特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第315話 面影列車!

2007年05月28日 01時06分11秒 | Weblog
脚本 阿井文瓶、監督 藤井邦夫

殺人事件の容疑者の母親を張り込む紅林たち。「今日は母の日ですか。紅林さんや俺には関係ないですね」と叶が呟く。カーネーションを持って現れた容疑者を逮捕したとき、紅林は5歳の頃に分かれたきりの母親を思い浮かべるのだった。
その頃、特命課に紅林がかつて逮捕した男から電話が入っていた。男は妻子とともに焼津で暮らしていたが、紅林が折り返しても連絡はつかなかった。2週間後、その男と妻の死体が発見された。男が上京した理由を知るべく、紅林は焼津に向かう。
夫婦が子供を預けていた親戚を訪ね、子供を肩車しながら両親の死を告げる紅林。紅林の言葉が理解できたのかどうか、子供は駆け回って遊び続けた。その後、葬儀の最中に姿を消した子供を捜す紅林。子供は両親の墓を必死に掘り返そうとしていた。泣きじゃくる子供を抱きしめながら、紅林は我知らず「明日泣くんだよ。今日はこらえて笑って見せるんだよ」と語りかけていた。
夫婦は最近、神社や寺院を訪ね歩いていたと聞き、周辺の寺社を探る特命課。ある神社で男が残した絵馬を発見する紅林。その近くには、紅林の母親が、息子の無病息災を祈願する絵馬が残されていた。「たまたま紅林の母親の絵馬を見つけた男が、他にもないかと周辺の寺社を探したのではないか」と推測する特命課。果たして、もう一枚の絵馬が見つかり、そこには母親の住所が記されていた。
住所をもとに、母親を探す紅林。しかし、母親はすでに亡くなっていた。母親の墓の前で泣き崩れる紅林。両親を失った子供と同様に、思わず墓を掘り返す紅林は、不思議な声を聞いた。「明日泣くんだよ。今日はこらえて笑って見せるんだよ」
知人の話では、以前にも「生き別れた息子だ」と名乗る男が何人も現れたという。いずれも保険金が目当てだったが、そのうち一人は本人しか知らないはずの幼い頃の様子を克明に語ったため、本人だと認められた。その偽者は、母親が育てていた血の繋がらない妹を引き取っていったという。
東京で妹と暮らす偽者を訪ねた紅林だが、偽者の姿はなかった。偽者を“ようやく巡り合えた兄”と信じる妹は、紅林の言葉を容易には信じない。その語の調べで、母親の死を看取った医者が数日前に不審な死を遂げていたと判明。母親は死の直前、医師に息子のことを詳しく語っていたという。神代は「偽者は医師から詳しい事情を聞いて紅林になりすまし、証拠を消すために医師と夫婦を殺した」と推測する。
旅行姿で出かける妹を追う特命課。列車内で妹と落ち合った偽者は、妹から預金通帳を奪うと列車から突き落とそうとする。危ういところを特命課の活躍で救出され、偽者は逮捕された。泣き崩れる妹を助け起こした紅林の口から出た「明日泣くんだよ。今日はこらえて笑って見せるんだよ」との言葉に、妹は「お兄さん!」と応える。それは、幼い頃に別れた母の口癖が、紅林の記憶の片隅に残っていたものだった。

「生き別れの母親を探す」という紅林のサイドストーリーに決着をつけた記念すべき一本。絵馬に無病息災を祈願し、死後に自分を訪ねて来ることを期待して旧姓を墓碑銘に残すなど、紅林を想う母親の気持ちが胸に迫ります。また、残された子供が墓を掘り返すシーンが誠に痛ましく、その後に同じ行為を紅林が繰り返すという演出が、見るものの涙腺を強く刺激します。
なお、偽者を演じるのは伴直弥。今回も出番は少ないですが、犯人役ということで堂々とエンドクレジットの最後を飾っています。ちなみに紅林の血の繋がらない妹を演じるのは、元・藤岡弘婦人(放送当時はまだ婚前)の鳥居恵子ですが、何度かゲスト出演していますが、今回も桜井との接点はなし。そういう取り決めでもあったのでしょうか?

第314話 妻たちの犯罪日誌!

2007年05月27日 02時17分22秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 辻理

デパートのバーゲンセール会場で中年男性が刺殺された。被害者は船村の知人の商社マンで、現場には被害者も含めた集合写真が落ちていた。自宅を訪れて妻から事情を聞いたところ、被害者は当日の出社間際に、警察から「先日なくした財布が見つかったので、デパートまで取りに来るように」との電話を受けたという。所轄署に確認したところ、そんな事実はなく、誰かが警察を騙って呼び出したものと見られた。
被害者の勤め先を調べたところ、被害者と出世争いをする同僚の妻が犯罪者だと告発する怪文書が発見された。「被害者が書いたものではないか」と自宅を調べる船村らに、被害者の娘が「他所に女を作って母さんを泣かす奴なんて、死んで当たり前だ」と食ってかかる。結局、書斎からは怪文書の下書きが見つかり、被害者の作成が裏付けられた。しかし、告発された同僚の妻を訪ねたところ、当人には「身に覚えが無い」という。
通夜の席で、被害者の妻に語る船村。「ご主人と同様に、私も家庭を省みずに仕事に熱中していた。妻がガンに侵されているのもしらずに・・・」そこに被害者が囲っていたホステスが「慰謝料をもらいに来た」と現れる。お引き取りを願いつつ、ホステスから事情を聞く船村。被害者は、ホステスのアパートに泊まった際、隣室に集まる主婦たちの様子をしきりに窺っていたらしい。ホステスが被害者から預かっていた写真を確認したところ、そこには同僚の妻を含めた4人の主婦が写っていた。
ホステスの協力を得て、隣室を溜まり場にする主婦たちを張り込む船村。ハイヤーを呼んで出かける主婦たちを尾行したところ、主婦たちは宝石店で取り込み詐欺を働いていた。「取り込み詐欺の現場を目撃した被害者が、同僚を追い落とすために告発ビラを撒いた。同僚からそのことを聞かされた妻が、仲間の主婦とともに被害者を殺した」と推測した船村は、詐欺の証拠を固めて主婦たちを逮捕する。
同僚の妻は、「詐欺はストレス解消のため」と悪びれもせず、殺人については真っ向から否定。しかし、目撃者がいたことを告げると、あっさりと自白する。「亭主たちは、ストレスを発散させる場所も無く、家庭を守るために働き続けているんだ!暇にあかせて遊び回ってるのはお前たちじゃないか!」と一喝する船村。しかし、自分のことしか頭にない妻には馬の耳に念仏。「外で働くのがそんなに偉いこと?家庭にお金を運んでくるのが、そんなに立派なこと?」怒りを押し殺して「被害者にも養うべき家族がいると考えたことはあるのか!」と船村に指摘され、顔を埋める同僚の妻。泣いているのかと思えば、可笑しそうに笑い出す。
「まさか、デパートに被害者を呼び出したのは・・・」被害者宅に向かった船村は、被害者の娘から、事件の朝、警察からの電話はなかったことを確認。毎朝バス停で一緒になる隣人から、被害者の妻がバス停まで知らせに来たとの証言を得る。被害者の妻もまた、主婦たちの共犯だったのだ。暗澹たる気持ちで取り調べる船村に、妻は言う。「主人は私が詐欺をやってることを知ろうともしなかった。私は主人に叱られたかったのよ!」「甘ったれたことを言うな」と叱責する船村に、妻は薄笑いを浮かべて言い放った。「ガンで死んだのは奥さんの体だけで、心はもっと前に死んでいたと考えたことはないんですか?」女はもう、男の思い通りになる世界に住もうとはしない・・・ため息とともに、亡き妻の面影を脳裏に描く船村だった。

ひどい話。まったくひどい話。救いの無い話というよりも、ただ単にひどい話。ラストで被害者の妻がおやっさんにぶつけた卑怯極まりない捨て台詞には、心の底からムカつきました。127話・128話「裸の街Ⅰ・Ⅱ」を見ている私たちは、おやっさんと奥さんの絆がどれだけ深かったかを知っている。貴様が奥さんの何を知っているか!刑事の妻という辛い日々を何年も積み重ね、愚痴の一つもこぼさずにおやっさんを支えつづけた奥さんの気持ちが貴様などに分かるものか!その奥さんをガンで失ったとき、おやっさんが刑事を辞めた気持ちが分かるものか!もはや確かめようもない死んだ人間の立場を借りて人を非難することほど、卑怯なことはありません。脚本家の意図に踊らされているとは分かっていながら、憤りを抑えることができませんでした。
また、被害者の妻の「外で働くって言うのが、そんなに偉いの!」という台詞は、本放送当時(83年5月)よく聞かれた主婦の言い分なのでしょうが、「だったら自分で社会に出て、それだけの金を稼いでこい!」と言うほかありません。この頃から、女性の自己主張が社会的にも話題になっていたのでしょうが、論理性と客観性にかける感情論(というより単なる不平不満)を主張されたところで、我々男性にとっては苦痛でしかなく、なんら建設的な会話にならないことを気づいてもらいたいものです。「女の愚痴は、解決を求めているのでなく、不平不満に耳を傾けて欲しいだけ」という理屈をどこかで読んだ記憶がありますが、それを黙って聞くこちらの不平不満は誰にぶつけろというのか?もちろん、世の男たちの多くは(特にある世代以上は)不平不満を口にするなどみっともないこと、という美学を幼少時から叩き込まれており、沈黙で応じるしかありません。おやっさんの奥さんのような慎ましやかさを女性に求めるのは、この当時ですら、もはや幻想に過ぎなくなっていたのでしょう。それから20年以上を経た今では、幻想を通り越して笑い話でしかないのでしょう。哀しいこととしか言いようがありませんが、それすらも「男が悪い」と女たちは主張することでしょう。

第313話 父と子のブルートレイン!

2007年05月22日 05時40分13秒 | Weblog
脚本 塙五郎、監督 宮越澄

橘の別居中の息子が大学受験に失敗し、予備校に通うために長崎から上京してくる。3年ぶりの再会となる橘は、吉野とともに東京駅に迎えに出る。息子と一緒に上京してきた友人が、目印に気づいて橘に声を掛けてくる。息子は「父親の世話になりたくない」と言って横浜で途中下車したという。「迎えに行きますか?」という吉野だが、そこへ特命課から「殺人事件発生」との呼び出しがかかる。
息子を心配する気持ちを押し殺して、現場へと向かう橘。そこには、タクシー運転手の刺殺死体があった。車内で刺された後、助けを呼ぼうと民家の方に行くのではなく、あえて川岸まで這って行ったことを不審に思う船村。被害者は7年前に離婚した妻と子を田舎に残しており、その調査に船村が向かう。桜井らは凶器の包丁を追い、橘は被害者の運転記録をもとに、最後に乗せた客を探す。
車内の慰留指紋から、一人の前科者が浮かぶ。その女房は橘の同郷で、以前に働き口を世話したことがあった。前科者を訪ねたところ、夫婦喧嘩の真っ最中。「男と別れて故郷に帰る」と言いながらも一文無しの女房に、橘は「箪笥に金が入ってる。持ってけ」と自宅の鍵を渡す。結局、前科者にはアリバイがあり、捜査は振り出しに。
一方、橘の息子は、不良少女に恐喝された上に、キャッチセールスに引っかかる。偶然ながら、セールスマンは田舎の高校の先輩だと分かり、契約しそうになる息子を止めて「東京は悪い人間が多いから気をつけろよ」と忠告する。疲れ果てて、橘の自宅にやってくる息子だが、たまたま前科者の女房が居合わせる。息子を不審者と勘違いした女房が「何か用?うちの主人は刑事よ」と言ったことで、誤解した息子は逃げるように立ち去った。
その後、事件直前の乗客を発見した橘は、その証言から、最後の客がアベックだったと掴む。アベックのうち女を割り出し連行するが、女は黙秘を続ける。そんななか、被害者の別れた家族を調べてきた船村が戻ってくる。その報告では、被害者の息子が父親をひどく恨んでおり、長崎の高校を卒業した後、東京に出て来ているという。「息子の犯行ではないか」との推測を女にぶつけたところ「連れの男が、偶然乗ったタクシーの運転手が父親だと気づいた。その態度が怖くて逃げた」と証言する。被害者の息子を犯人と断定し、行方を追う特命課。橘は被害者が川岸に向かった理由を掴もうと川に入る。
その間、夜の街をさ迷っていた息子は、不良少女と再会。ともに片親だと分かって意気投合するが、少女につきまとうヤクザに暴行される。少女は死亡し、打ちひしがれた息子は、キャッチセールスの先輩を頼って部屋に泊めてもらう。その先輩こそ犯人だった。息子を人質に立てこもる犯人を、ドア越しに説得する橘。「お父さんは、一日たりとも君のことを忘れてはいなかった」被害者が死の間際に川岸に向かったのは、息子が犯行現場に残したペンダントを捨てるためだった。「そのときの親父の気持ちがわかるか?」自分の息子に殺されるという憂き目にあいながらも、死の間際に息子を守ろうとした父親の心に、犯人は涙し、橘の説得に応じる。
ラストシーン。息子は長崎に戻る電車の中で、橘の家で会った女房と再会する。息子の誤解を解き、箪笥の中から拝借してきた息子の作文を読み上げる女房。「きのう、お父さんに頭を叩かれた。僕はしゃくに触ってご飯を食べないで寝た。夜中に寒くなって、父さんの布団に入ったら、ぎゅっと抱きしめてくれた。あったかかった」しわになるまで何度も読み返した作文に、息子の目から涙がこぼれるのだった。

橘と息子、被害者と犯人という二組の親子を軸に、心ならずも別れて暮らす父と子の悲しい絆を描いた一本です。神代が語るように「父親っていうのは、愛情があっても不器用」なもの。私の父親の態度を振り返ってみても、頷けるものがあります。
一見、ばらばらに見えたエピソードが一つにつながる構成は見事の一言ですが、正直、偶然が過ぎるという印象もあります。結局、本編中では橘と息子の和解は描かれず、このドラマは最終三部作まで引き継がれていきます。
なお、冒頭で吉野が橘に説教する微笑ましいシーンや、橘が前科者の女房に「今度惚れるときは、もっと面の悪い、足の短い男に惚れろ」と忠告するシーンなど、本筋に余り関係ない場面が印象深く、ドラマに奥行きを与えています。これが塙脚本の魅力の一つではないでしょうか。

第312話 車椅子のマラソンランナー!

2007年05月20日 03時22分17秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 天野利彦

病院付近を通りかかった女が相次いで通り魔に殺された。付近に張り込んだ桜井は、病院から窓の外を見ている車椅子の青年に気づく。犯行現場を目撃してないかと病室を訪ねる桜井だが、青年は拗ねたような態度で証言を拒む。看護婦の話では、青年はかつて将来を嘱望されるマラソンランナーだったが、脊髄を悪くして3年間も入院しているという。
青年の過去を調べた桜井は、青年が警察を敵視している理由を知る。かつて、青年の父親が警察の勧めで地元のヤクザを告訴し、その報復で殺された。しかし、警察は単なる事故として処理。男が「警察に裏切られた」と思ったのも無理はなかった。医師の談話では、青年の脊髄はすでに治っており、あとは青年の心の問題だという。「奴が自分から歩こうと思わない限り、証言することはないだろう」と確信した桜井は、病院の許可を得て、看護婦とともに青年を病院から連れ出す。
青年がかつて区間記録を打ち立てた駅伝コースで、「いじけた被害者意識を捨てて、昔のように走ってみろ」と叱咤する桜井。なおも拒絶する青年に業を煮やし、車椅子のまま放置する。そこに暴走族が現れ、青年を車で追い掛け回す。桜井が救出して事なきを得るが、根に持った暴走族は、宿泊先の山荘にまで襲撃をかける。電話線を切られ、車をパンクさせられ、山荘に孤立する桜井たち。やむなく山荘の老主人が裏道を走って警察に届けることになる。「私はあなたが新記録を作ったとき、沿道で応援していましたよ」と青年に言い残して出て行く老主人だが、暴走族に襲われ、傷だらけで逃げ戻ってくる。
一方、特命課では、今回の事件と最近時効を迎えた通り魔事件との類似性に気づく。かつての事件では、容疑者は自殺していた。しかし、船村が調べ直したところ、本当に怪しいのは容疑者の息子で、容疑者は警察の目を息子から逸らすために自殺したものと推測された。その息子が、今は青年の入院する病院で働いていることが判明するが、青年が連れ出された日から欠勤を続けているという。
その頃、山荘では暴走族の襲撃がエスカレートし、火炎瓶まで投げ込まれる。青年にナイフを突き付け、桜井に「謝れよ」と意味不明のことを口走る暴走族。やむなく「すまん」と応じる桜井の腕にナイフを突き刺すと、自らの行為に恐怖して逃げ去っていく。
暴走族の脅威が去ったのもつかの間、桜井と青年の前に猟銃を持った通り魔が現れる。格闘の末、なんとか通り魔を逮捕した桜井が見たものは、桜井を救おうと車椅子から立ち上がった青年の姿だった。「自分の足で立てたよ!」と涙する青年に、桜井は満面の笑みを向けるのだった。

「すでに足が治っているのに、心の問題で立つことができない」といえば、誰もが『アルプスの少女ハイジ』のクララを思い出すことでしょう。クララの場合、ハイジの叱咤激励で立つことができたのですが、今回の青年(演じるのは『Gメン75』で田口刑事役を務めた千葉裕)は辛い過去を背負っているだけあって、なかなか桜井の叱咤激励が通じません。それだけに、ラストに自分の足で立ったときの感動は大きく、しかも青年が立ったことが、安易に事件解決に直結しないところが、でき過ぎた奇麗事にならずに好感が持てます。
通り魔も怖いですが、暴走族はもっと怖い。ツルハシを手に集団で山荘を襲うシーンなど、あのデビルマンの牧村家襲撃事件を思い出してぞっとしました。自分たちの悪行を咎められただけで、何であれほどの恨みを抱けるのか、道理が通用しないだけに恐怖心が募ります。とはいえ、ラストで見せる藤岡弘の笑顔には、そんな捉えどころのない恐怖を打ち消すだけの暖かさが感じられ、心地よい余韻を残してくれます。
ちなみに、タイトルにはマラソンランナーとありますが、実際の青年は駅伝走者です。一緒にしてしまっていいものなのか、一抹の疑問が残ります。

第311話 パパの名は吉野竜次!

2007年05月15日 03時38分41秒 | Weblog
脚本 竹山洋、監督 藤井邦夫

高速道路を一人で歩いていた6歳の少年が保護された。父親の名と職業を聞いたところ「刑事の吉野竜次」と答えたため、特命課に身柄が送られてくる。身に覚えのない吉野だが、「パパ」とすがりつく少年の姿に嘘はない。困惑しながらも母親を探そうとする吉野。「ママを探さないで」と拒絶する少年の身体には、虐待されたような傷跡が残されていた。少年が置き去りにされる現場を目撃した運転手の証言によると、母親らしき若い女が「お前なんか、吉野のところに行け」と言っていたらしい。
自分の子供かどうか疑いながらも、自宅で少年を預かる吉野。連れ立って出かけた銭湯で、少年は結婚詐欺師の手配書を見つめる。それは卑劣極まりない犯行で、自殺者まで出した男で、女の相棒を連れているらしい。吉野は相棒の女が少年の母親ではないかと推測。特命課の調べで、結婚詐欺師と女が少年らしき子供を連れていたことが判明する。吉野は母親について証言を拒む少年を「俺は君の父親じゃない!」と叱りつけ、母親の名前と住所を聞き出した。翌朝、少年は吉野が眠っているうちに、書置きを残して出て行った。「ママは、あいつのことが好きだから、吉野さんがパパだと嘘をついて、僕を捨てました。だから、ママを探さないでください」雨のなか姿を消した少年の身を案じる吉野。
そんななか、母親と同じキャバレーに勤めていた女が見つかるが、その写真を見せられても吉野には記憶がない。女に無責任だとなじられ、ようやく吉野は思い出す。かつて、16歳の娘が、強姦された末に産まれた父親の分からない子供を捨てようとした現場に居合わせたことを。「君はもう母親なんだ。そんな弱いことでどうする。この子は君以外に頼る人間はないんだぞ」と吉野に叱咤され、娘は子供を育てることを決意した。いつしか記憶の隅に押しやっていたことを恥じながら、母親の住んでいたアパートを訪ねる吉野。管理人の話では、結婚詐欺師らしき男と同棲するようになってから、少年に対する虐待が始まったらしい。
ようやく発見された子供は、肺炎をこじらせて重態だった。自分を責める吉野を「忘れない人間なんているものか」と諭す船村。そこに、追い詰められた結婚詐欺師が、母親を人質にホテルに立てこもったとの情報が入る。制止を振り切って踏み込む吉野。「来るな!殺すぞ!」と母親に包丁をつきつける結婚詐欺師を「貴様みたいなチンピラに人が殺せるか!」と一喝する吉野。逆上した結婚詐欺師を逮捕し、いやがる母親を少年のもとに連れて行く。「見ろ!こんなに可愛いじゃないか!」どんなに虐待されようとも母親を慕い、その逃亡を妨げまいとした少年のけなげさを訴える吉野。目を覚ました少年は、吉野に叱りつけられる母親を見て「僕を苛めたのはママじゃないよ」と母親をかばう。泣きじゃくりながら「ごめんね」と少年を抱きしめる母親を見て、吉野は言いようのない寂しさを感じるのだった。

同居した母親の愛人に虐待される幼い子供という、実際のニュースでもたびたび見かける悲劇を描いた一本です。第213話「密室殺人・小さな瞳の謎!」でも触れましたが、とにかく子供が悲惨な目にあう話は見るのがつらい。なかでも今回の犠牲者である少年のけなげさは、見る者の涙を誘います。
数多くの女を騙して自殺者まで出した卑劣きわまりない男と、そんな屑のような男に寄りかかり子供を捨てた母親。どちらも許すことはできませんが、それでも母親に対しては一抹の同情を寄せずにはいられません。望まぬ子供を身篭った娘が、世間の眼にさらされながら一人で子供を育てた6年間は、どれだけ厳しい日々だったでしょうか。そんな彼女にとっての唯一の救いが、吉野の存在だったのでしょう。だからこそ、子供の名前(竜太)にも吉野の名(竜次)を借りたのでしょう。成長した子供に父親のことを聞かれ、やむなく吉野の名を口にした彼女の心情は、察するに余りあります。「子供を殺すな!育てろ!」と言うのは人として当然のことであり、決して間違っているとは思えませんが、実際に育てる立場からすれば「奇麗事だ」と思うこともあったでしょう。もちろん、それでも子供が可愛くないわけがなく、結婚詐欺師と出会うまでは、貧しいながらも愛情を注いでいたに違いありません。だからこそ、少年は自分を捨てた母親をかばい続けたのでしょう。
少年と母親の絆を見て吉野が感じた「寂しさ」。それは、どんなに少年の身を案じても、結局は他人でしかなく、血を分けた親子の絆に入り込むことはできないという「疎外感」であり、どんなにひどい母親であろうとも、子供は実の母親のもとで育つしかないのだという「理不尽さ」だったのではないでしょうか。

悲しいことに、現実にもこうした悲惨な境遇に生きる子供たちが少なくありません。新聞等で報道されるのは氷山の一角であり、私たちの想像以上に多くの子供たちが、理不尽な運命に耐えていることでしょう。そんな子供たちに私たちが何をしてやれるのか?何をしないといけないのか?容易に答えを出せることではありませんが、少なくとも、自分の身の回りでこうした悲劇が生まれていないか目を配り、できる限り悲劇の芽を摘もうと努力することではないでしょうか。
いろいろ物議を醸している「赤ちゃんポスト」ですが、悲しむべき嫌な制度ではありますが、それで救われる命があるのならば、制度自体を否定することはないと思います。「『子供を産んでもポストにいれればいい』という若者が増える」との予測は当然ですが、すでに退廃しきった現実を直視し、そのなかで何とか子供の命を救おうとする制度に対して、「頽廃を助長するからやめろ」との意見には納得できないものがあります。
特捜と関係ない話題になってしまって恐縮ですが、あえて特捜の台詞の中に答えを求めるとすれば、少年に「パパ」と呼ばれて困惑したあげく「パパと呼ぶな!日本人だったらお父さんと呼びなさい!」と叱る吉野の姿ではないでしょうか。論理的でないのは承知の上ですが、そんな古き良き頑固親父の存在こそが、子供たちを救うのではないかと思います。

第310話 九官鳥としゃべる男!

2007年05月14日 02時23分34秒 | Weblog
脚本 押川國秋、監督 辻理

女子大生誘拐事件の容疑者として、九官鳥を飼う一人暮らしの中年男を張り込む橘たち。事件が起こったのは6日前のこと。犯人は身代金の受け渡し場所として電話ボックスを指定。何度か電話で場所を変更したあげく、ぷっつりと連絡を絶った。被害者の生存が危ぶまれるなか、警察は公開捜査に踏み切り、特命課も捜査に加わる。
少年たちの証言から、電話ボックスの番号をメモしていた男の存在が浮上する。男の働くソバ屋の証言から、事件前後に無断欠勤を続けていたことが判明。さらに、以前に働いていたスポーツ店で被害者と面識があることも分かった。尾行を続ける橘たちは、男が下着泥棒を働く現場を目撃。このまま泳がすべきか迷った末に逮捕する。
誘拐事件とは無関係だと主張し、警察を侮るかのような態度を貫く男を、粘り強く尋問する橘。その一方で、桜井らは「犯人はレンタカーで被害者を連れ去ったのでは」と推測し、しらみつぶしに営業所を当たる。さらに、男が口走った「死体は運河にでも捨てられたんじゃないか」との言葉から、叶らは水上署の協力のもとに運河の川底を探る。
頑なに否認を続ける男に、疲労の色が浮かぶ橘たち。そんなとき、男の九官鳥が被害者の名前を口にする。被害者がこっそり自分の名前を九官鳥に教えていたのだ。九官鳥を前に男を締め上げたところ、ついに男は被害者の死体を埋めた場所を告白する。しかし、男の自白はでたらめで、死体は発見されなかった。
男を起訴しようとする神代だが、検察庁から「証拠不十分で起訴できない」と退けられる。九官鳥が被害者の名前を覚えていたことを証拠として主張する神代。しかし、男は検察庁に対して「分かれた女房が死産した子どもにつけていた名前だ」と供述していた。
確かな証拠をつかもうと捜査を続ける橘。九官鳥がチャイムの音に反応して童謡を唄い出したことにヒントを得て、付近の幼稚園を捜索する。該当する幼稚園を発見した橘は、事件の間、近くの空き地にワゴン車が停められていたとの証言を得る。同じ頃、桜井は男がレンタカーでワゴン車を借りていたことを突き止める。男は被害者をワゴン車内に九官鳥とともに監禁していたのだ。
それでも自白を得るのは困難だと見て、橘は男を釈放する。「お前は営利目的で彼女を誘拐したんじゃない。死んだ娘の幻を見ていたんだ。そうだろう?」と揺さぶりをかける橘。その夜、男は弔いの花束をもって運河にボートを出す。その行動を見張っていた特命課が男を包囲。川底を探ったところ、寝袋に包まれた被害者の死体が発見される。死体を調べる橘らに「汚い手で触るな!」と激昂する男。そこには、愛しくてたまらない存在を自らの手にかけてしまった、哀れな男の姿があった。

誘拐犯の被害者に対する倒錯した愛情を描いた一本。悪びれることもなく、でたらめな証言を繰り返す男だけに、「死産した子供の名前」というのも真偽はあやふやなままですが、ラストで橘が呟いていたように、「せめて、それだけは真実だったと信じたい」。それほど救いのない、重苦しい気持ちにさせてくれる話です。細部は異なるものの、なんとなく全体の構成が第211話「自供・檻の中の野獣」と似ているような印象がありますが、樋浦勉演じる犯人像は、かの小池朝雄とはまた違った異常さを醸し出しており、そこが今回の見所と言えるでしょう。

第309話 撃つ女!

2007年05月06日 23時52分00秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 田中秀夫

パトロール中の警官が襲われ、実弾五発が装填された拳銃が強奪された。直ちに合同捜査本部が設けられ、リストアップされた容疑者の一人を特命課が担当することになる。容疑者のアパートを張り込む船村は、容疑者の隣室が空部屋だと気づき、その部屋を借りようと不動産屋と交渉する。あいにく一人暮らしの女が契約したばかりだったが、譲ってもらうよう頼んだところ、快く了承された。代わりの部屋を用意しようとした船村だが、その目的が拳銃強奪犯の捜査らしいと気づいた女は、前言を撤回して当初の部屋に入居する。
奪われた拳銃によって次々と凶悪な事件が起こるなか、特命課が追う容疑者が犯人だと明らかになる。その間もアパートの張り込みを続ける船村は、次第に女と親しくなり、女の留守中に部屋を借りることになる。事件のたびに、しきりと残弾数を気にする女の様子が気になる船村。残り一発となったとき、ついに容疑者がアパートに現れる。首尾よく逮捕した特命課だが、拳銃は所持していなかった。拳銃を探して再度アパートを訪れた船村は、女が鍵も掛けずに外出したままだと気づき、不審に思って部屋を調べる。そこで発見した花びらは、近くの公園に咲いている花だった。容疑者がアパートに戻る途中、念のために近くの公園に拳銃を隠し、たまたま見ていた女が拾ったのでは、と推測する船村。
自分の想像を打ち消しながらも、女が拳銃を必要とする理由を求めて、女の保証人となった工場主を訪ねたところ、女の意外な過去が明らかになる。女は早くに夫を失い、幼い娘と二人暮しだったが、その娘を変質者に殺されていた。変質者には同様の前科があり、二度と罪を犯さないよう自ら去勢手術を受けていたため「婦女暴行などできるはずがない」と犯行を否認していた。所轄署で確認したところ、女は取調べ中の変質者をナイフで刺そうとして制止され、「あの男を死刑にしてください!」と懇願したという。
女の狙いを理解した船村は、降りしきる雨の中、必死に女を探す。ふと思いついて変質者の公判日を確認したところ、翌日の朝だという。そこに現れるに違いないと確信したとき、心臓の発作が再発し、船村はその場に崩れ落ちた。
翌朝、病院で目を覚ました船村は、看護婦の制止を振り切って裁判所へ向かう。駆けつけた船村の目前で、女は変質者を射殺する。愕然とする船村。法と正義の狭間で悩み、苦しみながら、神代や船村は、せめて女の罪を軽くしようと、犯行時には気持ちが動転していたとの供述を引き出そうとする。そんな船村の想いを知りながらも、女は確固たる殺意をもって拳銃を撃ったことを主張する。女の哀しく、強い決意の前に、船村は女の言葉通りの供述書をしたためるのだった。

すごい話。傑作です。女が変質者を射殺するシーンから始まり、そこに至る経緯が描かれるなかで、女の過去が明かされていくのですが、圧巻なのが射殺以降の台詞の応酬です。詳細に再現してみますが、未見の方はぜひ、以降を読まずに来週金曜朝の再放送を視聴されることをお勧めします。
まずは、自らの失態を詫びる船村を「もっと早く容疑者を捕まえていれば、こんなことにはならなかった」と慰める神代。「水臭いですよ、おやっさん」と非難する吉野に対して「おやっさんは、心の奥底で、彼女が拳銃を持っていると思いたくなかったんだ」と桜井が弁護します。
その後、取調べに当たった橘に、女は笑みを浮かべて「拳銃が手に入ったとき、神様っているんだなって思いました」と語ります。「違う。どこの世界に人殺しを喜ぶ神様がいる」と否定する橘に、女は「娘を殺した男は法律に守られ生き延びるところだった。でも、娘は生き返りません」と反論します。そこにおやっさんが割って入り「娘を殺されたから殺し返す。そんな理屈が通ると思っているのか?我々は理性のもとに法律を作っている。これは我々が人間らしく生きるための約束なんだよ」とまくし立てますが、女は「その約束が間違っていたらどうするの?」と引き下がりません。「だめだこれは。話にならん」と言って取調室を出る船村。しかし、神代に対しては「法律がつねに正しく人を裁いているとは、私にはどうしても思えない!」とやり場のない怒りをぶつけます。そんな船村に、神代は言います。「おやじさん。彼女は本当に殺意があると言ったのか?夢にまで見た拳銃を見たばかりで、気が動転していたんじゃないのか?」
神代の言葉に、女を救う唯一の道を見出したおやっさんは、再び取調室に入ります。「あんたは奴を撃ったとき、自分のやったことがわかっていなかった、そうだね?」船村の気持ちを分かりながらも、女は断言します。「いいえ。分かってました。殺してやろうってはっきりと思いました」「あんた!」言葉を失う船村。あきらめたように座り直すと、どこかふて腐れたような態度で、彼女の言葉を調書に書き記すのでした。

法を守る立場からすれば、おやっさんや橘の意見はまったく正しい。しかし、娘を殺された女にとって、変質者を殺すことはまぎれもなく正義です。いずれも正しいわけですから、おやっさんが言ったように「話にならん」のも当然です。「法律」とは、あくまで社会をスムーズに運営するためのルールであり、個人の主観に過ぎない「正義」を規定したものではありません。では、警察とは「法の番人」なのか、それとも「正義の番人」なのか?「法律」と「正義」は往々にして一致するものですが、決して等しいものではなく、時によって両者の差が浮かび上がります。そんなとき、刑事たちは「法の番人」という立場を取らざるを得ず、結果として「正義」は切り捨てられるしかありません。
「法の番人」である神代やおやっさんにできることは、「法律」に則り「正義」を救うことしかありませんが、それは彼女の行為に対する侮辱ではないでしょうか?彼女は「法律」が自分の正義と異なること知りつつ、それでも自分の意思で、自分の正義をまっとうしたのです。その自覚をなかったことにしろ、と言われて頷くことは、自分の正義を否定することに他なりません。「法律」に従うことを拒否し、自分の「正義」を貫いた者を、「法律」をもって救う術などどこにもない。そうした諦観と虚しさが、ラストのおやっさんの表情に表れているのではないでしょうか。

第308話 いつか逢った悪女!

2007年05月06日 14時55分26秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 天野利彦

運送会社の運転手と助手が、相次いで死体で発見された。それぞれ事故死と自殺に見えたが、特命課では同一犯による偽装と見て捜査を開始。二人が運んでいた荷物の依頼主である美術商を当たる紅林。応対にあたった女社長は、事件との関わりを否定するが、紅林は彼女が以前に会った女と似ていることに気づく。
5年前、夜の街に立っていた女が、通りがかりの紅林に「遊ばない」と声をかけた。ただならぬ様子から、「家庭を持つ女が何らかの事情で身を売ろうとしている」と察した紅林は、名乗ることもなく、馴染みの小料理屋で朝まで語り合った。その時に女が折っていた折鶴を、女社長も折っているのを見て、紅林は同一人物だと確信する。「自分を覚えているか」と問いかける紅林に、女社長は「昔のことはすべて捨てた」と答えを濁し、その原因は「昔、名前も言わずに一晩中お酒を付き合ってくれた人の言葉」にあると告げる。
一方、特命課は被害者の家から微量の麻薬を発見。美術商は麻薬取引の隠れ蓑として使われており、それに気づいた被害者が麻薬を盗み出したために殺害されたと推測する。美術商と麻薬ルートの関係を探るべく、女社長の過去を追う紅林。かつての住所を訪ね歩くなかで、5年前に夫の浮気が原因で離婚したこと、それから水商売に足を踏み入れたことが分かる。分かれた夫を訪ねたところ、夫は「あいつは、5年前、初めて朝帰りした日を境に変わってしまった」と語る。浮気が発覚して以来、女は泣き暮らす毎日だったが、その日以来、献身的に尽くすようになった。そんな態度が夫の気持ちを逆なでし、耐えられなくなって息子を連れて離婚したのだという。立ち去る紅林に、息子が一枚の絵を託す。それは幼い頃に分かれたきりの母親を描いたものだった。
その間にも、女社長の秘書と暴力団との接触が明らかになり、犯行現場で秘書を目撃した証人も見つかる。秘書を連行したところ、二人の殺害を認めたものの、麻薬取引は否定する。麻薬取引の証拠をつかむべく、橘らは美術商から暴力団へと運ばれる家具を調べるが、何も見つからない。暴力団は勝ち誇って立ち去ろうとするが、そこに駆けつけた紅林が家具をバラバラに破壊。中から大量の麻薬が発見される。
海外逃亡を図った女社長を空港で発見する紅林。あの日と同じ折鶴を折っていた姿に、紅林は自分が5年前に語った言葉を思い出す。「折鶴はどうしたって飛べないのよね」と自嘲する彼女に、「自分に嘘をつかずに生きればいい。そうすれば、いつかは折鶴だって飛べるかもしれない」と励ましたことを。その言葉を糧に、浮気した夫に精一杯尽くした彼女だが、その想いは届かなかった。一人で生きる日々に疲れ、いつしか夜の街に立つようになった女。そこに現れたのは紅林ではなく、闇の世界の男たちだった。「なぜ、そんなことを?」との問いに「折鶴が飛んだから」と応える女社長。犯罪に手を染め、心の中で夫や息子を断ち切ったことを、彼女はそう表現する。しかし紅林は「折鶴は飛んだんじゃない。あんたが捨てただけなんだ」と否定する。「あなたがどんなに変わっても、あなたを思う子供の心までは失っていない」と息子から託された絵を差し出す紅林。女社長がすべてを告白し、事件は解決する。ラストシーン。夜の街を一人歩く紅林は、そこに立つ女たち一人ひとりの人生に思いをはせるのだった。

過去を捨てて強く生きようとするあまりに悪の道に転落した女を描く、良くも悪くも文学色の濃い一本。夫に裏切られた悲しさとうまく向き合えない女の気持ちと、そんな彼女に強く生きて欲しいという紅林の願いを、折鶴に込めて描いていますが、いかんせん観念的すぎて伝わりにくいというのが正直な感想です。あらすじに自分なりの解釈を加えていますが「丸い輪じゃなく、四角い輪を描けばいい」という紅林の言葉だけは、意味がよくわかりませんでした。