脚本 藤井邦夫、監督 三ツ村鐵司
1986年5月1日放送
【あらすじ】
ある夜、ヤクザが刺殺死体で発見される。ヤクザはある男と待ち合わせたスナックに向かう途中だった。その男は、暴走族を素材にした作品でデビューしたノンフィクション作家だったが、ここ数年は筆を絶っていた。現場に残されていたメダルは、5年前に男が受賞した新人賞の記念品だった。男の作品の愛読者だった桜井は、スナックでヤクザを待つ男を探し出し、その死を告げる。男は自分が有力な容疑者だと自覚しつつも、「メダルは受賞直後に無くした」と語るのみで、容疑を否定も肯定もせずに立ち去った。
男は女子大生の妹と二人暮しで、妹は死んだヤクザの配下のチンピラと付き合っていた。男は、妹とともに姿を消したチンピラの行方を追う。そのチンピラは、男がデビュー作で素材とした暴走族の頭だった。
同じ頃、ヤクザの所属していた暴力団も、ヤクザ殺しの犯人をチンピラと見て、その行方を追っていた。男の存在を煙たがり、「これ以上、チンピラを探し回るな」と脅す暴力団員たち。桜井が救出に入ったときには、暴力団員らは姿を消していた。手ひどく痛めつけられながらも、チンピラを追い続けようとする男に、桜井はメダルを突きつける。「このメダルはチンピラが持っていたんじゃないのか?ヤクザを殺したのは奴か?」だが、男はチンピラの無実を主張する。「あんた、奴を信じているのか?」「ああ。今の奴に人を殺す度胸は無い。奴は変わっちまった・・・」
一方、紅林らの捜査により、若い女と初老の男が捜査線上に浮上する。どうやらヤクザが恐喝していた金蔓らしい。
その後、チンピラは妹に「さよなら」との置手紙を残して姿を消す。心配した妹は特命課を訪れ、これまでの経緯を桜井に語る。5年前、チンピラは男の作品に取り上げられたことで、暴走族仲間のヒーローになったが、その反面、多くの敵も作った。次第に追い詰められたチンピラを救ったのは、死んだヤクザだった。妹の制止も聞かずヤクザの舎弟となったチンピラだが、最近になって足を洗おうとしていたという。しかし、ヤクザはそれを許さずリンチを加え、チンピラは「ヤクザを殺すしかない」と思うまで追い詰められる。だが、ナイフを手にヤクザを訪れたときには、すでに何者かに刺殺された後だったという。
妹は「足を洗いたい」というチンピラの思いを男に相談し、力になるよう頼んだが、男は黙したままだったという。「兄は冷たい。兄は彼を自分の作品のために利用しただけなんです」と非難する妹。しかし、事実は違った。事件当夜、ヤクザを呼び出したのは男の方だった。恐らくは、チンピラのことで話をつけるために。
男のもとを訪れ、事の経緯を明かす桜井。男はかつてのチンピラを語る。「事の良し悪しは別にして、奴は煌いていた。悔しいが、私はその煌きに憧れた。そんな私が、奴の煌きを奪ってしまった」「だから、書かなくなくなったのか?」自分の作品のせいで、チンピラの人生を狂わせてしまったという悔いが、男に筆を折らせていた。「私はただ、奴の無くした煌きを取り戻してやりたいんだ・・・」
その後、妹から「彼は、兄を恨みもせず、兄と出会った頃のことを懐かしんでいました」と聞いた桜井は、チンピラが当時の暴走族の溜まり場だった横浜の埠頭に潜伏していると直感。叶とともに急行する。同じ頃、男や暴力団も埠頭に向かっていた。いち早く到着した男はチンピラと再会。「昔のお前はどうした?何もしていないなら、警察からも、暴力団からも逃げ回るな!」と叱咤し、自首を進める。そこに暴力団が到着するが、男は身体を張ってチンピラを逃がす。男を捨てて逃げようとするチンピラの前に立ちはだかり、男の姿を見せつける桜井。「見ろ。あの人は、お前にかつての煌きを取り戻させるために戦っているんだ!」桜井の言葉に、勇気を振り絞って暴力団に立ち向かうチンピラ。そんなチンピラの姿に、笑顔を見せる男。桜井と叶、そして遅れて到着した刑事らによって、暴力団は一網打尽にされる。
その後、チンピラの証言で、紅林らの追っていた若い女の素性が判明。ヤクザ殺しの真犯人は、娘の素行をネタに強請られていた大手企業の重役だった。明らかになった真相を、男に語る桜井。「自分の娘が遊びで体を売り、ヤクザに脅される。父親として、男としての誇りは傷つけられる。そんな惨めな自分が許せなかったからこそ、自分自身で戦った。そう考えてやれば、父親は男として救われる。あんたなら、そう書くんじゃないか?」桜井の言葉に、男もまた、作家としての自分を取り戻す。「次の本、楽しみにしてるよ」男にメダルを投げ渡し、立ち去る桜井の顔には、男の復帰を確信したような笑みが浮かんでいた。
【感想など】
前回のコメントで「マイナスしか言わない」とのご指摘をいただき、深く反省したばかりなのですが、それでも今回についてはマイナス面を語らざるを得ない、それほど残念な一本です。無理からに良かったところを探せば、「俺だって昔は、覚醒剤中毒の女と付き合って、刑事を辞めようとしたことがある」という桜井の台詞にニヤリとさせられたことぐらいですが、それも肝心の本編がこの有様では、「せっかくの名作をこんなところで引き合いに出すな」と言いたくなってしまいました。
肝心の本編ですが、何が不満かと言いますと、重要なテーマであるはずの、かつてのチンピラの「煌き」とやらが、一体何だったのかさっぱり伝わってこないこと。卑しくも作家なんだから、その煌きが何なのか、きっちり言葉にしてもらいたいものですが、「17歳の子供のくせに、精一杯、自分を主張して生きていた」と言われるだけでは、「なんだそりゃ」という印象です。
集団での暴走という最低な行為が「自分を主張すること」だという理屈自体が納得しかねるのですが、そもそも周囲の迷惑も顧みず自分を主張できるのは、若い頃だからできる(許される)ことであり、それをしなくなった(できなくなった)のは、大人になれば(社会に出れば)当然のこと。「大人になることで何かを失ってしまう」という感傷は分からなくもないですが、だったら、「自分が失わせてしまった」と落ち込む必要も、「取り戻させたい」と思うこともナンセンスです。仮に、そこに目をつぶったとしても、我々の知る桜井や、その桜井が愛読者である作家が、そんな程度の低い感傷を抱くこと自体、納得がいきません。
さらに不愉快なのは、「人を殺す度胸がない」=「煌きがなくなった」などと、(言葉どおりに理解すれば)視聴者に「人を殺す度胸=煌き」と取られかねないような、陳腐な理屈を抜かすこと。こうした倫理観の欠如は、ラスト近くでの桜井の行動(下手をすれば殺されるかもしれない男を放置し、さらにはチンピラに対し暴力での対抗を示唆するという、刑事としては考えられない行動)にも現れていますが、他のドラマならまだしも、「特捜最前線」の世界ではやって欲しくありません。(ちなみに、この行動は、かつて「自分の痛みは耐えられても、他人の痛みには耐えられない」と評された桜井の人間性からしても考えられない行動です。)
どうも、今回の脚本で示された倫理観や価値観は、ことごとく私の主観と食い違っているようで、ラストで取ってつけたように語られる真犯人への共感でも、違和感を禁じえません。誇りを傷つけられた父親が為すべきことは、チンピラを殺すことではなく、たとえ娘の恥を晒してでも、チンピラの行為を警察に訴えることだったのではないでしょうか?もちろん、娘は父親を恨むでしょうし、世間から白眼視され、幸福な人生を送ることはないでしょう。しかし、それでも、娘の恨みを受け入れ、世間から何と言われようとも娘を愛し続けることが、本当の意味での父親の“戦い”なのではないでしょうか?キレイ事ではありますが、私の知っている桜井であれば、そう言ってくれるのではないかと思います。
脚本家の藤井氏が、ハードボイルド的な雰囲気を作りたかったのは分かりますし、そうした狙い自体は否定しませんが、その核となる、「男たちが暴力にも屈することなく、守ろうとしたもの」が、曖昧だったり、ぶれていたり、共感できないものだったりしては、ハードボイルドとして通用しないのではないでしょうか?こう言ってはなんですが、作家志望の中高生が書いた「ハードボイルドもどき」、あるいは素人劇団が演じる「ハードボイルドごっこ」につき合わされたような印象しか残りません。(こんな言わずもがなのことを書くから、「辛辣」とか「手厳しい」とか言われるのでしょうねぇ)
1986年5月1日放送
【あらすじ】
ある夜、ヤクザが刺殺死体で発見される。ヤクザはある男と待ち合わせたスナックに向かう途中だった。その男は、暴走族を素材にした作品でデビューしたノンフィクション作家だったが、ここ数年は筆を絶っていた。現場に残されていたメダルは、5年前に男が受賞した新人賞の記念品だった。男の作品の愛読者だった桜井は、スナックでヤクザを待つ男を探し出し、その死を告げる。男は自分が有力な容疑者だと自覚しつつも、「メダルは受賞直後に無くした」と語るのみで、容疑を否定も肯定もせずに立ち去った。
男は女子大生の妹と二人暮しで、妹は死んだヤクザの配下のチンピラと付き合っていた。男は、妹とともに姿を消したチンピラの行方を追う。そのチンピラは、男がデビュー作で素材とした暴走族の頭だった。
同じ頃、ヤクザの所属していた暴力団も、ヤクザ殺しの犯人をチンピラと見て、その行方を追っていた。男の存在を煙たがり、「これ以上、チンピラを探し回るな」と脅す暴力団員たち。桜井が救出に入ったときには、暴力団員らは姿を消していた。手ひどく痛めつけられながらも、チンピラを追い続けようとする男に、桜井はメダルを突きつける。「このメダルはチンピラが持っていたんじゃないのか?ヤクザを殺したのは奴か?」だが、男はチンピラの無実を主張する。「あんた、奴を信じているのか?」「ああ。今の奴に人を殺す度胸は無い。奴は変わっちまった・・・」
一方、紅林らの捜査により、若い女と初老の男が捜査線上に浮上する。どうやらヤクザが恐喝していた金蔓らしい。
その後、チンピラは妹に「さよなら」との置手紙を残して姿を消す。心配した妹は特命課を訪れ、これまでの経緯を桜井に語る。5年前、チンピラは男の作品に取り上げられたことで、暴走族仲間のヒーローになったが、その反面、多くの敵も作った。次第に追い詰められたチンピラを救ったのは、死んだヤクザだった。妹の制止も聞かずヤクザの舎弟となったチンピラだが、最近になって足を洗おうとしていたという。しかし、ヤクザはそれを許さずリンチを加え、チンピラは「ヤクザを殺すしかない」と思うまで追い詰められる。だが、ナイフを手にヤクザを訪れたときには、すでに何者かに刺殺された後だったという。
妹は「足を洗いたい」というチンピラの思いを男に相談し、力になるよう頼んだが、男は黙したままだったという。「兄は冷たい。兄は彼を自分の作品のために利用しただけなんです」と非難する妹。しかし、事実は違った。事件当夜、ヤクザを呼び出したのは男の方だった。恐らくは、チンピラのことで話をつけるために。
男のもとを訪れ、事の経緯を明かす桜井。男はかつてのチンピラを語る。「事の良し悪しは別にして、奴は煌いていた。悔しいが、私はその煌きに憧れた。そんな私が、奴の煌きを奪ってしまった」「だから、書かなくなくなったのか?」自分の作品のせいで、チンピラの人生を狂わせてしまったという悔いが、男に筆を折らせていた。「私はただ、奴の無くした煌きを取り戻してやりたいんだ・・・」
その後、妹から「彼は、兄を恨みもせず、兄と出会った頃のことを懐かしんでいました」と聞いた桜井は、チンピラが当時の暴走族の溜まり場だった横浜の埠頭に潜伏していると直感。叶とともに急行する。同じ頃、男や暴力団も埠頭に向かっていた。いち早く到着した男はチンピラと再会。「昔のお前はどうした?何もしていないなら、警察からも、暴力団からも逃げ回るな!」と叱咤し、自首を進める。そこに暴力団が到着するが、男は身体を張ってチンピラを逃がす。男を捨てて逃げようとするチンピラの前に立ちはだかり、男の姿を見せつける桜井。「見ろ。あの人は、お前にかつての煌きを取り戻させるために戦っているんだ!」桜井の言葉に、勇気を振り絞って暴力団に立ち向かうチンピラ。そんなチンピラの姿に、笑顔を見せる男。桜井と叶、そして遅れて到着した刑事らによって、暴力団は一網打尽にされる。
その後、チンピラの証言で、紅林らの追っていた若い女の素性が判明。ヤクザ殺しの真犯人は、娘の素行をネタに強請られていた大手企業の重役だった。明らかになった真相を、男に語る桜井。「自分の娘が遊びで体を売り、ヤクザに脅される。父親として、男としての誇りは傷つけられる。そんな惨めな自分が許せなかったからこそ、自分自身で戦った。そう考えてやれば、父親は男として救われる。あんたなら、そう書くんじゃないか?」桜井の言葉に、男もまた、作家としての自分を取り戻す。「次の本、楽しみにしてるよ」男にメダルを投げ渡し、立ち去る桜井の顔には、男の復帰を確信したような笑みが浮かんでいた。
【感想など】
前回のコメントで「マイナスしか言わない」とのご指摘をいただき、深く反省したばかりなのですが、それでも今回についてはマイナス面を語らざるを得ない、それほど残念な一本です。無理からに良かったところを探せば、「俺だって昔は、覚醒剤中毒の女と付き合って、刑事を辞めようとしたことがある」という桜井の台詞にニヤリとさせられたことぐらいですが、それも肝心の本編がこの有様では、「せっかくの名作をこんなところで引き合いに出すな」と言いたくなってしまいました。
肝心の本編ですが、何が不満かと言いますと、重要なテーマであるはずの、かつてのチンピラの「煌き」とやらが、一体何だったのかさっぱり伝わってこないこと。卑しくも作家なんだから、その煌きが何なのか、きっちり言葉にしてもらいたいものですが、「17歳の子供のくせに、精一杯、自分を主張して生きていた」と言われるだけでは、「なんだそりゃ」という印象です。
集団での暴走という最低な行為が「自分を主張すること」だという理屈自体が納得しかねるのですが、そもそも周囲の迷惑も顧みず自分を主張できるのは、若い頃だからできる(許される)ことであり、それをしなくなった(できなくなった)のは、大人になれば(社会に出れば)当然のこと。「大人になることで何かを失ってしまう」という感傷は分からなくもないですが、だったら、「自分が失わせてしまった」と落ち込む必要も、「取り戻させたい」と思うこともナンセンスです。仮に、そこに目をつぶったとしても、我々の知る桜井や、その桜井が愛読者である作家が、そんな程度の低い感傷を抱くこと自体、納得がいきません。
さらに不愉快なのは、「人を殺す度胸がない」=「煌きがなくなった」などと、(言葉どおりに理解すれば)視聴者に「人を殺す度胸=煌き」と取られかねないような、陳腐な理屈を抜かすこと。こうした倫理観の欠如は、ラスト近くでの桜井の行動(下手をすれば殺されるかもしれない男を放置し、さらにはチンピラに対し暴力での対抗を示唆するという、刑事としては考えられない行動)にも現れていますが、他のドラマならまだしも、「特捜最前線」の世界ではやって欲しくありません。(ちなみに、この行動は、かつて「自分の痛みは耐えられても、他人の痛みには耐えられない」と評された桜井の人間性からしても考えられない行動です。)
どうも、今回の脚本で示された倫理観や価値観は、ことごとく私の主観と食い違っているようで、ラストで取ってつけたように語られる真犯人への共感でも、違和感を禁じえません。誇りを傷つけられた父親が為すべきことは、チンピラを殺すことではなく、たとえ娘の恥を晒してでも、チンピラの行為を警察に訴えることだったのではないでしょうか?もちろん、娘は父親を恨むでしょうし、世間から白眼視され、幸福な人生を送ることはないでしょう。しかし、それでも、娘の恨みを受け入れ、世間から何と言われようとも娘を愛し続けることが、本当の意味での父親の“戦い”なのではないでしょうか?キレイ事ではありますが、私の知っている桜井であれば、そう言ってくれるのではないかと思います。
脚本家の藤井氏が、ハードボイルド的な雰囲気を作りたかったのは分かりますし、そうした狙い自体は否定しませんが、その核となる、「男たちが暴力にも屈することなく、守ろうとしたもの」が、曖昧だったり、ぶれていたり、共感できないものだったりしては、ハードボイルドとして通用しないのではないでしょうか?こう言ってはなんですが、作家志望の中高生が書いた「ハードボイルドもどき」、あるいは素人劇団が演じる「ハードボイルドごっこ」につき合わされたような印象しか残りません。(こんな言わずもがなのことを書くから、「辛辣」とか「手厳しい」とか言われるのでしょうねぇ)