特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第402話 雪明りの証言者!

2008年04月30日 02時37分06秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 辻理

冬の夜、一年前の強盗殺人事件の容疑者を逮捕した特命課。凶器のナイフから容疑者の指紋が検出されたことが決め手だったが、男は「ナイフはドヤで盗まれた」と犯行を否定。犯行当日は猪苗代の温泉宿に行っていたとアリバイを主張する。「証人はいるのか」と問い詰められた容疑者は「老人を負ぶって歩いている女に会った」と語る。
猪苗代に飛んだ橘は、地元の警察から「該当する女性はいない」という調査結果を聞かされる。念を押す橘だが、その日は地元で事件が起こっており、記憶違いということはあり得ない。その事件とは、寝たきりの老父を息子が殺したというものだった。
自分では身動きもできない老父を、凍えるような納屋の中で置き去りにし、凍死させる。残酷な殺し方とは裏腹に、息子夫婦は老父を大切にしていたという。服役中の息子を訪ねた橘に、息子は「親父が望んだこと」と答える。東京で子供と二人暮らしの妻もまた「おじいちゃんが死にたいって言ったんです」と搾り出すように語り、老父を負ぶって歩いたことは否定する。
一方、特命課は、容疑者からナイフを盗んだ男の存在を確認。また「この中にお前が会った女はいるか」と複数の写真を見せられた容疑者は、「この女だ」と妻の写真を言い当てる。容疑者の証言が確かならば、事件当夜、妻はなぜ老父を負ぶって歩いていたのか?橘は、老父を凍死させたのは妻ではないかと推測する。橘がマークするなか、過労のために倒れる妻は。昼も夜もなく働き続ける理由は「夢を見たくなかったから。働いて働いて、何も考えられないくらい疲れてから眠りたかった」からだった。「貴方はいずれ、耐えられなくなる。そのとき、真実を知ったお子さんが許してくれるでしょうか?」罪の意識に苦しむ妻を救おうとする橘だが、子供を目の前にして、妻が事実を語れるはずもなかった。
当日の妻の足取りをつかむべく、再び猪苗代に向かう橘。そんななか、妻が子供を残して姿を消したとの連絡が入る。「お母ちゃんはおじいちゃんに会いに猪苗代に行きます。そしたら、お父ちゃんは帰ってきます」残された書置きを見て、妻が自殺するつもりだと察した橘は、拘留中の息子に書置きを見せ「奥さんがおおじいさんを凍死させたのはどこなんだ」と迫る。「身代わりになることが思いやりだと思っているのか?真実を明らかにして楽にしてやることが、本当の思いやりじゃないのか?」橘の言葉に、ついに息子は真実を語る。
父親から「早く楽にしてくれ。極楽に行かしてくれ」と頼まれ続ける日々は、息子にとって地獄だった。それを見かねた妻が、二人を楽にさせるために選んだのが、老父の望み通りに凍死させることだった。事態を知った息子は、妻と子供のために、自分が罪をかぶることを選んだのだ。息子の証言を得て、村外れの小屋に急ぐ橘たち。小屋の中で、妻は手首を切って倒れていた。無事に救出された妻の証言で、容疑者のアリバイは成立。真犯人も逮捕された。
事件当夜、老父は不自由な身体で自殺を図ったのだという。「そのとき、おじいちゃんは死んだ方が幸せだと思いました」どこか安堵したように、その夜を振り返る妻。そこに釈放された息子が子供とともに現れる。「今度は、俺が待っているから。いつまでも・・・」

老人介護の難しさと、安楽死という哀しい選択の是非を問いかける一本です。藤井脚本だけあって、早々に展開が読めてしまうものの、本編の主旨は謎解きやドラマ性にあるのではなく、ヘビー極まりないそのテーマ性にあります。
ただ、少し残念なことに、ドラマ内ではそのテーマ性をメインに据えることなく、加害者である妻の心の救済が軸となっています。「私たちはただの刑事だ。他人の人生を左右するほど偉くはない。しかし、真実を隠して、その重さに押しつぶされそうになっている人を、少しでも楽にしてあげることはできる」橘の台詞自体は非常に味のあるものであり(どこかで聞いたような気もしますが・・・)、妻を演じた左時枝さんの切ない演技も見ごたえはあるのですが、老父を安楽死させるという妻の行為を肯定的に描くようなストーリーには、納得いかない(というより納得してはいけない)ものがあります。
実際に寝たきりの親を抱えたことのない私が言っても説得力が無いことは十分承知の上ですが、「死んだ方が幸せ」という結論は、決して出してはいけないものだと思います。別に宗教的なものでも何でもなく、「生命の大切さ」という、言葉にしてしまうと何とも陳腐になってしまうものを、それでも口にし続けなければならないのが昨今の世の中です。自分の命や他人の命をゴミのように軽視する連中を見ていると、「それでも生き続けることが、この世に命を得たものの義務だ」などと、奇麗事を言ってみたくなってしまいます。
本編の妻や息子たちは、決して命を軽視しているわけではなく、悩み、苦しんだ末に哀しい選択をします。同情すべき境遇であり、救ってあげたい(実際に橘は尊属殺人ではなく自殺幇助として処理するよう奔走していましたが)のはもちろんですが、しかし、それでも「奥さん、あなたのしたことは間違っている」と、誰かに言って欲しかったのです。

第401話 盲導犬バロン号の追跡!

2008年04月28日 23時14分52秒 | Weblog
脚本 広井由美子、監督 辻理

雨の中、盲目の少女と出会った叶。自宅まで送ったところ、バロンという犬を連れた娘が少女を待っていた。嬉しそうに犬の頭をなでる少女だが、娘の声を聞いた途端に顔色を変え、「帰って!」と罵る。哀しげに立ち去る娘を、叶は黙って見送るしかなかった。
その頃、特命課は若い女性ばかりを狙った連続殺人事件を追っていた。金品は奪われてなく、暴行を受けた形跡もないため、女性を憎む変質者の犯行と見られていた。ある現場で、犬を連れた若い女を見たとの証言を得た叶。それが少女を待っていた娘ではないかと直感した叶は、公園で娘を発見する。娘は犯人とぶつかっていたが、顔までは覚えていない。だが、バロンは犯人の匂いを覚えているはずだった。
叶に少女との関係を語る娘。暴走族に加入していた娘は、無謀な運転のため、少女とその両親の乗る車を事故に合わせてしまう。その結果、両親は死亡し、少女は光を失った。娘はせめてもの罪滅ぼしとして、バロンを盲導犬として訓練していたのだ。
偶然、少女と再会した叶は、少女が娘に対する恨みを忘れようと努めていることを知る。和解のきっかけになればと、少女に娘の行為を伝え「気が向いたら公園に行ってみるといい」と勧める叶。
その夜、公園付近でまたしても若い女が殺される。現場には「バロン号」とネームの入った首輪と、盲人用の杖が落ちていた。娘とバロンに会うために公園を訪れた少女が、偶然、犯行現場に出くわし、犯人に連れ去られたのだ。一足遅く公園を訪れた娘は、叶から事情を聞かされショックを受ける。自分を許すために公園を訪れたことが、少女の身に悲劇を招いたことを知り、やり切れない思いを抱える娘。それは叶も同様だった。
少女が消えたまま数日が過ぎるが、Gジャンにパンクヘアの若者という目撃証言以外、手掛かりはない。少女の身を案じる余りに自分を責め続ける娘を、優しく励ます叶。そんななか、バロンは美容院の匂いに敵意を見せる。犯人には美容院の匂いが染み付いていたのだ。捜査への協力を申し出た娘は、バロンを連れて美容院をしらみつぶしに回る。ようやく不審な若者を見つけた娘だが、確証が得られず、叶に黙ったまま若者を尾行する。
同じ頃、橘らの捜査で犯人の素性が判明。娘と別れた後、犯人の勤め先を聞いた叶は、それが最後に寄った美容院だと気づく。慌てて娘を追う叶だが、娘はバロンを残して姿を消していた。バロンとともに娘を探す叶。ようやく郊外の倉庫で娘を発見。倉庫内に潜んでいた若者を逮捕する特命課。若者は美容院の女性店員にこき使われ、若い女すべてを憎むようになっていた。だが、無垢な少女を殺すことはできなかった。無事に救出された少女にバロンが駆け寄る。娘が握った手を、しっかりと握り返す少女。その光景を見つめる叶の口元に、安堵の笑みが浮かんだ。

盛り上がりもなければ意外性もなく、引き込まれるようなドラマもなく、ただ淡々とストーリーが進んでいき、見終わっても何の感慨も無い一本。そんな中でも目を引くのは、被害者(=盲目の少女)ではなく「加害者(=元暴走族の娘、ちなみに演じるのは三原じゅん子)の心の救済」というテーマが目新しいことくらいですが、娘に同情する気持ちが湧かないことや、許す側の少女の気持ちがよく分からないこともあり、感情移入できないままに見終わってしまいました。
あと、気になったのは、ラストシーンで紅林が言った「お前みたいな奴でも、さすがにあの子だけは殺せなかったようだな」という台詞。少女が無事だったのは、もちろん喜ばしいことですが、他の被害者たちは殺されても仕方なかったみたいな物言いが気になり、「紅林にそんな無神経な台詞を言わせないで欲しい」と文句をつけたくなりました。

第400話 父と子のエレジー!

2008年04月26日 01時24分50秒 | Weblog
脚本 長坂秀佳、監督 天野利彦

ある事件を通じて父と子の情愛に触れた的場は、長く断絶状態だった父親に会う決意をする。父の勤める調査会社を訪ねたところ、風邪のため寝込んでいるという。訪ね当てた父親の家は、炎に包まれていた。炎の中に突っ込み、倒れていた父親を救出する的場。だが、父親は何者かに殺された後だった。
捜査に乗り出した特命課は「火の出る直前に現場から走り去る赤い車があった」との目撃証言を得る。また、元刑事だった父親の捜査記録を調べたところ、10年前、最後に担当した誘拐事件が浮上する。子供は無事に戻ったものの、身代金は奪われ、犯人は謎のままに終わったため、世論は警察の失態を非難。捜査陣の中で唯一責任を取って辞表を出したのが父親だった。そんな父親の態度を「辞めるのは逃げだ。刑事なら、犯人を逮捕することで責任を取るべき」と責める的場。
誘拐事件の有力な容疑者は、父親の勤める調査会社のオーナーだった。さらに、父親にとっては軍隊時代の上官であり、幼い的場の命の恩人でもあった。現場から逃走した車の車種が、容疑者の娘の車と同じであることも判明し、的場らは容疑社宅を訪ねる。だが、娘の車の色はグレーであり、事件とは関係ないように思われる。
父親の遺品から、最近の的場の写真が御守りとともに出てくる。調査会社を捜索したところ、オーナーである容疑者の指示で的場の身辺を調査していたことが判明。父親は息子を調査することを拒んで辞表を出したが、容疑者に拒絶され、風邪と偽り休むことしかできなかった。
その後の捜査で、父親が身代金の引き渡し現場を撮影していながら、その写真を隠していたこと知る。父親宅の焼け跡から発見された写真には、犯人の腕にある痣が映っていた。父親が庇った犯人は、恩人である容疑者に他ならないと睨む特命課。「父親が的場に手柄を立てさせようとして真相を語るのではないか」と恐れた容疑者が、口封じのために父親を殺害したと推理する。自分が調査会社を訪ねたことが事件の引き金になったと知り、慟哭する的場。神代は目を潤ませ「お前に話すべきか迷ったが、皆で話し合い、事実を伝えようと決めた」と語る。「教えていただいて、感謝します」と涙をこらえる的場に、神代は続けた。「このホシは必ず、我々の手で挙げる」
容疑者の腕には痣でなく、火傷の跡があった。火傷を負う前に痣があったかどうかを知るのは、容疑者の娘のみ。桜井は、現場から逃走した車が、やはり容疑者の娘の車だったと主張し、娘を連行する。「赤い車」と証言した目撃者は、長時間、緑色の看板を見ていた。その目でグレーの車を見たとき、残像効果による錯覚で赤く見えたのだ。容疑者の無実を信じる娘だが、車から容疑者の指紋が出たと知り、ショックを受ける。自暴自棄になって車を暴走させる娘を、必死で制止する的場。父親の仇の子である自分を、身を挺して救おうとした的場の態度に、娘は「お父さんを捕まえてあげて・・・」と真実を語る。「殺すつもりはなかった・・・」と両手を差し出す容疑者に、的場は自らの手で手錠を掛けた。
事件解決後、父親の責任を取るべく辞表を出し、特命課を去る的場。だが、特命課の刑事たちは知っていた。的場が亡き父親との和解の道を歩み始めたことを。

的場四部作の完結編。お得意の「父と子」のテーマはもちろん、車の色の錯覚など、長坂らしさは存分に発揮されていますが、容疑者の痣をめぐる真相追及の流れは、ちょっと理詰めすぎて面白みに欠ける印象。容疑者の娘と的場の父親の交流なども、やや消化不良に思われます。とはいえ、容疑者役に根上淳、的場の父親役に土屋嘉男という、400回記念にふさわしい豪華な布陣もあって、演技・演出面ではなかなかの見ごたえ。特にMATとMJの隊長(さらには後のXIGのコマンダーも)の揃い踏みは、さすがに重厚な迫力がありました。
なお、冒頭にある「ある事件」とは、言うまでもなく「摂氏1350度の殺人風景」のこと。本来は直前に放送されるはずが、間に「少女・ある愛を探す旅」が挟まってしまったことは既述の通りです。「摂氏・・・」で示された的場と父親の確執の背景には、刑事としての職務と、息子の命の恩人に対する恩義の板ばさみになった父親の苦しみがありました。父親の死の謎を追うなかで、的場はそれまで知らなかった父親の実像を知り、自分への愛情に気づかされます。しかし、的場の知った真実は過酷なものでした。父親の死の原因は、自分に手柄を立てさせようとする思いであり、そして直接の引き金となったのは、父親に歩み寄ろうとした自分の行動だったのです。こうした二重の痛手を乗り越えられたのは、神代をはじめとする特命課の刑事たちの支えがあったからこそ。目の前で父親を失った的場に対する刑事たちの優しさは、彼ら一人ひとりが過去に痛手を抱えているだけに、ひときわ胸に迫ります。
わずか4話で特命課を去ることになった的場ですが、後に第428話「追跡・ラブホテルの目撃者!」で一度だけ再登場を果たします。そのとき、的場がどれだけ成長した姿を見せてくれるか、今から楽しみにしたいものです。

第399話 少女・ある愛を探す旅!

2008年04月22日 02時11分12秒 | Weblog
脚本 長坂秀佳、監督 天野利彦

飛び降り自殺を図った娘を救出した特命課。橘に氏名や住所を問われた娘は「私には戸籍がない」と告白する。娘は父親不明の私生児として誕生。中学を卒業して働き始めた頃、母親は男とともに蒸発。以来、風俗店を転々として生計を立ててきた。娘に戸籍を作ってやるには、母親を探し出す必要があった。大事件ではなくとも、娘の人生に関わることであり、神代に捜査を申し出る橘。一方、的場は娘の持っていた写真をもとに、母親が指名手配中の容疑者だと突き止める。手柄顔の的場を「あの娘の気持ちになってやれ」とたしなめる橘。事情を知った娘は、母親探しへの協力を申し出る。
四年前、母親は前科者とともに拳銃強盗を働き、その際、駆けつけた警官の一人が射殺された。前科者は間もなく逮捕されるが、母親は拳銃をもったまま逃走。警官を撃ったのは母親だと見られていた。拘留中の前科者に問い質す橘たち。前科者は「俺が一発撃っただけで、その弾丸は外れた。母親は一発も撃っていない」と主張するが、母親の居所については硬く口を閉ざす。
一方、四年前の事件を調べ直した桜井は、死亡した警官の倒れ方から、銃弾が身体の側面から命中したことに気づき「警官に命中したのは、仲間の警官が撃った銃弾ではないか」と推測する。桜井の推測が正しければ、母親に掛けられた殺人者の汚名を注ぐことができる。それを立証するには、母親を探し出し、拳銃の残弾を確認するしかなかった。前科者を説得し、母親が教会で働いていることをつかむ橘だが、母親は「警察が訪ねてきたら、探し物は実家の井戸にあると伝えて欲しい」との遺言を残し、一年前に死んでいた。
母親の実家を探し出すべく、娘に協力を求める橘。母親の過去にショックを受け、捨て鉢な態度を見せる娘に、橘は自分の調べた娘の過去を語り出す。「君は、客に身体を許すことだけはしなかった。店を転々とした理由もそれだ」娘なりのプライドを認める言葉に、娘はようやく橘を信じる。
母親と親しかったバーのママや、懇意にしていた不動産屋を訪ね歩くなかで、橘や娘は、世間から「ふしだらな女」と見られていた母親の真実の姿を知る。母親もまた私生児であり、自分と同じ私生児を生んでしまった後悔から、男を寄せ付けようとしなかった。その一方で、借金を押し付けて逃げた男との間にできた娘に対しては、深い愛情を注いでいたのだ。自分に注がれた愛情を知ったとき、娘の胸中に、自分を捨てた母親を許す気持ちが芽生え始める。「お母さんだって、一度くらい、恋がしたかったんだよね」
やがて、橘は母親から娘に受け継がれた方言を手掛かりに、母親の実家を探し出し、古井戸から拳銃を引き上げる。母親の無実の証拠、そして愛情を探す長い旅を終え、涙ぐむ娘。そんな娘を、橘は優しく抱きしめるのだった。

第230話「ストリップスキャンダル」や第355話「トルコ嬢の幸せ芝居」と並び、再放送から抹殺され続けてきた、いわくつきの一本。本放送時にも予定より一週遅れで放送され、その結果、前話と放送順が入れ替わるという事態を生んでしまったのは先述した通りです。
長坂氏の著書によれば「戸籍のない人間」という設定が差別につながるというのが理由だそうですが、何がまずいのか、正直よく分かりません。むしろ、戸籍を得るための手続きを説明する際に、桜井が放った「外国人に日本国籍を与えないための制度さ」という台詞が問題だったのでは?と勘ぐってしまいました。最近になって、民法772条の改正問題がクローズアップされ、「戸籍のない子供」が話題に上りましたが、ひょっとして、DVD収録やファミ劇での放送が可能になったのも、こうした話題が浮上したおかげでしょうか?

「お前は戸籍がないんだから、世間から目立たないように」と娘に言い聞かせ続けてきた母親に、最初は憤りを見せていた的場たちですが、やがて母親もまた私生児(戦後のどさくさに、祖母が米兵との間に生んだのが母親)だったことを知り、その悲痛な胸の内を思いやります。「哀し児(かなしご=私生児の方言)が哀し児を産んだ」という哀れさ、それは、自分と同じ苦労を愛する我が子にも背負わせてしまうという後悔と同時、「この子も私同様、決して幸せにはなれない」という絶望感にあるのでしょう。母親は娘を捨てて男と逃げたのも、その裏には「自分の過ちのために幸せになれない娘」をこれ以上見ていたくないという思いがあったのではないでしょうか。祖母から母親、そして娘へと受け継がれてきた哀しい連鎖が、橘の温かい手によって断ち切られることを、心から祈らずにはいられません。

第398話 摂氏1350度の殺人風景!

2008年04月18日 02時08分06秒 | Weblog
脚本 長坂秀佳、監督 松尾昭典

ある朝、指名手配中の男の死体が発見される。特命課は、死体の着衣に付着していたガラスから、付近のガラス工場を捜索。工場内から凶器と見られる血痕のついたレンガ片が発見され、そこが殺害現場と考えられた。
工場主はガラス工芸の世界で名人と称されていたが、酒と女に溺れて妻子に苦労をかけた挙句、10年前に蒸発。妻は苦労がたたって数年前に亡くなり、工場は息子が跡を継いでいた。工場の鍵を持っているのは、その息子と行方不明のままの父親のみ。息子は一晩中自宅にいたというアリバイがあったが、かつて被害者に罪を押し付けられて服役したという因縁があった。タクシー運転手の証言からも、被害者が息子を訪ねてきたのは間違いない。息子を犯人と決め付ける的場だが、紅林は「先入観を持って捜査に臨むのは危険だ」とたしなめる。
美術商を訪れた紅林と的場は、息子が仕事に行き詰まっていることを知る。期日までに父親の名作と同じものを作らなければ、ガラス工芸人としての前途を絶たれてしまうのだ。美術商から知らされた父親の住所を訪ねる紅林たち。父親は、息子が困難な仕事と殺人容疑という二重の窮地に陥っていると知りつつ、「俺の知ったことか」と無関心を決め込む。その態度に、激しい怒りを見せる的場。だが、紅林は父親が態度とは裏腹に、息子の作品作りを助けに工場を訪れたのではないかと推測する。その推測を息子にぶつけたところ、息子は「俺や母親を捨てた奴が、今頃俺を助けに来るはずがない」と吐き捨てる。確かに親子は互いに憎みあっている。だが紅林には、それが互いを求め合う愛情の裏返しではないかと感じられた。
現場に残された作業着のポケットから米粒を発見した紅林は、それが少量だけ流通している新種だと突き止める。その米の流通ルートをたどったところ、父親と懇意にしている米屋に行き当たる。息子への罪滅ぼしのように、米屋の子どもを可愛がる父親。その姿に、息子への確かな愛情を確信した紅林は、息子の期日が今夜限りだと告げる。
雨の中、父親の訪れを信じてガラス工場で待ち続ける紅林と的場。的場は父親が来るはずがないと、紅林に反発する。「あんたは親子の情愛を奇麗事に考えすぎてる。グレた息子とぐうたら親父の関係が分かってないんだ!」と叫ぶ的場。それは、自らの父親に対する感情そのものだった。それを察した紅林は「お前の過去に何があったかは知らん。しかし、いつまでも過去にいじけた目で人を見るのはよせ!」と的場を諭す。
やがて、工場に現れた父親は、かつての腕を発揮し、かつての名作と寸分違わぬものを作り上げる。工芸品を作り終えた父親は、紅林に自らの犯行を認める。連行される父親に「親父!」と泣きすがる息子。父親は「俺の仕事を見ていたな」と確かめつつ、息子を抱きしめる。そんな二人の絆を前に、的場は父から息子へ、技術と確かな愛情を伝えた工芸品を、じっと見つめるのだった。

長坂秀佳シリーズ第2弾。次々回放送の第400話「父と子のエレジー」との前後編的な意味合いがありますが、本来予定されていた「少女・ある愛を探す旅」の放送が一週延期されたことで、放送順が狂ってしまい、その繋がりがぼけてしまったとのこと。詳細は400話のレビュー(現時点で未見)に譲りますが、長坂氏としてはさぞ無念だったでしょう。
そんな事情は別として、本作を振り返って見ますと、父親に織本順吉、息子に河原崎建三と、個人的に思い入れの深い名優を迎えつつも、正直なところ今ひとつな印象。原因としては、「父と息子の情愛」がテーマでありながら、肝心の二人の間の愛憎についての描写が浅いことかと思われます。ガラス工芸や米の新種などに時間を費やしてしまったことも一因ですが、脚本の意図としては、それらを的場と父親の愛憎に仮託することで表現したつもりかと思われます。とはいえ、的場と父親の関係が描かれるのは第400話を待たねばならず、仮に先述した放送順の変更がなかったとしても、1話完結のTVドラマとしては失点と言えるでしょう。
また、「父と息子」というテーマに紅林を持ってきたのも、テーマがぼけた原因ではないかと考えます(脚本家が主役刑事を選べるかどうかは不明ですので、一概に脚本のミスとは言い切れないのですが・・・)。紅林と言えば、第257話「母・・・」や第315話「面影列車」で語られたように「母と子」を軸に語られた刑事であり、その紅林に「父と子」の関係を語られても、正直入り込めません。父親の立場であれば橘、息子の立場であれば吉野が適役であったように思えるのですが、いかがでしょうか?

第397話 銃弾・神代課長撃たれる!

2008年04月14日 23時24分26秒 | Weblog
脚本 長坂秀佳、監督 辻理

深夜の路上で神代が何者かに狙撃される。「電話」とだけ言い残し、手術室に運び込まれる神代。一人で特命課に残っていた神代が、何者かに電話で呼び出されたのではないかと推測した橘らは、神代の机にある録音装置付きの専用電話を調べる。だが、すでに何者かが特命課に侵入し、強力な磁石で録音を消した後だった。神代が机に残した「XX」というメモは、何を意味するのか?
別件で張り込み中に、偶然、狙撃現場を目撃した若手刑事・的場を加え、捜査を開始する特命課。的場自身は狙撃者を見ていなかったが、付近で寝ていた浮浪者が目撃している可能性が高かった。
一方、紅林らは、日本政府高官が米国企業からの次期戦闘機の購入に関する密約を交わした「XX(ダブルエックス)計画」の存在をキャッチ。神代は「XX計画」に関するタレコミを受け、呼び出されたのではないかと推測する。
やがて、意識を取り戻した神代は特命課の推測を肯定。タレコミの主は、米国企業の社員だったが、神代が狙撃されるのを見て逃走したものと思われた。狙撃の手口から、ある凄腕の殺し屋の仕業と推測する神代。米国企業に雇われたと思しき殺し屋は、逃げた社員、そして目撃者である浮浪者を狙うはず。浮浪者の行方を追う特命課だが、時すでに遅く、浮浪者は事故に見せかけて消される。責任を感じた的場は、自らの手で事件解決を誓う。
その後、社員から神代宛てに電話が入る。証拠となる書類はすでに友人に託したとのことで、友人からの受け渡しの日時を伝える社員。肝心の友人の目印については、殺し屋の盗聴を懸念して「虫歯に悩んでいる」とのみヒントを送る。直接面談することを強く要求し、橘と桜井を社員のもとに向かわせる神代。だが、社員の懸念どおり電話が盗聴されていたらしく、すでに殺し屋の手に掛っていた。
後は指定された待ち合わせ場所で、顔も知らない友人が現れるのを待つしかないが、殺し屋が手をこまねいているはずがない。「奴は爆弾を使い、書類もろとも友人を粉々にしようとするはず」と推測する神代。殺し屋を確認できるのは、かつて一度だけ顔を見たことのある神代だけ。手術明けの身を顧みず、ベッドから指揮を取る神代。待ち合わせ場所付近に設置したTVカメラからの映像で、近づく者を逐一観察。サーモグラフィ(物体から放射される赤外線を解析し、物体の温度分布を画像表示する機械)を駆使して凶器の所持を確かめるが、つかまるのは雑魚ばかり。
その間にも、無理がたたって危険な状態に陥り、再手術を余儀なくされる神代。事件解決まで手術を拒絶する神代に「輸血で時間を稼ぎますが、それも血圧が80を切るまでですよ」と条件を出す医師。追い詰められるなか、神代の頭脳が冴えわたる。「虫歯」をヒントに、サーモグラフィで友人を割り出し、吉野に確保させるが、その動きを察知した殺し屋が行動を開始する。バイクで現場に現れた殺し屋を神代が確認。桜井らが逮捕する。だが、殺し屋は爆弾を所持していない。「バイクのタンク!」手術室へと運び込まれながら、喘ぐように指摘する神代。咄嗟にバイクに飛び乗り、人込みから離れようと走らせる的場。いつ爆発するかわからぬ恐怖の中、必死に駐車場まで走らせると、的場が飛び降りたとたんに爆発する。大仕事をやり遂げた的場を、手荒く称える刑事たち。
やがて、回復した神代は無事退院。友人から託された証拠書類をもとに、疑獄事件の追及は検察の手に託されるが、日米の関係者が口を閉ざす中、どこまで真相が究明されるかは霧の中だった。

今回から約30話ぶりに長坂秀佳が脚本に復帰。若手刑事・的場をメインに据えたエピソードを四本連続で手掛けています。的場を演じるのは、ウルトラマンガイアのコマンダーや牙狼のお父さん、電王の映画版の悪役などでお馴染みの渡辺裕之氏。まだデビューしたてとのことで、実に若々しい演技が新鮮です。また。彼とからむことで先輩刑事一人ひとりの個性もまた際立つなど、長寿番組に程よいアクセントを与えたのではないでしょうか。ちなみに、的場登場の理由はおやっさん不在の穴埋め。かつて桜井が米国研修で不在時に早見刑事が登場したのと同じパターンですが、不在の理由に何の説明もないのがちょっと残念です。
それはさておき、爆弾、暗号、最新技術、国際疑獄、殺し屋、タイムリミットと、長坂氏お得意の小道具をこれでもかと網羅した本編は、久々に特捜らしさを満喫できる一本。ラスト近くの強引な引っ張り方といい、良くも悪くも長坂節健在、という印象です。また、まさに命賭けで捜査を指揮する神代課長の鬼気迫る表情が事件の尋常でなさを印象づけ、時折挿入される殺し屋が爆弾を用意するシーンが緊迫感を盛り上げるなど、演技・演出面の充実ぶりも目覚ましく、画面を見ているだけで何ともいえない迫力が伝わってきます。
娯楽性に徹する余り、ドラマ的な語りどころは特にないのも確かですが、今回のような畳み掛ける展開も特捜の魅力の一側面。個人的には充分満足できるエピソードでした。

第396話 万引き少女の告白!

2008年04月09日 20時23分02秒 | Weblog
脚本 阿井文瓶、監督 天野利彦

議員の妻が宿泊中のホテルの一室で首吊り自殺を遂げた。検死の結果、後頭部に挫傷が発見され、偽装自殺だと判明。死体の発見者である議員と秘書は、その部屋からビラを持った若い女が飛び出していくのを目撃していた。そのビラは、アフリカの子供たちを救済する募金に関するものだった。
捜査に乗り出した特命課は、ビラに残った指紋を照合するため、クリスマスに賑わう街で、募金に立つ若者たちからビラを集める。そんななか、桜井の目前で、ある娘が倒れる。募金に精を出す余り、疲労と空腹のために倒れた娘を見かねて、食事をごちそうする桜井。だが、やがてビラの指紋がその娘のものだと判明する。
娘のアパートを訪ねる桜井と叶だが、娘はスキを見て逃走。娘の消息を追う桜井に、娘の友人が手袋を差し出し「彼女が万引きしたものです。これを返しますから、許してやってください」と告げる。娘が万引きしたというデパートで事情を聞く桜井。金のためでなく、スリルを楽しむために万引きを働く社長夫人の姿を見た桜井は、「議員の妻も同類だったのではないか」と推理する。デパートの担当者は、重い口を開いて桜井の推理を認め、娘と議員の妻が同じ日に万引きを働き、デパートの事務所で出会っていたことを明かす。そして、新聞記者がその事実を嗅ぎ回っていたことも。
友人宅に身を隠していた娘を発見し、事情を聞き出す桜井。デパートでともに万引きが発覚した後、議員の妻が声を掛け、娘が万引きした手袋を買い与えたのだという。妻は心の病から万引きを繰り返す自分に悩んでおり、娘からアフリカ救済の話を聞き「募金させて欲しい」と言い出した。だが、約束どおりホテルを訪ねたところ、議員と秘書が妻を詰問しており、娘を追い返したという。
議員らは嘘をついているのだろうか?だが、何のために?記者のもとを訪ねた桜井は、議員の妻の万引きを記事にしようとしたのは、同じ選挙区の代議士の指示だと知る。国会議員の定数是正問題にからみ、議席を争うことになる議員のスキャンダルを狙ったものだった。
一計を案じた桜井は、囮として高杉婦警を娘の部屋に泊まらせ、口封じのために娘を狙ってきた秘書を取り押さえる。妻を殺したのは議員だった。スキャンダルを恐れるあまり、妻を詰問していて勢いあまって殺害してしまったのだ。議員のもとを訪れ、娘の配っていたアフリカ救済のビラを見せ付ける桜井。議席の獲得に血道をあげ、人々の暮らしを顧みようとしない議員に、桜井の怒りが爆発する。「街では何万、何千人という人が寄付している。いたたまれんからですよ。だが、本当に何とかしてやれるのは、あんたたち政治家しかいないだろう!」

「女性の犯罪体験手記シリーズ」のラストを飾る本編は、なかなか考えさせられる一本でした。どこまでが万引き少女の手記にもとづくものかは、かなり疑問であり、おそらくアフリカ救済に関する政治家の無力を糾弾するくだりは、脚本家の(やや暴走に近い)オリジナリティーが付与されたものかと思われます。
本来、日本の政治家が為すべきことは、日本国民の安寧を守ることであり、アフリカ救済よりも日本国民の救済が優先させるのは言うまでもないこと。とはいえ、国際社会での貢献が、めぐり巡って日本の経済にも跳ね返ってくる現在、アフリカをはじめ途上国への貢献も必要であることも間違いありません。現在の日本は(なぜか、もはや経済大国である中国にまで)巨額のODAを行っていますが、それが結果として飢えに苦しむ子供たちを救うことにつながらければ、それこそ血税の無駄遣い。ただ金を出すだけでなく、本当の意味で救済に繋がるような活動をするためには、有志のボランティアに頼るのでなく、やはり政治の力が必要でしょう。「あんたたちしかいないだろう!」という桜井の叫びは、決して政治家にすべての責任を負わせて他人事を決め込むのではなく、「為すべき立場にいるものが、何一つ為すべきことを為さない」現在の政治に対する怒りに他なりません。

個人的な、それも余り特捜本編と関係ない話で恐縮ですが、私はあまり募金(特に街頭募金)と言うものが好きではありません。実際に募金に立つ方々にはそんなつもりは毛頭なのでしょうが、街頭で募金を求められるたびに、なぜか「善意があるなら募金せよ→募金をしない貴様は人でなしだ」と責められているような、いたたまれない気持ちになるのです。
反感を買うのを承知でさらに言えば、募金をする方々に共通する「私たちは正しいこと、恵まれない人々のためになることをやっている」と確信し切っているような態度が、あまり好きになれません。今回のエピソード中でも、娘が「外でお食事ですか?食事代を100円節約して、寄付してください。100円で一人の子供が一日生き延びられるんです!」などと募金を迫る姿には(もちろん誇張されているとはいえ)、正直不快感が募りました。
私がこんなことを言われたら「お前はアフリカにいってその実態を見たのか?お前らがそういって半ば脅迫的に集めた金が、どういう経路で誰の手元にわたるか、実際にどれだけの金額が子供たちのために使われるのか、責任を持って見届けたのか?誰かの作った仕組みに参加し、誰かに吹き込まれた言葉を口にすることで、何かを良いことをしたと思って満足しているんじゃない!」などと口走ってしまうかもしれません。
さらに、食事をごちそうしようとする桜井や叶に「そんなお金があったら寄付してください」とぬかすシーンは、心からムカつきましたが、さすがは叶です。「君は、明日からもアフリカの子供のために頑張るんだろう、そのためには栄養を取らないと。君が食べてくれたら、僕らもアフリカのために何かできたことになる」と笑顔で言いくるめていました。その後、いただきますと手を合わせる姿に、少しは好感を覚えましたが・・・

長くなって恐縮ですが、あと興味深かったのが、募金に対する桜井と紅林の意見の対立です。「私たちも、少しでも協力しましょう」という紅林に、「本来なら政治がやらねばならんことを、なぜ庶民同士の善意や思いやりにすがらねばならん」と反論する桜井。「政治が何の便りになるんです」と、後に現実の世界で政治家になる人とは思えない発言をする紅林。これに対して「政治以外が何の頼りになる。本当に救いたいなら、政治家を動かせ。思いやりだけでは飢えはしのげない」と答える桜井も、その後の現実での行動と対比してみれば、感慨深いものがあります。
その後、「現実にこうして飢えている人がいるじゃないですか」という紅林の肩を持つように「桜井君、本当にひもじいってことは、体験した人間じゃなきゃわからん。飢えた人間にとっちゃあ、一粒の米でも手を合わせて拝みたくなるもんだよ」と口を挟むおやっさんですが、正直言って、それは話が違います。
ラストシーン。再び募金に立つ娘に、ボーナス全額を寄付する桜井。「ラーメンぐらいなら、僕がおごりますよ」という叶に、桜井は「今日一日、飯を食わずにいようと思う」と微笑みます。「今日一日断食したぐらいで、アフリカの子供たちの飢えが分かるってもんでもないけどな」自分にできることの限界を十分に知りながらも、自分にできる精一杯のことをする。そんな桜井の誠実さは、募金嫌いの私の胸にも響くものがあります。私が募金を嫌うのは、募金という行為(する方、募る方とも)そのものでなく、その裏側に見える欺瞞が不快だからであり、わざわざそんな裏側を見ようとする自分自身の不快さに気づかされるからかもしれません。

第395話 雨の中に消えた女!

2008年04月02日 01時47分16秒 | Weblog
脚本 押川國明、監督 宮越澄

雨上がりの朝、駐車場で男の死体が発見された。被害者は、刑務所から出てきたばかりの前科者で、錐状の凶器で胸を一突きされていた。左右逆の靴や、靴下の汚れ具合から、被害者は別の場所で殺され、ここまで引き摺られてきたものと推測される。目撃者の証言から、現場付近を雨に濡れながら歩いていた女がいたことが判明。紅林は被害者の別れた妻を尋ねるが、刑務所に入って以来、一度も会っていないという。
死体の足に刺さっていたガラス片から、現場付近のスナックに目をつける紅林。スナックのママは、被害者を見たこともないという。だが、オーナーの証言によれば、ここ数日、被害者がスナックに入り浸っており、「離婚した妻が娘に会わせてくれない」と嘆く被害者を「会えばいいのよ。親子の絆ってそんなものじゃないでしょう」と励ましていた。
重要参考人としてママを連行する紅林。ママの身体に残る傷跡や、部屋にあった少女の写真と札所巡りの納経帳は何を物語るのか、そしては異様なまでに踏切を恐れる理由は?
ママが黙秘を続けるなか、特命課はスナックから駐車場まで死体を運んだ様子を再現。死体役の吉野を高杉婦警が引き摺っていくが、女一人では到底無理だと判明し、共犯者の存在が浮上する。ママの過去を調べたところ、水商売で全国を転々としていたことがわかる。その理由は7年前の悲劇にあった。立ち話中に目を放したせいで、幼い娘を踏切事故で死なせてしまった。さらに、子煩悩だった夫は、怒りの余りママを包丁で切りつけ、殺人未遂で逮捕された。娘と夫に対する罪悪感が、今もママの心を苛んでいたのだ。
「そういう女が、人を殺すと思いますか?」とママの無実を主張する紅林。一方、新聞配達の証言から、事件の日の早朝、スナックから娘を連れた女が足早に立ち去っていたことが判明。その背格好は被害者の別れた妻と一致していた。紅林の追及に「人違いだ」と否定する妻だが、娘の遊び道具の中からスナックにあったガラスの箸置きが見つかる。観念した妻はすべてを自白する。
事件の夜、被害者は妻のもとから娘を連れ去り、スナックに金を持ってくるよう要求。被害者の本性を知ったママは娘をかばい、被害者と口論になる。そこに現れた妻は、被害者ともみ合ううちにアイスピックで胸を刺してしまった。何とか妻と娘を守ろうと考えたママは、死体を運ぶよう提案。二人がかりで駐車場に引き摺っていったのだ。
真相が明らかになったあと、警察署の廊下で再会した二人の女。無言のまま、互いに頭を下げる二人の姿に、紅林はやるせない思いを噛み締めるのだった。

「運命にそっぽ向かれてきた女」が、同じ運命をたどろうとする不幸な女を何とか救おうとするのがドラマの核ですが、実も蓋もない言い方ですが、結果的には逆効果でした。素直に自首していれば、正当防衛になったのではないかと思うのですが、死体遺棄とか証拠隠蔽なども合わさって、より重罪になってしまうのは気の毒としか言いようがありません。
「女性の犯罪体験手記シリーズ」も3回目になりますが、ドラマとしては、今まででは一番まとまっている印象です。破綻はないものの、さしたる盛り上がりがないまま、あっさり終わってしまった、というのが正直な感想。事件のカギを握っているかと思われていたママの過去も、確かに悲惨ではありますが、事件と関わりは希薄。実際の犯罪手記が元ネタならしょうがないとも言えますが、そもそも何のための企画だったのでしょうか?