特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

突如放送された第1話「愛の十字架」を見て

2009年07月03日 01時08分03秒 | Weblog
なかなかファミ劇の放送に更新が追いつかず、リアルタイムで視聴している方とは話題が合わない日々が続いていましたので、今回、欠番となった第485話に代わって放送された第1話「愛の十字架」について、簡単に触れておきたいと思います。(正式なあらすじおよび感想は、後日改めて第1話からの放送が再開された折に、更新させていただきます。)

長坂秀佳の著書「術」で、「わたしのねらった“リアルな新しい刑事もの”の姿はなくなってしまっていた」とこき下ろされていた第1話ですが(本来の第1話は長坂氏が書くはずでしたが、実際は第7話となってしまったそうです)、長坂氏の言い分を鵜呑みにするわけではありませんけれども、やはり「これは面白い!」「毎週必ず見なければ!」というほどのものでないことも事実。劇中でも、特命課が結成間もない時期であることが匂わされていますが、「特捜最前線」というドラマ自体が、方向性を定め切れていない時期であり、刑事たちのチームワークもまだ確立されていない、という印象でした。

ヤクザに取引を持ちかけたり、安易に辞表を出したりする課長。また「悪党一人のために家庭の平和を壊すようなことは、ごめん被る」と、捜査を投げ出そうとするおやっさん。さらに、汚職刑事が裁かれないまま(しかもそれでハッピーエンドだといわんばかりに)のラストなど、その後の特捜を知るものからすれば、違和感を禁じえないシーンも多々ありましたが、それも今から振り返ってみてはじめて言えること。ここから10年もの長きにわたって繰り広げられるドラマの成り立ちという、貴重な一本を見る機会に恵まれたとを、ここは素直に喜んでおきましょう。

ちなみに、脚本の宗方寿郎が、石松愛弘の別名だというのは有名な話ですが、最近の石松脚本を見て、改めて第1話を見てみると、脚本としての良否は別として、この人の中での神代像というのは、良くも悪くもブレがないのだな、と思いました。
それにしても、一体何が「愛の十字架」だったのでしょうか・・・

第477話 浅草偽装心中・姉を殺した女スリ!?

2009年07月03日 01時05分06秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 天野利彦
1986年8月7日放送

【あらすじ】
桜井を手こずらせていた浅草の老スリが病死した。まるで遺言のように、老スリから桜井に送られた手紙、そこには「孫娘を更正させたい。よろしく頼む」と綴られていた。孫娘の両親は早くに死亡し、老スリが親代わりに育てていたが、ダニのようなチンピラに付きまとわれ、軽犯罪を繰り返し、水商売を転々とする日々を過ごしていた。老スリの葬儀の場でも我が物顔に振舞うチンピラ。孫娘の姉は、そんなチンピラと縁を切らせてもらえるよう、桜井に懇願する。だが、肝心の孫娘に、果たして更正する意思があるのだろうか・・・
数日後、姉が心中死体で発見される。心中相手は会社員で、姉とは不倫関係にあったらしい。当初は会社員が姉を絞殺した後、首を吊って死んだと見られていた。しかし、検死の結果、会社員は他殺だったと判明。特命課は偽装心中事件とみて捜査に乗り出す。
会社員は心中の前日、「鞄を盗まれた」と交番に駆け込んでいた。会社員の妻の証言から、その中には会社の機密書類が入っていたと推測される。会社員は、尽くしていた上司に裏切られ、「いつか復讐してやる」と誓っていたというのだ。特命課は、上司を怪しいと見て捜査を続ける。
一方、桜井は会社員が鞄を置き引きされた現場で目撃者を発見。目撃者の証言で割り出した置き引き犯は、孫娘だった。会社員の葬儀に場違いな姿で現れる孫娘を強引に連れ出し、鞄の行方を追及する桜井。「お姉さんは、会社から機密書類を盗んだために殺された会社員の巻き添えになった。あの鞄には、その書類が入っていたんだ」はじめは惚けていた孫娘だが、自分の置き引きした鞄が姉の死の原因になったと知り、動揺を隠せない。置き引きの相棒がチンピラと見た桜井は、改めてチンピラと縁を切るよう説得する。だが、孫娘は「あの人は警察と違って優しくしてくれる!」と真剣な表情で怒りを見せる。桜井はその表情から、孫娘が、惰性で付き合っているとばかり思っていたチンピラのことを、本気で愛していることに気づく。
孫娘を犬養に託し、一人、チンピラの元に向かう桜井。鞄はやはりチンピラが持っていた。「俺と一緒に自首してくれ。足を洗ってくれ。頼む、この通りだ」頭を下げる桜井の隙をつき、金属バットで殴りかかるチンピラ。桜井は負傷しながらもチンピラを逮捕。チンピラの持っていた書類が証拠となって、特命課は上司を逮捕。事件は解決する。
その後、無事に退院した桜井は、孫娘が働く定食屋を訪ねる。「おじいちゃんも、お姉ちゃんも、あの人と別れろって言ってくれたけど、あの人に面と向って『足を洗え』って言ってくれたのは、桜井さんだけだった・・・」孫娘の言葉に、桜井は願った。孫娘がチンピラと二人で、堅気として幸せに暮らす日が来ることを。

【感想など】
陽の当たらない世界から抜け出そうとしつつも、抜け出せない女の哀れさと、そんな女を救い出そうとする桜井の真摯さを描いた一本。桜井が中盤で罵倒したように、女に対しては「甘ったれんな!」という怒りしか出てこず、同情の余地もありません。これは女優の演技力の問題も多々あるでしょうが、劇伴として頻繁に流れるサザン(もしくは研ナオコ)の『夏をあきらめて』のインストが、本来は深刻であるはずのドラマの雰囲気を、実に甘ったるいものにしてしまっている影響も少なくないと思われます。

別に私はこの曲が嫌いなわけではありませんが(むしろ、どちらからといえば好きな曲です)、私の好む特捜の雰囲気とは、相性が良くないように思われてなりません。もちろん、選曲する側も、「雰囲気をぶち壊そう」と思っているわけではなく、「あまり深刻になると視聴者に見てもらえなくなる」と思って、あえて“特捜らしくない”劇伴を使用しているわけです。つまり、私のような“かつての特捜の雰囲気が好き”という視聴者はもはや少数派であり、制作側のターゲットではなくなってしまっているわけですから、見ていて面白くないのも、ある意味、当たり前のこと。寂しいことではありますが、やはり特捜は終るべき時を迎えている、ということなのでしょう。

脚本そのものは、佐藤氏らしさが出ているかはともかく、桜井の真摯なキャラクターにブレがなく、安定したレベルの話だと思うのですが、桜井に遺言を残した老スリとの絆や、孫娘につきまとう老刑事(面白いキャラクターなのですが、本筋と余り関係ないためあらすじからは省略)とか、久々に特捜らしい舞台となった「浅草」など、もっと膨らまして欲しかった要素があっさり済まされているだけに、残念な印象です。とはいえ、私が膨らまして欲しいそれらの要素は、膨らましたところで深刻かつ地味になるだけであり(私にとってはそこが良いのですが)、制作側としては「地味で深刻にしても視聴者は喜ばない」と判断して、“あえて深刻にしないよう”心掛けているわけですから、見ていて面白くないのも、ある意味、当たり前。やはり特捜は終わるべき時を・・・(虚しいので以下略)