特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第505話 地上げ屋殺し(後編)

2009年10月24日 01時19分26秒 | Weblog
【あらすじ】
特命課の捜査により、被害者が地上げに関わったビルの所有者も、「あけぼの荘」付近の土地買収を進めているのも、すべて神代の旧知の男が勤める不動産会社だと判明する。そして、男もまた神代と同様に、かつて「あけぼの荘」の住人だった。当時を懐かしげに振り返る神代。「みんな痩せこけて貧乏だったが、心は豊かだった。街もね・・・」布団まで質草にして小銭を得ていた質屋。故郷への手紙を投函したポスト。日々の温もりを得ていた銭湯・・・だが、そんな風景も、今はすべて過去のものだった。「みんな変わってしまった。変わらないのは、この「あけぼの荘」だけだ・・・」
そんななか、神代は男から酒席に誘われる。被害者との関係を訪ねる神代を遮って、関連会社社長の椅子をちらつかせる男。露骨な買収を一顧だにせぬ神代に、男は苦笑を浮かべる。「昔のままだ。ちっとも変わらんな」「私も貴方が変わってないことを祈りながら、ここに来ました」そう応じる神代に、男は答える。「私は進歩したよ。世の中も進歩した。我々が進歩させたんだ。我々は東京を、いや、日本を住みよくするために汗を流してきた」誇らしげに語る男の言葉に、不動産業者としての仕事、そして自らの歩んできた日々に対する強固な自負が窺えた。だが、神代は男の主張に異論を呈する。「「あけぼの荘」のようなアパートを取り壊して、ビルやマンションを建てることが、住みよくすることですか?」「違うと言いたいのかね?」「違わないかもしれません。しかし、「あけぼの荘」に住んでいたような住人が、新しく建て替えられたビルやマンションに住めますか?」
静かな口調ではあったが、神代の言葉は男を、そして地上げに象徴される現代社会の矛盾を厳しく糾弾していた。毎日うどん粉を食べて暮らす苦学生にとって、その学生が栄養失調で苦しんでいるときに卵を分け与えていた貧しいお人好しにとって、そして今も少なからず存在するであろう貧しい人々にとって、現在の住宅事情は、果たして「住みよい」と言えるものだろうか?そして、それ以上に許せないのは、そのお人好し(=老人)が、卵の返礼として(=卵を与えた苦学生=男から)殺人の罪を背負わされようとしていることだった。過去を引合いに、老人に汚名を着せた真犯人ではないかとの指摘を受け、「貴様!」と激昂する男。だが、神代はそれ以上追及することもなく「そういう事件でないことを祈ります。失礼」と席を立つ。それは、いまだ確たる証拠がないからか。それとも、かつての友人に良心が残っていることを信じたいからなのか・・・
その後、神代の推測どおり、男がかつて被害者の村で用地買収に当たった責任者だと判明し、被害者と接点が明らかになる。また、男の強引な手法に対して社内でも批判が高まり、危うい立場にあることも分かる。神代は男の身辺を徹底的に調査するよう命じる。
一方、桜井は犯行現場を割り出すため、被害者に付着していた土を分析。そこにはリン酸が大量に含まれていた。同じ頃、橘は老人の飼っていたニワトリの死因が伝染病だと知る。その伝染病は東京近郊に発症例がなく、最近では埼玉県の養鶏場で発生していた。橘からその情報を得た桜井は、養鶏場に的を絞る。鶏糞には大量のリン酸が含まれているからだ。
その頃、時田は被害者の葬儀を訪れていた。弔問客もない寂しい葬儀で、妻の嘆きが時田の胸に染みる。「補償金で新しい家に住めて良かったという人もいます。でも、水の底に沈んでしまった、あの古い家に住んでいられたら、こんなことには・・・」それでも妻は、もはや取り戻しようのない過去を振り切って、東京で子どもたちを育てることを決意していた。少なくとも、東京には故郷の村とは違って働き口があるのだ。感慨にふける時田の眼に、一冊の手帳が映る。被害者が「金になるネタだ」と言っていたその手帳には、これまでの地上げの記録が、金の流れとともに記されていた。それによれば、実際の買収額と不動産会社の支払額には大きな差があり、その差額は男の懐に入っていた。被害者はこれをネタに、男を強請ったのではないか?
同じ頃、男の事件当日のアリバイが偽装だと判明。さらに、埼玉県の養鶏場から男と被害者の目撃証言も得られる。犯行現場と思われる養鶏場から採取した土は、被害者に付着していた土、そして男の車に残っていた土と一致した。逮捕状を手に、不動産会社に乗り込む神代。憮然とする男を見つめながら、神代は手錠を掛けた。
「あけぼの荘」の前で、男は全てを告白する。男は「あけぼの荘」付近の再開発が片付けば、被害者にまとまった金を渡す約束をしていた。少しずつ渡せば、バクチと酒に消えてしまうと考えたからだ。男はその金で、被害者が故郷の家族のもとに帰ることを願っていた。だが、バクチの借金に終われる被害者に、待つ時間はなかった。手帳をネタに脅迫する被害者を、男は乱闘の末にロープで絞め殺した。だが、だからといって、なぜ恩人である老人に罪を着せたのか?その問いに、男は質問を返す。「神代君、君はここが好きか?私は大っ嫌いだ!今でもうどん粉しか食べられなかった日々を夢に見て、寝汗をかくくらい嫌いだ。早く地上から消してしまいたかった・・・」そんな男の前に立ちふさがり、他の住人まで説得して立ち退きを拒んだのが老人だった。「あの人は、この私に反抗したんだ!」自らの消し去りたい過去、その象徴である「あけぼの荘」と老人を葬り去るために、男は老人に罪をかぶせようとしたのだ。男の消したい過去も、神代が懐かしむ過去も、すべて背負って「あけぼの荘」は建ち続ける。いずれ地上から消えてしまう「過去」を、神代と男は、それぞれの想いを込めて見詰めるのだった。

【感想など】
変わってしまう社会への不信感と、消え去っていく過去への郷愁を、今では死語となりつつある「地上げ」(ある意味、バブル社会の象徴とも言える)をテーマに描いた傑作。そこで描かれているのは、「現在の整備された都市は、本当に“住みやすい社会”なのか?」という問い掛けであり、その問いの背景には、その都市から弾き出されてしまう弱者の怒りと、そうした弱者の存在を無視して豊かな生活を享受する上流階級(さらには、彼らを主体とする社会全体)への怒りが込められているように思われますが、そうした弱者からの一方的な「強者への糾弾」で終わらないのが、今回の脚本の凄さではないでしょうか。

ドラマ的には、「貧しくとも(ある意味では)豊かだった過去」を、「懐かしく、尊いものと」して振り返る神代と、「思い出したくも無い、消してしまいもの」忌み嫌う男、という対比が(当然ながら、神代の意見が好意的に)描かれています。しかし、注意深く見てみれば、一見して正反対に見えた両者の立場が、実は同じコインの裏表のようなものではないか、という見方も成り立ちます。
神代の意見の背後には、「貧しいお人好し」である老人や、「ダムに沈んだ村」から追い出された被害者とその妻子などが、弱者の代表として描かれているわけですが、彼ら弱者が望んでいるのは、実は「弱者の居場所を守れ」という消極的なものだけではありません。その裏で、「本当は自分たちも強者の側に立ちたい」という積極的な望みを持っていることも見過ごせません。
「あけぼの荘」を守り続けたいと願う一方で、「あけぼの荘」を出て息子家族と同居したいと願う老人。「いつかは家族のもとへ」と願いながらも、地上げ屋の走狗となって都会の安易な享楽に走ってしまう被害者。「今はダムの底に沈んだ旧宅で暮らしていたら・・・」と過去を懐かしむ一方で、働き口のある東京で働くことを選ぶしかない被害者の妻。こうした描写の背景にあるのは、守りたい「古き良き時代」というものが、実は「恵まれない現状」から逃避するための幻想(神代の立場からすれば、「功成り名を遂げた者の郷愁」)に過ぎないのでは、という問い掛けではないでしょうか。

今回のテーマとなる「古き良き時代への郷愁」は、放送当時から20年以上を経た現在の方がより顕著です(その意味では、特捜らしい時代を先取りしたテーマ設定と言えるかもしれません)。しかし、昨今のいわゆる「昭和ノスタルジー」が、現実を無視して必要以上に過去を美化した「いいとこ取り」ではないか、との批判は良く耳にするところです。
郷愁の対象となる1950~60年代(昭和30~40年代)が本当に「良き時代」だったかどうかといえば、放送当時と、そして2009年現在と比べても、一概に「その通り」とは言えません。物価や住まいなどの住環境をみても、犯罪発生率や公害問題といった社会環境をみても、実際に当時の暮らしに戻りたい、という意見は、おそらく少数派でしかないでしょう。
男が(そして神代も)そうであったように、「こんな環境から抜け出したい」という社会全体の想い(当時の人々の総意)が、当時の日本を経済的に成長させる原動力になったというのは、否定できない事実です。その一方で、当時の人々の努力の結果として誕生した現在の社会が、手放しに歓迎できるものでないというのも、また事実です。いざ手に入れた成果を見たとき、そこには「捨ててしまいたかったもの」だけでなく、「残しておきたかったもの」までが失われてしまっていた。そうした喪失感の代償が「昭和ノスタルジー」ではないでしょうか。

「同じアパートの病人におかゆを持っていく」という美しい行為が現在には失われてしまっていることは事実ですが、それは人々が「プライバシー」や「安全性」を極端なまでに望んだ結果だというのも事実であり、自分で望んでおきながら、その結果として失われてしまったものを懐かしがる、というのは少々身勝手な気がしないでもありません。
とはいえ、相矛盾した二つの願いを抱いてしまう「身勝手さ」こそ、社会を進歩させてきた原動力であり、なんとか双方を調和して実現しようという工夫こそが人類の叡智ともいえます。
そう考えたとき、今回の脚本が描きたかったのは、「自分たちが望んだ社会は、本当にこんなものだったのだろうか」という疑問であり、「よりよい暮らしを追求するあまり、気がつけば大切なものまで捨ててしまった」という嘆きであり、さらには「取り返しがつかなくなる前に、もう一度、本当に望むべき社会のあり方を考え直そう」という提言だったのではないかと思えてきます。本作の放送から20数年を経た今、そうした疑問や嘆き、提言がどのように受け止められ、どのように消化されたのか、改めて検証してみる必要があるのではないでしょうか・・・

話を特捜に戻しますと、こうしたストーリーが最終3部作の直前に展開されたところに、何か「特捜最前線」というTVドラマが放送された10年間、さらには前作である「特別機動捜査隊」も含めれば四半世紀以上に及ぶ、まさに一時代の終わりを締め括るという意味合いが感じられ、感慨深いものがあります。
言ってみれば「あけぼの荘」とは、私たち視聴者にとっての「特捜最前線」であるかもしれず、長きにわたって大切な時間を与えてくれた存在が、遠くない将来(3週間後)には地上から消え去ってしまうという悲しみが、本作を裏から彩っているのかもしれません。もちろん、それは制作スタッフたちにとっても、視聴者と同様、あるいはそれ以上に悲しいことであり、だからこそ、特捜の歴史を影から支えてくれたゲスト俳優を動員し(老人役の今福将雄は言うまでもなく、チョイ役でしかない中年夫婦に北条清嗣を擁するあたりが、集大成的なものを感じます)、彼らもまた通常以上に迫力ある演技を見せてくれたのだと思います。

第505話 地上げ屋殺し(前編)

2009年10月21日 02時03分53秒 | Weblog
脚本 阿井文瓶、監督 野田幸男
1987年3月5日放送

【あらすじ】
高級マンションが立ち並ぶ街の一角にある、時代に取り残されたようなアパート「あけぼの荘」。その古びた姿を見つめる神代の表情からは、深い感慨が読み取れる。そこへ、数人の部下を引き連れた貫禄ある男が、咥えタバコで通り掛る。男は神代に視線を向けると、驚いたように足を止める。「神代君?」旧知の男との偶然の再会に、互いの顔に懐かしげな笑みが浮かぶ。「青春回顧ですか?」男の意味ありげな問いに、「いや、仕事ですよ」と答える神代。「一度ゆっくり、食事でも・・・」男が差し出した名刺には、大手不動産会社の専務という肩書が記されていた。
「あけぼの荘」の一室では、特命課の刑事たちが扼殺死体を取り囲んでいた。被害者はその部屋の住人で、家主によれば、部屋代を滞納している上に素行も悪く、おかげで他の部屋の住人が次々と逃げ出し、今では被害者の他に3部屋しか埋まっていない状況だという。
3部屋の住人を調べたところ、いずれも被害者とトラブルを抱えていた。なかでも激しくやり合っていたのが、ニワトリを飼う老人だった。
事件当夜、その老人が、ぐったりした被害者を部屋に担ぎ込んでいたとの目撃証言を得る橘たち。追及に対し、老人は「鶏小屋の前で死んでいたので、疑われるのが嫌で運んだだけ」と犯行を否定する。「あのアパートは私の人生の拠り所だ。だから、どれだけ嫌がらせをされても、出て行く気はなかった。そんな場所で人殺しなんかするもんか・・・」だが、その言葉とは裏腹に、老人は郊外に住む息子夫婦宅に同居を申し入れては断られていた。さらに、鶏小屋の奥から凶器のロープも発見される。だが、神代は「老人は犯人じゃない」と断定し、釈放を命じる。
他の2部屋の住人を当たる特命課。被害者に暴力を振るわれていた無職青年は、紅林に「仕事もせずにブラブラしている僕が許せなかったんだと思う。根は勤勉な男じゃないかな・・・」と語る。中年夫婦は橘に被害者への殺意を語る。妻は妊娠中に被害者の嫌がらせを受け、流産していた。「あの老人は、私たちの代わりに奴を殺してくれたんだ・・・」
被害者の身許を調べたところ、ダムに水没した村の出身と判明。被害者はダムの補償金を酒とバクチで失った挙句、妻子と離別していた。時田は被害者の妻子を見つけ出し、詳しい事情を聞く。「村のためを思ってやったことなんです・・・」被害者は廃れる一方の村の将来を考え、土地を売るよう住民たちを説得した。だが、持ちつけない大金を持った住人たちは身を持ち崩し、その責任を一身に負わされた被害者は、妻子と別れて村を出るしかなかった。以来、被害者は引っ越すたびに、妻に手紙を送り、「今に大金をつかんで、もう一度、家族一緒に・・・」と伝えてきたという。
被害者が移り住んだ住所を調べたところ、すべて新しいビルやマンションに建て替えられていた。「あけぼの荘」周辺にも土地買収の計画があり、被害者は地上げ屋の手先となって住民を追い出していたものと推測された。一方、被害者の靴に付着していた土が特殊なものと判明。他の場所で殺され、アパートに運ばれたものと推測されたため、車を運転できない老人の無罪が証明される。
そのとき、老人が呆然とした表情で特命課を訪れる。「みんな、殺された・・・」老人の言葉に緊迫した雰囲気が走るが、死んだのがニワトリと聞いて、とたんに弛緩する。だが、神代は一人、厳しい口調で老人の過去を語る。「あの頃、地下鉄が15円。かけそばが17円。アンパンが5円。ニワトリの卵は15円もした・・・」しかし、老人は決して卵を売ろうとしなかった。結核持ちのタイピストや、うどん粉だけで飢えをしのいでいた夜間大学生。かつての「あけぼの荘」の住人たちは、みな老人の卵で救われてきた。「あのニワトリは、そういうニワトリで、卵はそういう卵だったんだ・・・」そして、神代もまた、老人に助けられた一人だった。「10数年前、私が風邪を引いたとき、卵を落としたおかゆを持ってきてくださいました。覚えていらっしゃいますか?」「神代、君?」「その神代です」「神代君!」懐かしげに神代の肩を握り締める老人。その肩を握り返す神代の頬を、涙が伝っていた。
(長くなるので、後編に続く)

【感想など】
阿井文瓶最後の脚本にして、最終3部作を除けば最終エピソードとなる本編は、80年代後半の、後に「バブル」と呼ばれる時代を背景とした傑作。じっくりとあらすじを書き残したいと思いますので、特別に前後編に分けさせていただきます。できるだけ間を空けずに、あらすじの後編と感想を投稿しますので、よろしくご了承ください。

第504話 早春の伊豆・迷路に堕ちた愛

2009年10月08日 03時13分28秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 天野利彦
1987年2月26日放送

【あらすじ】
伊豆・堂ヶ島で男の刺殺死体が発見された。所持していた1万円札から、被害者は2ヵ月前に東京で現金輸送車を襲った3人組の一人と判明する。被害者は数日前に伊豆に現れ、ある女に付きまとっていたという。桜井は犬養とともに堂ヶ島に向かう。女に執拗に付きまとい、厳しく問い詰める桜井だが、女は「知りません」と答えるのみ。それでも女を追及する桜井の姿に、犬養は異様な執念を感じる。
桜井の執念には理由があった。2年前にも同じ手口の強奪事件が起こっており、その際、一人の警備員が死んでいた。その警備員は元警官で、桜井の恩師とも言える存在だった。桜井は今回の3人組が恩師の仇と見て、復讐を誓っていたのだ。
女は伊豆生まれの母親が都会でもうけた私生児で、母親は昨年病死し、父親は不明のままだった。女も4年前までは東京で働いており、当時は一流企業の会社員と不倫関係にあったらしい。そんな女を守るかのように、さり気なく桜井を妨害する初老の男がいた。男は死体の発見者でもあり、数ヶ月前に都会から移住していた。退職金で悠々自適な生活を送っているとの触れ込みだったが、桜井からその名前を聞いた神代は顔色を変える。男は元刑事で、定年を前に、全財産を妻子に残して失踪していた。
特命課は男と伊豆とのつながりを調べる。28年前、男は伊豆出身の殺人犯を逮捕した際、殺人犯の妹を利用した。男と妹はいつしか愛し合う仲となったが、殺人犯の身内が刑事と結婚できるはずもなく、妹は身篭ったまま故郷の伊豆に戻ったのだ。同じ頃、桜井も同様の事実を女の口から聞かされる。男が伊豆に移住したのは、死を目前にした母親を見舞うためだった。男が女の父親であることは明白だったが、死んだ母親も、そして男も、その事実をあえて口にすることはなかった。
一方、特命課は被害者の交友関係から、3人組の一人である学生を逮捕。学生の証言により、主犯格である第4の男の存在が判明。主犯の正体を知るのは被害者のみで、奪った金の大半は、主犯が昔の情婦のもとに隠したという。特命課はその情婦こそが女ではないかと推測。被害者はそれを知って伊豆に向かい、女に付きまとった挙句、主犯に殺されたのだろう。それは、女が不倫関係だったという会社員ではないか?
その推測を裏付けるように、事件直後、女が会社員風の男とともに伊豆の観光地めぐりをしていたことが判明する。奪った金の隠し場所を探していたに違いない。やがて、女の前に会社員、すなわち主犯が現れる。今も主犯を愛する女は、呼び出されるままに海岸へと出向く。だが、主犯は口封じのために女を崖から突き落とす。
運良く一命を取り留めた女は、男の勧めもあって、桜井に主犯の名を告白。金の隠し場所を問われた女が思い出したのは、主犯が呟いていた「海と道」という言葉だった。桜井は犬養とともに、女と主犯が巡った観光地を調べる。観光ポスターをヒントに、干潮時に海から現れる道だと気づく桜井。海中を探索した結果、果たしてトランクが発見される、だが、その中には石が詰められているだけだった。主犯は一足早く掘り返し、もう一度埋め直していたのだ。
地元警察の協力を得て、海と陸から主犯を追う桜井と犬養。その頃、上陸した主犯の前に、男が立ちはだかっていた。反撃し、男にナイフを突きつける主犯。そこに駆けつける桜井たち。ようやく巡ってきた復讐の機会に、桜井は男が人質に取られているのも構わず、主犯に拳銃を向ける。「桜井さん!」桜井の眼が脅しでないと見た犬養は慌てて飛びつく。桜井の放った銃弾は男の頬をかすめる。観念してナイフを捨てた主犯をかばうように、男は桜井の銃口にわが身を晒す。「撃っちゃいかん。ワッパ(手錠)を掛けるんだ」「どいてください・・・」刑事の身を捨てても復讐を果たそうとする桜井。かつて刑事であった誇りを守ろうとするかのように主犯をかばう男。睨み合いの末に、屈したのは桜井だった。
こうして事件は解決。主犯は2年前の事件についても自白し、残る共犯者も逮捕される。女と男に別れを告げ、伊豆を去る桜井。その眼にもはや復讐者の暗い光はなかった。

【感想など】
藤井邦夫最後の脚本作。長坂氏の著書によれば、藤井氏は「何も知らずに書き終えてから知らされた。シリーズが終わるつもりの本じゃないんだ」と長坂氏に愚痴ったそうですが、そう言いたくなるのも分からなくもないほどの残念な一本。「残念」というのは、毎度のごとく脚本としての整合性の無さや、キャラクター(桜井)の一貫性の無さを指しており、いくら地方ロケものという制約があったとはいえ、もうちょっと何とかならなかったものでしょうか?
藤井脚本で桜井主役といえば、以前にも第463話『傷跡・男達のララバイ』で同じような批判をしましたが(そう言えば第491話『天使を乗せた紙ヒコーキ』もそうでした)、どうもこの組み合わせは(私にとっては)相性が悪い。もちろん、藤井氏がハードボイルドな雰囲気を狙ったのは分かりますし、俳優陣の熱演や天野演出の冴えもあって、それなりに効果も出ていたと思います。いっそ特捜の一本でなく、2時間ドラマの脚本であれば、それなりに見応えがあったのかもしれませんが、残念ながら特捜の一本としては、個人的には残念と言う評価しか出てきません。
3人組の最後の一人は完全に蛇足だったり(最初から二人組にしておけばええやん)、ラストで元刑事が主犯の前に唐突に現れるのが不自然だったり、突っ込みどころは多々ありますが、特に気になったのは、復讐の鬼となる桜井の描写でした。若さと未熟さが売りの犬養ならともなく、海千山千の桜井が捜査よりも復讐を優先するというのは(海外から帰って来た当初ならまだしも)、殺された恩師との関係がさほど深く描かれていないこともあって、どうにも符に落ちません。また、元刑事のドラマ上での位置づけも今ひとつ不明瞭。意味ありげに登場した前半、その秘められた過去が明らかになる中盤と、ラストでの役回りに脈絡がなく、「桜井の復讐」と「元刑事の過去の悲恋と名乗り合わない親子の情愛」という2本の軸が、全くかみ合わないままにドラマが進んでいることが如実に伺えます(さらに言えば、「女の悲恋」という3本目の軸もあり、おそらくはタイトルの「迷路に堕ちた愛」はこちらを指していると思うのですが、より中途半端に終わっている印象)。

内容面では批判的になってしまいましたが、番組の終了がすでに決定しているためか、ゲストが何気に豪華です。薄幸な女を演じたのは、『必殺シリーズ』の主題歌の歌い手(特に『旅愁』が有名ですが、『さざなみ』も歌詞が秀逸)や後期のレギュラーとして知られる西崎みどり。最後のレギュラー出演となった橋掛人(初の元締役が印象的でした)の終了(85年11月)から1年半ですが、正直、現代劇でお目にかかるのは初めてなので、クレジットを見るまで分かりませんでした。
また、その立ち居振る舞いが異様に格好いい元刑事は青木義朗。特捜の前番組にして、刑事ドラマの『特別機動捜査隊』の主役の一人を長年にわたって務めてきただけに、その存在感は圧倒的であり、桜井が貫禄負けするのもやむを得ないところ。青木氏の熱演、特に桜井との対決シーンの迫力だけでも、内容の残念さを上回って余りあるものがありますので、前言を撤回するようで何ですが、トータルで言えばまずまず満足できるものでした。

第503話 拳銃強奪・愛した日々よ永遠に!

2009年10月06日 01時12分29秒 | Weblog
脚本 大野武雄、監督 村山新治
1987年2月19日放送

【あらすじ】
ライフル強盗がサラ金を襲い、特命課は拳銃を所持して出動する。慌しく出動する紅林を呼び止めたのは、大学時代の先輩の妻だった。数日前から行方不明になった先輩のことで相談を受けていたのだ。いまだ手掛かりがないことを妻に伝え、現場へ急行する紅林。
首尾よく強盗を逮捕し、署に戻った紅林を待っていたのは、当の先輩だった。顔に傷の残る先輩に、「奥さんが心配していましたよ」と告げる紅林だが、先輩は紅林に離婚届を託す。詳しく事情を聞こうとした紅林に、先輩が突然襲い掛かって負傷を負わせ、拳銃を奪って逃走する。責任を感じ、辞職を口にする紅林を「その前にやることがあるだろう」と叱咤する桜井。神代は紅林の負傷を案じながらも厳しく叱責し、自宅謹慎を命じる。
翌日の夜、拳銃発砲事件が発生。幸い、狙われた青年は無事だったが、銃弾は紅林の拳銃から放たれたものだと判明する。青年も先輩が犯人だと証言するが、これまで会ったこともなく、狙われる心当たりはないという。
先輩の真意を探るべく、妻や会社を訪ねる紅林。妻は大手企業の専務の一人娘であり、婿養子に入った先輩は義父の過剰な期待に辟易していたが、半年前から急に明るくなり、仕事にも身が入っていたという。紅林は先輩の変化のきっかけとなった同窓会での出来事を探る。その結果、ある友人が同窓会の土産話に、先輩が学生時代に同棲していた恋人の消息を調べていたことがわかる。恋人は、今も独身のままホステスとして働きながら、先輩との間にもうけた娘を育てていた。その友人によれば、「芸術活動の邪魔になるから」と子供を作ろうとしない先輩の妻に比べれば、よっぽど気立ての良い女だという。
紅林は恋人を訪ねるが、先輩が訪ねてきた形跡はなかった。かつて、恋人は先輩の卒業後に結婚を約束していたが、死んだ父親の借金を抱えることになったため、先輩の将来を考え、黙って姿を消したのだ。念のため、娘が働く喫茶店を訪ねるが、娘は母親にも黙って店を辞めていた。マスターによれば、先輩は頻繁に店を訪れ、素性を隠したまま娘と親しくしていたという。繁華街を遊び歩く娘を探し出した紅林。娘は先輩の行方は知らなかったが、青年の写真を見ると表情を変え「私は何も知らない!」と泣き出した。
一方、特命課は先輩の潜伏先を突き止める。先輩は別の青年を狙っていたらしく、特命課はその青年を追う。夜の街に銃弾が響き、近くにいた紅林が駆けつけると、足を撃たれた青年に先輩が銃口を突きつけていた。「俺の拳銃、返してくださいよ!」と迫る紅林に先輩が発砲。肩を撃たれながらも追いすがる紅林だが、青年を盾にした先輩は「理由はそいつに聞け」と言い捨てて逃走。この青年もまた「狙われる心当たりはない」とシラを切る。
再び娘を訪れた紅林は、先輩が娘の父親だと明かす。「これ以上、お父さんに罪を重ねさせないためにも、何があったのか教えてくれ」紅林言葉に、娘は涙ながらに告白する。一週間前、先輩と娘は夜の公園で三人組の青年にからまれた。青年らは先輩を殴り倒した末に娘を暴行。自分の無力さを痛感した先輩は、復讐の力を得るために紅林の拳銃を狙ったのだ。先輩の動機を知った紅林は「辛いかもしれないが、立ち直ってくれないか・・・」と娘を励ましつつ、拳銃の奪還を誓う。
「そんなの嘘ですよ。だって、証拠がないでしょう」となおもシラを切る青年二人を厳しく追及し、第三の青年の居所をつかむ特命課。青年の大学に急行する紅林たちだが、一足早く先輩が青年を屋上に追い詰める。危ういところで阻止する特命課。「事情は聞きました。もうやめてください!」復讐が果たせないと知った先輩は、紅林の目前で飛び降りた。
救急車で運ばれながら、紅林に詫びる先輩。人生を諦めつつあった先輩にとって、娘の存在は唯一の生き甲斐であり、その娘を汚した青年たちを許すことはできなかった。「俺は、拳銃が欲しかった。あいつらを殺すための拳銃が・・・・許してくれ・・・」詫びながら息を引き取る先輩の手を、紅林は強く握り締めた。

【感想など】
人生の盛りも過ぎ、愛してもない妻との間に子供もなく、出世の意欲もない男。そんな男が、青春時代に別れた女との間に娘がいたと知ったとき、どれほど心ときめかせるか、想像に難くありません。そして、その娘が自分の目の前で無残に汚されたとき、どれほどの憤怒、そして無力感に苛まれるか、想像に難くありません。青年たちに対する憎悪と、自分の無力さへの怒りから、凶行に駆り立てられる先輩(演じるのはライオン丸こと潮哲也)を、果たして誰が非難できるでしょう。
もちろん、後輩である紅林に及ぼす迷惑を考えれば、その手段は決して褒められたものではありませんが、確実に復讐を果たすためには(結局、殺すことはできませんでしたが、3人の素性を明るみにし、娘の勇気もあって法の裁きを受けさせることになったことを考えれば、ある意味で復讐は果たせたといえるでしょう)、他に方法はなかったとも言えるでしょう(刃物など半端な武器では返り討ちになる可能性も高いので)。後輩である紅林を窮地に追い込んでしまうことは、先輩にとってもさぞや胸の痛い想いだったでしょうし、復讐の結果に関わらず、最後には死んで詫びるほかはないとの決意を固めていたのでしょう。

愛する者を奪われた(汚された)者が復讐のために法を犯すという展開は、特捜に限らず刑事ドラマの定番とも言える展開ですが、今回はかの名作「撃つ女」のように、そうした個人による復讐の是非を問うような重厚なテーマ性は乏しく、これまた刑事ドラマの定番シチュエーションである「刑事の拳銃が奪われる」という展開をからめ、さらに拳銃を奪われた刑事の先輩後輩という関係性でドラマを彩っています。ただし、こうした要素が相互に絡み合うわけでもなく、紅林の中で「先輩への同情」と「拳銃奪回への執念」が平行線のままで終始するのは不満が残るところです。
そうした練り込み不足もあって、特捜本来の魅力である「重さ」に欠けるのは否めませんが、さすがに「拳銃が奪われる」という事態を重く認識しているという点では、他の刑事ドラマと一線を画しているように思われます。そもそも冒頭において、刑事が拳銃を携帯するのは火器を持った犯人に対処するときだけ、という「常識」をきちんと説明しているのが、いかにも特捜。他の刑事ドラマでは、刑事が通常の勤務中や、ひどいときには帰宅途中に襲われて拳銃を奪われるといった「非常識」な展開も少なくなく、リアル志向な視聴者にとっては、それだけで興ざめです。
さらに、「拳銃は人を殺す道具」と言い切ったり、「紅林さんの謹慎を解くわけにはいかないんでしょうか?」と切り出す叶を「警官が拳銃を奪われるのが、どれだけ重大なことか分からんのか?」と叱責したり、随所に神代の厳しさが描かれているのも好印象。とはいえ、紅林の謹慎がなし崩し的に解除されたり、最後には「お前を遊ばせておくほど暇ではない」とお咎めなしだったりと、厳しさ一辺倒でもなく、このあたりは賛否の別れるところかもしれません。

また、ラストでの刑事たちの雑談において「どうして男っていうのは、昔の恋人のことをすぐ思い出すんでしょうねぇ」という叶の言葉に「過ぎた恋は、みんな美しいからじゃありませんか?」と江崎婦警が答えていたのが妙に印象に残りました。ドラマ本編でもその点(先輩のかつての恋人に対する想い)が掘り下げられていれば、より味わい深いラストになったかとも思うのですが、それはそれとして、個人的には「美しい」のは「過ぎた恋」ではなく「実らなかった恋」ではないかと思います。この違いは男女の差なのか、それとも脚本家と私の性格の差なのか、答が出ないとは分かっているのもの、気になるところです。

第502話 黄色い帽子の女

2009年10月01日 01時12分55秒 | Weblog
脚本 長坂秀佳(原案 永井道子、野口小春)、監督 宮越澄
1987年2月12日放送

【あらすじ】
ある夜、叶は幼い娘を抱いて電車に飛び込もうとする女を助ける。未婚の母である女は、愛人との別れ話から無理心中を思い立ったという。1ヵ月後、女から叶に「娘が誘拐された」との電話が入る。誘拐犯は娘の父親、すなわち女の元愛人である製絹会社社長の金を当てにしていると思われた。社長は身代金の提供を快諾。社長の妻も事情は承知しており、一度だけ会ったことがあるという娘の身を案じる。
犯人の要求どおり、女は黄色い帽子とコート、サングラスを身につけ、黄色い傘を差して公園へ。犯人はなぜ黄色づくめの格好を指示したのか?特命課が監視するなか、犯人は約束の時間を過ぎても現れない。老女とぶつかった後、なぜか場所を移動する女。そこにラジコンヘリが現れ、女は身代金の入った紙袋をヘリにぶら下げる。だが、犯人のもとへ去って行くかに見えたヘリは、空中で大破。紙袋ごと炎上する。「あの子はどうなるんですか!?」予想外の事態に、取り乱した女の声がこだまする。
同時刻、社長がブティックの女店長とともに射殺される。現場には黄色い絹のスカーフが残されていた。女店長は社長の新しい愛人であり、社長は妻との離婚を考えていた。妻にも、そして女にも殺人の動機はあるが、女は犯行時刻に特命課の監視下にあり、アリバイは完璧だった。
その後、燃えカスを鑑定した結果、身代金がいつの間にかすり返られていたことが判明。女を追及する叶だが、女は「犯人から口止めされているんです・・・」と泣き崩れる。
そんなある夜、妻が慌てて女の部屋を訪れる。犯人から娘の居所を告げる電話があったというのだ。女と妻を連れて倉庫に駆けつける特命課。慌てるあまりに足を挫いた女の頼みで、率先して娘を探す妻。倉庫の片隅にはチョコレートの欠片が。妻によれば、それは娘の大好物だという。さらなる捜索の結果、ようやく娘が発見される。
公園での状況を検証した特命課は、女が身代金をすり替えるチャンスは、老女とぶつかったときしかないと判断。その老女が変装した妻、すなわち誘拐の黒幕ではないかとみて尋問するが、妻は「ばかばかしい。何のために?」と一蹴。特命課は、その理由が社長殺しにあると推測するが、証拠は何もなかった。
叶らはかつて妻と女が所属していた劇団を訪れる。妻と女は主役を、そして社長の心を争うライバルだったが、主役の座は常に妻のものだった。当時の劇を録画したビデオの中には、一瞬で互いの衣装を交換して早変わりする二人の姿があった。そのビデオをヒントに、特命課は女と妻が公園で入れ替わったと推測。妻が特命課の眼を引きつけている間に、女が社長と女店長を射殺。ヘリの爆破で眼をくらませ、再び入れ替わったのだろう。その証拠として、入れ替わった後の老婆の襟元には、当初はなかった黄色いスカーフが巻かれていた。殺人現場に残ったスカーフを手に、女を問い詰める叶。だが、犯行を否定する女の身体には、絹アレルギーの症状が生じていた。女に社長殺しは不可能だったが、公園で入れ替わったのは間違いない。改めて女を追及する叶だが、女は「犯人との約束で言えません」と繰り返すのみだった。
女の不審な行動をたどった叶は、そもそもの女との出会いが仕組まれていたことに気づく。女は特命課をアリバイ工作に利用するため、叶が近付くのを待って自殺の芝居を打ったのだ。だが、それだけ計算高い女が、容易に見破られる犯行を企み、多くの証拠を残すのは不自然だった。
その間、橘は誘拐犯からの電話を録音したテープを解析。声の主が外国人だとつかんだ橘は、テープのバックノイズを頼りに外国人を探し出す。それを証拠に、妻と女を尋問する特命課。二人は早変わりが見破られるのを逆手に取り、入れ替わったと見せかけた妻が社長を射殺したのだ。証拠はまだあった。娘が倉庫で発見されたとき、妻は一度しか会ったことのない娘の好物を知っていた。妻の不用意な一言は、妻と女の共犯関係を物語っていたが、そのミスの原因は女が足を挫いたことにあった。「それがわざとだったとしたら?」神代の言葉に、妻は女の裏切りを知る。
女は事件後、身代金で娘を施設に預けていた。自ら共犯として逮捕される覚悟で、妻を陥れたのだ。女の高笑いが響くなか、二人を連行する特命課。だが、叶には釈然としないものがあった。「なぜ、こんな真似を?」叶の問いに、女は満足げな笑顔で答えた。「舞台の上でも、人生の上でも、私はずっと脇役に甘んじてきた。でも、この事件では堂々たる主役だったのよ・・・」

【感想など】
誘拐事件と殺人事件。2つの事件をつなぐ巧妙なトリックと、その裏に隠された女の執念を描いた一本。今回も前回と同様、視聴者からのプロット公募よるものですが、誘拐、ラジコンヘリ、爆破、アレルギーなど、小道具にも既視感たっぷりで、前回に引き続き長坂脚本の集大成といった感があります。
ストーリーも長坂脚本でしかあり得ない、ほとんど力技とも言える(強引とも言う)複雑極まりないもので、込み入り過ぎたトリックが視聴者を混乱に陥れます。いろいろと矛盾や不自然な点が目に付くのですが、それが脚本上のミスなのか、女が意図的に証拠を残すための不自然さなのか、よく分からなくなってしまい、追及を諦めました。
ある意味、長坂脚本の悪癖の典型とも言える本編ですが、視聴者に「女と妻の共犯」とか「早替わりのトリック」を見抜かせておいて、さらにその裏を行くあたりはさすがの一言。ラストの女の高笑いも、単純に女を勝ち誇らせると見えて、その実、「主役」にこだわる女の愚かさ、哀れさを見つめる刑事たちの視線が隠れたテーマとなっており、ドラマに奥行きを与えています。とはいえ、決して「もう一度見たい」と思えるような作品ではなく、前回も含めて、「この期に及んでプロット公募とかやってる場合だったのか?」という疑問が拭いきれませんでした。