのでしょうか?
犯人の靴が車内に残っているのが不自然極まりないことをはじめ、何で運転手が東京まで女を殺しに来たのか分からないなど、塙脚本にしては穴が多い印象があります。また、容疑者が強盗殺人の主犯であることや、運転手が生きていること、女が娘の実母であることなど、先の展開があっさり読めてしまうのも興ざめ。しかし、それでもなお、終盤の運動会のシーンでは泣かされてしまいました。
叶が橘に囁きかけた「いつか、知るときが来るんですね。父親だと思っていた運転手が、本当の父親を殺したことを」という台詞に、まず胸が締め付けられましたが、その後の徒競走で娘が転倒するシーンでは、思わず身を乗り出してしまいました。娘が友達に手を貸し、一緒にゴールくだりなど、運転手と同様に「よくぞ優しい娘に育ってくれた」と、思わず涙をこぼしてしまいました。ラストの余韻もよく、前半部分で感じた欠点など帳消しにしてくれるほど。脚本もさることながら、宮越監督の演出の勝利だと思います。
ちなみに、運転手役の北条清嗣氏といえば、第246話「魔の職務質問」での理不尽な警官の演技が、私自分の苦い経験もあいまって、半ばトラウマになっている役者さんなのですが、今回は愛すべき殺人者を好演。246話を見て「きっと実生活でも嫌な人間に違いない」と本気で思ってしまい、誠に申し訳ありませんでした。

第390話 判決・愛が裁かれるとき!

2008年03月13日 02時10分43秒 | Weblog
脚本 阿井文瓶、監督 辻理

父の勧めで見合いに臨む桜井。見合い相手の父親は、桜井の父の弁護士仲間であり、桜井が逮捕した殺人犯の弁護を担当していた。その公判のため、遅れて見合いの席に到着した弁護士は、険しい顔で「被疑者が法廷で無罪を主張した」と桜井に告げる。被疑者は「桜井の拷問によって自白に追い込まれた」と冤罪を主張し、桜井は窮地に追い込まれる。
被疑者は病院に婿入りした医師で、先代の娘である妻に保険金を掛けて殺害した容疑で逮捕された。取調べに当たった桜井は、妻に対しては良き夫、娘に対しては良き父で、患者からも信頼される医師に敬意を示す。被疑者はそんな桜井に心を開き、犯行を自白する。良心的な医療に努める余りに病院の経営を傾かせてしまった医師を、妻はことあるごとに亡き先代と比較して罵った。ある夜、酔って帰って来た妻は、大理石の灰皿を振り回して医師に詰め寄った。無我夢中で抵抗した結果、逆に殺してしまったのだという。
だが、公判で否認に転じた被疑者は「拘置所で思い出した」とアリバイを主張する。被疑者の自供した犯行日時が嘘だったと見抜く特命課だが、一度調書に書いた事実は覆すことができない。すべては医師の周到な罠だったのだ。「奴は、人の心の裏側まで見つめるよう捜査をする、と自惚れていた私の心の隙をついた」と唇を噛む桜井。捜査を一からやり直す特命課だが、医師は桜井を告訴し、桜井はマスコミの非難にさらされる。
桜井の身を案じた父は、「見合い相手は好意を持ってくれているが、母親が刑事であることを理由に反対している」と明かし、刑事を辞めて弁護士事務所の捜査員になるよう勧める。見合い相手の励ましを得た桜井は、医師の娘に罵られながらも捜査に注力する。
多くの証言から「医師が妻を愛していたのは間違いない」と確信する桜井。では、なぜ医師は妻を殺したのか?妻の身辺を調べたところ、若い画家との不倫関係が明らかになり、画家の子供を身篭り、流産していたことが判明する。
そんななか、見合い相手と食事中の桜井を医師の娘が訪ねてくる。「父は罪を認めました。これ以上、母を汚さないでください」と涙ながらに頼む娘。見合い相手も娘に同情し「人の裏側を暴き立てることが捜査じゃありませんよね?あの方の言うことを聞いて挙げられませんの?」と桜井を問い質す。だが、桜井の選ぶ道は決まっていた。
公判に臨んだ桜井は、証言台で妻の不倫を暴き立て「これは計画的な殺害であり、カモフラージュのために自分と妻に保険金を掛けた」と語る桜井。「違う。私は妻と一緒に死のうと思った。保険は後に残す娘のためだ」法廷で罪を認める医師の言葉に、桜井が続ける。「そして、父親が母親を殺したという傷を娘さんに残さないために、冤罪として釈放されるよう工作した」「そうだ。君はそれを見事に暴いた。楽しいか?気分がいいか?」妻を愛しているがゆえに、不倫を許すことができなかった医師。「愛されなくなったから殺す。そんなものが愛情ですか?」と問う桜井に、医師は答えた。「君は、本当に愛する者に裏切られたことがあるかね?人間が悪魔になるのはそういう時だよ」
事件解決後、遠回しに刑事を辞めるよう勧める見合い相手に、桜井は「私は言葉じゃなく、行為で人を動かしたい。そういう現場にいたいんです」と答え、捜査へと戻るのだった。

理性の影に激情を押し隠した医師を好演したのは、宇宙刑事シリーズでお馴染みの西沢利明氏。台詞回しがいちいち凝っていることもあって、桜井との対決はなかなか見応えがありましたが、正直言って、ストーリー的には見るべきものがありません。
冤罪というテーマは興味深いものの、冤罪を主張した結果、かえって隠しておきたかった妻の不倫まで明らかになるという見事な墓穴掘りに終わっており、なにかこう、全体に空回りしている印象。「妻の過ちを隠したい、なおかつ(娘のために)無罪も勝ち取りたい」と考えた苦肉の策ではありますが、最終的に前者を優先するのであれば、最初から後者はあきらめていればよかった、と考えるのは、所詮他人事だからでしょうか。
さらに、桜井の見合い相手と医師の娘が、どちらも演技が稚拙なこともあってか、邪魔にしか思えません。医師の娘はストーリー上必要かもしれませんが、見合い相手にさほどの必然性はなく(桜井の刑事という仕事に対するこだわりを描くのであれば、弁護士である父親とのからみだけでも十分)、医師親子との対決だけに専念して欲しかったというのが正直な感想です。

第389話 さらば、海の老兵!

2008年03月07日 00時55分29秒 | Weblog
脚本 宮下隼一、監督 野田幸男

東京湾に停泊中の船に殺人犯が潜伏中との情報を得て、海上を急ぐ橘たち。救難活動に出動した海上保安庁の巡視艇が、橘らの航行を遮る。事情を説明する橘だが、巡視艇の老船長は「人命尊重が第一です。海には海のルールがある」と橘を制止。救難活動終了後、巡視艇に先導されて船舶に向かったものの、すでに犯人は陸上に逃走した後だった。
殺人事件の被害者は、強請りの常習者。遺留指紋から、犯人は被害者と刑務所仲間の元船員だと判明していた。橘から事情を聞いた船長は、犯人の名を聞いて顔色を変える。
改めて捜査を続けるなか、橘は老船長が犯人の行方を探し回っていることを知る。老船長は、かつて犯人が船員同士の喧嘩で相手を負傷させたのを捕らえた後、その身元保証人になり、就職先などを世話していた。その原因は、3年前の海難事故にあった。犯人の父親を乗せた漁船が台風で難破した際、救助に向かった老船長は、高波に阻まれ助けることができなかった。それから犯人がグレ始めたことに、老船長は深い責任を感じていたのだ。
犯人の友人の「行き先に心当たりがある」との言葉にだまされ、食事をおごらされる老船長。見かねた叶が友人に食ってかかるが、老船長は叶を制止し、「働く気があるなら、その辺の会社にこれを持っていけ」と友人に名刺を渡す。
その後の捜査で、被害者が工場排水を海に垂れ流している企業を強請っていたことが判明。ようやく違法排水の企業を探し当てた桜井らは、被害者から強請られていたことを認めさせ、犯人が被害者の後を引き継いで強請り続けていることをつかむ。
一方、橘は老船長の妻が心臓病で入院していることを知る。かつては父の後を継ごうと海上保安学校に通っていた老船長の息子は、「あいつは母さんより海を選んだ」と、父と海を憎むようになっていた。神代から、老船長が明日付けで退官することを知らされた橘は、その事実を息子に告げる。「海にしか生きられなかった男が、今日、その海を捨てようとしているんだ。君たちともう一度やり直すために」老船長がロッカーに残した手旗を渡す橘。そこには息子の名前が記されていた。もう教える相手もいない手旗を、それでも捨てることができなかった老船長の気持ちを察したとき、息子は思わず落涙する。
そんななか、犯人の友人が老船長を訪ねてくる。老船長の名刺で仕事を見つけた友人は、恩返しのために調べ上げた犯人の恋人の行方を明かす。半信半疑尾の叶には反発する友人だったが、自分の言葉を信じ、犯人の身を案じる老船長に対しては「奴は、あんたのことを本当の親父みたいな人だと言ってた。あいつに、これ以上罪を重ねさせないでくれ!」と頭を下げる。
恋人を捕らえた橘は、犯人が停泊中の船に潜伏していることを聞き出す。老船長の指揮のもと、海上保安庁の巡視艇で急行する橘。追い詰められた犯人に自首を勧める老船長。「どうしてこんなバカなことをした」「あの工場の奴ら、海を汚しやがった、その償いに金を出させて何が悪い」「それが海の男のやることか。親父が死んだ海を汚しているのは、貴様も同じだ」と断罪され、海に飛び込む犯人。老船長の指揮のもと、海上保安庁の職員たちに救助された犯人は、殺人の動機を語る。「お前は親父と同様に、海の側でちまちま生きるしかないチンピラだ」と罵られ、カッとなって殺したのだという。老船長は「もういっぺん、やり直すんだ。わしはいつまでも見守っている。陸へ上がってからも」と犯人を抱きしめる。
こうして事件は解決し、東京湾へ戻る巡視艇。突堤で手旗を振る人影を認めた老船長と橘。「シュジュツセイコウ、オカエリナサイ、オトウサン」かつて自分が教えた手旗信号を振る息子の姿を見て、感極まる老船長。その新たな人生の門出を祝うかのように、巡視艇は夕陽の中で汽笛を鳴らし続けた。

「人間と深い絆を保ちながら、海は生きてきた。その紺碧の波濤を、命を賭けて守り続ける男たちとともに」冒頭の橘によるナレーションが、海上保安庁を主役にしたドラマのオープニングのように格好良い一本。寡黙な老船長を演じるのは、惜しくも一昨年に亡くなられた田村高廣氏。私にとっては「助け人走る」の文十郎さんの颯爽とした姿が忘れられません。ちなみに、犯人役はいつまで経っても年齢不肖な穂積ぺぺ。レッドバロンやメガロマンでの微妙な活躍ぶりが忘れられません。
少し残念なのは、老船長の「海へのこだわり」に対する描写が乏しく(飲み屋で「我は海の子」を歌うシーンくらい)、「海を捨てて陸(おか)へ上がる」という決意がどれほどのものか、視聴者に伝わりづらいこと。また、老船長が「何か事情がある」と信じていた犯人の動機が実にちんけなものだったこと。
脚本の詰めの甘さが田村高廣氏の重厚な演技に助けられた、との見方もあるでしょうが、手旗の使い方や犯人の友人の存在(見る人によっては、友人の存在は蛇足かもしれませんが・・・)などは、うまくドラマを盛り上げています。また、冒頭のナレーション以外にも、男心をくすぐる台詞が印象に残ります。特に忘れられないのは、橘が老船長の息子に語った台詞です。「男が仕事をするってことは、愛する者を守るためでもあるんだ。不器用かも知れないが、それが精一杯の愛情表現だったんだよ」働くお父さんたちの胸中を代弁するかのような台詞は、仕事の没頭する余りに家庭を壊してしまった橘の口から語られるだけに、なお一層の重みが感じられます。

第388話 老刑事と五号室の女!

2008年03月05日 23時13分15秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 天野利彦

殺人事件の容疑者を張り込むため、素性を隠してアパートに住み込む船村。数日後、首尾よく容疑者を逮捕した特命課の刑事たちに、居合わせた女が「行方不明の夫を探してください」と頼み込む。船村が事情を聞いたところ、夫は女と別居してアパートに住んでいたが、離れて暮らす子供のことを溺愛しており、毎晩電話してきたという。一昨日は子供の誕生日にも関わらず電話がなく、不審に思ってアパートに来たところ、数日間帰っていない様子で、会社にも出社していないのだ。
管理人に聞き込んだところ、夫は五号室に住む若いOLと親しい仲だという。船村もOLとは顔見知りで、先日もOLが庭に捨てようとしていた土を譲ってもらった。「飼っていた欄の花が死んじゃったから」と、花をペットのように語るOLの言葉が、船村の印象に残っていた。だが、五号室に確かめに向かったところ、OLは何も知らないという。
単なる蒸発事件とは思いながらも、何かがひっかかり捜査を開始する船村。夫の部屋でOLのものと思しきガーターベルトの金具を見つけた船村は、アパート住まいを続けてOLの身辺を探る。ゴミ出しの日を守らない、コインランドリーで長靴を洗うなど、モラルのないOLに呆れる船村。ついには猫をゴミ袋に入れて道路に投げ捨てるところを目撃し、怒りに任せて罵倒する。「だって、その猫、私の部屋を汚すの」と悪びれもせず、そうかと思えば野良犬を抱きしめ「可愛そう」と涙ぐむOLに、船村は「君なんかに生き物を抱く資格は無い」と吐き捨てる。
吉野や叶に「訳が分からん」とぼやく船村。OLの会社で聞き込んできた橘から「社内ではすこぶる評判が良く、嫁さんにしたい女性No.1です」と聞かされ、「ますます分からん」と首をひねる。船村の迷いをよそに、事態は急転する。五号室付近から異臭が漂い出したある日、OLが「人殺ししちゃった」と泣いて部屋から飛び出してきた。行方不明の夫のことかと思いきや、死体は同じアパートの若者だった。
特命課がOLから事情を聞いたところ、3日前、室内に侵入してきた若者に襲われ、夢中で反撃したところ、殺してしまったのだという。「どうしてすぐに届けなかった?」との橘の問いに「殺人で捕まるのが怖かったから」と答えるOL。「死体と一緒で平気だったのか?」と訝しがる橘に、OLは「死んでるんだもん、怖くないわ」と応じた。
その後、若者が下着ドロだと判明し、OLの正当防衛が証明され、釈放される。だが、船村は若者の日記から、事件の日に「OLから部屋に呼び出された」との記述を発見。刑事の身分を明かしてOLを逮捕する。だが、なぜOLは若者を呼び出し、殺したのか?その謎を解くカギは、数日前に女が捨てた土にあった。「あの女は行方不明の夫も殺している」船村の直感に従い、女の部屋の床下を掘り返したところ、果たして夫の死体が発見される。OLは夫殺しを若者に気づかれ、口封じのために殺したのだった。
取調べに対し、夫との関係を語り出すOL。夫はしつこくアパートまで押しかける妻に嫌気がさしており、いい年をした男が困り果てて泣いているのを見て、OLはペットを可愛がるような感覚で関係を持った。だが、味を占めた夫が部屋に居つくので、鬱陶しくなって金槌で殴り殺したという。「だって飽きたんだもん。飽きたオモチャは捨てちゃうでしょ」と答えるOLに、言葉を失う刑事たち。特命課を訪れ「どうしてあの女が主人を殺したんですか?」と問う妻に、船村は何も答えることができなかった。

ごく普通のOLが抱いた理不尽な殺意を描いた、恐るべき一本。殺人の動機はもとより、OLの言動のすべてが不可解極まりなく(他にも被害者である夫と妻の関係も理解し難いなど、いろいろ突っ込みどころはありますが)、「意味不明の駄作」と片付けてしまってもいいのですが、その不可解さこそが脚本家の意図だとすれば、まことに恐ろしいドラマだと言えるかもしれません。

我々視聴者にとって「不可解」であり、むしろ「リアリティが無い」と思われるOLの(演技ではなく)言動ではありますが、実際に不可解な理由による、あり得ないような殺人事件が多発する世の中を見れば、逆に「この不可解さが逆にリアルなのではないか?」とすら思えてきます。善良なる視聴者が抱く違和感とは、端的に言えば「平気で猫を殺すからといって、理由も無く人を殺すことなどあり得ない」という点だと思われます。つまり、小動物を殺すことと、人を殺すこととの間には、「越えられない一線」があると信じているわけです。しかし、小動物を殺すことすら到底できない私でも、蚊やゴキブリは躊躇無く殺せます。人によっては、小動物を殺すことに躊躇を覚えないであろうことは容易に想像できますし、善良だと思っている自分自身の内面にも、そんな一面が眠ってないと断言できるほどの度胸は私にはありません。そう考えたとき、「越えられない一線」とは単なる幻想ではなのいか?そんな一線があると思うことで、かりそめの平穏を維持しているだけではないのか?と思わずにはいられません。

「君らの側にいる可愛い女も、一皮向けばみんなこんなものだ」という脚本家の悪意は、ラストシーンを見ても明らかです。事件解決後、露天商から小うさぎを買う若い娘たちを見かけるおやっさん。うさぎを可愛がりながらも「すぐ大きくなっちゃうよ」「いいよ、大きくなったら脳天かち割っちゃうから」と笑う娘たちに「君たちに、生き物を飼う資格なんか無い!」と叱りつけるおやっさん。「私は年甲斐も無く怒ってしまった。恥ずかしいと思った」というおやっさんのナレーションでドラマは締めくくられるわけですが、OLの無邪気な殺人と、この娘たちの無邪気な発言(もちろん、あえて誇張させているわけですが)には何の違いも無く、誰もが無邪気に人を殺しかねないこの世の中に対する痛烈な批判(あるいは警告)となっているのではないかと、私は勝手に思うのです。