特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第449話 挑戦・炎の殺人トリック!

2008年11月26日 02時25分05秒 | Weblog
脚本 大野武雄、監督 辻理
1986年1月23日放送

【あらすじ】
ある日の早朝、マンションの一室で火災が発生し、ベランダから脱出しようとした女が転落、重態に陥る。女のタバコの不始末が原因と見られたが、紅林は行きつけの小料理屋の亭主から捜査を依頼される。女はそこの常連であり「タバコを消した後、水をかける癖がある」というのが根拠だった。
消防署で火災時の状況を調べる紅林。女と同棲中の男は、火災の30分前にジョギングに出て無事だった。男は消防署に対し「女は酒に酔っていて、ジョギングに出る自分をベッドでタバコを吸いながら見送った」と証言しており、他に火元は考えられなかった。だが、女がホステスとして働く店に当たったところ、女は妊娠中のため酒は控え気味だったという。男は才能あるギター弾きで、数ヶ月前に別れ話があったが、女の妊娠を知ってよりを戻したという。また、火災現場を調べ直したところ、電気スタンドに残った指紋から、男が火災発生後にスイッチを切っていたことが判明。紅林の報告を受け、神代は男を容疑者として捜査を開始する。
改めて現場を調べたところ、「なぜ、女はベランダから逃げようとしたのか?」との疑問が浮上する。寝室から玄関に出れば、無事に逃げられた可能性は高いのだ。玄関につながるドアを調べると、家具が動かされた跡があった。「家具を重石にして、何かでドアを塞いだのでは?」と推理するものの、消防士たちが消火する際、その扉は問題なく開いたという。また、出火場所に残されていたライターはガス切れだったが、それは女が当日に知人からもらったばかりのものであり、ガス切れを起こすのは不自然だった。
一方、男の身辺を当たったところ、大物作詞家の娘との婚約が判明する。紅林は「男は邪魔になった女を出火に見せかけて殺した」と推測し、さらに現場検証を重ねる。ドア扉付近に付着していた汚れから、水道水の成分が検出されたこと。火災の熱で割れた電球の破片。出火直前に電話のベルが鳴っていたこと。この3点から、特命課は男の仕掛けたトリックを解明する。
出火のトリックは、電気スタンドの電球に穴を空け、そこにライターのガスを溜め、頃合を見計らって外から電話をかけるというもの。女が電話に出ようとスタンドを灯したとき、電球内のガスが引火するという仕組みだ。さらに、女の逃げ場をなくすために、氷の板を家具で固定し、ドアが開かないよう細工したのだ。氷は火災の熱で溶け、証拠は残らない。完璧な推理だったが、残念ながら物証がなく、男はシラを切る。
女が意識を取り戻したとの連絡を聞き、病院に駆けつける紅林。だが、女は「鳥が火を・・・」とだけ言い残し、意識を失う。火災現場に焼け焦げていた鳥のおもちゃと、付近に落ちていたコップに着目する紅林。鳥のおもちゃは音に反応して動く仕組みがあり、音センサーは電話のベルに反応するよう改造されていた。さらに、グラスが落ちていた周辺の床からは、苛性ソーダが検出される。「グラスに入っていた水が、電話に反応した鳥の動きで床にこぼれる。床に置いていた金属ナトリウムと水が化学反応を起こして発火し、苛性ソーダになる」電話による2重の発火トリックを暴いた神代は、男が金属ナトリウムを入手した経路を探すよう指示を出す。男が勤めていた冶金工場を当たったところ、数日前に男が訪ねており、金属ナトリウムが少量紛失していた。また、杉の発想が功を奏し、男がモーニングコールを依頼していた電話サービス会社が発見される。
証拠を固め、逮捕状を手に男のアパートを訪れる特命課。そこでは、男と婚約中の娘が食事の支度中だった。娘が作っていたのは、ニンジン抜きのキンピラ。それは、女が男のためにいつも定食屋に頼んでいたメニューだった。女が息を引き取ったとの連絡を受け、紅林は静かな怒りを胸に、男にかけるべき手錠を握り締めるのだった。

【感想など】
巧妙なトリックを駆使した犯行を、地道な捜査で暴いていく特命課の活躍を描いた一本。犯人や被害者の心情や背景にはあえて深入りせず、主役はあくまでも特命課。いや、むしろ「電気スタンド+ガス+電話による発火」「氷によるドアの封鎖」「鳥のおもちゃ+化学反応+電話による発火」という3つのトリックこそが、本編の主役と言えるかもしれません。トリック自体は練りこまれたもので(とはいえ、音センサーの改造や、金属ナトリウムの入手方法には、かなりの無理がありますが・・・)、それらを地道な現場検証を積み重ねて解明するプロセスも、それなりに見応えはあります。
しかし、正直な感想を言えば、(おそらく意図的ではあるのでしょうが)トリックが独り歩きしてしまい、私のような裏面を見るのが好きな視聴者にとっては、描写に乏しい犯人よりも、脚本家の存在・意図が前面に出てきてしまい、少し興ざめしてしまいました。タイトルにある「挑戦」という言葉は、本来は男からの警察に対する「挑戦」を意味しているのでしょうが、むしろ脚本家の「トリックだけで1時間番組を成立させよう」との挑戦を意味しているようにも思われます。その挑戦の結果は、見る者それぞれの判断に委ねられるでしょうが、個人的には成功とは言い難い印象です。

第448話 黙秘・堕ちた名門夫人!

2008年11月17日 22時55分51秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 北本弘
1986年1月16日放送

【あらすじ】
覚醒剤が主婦層にまで蔓延するなか、特命課は売人の一人を逮捕。売人は共犯としてピアノ教師の名を明かす。だが、特命課が駆けつけたときには、ピアノ教師はマンションの駐車場で胸を刺されて死んでいた。死亡推定時刻は前日の深夜と判明。ピアノ教師の前夜の足取りを追ったところ、ある夫人に電話で会おうと要求し、断られていたという。
その夫人は名門の出身で、夫は大学教授、中学生になる息子は近所でも評判の礼儀正しい優等生だった。夫人を訪ねた犬養と紅林だが、実家の家柄を鼻にかける態度に、犬養は不快さを隠せない。夫人にピアノ教師との関係を追及するが「息子がピアノを習っているだけ」ととぼける。
その後の捜査で、ピアノ教師が事件の数日前に、電車内で女にからんでいた男を注意していたことが判明。前科のあるその男を取り調べたところ、男は「電車の女は知り合いだ」と弁明するが、その女の名前は黙して語らない。犯行時刻のアリバイが確かだったため、釈放するほかなかった。
その後、犬養は新たな売人として、夫人の近所に住む主婦を逮捕。贅沢な生活を維持するために覚醒剤を売っていた主婦を厳しく非難する犬養。だが、主婦は反省するどころか、ふて腐れた態度で「私だけが悪いわけじゃない」と開き直り「大学教授の給料だけで、あんな贅沢ができるはずがない」と、夫人の疑惑を指摘。さらに、夫人がスナックでピアノ教師と密会していたことも明かす。
「夫人も売人の一人では?」との疑惑を抱きつつ、ピアノ教師と会っていた理由を問い質す犬養。夫人は「世間話をしていただけ」ととぼける。退散する犬養に、老人が「お嬢様に無礼な真似をするな」と食ってかかる。老人は、かつて夫人の実家で使用人として働いており、犯行当夜は孫娘の結婚を報告に訪れていた。「犯行時刻には来客中だった」と主張する老人だが、その来客の背格好はピアノ教師に間違いなかった。
夫人を追及したところ、ピアノ教師殺しを自白。だが、動機については頑として口を閉ざす。取調べ中に「息子の学校の保護者面接に行かないと・・・」と口走る夫人。息子の学校を訪れた犬養は、意外なことを知る。息子は一年以上にわたり、同級生から金を脅し取っていた。その動機は、母親と同じく「外面を良くするため」だった。
「子供は親の真似をするもの。彼にもあんたの見栄がうつったんだ」「息子さんを立ち直らすためにも、本当のことを言うんだ」橘や犬養の言葉に、夫人はついに動機を語り始める。ピアノ教師は、女がサラ金から金を借りていることをネタに、覚醒剤を売るよう持ちかけたという。断り続ける夫人に、ピアノ教師は男との関係を世間にバラすと脅す。男は幼い頃に養子に出された夫人の弟であり、電車内でからんでいたのは姉に金を借りようとしていたのだ。前科者の弟がいると世間に知られるのを恐れた夫人は、帰っていくピアノ教師を追って刺し殺したのだ。連行される車内で、それでもピンと背筋を伸ばす夫人。それは、彼女の最後のプライドだったのだろうか・・・

【感想など】
女の虚栄心が生んだ愚かしい事件を描いた一本。例によって、佐藤脚本ならではの女性に対する理屈を超えた憎悪と嫌悪の情念が炸裂しており、出てくる主婦が、どいつもこいつも覚醒剤中毒者か売人、もしくは人殺し、それも何の後悔も反省も、そもそも罪悪感すらない外道ばかり。視聴者の女性不信を倍増させようという脚本家の意図がイヤというほど見て取れます。
贅沢するために借金をするという愚行からして、まず考えられない私ですので、そんな自分をあたかも被害者のごとく振り返る夫人の気持ちなど、理解の範疇を超えています。これはドラマゆえの誇張された人物像であり、現実に存在するはずなど思いたいのですが、実際のところ、どうなんでしょうか?

それにしても、「人とは(佐藤氏の意図としては「女とは」)、ここまで愚かであり、ここまで自分勝手になれるものなのだ」ということを執拗に訴え続ける佐藤氏の情熱には頭が下がる思いですが、そのいささか過剰な情熱のせいか、今回については主婦ばかりでなく登場人物のことごとくが不愉快。
たとえば夫人の息子ですが、あのロボットのような喋り方を見ても、「礼儀正しい」というより「生理的に気持ち悪い」としか思えません。そもそも「礼儀」とは「演技」に他ならず、子供の頃から演技が上手な奴に好感を持てというほうが無理でしょう。
また、実家の格式の高さを自慢する夫人が不快なのは理解できなくもないですが、いちいち突っかかる犬養の態度も、負けず劣らず不愉快(特にタバコの吸い方が)。犬養に関して言えば、今回に限らず、画面の端々での小芝居というか、細かい動きの一つひとつが鬱陶しく感じられてしまう今日この頃です。
その他にも、職場の電話で友達の結婚式の祝儀を相談する江崎婦警や、それに対して「3万円出すんだって?どうしてそんな無理をする?」と大きなお世話を焼く課長まで、すべてにおいて不快感を禁じえない、ある意味で徹底された一本でした。

第447話 約束・消えた女囚!

2008年11月10日 19時45分04秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 村山新治
1986年1月9日放送

【あらすじ】
仮出所を目前に控えた女が、釈放前教育のため女刑務官に伴われて外出する。だが、女刑務官は頭蓋骨陥没の重態で発見され、女は消息を絶った。3年前に女を逮捕した橘のもとに捜査への協力依頼が届くが、橘には女が逃走を図るとは思えなかった。
橘が出会ったとき、女は幼い娘を育てつつ総菜屋で働いていた。何度か客として顔を合わせるなかで橘を刑事と知った女は、暴力亭主についての相談を持ちかける。だが、橘は緊急の捜査のために約束を守ることができず、その夜、女は亭主を殺害した。「自分が約束を守ってさえいれば・・・」橘は自責の念を抱えつつ、娘を実家に預けて自殺を図った女を発見、逮捕したのだった。
娘との再会を楽しみにしている女が、脱走などするはずがない。女刑務官を襲った犯人が、女を拉致したに違いない。そう確信する橘だが、48時間以内に戻らなければ、仮釈放が取り消されるばかりか、脱走の罪で刑期が加算される。女の実家を訪れる橘だが、女からは何の連絡もなかった。母の身の異変を察して不安げな視線を向ける娘に、橘は「お母さんは帰ってくる」と約束する。
一方、特命課は対抗する暴力団の組長を銃撃したヤクザ二人を追っていた。報復のためにヤクザを追っていた暴力団は、なぜか追跡を中止する。ヤクザ二人の車が発見されるが、中からは子供用のハンカチと血痕のついたスパナ、さらには姿を消した女の指紋が発見される。
ハンカチのネームから持ち主を捜し出したところ、狙われた組長が愛人に産ませた子供のものと判明する。女は女刑務官とともに公園で休息中に、居合わせたその子供に娘の面影を重ね合わせ、ボール遊びを楽しんでいた。そこにヤクザ二人が現れ、暴力団の報復を逃れるための取引材料として子供を誘拐。止めようとした女刑務官をスパナで殴り倒し、必死に子供を守ろうとした女もろとも拉致したのだ。
女と子供は廃工場に連れ込まれたが、子供が高熱を出して苦しむ。ヤクザの片割れに見張られつつ、スーパーに食事や薬を買出しに行く女。ヤクザを発見した警官の通報で駆けつける橘だが、子供を案じて手を出せない。買い物客を装って女に接触し、「後のことは任せて刑務所に戻れ」と説得する橘だが、女は「あの子の側を離れることはできない」と訴える。
翌朝、ヤクザ二人は女と子供を連れて車で逃走。空陸両面で追跡する特命課。途中で車を乗り換えるなどして目をくらませるが、危ないところで橘らが追いつく。ヤクザの放った銃弾で負傷しながらも、女と子供を救出する橘。ヘリで女を刑務所へ運ぼうとする橘だが、女は「本当のママに会えるまで、私がママになってあげると約束したんです!」と一緒に病院へ行くことを主張。やむなく、ヘリに二人を乗せて病院へ向かう。子供は無事に病院に担ぎ込まれるが、タイムリミットまで8分。もはやヘリで運んでも間に合わない。「いいんです。娘もきっと分かってくれます・・・」女の言葉に、無力感を噛み締める橘。だが、そこにもう1台のヘリが。降り立ったのは、神代と刑務署長。こうして、48時間以内に刑務所の拘束下に戻ったことで、女は救われる。再び女の実家を訪れた橘は、娘を抱き上げ「お母さんは帰ってくるよ」と笑顔で語りかけた。

【感想など】
不幸な女が愛する娘との再会を願うシチュエーション。交錯する二組の親子の情愛。かつて約束を守れなかった悔いを引き摺る刑事。タイムリミットが生み出すサスペンス。そして空を舞うヘリ・・・夜10時代の雰囲気を再現するかのような本編の脚本を手掛けたのは、これで3本連続の登板となる藤井邦夫氏。ここ最近のメインライターぶりを見ていると、質量ともに充実の域に達している感があり、なかなか見応えのある一本でした。

特に意外性があるわけでもなく、ほぼ視聴者の予想通りに話が進んでいくわけですが、それでも画面から伝わる緊迫感や、登場人物それぞれの情感に引き込まれてしまいうのはなぜでしょう。つまるところ、私たちが刑事ドラマに期待しているのは、事件が解決に導かれるまでの過程を(矛盾や強引さを感じさせることなく)丹念に描くなかで、そこから垣間見える犯罪者や被害者たち、そして刑事たちの抱える内面のドラマだということでしょう。
それぞれの抱えるドラマの中身によって、評価や好き嫌いが分かれることはあるでしょうが、上記の要素をきちんと満たしてさえくれれば、「ああ、今週も見てよかった」とそれなりに満足できるもの。全盛期の特捜には、そうした標準的なレベルの高さがあったと思うのですが、最近はそのドラマが脚本家の一人よがりだったり、共感できなきそうにないものだったり、あるいは解決までの過程が矛盾や強引さに満ちていたり・・・なエピソードが増えているようで、ちょっと視聴意欲が薄れ気味でした。それだけに、こうしたある意味“昔ながら”の味わい(もちろん、藤井氏の脚本だけでなく、特捜初期からのベテラン、村山監督の技量もあるでしょうが)が嬉しく思えました。

ただ、(とどうしてもケチをつけずにはいられない性分ゆえに)一つ気になったのは、ラストの女の行動。度重なる橘の説得にもかかわらず、「本当のお母さんに会えるまでは・・・」と強情をはって病院まで同行したのだから、ここは本当の母親である組長の情婦が病院に現れるまで(実際には、そこまで待っていたらタイムリミットが過ぎてしまったのでしょうが・・・)をきちんと描写するべきではなかったのでしょうか?その点で、やや首尾一貫性に欠けてしまった印象を覚えてしまったことを、ひとこと付け加えさせてください。

第446話 遅れてきたクリスマス・密告電話の女!

2008年11月06日 01時09分37秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 天野利彦
1985年12月26日放送

【あらすじ】
クリスマスを目前に控えたある日、桜井に若い女から「銀行強盗を止めて欲しい」との密告電話が入る。半信半疑で出動する特命課だが、電話の通り、猟銃を隠し持った若者が銀行を襲おうとし、寸前で桜井らに阻まれる。若者の自供からライフルを持った共犯2名の存在が発覚し、両者を追って特命課が出動する。

そんななか、若者の恋人が特命課を訪れる。密告電話の主は、若者に罪を犯させまいとした恋人だった。恋人は4年前に家出して上京した際に、桜井が保護した過去があった。恋人が若者の子供を宿していると知った桜井は、「中絶するよう説得するんだ」と江崎婦警に命じる。「彼女が若いからですか!父親が犯罪者だからですか!」と反発する江崎に有無を言わせぬ桜井だが、一方では取調室の若者にその事実を告げ「罪を償って、二人で育てればいい」と語りかける。だが、若者は「冗談じゃねぇ。だいたい俺のガキか分かりゃしねぇ」と吐き捨てる。若者を殴り倒す桜井の目に、怒りと哀しみが浮かんだ。
恋人に若者の言葉を伝え「それでも育てていけるのか?後悔しないのか?」と問い詰める桜井。そんな桜井に対し江崎は怒りを露わにし、恋人は目を伏せた。

共犯の一人は、倒産寸前の印刷会社の社長。小料理屋の女将に入れあげ、妻に家出されていた。時田は小料理屋、犬養は自宅を張り込む。自宅に残されたのは、小学生の兄と幼い妹の兄妹だけ。寒空の下で張り込みを続ける犬養を見かねて、粗末ながらも心づくしの食事を振舞う兄妹。その夜遅く、コタツを借りて寝ていた犬養は、こっそり帰宅する社長に気づく。飛び出そうとした犬養に「父さん!刑事がいるよ、逃げて!」と兄がしがみつく。社長の逃走を許した犬養は、神代に不手際を詫びる。
「私は面が割れましたし、子供たちにも嫌われました」と張り込みの継続を拒む犬養に、「お前は好かれるために刑事をやっているのか」と問いかける神代。「事件を解決することだけが刑事の仕事じゃない。その事件の周りで苦しんでいる人たちの力になってやるのも、刑事の仕事なんだ。子供たちの父親を逮捕するのが辛いというなら、逮捕される父親をもった兄妹の方がなお辛い」神代の言葉を受けて、再び張り込みに戻る犬養。

もう一人の共犯は、主犯格である前科三犯の男。叶と紅林は男の実家を訪ねるが、そこでは年金暮らしの老母が息子の罪を詫びるだけだった。男からの呼び出しを受けた老母は、叶らの尾行をまこうと、おぼつかない足で雑踏を歩き回る。母親の有難みを痛感する叶だが、杉は「息子が何をしたかわかってるんですかね?」とボヤく。思わずカッとなり、桜井になだめられる叶。怒りの理由が分からず困惑する杉に、紅林は叶が施設育ちであることを明かすのだった。やがて、老母の前に現れた男は、金だけ貰って立ち去る。桜井らは男を逮捕するが、叶は一人、うずくまる老母を助け起こすのだった。

そして、迎えたクリスマスイブ。犬養は兄妹にこっそりプレゼントを届ける。無邪気に喜ぶ妹。だが、兄は犬養の仕業と察してつき返す。「余計なことをしてすまん」と詫びる犬養に「父さんも母さんも、おじさんも、みんな自分勝手なことばかりして、大人はみんな嫌いだ!」と敵意をむき出しにする兄。そこに社長からの電話が。「ごめんな、妹のことを頼むな」と自殺を示唆して電話を切る社長。もはや一刻の猶予もなく、時田は女将から強引に社長の居所を聞き出す。泊まっているホテルを突き止め、踏み込む犬養たち。大量の睡眠薬を飲んだ社長を病院に担ぎ込み、何とか一命は取り留めた。

翌日、橘の説得を受けた社長の妻が、兄妹のもとに戻ってくる。「今日が本当のクリスマスみたい」と無邪気に喜ぶ妹や、犬養に向かって小さく頭を下げる兄の姿に、橘と犬養は目を細めるのだった。同じ頃、叶は男の老母を老人ホームに入れられないかと、区役所に頭を下げていた。そして桜井は、恋人の決意を確かめていた。「産みます。どんなことがあっても後悔しません」恋人の瞳に、厳しい現実を直視し、なおも立ち向かおうとする決意が宿っていることを確かめ、桜井は一人、満足げな笑みを浮かべるのだった。

【感想など】
1979年から82年にかけて、「殺人伝言板・それぞれのクリスマス」「ジングルベルを聞く婦警」「サンタクロース殺人事件」「木枯らしの街で」と、クリスマスといえば塙五郎脚本が風物詩だったものですが、なかでも得意としていたのが、ある事件の捜査を通じて刑事一人ひとりの姿を点描していく手法。今回はその手法を藤井邦夫が受け継ぎ、3人の強盗犯の周囲で不幸を背負う家族・恋人たちと、彼らに手を差し伸べる特命刑事たちの優しさを描いています(それぞれを描写するため、あらすじが長くなったので、◆で区切っています)。

ドラマの中心となるのは、若者の恋人と桜井、社長の子供たちと犬養、主犯格の男の老婆と叶、の3組(なかでもメインはサブタイトルにも現れているように犬養と桜井)ですが、それ以外の刑事たちにもそれぞれ印象的なシーンが用意されています。
たとえば、兄妹の身を案じながらも「私はあの子たちを捨てた母親です。あの子たちが許してくれるでしょうか?」と不安が先立って戻れずにいる社長の妻を「私も同じ境遇です」と、自らの境遇を語りつつ説得する橘。社長の家庭を乱しておきながらも社長の危機には冷淡な女将に、静かな怒りを燃やす時田。恋人が勝手に友達とスキーに行ってしまい不機嫌な杉。犯罪者の不幸な身内たちと、彼らに深く思い入る同僚たちを気遣う紅林。そして、そんな部下たちを暖かく見つめ「今年もあと5日か。みんなよくやってくれた」と一人呟く神代課長(何となくですが、このシーンを見て「課長、老けたな」と感じてしまいました。これもおやっさんが特命課を去り、同世代の人間がいなくなった影響でしょうか?)。それぞれの人間性がうまく描写された、なかなかの好編といえるでしょう。

なかでも、特筆すべきは犬養と兄妹のエピソード。犬養の甘さ、弱さ、そして優しさが、これほど素直に私の胸に響いてきたのは、登場以来初めてです。子供たちに送ったクリスマスプレゼント、それは兄が「大人は自分勝手だ!」と非難したように、子供たちのために見えて、実は犬養の自己満足のための行動でしかないのです。兄の言葉で、そんな自分の汚さを気づかされた犬養は「余計なことをした。すまなかった」と詫びながら「刑事として、一人の人間として、自分が本当にこの子らのためにしてやれることは何か?」との自問自答を繰り返したはず。その答えは、社長を探し、逮捕という形でその命を救うことでした。ようやくそれを成し遂げたとき、犬養ははじめて課長の語った「刑事の仕事」をまっとうできた自分に気づいたのでしょう。課長の台詞の重みも含めて、印象に残るエピソードでした。

ただ、一つ残念だったのが、恋人の妊娠に対する桜井の真意を、ラストで課長がすべて説明してしまったこと。「桜井は彼女に厳しい現実をはっきり見つめさせ、子供を産む決心をさせようとしたんだ」ここまできっちり台詞にしなくとも、桜井の表情を追っていけば、その真意は自ずと分かるというもの。「行間を読ませる」のでなく、皆まで台詞で説明してしまうのは、かえって野暮と感じてしまいます。それは藤井氏の脚本が塙氏の域に達していないからなのか、それとも夜10時台のドラマと9時台のドラマの違いなのか、それとも視聴者がすべてを説明しないと理解できなくなってしまった時代のせいなのか。なんとも残念なことです。

第445話 倉敷-高松-観音寺・瀬戸内に消えた時効!

2008年11月05日 00時02分21秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 宮越澄
1985年12月19日放送

【あらすじ】
退職した高杉元婦警から特命課に「初冬の倉敷に一人旅を楽しんでいます」との手紙が届いたある日、新宿の雑踏で身許不明の女が毒殺された。女の指紋は、先月時効を迎えたばかりの事件の慰留指紋と一致。その事件とは、15年前、医大の事務職員が殺害され、寄付金1億円が強奪されたもので、二人分の慰留指紋が発見されたものの、犯人を割り出すには至らなかった。
女の衣服から発見されたクリーニング店のタグは、岡山市内のものだった。岡山へ飛んだ桜井と時田は、女と同居していた男から事情を聞く。「俺は何も知らん」と口を閉ざした男の指紋は、もう一つの慰留指紋と合致した。
人待ち顔で後楽園を散策する男を捕まえ、15年前の事件を追及する桜井。だが、男は若い女がコートの男に絡まれるのを見て、あわてて立ち去る。若い女の側には、偶然道連れとなった高杉の姿があった。
その後、男がかつて東京に家庭を持っていたことが判明し、紅林らは男の妻を訪ねる。男は元ボクサーだったが、金のために“かませ犬”のような境遇に陥ったあげく、妻子を捨てて女とともに蒸発した。看護婦となっている娘にも事情を聞こうとするが、娘は休暇をとって岡山に旅行中だった。娘を追って、紅林らも岡山へ。
高杉と道連れとなった若い女こそ、男の娘だった。娘は男から送られてきた絵葉書を頼りに岡山を訪れていたが、娘を執拗に追うコートの男を恐れたためか、男は娘の前に現れなかった。娘を追って、高杉と再会を果たす桜井。高杉は四国・高松へと向かう娘と行動をともにし、桜井らはその後を追う。
一方、特命課では、15年前に代議士の犯行を主張していた刑事が、退職後、代議士の事務所で調査員として雇われていることを知る。コートの男はその調査員だった。さらに代議士も四国に渡ったことを知り、神代らも四国へ。香川・観音寺に女の元亭主がいると知り、橘らが訪ねる。女は殺される直前、男とともに元亭主のもとを訪れ、鞄を預けていった。奪った1億円が入っていると思しきその鞄は、今朝早くに男が回収したという。
その頃、娘は高杉の目を盗んで姿を消す。手掛かりは娘が岡山名所のひとつ「落書き電車」でメモしていた「4/6869・19」という謎の数字。「これは、奴が娘に待ち合わせ場所を示した暗号だ。4は四国、68、69は札所の番号、19は今日の日付だ」桜井の推理をもとに、68番、69番札所のある観音寺へ向かう特命課。
再会した男と娘の前に調査員が現れる。女を殺したのも調査員の仕業だった。女は男に無断で代議士に連絡し「1億円を新札に取り替えろ、さもなくば事件のからくりをマスコミに流す」と脅していたのだ。男と調査員がもみ合うなか、特命課が到着し、調査員は逃走。時効を主張する男に桜井は言う。「貴様が本当に時効になってないことは、娘さんがよく知っている」娘が示したのは、小学生時代に父から受け取った香港からの絵葉書だった。犯人が海外逃亡中は、時効のカウントダウンは停止される。男の真の時効は、まさにこの日だった。「お父さん、罪を償ってください」娘の言葉に、観念する男。追跡の末に調査員も逮捕し、彼らの証言によって、捜査の手は諸悪の根源である代議士にも伸びるのだった。

【感想など】
前々話の岡山ロケとあわせて撮影されたと思われる瀬戸内ロケ編。サブタイトルにある通り、岡山県倉敷から香川県高松、さらには観音寺へと、観光地やタイアップ企業を巡りつつストーリーを展開していくため、視聴者としては強引に引っ張りまわされている感があり、あまり感心できません。まぁ、地方ロケものというだけで、最初から期待していないのですが・・・
ストーリー的には、金のために捨てたはずの妻子を忘れられない男と、そんな男を信じ続けた妻と娘の絆を描いた一本。数少ない男と娘の絆=香港からの絵葉書が、男の時効不成立の証拠となるという皮肉がドラマに奥行きを与えている、とも取れるのですが、肝心の男がそのことを理解していないため、さほどの効果がありません。また、娘が父に会おうとするそもそもの目的が父親に自首させることなので、時効不成立を証明する際にも(ためらいはあっても)さほどの葛藤がないので、余計にもったいない印象。
ここは父親が「娘と会うこと=時効不成立を証明すること」と知っていながらも、それでも娘恋しさを押さえきれない、という展開か、時効を成立させるために娘には会えないが、苦労させたお詫びに金だけは渡したい→他人を装って金を渡そうと接近→娘も父親を逮捕させないために他人を装う→しかし、二人とも他人を装った再会に耐えかねて、素性を明かしてしまうという展開(これだと「地図を描く女」の焼き直しになってしまいますが)にした方が、ドラマ的に盛り上がったのではないでしょうか。

また、今回のトピックとしては、第440話で退職した幹子が早くも再登場したことが挙げられます。なんでこんな早々に再登場するのか腑に落ちない視聴者も多かったのではないかと思いますが、その理由を私なりに推測してみました。前々話でも触れたように、このロケは橘役の本郷氏が岡山出身だったことで決定したもので、前々話の脚本を担当した長坂氏が「本郷の地元の知り合いのところを、大名行列のようにぞろぞろまわった」と著書で振り返っているように、俳優およびスタッフ陣の慰安もかねたロケだったのではないかと思われます。そこで、7年間にわたるお勤めを終えた関谷ますみさんも一緒に行くことになり、せっかくだからと登場させたのではないでしょうか。
そうした気配りにケチをつけるつもりはありませんが、脚本的にはせっかくの再登場を活かせているとは言い難いものがあり、いかがなものかと思わざるを得ません。