特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第387話 命の炎を燃やせ!

2008年02月29日 01時59分05秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 辻理

新紙幣の切り替えを間近に控えたある日、桜井がマークしていた銀行員が地下鉄で飛び込み自殺を遂げた。銀行員は新紙幣偽造グループの一味と見られていたが、その死によって偽造グループの手掛かりは絶たれてしまい、責任を感じる桜井。
銀行員と取引のあった印刷所をしらみつぶしに当たるなか、桜井はある印刷所で偽造紙幣の燃えカスを発見。その印刷所の技師は、心臓病の手術を控える子供を残して失踪。桜井は子供の入院する病院を訪れる。医師が語るには「子供は危険な状態だが、父親に会って気持ちを落ち着かせないことには、手術の成功は覚束ない」という。
子供の見舞いに訪れた女は、亡き母親の妹だった。女は父親が子供に託した大きなロウソクに火を灯し「この火が点いている65時間のうちに、お父さんに帰ってきてもらう」と約束する。桜井は女が印刷技師の行方を知っていると睨み、吉野とともに三重県まで女を追っていく。同じ頃、贋札作りに伊勢の和紙づくり技術が必要との情報を得た特命課は、橘と叶を三重県に向かわせる。
三重県のホテルに現れた印刷技師に、子供の危機を告げる女。桜井が捕らえようとするが、女に遮られる間に、印刷技師は仲間とともに逃走する。「警察は子供の手術がどうなろうと関係ないんでしょう」と桜井を責める女。印刷技師はかつて、贋札作りの容疑で拘留されたため、妻の死に目に会えなかった。そのため、今も警察を憎んでいるのだという。
一方、死んだ銀行員の足取りを追っていた船村と紅林は、銀行員と印刷技師の接点を確認するとともに、共犯者2名の人相を突き止める。橘と叶の調査で共犯者の一人の身許が判明、直ちに指名手配されるが、まもなく死体で発見される。同様に指名手配されている印刷技師の命も危険にさらされている可能性が。
その後、神代と紅林も応援に三重へ。何者かの電話を受け、ロープウェイへ向かう女。特命課が網を張る中、ゴンドラに乗った女は、郵送されてきた贋札のフィルムを地上で待つ共犯に向かって投げ落とす。ヘリで追っていた桜井の連絡を受け、橘が共犯を逮捕。そのままゴンドラで頂上に着いた女を待っていたのは印刷技師だった。印刷技師を追い詰め、「もう逃げるな。子供は病院で逃げることもできず戦っているんだぞ!」と叱責する桜井。「私、貴方を一生恨みます!」と桜井を罵る女に、神代が言う。「貴方も一緒にヘリの乗るんだ。まだ子供の手術には間に合う」印刷技師と女を乗せて、東京の病院へと急ぐヘリ。桜井は印刷技師にはめた手錠を外し、子供の待つ病室へと送り出す。子供が父の帰りを信じて見つめ続けていたロウソクには、確かに命の炎が点っていた。

手術を控えた子供に、ロウソクが消えるまでのタイムリミット。ここまでベタなエピソードには、なかなかお目にかかれるものではありません。思わず「童話かよ?」と(決して褒め言葉ではなく)言いたくなるほどです。珍しくラフな格好で出動する神代課長や、台詞が棒読みな女の演技も含めて、放送初期のテイストを思い出しました。
それはともなく、意味のないムダな登場人物や設定が多く(特に、特に途中で殺される若い共犯者や、新紙幣の信用を落として社会を混乱に陥れようとする政治団体の存在は、ドラマの展開上全く不要)、ただでさえベタなストーリーがますます消化不良に。久々のヘリ出動や御木本伸介氏のゲスト出演もムダな贅沢に終わっています。すべてはわざわざ三重県にロケに出たせいか、それとも脚本の問題なのか・・・
せめてもの見所は、東京へと出発するヘリに向かってぐっと親指を立てる神代課長の勇姿ぐらいでしょうか。

第386話 OL・疑惑の失踪事件!

2008年02月26日 02時01分39秒 | Weblog
脚本 押川國秋、監督 宮越澄

結婚を目前に控えたOLが、渋谷駅で同僚と別れた後で原因不明の失踪を遂げた。所轄署は事件に巻き込まれと見て捜査を開始するが、何の手掛かりもないまま1ヶ月が経過し、特命課も捜査に加わる。田舎から上京した母親も渋谷駅でビラを配ってOLを探すが、目撃者は現れない。同僚の証言から、OLが決して渋谷駅の地下道を通ろうとしなかったという事実が浮上するが、失踪の原因は依然として不明のままだった。
OLの部屋で、母親から事情を聞く橘。OLの持ち物を調べたところ、聖書の間から鍵が見つかる。橘は聖書に書かれた「愛するに時があり、憎むに時があり、殺すに時があり、いやすに時があり」という言葉が引っかかる。そのとき、関西弁の若者から電話が掛かり、母親に1千万円を要求する。なぜ、1ヶ月も経ってから身代金を要求してくるのか?疑問を持ちながらも、引き渡し場所に網を張る特命課。身代金を奪って逃走する若者たちを逮捕したものの、彼らはビラを配る母親に目をつけた便乗犯に過ぎなかった。だが、若者たちを締め上げたところ、失踪当日にOLから財布を掏っていたことが判明。その夜、OLは若い女が紙袋をコインロッカーに入れようとするのを見咎め、追いかけて行ったという。
紙袋とモンタージュをもとに、新宿の歓楽街で働く女を発見した特命課。事情を聞いたものの、女は渋谷駅にいたことを否定する。橘は、OLが地下街を通ろうとしない理由がコインロッカーにあるのではないかと推測。OLの部屋で見つけた鍵を調べたところ、やはりそのロッカーのものだった。3年前、そのロッカーに嬰児の死体が遺棄されていたことを知った橘は、事の真相に気づき、女を再度取り調べる。
その日、女はコインロッカーに赤子を捨てようとしていたが、OLに見咎められ断念。OLは女を追跡し、赤子が生きていることを確認すると、涙を流して喜んだという。赤子の始末に困っていた女は、OLに赤子を託したまま逃走。その後のOLの行方は知らなかった。余りに無責任な女の言動に、叶は「あんた、母親になる資格はないよ!」と吐き捨てる。
OLが赤子と一緒にいると確信した橘と叶は、付近の託児所をしらみつぶしに当たる。そんななか、テレビのニュースが託児所の火事を告げ、負傷者としてOLの名前が挙がった。現場へ急行した橘らは、入院中のOLを発見。OLは自分の預けた赤子が助けられた後も、必死で救助に当たり、負傷したのだという。
橘の予想通り、3年前にコインロッカーに嬰児の死体を捨てたのはOLだった。嬰児の父である彼氏が蒸発し、途方に暮れたOLは、思わずわが子を手に掛けてしまった。3年間、苦しみぬいたOLは、ようやく婚約者との幸福をつかもうとしていた。だが、挙式が近づくにつれて、苦しさは増すばかりだった。「殺した子供のことを忘れて、新しい子供が育てられるはずがないんです!」渋谷駅で女の姿を見たとき、OLはそこに3年前の自分の姿を見たのだという。女から預かった赤子を育てようとしたのは、贖罪というより、自分が生きていくために必要なことだったのだ。「泣くに時があり、笑うに時がある」聖書の言葉を借りて、OLを励ます橘。だが、OLの罪、そして哀しみが消えるには、これから長い月日が必要だった。

謎の失踪を遂げたOLの秘められた過去を描く一本です。私のようなすれっからしの視聴者にとっては、コインロッカーのシーンでその後の展開がほぼ推測がついてしまうのが辛いところ。まことに痛ましい話ではありますが、何のひねりも工夫もなく、坦々と捜査の過程を見せられたところで、ただ「痛ましい話ですね」と思うほかありません。最低な女はともかく、OLの悲劇も自業自得であり、あまり同情できるものではありません。さらに言えば、罰当たりで恐縮ですが、キリスト教徒でもない私には、聖書の言葉の意味もピンときません。おそらく多くの視聴者も同様だったのではないかと思うので、もう少し説明があっても良かったのでは?

第385話 新幹線出張殺人!

2008年02月21日 23時26分23秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 辻理

一人暮らしの老人が自宅で殺された。現場の様子から、年金狙いの顔見知りの犯行と見た特命課は、現場に残された銀行員の名刺と、口紅のついたチリ紙を手掛かりに捜査を開始する。近所の証言では、半年ほど前、被害者宅を訪れた銀行員が、口論の末に追い返されていた。銀行員は、現在では三重の四日市に転勤しており、そのアリバイを調べるべく紅林と叶が四日市へ向かった。
妻とともに取引先の娘の結婚式に出席していた銀行員に同行を求め、事情を聞く紅林。銀行員は「被害社宅には預金の勧誘にいっただけ」と犯行を否定するが、犯行当夜の行動については口を閉ざした。警察を訪ねてきた銀行員の妻が「夫は犯行当夜、浮気相手の若い女と一緒でした」と証言したことで、銀行員の無実は証明される。その浮気相手が、先ほどの結婚式の新婦だと知った紅林は、驚きとともに、妻への同情を隠せなかった。
その頃、東京で被害者の交友関係を調べていた船村と吉野は、被害者の通っていたローケツ染め教室に銀行員の妻も通っていたという事実を掴む。妻を問い質すべく銀行員宅を訪れた紅林は、貞淑な妻という第一印象とは異なり、散らかし放題の住まいに違和感を覚える。妻は被害者に亡き父親の面影を見ていただけだったが、銀行員が二人の仲を誤解したのだという。だが、その後の調べで、夫婦仲が冷え切っていたが、銀行内での評価を気にして離婚を避けていることや、妻が金に飽かせて夜の街を遊び歩いていることが判明。妻に対する不信感を募らせる紅林。
一方東京では、被害者の通っていたキャバレーの馴染みのホステスが、銀行員の妻の変装ではないかとの疑惑が浮上する。別の馴染み客である老人を訪ねたところ、事件の夜に被害者宅から飛び出してくるホステスを見たという。さらに、今夜、ホステスと東京駅で会う約束をしているとの情報を得る。紅林が尾行したところ、妻は東京行きの新幹線に乗り、社内のトイレでホステスの姿に変装。東京駅に着いたところで待ち受けていた特命課が逮捕する。
妻はあっさり犯行を認め「あのおじいちゃんが付け上がるから悪い」と悪びれることなく言い放つ。銀行員にはない優しさにほだされ、遊び半分に付き合っていたら、次第に下心をむき出しにしてくる被害者の姿に「こいつも妻を女中代わりにする亭主と同じだ」と思い、殺意を抱いたという。取調室での妻の告白を聞いていた銀行員に、紅林は断罪するように言う「彼女はあんたに復讐しているんだ。彼女の最大の目的は、世間体や出世だけを考え、自分をモノのように扱ってきたあんたが、社会的に手ひどい報復を受けることなんだよ!」取調室から出てきた妻に土下座し「私を助けると思って判子を押してくれ!」と離婚届を差し出す銀行員を、嘲笑する妻。互いの自己保身と自己憐憫、そして自己正当化がぶつかり合う醜い夫婦の姿を、紅林らは暗然たる思いで見つめるほかなかった。

良かれ悪しかれ極端なエピソードが多く、評価の難しい佐藤五月氏の脚本ですが、今回も話の整合性はかなりアバウトながら(特に、殺人現場から出てくる不審な女を見ても全く疑惑を感じないエロ老人は、正直言って頭が悪すぎ。また、現場付近の聞き込みでこうした目撃証言が一切出てこないのも変)、「結婚なんてするもんじゃない」という熱いメッセージだけは、痛いほどに伝わってきます。
流産して臥せっている妻の枕を蹴飛ばし「亭主が帰ってきたら風呂とメシだ!」と罵る銀行員はもちろん、自分の年齢を省みず若い人妻に下心をむき出しにする老人に対しても、全く同情心は湧きません。しかし、それとは全く別次元で「私が亭主から教わったのは、弱い者虐めのやり方だけ」などと世迷言をぬかし、被害者意識に凝り固まって自分を正当化する妻に対しても、反吐が出るような嫌悪感以外、何の感慨も起こりません。こうした感想は、40前になっても結婚できない社会不適格者ならではの歪んだ見方ではなく、脚本家の狙いそのものとしか思えません。取調室で、化粧を落とそうと掻きむしるように顔をぬぐう妻の姿には「女を醜く描こう」という意思がはっきりと現れており、その後の銀行員に対する過剰なまでの憎まれ口も含めて、視聴者に女に対する嫌悪感を植えつけんとする狙いは明らかです。思い起こせば、第314話「妻たちの犯罪日誌」や第336話「緑色の爪の娘たち」でもそうでしたが、女性に対する激しい憎悪は佐藤脚本の一つの典型であり、誠に余計なお世話ながら、さぞ女性問題で辛い目にあったのだろうと同情を隠せません。
ラストシーン、新婚当初の銀行員夫婦の仲睦まじい写真を見て沈黙する紅林に、神代課長は「夫婦の間のことっていうのは、二人の間にしかわからん。長い間にはいろんなことが起こるし、全く変わってしまうこともある」と語りかけます。「それでも我慢して暮らしてきたんだ、我々の世代は」と続けるおやっさんに「我慢も忍耐も、いまや美徳じゃないからね」と応じる課長。これに対して紅林は、「どうしてそん風になってしまったんですか?人間にとって、愛は変わらぬものと考えるのは甘いんですか?」と答えの返るはずのない虚しい質問をぶつけます。神代課長やおやっさんの台詞は、いずれも悲劇に終わった二人の夫婦生活を知る者の胸に、ひときわ切なく迫ります。その一方で、独身である紅林の台詞が哀しいまでに奇麗事に聞こえるのも、やはり脚本家の狙い通りなのでしょうか?

第384話 偽装結婚・マトリョーシカを持つ女!

2008年02月21日 01時55分34秒 | Weblog
脚本 大野武雄、監督 天野利彦

結婚相談所の社長が改造拳銃で射殺された。事件を追うさなか、吉野は岩手県から無賃乗車で上京してきた6歳の少年を保護する。少年の母親は数ヶ月前に蒸発し、最近になって東京からマトリョーシカ(ロシアの人形)を送ってきた。父親はその住所を頼りに母親を探すべく上京し、少年もその後を追ってきたのだ。少年が持ってきた父親の写真を見た吉野は、それが殺人現場から逃走した男に似ていることに気づく。
事情を調べに、岩手に向かう吉野。少年を預かっていた叔父から事情を聞いたところ、蒸発したのは実の母親ではなく、父親が結婚相談所から紹介されて再婚した東南アジアの女性だった。大金を投じて後妻に迎えたものの、母親は結婚後1ヶ月で姿を消したという。結婚相談所では、独身男性に多くの東南アジア女性を紹介していたが、女性はいずれも失踪していた。特命課では、在留期間を延ばすための偽装結婚であり、失踪後は「ジャパゆきさん」として風俗店で働いているものと推測する。父親が風俗街に現れたとの情報を得て、そこで働く東南アジアの女性たちから事情を聞く吉野たち。そこで見たのは、日本の男に激しい憎悪を抱く女性の姿だった。
死んだ社長の共同経営者を事情聴取する特命課だが、「私たちは結婚相手のいない男性を救済しているだけ。国際結婚だから、うまくいかないこともある」とうそぶく。男が「ジャパゆきさん」を雇う風俗店を裏で経営しているのは明らかだが、巧みに名義を隠しており、証拠はつかめない。
一方、母親が人形を買った店を突き止めた叶は、付近の風俗街で母親を発見。母親を探し当てた父親が現れたところを逮捕する。だが、父親は犯行を否定し「自分が訪ねたときには死んでいた」と主張する。吉野と船村は、母親を訪ね「子供に会ってやって欲しい」と頼むが、母親は「私の子供じゃない。人形を贈ったのも気紛れ」と拒絶する。施設に預けた少年を訪ね「お母さんのことは忘れろ」と諭す吉野だが、事情を察した少年に「お母さんどこに居るの?」と問われ、言葉に窮するのだった。
その後、改造拳銃を追っていた桜井らの捜査で、真犯人が母親とは別の東南アジア女性だと判明。それは、捜査中に出会った、日本人を目の仇にする女性だった。身体を壊し「国に帰れ」と罵られた彼女は、日本で働き続けるために社長を殺すしかなかったのだ。
事件は解決したものの、吉野は結婚できない日本人男性と、働き口を求めるアジア女性を食い物にする共同経営者が許せない。しかし、事実を証言すれば共生退去させられる女性たちが、真実を語ることなど期待できなかった。母親を説得にかかる吉野。吉野が風俗店の男たちに阻まれるなか、母親は客をともなってホテルへ。車に待たせてあった少年が母親の後を追う。雨の中に、母親の入ったホテルを見上げた立ち尽くす少年。窓から見下ろす母親の脳裏に、短い間だが、確かに母子の絆を育んだ日々が甦る。ずぶ濡れの少年を抱きしめ「人違いだったんだ」と言い聞かせる吉野。雨の中を去ってゆく二人の後から、必死で駆け寄る母親。ようやく母親の胸に抱かれた少年の手には、母親から送られた人形が握られていた。
良心に目覚めた母親の証言で、共同経営者は逮捕された。だが、母親は帰国を余儀なくされ、父親と少年に見送られつつ日本を後にする。入国管理法によれば、共生退去された者も一年経てば再入国が許される。そのとき、母親がどんな立場で入国するだろうかと思うとき、吉野の表情は重かった。

いまや死語となった「ジャパゆきさん」を巡る悲劇を描いた一本です。ラストで共同経営者がうそぶく「貧しい国があって、買う男がいる限り、ジャパゆきさんはどんどん来る」という捨て台詞が、こうした問題の根の深さを如実に物語っています。真犯人の女性の告白は圧巻であり、故郷に残した家族のために、嫌悪すべき仕事に、人を殺してでもしがみつかねばならない哀しみが胸に迫ります。
扱っているテーマがテーマだけに、基本的には救いのない話なのですが、血の繋がらない母と子の絆が唯一の救いとなっています。吉野と少年のからみも、ほとんど反則ともいえる泣かせっぷりなのですが、残念なのがタイトルにあるマトリョーシカの使い方。(ちなみに、マトリョーシカは上下に分割でき、内部に一回り小さい人形が入っているという「入れ子構造」になっており、ゴーディアンやバイカンフーの元ネタになったのではないかと推測されます)。なぜ東南アジアの女性にロシアの人形なのか?意味不明のミスマッチさに、前話のタンゴと同様の取ってつけたような印象を受けてしまうのは私だけでしょうか?

第383話 崩壊家族のラストタンゴ!

2008年02月15日 01時32分59秒 | Weblog
脚本 塙五郎、監督 藤井邦夫

社交ダンスの練習に励む紅林のもとに、事件の報せが入る。相場詐欺で前科のある男が、ホテルで絞殺死体が発見されたのだ。枕に残った口紅の跡から女の犯行と見られたが、女一人で絞殺できるものか疑問が残った。被害者が事件当日に食事していたレストランを突き止めたところ、連れの女がバッグを置き忘れており、そこから子供の描いた母親の絵が発見される。絵の裏に記された子供の名前から消息をたどると、今は成長して警備員をしていることが判明する。
警備員は正義感が強いあまり、融通の利かないところがあった。つい先日も、警備中のスーパーで玩具を万引きした中年女性を咎めたところ、その女性が屋上から飛び降りるという事件を引き起こしていた。警備員に母親の居所を尋ねる紅林だが、母親は警備員が幼い頃、男を作って駆け落ちしており、それ以来会っていないという。プログラマーを勤める姉や、酒浸りの父親にも確認するが、いずれも母親の行方は知らないという。
その後の捜査で、母親の駆け落ち相手が被害者だったことが判明。母親が殺人の容疑者だと知った警備員は、母親が駆け落ち後に送ってきた手紙を見せ、捜査への協力を申し出る。手紙の住所をもとに、警備員とともに母親の消息を追う紅林。駆け落ち後しばらくして被害者と別れた母親は、トルコ嬢に身を落とした挙句、チンピラの情夫になっていた。かつて同僚だったトルコ嬢からの情報を得て、チンピラを捕らえる紅林。母親から被害者との過去を聞いていたチンピラは、たまたま被害者が若い女と付き合っていることを知り、そのことを母親に告げた。その若い女が警備員の姉だと知って、驚きを隠せない紅林。
姉を訪ねた紅林は、姉も社交ダンスを習っていることを知る。「あなたのような、古風で、融通の利かない人には、よく似合う」紅林の言葉に、姉は自嘲気味に「私、そんな女じゃない。男だったら誰でもいいような女なんです」と応じ、被害者との関係を認める。悩んだ末に、被害者が母親の駆け落ち相手だったことを明かす紅林。ショックを受けた姉の頼みを聞いて、一晩中タンゴを踊り明かすが、それを知った警備員は「なぜ捜査に全力を尽くさない!」と怒りを露にする。
その頃、桜井らは事件当夜、ホテルに父親が偽名で宿泊していたことを掴み「娘を救おうとした母親が、別れた夫と協力して被害者を殺した」と推測する。父親から連絡を受けた警備員は、姉の制止を振り切って紅林に父親の居所を告げる。逮捕された父親は、息子に裏切られたことにショックを受けながらも、母親をかばって自分一人の犯行だと主張する。
一方、スーパーで飛び降りた女性が重態で、その身寄りから警備員に見舞いに来るよう要求されていることを知った紅林は、何かを予感し、女性を見舞に行く。そこで出会った女の身寄りとは、捜査中に出会ったトルコ嬢だった。翌日、紅林は警備員を強引に女性の見舞いへと連れ出す。「彼女にオモチャをほしがるような子供はいない。だが、オモチャを見ると、小さい頃に分かれた子供を思い出し、発作的に万引きをしてしまう」紅林の言葉に「だからって、同情はしません。万引きは悪いことです!」と病室を飛び出す警備員。その頬に怒りの平手打ちを見舞うトルコ嬢。その女性こそ、警備員の母親だったのだ。
被害者を殺したあと、父親から警備員の勤め先を聞いた母親は、成長した息子の姿を一目見ようとデパートを訪れ、発作的に万引きを働いた。自分を見咎めた警備員が息子だと知ったとき、息子に迷惑をかけまいとして、咄嗟に屋上から飛び降りたのだ。容態が急変し、母親は息を引き取る。最後まで「母さん」と呼ぶことのなかった警備員の目からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。
その後、警備員から「弱虫の姉さんをよろしくお願いします。それから、母さんの絵を返して下さい」との手紙を受け取った紅林は、社交ダンスの大会に姉をパートナーとして出場することを決めていた。

塙五郎氏が紅林主役回を担当するのは珍しく、視聴前から楽しみにしていたのですが、率直に言ってあまり感心できない出来でした。母親の駆け落ちを機に崩壊した家族が、数奇な巡り合わせの末に絆を取り戻す、という大筋はともかく、警備員と姉の双方にドラマを置いたことで、どちらも(特に姉の方が)中途半端になってしまっている印象で、見ていても姉妹の心情がなかなか伝わってきません。ラストで警備員と母親の絆こそ甦ったものの、息子に裏切られたままの父親や、死ぬ間際の母親にすっかり忘れ去られている姉が不憫でなりません。これもドラマを複雑にしすぎた弊害でしょう。
また、サブタイトルに据えている「タンゴ」にも必然性がなく、紅林と姉が一緒に踊ることに、どんな意味を込めようとしているのか)腑に落ちません。紅林と社交ダンスという取り合わせの妙は味わえるものの、ドラマ内で活かされているとは言い難く(両親の出会いも社交ダンスという点に、何とかドラマに絡めようとする努力は窺えるのですが・・・)、ダンスの曲が懐かしの「メモリーグラス(堀江淳)」だということしか印象に残りません。
ちなみに、冒頭で幹子が紅林を評する「10円玉一枚あれば、どこからでも必ず連絡してくる男」というフレーズは、同じく塙脚本である第293話「木枯らしの街で!」でも使われていました。紅林のくそ真面目さを端的に表すうまい表現だと思っていましたが、塙さんもお気に入りだったのでしょうか?

第382話 殺意が配達された朝!

2008年02月12日 23時03分25秒 | Weblog
脚本 竹山洋(原案:斉藤博)、監督 松尾昭典

覚醒剤の売人を逮捕した吉野と叶。覚醒剤の仕入元であるヤクザのもとへ案内させたところ、ヤクザは自宅で刺殺されていた。室内にあるはずの現金300万円が見当たらないことから、物盗りの線が濃厚に。現場付近を聞き込む吉野と叶は、吉野と顔なじみの新聞配達の少年に出会う。少年は事件の朝、犯人の部屋に新聞を届けていたが、不審な者は見ていないという。少年の態度に不審を抱いた叶は、配達事務所で裏を取り、「事件当日はいつもより30分ほど遅く戻って来た」との証言を得る。早くに父親を亡くし、足の不自由な母親の手術費用を稼ぐために働いている少年の姿に、叶は直感的に犯罪の匂いを嗅ぎ取った。
少年の指紋がナイフから検出されたものと一致したため、叶は少年を連行する。少年の生真面目な仕事振りを知る吉野は「金欲しさに人を殺すような人間じゃない」と少年をかばう。叶に追及された少年は、涙ながらに「部屋から変なうめき声がして、中を覗いたら死んでいたんです・・・」と語る。未成年であることも考慮し、神代の判断で少年を釈放し、吉野と叶が張り込む。
なおも少年の無実を信じる吉野に、叶は「ひりひりするような貧乏を経験したことがありますか?」と問いかける。貧しかった自分の過去と照らし合わせ、貧しさゆえに世間を憎み、犯罪に走る心理を語る叶だが、吉野は納得しない。
翌朝、いつもどおり新聞を配達する少年を待ち伏せ、犯行現場に連れ込む叶。問い詰められた少年は「僕が刺したんだ!」と自供する。頭を押さえて苦しんでいた被害者を気遣ったところ、「このガキ、殺してやる!」と絞め殺されそうになり、抵抗した挙句、部屋にあったナイフで刺してしまったのだという。少年の主張どおりなら正当防衛だが、叶は少年が金を奪ったと見て追及を緩めない。「金なんて知らない」との少年の言葉を信じる吉野は、被害者が刺される前に、側頭部に打撲の跡があったことに着目。「被害者は別の少年に頭を殴られて昏倒し、介抱した少年を間違って絞め殺そうとした」と推理する。
「君は、あの少年に若い頃の自分の姿をだぶらせている。確かに君も苦労してきた。だからといって犯罪者になったわけじゃない」と神代に諭される叶。改めて少年の行動を振り返り、自分の過去と照らし合わせたとき、叶には少年の真意が見えた。
一方、桜井らは「事件の直前、被害者の部屋から近所に住む女と言い争う声がした」との証言を得る。女の自宅を張り込んだところ「お前があいつを殺したりするから、薬をもらえなくなった!」と息子を責める女の怒鳴り声が聞こえる。女は被害者から覚醒剤を買っていた中毒者であり、事件当日、業を煮やした息子はナイフを手に被害者宅を訪れた。「俺は殺しちゃいない。殴っただけだ」という息子の証言で、吉野の推理は裏付けられる。だが、息子は「金は盗っていない」という。
再び少年を取り調べる吉野。そこに叶が連れてきた証人は「この子に現金入りの鞄を交番に届けるよう頼まれた」と語る。300万円を持ち去ったのは、やはり少年だった。少年が嘘をついていたことを知り「バカモン!」と張り倒す吉野。だが、叶は「君は、一時はこの金に心が動いたが、だんだん心が苦しくなって交番に届けた。そうだね」と語りかけ、疑い続けたことを少年に詫びる。
結局、少年は起訴猶予となる。「どうして金のことが分かった?」と聞く吉野に「私も子供の頃、お金を拾ったことがあります。すぐには届ける気にはなりませんでした」と答える叶。「吉野さんが、彼を信じれくれてよかった」無実の少年を殺人犯にするところであったと危惧する叶に、吉野は「そんなことはない。真実は一つだ」と答えるのだった。

母親想いの二人の少年が引き起こした事件を巡り、叶と吉野の対立を描いた一本。サブタイトルから気になっていたエピソードでしたが、実際には殺意は配達されてなく、ちょっと肩透かしを食らいました。とはいえ、なかなか見応えがありました。

自分が若い頃いだいていた、貧乏ゆえの金への執着や世間への恨みを、犯罪者の心理に照らし合わせるのが叶の捜査スタンス。「すべての貧乏人は犯罪者予備軍である」という叶の認識は、情に流されることなく冷徹に犯罪者を見据えるという点で、刑事としての大きな武器なのでしょう。しかし、叶自身がそうであったように、犯罪者予備軍=犯罪者ではなく、ギリギリのところで犯罪を思いとどまっているのが大多数の人間です。そんな「良識」を信じているのが、吉野であり、(やや意外ですが)神代なのでしょう。
こうした二人の対立構造は、売人の妻の嘘にあっさり騙される吉野と、その嘘を冷静に見破る叶という構図で、冒頭から端的に示されています。「吉野さんは人を信じすぎる」「叶の冷静な判断に割り切れない想いを感じる」と、モノローグで語られる互いの評価は、最初はやや批判的なものでした。この対立が中盤から終盤にかけて激化し、最後にはおやっさんの語るように「いいコンビ」として補完し合う存在へと変化していく構成が、なかなかお見事。

惜しむらくは、叶の捜査スタンスが過去の経験に根ざしたものと描写されている反面、その対照として描かれる吉野の「人を信じすぎる」姿勢が、何に由来するものから描かれていないこと。さらに言えば、叶の経験すらも本人の独白のみで語られているため、やや観念論的な印象を受けてしまいます。台詞を主体としたストーリー展開を否定するわけではありませんが、今回の場合、その手法が奏効したとは言いがたく、やや残念に思われます。
その一方で、二組の母と子の描写は、その対照が効果的に描かれています。少年がコツコツ貯めた残高20数万円の通帳を見せて「金ならあるんです。あの子が強盗なんて、貧乏だからってそんなひどいこと!」と無実を訴える母親。その一方で、覚醒剤に溺れて息子に迷惑をかけ続けた挙句、「お前のせいで薬を売ってもらえなくなった!」と息子に包丁を振り上げる女。母親のために苦労を背負わされた子供たちの姿は、哀れというほかありません。
ちなみに、叶が言う「ひりひりするような貧乏」とは、「他人が好意でご飯をご馳走するといっても、それを素直に受け取れず、蔑まれていると受け取るような貧しさ」だとか。「それって性格の問題では?」と思ってしまうのは、私が本当の貧しさを知らないせいでしょうか?

第381話 スクープ・真夜中の証言者!

2008年02月08日 01時43分48秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 辻理

電車内で若い女から痴漢扱いされた吉野は、居合わせた青年に駅の事務所へと引き立てられる。身許が保証され事なきを得たものの、挑発するような青年の態度に、苛立ちを隠せない吉野だった。特命課で愚痴をこぼす吉野のもとに、青年から電話が掛かってくる。どうやら痴漢は青年が仕掛けた罠らしく、さらなる嫌がらせを予告して電話は切れた。駅で確認した青年の住所に向かう吉野だが、そこは場末のスナック。踏み込んだところ、シャブの売人らしき男が寝ているだけだった。そこに「吉野が押収したシャブを売り捌こうとしている」とのタレコミを受けた所轄署の刑事が踏み込み、吉野を連行。何とか身の証を立てた吉野は、青年を探すべく街をぶらつく。狙い通り、尾行してきた青年を待ちうけ、目的を問い詰める吉野。青年は、「状況さえ揃えば、無実の者でも犯罪者にされることを知って欲しかった」と語り、吉野にある事件を調べ直すよう依頼する。その事件とは、数日前に起きたラブホテルでの女子高生殺人事件。写真週刊誌が、被害者とともにラブホテルに入ろうとする商社マンの姿を掲載し、それが証拠となって商社マンは逮捕されていた。商社マンは、「ホテルの前で被害者と別れており、そこを見ていた目撃者がいる」と主張。だが、目撃者は発見されず、所轄署は商社マンの苦し紛れの嘘だと断定する。
誤認逮捕の可能性がある以上、放ってはおけないと、捜査を開始する特命課。吉野は青年に案内され、商社マンの自宅を訪ねる。「幼い頃に病死した娘は、生きていれば被害者と同じ年頃になる。主人が殺すはずはない」と主張する妻は、青年に激しい敵意を向ける。写真週刊誌に掲載された写真は、青年が撮影したものだった。カメラマン志望だった青年は、「女子高生の実態」を撮影しようとホテル街を張り込み、たまたま事件直前のシーンを撮影した。それが大スクープとなり、有頂天となっていた青年だが、面通しのために警察を訪れたとき、商社マンの言葉に衝撃を受ける。商社マンの言う目撃者を青年も見ており、商社マンの無実は明らかだったからだ。「警察は俺の言葉は信用しないくせに、俺の写真だけは信用する。バカな話だ」自分の撮った写真が商社マンの人生を狂わせたことに自責の念を覚えた青年は、写真週刊誌から誘われた専属契約を蹴って、商社マンの無実を証明すべく、目撃者を探していたのだ。
青年とともに目撃者を探す吉野。身につけていたタオルを手掛かりに、ようやく目撃者を探し出す。借金取りから身を隠すために、当初は証言を拒んでいた目撃者だが、ようやく商社マンの無実と、真犯人らしき男の人相を証言。結局、女子高生殺しは暴力団員の犯行と分かり、商社マンは無事に釈放される。
「なぜ青年が自分を知っていたのか?」と気になる吉野。その謎はすぐに開かされる。特命課のビルの窓を清掃するアルバイト。それが青年だったのだ。窓の外から、再び手にしたカメラを向ける青年に、吉野は思わずポーズを取った。

冤罪事件の恐ろしさを描いた一本なのでしょうが、青年を演じる野口五郎の演技の拙さと、特捜らしくない妙に軽いノリしか印象に残りません。ストーリーも強引というか、無理矢理というか、まともに語るのがばかばかしいほどで、「何だこりゃ?」としか言いようがないというのが正直な感想です。

第380話 老刑事・対決の72時間!

2008年02月04日 23時50分15秒 | Weblog
脚本 塙五郎、監督 天野利彦

宮城県の田舎町で、5歳の少女が誘拐された。一年後、県警の粘り強い捜査によって、ようやく一人の男が容疑者として逮捕される。男は不敵な態度で否認を続けた末に「船村という刑事を呼べ」と主張。県警からの要請を受けて、船村は紅林をともなって現地に向かう。男に見覚えのなかった船村だが、是が非でも男を犯人に仕立て上げようとする県警の態度に疑問を覚え、越権行為と知りつつ取調べを買って出る。無罪を主張しながらも、肝心なことは話そうとしない男。その真意は何か?そして船村との接点は?
これまでの調書を読み返したところ、男は事件当時、東京で働いていたが、事件の前日に上野駅で女性と待ち合わせる姿や、宮城行の電車に乗っている姿が目撃されていた。一緒にいた女ならば、アリバイを証明できるのではないかと考える船村だが、男は女について堅く口を閉ざす。「お前にとって、忘れられない女のことを話してみろ」と水を向けたところ、男はかつて一人の娘を輪姦したことを得々と話し出し、船村は憤激する。
一方、東京では特命課の捜査によって、男と同じアパートの女が、事件前日から姿を消していることが判明。その女の写真をもって、桜井らが宮城に応援に向かう。写真の女は、かつて船村が逮捕した覚醒剤中毒の女だった。男は船村のことを女から聞いたに違いなく、一緒に宮城に向かったのもこの女のはず。手柄を奪われることを恐れた県警の圧力を退け、男に女との関係を問い質す船村。だが、女の名を耳にした男は、慌てて船村の取調べを拒絶し、県警に対して「俺がやった。少女は殺して埋めた」と自供。男の自供通りに死体が発見され、大喜びの県警。これが最後と面会する船村に、男は「拘置所に送るのは4時まで待ってくれ」と懇願する。だが、船村にそんな権限があるはずもなく、男は拘置所に送られる。釈然とせぬ思いのまま、帰り支度をする船村。そこに女から「あの人は何もしていない」との電話が入る。「あの女はこの町にいる!」船村は、毎日4時ごろになると、取調室の裏から、男の好きな演歌を流していた魚の露天商の存在に思い至る。魚屋の女房こそ、あの女だった。
再び取調室に送られた男に、船村はすべてを語る。「1年前、あの女は覚醒剤中毒の錯乱状態で、5歳のわが子を殺してしまった。それを知ったお前は、女をお前の故郷の町に連れていき、死体を埋めさせた。それが、かつてお前が輪姦した女への贖罪だったからだ」なおも女の罪をかぶろうとする男の前に、紅林が女を連れてくる。「あんたに罪を背負わせるなんてできない!」と泣き崩れる女を見て、男は船村の胸ぐらを掴む「そんなに誰か捕まえたけりゃあ、俺を捕まえりゃいいじゃねぇか・・・」そのまま泣き崩れる男に、船村は返す言葉を持たなかった。

ベストエピソードではランク外ながらも、DVDVol.4に天野監督の推薦作として収録された一本。最初の印象では、第211話「自供・檻の中の野獣!」の焼き直しのように思え、そちらが傑作なだけに、詰めの甘さが目立ってしまいました。しかし、レビューを書くためにもう一度見返したところ、蟹江敬三扮する男の複雑な心情がよく分かり、こちらも紛れもない傑作ではないかと思いました。

ドラマの本筋は、(蟹江氏だからというわけではないですが)一見して悪人に見える男の真意を明らかにすることにあります。前科もあるこの男、かつては罪もない娘を輪姦するなど、紛れもない「悪人」です。しかし、不幸な女を救ってやろうと奔走し、身に覚えの無い罪で責められようと女の名を口にしなかった男を、誰が「悪人」と呼べるでしょうか?かつての悪事を得々と話すことも、この男にとって精一杯の贖罪でした。かつての被害者であった女にとって、もはや恩人と呼ぶべき存在となったこの男の複雑さは、しかし、決して特殊なものではありません。結局のところ、男は「悪人」でもなければ「善人」でもなく、ただ「人間」だったと言うほかありません。おやっさんたち刑事の仕事とは、「悪人」を裁くことでも、「善人」を守ることでもなく、ただ罪を犯した「人間」を逮捕することでしかないのです。
おやっさんが「対決」した相手とは、無実の罪から逃れたい気持ちと、女を救いたい気持ちの間で揺れ動き、図らずも最悪の結果を招いてしまった哀れな男だったのでしょうか?それとも、誘拐された少女の安否を気にすることなく、犯人逮捕という手柄だけを追求し、当初は愛想の良い笑顔の影に隠していた敵意をむき出しにしてくる地元警察だったのでしょうか?その両者であると同時に、善悪で割り切ることのできない苦い現実だったのではないかと私は思います。

序盤からさり気なく登場する魚屋がカギであることや、写真の女とかつて輪姦した女とが同一人物であることなどは、こうしたドラマを見慣れた者にはすぐ洞察でき、詰めの甘い印象が残ります。また、肝心の誘拐事件から焦点がずれていき、この事件の報道がきっかけで犯人が自首して少女も無事に保護されるというラストが、かえって蛇足に思われるほど(もちろん、脚本家もそのへんは分かっていたようで、あえて傍観者的なスタンスの紅林のナレーションで説明しているわけですが・・・)ですが、それでもなお、善悪を超えた人の業を余すところなく描き切ったという点で、このエピソード、そして蟹江敬三という名優に拍手を送りたいと思います。