特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第463話 傷跡・男達のララバイ!

2009年02月25日 01時23分25秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 三ツ村鐵司
1986年5月1日放送

【あらすじ】
ある夜、ヤクザが刺殺死体で発見される。ヤクザはある男と待ち合わせたスナックに向かう途中だった。その男は、暴走族を素材にした作品でデビューしたノンフィクション作家だったが、ここ数年は筆を絶っていた。現場に残されていたメダルは、5年前に男が受賞した新人賞の記念品だった。男の作品の愛読者だった桜井は、スナックでヤクザを待つ男を探し出し、その死を告げる。男は自分が有力な容疑者だと自覚しつつも、「メダルは受賞直後に無くした」と語るのみで、容疑を否定も肯定もせずに立ち去った。
男は女子大生の妹と二人暮しで、妹は死んだヤクザの配下のチンピラと付き合っていた。男は、妹とともに姿を消したチンピラの行方を追う。そのチンピラは、男がデビュー作で素材とした暴走族の頭だった。
同じ頃、ヤクザの所属していた暴力団も、ヤクザ殺しの犯人をチンピラと見て、その行方を追っていた。男の存在を煙たがり、「これ以上、チンピラを探し回るな」と脅す暴力団員たち。桜井が救出に入ったときには、暴力団員らは姿を消していた。手ひどく痛めつけられながらも、チンピラを追い続けようとする男に、桜井はメダルを突きつける。「このメダルはチンピラが持っていたんじゃないのか?ヤクザを殺したのは奴か?」だが、男はチンピラの無実を主張する。「あんた、奴を信じているのか?」「ああ。今の奴に人を殺す度胸は無い。奴は変わっちまった・・・」
一方、紅林らの捜査により、若い女と初老の男が捜査線上に浮上する。どうやらヤクザが恐喝していた金蔓らしい。
その後、チンピラは妹に「さよなら」との置手紙を残して姿を消す。心配した妹は特命課を訪れ、これまでの経緯を桜井に語る。5年前、チンピラは男の作品に取り上げられたことで、暴走族仲間のヒーローになったが、その反面、多くの敵も作った。次第に追い詰められたチンピラを救ったのは、死んだヤクザだった。妹の制止も聞かずヤクザの舎弟となったチンピラだが、最近になって足を洗おうとしていたという。しかし、ヤクザはそれを許さずリンチを加え、チンピラは「ヤクザを殺すしかない」と思うまで追い詰められる。だが、ナイフを手にヤクザを訪れたときには、すでに何者かに刺殺された後だったという。
妹は「足を洗いたい」というチンピラの思いを男に相談し、力になるよう頼んだが、男は黙したままだったという。「兄は冷たい。兄は彼を自分の作品のために利用しただけなんです」と非難する妹。しかし、事実は違った。事件当夜、ヤクザを呼び出したのは男の方だった。恐らくは、チンピラのことで話をつけるために。
男のもとを訪れ、事の経緯を明かす桜井。男はかつてのチンピラを語る。「事の良し悪しは別にして、奴は煌いていた。悔しいが、私はその煌きに憧れた。そんな私が、奴の煌きを奪ってしまった」「だから、書かなくなくなったのか?」自分の作品のせいで、チンピラの人生を狂わせてしまったという悔いが、男に筆を折らせていた。「私はただ、奴の無くした煌きを取り戻してやりたいんだ・・・」
その後、妹から「彼は、兄を恨みもせず、兄と出会った頃のことを懐かしんでいました」と聞いた桜井は、チンピラが当時の暴走族の溜まり場だった横浜の埠頭に潜伏していると直感。叶とともに急行する。同じ頃、男や暴力団も埠頭に向かっていた。いち早く到着した男はチンピラと再会。「昔のお前はどうした?何もしていないなら、警察からも、暴力団からも逃げ回るな!」と叱咤し、自首を進める。そこに暴力団が到着するが、男は身体を張ってチンピラを逃がす。男を捨てて逃げようとするチンピラの前に立ちはだかり、男の姿を見せつける桜井。「見ろ。あの人は、お前にかつての煌きを取り戻させるために戦っているんだ!」桜井の言葉に、勇気を振り絞って暴力団に立ち向かうチンピラ。そんなチンピラの姿に、笑顔を見せる男。桜井と叶、そして遅れて到着した刑事らによって、暴力団は一網打尽にされる。
その後、チンピラの証言で、紅林らの追っていた若い女の素性が判明。ヤクザ殺しの真犯人は、娘の素行をネタに強請られていた大手企業の重役だった。明らかになった真相を、男に語る桜井。「自分の娘が遊びで体を売り、ヤクザに脅される。父親として、男としての誇りは傷つけられる。そんな惨めな自分が許せなかったからこそ、自分自身で戦った。そう考えてやれば、父親は男として救われる。あんたなら、そう書くんじゃないか?」桜井の言葉に、男もまた、作家としての自分を取り戻す。「次の本、楽しみにしてるよ」男にメダルを投げ渡し、立ち去る桜井の顔には、男の復帰を確信したような笑みが浮かんでいた。

【感想など】
前回のコメントで「マイナスしか言わない」とのご指摘をいただき、深く反省したばかりなのですが、それでも今回についてはマイナス面を語らざるを得ない、それほど残念な一本です。無理からに良かったところを探せば、「俺だって昔は、覚醒剤中毒の女と付き合って、刑事を辞めようとしたことがある」という桜井の台詞にニヤリとさせられたことぐらいですが、それも肝心の本編がこの有様では、「せっかくの名作をこんなところで引き合いに出すな」と言いたくなってしまいました。

肝心の本編ですが、何が不満かと言いますと、重要なテーマであるはずの、かつてのチンピラの「煌き」とやらが、一体何だったのかさっぱり伝わってこないこと。卑しくも作家なんだから、その煌きが何なのか、きっちり言葉にしてもらいたいものですが、「17歳の子供のくせに、精一杯、自分を主張して生きていた」と言われるだけでは、「なんだそりゃ」という印象です。
集団での暴走という最低な行為が「自分を主張すること」だという理屈自体が納得しかねるのですが、そもそも周囲の迷惑も顧みず自分を主張できるのは、若い頃だからできる(許される)ことであり、それをしなくなった(できなくなった)のは、大人になれば(社会に出れば)当然のこと。「大人になることで何かを失ってしまう」という感傷は分からなくもないですが、だったら、「自分が失わせてしまった」と落ち込む必要も、「取り戻させたい」と思うこともナンセンスです。仮に、そこに目をつぶったとしても、我々の知る桜井や、その桜井が愛読者である作家が、そんな程度の低い感傷を抱くこと自体、納得がいきません。

さらに不愉快なのは、「人を殺す度胸がない」=「煌きがなくなった」などと、(言葉どおりに理解すれば)視聴者に「人を殺す度胸=煌き」と取られかねないような、陳腐な理屈を抜かすこと。こうした倫理観の欠如は、ラスト近くでの桜井の行動(下手をすれば殺されるかもしれない男を放置し、さらにはチンピラに対し暴力での対抗を示唆するという、刑事としては考えられない行動)にも現れていますが、他のドラマならまだしも、「特捜最前線」の世界ではやって欲しくありません。(ちなみに、この行動は、かつて「自分の痛みは耐えられても、他人の痛みには耐えられない」と評された桜井の人間性からしても考えられない行動です。)

どうも、今回の脚本で示された倫理観や価値観は、ことごとく私の主観と食い違っているようで、ラストで取ってつけたように語られる真犯人への共感でも、違和感を禁じえません。誇りを傷つけられた父親が為すべきことは、チンピラを殺すことではなく、たとえ娘の恥を晒してでも、チンピラの行為を警察に訴えることだったのではないでしょうか?もちろん、娘は父親を恨むでしょうし、世間から白眼視され、幸福な人生を送ることはないでしょう。しかし、それでも、娘の恨みを受け入れ、世間から何と言われようとも娘を愛し続けることが、本当の意味での父親の“戦い”なのではないでしょうか?キレイ事ではありますが、私の知っている桜井であれば、そう言ってくれるのではないかと思います。

脚本家の藤井氏が、ハードボイルド的な雰囲気を作りたかったのは分かりますし、そうした狙い自体は否定しませんが、その核となる、「男たちが暴力にも屈することなく、守ろうとしたもの」が、曖昧だったり、ぶれていたり、共感できないものだったりしては、ハードボイルドとして通用しないのではないでしょうか?こう言ってはなんですが、作家志望の中高生が書いた「ハードボイルドもどき」、あるいは素人劇団が演じる「ハードボイルドごっこ」につき合わされたような印象しか残りません。(こんな言わずもがなのことを書くから、「辛辣」とか「手厳しい」とか言われるのでしょうねぇ)

第462話 大崎の女・凍死トリック、死を招く雨!

2009年02月20日 01時40分18秒 | Weblog
脚本 桃井章、監督 北本弘
1986年4月24日放送

【あらすじ】
一人暮らしの若い女性を狙った連続婦女暴行事件を追う特命課。手掛かりは被害者の証言をもとにしたモンタージュ写真だけで、捜査は難航する。そんななか、モンタージュとよく似た男が死体で発見される。男は大崎のアパートで一人暮らしのタクシー運転手で、死因は「凍死」だった。酒と一緒に睡眠薬を飲んで公園のベンチで眠ってしまい、折からの雨で体が冷えて死に至ったらしい。被害者が男を暴行犯人と確認し、事件は解決を見る。だが、叶は男の向かいのアパートに住む女の姿に、ある違和感を覚えた。
数ヶ月後、ある事件の捜査で空港を訪れた叶は、ぶつかったスチュワーデスが大崎で見た女だと気づくが、女は「人違いでは?」と否定し、立ち去った。女が落としたカギを届けるべく、勤務先で住所を調べる叶。上司の話では、数ヶ月前にも女を訪ねてきた刑事がいたという。女の住むマンションを訪れた叶は、やはり大崎で見た女だと確信。女もその事実を認め、似つかわしくないアパートに住んでいた理由を「ただの気まぐれ」と答えた。
アパートの大家に確認したところ、女は名も職業も偽って部屋を借り、わずか1ヶ月で引っ越したという。女の部屋からは、凍死した男の部屋が丸見えだった。女を訪ねたという刑事に事情を聞く叶。どうやら女は連続婦女暴行の被害者の一人らしいのだが、刑事に対しては強く否定したという。だが、通報した当時の隣人の話では、被害事実は間違いなかった。「彼女は復讐のために接近したのではないか?」と推測する叶。
その後、男が死の直前に立ち寄ったスナックが判明。マスターによれば、男はいたずら電話に悩まされ、睡眠不足だとこぼしていた。その後、隣に座った女性から睡眠薬をもらい、先に出た女を追うように出て行ったという。その女性も、男に電話を掛け続けたのも、女に違いなかったが、証拠は何一つない。事件当日の降水確率は90%で、予想雨量は10ミリだった。とはいえ、男が確実に死ぬ保障はなく、完璧主義な女が偶然に賭けるとは思えない。叶は「女が寝込んだ男に水をかけたのでは」と推測する。
やがて、事件当夜は予想と違って、わずか2ミリの雨しか降らなかったことが判明。しかし、男のポケットのタバコはびしょ濡れになっており、何者かが水を掛けたことが立証される。また、橘らの捜査により、女が海外のホテルから男の部屋に電話を掛け続けていたことや、男が飲んでいた睡眠薬が海外にしかないものだと判明する。
女の部屋を訪れる叶。確かな証拠を突きつけられ、観念した女は「着替えるので少し待って」と扉を閉める。女の着替えを待つ叶の脳裏に、女の言葉が甦る。「そんな男のために逮捕されるくらいなら・・・」「まさか!」慌てて部屋に駆け込んだ叶が見たものは、ベランダから身を乗り出す女の姿だった。「私の負けね。刑事さん」そう言い残して女は投身自殺を遂げた。叶の報告を受け、衝撃を受ける特命課。「彼女、逮捕されて、忌まわしい事実が明らかになるのが耐えられなかったんでしょうか?」紅林の呟きに、桜井が付け加える。「それと、敗北感だろう。自分の犯罪は誰にも見破れないという自信があったんだ」「それを、叶の執念が打ち負かしたんだ・・・」橘の言葉に、事件解決の喜びはなかった。
すべてが終わった後、叶は一人、女が住んでいた大崎のアパートを訪ねる。女はこの部屋で、灰色の空とドロ色の川に向かって憎悪を燃やし続けていた。そんな哀れな女の胸中を思いつつ、叶は弔いの花を投げ入れるのだった。

【感想など】
端的に言えば、好きになれない話。気に入らない点を数え上げればキリがないが、大きく3点だけ指摘しておきます。

第一に、なぜ大崎という街を取り上げたのかが意味不明な点。同様のタイトルとしては第286話「川崎から来た女」や第330話「佐世保の女」などがありますが、前者は公害問題、後者は安保闘争と、それぞれ社会問題の象徴となる地名でしたが、今回の場合は、「品川と五反田に挟まれ、妙にくすんだ印象を与える街」という脚本家の偏見(事実かもしれませんが)が語られるのみで、大崎に住む方々からすれば失礼極まりない話ではないかと。「若く美しい女性(それもスチュワーデス)が住むには似つかわしくない」というのが、叶の違和感の理由らしいのですが、はっきり言って大きなお世話です。

第二に、これは私が男だからかもしれませんが、本来は不幸な被害者なはずの女に全く感情移入できないこと。女が喋れば喋るほど、人間性が描写されればされるほど、同情する気になれなくなってしまうのは何故でしょうか?脚本と演出と女優さんの演技すべてが相まってのことかと思われますが、やはり脚本の責任は少なくないでしょう。

第三に、叶の行動がおかしいこと。そもそもの違和感が唐突であり、叶の刑事としての優秀さを示すというよりも、ご都合主義としか思えません。また、スチュワーデスの自宅を突き止めるあたりの行動は、ストーカーと非難されても仕方ありません。さらに、女に対して「犯人が男を殺したのは、男が多くの女性に行ったことと同じ」などと言うのは、あまりに無神経ではないでしょうか?
そして、何よりもひどいのが、女の自殺を許してしまうこと。捜査中に被疑者を自殺させるというのは、刑事としては大失態では?女の両親はすでに死亡している設定ですが、遺族がいれば訴えられても仕方ないくらいのミスだと思うのですが、課長らが責めるでもなく、本人も無念そうではあるとはいえ、責任を感じているような描写もありません。

こうした欠点を挙げていても虚しく思えるのは、とにかく脚本に「視聴者を喜ばせよう」という思いや、「これを訴えたい」というテーマ性が全く伝わってこないこと。何というか、「ただ一本とりあえず作りましたよ」というやる気のなさが伝わってきてしまうのが誠に残念。こんな話を放送するくらいなら、もう1週放送が休みのほうが良かった、とすら思ってしまう自分が切ないです。

第461話 不純異性交遊殺人事件!

2009年02月13日 20時53分44秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 野田幸男
1986年4月17日放送

【あらすじ】
マンションの植込みから中学教師の転落死体が発見された。死亡推定時刻は昨夜の9時頃。落下地点の直線上にある部屋には、教師の教え子である娘の家族が住んでいた。特命課では、教師が教え子宅から転落したとみて捜査を始める。
「子供を巻き込みたくはない・・・」と思いながらも、娘の中学を訪れる時田。娘は教師の来訪を否定したが、昨夜は両親ともに不在で一人だったという。両親に確認したところ、いずれも娘の証言どおり深夜まで外出しており、仕事に熱中するあまり家庭には無関心な様子が見て取れた。
一方、マンションで聞き込みを行う叶らは、念のため娘宅の直上の部屋を訪ねるが、住人は不在だった。立ち去り際、娘がその部屋の呼び鈴を鳴らすのを見て呼び止める叶。娘は「授業をサボって悪戯してるだけ」とうそぶき、叶の制止も振り切って走り去った。
その後、隣室の夫人の証言から、事件当夜、教師が娘宅を訪れていたことが判明する。塾をサボって遊び歩いていた娘を探し出し、詰問する時田。娘は突然「先生は、私が殺しました」と告白する。
娘の部屋を捜索する特命課。豪華な家具や家電製品に彩られた部屋。だが、時田はそこに、両親に構ってもらえない娘の孤独を見た。向かいのマンションから双眼鏡で覗いている男に気づいた時田は、男を尋問する。男が語るには、娘の部屋では頻繁に不純異性交遊が行われていたという。隣室の夫人も、その証言を裏付ける。両親ともに不在がちなのをいいことに、娘の部屋は同級生4人の溜まり場になっていたらしい。
時田は、娘らが不純異性交遊を教師にとがめられ、協力して突き落としたのではないか、と推測する。娘を含めた4人を集め、事情を聞く特命課だが、友人たちは教師の殺害を否定、不純異性交遊もデタラメだと一笑に付す。彼らは娘の部屋に集まり、ただ遊んでいるだけだった。純真な恋情を明かし、それが無実の証だという友人たちの言葉を、時田らは信じるしかなかった。
そんななか、時田は所轄署時代に顔見知りだった女警官から、娘がかつて万引きを働いていたことを知る。誕生日を両親から祝ってもらえない寂しさから、ネックレスを万引きしたというのだ。そのとき、連絡を受けて駆けつけた母親は、娘の頬を張り「弁償すればいいんでしょう、こんな安物」と吐き捨てたという。モノや金を与えるだけで、家族の温もりを知らない娘。時田はその寂しい心中を思いやる。「確かに、彼女は飢える心配はなかった。だけど、心が飢えているんですよ」そんな時田に橘は反論する。「共稼ぎだからって、その家の子供が非行に走るとは限らん。彼女は甘やかされている。誕生日を祝ってくれないから万引きするなんて、我慢を知らなすぎる」だが、時田はなおも主張する。「その我慢を教えるのが、親でしょう。彼女の両親は、金を与えるだけで、そのことを教えていない」
その後、娘が両親以外の誰かのために料理していたことが判明する。その相手は、直上の部屋で留守番をする青年だった。特命課の尋問に対し、青年は娘と交際していること、事件当夜に教師が訪ねてきたことを認める。だが、娘との仲は、決してやましいものではなかった。教師は青年と娘の仲を邪推し「彼女はまだ子供なんだ。手を出さないでください」と土下座して懇願したという。半ば呆れ気味に「ただの友達だ」と主張する青年に激昂した教師は、「未成年者への強制わいせつで告訴するぞ。素直に認めて謝れ!」と詰め寄り、もみ合った挙句、転落死を遂げたのだ。「男と女が一緒にいただけで、なぜセックスしていると決め付ける?俺と彼女は、ただ寂しくて、一緒にいるだけで幸せな気持ちになったんです。ただ、それだけなのに・・・」
青年の証言により、娘の無実は証明される。娘は青年が殺したものと思い込み、彼をかばうために嘘の自白をしていたのだ。娘の青年への思いは、愛情だったのだろうか?それとも、家族のような思いだったのか?「刑事さん、家族って何ですか?いつも一緒にいるから家族じゃないんですか?」
娘の思いを知り、反省した両親は神代に頭を下げる。時田もまた、娘と青年の仲を教師と同様に邪推していたことを娘に詫び、頭を下げるのだった。「いいんです。私の言ったことを信じてくれたから」娘のかげりのない笑顔だけが、この虚しい事件の唯一の救いだった。

【感想など】
少年少女の性のモラルの崩壊を描くかに見えて、実は大人たちの偏見の醜さを描いた一本。思い込みの激しい教師や、下世話な隣人たち、そして時田ら刑事たちと同様に、視聴者も予想を裏切られたのではないかと思いますが、そんな視聴者の予想すら「汚い大人の目線」と断罪するあたり、佐藤脚本ならではの底意地の悪さが発揮されていて好印象でした。
とはいえ、本来の佐藤脚本の持ち味である“えげつなさ”(褒め言葉です)が影を潜めているのは誠に残念。ラストの爽やかさや、無関心だった両親の反省ぶりなどは、明らかにこれまでの佐藤脚本からすれば“異質”であり、「もっとソフトに」という制作側の指示があったとしか思えません。「重く鬱々としたドラマは夜九時という時間帯には(あるいは、今の時代には)そぐわない」という製作者側の判断があったのではないかと思われるのですが、その判断は、従来からの熱心な視聴者を切り捨てるものでしかありません。
やはり、特捜は「夜十時」という時間帯あってこそのドラマであり、「1970年代」あるいは「昭和50年代(1975~1984)」という時代が求めたドラマだったのでしょう。他のドラマを見ても、必殺シリーズがバラエティ化していく契機となった「仕事人Ⅲ」が82年、特捜とはまた違った意味でヘビーなテーマを扱っていた「Gメン」が終了したのも82年でした。それを思えば、特捜が87年まで続いたのは、ある意味では“健闘”と言えるのかもしれません。もちろん、本来の持ち味を失ってまで続くことに意義があるのか?と言われると、はなはだ疑問ではあるのですが・・・

第460話 挑戦Ⅱ・窓際警視に捧げる挽歌!

2009年02月10日 03時03分21秒 | Weblog
脚本 長坂秀佳、監督 天野利彦
1986年4月10日放送

【あらすじ】
弾丸のライフルマークから、舎弟と蒲生の隠し子を殺したのは同一犯人と判明。また、舎弟の指の位置から、ダイイングメッセージはまだ書きかけの線が濃厚となる。謎を追及する一方で、神代は蒲生の暴走を懸念する。蒲生が刑事の職、さらには自らの命すら賭してでも、隠し子の仇討ちに走るのではないかと・・・
そんななか、花屋は拳銃密輸の片棒を担いだことを自白。だが、花屋が明かした拳銃の隠し場所に残されたのは、車の跡だけだった。「私以外、この場所を知るものはないはずだ!」と主張する花屋。だとすれば、一体誰が拳銃を持ち去ったのか?
現場検証が続くなか、蒲生は突然、花屋の軽トラで走り去る。事態を知った神代のもとに、蒲生から電話が入る。「神代、俺は今から娘の仇を討ちに行く・・・」「行くな!蒲生!」「ありがとよ、神代。それから・・・あばよ」神代の指示のもと、蒲生が行き先として告げた倉庫へ急行する特命課。
駆けつけた刑事たちに、蒲生は「ホシには俺が証拠のタマをぶち込んでおいた」と肩口を示し、隠し子の命を奪った拳銃を投げ捨てる。同じライフルマークを証拠にしろというのだ。だが、蒲生の身体にも無数の銃弾が撃ち込まれていた。「蒲生さん!」崩れ落ちるように倒れた蒲生に駆け寄る刑事たち。「嘘だ!嘘だぁーっ!」倉庫に響く犬養の絶叫。悲痛な表情を浮かべる橘。絶句する紅林。顔をゆがめる桜井。嗚咽をかみ殺す叶・・・ようやく到着した神代の叱咤が飛ぶ。「何をやってる。捜査にかかるんだ!」「はいっ!」我に帰った刑事らが走り去った後に、蒲生の死体と神代だけが残される。その脳裏に、ありし日の蒲生の面影が浮かんでは消えた・・・
暴力団事務所を急襲し、肩口に銃創を負った代貸や組長を連行する特命課。取調べに黙秘を続ける代貸に、神代の拳が炸裂する。「蒲生をどうした!」橘の制止にも止まらぬ神代の迫力を前に、代貸は「正当防衛だったんだ!」と叫ぶ。代貸や組長を倉庫に呼び出し、先に発砲したのは蒲生だというのだ。だが、代貸や組長は舎弟殺しの時間には確かなアリバイがあった。蒲生はどこで拳銃を手に入れたのか?そして、なぜ、隠し子の仇ではない代貸や組長を撃ったのか?蒲生が走り去った後には、「4」に何かを書き加えた跡がいくつも残されていた。「蒲生さんはダイイングメッセージの謎を解いたんだ。俺たちも考えるんだ・・・」
そして、ついにその謎が解ける。花屋とその娘、西岡、蒲生の実娘も見守るなか、神代は「4」に、一本の線を書き加える。そこには「女」の文字があった。事件関係者に女は二人。だが、蒲生の実娘は舎弟殺しの時間に特命課にいた。残るは一人、花屋の娘に他ならなかった。愕然とする花屋の前で、娘は犯行を認めた。
明かされる哀しい動機。それは花屋の娘や蒲生の隠し子が中学生だった過去に遡る。当時、花屋の娘は非行に走り、覚醒剤に手を出した挙句、ヤクザを通じて体を売るまでなっていた。それは、母親を亡くしたばかりにも関わらず、父親である花屋が、当時の教え子である蒲生の隠し子の更正に奔走していたためだった。「私も悪くなれば、お父さんが私を見てくれると思った・・・」だが、やがて隠し子の生い立ちを知った娘は、同時に、父親の教育者としての情熱をも知り、立ち直る決意をした。「私を立ち直らせてくれたのは、お父さんなんだよ!」しかし、それでもなお、父親の愛情を奪った隠し子に対する嫉妬心だけは、消すことができなかった。そして、隠し子が生き別れの父親と再会できると知ったとき、嫉妬心は殺意に変わった。花屋を密輸に引き釣りこんだのも隠し子の仕業と誤解していた娘は、密かに拳銃を運び出し、そこから一丁を抜き取ると、隠し子と蒲生の待ち合わせ場所に向かったのだ。
「蒲生はその真相に気づいた。だが、君を撃ちはしなかった。なぜだ?蒲生は何と言ったんだ?」神代の問いに、娘は蒲生の言葉を語る。「俺には撃てねぇ・・・」娘に銃を突きつけ、動機を問い質した蒲生だが、すべてを知ったとき、引き金を引くことはできなかった。花屋は娘に恨まれていると誤解し、その罪滅ぼしのために悪事に手を染めた。娘は花屋に疎まれていると誤解し、非行に走った挙句、殺人まで犯した。哀しい誤解、その原因を作った張本人は、隠し子を捨てた自分に他ならない――真実を悟った蒲生にできることは、人の心の弱さを利用するヤクザを道連れに、自らを裁くことしかなかった。「お前の罰は、俺が代わりに受けてやる。だから、お前は、俺の娘の分まで生きるんだ」ついに抱きしめることのできなかった隠し子の代わりに、娘を抱きしめる蒲生。「待ってろよ・・・」隠し子に捧げた言葉。それは、「仇を討つこと」をではなく「自分が側に行くことを」だったのだろうか。
こうして、蒲生大介、窓際警視は世を去った。神代、そして特命課刑事たちの胸に深い哀しみを残して・・・

【感想など】
「犯人当て懸賞ドラマ」の後編にして、蒲生の殉職という悲劇を描いた一本。長門裕之というアクの強い演者に対する評価は賛否いろいろあるかと思いますが、特捜の歴史において、蒲生の果たした役割は多大なものがあったと思います。あまりに完璧すぎて人間味が見えづらい神代課長に対し、唯一、対等な立場からモノを言える存在が蒲生であり(刑事としてのキャリアで上回るおやっさんですら、人間としてはともかく、刑事としては部下という立場に徹していました)、神代の秘めた過去や、隠された真意を客観的に語ることができるという意味でも貴重な存在でした。そんな蒲生の死の衝撃の大きさを物語るような神代の暴れっぷりが、見る者の心を揺さぶらずにはおきません。
また、吉野をはじめ、若手刑事たちに対しては、神代や桜井のようなエリートとも違い、橘やおやっさんのような苦労人とも違う、独特に泥臭い視線からのアドバイスを送り、彼らの成長に一方ならぬ貢献を果たしてきました(なかでも一際印象深いのが、「窓際警視の愛した女教師」で見せた、マッチ箱を横から見るために床に横たわるシーン)。そんな蒲生の死の瞬間に、最も中の良かった吉野がいないという事実が、なんとも残念でなりません。
その代わりに泣き役を務めたのが犬養だったのですが、蒲生との競演が初めてということもあって、正直なところ熱演が空回りした印象は否めません。刑事マガジンVol.6のインタビューによれば、その点は演じる三ツ木氏自身も抵抗があったらしいので、気の毒に思えないでもありません。

さて、ドラマのもう一つの売りであった「犯人当て」ですが、推理の材料としてはダイイングメッセージとして残された「4」が書きかけらしい、ということが最大のヒントであり、それが「女」という漢字だったを見抜けた人は、少なくなかったのではないでしょうか。また、ダイイングメッセージの謎が解けなくとも、普通に見ていれば真犯人の絞込みはさほど困難ではなかったと思います。
刑事ドラマのセオリーからすれば、ヤクザが犯人という展開はあり得ず、最も容疑の濃い花屋も、それゆえに真犯人ではないことが明白。蒲生の実娘という展開はさすがにあり得ないでしょうし、スーパーの店長が犯人というのは材料がなさ過ぎ(もし彼が犯人だったら視聴者はさぞ怒ったことでしょう)。西岡刑事か花屋の娘の二人に絞るのは容易だったと思います。西岡の今後の活躍を知らない当時の視聴者からすれば、蟹江敬三が演じているという事実こそが最大の証拠と考えたと思いますが、そうしたミスディレクションさえに惑わされなければ、隠し子への嫉妬心が描かれていたことや、花屋の無実(殺人に対して)を確信していたことなどもあって、真相は読めたのではないでしょうか?長坂氏の著書によれば、ダイイングメッセージも含めて真犯人を当てたのは1人だけとのことでしたが、それはただ応募者のなかでは唯一、というだけで、実際にはもっと多数いたのではないかな、と思えます。

蒲生の殉職、犯人当て懸賞ドラマ、という2つの仕掛けを施し、ゲスト俳優人にも豪華な顔ぶれを揃えていた本編ですが、やはり最大の見所は、「殉職」という特捜の歴史のなかでも数少ないドラマを、他の刑事ドラマとは違ったスタイルで描き切った点にあるでしょう(その感動をぶち壊した娘役の山村美智子については、前編のコメント欄でのリュウジさんへの返信で発散したのでここではスルー)。
自らの死をもって償うという選択は、犬養が言ったように「卑怯」かもしれません。しかし、それが「卑怯」だと分かっていてなお、その選択しか取れなかった蒲生の生き様は、賛否は別として、やはり胸に迫るものがあります。神代課長が「バカが・・・」と呟く以外は、何も語らなかった(語れなかった)ように、一人の人間が命を賭けて下した決断を、軽々しく評価することは誰にもできません。今はただ、蒲生警視という愛すべき人間の死を(その娘役のしょうもない演技などに紛らわされることなく)、静かに見送ろうではありませんか。