特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第480話 殺人志願!少女、18歳の熱い夏

2009年07月10日 03時44分56秒 | Weblog
脚本 宮下隼一、監督 三ツ村鐵治
1986年8月28日放送

【あらすじ】
1年前、少年課に在籍していた江崎婦警は、非行を繰り返す一人の少女を補導した。婦人警官らともみ合う際に、少女が落としたペンダントを、「大事なものでしょうと」と拾って渡した江崎。それは、少女が幼い頃に死んだ母親の形見だった。「安心したわ。いくら悪ぶっても、貴方はお母さんに対する優しい気持ちを持ってる。だから、いつかは他の人にも優しくできる・・・」以来、少女は江崎に心を許すようになる。
それから1年が経ち、江崎は少年院から出所する少女を出迎える。少女は江崎に何かを告げようとして口ごもるが、江崎はそれを単なる不安と緊張と片付け、あえて追及することはなかった。後に、そのことを江崎は激しく悔やむことになる・・・
数日後、江崎のもとに、少女が保護司の元から姿を消したとの連絡が入る。そんななか、若者が若い会社員を刺殺し、たまたま居合わせた少女を人質に逃走する。現場に残されたペンダントから人質が少女だと知った江崎は、自分も捜査に加わりたいと神代に申し出る。
やがて、もう一人の犠牲者が発見され、逃走中の若者による連続殺人と判明。二人の被害者の唯一の共通点は、湘南でサーフィンに興じていたことだった。その後、若者がバイクを奪って逃走したとの報せが入るが、その際、少女が若者を手助けしたという。人質のはずだった少女が、なぜ共犯となったのだろうか?
湘南での聞き込みの結果、若者の身許が判明。若者は、湘南で恋人や3人のサーファー仲間と知り合い、青春を謳歌していた。しかし、1年前、サーファー仲間は若者への嫉妬心から、恋人をレイプ。恋人は自殺未遂を遂げていた。警察の動きは鈍く、業を煮やした若者は、苗字も知らないサーファー仲間を1年がかりで探し出し、うち二人に復讐を遂げたのだ。
警官の通報を受け、若者を追い詰める特命課だが、少女の妨害によって逃走を許してしまう。少女を捕らえた江崎は、共犯となった理由を問い詰める。「いつも、話そうとした。でも・・・」少女が胸に秘める何かが、その口を重く閉ざさせていた。果たして、少女の過去に何があったのか?
一方、若者の残したメモを頼りに、特命課は残る一人のサーファー仲間を追う。ようやく身許を割り出すが、自宅にサーファーの姿はなく、猟銃を持ち出した形跡があった。サーファーは若者を返り討ちにするつもりなのだ。若者の危機を知った少女は、ようやく口を開く。若者の潜伏先を知った特命課が急行し、サーファーと若者を逮捕。事件は解決する。特命課の取調べに対し、若者は語る。はじめは誰も殺すつもりはなかったが、自首するでもなく、恋人に詫びるでもなく、「たかが女一人のこと」と言い捨て、金で解決しようとするサーファー仲間たちの態度が、どうしても許せなかったのだ。若者は少女の身を案じ「彼女を許してやってください。彼女は、俺に自分のしたことを話してくれました。彼女はその罪滅ぼしをしただけなんです」と懇願する。
同じ頃、少女は江崎に自らの過去の過ちを告白していた。かつて、少女は通りすがりのOLの視線がカンにさわり、一緒にいたチンピラをけしかけてOLをレイプさせた。後日、娘は新聞でOLが自殺したことを知り、ようやく事の重大さに気づく。江崎に補導されたのは、その翌日のことだった。以来、少女は江崎にその罪を告白しようとし続けたが、自分の更正を信じる江崎に、どうしても告白できなかったという。保護司の元を抜け出したのは、OLの家族を探し出すためだった。レイプ犯のチンピラはすでに事故死を遂げており、自分だけでも罪滅ぼしがしたかったのだ。しかし、家族を見つけ出すことができず、リストカットを図るも死に切れず、そんななかで出会った若者の境遇を知り、若者への同情と、自ら罪を犯すことで裁かれようと、積極的に共犯となったのだ。
「優しくするだけでなく、もっと厳しく接してやれば・・・」と自らを責める江崎。「彼女がやり直すのは、今からでも遅くはないと私は思うよ」神代の言葉を受けて、江崎は少女をある場所へ誘う。それは、自殺したOLの墓だった。「許していただけるかどうか、それは、これからの貴方次第よ」江崎の言葉に背中を押され、少女はそこで手を合わせるOLの母親の背に、勇気を持って足を踏み出すのだった。

【感想など】
未熟さゆえに犯した罪の重みにもがき苦しみながら、贖罪への道を模索する少女の姿を、そんな少女を見守る江崎婦警の姿とともに描いた一本。贖罪といえば言葉は綺麗ですが、少女の犯した罪が余りに非道かつ身勝手なものであるため、個人的には、少女の苦しみに対して全く同情を感じることがなく、むしろ「許してもらおう」と思うこと自体が身勝手に思えました。
ラストシーンも、江崎視点、すなわち少女視点からすれば、被害者遺族に自らの罪を告白するという、痛みに耐える勇気を同情的に描いているつもりでしょうが、母親の立場からすれば、あまりに残酷な行為というか、耐え難い苦しみを押し付けるような行為だということに、果たして江崎や少女(そして脚本家をはじめとしたスタッフ)は気づいていたのでしょうか?

OLの死を報じた新聞によれば「遺書なく、動機不明」とのことでしたので、母親からすれば、娘が理由も語ることなく死を選んだことに、どれだけ悲しみ、苦しみ、悩んだことか、私のような部外者の想像を超えるものがあったと思われます。そんな地獄の苦しみから、ようやく気持ちの整理がついたであろう1年後になって、加害者がのこのこと現れ「実は軽い気持ちでレイプさせました」という、娘が口が裂けても言えなかった自殺の理由を明かされたとすれば、どれだけ頭を下げられようが、実際にどれだけ反省されようが、とても許せるものではありません。
あまりしたくはないのですが、「もし、自分に娘がいて・・・」と脳内シミュレーションをしてみると、怒りの余りに「うあああああああ」と声にならない叫びを挙げて「許してください」なぞと身勝手なことをほざく少女の首を締め上げてしまう自分の姿がありありと脳裏に浮かびました。
少女の行為は、贖罪と言えば聞こえはいいものの、その実態は「自分が許されたい、楽になりたい」という、極めて自己本位的な考えによるものであり、母親にとっては、まさに「傷口に塩を塗り込む」ような行為(もちろん、我が子が自殺した理由を知りたいとは思っているでしょうが、真実を知るのは余りに残酷です)です。さらに、下手をすれば、母親が怒りの余りに少女を絞め殺すことだって十分あり得るわけで、哀れな母親を犯罪者に仕立て上げる危険性すらあります。
それほどの非道を働いた上で、なおかつ許してもらおうなどとは盗人猛々しいにも程がありますが、そんな自信の卑怯さを自覚しておらず、下手をすれば、許してもらえない自分に対し、「なんて可愛そうな私。でも、負けちゃダメ」などと被害者ぶるような気持ちすら抱きかねない(つまり、自分を許さない母親を加害者にしてしまうという心理的なすり替えをやりかねない)その態度が、より不快感を募らせます。

今回の脚本では、「被害者遺族に自らの罪を告白する」ことを、真摯な行為として推奨しているようですが、上記のような理由から、私は(あくまで個人的には)それが決して褒められた行為ではないと思います。少女にできる贖罪とは、遺族と同じ苦しみを背負った青年の共犯になることでも、遺族に許してもらおうとすることでも、ましてや自ら死を選ぶことでもなく、一生、自分の罪の重さを自覚し、苦しみ続けながら、それでも一人の人間として、真っ当に生きて、子供を生み、育てることではないでしょうか。
おそらく、被害者の遺族が少女を許すことは、決してないでしょう。そして、決して自分自身を許してもいけないと思います。少女を許す者がいるとすれば、それは江崎であり、若者であり、これから少女を取り巻く人々です。今は少女を決して許せない私ですが、この後の少女の人生次第では、許そうと思うこともあり得るかもしれません。しかし、それはやはり、私が被害者遺族でないからであり、少女が心から楽になる(罪を許されたと確信できる)瞬間は、死の寸前にしか訪れることはないでしょう。少女の犯した罪は、それほど重いものであり、決して悪人ではないこの少女が、ふとした心の隙間から、そうした罪を犯してしまうという人間の業の深さこそが、本編の最大のテーマなのではないでしょうか。