特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第484話 鉢植えの墓標・風俗ギャル殺人事件!

2009年07月29日 02時31分01秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 辻理
1986年9月25日放送

【あらすじ】
北陸なまりの女からの「渋谷のアパートで女性が殺されている」との通報が入る。風俗ギャルらしき被害者は重度のシャブ中で、特命課は内偵中の密売組織の客とみて捜査を開始する。だが、被害者の本籍や名前はでたらめで、手掛かりは友人らしき娘と一緒に写る写真だけだった。
そんななか、犬養の姪が家出して東京に向ったとの連絡が入る。神代から「一度、家に帰れ」と言われる犬養だが、公衆電話のピンクチラシの中に写真の娘の顔を発見。チラシをもとに呼び出した風俗嬢から娘の所在を聞き出す。娘を訪ね、被害者の素性を問い質す犬養。だが、娘は被害者の本名も実家も知らず、犯人の心当たりもないという。
同じ頃、家出娘の捜索願を調べていた時田は、被害者こそ見つからなかったものの、娘の捜索願を発見する。娘は3年前、同級生の少女とともに金沢から家出していた。時田はその同級生こそ被害者ではないかと考え、確認のため金沢へ向かう。周囲の証言から被害者=同級生との確証を得る時田だが、肝心の家族だけは「家の恥だ」と考えて、認めようとしなかった。それゆえ、被害者には捜索願が出ていなかったのだ。
一方、神代から娘の捜索願を見せられた犬養は、娘もまた偽名だったことを知って憤慨する。娘や被害者は、いったい何を思って過去を偽るのか?
その後、犬養は警察に保護された姪を引き取り、自分のアパートに泊める。姪の奔放な態度に翻弄される犬養は、姪が渋谷で出会ったスカウトマンの名刺に目を止める。
翌朝、犬養は娘を追及するが、娘は自身と被害者の素性がバレてもなお、偽名を言い張り続ける。やがて、被害者の死体を発見して通報したことは認めるが、犯人は見ていないという。「あんまりみじめだったから、せめてネオンが死体を飾っているうちに見つけて欲しかった・・・」まるで家出娘には相応しい末路だとでも言うように、自嘲気味に語る娘。「なぜ家出したんだ?」「理由なんかないわ。はずみなのよ・・・」
娘や被害者が過去を偽る真意を知ろうと、被害者の部屋を調べる犬養。たった一つ残された植木鉢には、枯れた朝顔の蔓と、まるで墓標のような支柱が立てられていた。犬養は、その支柱に被害者の本名が墓碑銘として記されているのを発見。植木鉢を掘り返してみると、そこには学生証が埋められていた。そして、同じような植木鉢は娘の部屋にもあった。
風俗店に娘を訪ね、被害者の学生証を見せる犬養。「本当の自分を葬り、別人になりすました君たちは、どんな恥ずかしいことでも平気でできた。『どうせ本当の自分じゃない』と自らに思い込ませたからだ・・・」犬養の言葉に、ようやく過去を認める娘。たった3年が、10年にも思えるような辛い日々。たとえ帰りたいと思っても、シャブ中になった友人を残して帰ることなどできなかった。家出を誘ったのは、娘の方だったからだ。娘は、シャブ中の風俗ギャルとして死んだ哀れな女を、ともに家出した友人ではなく、別人のままにしておきたかった。だからこそ、被害者の素性を認めたくなかったのだ。
被害者を殺したのは、被害者をシャブ中にしたスカウトに違いなかった。そのスカウトの名は、犬養の姪が持っていた名刺と同じものであり、特命課は名刺の指紋から犯人と断定する。犬養は姪を囮にスカウトを呼び出し、現れたスカウトを逮捕。そこに居合わせた娘が、ナイフを手にスカウトに襲い掛かるが、犬養が身体を張って制止する。
スカウトの自供によって、事件は解決し、覚醒剤組織も壊滅。時田の説得によって上京した母親によって、被害者はようやく偽名から、元の名前に戻ることができた。
実家に戻る姪を送ったあと、犬養は娘の部屋を訪ねる。だが、娘はすでに姿を消した後だった。部屋に残されていた植木鉢に立っていた割り箸の墓標。そこに墓碑銘として記されていたのは、娘の偽名だった。犬養は、それこそ娘が本当の自分を取り戻した証だと信じるのだった。

【感想など】
転落した家出少女たちの愚かな末路と、愚かであるがゆえの哀しさを描いた一本。理由もなく家出し、何も考えずに都会に迷い出た娘たちが、どんな目に遭おうと、まさに自業自得でしかなく、なかなか同情する気持ちにはなりません。ただ、そんな彼女らが偽名を使う理由が、彼女たちなりに自分(本名=本当の自分)を大切にしているから、という心理描写が、理屈がよく分からないがゆえに、かえってリアルに感じられました。

改めて「あらすじ」をまとめてみると、細かい台詞も矛盾のないよう計算されていて、よく練られていることは分かるのですが、「だから何なの?」というミもフタもない感想が出てしまうのが辛いところ。たとえば、ラストで娘が本当の自分を取り戻したという描写があるのですが、そこに至る娘の心情が説明不足なこともあってか、本当に真っ当な暮らしをできるかどうか疑問が残ります。本名に戻ったというだけで、「これで一安心」といった笑顔を見せる犬養がノーテンキに見えてしまうほどです。

また、犬養の姪の描写を見ていると、家出少女という存在を悲劇的に描くつもりがあったのかどうか、非常に中途半端に感じられます。おそらく、夜10時台の放送であれば、もっと悲惨な展開にできたと思うのですが、視聴者の年齢層が若い夜9時台ということもあって、若年層を意識した救いのある展開(言い換えれば、軽くて底の浅い展開)にせざるを得なかったでしょうが、そうした「どっちつかず」な態度が、結果として誰の心にも残らないドラマを生んでしまったのではないでしょうか?

全体的に見れば、そう悪くない話だとは思うのですが、ドラマの出来とは別に、テーマの中途半端さが気になってしまったため、厳しい感想になってしまいました。ネガティブな物言いにご気分を害したのであれば、謹んでお詫び申し上げます。