特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第341話 殺人マラソンコース!

2007年08月28日 23時43分21秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 天野利彦

強引な吸収合併で名を馳せた経営者が殺害された。捜査に当たった特命課は、事件当日の来客者に容疑者を絞り込む。紅林は被害者の父親の友人であるスポーツ用品メーカーの社長を調べるが、犯行時刻には高級レストランで知人と食事をしていたというアリバイがあった。その後の調査で、犯行時刻直前に、被害者の速記者を務める女が被害者を訪問していたことが判明。女は「来客中だったので会わずに帰った」と主張。来客の姿は見ていないが、被害者が「白髪頭!」と罵る声が聞こえたため、老齢の男だと推測された。女のアリバイを確認したところ、社長と高級レストランで食事を共にしていたという。
社長は女と食事していたことを認めて「スポーツ仲間だ」と説明するが、食事するまでの行動については嘘をついた。さらに、社長の会社は傾きかけており、被害者に合併を持ちかけて断られていたことが判明する。60歳を目前にしながらスポーツ万能のベストドレッサーである社長に敬意を払いながらも、疑惑を募らせる紅林。
新宿公園をジョギングする社長を尾行した紅林は、不審な男と接触するのを目撃する。翌日も同じ場所で、同じ光景が繰り返された。社長が事件当夜にバッグを盗まれたことを知った紅林は、「男は殺人の証拠が入ったバッグを盗んで社長を脅迫しているのでは?」と推測。社長を問い質す紅林だが、社長は「トランクに入れ忘れただけだった」とバッグを見せる。別物を買い直しただけと推測する紅林だが、証拠はない。バッグが女からのプレゼントだと知った紅林は、本物かどうかの確認を女に迫る。女は「バッグには私だけに判る目印がある」とは言うものの、「犯人は白髪の老人。社長は立派な黒髪だから犯人のはずはない」と協力を拒絶する。
不審な男を尾行する特命課。男は社長が車内に残した現金を手にすると、バッグを車内に残して逃げ去った。男を捕らえつつ、社長を泳がせる特命課。自宅でバッグを処分しようとしたとき、紅林が踏み込む。バッグの中には血に染まったシャツが残されていた。「このバッグは私のじゃない」うろたえながらもシラを切る社長。紅林は女に二つのバッグを改めさせる。自らの手で社長の無実を証明しようとする女。しかし、女が社長に内緒で入れた御守りが現われたのは、社長が処分しようとしたバッグだった。
観念した社長は、すべてを自白する。あの日、社長は被害者に合併を拒絶された末に「あんたの頭、染めているんだろう」と嘲笑された。「たとえどんなに罵られようと、頭を下げ続けるつもりだった。だが、髪のことを言われて、ついカッとなって・・・」疲れ果てた社長の頭髪は、いつの間にか染める前の白髪に戻っていた。

自らの老いを認めまいとする哀しさを描いた一本。女が残した控え目な愛の証しが、男の有罪を決定づける証拠となる。皮肉な結末が印象深いだけに、そこに至るまでのグダグダした展開が余計に苛立ちます。特に、エレベータや非常階段を巡るトリック(というほどのものでもないが)は、視聴者を混乱させるだけで何の効果もないので、バッサリ省略して、代わりに社長や女の心情をじっくり描いた方が良かったのでは?と残念でなりませn。
事件解決後、「情けない男だ。若さは気持ちも問題ですよ」と社長を切り捨てる叶の言葉に共感する私ですが、おやっさんが「そう言えるうちは、まだいいんだよ」と答えたように、また橘や桜井、神代が苦笑を浮かべたように、自らの老いを自覚せざるを得ない年齢の人々にとっては感じ方が異なるのでしょうか?いつか私自身が老いを自覚した時、改めて視聴すれば、また違った感想を持つかもしれません。

第340話 老刑事・96時間の追跡!

2007年08月26日 20時03分45秒 | Weblog
脚本 大野武雄、監督 野田幸男

刑務所の移設に伴う囚人護送に協力する特命課。船村は体調不良のため一人だけ移送が遅れた青年を刑務間とともに護送する。青年は殺人罪で服役していたが、模範囚のため半年後には釈放の予定だった。励ます船村への感謝を込めて、青年は江ノ島を描いたスケッチを船村に贈る。「囚人仲間の似顔絵を描いたり、作曲も手がけたり、ちょっとした芸術家ですよ」好意を込めた刑務官の言葉に恐縮する青年を見て、船村は「なぜ、こんな男が人殺しを・・・」と嘆息するのだった。
上野駅に到着し、刑務官に後を託して船村が引き上げた直後、青年は脱走した。施設で育った青年にとって、唯一の肉親は花屋に勤める妹だけであり、特命課は妹をマークする。電話を受け、廃屋へと出かけていく妹。「青年からの呼び出しか?」と尾行する船村だが、そこで見たものは、施設で育った仲間とともにバイオリンの稽古に励む妹の姿だった。
一方、残された囚人の荷物から現れた似顔絵は、かつての恋人のものだと判明。恋人が青年との思い出の場所である江ノ島に旅行中だと知り、船村は後を追う。発見した恋人は、他の男と結婚していた。恋人は、青年が殺人を犯したことが信じられず、服役後も頻繁に面会に行っていたが、半年前に「もう来るな」と突き放され、それ以降は会ってもらえなくなったという。周囲の薦めで結婚した今も、彼女は青年の無実を信じていた。青年から贈られた江ノ島のスケッチを砂に埋め、船村は立ち去る。
そんななか、青年が手錠を切るために街工場に潜入したことが発覚。現場に残された血痕は、青年が喀血したものだった。青年は半年前から癌を患い、余命数ヶ月の状態だった。付近に潜伏していた青年を追い詰める船村だが、青年は「あと2日待ってください。3日後には自首します!」と必死に懇願した末に、通り掛った子供を盾に逃走する。
青年を脱走に駆り立てた原因を探るべく、脱走当日の移送コースを回って録画した映像を繰り返し見る船村。だが、何の手掛かりもつかめない。「何かを見たのではなく、聞いたのでは?」吉野の閃きを得て、再度移送コースを回る船村の耳に、バイオリンの音色が響く。そのバイオリンは、入院中の妻のために、老人が毎日奏でていたものだった。「妹たちのバイオリンだ。」船村の直感を裏付けるように、妹たちが練習していた曲は青年が作曲したものだと判明。「その発表の場が2日後にあるに違いない」妹に青年の逃走を明かし、協力を求める船村。「私は、奴を捕まえるために頼んでいるんじゃない。奴に治療を受けさせたいんだ」だが、兄の病状を察した妹は「助からないなら、兄の願いを叶えさせてあげてください!」と協力を拒む。そこに紅林らが駆けつけ、2日後に施設で発表会があることを船村に告げる。施設に網を張ろうとする船村の前に立ちはだかり、隠されていた真実を語る妹。「兄は人殺しじゃありません。私がやったんです」その日、妹はかねてから言い寄られていた男に襲われ、暴行を受けた。立ち去ろうとした男を背後から撲殺した直後、青年が駆けつけ、妹の罪をかばったのだった。
施設では、青年や妹が世話になった老女教師が退任を迎え、その慰労会で妹たちがバイオリンを演奏することになっていた。客席に紛れ、青年が現れるのを待つ船村たち。そこに付近を警備中の警官が現れ、異変を告げる。施設の前庭では、青年が息絶えていた。最後の願いを叶えんと、青年の遺体を窓際へと運ぶ刑事たち。窓越しに兄の遺体を眼にした妹が、兄への想いを込めて奏でるバイオリンの音色に、刑事たちはいつまでも耳を傾けていた。

移送される囚人の脱走劇に秘められた、悲しい真実を描いた一本です。とても殺人者には見えない模範囚の好青年が、残り半年の刑期を待てずになぜ脱走したのか?そこには、不治の病という悲劇があり、やがて妹の罪をかばって服役していたというもう一つの悲劇も明らかになります。妹の告白に「よく言ってくれたね。悪いようにはしない」と優しく声をかけるおやっさんですが、ラストシーンでは、演奏を終えた妹をパトカーに乗せて、連行します。恋人との未来を捨ててまで妹を守ろうとした青年の願いも虚しく、彼女はやはり殺人者として裁かれるのでしょう。青年の気持ちはもちろん、兄への感謝と申し訳なさ、そして罪の意識に苦しむ妹の気持ち、青年の無実を信じ続ける元恋人の気持ち、すべての気持ちを受け止めながらも、刑事としておやっさんにできることは、真実を明らかにすることだけ。結局、刑事という仕事は誰も救ってやれないのだという、特捜(特におやっさん主演作に顕著)で繰り返し語られたテーマが、人々の善意に溢れるエピソードゆえに、よりいっそうの重さと苦さを持って語られます。
前回に引き続き、プロット的にはありふれた話なのですが、さり気なく伏線を張り巡らせた展開のうまさや、人物像の丁寧な描写によって、見る者を引き込みます。ラストシーンも言ってしまえば「ベタな展開」ですが、それでも感動させられてしまうのが、脚本・演出のうまさだと言えるでしょう。

第339話 愛を裏切った女!

2007年08月25日 22時49分16秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 山口和彦

覚醒剤中毒のヤクザが射殺された。弾丸を鑑定した結果、その拳銃は2年前、刑事が二人組の男に奪われ、銀行強盗に使用されたものと判明。事件は迷宮入りし、刑事は警察を辞めていた。射殺事件から2日後、女が所轄署を訪れ「犯人は2年前に拳銃を奪われた元刑事だ」と告げる。女は元刑事と内縁関係にあった。
元刑事が現れるのではと、女が勤めるスナックにピアノマンとして潜入する叶。スナックのママやバーテンは、愛する男に尽くし抜いた女への同情とともに、退職後は女のヒモ同然だった元刑事への侮蔑を隠そうとしない。だが、叶は愛する男を裏切った女に反発を覚えた。
その後、射殺されたヤクザが2年前の銀行強盗の一人と判明。特命課は元刑事がヤクザの相棒も狙うのではないかと予測する。叶は女から、元刑事が追っていたという相棒の名を聞き出す。「もし俺が拳銃を奪われたら、奴と同じように拳銃を探し回り、犯人を殺すかもしれん」元刑事への同情を露にして「あんたは本当に奴を裏切ったのか?」と問い詰める叶に、女は元刑事と共に過ごした日々を語る。
元刑事は、捜査一筋の誠実な男だったが、拳銃を奪われ、署内で白眼視されることに耐え切れず警察を辞めたという。その後、独力で銀行強盗がヤクザだと突き止めると、自ら覚醒剤中毒となってヤクザに接近し、ヤクザも覚醒剤に引き込んだ。そしてヤクザが禁断症状に陥った際に拳銃を奪い返したのだ。自分をぼろぼろにしてまで復讐に走る元刑事の姿に、女はやり切れなくなったのだという。
身体を壊した元刑事は、何者かに調合された薬を服用していた。叶が薬を調べたところ、その薬は急性心不全の症状を誘発し、服用者を死に至らしめる可能性があった。また、ヤクザの相棒の身許を確認したところ、犯行当時は医大生で、現在は開業医の養子になっていることが判明。薬の出所は相棒ではないかと推測された。
深夜、外出する女を尾行する叶。女の前に現れたのは、医者となった相棒だった。女は元刑事が拳銃を取り返した後に死亡していることを明かし、相棒に復讐の銃口を向ける。相棒の反撃で窮地に陥った女だが、駆けつけた叶らに救出される。相棒は逮捕され、真相が明かされる。
元刑事がヤクザに接触したのを知った相棒は、顔を知られてないのをいいことに、元刑事を騙して死に至る薬を飲ませたのだ。元刑事の死後、女はその復讐を引き継ぐことを決意。ヤクザを射殺した上で、相棒の身許を調べるために警察を利用すべく、元刑事が生きていると装ったのだ。
海に沈めた元刑事の死体が引き上げるのを、叶とともに見守る女。その眼には、復讐をやり遂げた安堵感とともに、やりきれない虚しさがよぎっていた。

愛する男を裏切ったかに見えた女が、実はすでに死んでいた男の復讐を果たそうとしていた。プロット自体がありきたりなのはともかく、説明不足な上に伏線を無視した唐突な展開のため、非常にストーリーが分かりづらい一本です。最後に何とか辻褄はつけられるものの、こじつけ感は否めません。
絵画を切り取ったような演出をはじめ、華麗にピアノを弾きこなす叶、チョイ役ながら味のある脇役陣(足の悪いバーテンや屋台のおばちゃんなど)と、画面的には見るべきものもあるのですが、肝心のストーリーがこれでは、ちょっと評価のしようがありません。

第338話 午前0時30分の証言者!

2007年08月25日 03時40分44秒 | Weblog
脚本 押川國秋、監督 天野利彦

ある夜、一人の警官が駅前で倒れている若者を助け起こした。通り掛ったパトカーに乗せて病院に運び込んだものの、若者は手当ての甲斐なく死亡。死因は内臓破裂だった。若者の母親は、警官による暴力が原因だと訴えるが、警官はその事実を否定し、検察は起訴を見送った。しかし、母親は女性弁護士とともに「付審判請求」を起こし、特命課が再捜査に当たることになる。
女性弁護士が探し出した目撃者は、事件当夜、近くのスナックで飲んだ帰りに現場を通り掛り、警官が若者を突き飛ばし、腹部を蹴り上げるのを見たという。目撃者の行動は、スナックのマスターの証言からも裏付けられた。だが、警官の証言は違った。酒気を帯び、興奮していた若者は、警官を「早く行け、このドジお巡り!」と罵ったという。警官は「若者が腰の拳銃に手を伸ばしたため、思わず突き飛ばした」と認めたものの、それ以上の暴力は加えていないと断言する。そんな警官に対し、女弁護士は「人間は誰でも自分の都合のいいように記憶を修正するもの。あなたは自分の記憶を誤魔化している」と追及。さらに青年の母親に責め寄られ、悩み苦しむ警官。
その後の調べで、事件当夜、現場付近にマイクロバスが駐車しており、目撃者が証言した位置からは現場が見えないことが判明。だが、目撃者は証言を変えようとしない。そんななか、警官は罪悪感にかられる余り「本当に蹴らなかったか自信がない」と思い込み、罪を認めてしまう。勝ち誇る女弁護士だが、橘は「被害者や遺族に報いる道は、真実を明らかにすることだ」と警官を説得。警官は自供を撤回し、現場から自転車で逃げ去った娘がいたことを思い出す。事件当夜、現場付近に高価な女物の腕時計が落ちていたことと関連づけ、娘を探す特命課。女の身許は判明したが、その所在は不明だった。一方、腕時計の持ち主は別人であり、事件の3日前に現場付近のスナックで失くしたものだと判明。それは目撃者が飲んでいたスナックだった。
やがて、姿を消していた娘を探し出した特命課は、関係者を集めて現場検証を行う。腕時計をネコババした娘は、事件の夜、ネコババに気づいたスナックのマスターに乱暴されそうなり、そこへ通り掛った若者が娘を助けようとしたという。マスターは若者の腹部を蹴ったことは否定。娘は気を失っていて現場を見ていない。そこに、女弁護士が目撃者を連れて現れる。女弁護士に供述の嘘を暴かれ、観念した目撃者は、マスターが被害者の腹部を蹴りまくっていたことを告白する。若者の「早く行け、このドジお巡り!」という言葉は、娘を助けるよう警官に訴えていたのだった。こうして真相は明らかになり、警官に対する付審判請求は取り下げられた。

込み入ったストーリーの割には、何の感慨も残らない一本。「付審判請求」とは、公務員による職権濫用を訴えた者は、その事件を検察官が不起訴処分にした場合、不服があれば事件を審判に付するよう裁判所に直接請求できるという制度だそうですが、この制度を取り上げておいて、「でも警官は無実でした」というオチは、ひねり過ぎというよりも意図不明。「警官がつねに悪いわけではない」と弁護しているつもりかもしれませんが、それは「警官=悪」という前提があっての話。特段のテーマや主張を持って書かれた脚本とは到底思えません。
それにしても腹が立つのは、一人よがりな正義感を振りかざす女弁護士です。警察に対する悪意と偏見に満ちた態度で神代らを罵倒しておきながら、ラストシーンでは一転して目撃者を糾弾します。「法を守るという使命は、警察も弁護士も変わらない」などと取ってつけたようなことを言いますが、単に自分に不利を悟って態度を変えただけにしか見えず、不愉快な思いしか残りません。やたら被害者面する母親や、ころころ意見を変える警官も不愉快で、ともかく不愉快な話だったと総括させてもらいます。

第337話 哀歌をうたう女!

2007年08月23日 03時11分54秒 | Weblog
脚本 竹山洋、監督 藤井邦夫

捜査で徹夜明けの朝、吉野は路上でうずくまる女を助ける。「持病の頭痛だ」という女を自室まで送っていった吉野は、一家惨殺事件を報じる15年前の新聞を発見する。女はその事件の唯一の生き残りだった。両親と兄を殺され、自身も重症を負った女は、今もその後遺症である頭痛に苦しめられていた。吉野が刑事だと知った女は、その事件を調べるよう懇願する。
新聞によれば、犯人は当時17歳のシンナー中毒の少年で、逮捕後に病死していた。しかし、女は「真犯人はあいつだ」と、隣家に住む男を指差した。その根拠は、犯人が身につけていた御守りだった。女は数ヶ月前、雑誌で紹介された男がその御守りを持っているのを見て、思い出したのだという。女は何度も警察に訴えたが、すでに判決が下り、時効になっている事件だけに、警察は女の訴えを無視。女はやむなく、男の隣に引っ越して身辺を窺っていたという。
女の言葉を信じ、捜査を開始する吉野。男はコンピュータ会社に勤めるエリート社員で、他人に対する思いやりのかけらもない様子に疑惑を深めていく吉野だが、男から人権侵害と訴えられる。お詫びを理由に男を呼び出した神代は、男が真犯人だと確信しつつも、どうすることもできなかった。「いくら人を殺しても、時効になれば犯人は許されるんですか?」と訴える女をなだめ、自室に送って行く吉野。そこにはシンナー中毒の少年の妹が待っていた。二人は男のために肉親を失った者同士、助け合って生きてきたのだ。吉野は「忘れるんだ。いつまでも引きずっていちゃいけない」と諭しながらも、真相を追って15年前の犯行現場に向かう。何も手掛かりがつかめず、せめて供養にと被害者の墓を参った吉野は、きれいに手入れされていることに驚く。被害者の墓に対して、男の母親から永代供養料を送られていたことを知り、男の犯行を確信する吉野。
その間、女は自室に大量の血痕を残して失踪。目撃者の証言から、男が女を殺した容疑者として連行されていた。目撃者が妹だと知った吉野は、男を陥れるための狂言ではないかと推測する。妹を問い詰めた吉野は、女が自分の胸を刺し、治療もしないまま姿を消したことを知る。「あの男が事件のことを喋らなければ、あの子は死ぬつもりです」女の行方を追いつつ、男を尋問する特命課。「女が現れない限り、状況証拠だけでも殺人犯として起訴できる」と脅し、「女が現れるのは、あんたが15年前の罪を認めたときだ」と問い詰める船村。「もう時効なんだ。心配するな」との言葉に、男はついに犯行を認める。15年前、サイクリングで日本一周していた男は、被害者の店で万引きを見咎められたことを逆恨みし、少年の犯行に見せかけて被害者一家を惨殺したのだ。
その後、重症を負った女が発見され、男は大手を振って警察を出る。そこにハイエナのように群がるマスコミたち。「もう時効なんだ!」と必死に叫ぶ男を見て、女は初めて笑顔を見せるのだった。

時効に守られた犯人に対する被害者遺族の復讐を描いた一本です。たとえ法で裁けなくとも、真実を明らかにすることで社会的制裁を受けされることができる、というのが本編のいわばミソですが、「それでいいのか?」と言いたくなる自分がいます。恐らく、犯人はエリートサラリーマンとしての地位を失い、家庭を維持することも困難でしょう。しかし、言ってしまえば「ただそれだけのこと」です。前科がつくわけでもなく、マスコミの一過性の報道さえ過ぎ去ってしまえば、新たに職を得ることも可能です。本人にとっては不本意でしょうが、穏やかに天寿を全うすることは難しいことではありません。それで男の罪が本当に裁かれたことになるのかといえば、はなはだ疑問です。
さらに肝心なのが、男が罪を悔い改めることなど決してないということです。もちろん、刑務所に入れたからといって、必ずしも罪を悔い改めるわけではありません。しかし、罪が罪として裁かれない限り、この男が罪の意識を持つことはないでしょう。罪を悔いるかはともかく、男の行為を法的に罪だと認めることに意義があるのだと私は思います。そうした「けじめ」を妨げる「時効」という制度に対する怒りや不信感こそ、本編のテーマだと思うのですが、マスコミにさらすという安易な報復手段を取ることでテーマが薄められてしまったような印象があり、そこが残念に思えます。

女たちの報復の手段や、おやっさんの取り調べ方には納得しかねる私ですが、本編で最も心に残ったのは、名前しか登場しなかった男の母親の愛情です。日本一周に出かける息子の身を案じて、手作りの御守りを送る母親。その御守りが、女に男を真犯人だと気づかせるきっかけとなる皮肉。息子の犯した罪にただ一人気づき、誰にも知られることなく被害者を弔う母親。その行為が、吉野に男を犯人だと確信させる皮肉。母親の深い愛情は、息子を愛情深い人間に育てることにはつながらず、ことごとく息子を追い詰める結果となっていく。それもまた、母親が望んだ結果なのでしょうか?

第336話 緑色の爪の娘たち!

2007年08月22日 02時42分53秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 宮越澄

緑色のマニキュアをした若い娘が3人連続で殺された。捜査に乗り出した特命課は、事件当夜に同じく緑色の爪をした娘と遊んでいた若者を発見。それは橘の息子だった。息子の証言から、その娘を発見する橘。娘によると、被害者はいずれも遊び仲間で、マニキュアはメンバーの証しだった。残る一人のメンバーも殺害され、橘は娘の身辺をガードしようと自宅を訪問する。心配する母親を邪険に扱う娘の姿に、疑念をいだく橘。母親は「まさか、いつかの六本木の件で・・・」と口にするが、娘が阻んだため、それ以上は聞けなかった。所轄署で確認したところ、娘はかつて六本木で若い男にホテルへ連れ込まれ、乱暴されかけたと訴えたという。男は「女の方が気のある素振りだった」と必死に否定したが、娘の友人たちの証言もあって、暴行未遂として書類送検された。その友人たちこそ、今回の事件の被害者たちだった。男はマスコミの報道に晒され、勤めていた一流企業を懲戒免職となっていた。男の実家を訪ねた橘だが、厳格そうな父親は「息子は行方知れずだ」という。男は子供の頃から秀才で知られており、父親は自慢の息子を男手一人で育ててきたという。
娘の浪費癖を知った橘は、「娘の方から金目当てで男を誘い、断られたために腹いせのために警察に訴えたのではないか」と推理する。だが、娘にその真偽を確かめようとしたところ、逆に「精神的拷問を受けた」と訴えられる。その後、橘は息子が娘から予備校の学費を騙し取られたことを知り、自分の推理の正しさを確信。息子に対しては「お前はいい勉強をした。授業料を払ったと思え」と慰める。
友人宅を転々としていた男を発見した特命課。「僕はマスコミから制裁を受けている。これ以上どうしようというんだ!」と連続殺人との関わりを否定。アリバイも証明された。被害者の傷跡から、犯人は相当の剣道の腕前だと推測された。男の実家に置いてあった竹刀を思い出した橘は、男の父親の犯行ではないかと思い当たる。男から父親が剣道の有段者だったと確認する橘。
再び実家を訪ねたところ、父親の姿はなく、娘たちの住所と写真が発見された。娘の自宅付近で父親を発見する橘。「お父さん、もうこれ以上はよしなさい。」橘の言葉に、父親は「疲れた」と漏らして崩れ落ちた。橘の取調べに対して、父親は淡々と応じた。「誰が息子を罠に落としたのかは判らなかったが、私は緑色の爪の娘を次から次に殺した。あの娘たちはみんな虫けらだ。着飾って、化粧をして、純真そうな口を利いてはいるが、心は腐っている。息子は確かに世間知らずかもしれん。しかし、決して人を騙すようなことはしない。そう育てたんだ、私は。」父親の告白に、自分の息子の姿を重ね合わせる橘。「刑事さん。私が殺した娘の中に、息子を騙した娘はいたんですか?」と問う父親に、橘は答えることができなかった。

「女は弱いもの」という先入観を逆手にとって、男を食い物にする虫けらのような娘たちに、誰もが激しい怒りを抱かずにはいられない一本です。痴漢冤罪事件を描いた映画が話題になっていましたが、若い娘たちの者被害者面の影に、どれだけの悪意が隠れているものかわかったものではありません。若い女、特に爪を染めている女を見たら、ダッシュで逃げましょう。どんなひどい目に遭うか分かったものではありません。
心配する母親を邪険にする場面、橘の忠告を涼しい顔で聞き流す場面、都合が悪くなると「人権侵害よ」などと勝手な理屈を振りかざす場面と、この娘のやることなすことすべてに腹が立ちますが、何よりも許せないのはラストシーンです。事件が解決したあと「殺人犯はどっかのおじいちゃんだったって?」と無邪気に笑う娘に、叶は胸倉をつかんで「貴様!」と絶句します。そんな怒りも蛙の面にしょんべんで、平然と「今度は爪を何色にしようかなー」などとほざく娘に、「撃て!叶。その虫けらを叩きのめせ!」と思わずテレビに向かって叫ぶ私ですが、それは虚しく響くだけでした。
こんな娘が少なからずいることで、すべての若い娘が同類だと拡大解釈され、実際に痴漢の被害に遭う女性たちにも疑惑の目が注がれてしまうことでしょう。虫けらのような娘たちは、男の敵であるばかりでなく、女の敵でもあるのではないのでしょうか?それとも、我々男たちが知らぬ間に、世間はこんな女で満ち溢れているのでしょうか?そんなはずはない。そうであって欲しくない。そんな私の願いも虚しく、世間の女達の爪は奇妙奇天烈な色に染め上げられていくのでした。

そんな嘆きはさておき、娘たちの醜悪さとともに、本編の大きなテーマとして描かれているのが父親の息子に対する無条件な愛情です。ドラマ中盤、娘の身辺調査に没頭する橘は「被害者である娘よりも、犯人である男や、男を甘やかせた父親を責めるべきじゃないか?」と吉野に指摘されます。「親はみんな過保護だよ。子供を大事にしてどこが悪い」と反論する橘の脳裏には、浪人中の我が子が浮かんでいたことでしょう。高杉婦警の入れたお茶を飲んで「苦いな、これ」と漏らす橘。その苦さとは、吉野の言葉(父親に対して複雑な想いを抱いている吉野だからこその説得力を持った言葉)に否定できない真実を感じ取りながらも、同じ父親として、その真実を認めたくないがゆえの苦さではなかったのでしょうか。
この苦さを噛み締めながらも、世間知らずにも娘に金を騙し取られた息子に対しては、甘く接せざるを得ない橘。その弱さが、同じく世間知らずな息子を持った父親(演じるのは『ケンちゃんシリーズ』の父親役でお馴染みの牟田悌三)に対する同情となり、刑事としての橘を追い詰めていきます。父親に対する疑念を確かめたとき「親父は元気でしたか?」と尋ねる男に対し、「息子が行方不明なのに、元気なわけないだろう!」と不必要なまでに怒りを露にする橘。そこには愛情を込めて育ててきた息子が、必ずしも自分の理想通りに育つものではないという、ごく当たり前の事実を、受け入れ難い父親の哀しみが込められているのでしょう。

女に対する哀しみ。息子に対する哀しみ。男が誰もが直面するであろう二つの哀しみを、一つの事件を通して見事に描き切った脚本には脱帽するしかありません。そこに一切の救いがないのも、橘のやるせない表情のアップで締め括られるのも、特捜ならではの魅力といえるのではないでしょうか。

帰省します。

2007年08月09日 22時53分35秒 | Weblog
いつも当ブログをご覧いただいている皆様、ありがとうございます。
フリーという身軽さを活かして、明日から十日ほど関西に帰省します。
田舎では「ファミ劇」を視聴できないため、次回更新は東京に戻って録画したものを見てからとなりますので、20日以降からぼちぼち進めていく予定です。
定期的にアクセスいただいている物好きな方もいらっしゃるようですので、一応の告知とさせていただきます。
皆様もよいお盆をお過ごしください。

第335話 愛人バンクの女!

2007年08月07日 01時25分54秒 | Weblog
脚本 阿井文瓶、監督 野田幸男

女子大生が自室で刺殺された。目撃者の証言によると、若い女が部屋から逃げて行ったという。室内を調べた結果、鏡台の奥から数枚の名刺が発見され、犯人はこれを探していたものと推測された。名刺の主は、いずれも社会的地位のある名士たちばかりで、被害者との関係を訪ね回る紅林に対し、いずれも「そんな女子大生は知らない」と口を揃えた。
再会した妹からの食事の誘いを断り、捜査に没頭する紅林。自分を待ち続ける妹に気兼ねしつつ、どうしても他人行儀な態度を取ってしまうことに、忸怩たる想いを抱いていた。被害者が「ノアの会」なる宗教団体に加入していたことを知った紅林は、その実態が愛人バンクではないかと見て、内偵を進める。「ノアの会」に多くの若い女が出入りするのを見て、暗澹たる気持ちを抱く紅林。その中に妹の姿を見た紅林は、慌てて妹に脱会を命じる。しかし、妹は脱会を拒絶。ようやく会えた兄と親しく食事する機会もない妹にとって、「ノアの会」は孤独を慰める唯一の場所だったのだ。
そんななか、所轄署に「女子大生殺しの犯人は、紅林刑事の妹」とのタレコミが入る。妹を信じつつ、妹の部屋に所轄の刑事たちを案内する紅林。果たして、冷蔵庫の裏からナイフが発見される。ナイフからは妹の指紋と被害者の血液が検出され、目撃者も妹が犯人だと断言する。「俺がやる」と遮る桜井に頭を下げつつ、紅林は自らの手で妹に手錠を掛ける。肉親の関わる事件から外れざるを得ない紅林に、「妹さんは誰かに陥れられたんだ。必ず無実を証明して見せる」と誓う神代たち。じっとしていられず、妹のアリバイを立証しようと駆け回る紅林。妹の友人の証言を得てアリバイを証明するが、手錠をかけられたことで兄への不信感に囚われた妹は、他人行儀な礼を残して「ノアの会」の会長とともに去っていく。だが、所轄署での取調べに応じた友人は「紅林に頼まれてアリバイをでっち上げた」と証言する。友人もまた「ノアの会」の罠だったのだ。
神代に謹慎を命じられながらも、誰もいない妹の部屋を訪れる紅林。そこに電話が入り「妹さんが監禁されています!」と紅林に告げる。罠と知りつつ監禁場所へと急ぐ紅林。駆け付けた紅林だが、妹は「私を信じることより、捜査の方が大事なの?」と責める。「信じているからこそ、逮捕できたんだ」と答える紅林。誰の言葉を信じればよいのか迷う妹の前に、銃を手にした会長が現れ、妹もろとも紅林を殺そうとする。ようやく兄の言葉の真実に気づく妹。「刑事として来たんじゃない。兄として、一緒に死ぬために来たんだ」紅林は初めて妹の名を呼び、身を挺して守ろうとする。絶体絶命の瞬間、特命課が駆けつけ、紅林と妹を救出する。紅林は血に染まった手で、会長に手錠を掛けるのだった。

第315話「面影列車」以来、久々に紅林の妹が登場。この間、一人暮らしを続けているらしき紅林を見ていて「妹さんはどうしたのか?」と心配していたのですが、妹は東京に職を得て別居いたことを知って一安心。事件解決後、ラストシーンで妹に「特命課のお茶汲みをやってくれないか」と粋な計らいを見せる神代課長。来週から妹さんがレギュラーになるかどうかは期待薄ですが、神代をはじめとする特命課の刑事たちの優しさがにじみ出る好編でした。
紅林の自分に対する厳しさ(悪く言えば融通の利かなさ)が仇となって、ようやく再会できた妹の間に深刻な溝ができてしまい、いかにその溝を埋めていくかが本編の見どころ。往生際の悪い某首相の例を見るまでもなく、自分に甘い人間の振る舞いは実に見苦しいもの。とはいえ、自分に厳しすぎるあまり、その厳しさを自分の身内にまで課してしまうのは考えものです。「それも身内に対する愛情だ」とも言えますが、再会したばかりで信頼関係を築く途上にあった妹さんに対して、自ら手錠を掛けるのはあきらかにやり過ぎ。そうした融通の利かなさが紅林の魅力でもあるのですが、他にいくらでも手段があるでしょうに、ことさらに不幸な道を歩もうとするかのような痛々しさは、どうにかすべきです。過度な厳しさを自分に課す人に対しては、誰かが「自分から幸せになろうとしない人間が、幸せになれるわけがない」と言ってやる必要があるのではないでしょうか?
ちなみに、「ノアの会」というのは80年頃に話題になった「イエスの方舟」事件が元ネタと思われます。それはさておき、「面影列車」のコメントで、紅林の妹役を鳥居恵子さんと描いてしまいましたが、これはクレジットの印象に迷わされた私のミス。正しくは今回と同様に丸山秀美さんでした。お恥ずかしい限りです。お気づきだった方、今後は黙って笑ってないで指摘してください。もちろん、私が気をつければいいだけの話なのですが・・・

第334話 東京犯罪ガイド!

2007年08月05日 23時08分52秒 | Weblog
脚本 塙五郎、監督 辻理

吉野の父親が東京観光の一団とともに佐賀から上京してきた。父親と会う約束をしていた吉野は、約束の時間を気にしながらも、ある若者の取調べに没頭していた。若者は、一人暮らしの孤独な老人を殺した強盗事件の容疑者として逮捕されたが、犯行を頑なに否定していた。「女と会っていた」とアリバイを主張する若者だが、女とはディスコで出会っただけの間柄で、住所も知らないという。若者とともに繁華街で女を捜す吉野だが、「父親から連絡がなかったか」と特命課に電話している隙に、若者の逃走を許してしまう。
一方、父親は吉野が来ないことに諦めの表情を浮かべていた。観光バスのバスガイドに後押しされて特命課に電話を入れるが、「吉野は捜査中で不在」と聞き、名乗ることなく電話を切った。吉野の父親の無骨さに、亡き父親の面影を見たバスガイドは、結婚を申し込まれた男のことで相談を持ちかけ、自室へと招き入れる。
一方、若者の自宅を捜索した吉野は、女の写真を発見。そこに映っていたのはバスガイドだった。バスガイドの自宅を訪ねた吉野は、父親と意外な対面を果たす。神代の計らいで、父親と二人きりで語らう吉野。だが、父親の素っ気ない態度に、「あんたがいつもそんなだから、母さんが苦労するんだ!」と、言わずもがなの悪態を叩いてしまう。吉野は父親が浮気した女に産ませた子供だった。吉野の母親は、実の子ではない吉野を、実の子である長男と分け隔てなく育てた。だが、父親は吉野に対して素直な愛情を向けることができず、吉野もまた父親を憎み、家出同然に上京したのだ。
吉野と喧嘩別れした父親は、若者の正体を知ってショックを受けたバスガイドを案じて、その部屋を訪ねる。不安の余り父親にすがりつくバスガイド。そこに電話が掛かってくる。電話に出ることを拒絶するバスガイドに「出なくちゃ駄目だ。これ以上、罪を重ねさせないよう説得するんだ」と励ます父親。電話はやはり若者からだった。若者と待ち合わせた新宿駅に、バスガイドは父親とともに出かける。
新宿駅に張り込んだ吉野たちは、父親の姿に驚きながらも若者の到来を待つ。現れた若者は、バスガイドを強引に連れて行こうとするが、吉野の父親が立ちはだかる。父親を蹴倒し、逃走する若者。一瞬、父親の身を案じて立ち止まる吉野に「何をしとる!行かんか!」と父親の叱咤が飛んだ。捕らえられた若者は、ようやく罪を認め、事件は解決する。
事件後、故郷に帰る父親を見送りもせず、裏づけのためにバスガイドを訪ねる吉野。バスガイドに父親が語った言葉から、吉野は母親から贈られたと思っていた就職祝いの腕時計が、実は父親からの贈り物だったことを知る。父の乗った新幹線がホームを出る瞬間、吉野が駆け寄る。窓越しに見つけた父親に、吉野は腕時計を誇らしげに掲げる。我が子が初めて見せた自分への感謝の気持ちに、父親は感慨深げな表情を浮かべるのだった。

同じく塙脚本の第220話「張り込み・閉ざされた唇」に続いて、吉野と父親との関係を描いた一本。前回の母親に続いて、今回は父親自らが上京。吉野の父親に対して冷たい態度を取り続けた理由も明らかになり、DVD-BOX Vol.3に収録された吉野殉職編にも連なる物語が展開されます。できることなら3本続けて視聴することをお勧めします。
吉野の父親を演じたのは、個人的に大好きな俳優の一人である高松英郎氏。今年2月に惜しくも亡くなられましたが、『必殺仕置人』(『仕事屋稼業』と並ぶシリーズ最高傑作!)の牢名主・天神の小六役が忘れがたい名優です。無骨で不器用な吉野の父親役には最適なキャスティング。どことなく風貌も似ていて、両者が感情をぶつけ合うシーンは実の親子の相克のような緊張感を漂わせていました。
特筆すべきなのは、やはり感涙必至のラストシーンですが、そこに向けて、父親の吉野に対する秘められた愛情が明かされるまでの展開が、非常に練り込まれています。冒頭から、母親から贈られた(と信じる)腕時計への吉野の愛着が描かれ、(血の繋がらない)母親への感謝と負い目が、父親に対する不信と憎悪を増幅する役割を果たしていることが見て取れます。しかし、その腕時計は、実は父親が吉野に贈ったものでした。「自分からの贈り物なんて、竜次は受け取らない」父親の真意を知ったとき、吉野は愛情を素直に現せない哀しみを知るのでした。それは、愛する相手に愛情を受け入れられないことを恐れる弱さであり、その弱さは、父親に対する愛情を認めたくない、さらには父親の愛情を求めてやまない吉野自身の弱さでもあったのです。父親と自分の弱さを知ることが、父親との絆を確かめることになるというストーリー展開が実に味わい深い。そして、ラストシーンで描かれたのは、言葉を交わすでもなく、涙や笑顔を見せるでもなく、どこか怒ったような顔を窓越しにつき合わせることで、初めて気持ちを通い合わせ二人の姿でした。そこには、「脚本の妙」と「役者の熱演」が融合した、素晴らしい余韻があるのでした。