特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第465話 木曜日の暴行魔! 疑惑の単身警官待機寮

2009年03月07日 02時14分18秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 宮越澄
1986年5月15日放送

【あらすじ】
目黒で木曜日の夜に発生する連続婦女暴行事件を追う特命課に、「犯人は警官」との投書が届く。投書の主は、偶然、暴行現場に行き会って犯人の跡をつけたところ、警察の単身者待機寮に入っていったという。血液型や事件当夜のアリバイから、四人の警官がリストアップされる。「容疑者が警官である以上、より厳しく対処せねばならん」神代の言葉の重みを噛み締め、犬養は四人の身辺を洗うべく、研修と偽って待機寮に潜入する。
次第に明らかになる四人の素性。昇任試験のためにガリ勉中の知能犯担当。女嫌いで柔道一筋の巡査長。ヤクザの妹と結婚を上司に反対されてふて腐れる暴力団担当。そして、尊敬する父親に倣って「生涯巡査」をめざす若い巡査。この中に暴行犯がいるのだろうか?
一方、特命課は投書にあった事件の裏を取るが、投書主の言う時間に暴行事件があった形跡はない。また、指紋から当初の主は女だと判明。果たして、女一人で暴行犯を尾行するだろうか?投書の信憑性が怪しまれるなか、橘と叶は目黒近辺の変質者を追う。
問題の木曜日、犬養は杉、江崎の協力を得て四人の行動を見張る。外出した巡査長と巡査を、それぞれ杉と江崎が尾行する。女嫌いを自称していた巡査長は、密かに結婚相談所で見合い相手を紹介されていた。一方、江崎はスカウトに絡まれている間に、巡査を見失う。責任を感じた江崎は杉とともに目黒へ向かう。暴行現場に行き会う江崎だが、杉が所轄署の刑事に不審者と間違われている間に、暴行犯の逃走を許してしまう。
そんななか、投書主らしき女から「早く警官を逮捕しろ」との電話が入る。逆探知した女の住所を訪ねる桜井。女の証言は曖昧だったが、四人の警官の写真を見せると、「この男よ」と迷わず巡査を示した。投書では「顔が見えない」と言っておきながら、なぜ顔が分かったのか?疑惑はさらに深まる。
やがて巡査長、暴力団担当、知能犯担当のアリバイは立証され、特命課は唯一アリバイのない巡査を参考人として取り調べる。巡査は犯行を否定するが、女との関係も、当夜のアリバイも語ろうとしない。犬養の正体を知った知能犯担当から「仲間を調べ回ってまで、手柄を立てようってわけだ」と皮肉られ、神代に「私が潜入したのは、犯人を逮捕するためじゃなく、仲間の潔白を証明したかったらです」と食ってかかる犬養。「それほど信じているなら、彼のアリバイを証明して見せろ」神代の言葉に、犬養は強く頷いた。
巡査は最近、新宿で赤い髪の少女を探していた。ようやく探し出した少女は、巡査の説得でトルエン中毒から立ち直るために入院中だった。事件の夜、巡査は少女を病院に連れて行っていたが、少女との「誰にも言わない」との約束を守って沈黙していたのだ。
また、巡査のかつての上司の証言で、巡査と女の関係が明らかになる。巡査は新宿の風俗街で働いていた女に足を洗うよう説得。女は巡査の行為を愛情と勘違いして、巡査を追い回し、巡査は女から逃げるように勤務地を移った。その後、女は過去を隠して大病院の一人息子と婚約。巡査を憎むとともに、婚約者に過去を明かされるのを恐れ、社会的に抹殺するために嘘の投書をしたのだ。
すべてが明らかになったとき、犬養は巡査に頭を下げ、自分の正体を明かす。「なぜ、言わなかった?」「私は警察官です。人が隠したがっている過去を、話すわけにはいけません」
翌日、橘と叶の追っていた変質者の線から、真犯人が逮捕される。犯人は都議会議員の愛人の息子で、議員は週に一度、木曜日に愛人に会いに来ていた。
こうして、連続暴行事件は解決する。だが、ありもしない事件をでっち上げ、巡査を陥れようとした女への処分はない。「なぜです?」と食ってかかる犬養に、神代は語る。「彼がそれを望んでいたと思うかね?私は、疑われたのが警察官でよかったと思っている。もし、これが一般人だったら、その人の一生を変えてしまうことになったかもしれん」
神代の言葉に、犬養は改めて知る。警察官という職務の重さを。そして「生涯巡査」をめざし、今日も地道にパトロールを続ける巡査の志の尊さを。

【感想など】
独身寮の警官たちに向けられた疑惑を背景に、さまざまな警官の生き様と、警官であることの厳しさを描いた一本。登場人物が多いわりにシーンの繋ぎ方が悪く、人の顔を覚えるのが苦手な私としては、人物配置(特に若い巡査が制服姿と私服姿では別人に見えた)が把握しづらかった印象があります。また、女の証言がデタラメだと分かっていながら巡査を連行するのが不自然だったりと、真犯人が本筋と乖離していたりと、いろいろ文句も言いたくなりますが、全体的な印象は悪くありません。
その原因としては、疑惑の警官4人の人物像が、(掘り下げ不足な感もあるとはいえ)それぞれ練られていること。特に伊吹剛演じる巡査長の恋愛話や、暴力団担当とヤクザの妹との恋模様などは、それぞれ独立したエピソードが作れるのではないかと思うほど。もちろん、メインとなる巡査の人物像も、犬養との会話を通じて印象深いものになっています。「君には盛り場よりも、この街が似合う」という何気ない言葉に、「警官になるとき、父親から『勤務する街の似合う警官になれ』と言われたんです」と笑みを浮かべる巡査。手柄よりも、出世よりも、「街に似合う」ことを目標とするこの巡査こそ、今回の脚本家が、そして多くの一般市民が描くところの理想の警官像でしょう。
加えて言えば、珍しく杉と江崎婦警にも大きくスポットが当たっているのも今回の特徴。さらに、ラストの課長の台詞に込められたメッセージが評価を押し上げているのは、言うまでもありません。

第464話 埋み火・闇に濡れる哀切のルージュ!

2009年03月04日 02時47分02秒 | Weblog
脚本 野波静雄、監督 天野利彦
1986年5月8日放送

【あらすじ】
信用金庫の現金輸送車が二人組の強盗に襲われた。犯人の一人は程なく逮捕されるが、猟銃を持った相棒の行方がつかめない。犯人の供述によれば、相棒はソープランドのボーイだった男で、かつては豆腐屋の女と恋仲だったが、女の祖父の猛反対にあって別れたという。豆腐屋を調べに向かった時田と叶が見たものは、ボケた祖父を介護しながら、一人で店を切り盛りする女の姿だった。「これでは男を匿うどころではないだろう」と引き上げようとした矢先、時田は女が口紅をしていることに気づく。「男が来たからだ」と直感した時田は、近所の電器屋の二階を借りて豆腐屋を張り込む。
一方、桜井らは何者かが現金輸送車の情報を漏らしたと見て、信用金庫の職員を調べる。その結果、サラ金に手を出した職員が、男の務めるソープの常連だったことが判明する。
電気屋によれば、女の両親は、女が高校生の頃に相次いで病死した。幼い頃から、多忙な両親の代わりに祖父に可愛がられていた女だが、今ではボケた祖父を三畳間に閉じ込めるようにして暮らしているらしい。張り込みを続ける時田だが、祖父は夜中に「泥棒だぞ」と叫んだり、転倒して頭を打ち救急車を呼ぶ騒ぎになったりと、女に迷惑を掛け続ける毎日。次第に女に同情を寄せるようになった時田は、単身赴任者を装って女に接触する。
ある夜、家を抜け出して徘徊する祖父を保護した時田は、自分にも郷里に年老いた父がいることを明かし「失礼な話ですが、自分の父がおお宅のお爺さんのようになったら、どうしようかと思う」と語る。そんな時田に、女は「おじいちゃんを殺して、自分も死のうと思うことがある」と本音を吐露するが、「でも、他に生き甲斐というか、心の支えがあれば違う」と付け加えた。時田は女にとっての“支え”こそ、逃走中の男なのだと確信する。だが、その支えを失ったとき、女と祖父はどうなってしまうのか・・・
その後、女は外出先で、桜井らがマークする信金の職員と接触する。女が職員から男の逃走資金を受け取ったと見て警戒を強めるなか、時田は豆腐屋の物干しに男物の下着が干してあることに気づく。祖父の下着は「おしめ」であり、下着は男の存在を物語る証拠に他ならなかった。踏み込みの準備を進める矢先、再び豆腐屋に救急車が。女に付き添われて運ばれたのは、祖父ではなく、ずっと匿われていた男だった。
男の逃走先を追う特命課にあって、時田は「私を爺さんに付き添わせてください。女はきっと戻ってきます」と志願する。「まさか?男のために爺さんを捨てた女だぞ?」桜井の反論に時田は応える。「女は爺さんを憎みながらも、どうしても捨て切れなかったんです。必ず戻ってきます」
その夜遅く、女は密かに豆腐屋の扉を開ける。「よく、戻ってくれたな」待ち受けていた時田の正体を知った女は「おじいちゃんに会わせてください」と、寝床の祖父にすがりつく。「奴のことは、悪い夢だと思って諦めるんだ」「いいえ、良い夢でした。あの人がいたから、おじいちゃんにも優しくできた・・・」そんな女の頬を伝う涙をぬぐいながら、祖父はおぼつかない口調で「すまない」と呟いた。祖父は男の存在に気づき、孫娘のためにその秘密を守ろうとしていたのだ。ボケてなお、愛する孫娘を気遣う祖父の優しさに、女は号泣し、男の所在を明かすのだった。
事件は解決し、女は情状酌量により執行猶予となった。今日も祖父を支え、一人で豆腐屋を切り盛りする女。そんな女を見守りながら、時田も年老いた父親を引き取る決意を固めるのだった。

【感想など】
何か久しぶりに特捜らしい特捜を見た、という気にさせられる一本。単に痴呆老人との同居という深刻なテーマを扱っているから、というだけでなく、その重いテーマに対して「安易に答を出さない」というアプローチが、個人的には「特捜ならでは」と思えました。
女の選択や、ラストの時田の台詞から、「ボケ老人との同居を覚悟しなくてはならない」というのが「答」ではないか、との意見もあるかもしれませんが、それは人として果たすべき義務(あくまで私見です)であり、ここで言う「答」とは、その厳しい現実にどう向き合うか、ということです。
女も厳しい現実に耐えかね、一時は老人に辛く当たり、寿司をねだる祖父の口にオカラをねじ込むという虐待じみたことまでしたといいます。そんな女の支えとなったのが、クズのような強盗犯だったというのが、なんとも皮肉であり、切ない話です。女からすれば、目の前の辛い現実から強引に自分を引っ張り出してくれさえすれば、誰でも良かったのでしょう。「心の支え」という言葉は美しいですが、それは裏を返せば「祖父を捨てる」という決意であり、その後ろめたさゆえに祖父への態度が優しくなったのだとすれば、そして、祖父がそれを分かっていながら孫娘を奪っていくクズの存在を黙っていたのだとすれば、何と哀しいドラマでしょう。

結局、女は祖父を捨てて男と逃げるわけですが、祖父のボケぶりを克明に見てきた時田からすれば、その選択を責めることはできません。しかし、それでもなお、女が祖父を捨てきれないと見た時田の胸の内が、本作のキモではないかと思います。
「なぜ介護施設に入れないんですか?」時田の問いに、女はこう答えました。「何度か入れようかと思いましたが、ダメでした。いざとなると、体の内から寂しさが、悲しさがこみ上げてくるんです・・・」この女の台詞の背後に、忙しい両親に代わって、幼い頃から可愛がってくれた祖父との日々が透けて見えます。ボケさえしなければ、それなりに幸せだったかもしれない日常。愛していたはずの祖父を、いつしか憎まずにはいられなくなる苦しみ。そんな厳しさに耐え切れる人間が、一体どれくらいいるのでしょうか?
私の両親は60半ばを過ぎても健康そのものであり、今のところボケの兆候もありません。しかし、十年後、二十年後はどうなっているでしょうか?そして、さらに数十年後、今度は自分がボケ老人となったとき、私は誰に、どれほどの迷惑を掛けて生きていくのでしょうか?想像すると、暗然とせざるを得ませんが、それでも、その考えたくない事態は、それなりの確率で実現するのです。この女のように、憎みつつも愛し続けることができるだろうか?そんな愛情を向けてくれる身内が自分にいるだろうか?答は一人ひとりが見つけるしかないのでしょう。

なお、同様のテーマとしては、第422話「姑誘拐・ニッポン姥捨物語」がありましたが、こちらが佐藤脚本ならではの救いの無い話だったのに比べれば、同じく救いがない結末(女の苦労はこれからも続いていくという意味で)にも関わらず、その結末を受け入れた女への視線が優しさに満ちているあたり、時間帯移動の影響がうかがえます。とはいえ、それもまた末期特捜の味なのだと思い、受け入れるほかないでしょう。たとえ、かつてのような重さが許されなくとも、脚本・演出がその気になれば、これだけ見応えのあるドラマが作れるのですから。