特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第495話 女子大生就職内定殺人事件!

2009年08月29日 01時25分17秒 | Weblog
脚本 宮下隼一、監督 三ツ村鐵治
1986年12月18日放送

【あらすじ】
ある夜、老人が歩道橋から転落死を遂げた。老人は目が不自由で、紅林が行きつけのクリーニング店でバイトする女学生が、日頃からボランティアとして世話をしていた。女学生は就職活動で多忙な合間を縫って、老人の歩行訓練に付き合っていた。当初は訓練中の事故かと思われたが、老人の杖が歩道橋に残されていたことから、所轄署は殺人と判断する。
翌日、所轄署が女学生を容疑者として逮捕したと聞き、驚く紅林。所轄署に出向いたところ、逮捕の理由は、現場近くで女学生が老人と言い争っているのを見た者がいたためだという。女学生は「歩行訓練中に疲れた老人を励ましていたが、どうしても嫌がったので諦めた。送っていこうとしたが『そこまで甘えられない』と言うので別れた」と主張。しかし、所轄署は「でたらめだ。彼女には動機もある」と一蹴。その動機とは、熱を出した老人を看病するため、志望していた会社の入社試験を受けられなかったことだった。
特命課に戻った紅林は、女学生の無実を信じる根拠を語る。女学生は幼い頃に交通事故で両親を失っており、同じく事故で視力を失った老人を、肉親のように思っていた。また、その後に別の会社から内定を得ており、所轄署の主張する動機も弱い。他に証拠もない現状でクロと判断するのは危険と判断した神代の指示で、特命課が捜査に乗り出す。
所轄署から女学生を引き取り、ボランティア仲間の学生たちからも事情を聞く紅林。そのうち二人の男子学生は、大手企業から内定を得て、研修のため捜査に協力できないという。それを知った女学生の表情は重く沈んだ。
女学生の無実を証明するために奔走する紅林だが、当の女学生は老人の死亡現場の写真を見て表情を変えると、「ボランティアで忙しいので」と紅林を避ける。紅林は女学生の態度に不審を抱き、その行動をマークする。そんななか、女学生が内定を得ていた会社から「内定取り消し」の連絡が入る。所轄署から事情を聞かされた会社にすれば、無理もない判断だった。紅林は女学生とともにその会社を訪ねて撤回を求めるが、すげなく追い返される。途方に暮れながらも、新たな就職先を探し求める女学生の姿に、紅林は彼女の就職に対する執念を感じる。
そんななか、特命課は「若い男二人が老人と言い争っていた」という新たな目撃証言を得る。若い男たちは「研修だよ」と言っていたため、紅林はボランティア仲間の男子学生に疑惑を向ける。二人には「友人と酒を飲んでいた」というアリバイがあったが、友人を問い詰めたところ、買収されていたことが判明。また、二人は成績不良のため卒業も危うい状態だったが、親のコネで卒業でき、内定も取り消されずに済んだという。
「二人の犯行を見たんじゃないか?」と詰める紅林に、女学生は「突き落とした犯人はヤクザ風の男だった」と語る。なぜ、彼女はそんなデタラメを言うのか?女学生の態度が変わったきっかけが、老人の死亡現場の写真にあると気づく紅林。改めて写真を見ると、老人の指先に残された血痕が、点字によるダイイングメッセージではないかと気づく。その点字を解読したところ、男子学生二人の名前を示していた。二人は酔って「親の力で就職できた!」と吹聴しており、それを耳にした老人になじられた末に、勢い余って突き落としたのだ。
二人を捕らえんと大学に赴く特命課。そこでは、二人が女学生にナイフを向けていた。特命課に取り押さえられた二人は「彼女が僕らを強請ったんだ!」と叫ぶ。血の点字から二人が犯人だと知った女学生は、親のコネで卒業・内定を得た二人に、自分にも就職先を世話するよう脅迫したのだ。「なぜ、そんなことを?」信じられない想いで女学生に問いかける紅林。「魔が差したんです・・・自分一人だけ取り残されたような気がして・・・」
自分が本当にやりたい仕事かどうかも分からず、ただ名の知れた大企業にこだわっていたことに気づいた女学生は、改めて自分がやるべき仕事を見出す。それは、これまで必死に打ち込んできたボランティアだった。「そんな仕事を捨てようとしていた私は、あの二人と変わりません・・・」自分を責める女学生に「それに気づいただけで十分だ。それだけで老人への供養になる」と励ます紅林。自らの進むべき道を見出した女学生は、今日もボランティアに勤しむのだった。

【感想など】
男女雇用機会均等法の施行を背景に、就職に翻弄される女学生の姿を描いた一本。20年以上を経た現在でも、理想と現実に大きな隔たりが存在することを考えれば、施行当時の企業の対応が、いかに建前的なものだったか想像もつくというもの。当時の女学生たちが、どれだけ希望を裏切られたかを思うと、バブル期に社会に出た私としては忸怩たるものがあります。
「就職が決まった」とはしゃぐ学生たちの姿に、取り残されたような疎外感と焦りを感じる女学生の気持ちは、少しでも就職活動を経験したものであれば、誰もが共感できるものだと思いますし、そんな苦労を「親のコネ」でクリアするような輩に対しては、怒りがこみ上げてくるのも無理はないでしょう。とはいえ、大学卒業という「資格」は、その程度の価値しかないものですし(もちろん、学校や学部によりますが)、本人がそれで恥ずかしくないのであれば、それはそれでいいのではないか、と思ったりもしますが、それは私がすでに当事者ではないから言えることなのでしょう。

それはともかく、「仕事」や「就職」に対する若者たちの姿勢や考え方というものは、いつの時代もさまざまな問題をはらんでいるように思われます。ラストで女学生が語ったような「適性を無視した大企業志向」というのも、ありがちな問題の一つですが、勤労経験のない学生に「本当にやりたい仕事」や「本当に自分に適した仕事」が分かるはずがない、というのも事実であり、「誰にでも天職がある」といった誤った思い込みが、就職率の低下や離職率の高まりにつながっているのではないかと、私見ながら考えたりもします。
なお、今回の女学生が選んだ「天職」はボランティアだったわけですが、どうも「奉仕活動」と「仕事」がごっちゃになっているよう思われます(老人介護の会社に就職する、というなら分かるのですが・・・)。それは当時の一般的な認識だったのでしょうか?それとも脚本家の誤解なのでしょうか?

あと、本編とはあまり関係ないのですが、冒頭の杉の態度には非常にムカつき、「お前はとっとと警察を辞めろ」と言いたくなりました。「お前のようにいやいや仕事に取り組むような奴は、社会にとっても、警察組織にとっても迷惑極まりない」と憤慨したのですが、改めて考えてみれば、多くの警察官の本音はこんなものなのだろうと思われますので、わざわざ憤慨するほどのこともありませんでした。

第494話 下着パーティーを覗いた女!

2009年08月28日 02時09分28秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 村山新治
1986年12月11日放送

【あらすじ】
仕事を終えた深夜、人恋しさから特命課を訪れる叶。同様に身を持て余していた紅林と出くわし、二人で夜の街を飲み歩く。そんな二人が通り掛った路地裏で、派手な下着を手にした女性が絞殺死体で発見される。二人の報せを受け、捜査に乗り出す特命課。
被害者は、ごく普通の家庭の主婦で、現場近くのスナックで誰かと待ち合わせていたらしい。夫から事情を聞いたものの、待ち合わせていた相手に心当たりはなく、下着を持っていた理由も分からない。被害者は家庭内で浮いた存在らしく、その寂しさゆえに、雑誌や新聞に投稿を繰り返していたという。投稿のネタを求めて近所の噂話を収集する被害者を、煙たがる者は少なくなかった。
叶と紅林は、被害者が事件当日に訪れていた友人宅を訪ねる。集まっていた主婦たちによれば、その日は酒を飲みながら下着の試着を楽しんでいたという。主婦たちは夫に魅力をアピールするのが目的だったが、被害者だけは、そんな主婦たちを観察しているかのようだった。ポーティー中、被害者に男からの電話があり、その後、参加者で唯一独身のOLと一緒に帰ったという。運送会社に務めるOLを訪ねたところ、被害者と別れた後、彼氏の待つアパートへ帰ったという。OLの態度や人柄は、犯罪と関係あるようには見えなかった。
一方、橘らは、被害者が持っていた銀行の申込カードから足取りを追う。その銀行は犯行現場の至近にあり、被害者は事件当日に口座を開きに訪れていたらしい。
そんななか、被害者が残した懸賞小説が発見される。下着パーティーに材を採った小説内には、OLがモデルらしき登場人物の「本当は、私には男がいない」という台詞があった。OLに彼氏がいたというのは嘘なのか?「彼氏がいないのに、彼氏がいるかのようにふるまっていた女性が、その秘密をばらそうとする奴を殺すなんてことがあるかね?」江崎に女性心理を尋ねたところ、江崎は「ありますよ。プライドの問題ですから」と即答する。
再度運送会社を訪ねたところ、OLは退社した後で、彼氏と一緒に映画を見ているはずだという。だが、探し出したOLは一人で恋愛映画を見ていた。「彼氏は急用ができた」と釈明するOLを問い詰める叶たち。「OLが被害者と口論していた」との目撃証言もあり、OLを連行して取り調べる。犯行を否定し、彼氏の住所氏名を明かすOL。しかし、彼氏といわれる男を訪ねたところ、3年前に結婚相談所で知り合い、何度かデートしただけの間柄で、すでに他の女と結婚していた。OLを問い質す叶。3年前、「当分会えない」と言われて分かれたその男に、OLは自分から連絡しようとはしなかったという。「何度も電話しようと思った。けど、怖くてできなかった・・・」叶はそこに、幸せな結婚を夢見ながらも、出会いに恵まれない寂しい女の姿を見た。それは、叶や紅林も共有する寂しさだった。
その後、事件は急展開を見せる。被害者の友人から「余りに寂しそうだったので、以前に一度、ホストクラブに誘ったことがある」との証言を得た叶は、被害者が入れあげていたというホストを追う。当時、大学生だったホストは、現在は銀行員となっていた。元ホストの勤務先こそ、現場至近の銀行だった。銀行を訪ねたところ、元ホストは慌てて逃走を図るが、特命課に追い詰められて犯行を自白する。
預金獲得のためにセールスに回っていた元ホストは、偶然、被害者と再会。被害者は口座を開く代償として、元ホストに交際を迫ったという。断っても銀行にまで訪れる被害者に生理的な恐怖を覚えた元ホストは「ホストだった過去がばれると出世が危うい」との危機感もあって、殺害を決意。下着パーティー中の被害者を呼び出し、路地裏に誘い込んで絞殺したのだ。「あんな女に将来をめちゃくちゃにされたくはなかったんだ・・・」元ホストの嗚咽が取調室にこだました。
事件解決後、改めてOLを訪ね、謝罪する叶と紅林。吹っ切れたような笑顔で働くOLの姿に、二人はOLの遠からぬ幸せを確信するのだった。

【感想など】
家族に疎まれ、投稿やホストクラブに癒しを求める主婦と、出会いに恵まれない我が身を持て余すOLという、二人の女の寂しさを描いた一本。「寂しくても、寂しいって言えない人間がいるんですね。それを言ったら、自分が惨めになってしまうから・・・」という叶の台詞も印象的ですが、叶や紅林に対し「それほど寂しいのなら、結婚を考えたらどうか?」と言うのは野暮というものですし、同様にいい年して独身の私にとっては、その台詞はまさに“諸刃の剣”というものです。

それはともかく、二人の女の境遇を考えてみれば、新聞の投書欄に載った自分の投稿への猛烈な反論に「こんなに反響があった」と喜ぶ被害者の姿には痛々しいものがあり、どうして家庭内で浮いてしまったのかは不明(というか、本人の性格に理由があるのではないかと思われますが・・・)なものの、哀れさを誘わないでもありません。一方のOLにしても、かつて数度デートしただけの男を、自分からは連絡もできないくせに、今でも「彼氏です」と言い張る心理は、共感できるかどうかはともかく、理解できないでもありません。

それぞれ個別に見れば、それなりにまとまったドラマになったと思ったのですが、それを「下着パーティー」なる意味不明の催しで強引に組み合わせてのが、本作の失敗(と言い切ってしまいますが)の原因ではないでしょうか?被害者は何のために、OLに彼氏がいないことを調べ上げたのか?「どうして彼氏がいるふりをするの?」などと神経を逆なでするようなことを言ったのはなぜか?何やら深い意図というか、女性心理が隠されているような気がしなくもないですが、私の理解を超えています。
また、被害者が絞殺されたときに下着を手にしていたのはなぜなのか?ひょっとして元ホストに見せびらかせていたのだとしたら、元ホストの生理的な嫌悪感はさらに増していたことでしょう。そう考えれば、外道に堕ちた元ホストに対しても同情を禁じえません。強引にまとめれば、何とも不可思議というか、取り留めのない一本でした。

皆様、よいお盆休みを

2009年08月12日 01時03分36秒 | Weblog
いつも当ブログをご覧いただいている皆さま、またコメントをお寄せいただいている皆さま。地震やら台風やら麻薬やらで騒々しい日々が続いておりますが、お変わりありませんでしょうか?
このところ更新頻度を高めてきた甲斐あって、ようやくブログの更新がファミ劇の放送に追いつきました。これで心おきなく帰省できます。
少しの間、更新を休みさせていただきますが、残り話数も少なくなってきましたので、ファミ劇での放送再開(22日より)後は、放送から間を空けずに更新させていただきます。
今後ともよろしくお付き合いいただけますよう、心よりお願い申し上げます。

第493話 二人の女・重複した殺意!

2009年08月12日 00時55分34秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 宮越澄
1986年12月4日放送

【あらすじ】
弁護士がマンションで殺害された。付近の住人が、現場に鍵を掛けて逃げ去っていく黒いコートの女が目撃していたため、特命課は被害者の妻を取り調べる。妻は被害者の浮気が原因で別居中であり、その恨みによる犯行かと思われた。だが、妻は「自宅で友人と飲んでいた」とアリバイを主張し、「夫を殺したのは愛人です」と訴える。その動機は、愛人を受取人にした被害者の保険金だという。愛人は合鍵を持っていることは認めたが、犯行は否定。犯行時にはレストランで食事をしていたと主張するが、証人はいなかった。
橘と犬養は妻のアリバイを確かめるため、画廊を経営する友人を訪ねる。妻と友人は学生時代からの付き合いで、友人も亭主を自殺で亡くしていたことから、男運の悪さを慰め合う仲だった。友人の証言から妻のアリバイは立証されるが、その後の捜査で、友人が妻に借金を頼んでいたことが判明。その代償にアリバイ工作を頼まれた疑惑が浮上する。
一方、時田と叶は愛人のアリバイを確かめるため、レストランを訪ねる。愛人の注文したメニューからレシートの記録をたどったところ、犯行時刻にはレストランにいたことが証明される。だが、その後、レストランのボーイが、犯行時刻にたまたま店内の写真を撮影していたことを思い出し、時田にその写真を見せる。写真の背景には、愛人が座っていたはずの席が映っていたが、そこで食事をしているのは別の男だった。
愛人を追及する叶。嘘がばれたと知った愛人は、その時刻には恋人と会っていたと告白する。弁護士との仲は単なる金目当てだったのだ。恋人の証言で、改めて愛人のアリバイが証明される。だが、恋人の身辺を洗ったところ、バクチで借金を抱えていたことが判明。その借金を返済するために、愛人と恋人が共謀して被害者を殺したのではないか?特命課の取調べに対し、恋人は「全部あの女の計画だ」と自白する。しかし、愛人は恋人と共謀してのアリバイ工作を認めたものの、「弁護士を殺しにマンションに行ったら、黒いコートを着た奥さんが慌てて出てくるのを見て、怖くなって逃げた」と犯行を否定する。
一方、犬養らの調べで、妻を自宅からマンションまで乗せたというタクシーが発見される。友人もアリバイ工作を認め、妻の犯行が決定的となる。しかし、取り調べに対し、妻は「私が行ったときには、夫はすでに殺されていた」と主張する。どちらの証言が真実なのか?それ以前に、二人の女の殺意が重複したのは偶然なのか?
妻が現場に着て行った黒いコートは、友人から借りたもので、事件後に友人に返していた。特命課は友人からコートを借り受け、その袖から被害者の血液を検出する。「なぜ、あの日だったんです?」桜井の問いに、妻は犯行当日の詳しい状況を語る。その日、友人は妻を訪ねると「ご主人に頼まれた」と離婚届を渡した。激昂して離婚届を破り捨てる妻の胸に、被害者への殺意が宿る。そんな妻を見て、友人がアリバイ工作を申し出たという。
その後、友人の亭主が自殺した原因が、訴訟に負けたためだと判明。その際の弁護士が被害者であり、勝てる裁判を被害者のミスで負けたという評判だった。さらに、友人と愛人が旧知の仲であり、黒いコートが友人の勤めるアトリエで注文したものだと判明する。
友人は亭主を死に追いやった弁護士を恨んでおり、ともに動機のある愛人と共謀して、妻を犯人に仕立て上げたのではないか? 捜査の結果、愛人が事件の翌日、友人のもとに衣類を送っていたことが判明。黒いコートは2着あり、愛人も黒いコートを着て被害者を殺害し、友人はそのコートを「妻に貸したもの」と偽って特命課に渡したのだ。
その夜、友人と愛人は密かに祝杯を挙げる。そこに踏み込む叶たち。その手には、証拠となるもう1着のコートが握られていた。

【感想など】
一人の男に向けられた二人(実際には三人)の女の殺意の顛末を描いた一本。よく言えば「二転三転する意外な展開」となるのでしょうが、嘘と強引な決め付け(そもそも注文したメニューしか記録されないレシートがアリバイになるはずがない)だけで塗り固めたアリバイが暴かれていくだけであり、正直なところあほらしくて見ていられない。
時田刑事の不真面目な態度といい(脚本の指定だとすれば、何を意図してのものか不明であり、宮越監督の演出や渡辺氏のアドリブだとすれば、訳の分からない脚本に対するせめてもの反抗だったとしか思えない)、肝心な手掛かりが台詞だけで(それも事件解決直前になって次々と)説明される展開といい、ここまで低レベルな脚本は、特捜の長い歴史の中でも指折りではないかと思われます。
ゲストの女優さんの演技や、冒頭やラストに象徴されるミステリアスな演出など、頑張って作ろうとしている気配は感じられるだけに、なおさら脚本の“やっつけ感”が残念でなりません。

第492話 女装殺人・男たちのレイ・オフ!

2009年08月10日 01時22分52秒 | Weblog
脚本 大野武雄、監督 宮越澄
1986年11月27日放送

【あらすじ】
ある朝、「車の中で女が死んでいる」との通報が入る。特命課が出動したところ、死体は女装した男で、首を刺されて殺されていた。被害者の身許を調べたところ、写真週刊誌のカメラマンと判明。出版社を訪ねたところ、カメラマンに女装の趣味はなかったが、数ヶ月前に女装クラブの写真を撮影していた。
写真はカメラマンが盗み撮りしたものであり、「密かな楽しみを世間に晒されたされたことを恨んでの犯行ではないか」とみた特命課は、週刊誌に映った女装マニアたちを追う。女装マニアは世間体から自身の趣味を認めたがらず、捜査は難航。時田は粘り強い聞き込みによって、クラブ内の様子はカメラマンには撮影できないはずであり、女装クラブの元店員が流したらしいとの情報を得る。その矢先、元店員も襲われる。同じく女装させられた状態で発見されたことから、同一犯人の仕業に間違いなかった。
その後、女装マニアの一人が銀行の支店長だと判明するが、問題の写真が原因で退職に追い込まれていた。元支店長は大阪からの単身赴任者だったが、ここしばらくマンションに戻っていなかった。指紋を照合した結果、元支店長が犯人と断定する特命課。時田らは大阪に住む元支店長の妻を訪ねるが、すでに離婚していた妻は「あんな無責任な男は知らん」と吐き捨て、女装趣味については全く知らなかったという。
元支店長は仕事一筋の真面目な性格で、親しい友人もいなかった。ただ、マンションの管理人の証言では、恋人らしき若い女が出入していたという。聞き込みの末に女を発見する時田。女は元支店長と同棲していることをあっさり認めるが、隙をついて元支店長を逃がす。「俺にはまだやらなきゃならんことがある」と言い残し、姿を消す元支店長。
女を取り調べる時田。女は元支店長の犯行を知らなかったが、事実を知らされても「いい気味だわ。誰だって他人に知られたくないことがある。それを面白半分で世間にばらまかれたら誰だって怒るわよ!」と、元支店長を擁護する。女が語るには、二人は恋人などではなく、親子のような関係だという。ふとしたきっかけで知り合った頃、女は風俗嬢だった。しかし、元支店長の真摯な忠告に、女は死んだ父親を思い出し、風俗を辞めた。元支店長が職を失い、離婚されたとき、二人は「天涯孤独な者同士で、親子になろう」と誓い合ったという。
また、女装の趣味を教えたのも女だった。はじめはちょっとした悪戯だったが、鏡に映った自分の姿を「自分じゃないみたいだ」と感じた元支店長は、日々の仕事のストレスを忘れ去るため、女装趣味に傾倒していった。おかげで酒に逃げ込むこともなくなり、ストレスからも開放されたが、唯一の心配は、その趣味が銀行にばれることだったという。
そんななか、元支店長は次なる凶行に及ぶ。被害者は同じ銀行の支店長だったが、負傷したものの、危ういところを警官に救われた。不審な様子に、両者の関係を調べる特命課。支店長もまた大阪からの単身赴任者であり、どちらかが大阪に呼び戻される予定だったと判明する。支店長は大阪で待つ病気の妻のためにも、元支店長を追い落とす必要があった。そのため、元支店長の密かな趣味を調べ上げ、カメラマンや女装クラブの店員を使って暴露させたのだ。
支店長を呼び出した元支店長は、言葉巧みに証拠となる言葉を引き出すと、ナイフを手に「一緒に本店に行ってもらう」と迫る。元支店長の狙いは、支店長を同じく辞職に追い込むことだった。「ただ殺したって面白くない。貴方にも“生きる屍”の辛さを味わってもらう!」隙を見てナイフを奪う支店長。だが、元支店長はむしろ好機とばかりに、そのナイフを自らの胸に突き立てた。駆け付けた特命課の手当ても虚しく、元支店長は搬送された病院で息を引き取る。「誰に迷惑をかけるわけじゃない。それを汚いものでも見るみたいに・・・だから俺は殺したあと女装させてやったんだ」と言い残して。
事件解決後、元支店長の遺骨とともに、郷里に戻る女を見送る時田。同じ駅のホームでは、転勤する会社員の姿があった。その姿を、時田は複雑な想いで見送るのだった。

【感想など】
会社の都合で妻子との別居を余儀なくされ、職場での競争と絶えざるストレスに疲弊していく単身赴任社たちの悲劇を描いた一本。「女装くらいでクビにせんでもええやないか」と思うのが人情だと思いますが、何しろ銀行というのは、仕事の実力や人間性以上に、世間体や見た目を判断基準にする世界ですので、女装趣味がそれなりに市民権を得た(得ているのか?)現在ならともかく、放送当時の常識から考えれば、むべなるかな、という気がします。
また、今回の犯人(そして被害者である支店長)の本当の悲劇とは、秘密がばれて仕事を失ったことではなく、それまで辞めることができかった点にあるのではないかと思います。どれだけ辛い仕事でも、家族を養うために、そしてこれまでの自分の努力を無意味なものにしないために、その仕事にしがみつかざるを得ない会社員の悲しい性。ある意味では、辞職や離婚は新しい人生を歩むチャンスだったかもしれないのに、そう考えることができず、復讐に走ってしまう視野の狭さ(というか、それだけ狭い視野しか持つことしかできなかったこれまでの人生)こそが、最大の悲劇と言えるでしょう。

私はいくらストレスが溜まっても女装しようとは思いませんが、女装趣味のある人を、その趣味によって差別する気はありません(ただし、その姿をわざわざ見せつけようとしない限りは)。とはいえ、女装した自分を鏡で見ることで、普段の自分ではなくなったと感じられる開放感は、なんとなく想像できるものがあります。また、女装することで初めて虫の声に耳を傾けられる、裏を返せば、普段は虫の声を聞くこともできないほどに余裕を失っている、というエピソードは、会社員経験をある者なら、誰もが思い当たるのではないでしょうか?(ちなみに私の場合、会社を辞めてから日々の月の満ち欠けを実感できるようになりました。)

こうしたサラリーマンの悲哀を描いた作風は、悲劇的な結末と、東京駅での見送りという定番ラストもあって、私の好きな夜10時台の特捜テイストではあるのですが、さすがにそれだけで好評価というわけにはいきません。女(松居直美)を連行してからの展開が冗長だったり、殺した相手を女装させた意図がよく分からなかったり(死に際に何か言っていましたが、よく聞き取れませんでした。分かった方はご教示ください)と、不満点は少なくありません。きっと夜10時台に放送されていたら、もっとひどい評価を下していたでしょう。つくづく人間とは勝手な生き物だと思います。

第491話 天使を乗せた紙ヒコーキ!

2009年08月07日 03時39分28秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 天野利彦
1986年11月20日放送

【あらすじ】
ある夜、繁華街の片隅で、無抵抗の会社員が暴行の末に殺された。目撃者の証言で、暴力団組長の孫息子が逮捕され、犯行を否認したまま起訴される。だが、裁判を前にして、目撃者は「自分は何も見てない。証言はでたらめだった」との手紙を残して失踪。他に証拠はなく、出廷の時間までに目撃者を探し出さなければ、孫息子の罪を証明できない。
目撃者の妻子を訪ねる桜井と橘。目撃者のもとには「奥さんをレイプする」「息子を誘拐する」といった脅迫電話が相次いでいた。暴力団の仕業であることは明白だったが、何かが起こらない限り警察は動けない。目撃者は苦しんだ挙句、家族を守るために暴力団と取引したものと思われた。「もう、そっとしておいてください」と涙ながらに訴える妻に、言葉を失う桜井たち。だが、息子は桜井に「お父さんを探して。僕も頑張るから、父さんも負けないで欲しいんだ」と訴える。
目撃者とともに失踪したホステスは、暴力団の手先だった。特命課はホステスが自宅に送った土産をたどって、千葉の漁村に身を潜めていた目撃者を発見。桜井らは「俺は警察なんか信用しない!都合のいいときだけ証言しろといって、こっちが困った時に何もしてくれじゃないか!」と訴える目撃者を説得し、東京へと護送する。
だが、暴力団が黙って見過ごすはずはなかった。目撃者の妻を誘拐しようとして失敗すると、今度は半殺しにしたホステスに「目撃者にやられた」と証言させ、千葉県警を利用して足止めする。どうにか誤解を解き、改めて東京に向かう桜井たち。だが、暴力団は先導するパトカーを狙撃。炎上するパトカーを見て怖気づいた目撃者は、桜井らが警官たちを救出している隙に逃走する。目撃者を追った犬養は、暴力団の襲撃から目撃者をかばって足を撃たれる。危ういところに桜井が駆けつけ、一旦は撃退したものの、暴力団の追跡は続く。負傷した犬養と、隙あらば逃げようとする負傷者を抱え、桜井は道なき道を駆ける。
一方、特命課は目撃者を説得するために、息子の協力を仰ぐ。橘は息子とともにヘリで目撃者らを捜索。息子は父に届けと大量の紙飛行機を空に撒く。「お父さんがんばって」息子が紙飛行機に託したメッセージを見て、「息子のためにも悪に屈してはいけない」と覚悟を決める目撃者。紙飛行機が舞うなか、橘のヘリが桜井らを発見。息子を抱きしめ、証言を誓う目撃者を、桜井と犬養は汗まみれの笑顔で見送った。
やがて、証言台に立った目撃者は、堂々と孫息子を告発。その姿に拍手を送る息子を見守りながら、橘や神代は「次は暴力団を壊滅させる番だ」と誓うのだった。

【感想など】
桜井の男臭さが炸裂する、特捜としては珍しいアクション巨編。藤岡弘の魅力は十二分に発揮されているものの、あまりにひねりのないストーリーや、これまた単純な正義感の押し付けは、子供向けの特撮番組の脚本としてはともなく、大人向けの刑事ドラマとしては底が浅いと言わざるを得ません(念のためにお断りしておきますが、決して子供向け特撮番組を見下しているわけではありません。対象とする視聴者層ごとに相応のテーマ性が求められるはずですが、今回のテーマは子供向けのテーマとしてはともかく、大人向けのテーマとしては幼稚に過ぎる、と言っているだけです)。

ストーリー的には「警察が犯罪の目撃者を守れるか」という、実に深いテーマを扱っているのですが、「悪に屈してはいけない。勇気を持って証言しよう」という、まさに子供の正義感で結論づけてしまっているのは、ひどくもったいなく思われます。果たして、この裁判の後、当然生じうる暴力団の目撃者(とその家族)に対する報復を、特命課(というか警察)は守ることができるのか?というところまで踏み込んでくれないと、目撃者の葛藤が、「妻子を守るための大人の判断」ではなく、単なる「暴力団の脅しに屈した怯懦」のように見えてしまいかねません。
巨大な暴力を敵に回す恐ろしさを甘く見てはいけませんし、その暴力に対する警察権力の無力さや、目撃者の安全に対する警察の無関心さを忘れてはいけません。それらは中盤の目撃者と犬養と会話に如実に表れています。
「裁判が終わって、あいつが無罪になれば、俺と家族は元の生活に戻れるんだ」という目撃者の主張は甘いと言わざるを得ませんが、それに対する犬養の答えは非情です。
「それは違う。貴方が証言を拒んで、奴が一審で無罪になったとしても、警察が控訴すれば裁判はいつまでも続くんだ!」これは、目撃者が証言するまで裁判は終わらない、という脅迫に他なりません。
これに対する目撃者の反論は、まさに道理。「俺が証言して奴を有罪にできても、暴力団がつぶれるわけじゃない。俺は妻子を守りたいんだ!」この切なる訴えに対し、犬養は目撃者や妻子を守ると約束するどころか、冷たい現実を突きつけるだけでした。「もう遅い。奴らは貴方あなたの命を狙っている。それが証言させない確実な方法だからです」「あんたたち警察のせいだ!」と目撃者が叫ぶのは(実際は、特命課が居所をつかむ以前から、目撃者を殺すつもりだったとはいえ)、至極当然であり、哀れとしか言いようがありません。

もちろん、犯罪者を野放しにしないためには、勇気を持って証言する必要があるのは言うまでもありません。しかし、悲しいかな、こうした証言者に対する加害者側の報復を、警察権力が100%防ぐことは不可能なのもまた事実であり、そうした事実を明示した上で、視聴者に「では、貴方ならどうするのか?」という正解のない問いかけを行うのが、特捜本来のドラマツルギーではないかと思います。それを「悪いことはいけないと思います」という「当たり前」の結論で締め括られても、拍子抜けというか、釈然としないものがあります。「最初から見て見ぬふりをすればよかった」とまでは言いませんが、「後先を考えずに証言しましょう」とでも言いたげな脚本には、一言いわずにはいられませんでした。

第490話 青い殺意・優しい放火魔!

2009年08月05日 02時06分32秒 | Weblog
脚本 宮下隼一、監督 天野利彦
1986年11月13日放送

【あらすじ】
ある夜、同一町内で連続放火事件が発生。被害に遭った4軒の子供が、同じ中学の同級生と判明し、叶と犬養がその学校を訪ねる。校門付近で、まだ昼休みだというのに慌てて下校する少女に出会う犬養。憂いを含んだその瞳は、犬養に強い印象を残した。
子供たちに「心当たりがないかな?」と聞いたところ、子供たちは「僕らが誰かに恨まれるようなことをしたと言うんですか?」と憤慨する。そのとき、子供たちのクラスの給食に毒物らしきものが混入されているのが発見される。調査の結果、毒物でなく食用色素と判明するが、特命課は、放火も含めて学校内部の犯行ではないかと推測。叶らは給食室でハンカチを発見するが、その持ち主は犬養が校門で出会った少女だった。
少女の親から事情を聞こうとする叶と犬養だが、父親はすでに亡く、母親は「聞きたいことがあれば本人に聞けば」と、突き放したような態度を見せる。やむなく、少女から事情を聞く叶たち。少女は体育の授業を見学している途中で姿を消していたが、その間、何をしていたかは答えようとしなかった。放火があった時間には、母親を勤め先のスナックまで迎えに行っていたという。だが、母親に確認したところ「酔っていて何も覚えてない」と、少女のアリバイを証明しようとしない。
少女への疑惑を主張する叶に対し、犬養は「違います。彼女は半年前から、精神的な理由から拒食症になっているんです」と反論する。少女は拒食症を煩って以来、クラスの生徒から無視され、孤立していたという。この学校はいじめや校内暴力のないモデル校に指定されていたが、実際は違っていたというのだろうか?
そんななか、少女は雨の夜に外出し、尾行する叶の目前で放火を図る。駆けつけた犬養が火を消し、事なきを得る。少女が火を点けるまで黙って見ていた叶に対し、犬養は「あんたは間違っている。それが刑事の仕事ですか!と激昂する。
犬養の調べでは、少女の母親に再婚話が持ち上がっていたが、少女の存在が理由で破談になっていた。それ以来、母親は酒に逃避するようになり、責任を感じた少女は、母親と同じ苦しみを味わおうとするかのように、拒食症に陥った。「それほど心の優しい子なんです」と少女をかばう犬養だが、叶は真っ向から反対する。「だからこそ、彼女は何の屈託もなく食べて生きている同級生たちを恨んだんだ」「それは偏見です!」「偏見はお前だ。俺たちは刑事だ。安っぽい同情からは何も生まれん」「あんた、それでも人間か!」二人の対立が激化するなか、事件は急展開を見せる。少女が叶や犬養の目を盗むように、薬品の入った瓶を捨てたのだ。その瓶の中身は、給食に混入された食用色素だった。叶の追及に、少女はやはり沈黙するのみだった。
一方、食用色素の入手先が判明し、そこに残された靴跡が、少女らの学校のものと判明する。調査の結果、少女の靴を含めて、学校内の靴はいずれも合致しなかった。特命課は、少女と同じクラスの長期欠席中の少年に目星をつける。少女はその少年の自宅を何度も訪れては、素気なく追い返されていた。
少年宅を訪ねたところ、父親は「息子はいじめの犠牲者だ!」と、いじめの存在を否定する学校を非難する。特命課の捜査により、いじめの先頭に立っていたのが、放火された4軒の子供たちだったと判明。少年の犯行を確信する特命課だが、証拠となる靴は焼却され、本人も黙秘を貫く。
少女が何かを知っていると見て、自宅を訪れる叶。そこで見たものは、手首を切って自殺を図る少女の姿だった。幸い、手当てが早く、少女の命は取り留められた。病室のベッドに横たわる少女に、叶が語りかける。「君は、彼が犯人だと知っていた。それを黙っていたのは、彼の犯行が自分の責任だと感じていたからだね?」叶の言葉は、犬養にとっても意外なものだった。少年がいじめられていたとき、少女はクラスの生徒たちと同様に、見て見ぬふりをした。やがて少年が自殺を図ったとき、少女は母親の再婚話が壊れてしまったことと重ね合わせ、すべてが自分のせいだと思い込み、自分を責め続けた。あげくに少年が給食に色素を混入するのを目撃し、とっさに少年をかばったのだ。「それが君の優しさであり、償いだったんだ。でも、それは本当の優しさじゃない。それじゃあ何も解決しない・・・」目をそむけていた少女が、いつしか叶を見つめていた。「分かるよ。僕にもそういうときがあった。そういう時、僕は表へ出て、思いっきり叫んだもんだ。黙ってちゃダメだ!相手に気持ちをぶつけるんだ!そうすれば、君の友達も、お母さんも、いつかきっと分かってくれる。僕はそう思うよ・・・」涙交じりに語る叶の言葉に、少女もまた涙を浮かべながら、頷くのだった。
少女の証言により、真相は解明される。事件はやはり少年の復讐だった。「でも、あれは私がやったも同じなんです。私も心の中で、クラスのみんなを恨んでたんです。彼を追い詰めたのは、私も、みんなも同じなのに、彼が休んでいるのをいいことに、彼の苦しみを忘れてしまっているみんなが憎かったんです・・・」思い悩んだ末に、少女は自分も放火の罪を犯し、一緒に自首しようとしたのだ。
こうして事件は解決するが、少女の心の病は未だ治らない。そんな少女に、それまで無関心を決め込んでいた母親が頭を下げる。「ごめんね。お母さん、自分のことばかり考えて、あなたを苦しめていた・・・」母親の涙を見て、少女は拒み続けていた食事に手を伸ばす。母親が見つめる前で、ゆっくりと食事を口にする少女の姿に、叶と犬養は心から安堵するのだった。

【感想など】
孤独と不安に苛まれ、心を病む少年と少女。彼らを信じ、救おうとする犬養に対し、彼らの痛みを受け止め、理解しようとする叶。両刑事の対立と和解を描いた、心温まる一本です。前回が「夜10時台の特捜を思わせる傑作」だとすれば、今回は「夜9時台ならではの傑作」であり、後期特捜の代表作としてDVD-BOXに収録されたのも納得できるというものです。
いじめ問題をテーマに、少年少女の心理に迫った本作は、86年という時代性と、夜9時台という時間帯、そして何より、ただ単純に優しい犬養というキャラクターを抜きにしては、成り立たなかったと思います。つまり、後期の特捜だからこそ描けたストーリーであり、私がこよなく愛する夜10時台の特捜には、残念ながらこの味わいを出すことはできなかったでしょう。この一本が作られただけでも、特捜が時間帯を変更してまで継続した意味があった、というのは、さすがに言いすぎでしょうか?

ドラマの核となるのは、犬養と叶の対立、そして当初は少女に対して冷酷に見えた叶が見せる本当の優しさであり、濃密な台詞を再現するため、あらすじがいつもより長くなってしまいました。ラストシーンでは、叶の本心を理解し「かばうだけが優しさじゃない。痛みを分からなきゃダメなんだ。先輩の言うとおりでした」と詫びる犬養に対し、「今度こそ、俺もあの子を信じるよ、お前のように」と叶が答え、深まった絆を確かめあうかのように取っ組みあうのですが、こうした青春ドラマのような臭さも、本編の流れを受けた自然なものであるため、違和感を覚えることなく見ることができました。
辛い人生を送ってきたからこそ、同じく辛い立場の少女の真意を理解できる叶。同じように、少女も母親の破談を招いたという苦しみゆえに、クラスで唯一、いじめられた少年に手を差し伸べることができました。本編中では、少年の気持ちは描かれていませんでしたが、きっといつか、少女の存在が少年を勇気づけるに違いありません。たった一人でも、自分のために思い悩み、ともに苦しもうとしてくれた人がいるということは、かけがえのない幸福だと思うからです。
それと比較すれば、さぞや恵まれた生い立ちを歩んできたのだろうと思われる犬養は、ある意味で叶の引き立て役というか、損な役回りになってしまっていますが、彼のストレートな優しさ、過ちを認める素直さは、こうした心温まるエピソードにおいて一際映えるように思われます。この独特なキャラクターを「夜9時台の特捜の見所」にまで育て上げることができなかった(と結論づけてしまいますが)のは、三ツ木清隆という俳優のキャリアを考える上でも、やはり残念だと言うしかありません。

第489話 連続誘拐・心臓移植の少女!

2009年08月04日 04時06分20秒 | Weblog
脚本 林誠人、監督 野田幸男
1986年11月6日放送

【あらすじ】
大物政治家による国有地払い下げをめぐる汚職事件を内偵する特命課。そんななか、小学生になる政治家の一人娘が誘拐される。特命課が待機する政事家宅に、誘拐犯から脅迫電話が入り、「娘を返して欲しければ、記者会見を開いて汚職を告白しろ」と要求する。動機は金ではなく「義憤」だと言うのだ。娘の安否を気遣う政治家に、誘拐犯はこう答える。「安心しろ。娘が寂しくないよう、遊び相手を誘拐しておいた」
誘拐犯は警察の存在を察知し、あえて電話を逆探知させる。割り出した公衆電話に急行したところ、そこには二人分のランドセルが残されていた。誘拐されたもう一人の少女は、幼い頃に両親が離婚し、母親と二人暮しだった。母親によれば、少女は心臓に持病を抱えており、発作が起これば命に関わるという。
誘拐犯の要求に苦悩しつつも「私は潔白だ。嘘をつけと言うのか?」と言い張る政治家に、桜井は言う。「はっきり言おう、貴方はクロだ。貴方にお子さんを天秤に掛ける自由はない。ましてや無関係の少女を巻き込む権利はない!」だが、政治家は「君たちこそ私の記者会見を望んでいるんじゃないか?本当に事件を解決する気があるのか!」と一喝。その言葉は、桜井らの内面の葛藤を鋭く突いていた。
そんななか、誘拐犯は発作を起した少女を病院の近くで解放すると、「私は人殺しになりたくない。この少女の心臓を治してやれ」と政治家に要求する。政治家は要求を飲み、少女に米国での心臓移植手術を受けさせることになり、美談として新聞に報じられる。
その後、再び入った脅迫電話に、政治家はついに記者会見を覚悟する。一方、時田は少女を見舞い、誘拐犯の人相を聞き出すと、似顔絵をもとに病院付近の聞き込みを開始する。その頃、誘拐犯は政治家の娘とともに千羽鶴を折り、少女の回復を祈っていた。そこに聞き込みに訪れる杉。だが、誘拐犯の顔(視聴者にはここで初めて明かされる)は似顔絵とは似ても似つかぬもので、杉は気づく術もなかった。
その頃、事件の推移を見守っていた神代は「視点を変えてみるべきではないか?」と指摘する。誘拐犯の目的は、政治家ではなく、はじめから少女の心臓病を治療させることにあったのではないかというのだ。容疑は少女の離婚した父親に絞られる。父親はかつて高級料亭の板前をしており、そこで政治家の密会を耳にしたと思われた。父親の名前を聞いた杉は、聞き込み先で出会っていたことに気づく。似顔絵のも元となった少女の証言はデタラメだったのだ。少女は「インチキをしてまで心臓を欲しくありません!」と、移植手術を拒んでいた。少女も最初から共犯だったのだというのか?だが、母親は離婚後に父親の写真をすべて処分しており、少女は父親の顔を覚えていないはずだった。少女を信じたい思いを抱きつつ、時田は杉とともに誘拐犯のもとへ急ぐ。
ニュースで少女の手術拒否を知って驚く誘拐犯のもとに、時田らが踏み込む。誘拐犯は大人しく逮捕され、少女は無事に保護される。桜井のもとに報せが届いたのは、政治家が記者会見を開くまさに直前だった。このまま会見させれば、汚職事件の全貌がつかめる。だが・・・。悩んだ末に、桜井は政治家に娘の救出を告げる。居並ぶマスコミに「会見は中止だ」と一方的に告げ、平然と会見場を後にする政治家。その表情は、子を思う父親のものでなく、政治家のものに戻っていた。
時田の温情で、少女の病室を訪れた誘拐犯は、少女に似顔絵を見せ「お父さんのことをかばってくれたんだね?」と問いかける。母親は「この子にあなたなんかの記憶はありません!」と少女に近付くことを拒絶する。だが、少女はやはり、父親の顔を知っていた。大切にしていたぬいぐるみの中から、一枚の写真を取り出す少女。そこには、幼い頃の少女が笑顔の両親とともに映っていた。「こんなにお母さんを笑わせている人、見たことない。一度でいいから、会ってみたかった」娘の言葉に、胸の内を搾り出す誘拐犯。「お父さん、お前の病気が怖くて、お前がお父さんより先に死んじゃうんじゃないかと怖くて、逃げ出した卑怯者だ。だから、お前の病気を治すのにも、卑怯な方法しか考えつかなかった・・・」だが、少女は無条件に親に従う幼女のままではなかった。卑怯な手段で手術を受けることを、潔しとしなかったのだ。「馬鹿なお父さんだな・・・」ついに父とは呼んでくれない少女の無垢な瞳に耐えかね、思わず視線を逸らす誘拐犯。見かねた時田に促され、誘拐犯は病室を出る。だが、ひたすらに我が子の無事を願う父の心は、少女に届いていた。「お父さん、ありがとう!」背後から響く少女の声に、誘拐犯の頬を涙が伝った。
やがて、特命課の証拠固めが終わって政治家が逮捕された頃、少女は母親とともに米国へと出発する。その手には、父親と、誘拐された娘の折った千羽鶴がしっかりと握られていた。

【感想など】
汚職政治家への義憤による誘拐事件の裏に隠された親子の情愛を描いた一本。何と言うか、実に久しぶりに特捜らしい特捜を見たという充実感が味わえ、「夜10時台の特捜が帰って来た!」と思える、まさに「珠玉の一本」でした(ここしばらく「これが特捜か・・・」と嘆きたくなる話が続いていた反動もあるかもしれませんが・・・)。
正直なところ、少女の心臓病と母子家庭という背景が明らかになった段階で先が読めてしまうのは否めませんが、本作の魅力はストーリーだけでなく、刑事や犯人、そして被害者それぞれの心情の揺れ動きを、台詞に頼ることなく、演技と演出で描き切った点にあると思います。
なかでも特筆すべきなのは、桜井と政治家(勝部演之)、そして時田と誘拐犯(島田順司)の間で交わされる演技の妙です。誘拐事件を解決しなければならない一方で、汚職事件を解決に導くチャンスを逃がしたくないという桜井の葛藤。娘を想う父親の顔と、老獪な政治家としての顔が交錯する政治家の揺れ動く内面。両者の心理がぶつかり合うラストの局面で、最後に桜井が下した選択は、人として誠実であろうとする道でした。おそらく、そこには(実際に桜井が耳にする描写はなかったものの)「インチキしてまで心臓を欲しくない」と言い切った少女の言葉が影響していると思われますが、そうした桜井の誠実さに対し、堂々とシラを切り通す政治家も、また天晴れ。両者の選択は、一見、正反対のようでいて、いずれもまさに「大人の選択」であり、余計な台詞を排して、表情だけで深い内面を描き切ったあたりは、「これぞ特捜」といえる名シーンでした。
また、誘拐犯と娘の絆を描いたラストシーンは、島田氏の熱演もあって、もう涙無しには見られません。拒絶を続ける妻や、父親の「卑怯な」好意をどう受け止めていいか分からないでいる少女を前に、自らの愚かさを悟る誘拐犯を、誰が責めることができるでしょうか?そんな誘拐犯の心情を、同じ子を持つ身として痛いほどに理解しながら、黙って見つめるだけの時田。誘拐犯が差し出す両手を、首を振って押しとどめる、たったそれだけのさり気ない演技に、時田の限りない優しさがにじみ出る。地味ながら味わい深いシーンです。

こうした大人の演技、大人の魅力に加えて、少女二人の演技(というか、少女の気持ちを引き出した脚本と演出)もまた印象深いものがあります。「卑怯な手段」を良しとしない少女と、父親の不正を察して距離を置く娘。いずれも子供ながらの正義感と、父親への思慕の間で揺れ動く不安定さが、ドラマの端々で描かれています。
サブタイトルにもあるように、ドラマ的なメインは心臓病の少女の方ですが、個人的に印象に残ったのは、あえて感情を抑えた感のある政治家の娘の方でした。誘拐犯に指切りを促され「そんな子供じゃありません」と応じるシーンや、逮捕される政治家を心配そうに見つめるシーン、そして、無事に保護された後の会見で、喜ぶ政治家を他所に折鶴を折り続けるシーンなど、無表情さの奥に隠された真情を思うと、切ない思いがこみ上げてきます(惜しむらくは、冒頭でわざわざ学校を出て折り紙を買いにいった娘の行動を、伏線としてしっかり回収して欲しかった)。

久々に特捜らしさを堪能させてくれた脚本の林誠人氏ですが、気になって調べてみたところ、本編が脚本家としてのデビュー作だとか。その後も刑事ドラマの脚本を数多く手掛け、最近では「ケータイ刑事」シリーズのチーフ脚本家を務めているそうです。特捜ではこれ一本のみですが、機会があれば他作品での脚本作を見てみたいものです。

第488話 強殺犯逃亡・あぶない道連れ!

2009年08月03日 02時45分40秒 | Weblog
脚本 宮下隼一、監督 二谷英彦
1986年10月30日放送

【あらすじ】
強盗殺人容疑の青年が、故郷の甲府に戻ったところを逮捕された。寝たきりの母親を見舞うためかと思われたが、青年は「そんなんじゃねぇ」と強がってみせる。奪われた宝石の行方を取り調べるため、青年を車で護送する叶と杉。だが、山中で青年が運転席の叶に襲いかかり、事故の隙をついて杉の拳銃を奪って逃走。慌てて後を追った杉が青年に手錠をかけるが、誤って崖を滑り落ち、二人は手錠につながれたまま激流に流される。
杉と青年は下流で意識を取り戻す。青年は拳銃を手に「手錠を外せ」と威嚇するが、カギは激流のなかで失われていた。青年は「自分は単なる共犯で、ガードマンを殺したのも、宝石を持ち去ったのも主犯だ」と主張。「主犯を探しに行かせろ」と懇願するが、杉は拒絶する。やむなく拳銃で手錠を切ろうとする青年だが、杉の妨害で弾丸は手錠をそれ、ムダ玉を消費した挙句、残り一発を残して事態は膠着する。
叶の連絡を受けた特命課は、空と陸から捜索網を敷くが、降り出した雨により難航する。
一方、杉が足を負傷したため、山中の二人の足取りは重い。土砂崩れに足を取られ、崖から宙吊りになる杉。「このままじゃ二人とも助からん。銃で手錠を切れ!」杉の叫びに、青年は「おれの手につかまれ!」と応え、二人は何とか窮地を脱する。「なぜ助けた?」「勘違いするな。一発しかないタマを無駄にしたくなかっただけだ」口ではいがみ合いながらも、次第に心を通わせる二人は、運良く発見した山小屋で休息を取る。
翌朝、二人は軽トラックを奪って東京に向かう。「急がないと、奴は海外に高飛びしてしまう」青年が知る主犯の手掛かりは、女の居所だけだった。「お前の主張が本当なら、主犯を捕まえるのは俺の仕事だ」と杉は青年に協力を申し出る。
一方、杉が密かに落とした警察手帳のメモから、二人の目的を知る特命課。一足先にヘリで都内に戻った橘は、本当に主犯がいるならば、宝石店の内情に詳しい者ではないかと推測。だが、宝石店の店主を訪ねたところ、主犯の名に心当たりはないという。
その夜、主犯らしき死体が発見される。「青年が杉を振り切って殺したのでは?」と色めき立つ特命課だが、神代は「杉は刑事だ。今でも青年を確保しているはず。私はそう信じる」と断言する。では、一体誰が主犯を殺したのか?一方、橘の捜査により、宝石店が倒産寸前で、盗まれた宝石に多額の保険金が掛けられていたことが判明する。
その頃、青年と杉は女のアパートに押し入り、主犯の訪れを待っていた。ニュースで主犯の死を知って動揺した青年は、やすりを探して部屋を引っ掻き回す。ある写真に目を止める杉。そこには、女が宝石店の店主とともに笑っていた。すべては宝石店の店主が仕組んだシナリオだったのだ。
夜の倉庫に店主を呼び出し、金を要求する青年。だが、店主はライフルを手に、青年の抹殺を図る。青年をかばう杉。やすりで削ったためか、はずみで手錠が切れる。「寝たきりのお袋に、治療費だけでも残してやりたかった・・・」と呟く青年に、杉は言う。「奴は俺がひきつける。その隙に逃げて、自首しろ!」「俺を信じるのか?そのまま逃げちまったらどうするんだ?」「俺はお前を信じる!」杉の言葉に背中を押され、逃走する青年。
青年からの電話を受け、現場に急行する特命課。絶体絶命の杉を救出し、店主を逮捕する。だが、青年の姿は無い。やはり逃げてしまったのか・・・そこに、青年の人を食った歌声が響く。「仕方ねぇだろ、つながってんだから」と切れた手錠を示す青年。杉はその手を握り締め「手錠は必要ありません。こいつの言うとおり、手錠は切れてないんです」杉の言葉に、刑事たちは見た。青年と社会の絆が、そして青年と杉の友情という絆が、確かにつながっていることを。

【感想など】
刑事と犯人が手錠につながれたまま逃走。はじめはいがみ合っていた二人に、立場を超えた友情が芽生え・・・という展開は、刑事ドラマ(だけではないが)の定番スタイルであり、宮下氏自身もこれ以前に西部警察(80年)で、以後にソルブレイン(91年)で繰り返し使用しています(私が知らないだけで、他にもあるかもしれません)。
おそらく、元祖となるのは58年のアメリカ映画「手錠のままの脱獄」ではないかと思うのですが、残念ながら、数ある類似エピソードのなかで、本作が最も低レベルの出来ではないでしょうか?(ちなみに、個人的に最も印象的なのが「探偵物語」の第26話「野良犬の勲章」。なお、峰竜太演じる脱獄犯と手錠でつながれるのは、工藤ちゃんこと松田優作氏ではなく愛すべきセミレギュラーのイレズミ者でした。)

こうした定番スタイルの場合、視聴者にも大まかな展開は分かっているわけで、後の楽しみは(事件の真相などではなく)、いがみ合っている二人にどうやって友情が芽生えるか、という心理描写しかないわけですが、肝心の二人が、キャラクターとしては描写不足、俳優としては演技力不足のため、どうにも感情移入のしようがありません。イキがるだけのチンピラと、怒鳴るしか脳のない若手刑事の友情ごっこを見るくらいなら、他の刑事でこのネタをやって欲しかった、と残念でなりません。

ところで、なぜか今回からオープニングが一新。叶の爆破シーンや桜井の飛び込み、紅林の剣道シーンなどなかなかに印象深いものがあります。ちなみに杉と愛子は今回も2人で1シーン。終焉まで残り20話というこの時期に、あえて変更したところを見ると、この時点ではまだ終了が決定しなかったということでしょうか?

第487話 侮られた夫の殺意・殺したいほど憎い妻!

2009年08月02日 02時37分22秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 辻理
1986年10月23日放送

【あらすじ】
ある夜、叶は食事に誘った彼女から別れ話を切り出される。同じ頃、主婦が刺殺され、連絡を受けた叶は、やむなく現場に急行する。主婦は、夫と娘が不在のため、実家に里帰りしており、両親の留守番をしていたところを殺害された。目撃者によると、犯人らしき茶色い背広の男が、現場近くで公衆電話をかけていたという。
翌朝、夫の会社で確認したところ、夫は出張先の盛岡での仕事が早く終わり、昨朝早くに発っていた。出張先の証言によれば、茶色い背広を着ていたという。
一方、中学生の娘が塾の合宿から帰ってくる。娘をマンションに送り、室内を調べる特命課。そこに、同じマンション住む塾講師が、娘を心配して訪ねてくる。妙に捜査の進展を気にする塾講師の態度に不審を抱く特命課。室内には、主婦が友人たちに教えていた造花が散乱していた。夫の行方を心配する娘の様子から、夫婦仲の悪さが伺えた。特命課は、主張から戻った夫が、遊び歩いている妻に腹を立てて造花を散らかし、実家まで主婦を追いかけて殺したのではないか、と推測する。
そんななか、主婦の友人のモデルが刺される。犯人の人相は分からなかったが、やはり茶色の背広だったという。モデルのもとには、昨夜、犯人が公衆電話からかけたとみられる不審な電話があった。夫は妻だけでなく、妻の友人にまで殺意をいただいたのだろうか?
モデルによれば、主婦は日頃から夫のことを「仕事以外の楽しみのない、つまらない亭主」と、本人の前で罵っていた。主婦は男関係も派手で、ある夜、夫はそれを心配してモデルをスナックに誘い、くどくど愚痴をこぼしていた。思わず「いっそ別れたら?」と言ったモデルに対し、夫は「私には慰謝料を払う甲斐性なんかない。いっそ、あいつが死んでくれれば・・・」と呟いたという。
そのスナックは叶の行きつけの店で、彼女の元勤め先だった。叶は裏付けのためにスナックを訪れると、他の刑事の眼をはばかりつつ、ママに彼女の行方を聞く。だが、成果はなかった。一方、盛岡に向った桜井の捜査で、夫が犯行当日の午後には東京に戻っていることが分かる。また、夫のホテルに男から何度も電話があったことも判明する。夫の犯行が濃厚となるなか、叶は彼女に捨てられた自分と重ね合わせ、夫に同情を寄せる。
同じ頃、塾講師が叶らに「私も殺されるかもしれない。保護してください」と申し出る。塾講師は主婦と不倫していたのだ。だが、娘によれば、主婦は塾講師を避けていた様子だという。塾講師の身辺を調べたところ、もともと塾講師も合宿に参加する予定だったが、出発前夜に体調不良で取りやめたと言う。
塾講師を問い質そうとする叶だが、塾講師は自ら保護を頼んでおきながら「警察にうろうろされたら迷惑だ。人権侵害で訴えるぞ」と支離滅裂なことを言う。強引に塾講師の部屋に入り込んだ叶は、塾講師の靴内から造花の破片を発見。被害者の室内を荒らしたのは塾講師だと確信する。それだけでは犯行の証拠にならないが、自分に容疑がかけられていると知った塾講師は、焦りのあまり「事件の夜、私もモデルにかかってきたのと同じ電話を受けた、あれは奴の声だった」と口走る。だが、モデルに電話がかかってきたことを知る者は、警察以外にはモデル本人と犯人しかいない。墓穴を掘った塾講師の部屋に押し入り、押入れを捜索すると、そこには縛られた夫の姿があった。
塾講師は「あの女が悪いんだぁ」と叫びつつ、犯行を自白する。塾講師は主婦にもてあそばれた恨みから犯行に及び、夫の出張先に電話し、東京に呼び戻した。まんまと戻ってきた夫を拉致すると、背広を奪って夫の犯行に見せかけるよう工作し、いずれは夫を自殺と見せかけて殺すつもりだったのだ。疑惑が晴れ、介抱された夫は、ようやく自宅に戻る。そこには、唯一自分を愛してくれる娘の姿があった。
事件解決後、叶は強引な捜査の責任を問われ、神代から3日間の謹慎を命じられる。そんな叶に、時田は彼女からの伝言を伝える。彼女が別れを切り出した理由は、富山にいる父親が人を刺したためだった。刑事が犯罪者の係累と付き合ってはならないと、身を引いたのだ。彼女の真意を知った叶を、桜井は強引に車に乗せ「富山に行け」と空港に送っていくのだった。

【感想など】
佐藤氏がその生涯のテーマとする、結婚生活に対するネガティブキャンペーンの一環。今回も見ているだけで胸クソ悪くなるような奥さんが視聴者に同情させる余地もなく殺されていますが、夫の人間性にも大いに問題があり、視聴者が誰にも同情できないという(あえて言うなら、ひどい両親を持ったにも関わらず父親思いの娘さんくらいか?)、なんとも虚しいドラマが展開されています。そもそも、何だってこの夫婦は結婚したりしたのでしょうか?
また、生徒に母親への恋文を託すわ、さほど魅力的とも思えない人妻に「もてあそばれた」と言って殺意を抱くわ、人格に重大な問題があると思われる塾講師に対しては、非人間的な不気味さというか、いっそ悪い夢でも見ているような気にさせられます。
こんなふうに、殺人事件そのものをめぐるゲストの人物像が、奇矯を通り越して異常なほどであり、佐藤脚本の悪い意味での持ち味が発揮されているように思われます。

むしろ物語の主軸となっているのは、彼女(実際は、初めて食事に誘ったばかりの彼女未満の存在ですが・・・)の心変わりに思い悩むあまりに、捜査にも支障をきたしてしまう叶。「捜査に個人的な感情は持ち込むな!」と桜井に叱られていましたが、私情を持ち込むというよりも、単に捜査に身が入ってないだけとしか思えません。脚本の狙いとしては、叶のままならぬ恋愛模様と、夫の悲惨な結婚生活を照らし合わせたかったのでしょうか、叶と夫では立場も事情も全く異なるため、いささか強引に思われます。
それにしても、殺人事件の捜査中に彼女のことで頭が一杯な叶の姿は、違和感があるにも程があり、ラストの白々しいばかりのコメディー的なノリといい、ここまでくると、あたかも特捜をネタにした同人誌でも見ているような気になりました。