特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

皆様、よいお年を

2009年12月30日 02時09分38秒 | Weblog
最終3部作の1話目の感想を書き終えたところで、明日(というより今日)から帰省させていただきます。
年内には最終3部作を投稿したい、と言っておきながら、約束を護れないまま越年してしまうことになり、誠に恐縮です(特にコロンボさん、延び延びになってしまって本当にすみません)。年明け早々は、仕事もあまり混んでない予定ですので、できるだけ早く、残り2話を投稿したいと思っておりますので、(こればっかりで恐縮ですが)いま少しお時間をいただけますようお願いします。

今年は何度かブランクを空けてしまったり、コメントの返信が滞ったりで、いつもコメントいただいている方、ご覧いただいている方には、本当に申し訳ありませんでした。来年、といっても残り2話しかありませんが、ファミリー劇場での再放送も始まりますし、ひょっとして2月で終了する「Gメン82」の後釜などで、念願の第1話からの放送もあり得るかもしれませんので、どうか引き続きお付き合いいただけますよう、お願いいたします。

それでは、一年間お付き合いいただきました皆様、ありがとうございました。
来年も皆様にとってより良い一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

第506話 橘警部・父と子の十字架(後編)

2009年12月30日 02時05分52秒 | Weblog
【あらすじ(後編)】
橘の息子たちは、紅林の部屋に身を寄せていた。「見せたいものがある」と叶が健二を呼び出す。叶の高圧的な口調に反発する健二に、紅林は諭すように言う。「叶は羨ましいんだ。叶も俺も、父親の味を知らない。憎んだり、嫌ったりできる親父がいるだけで、俺たちからしたら贅沢なことなんだよ・・・」
叶が健二に見せたのは、事件前後の状況を確かめようとして、目撃者に迷惑がられる橘の姿だった。卑屈なまでに頭を下げ続ける橘から目をそむけ「ペコペコして格好悪か!」と悪態をつく健二を、叶は叱責する。「見なきゃいかん!君はあのお父さんの格好悪さを見なきゃダメだ!」一転して、哀しげな声を上げる健二。「あんな父さん、見とうなか!」その悲痛な声に、叶は健二の本心を知る。反発するようでいて、やはり健二は、橘が“尊敬する父”でいて欲しいのだ。
本心を垣間見せたことで、打ち解けあう叶と健二。「子供の頃の思い出なんか、ほとんどなか。父さんが頬擦りすると髭がチクチクして痛かったことと、タバコの匂いが臭かったこと。それしかなか」「ハハ・・・そんなもんかな。親父ってのは」と笑う叶に、健二は続ける。「親父の言ったことなんて何も覚えとらんけど、一つだけ、変な言葉を覚えてる。牛のように生きたい・・・」牛のように生きる――それは、鈍重に見えようとも、一歩ずつ着実に歩み続ける、今の橘の姿に他ならなかった。
その後も拘置所に通い詰める橘だが、男の態度は変わらない。肩を落として立ち去る橘に、「今まで立場上黙っていましたが・・・」と看守長が話しかける。苦言を呈されるのかと身構える橘に、看守長は言った。「私の見たところ、奴は少しずつ、貴方の誠意に押されています。もう一押しです」その言葉どおり、次第に男は橘に心を開き始める。息子との対立を語る橘に、男は「俺もそんなことがあったな・・・」と、自らの過去を語り出す。
子供の頃、万引きの濡れ衣を着せられた男を、父親は事情も聞かずに殴りつけた。悔しさの余り、本当に万引きを働いたのが、男の転落の始まりだった。「俺がパクられた晩。あの赤ん坊には参ったよ。この子の親父を俺は殺っちまったんだなって。初めてそう感じて、他のことはどうでもよくなって・・・」ついに女社長殺しが自分の犯行ではないと認める男。だが、それを証明する術はない。「昔からそうだ。どうせ、俺の言うことなんか信用されねぇ・・・」
男の言葉を証明するため、現場付近の聞き込みに戻る橘。そこには特命課とともに聞き込に回る息子たちの姿があった。驚く橘に、紅林が言う。「あの子たち、父親と同じ苦しみを味わおうしてるんですよ」嬉しそうに、健二の頬に拳を押し付ける橘。その拍子に、あることに気づく。女社長の頬に残った殴打の痕は、犯人が女社長より長身であることを物語っていた。だが、男は女社長よりも背が低い。やはり、真犯人は他にいるのだ。
その後、息子たちの聞き込みによって目撃証言が覆る。事件前後の目撃証言は2件のみで、いずれも死体発見時の巡査の姿だけだった。しかし、うち1件は目撃者が時間を勘違いしていた。巡査は死体発見の1時間前、女社長の死亡推定時刻にも現場を訪れていたのだ。
さらに、橘は男が語った現場での出来事を、男の身長に合わせたビデオカメラを見ながら検証する。犯人は受付近くで金庫を発見したはずだが、男の身長では、受付からは金庫が見えない。犯人は身長190センチの長身の男、すなわち、巡査に他ならなかった。
犯行を認めた巡査は、家族に別れを告げる。巡査に両手で抱きかかえられながら、励ますように母親が言う。「母さんはね、お前が名乗って出ると信じていましたよ」幼い二人の息子に「正義を貫く子になれ。弱い者を思いやる子になれ」との言葉を残し、巡査は連行される。「お父さん、いってらっしゃい」事情を知らぬ息子らの無邪気な声が、刑事らの心に響いた。
事件は解決した。しかし、あれほど誠実な巡査が、なぜ殺人を犯したのだろうか?そして、男はなぜ、犯人しか知りえない証言ができたのだろうか?「まだ疑問点が残りますね・・・」桜井の言葉に、神代が答える。「うむ、この事件は、奥が深い」
息子たちとともに夕陽の中を歩く橘。父の背中に、信一は言う。「父さん。俺、刑事になろうと思う」そして健二も言う。「俺は、牛のように生きて見ようかと思う」少し照れ臭そうな息子たちの言葉を背中で受け止めながら、橘は無言で夕陽を見つめる。その顔に笑みはない。ただ、過去への深い後悔と、妻子への贖罪の想い、そして刑事としての誇りと、父としての満足感がある。

【感想など】
前編の感想でも触れましたように、長坂氏にとっては特捜における“父と子”テーマの集大成とも言える一本。ラストを飾るかのように、男=大地康雄、巡査=中康治、さらに次回で重要な役所を演じる新宿東署の捜査課長にコンドールマンこと佐藤仁哉と、ゲスト陣にはいずれも特捜の歴史を彩った味のある面々を配しており、非常に見応えがありました。

なかでも出色なのは、大地康雄のキャラクターです。少年時代に深い心の傷を負い、その傷から逃れるように凶悪な犯罪を繰り返した挙句、ふと赤ん坊の泣き声に我に返ってみれば、そこには見えるのは、疲れ果てた自分の姿だけでした。自暴自棄となり、自分が犯してもいない犯罪までも認めた男の心を動かしたのは、「警察が間違いを犯してはならない」という橘の強固な信念でしたが、それでも男の心は救われません。女社長殺しを否定したのは、単に橘個人に対する“情”ゆえであり、(男の主観では)自分を犯罪に追いやった世間に対する憎しみと諦観は、変わることはありません。しかし、ラストで真犯人が明らかになったとき、男は橘に対して正座し、頭を下げます。このとき、男が頭を下げたのは、橘個人に対する“感謝”だけではなく、自分の主張に耳を傾けてくれた社会と、これまでの被害者に対する、おそらく彼にとっては人生で初めての“お詫び”の気持ちが込められていたのではないでしょうか。

このように、大地康雄のストーリーだけでも一本のドラマが作れそうなほどですが、加えて巡査家族を巡るストーリー(引き続き次回でも語られますので、ここでは触れません)、さらにはメインとなる橘親子のストーリーまでが、緊密につながりつつ展開されるのですから、まさに圧巻というしかありません。

肝心の橘親子の“父と子”とドラマは、「父の仕事、父の生き方に対する息子たちの理解と共感」という結末を迎えましたが、それでも、いわゆるハッピーエンドな印象を与えないのは、それだけ橘の後悔と自責の念が強いからではないでしょうか。もちろん、上記の印象や、あらすじのラストに示した解釈は、あくまで私の主観ですが、そのシーンの橘の表情や、そこに至るまでの橘の苦悩を見る限り、私にはそう思えてならないのです。「そうじゃないだろう」「私にはこう思えた」というご意見もあろうかと思いますので、是非、皆さんなりのご感想をお聞かせいただければと思います。

ちなみに、長坂氏の著書「術」には、最終三部作の脚本が掲載されており、実際の映像と見比べてみると、細かな違いや省略ぶりが興味深いのですが、最も驚いたのが、台詞や動作の説明があるのみで、登場人物の心情までは書き込まれていないこと(余り脚本を読んだことがないので、これが長坂氏特有の特徴なのかどうかは分かりませんが・・・)。そこに記されていないキャラクターの内面は、演者(+演出陣)が自分なりに解釈して表現するしかなかったでしょう。本編で言えば、健二の語る父の思い出を聞いて「そんなもんかな」と笑う叶の心情はいかばかりか?橘の「もう少しの間、刑事をやっていたい」との言葉に沈黙する神代と桜井の心情は?そして何よりも、ラストの橘の表情に込められた想いは?脚本にも描かれていないそれらの想いは、演者がどう解釈したかも含めて、私たちがそれぞれの主観でつかみ取るしかありません。

先ほど、私が勝手に解釈させていただいたラストシーンについて、少しだけ引用させていただくと、長坂氏の脚本では、次のように書かれています。

橘の大きな背は、このとき一瞬止まる。
「・・・!」
だが、橘は何もいわず、すぐ大股に歩き出す。その背で――
夕陽が、大きい――。

これも全くの私見なのですが、「大きな背」という表現に、私は長坂氏から見た父親の姿を感じさせられます。父を恨み、父に反発しながらも、それでも父を尊敬する(あるいは尊敬していたい)息子の気持ち、それは長坂氏自身が抱いていたものだったのではないでしょうか?橘の大きな背中は、長坂氏が見た父親の背中であり、その生き方を認める息子たちの言葉は、長坂氏の父親に対する一つの答え(単に長坂氏が自身の父親の生き方そのものを認めた、という意味ではなく)だったのではないでしょうか?だとすれば、長坂氏には“息子”という立場からの想いを表現できても、“父親”の立場では何も語れなかった(語るべきではないと考えた)、とも想像できます。むしろ、父親の想いは、これまで“子供を捨てた父親”を演じ続けてきた本郷氏に委ねるべきと考えた。そして、本郷氏は長坂氏の意を汲み取って、自らが長きにわたって演じ続けてきた橘剛という“人間”の想いを、あの表情に込めたのだと、私は考えます。そして、私が愛してやまない橘さんであれば、きっとそう思ったであろうという私なりの解釈が、あらすじに示したラストに他なりません。長坂氏、本郷氏をはじめ、本編の制作の携わった方々には、誠に僭越至極で恐縮ではありますが、勝手な想像並びに解釈をお許しいただければ幸いです。

第506話 橘警部・父と子の十字架(前編)

2009年12月27日 03時17分20秒 | Weblog
脚本 長坂秀敬、監督 宮越澄
1987年3月12日放送

【あらすじ(前編)】
ある雨の夜、強盗殺人事件が発生。通報を受けた新宿東署に居合わせた橘は、同署の刑事らとともに現場に急行する。そこでは、泣き叫ぶ赤ん坊と、その両親の死体を前に、逃げもせず呆然とする男がいた。逮捕された男は前科持ちで、本件に加え、未解決の6件の強盗殺人についても自分の犯行と認めた。だが、橘はそのうち一件だけは、男の犯行ではないと直感する。それは、雨の夜の事件の数日前に発生した、金貸しの女社長殺しだった。男を無罪とする根拠は何もない。ましてや、男は自白しただけでなく、犯行状況を詳しく語っている。仮にその一件が無実だったとしても、男の死刑は確実だが、それでも橘はこだわった。それは事件の夜の雨が、かつて長崎に妻子を“捨てて”きた夜の記憶を呼び起させたためかもしれない。
そんな橘に、桜井は「手を引くべき」と忠告する。新宿東署が煙たがっている上に、橘の家庭の問題を察していたのだ。橘と同居中の長男・信一が長崎へ帰っており、橘の元には妻から離婚届が送られていた。「長い人生のなかで、男が家庭を第一に考えねばならんときがある」神代からの伝言が、橘の胸に重く響いた。
そんななか、長崎にいるはずの橘の次男・健二が新宿東署に補導される。健二は橘への連絡を拒み、代わりに連絡を受けた紅林と叶が東署に向かう。「あの橘警部のご子息と知っていれば、ご親切にできましたのに・・・」捜査課長のあからさまな嫌味に耐え、健二の身柄を預かる二人。ふて腐れる健二に、叶は「その態度は何だ!親父が憎ければ直接ぶつかれ」と叱責する。
その後、再び補導された健二が、今後は橘を呼び出す。報せを受けて、慌てて東署に向かう橘。長崎から戻った信一も、叶らとともに駆けつける。事情を聞こうともせず、健二を張り倒す橘。健二は「見たか!正面からぶつかったらこうだよ!」と捨て台詞を残して走り去る。心配する信一に、橘は「追うな!放っておけ」と言い捨てた。
その頃も、橘は一人、捜査を続ける。拘置所に男を繰り返し訪ねるが、男は「どうせ死刑だ。どっちだっていいじゃないか」と取り合わない。だが、それで諦める橘ではない。目撃証言を洗い直し、犯行現場を調べ、第一発見者である若い巡査を尾行する。そんな橘の姿を、息子たちに見せる紅林。「お父さんは今、ある事件を追っている。すでに解決済みで、放っておけば誰も傷つかない事件だ。それでも橘さんは追い続けている」「何のために?」「刑事だからだよ。それが橘さんだからだよ」
父の仕事の意味を確かめるべく、橘の後を追う健二。その目の前で、橘は尾行していた巡査から問い詰められる。「なぜ私を疑うんです?」何の根拠もないだけに、言葉もない橘。「もう私をつけ回さないでください。私の家庭を乱さないでください」妻に先立たれ、幼い二人の息子や年老いた母親と暮らす巡査にとって、同じ警官から疑いの目を向けられるのは耐え難いことなのだ。巡査の息子たちの年齢は、2歳と5歳。くしくも長崎で別れたときの信一と健二と同じ年齢だった。その偶然が、橘の心をさらに締め付ける。
その夜、帰宅した橘に、息子たちが別居を持ちかける。健二が家出したのは、妻に離婚を決意させるためだった。息子たちを思って離婚に踏み切れないでいた妻だが、実は、他に好きな男がいたのだ。「母さんが一人で苦しんでいる間、あんたは何をしよった!今、あんたがやっているのは、一人の警官を苦しめているだけじゃなかか!自分の家庭も守れんくせに、人の家庭を壊すなんて最低ばい!」健二の言葉が、橘の胸に突き刺さる。
翌朝、橘を気づかい捜査を離れるよう奨める神代と桜井は。に、橘はこう答えた。「息子に“あんた”って呼ばれました。あんたはただ刑事をやっていただけじゃないか、と」言葉もない神代と桜井に、橘は続ける。「お気遣いはありがたいのですが、もう少しの間、刑事をやっていたいと思いますので・・・」一礼して立ち去る橘の背中に、二人がかける言葉はなかった。(後編につづく)

【感想など】
基本的には一話完結ながらも、三話全体を通して壮大なストーリーが展開される「最終三部作」。その導入編となる本編は、橘の抱える“父と子”のドラマの完結編となる一本でした。“父と子”は、特捜では叶編の「掌紋300202」や、的場編の「父と子のエレジー」でも扱われており、それ以前に「刑事くん」などでも見られるように、長坂氏にとっての永遠のテーマと言えるもの(長坂氏の著書「術」によれば、長坂氏自身の父親との葛藤がベースとなっている)。
それだけに、今回の脚本の濃密さは“異常”なほどで、「橘と息子たち」というメインのドラマに加えて、「男が背負う過去(これもまた父との葛藤が背景)」のドラマ、「巡査と母、そして息子たち」のドラマ、そして「父を知らない叶と、父に反発する健二」のドラマが絶妙に絡み合い、さらに以降2話に続くドラマの伏線(序盤に登場した新宿東署の捜査課長の描写など)も巧みに配しているなど、非常に省略しづらいものとなっています。
このため、当初は短くまとめようと思っていたのですが、やはり断念して2度にわけて掲載させていただくことにしました。間を空けずに後編を投稿しますので、何卒ご容赦ください。

近況

2009年12月16日 22時56分37秒 | Weblog
ようやく3部作中の2話まで視聴しました。一言感想を言えば、橘さん渋すぎ、子どもらも健気すぎ(奥さんはいったい・・・)。桜井の親父さん格好よすぎ(ちょっと桜井がワリを食ったか?)。何とか今週末には感想を投稿します。最終話を視るのはそれから。コメントの返事も今しばらくお待ちください。