脚本 宮下隼一、監督 天野利彦
郵便局に二人組の強盗が押し入った。駆けつけた橘の目前で、強盗の片割れである老人がバイクにはねられ死亡。共犯の男もその場で取り押さえられた。男は取調べに対して「老人は最近知り合っただけで苗字しか知らない。強盗は老人から借りた金を返すためで、計画したのも老人だ」と主張する。二人が借金について言い争っていたという目撃証言もあり、男の言い分は確かに思われた。
一方、防犯カメラに残された犯行現場の映像を確認したところ、「老人は本当に共犯だったのか?」との疑問が生じる。だが「死人に口無し」で、男の主張を覆す材料は何もない。飯場を訪ね歩き、老人の友人を探し当てる橘と船村。友人の証言から浮かび上がるのは、故郷を懐かしむ孤独な老人の姿だった。老人がいつも口ずさんでいたという民謡の節回しから、船村は福島県の相馬(そうま)出身だと目星をつける。
福島県警に照会したところ、老人には10年前に失踪届けが出ていたが、届出人である妻はすでに死亡しており、娘は死体の受け取りを拒否。老人の過去を知るため、相馬に飛んだ橘は、老人が10年前に公金横領の嫌疑を受けていたことを知る。容疑は濃かったが、老人は黙秘を貫き、証拠不十分でやむなく釈放したところ、即座に妻子を残して失踪したという。老人の娘が教師として勤める学校を訪ねる橘。何も言わずに姿を消した老人のために苦難の日々を過ごしてきた娘は「憎んでいるわけではない、許せないだけです」と、死体受け取りを頑なに拒む。
その頃、特命課は老人と男が旧知の仲であったことを掴む。「男が10年前の横領にも関わっていたのではないか」と事件を洗い直す橘。だが、老人が強盗を働いたという新聞記事が原因で、娘は学校で生徒や父兄からの厳しい視線にさらされる。父親と離れて暮らす少年に「大人になるには父親離れをしないといけない」と励ましていた娘だが、少年から「先生は自分のお父さんが嫌いなんだろう。だから、パパの言うことしか聞かない僕が嫌いなんだろう」と罵られ、ショックを受ける。
その頃、橘はついに横領の真犯人が男だと突き止める。男は、かつて恩を売っていた老人から公金を騙し捕っていた。老人の失踪は、男を自分の手で捕らえるためだったのだ。真相を娘に伝えようとする橘だが、教師という仕事に自信を失った娘は自殺を図る。橘の説得にも耳を貸さない娘に生きる力を取り戻させたのは、橘に諭された少年の「先生、死んじゃいやだ!」という叫びだった。
同じ頃、特命課は老人が共犯ではなく、たまたま現場に居合わせ、男を追いかけただけだったことを立証し、晴れて老人の無罪が証明される。後日、改めて老人の遺骨を抱いて相馬を訪れた橘を、娘が迎える。父と娘との無言の再会を、橘は暖かく見守るのだった。
タイトルだけで「また地方名物巡りかよ」とげんなりしていましたが、エンディングを丸ごと祭りの映像に費やしただけあって、ドラマ部分を食われるほどではありませんでした。とはいえ、要素が詰め込み過ぎな上に、実にご都合主義的な展開であり、説得力に欠けるのは否めません。特に、汚名を来たまま何も語ることなく失踪した老人の行動は疑問です。一切黙秘したまま弁解しないのがこの世代の美徳とは言え、すべてを明かして警察に男を追ってもらえば、10年もかからずに解決したのではないでしょうか?
泣かせどころとしては、父親を慕う少年と娘との交流が挙げられますが、少年と娘の父親に対する想いの対比を、橘と老人の子を思う父親の気持ちの対比と重ね合わせて掘り下げれば、もっと泣ける話になったのではないでしょうか?
ちなみにタイトルにある「蛍の女」とは、娘の名前であり、相馬地方の名物でもあります。ドラマ上は、老人が思いを馳せる故郷の象徴として描かれていますが、ビジュアルとしては蛍の死骸しか見れないため、興を殺がれることこの上ありません。もう一つの名物である「相馬野馬追祭り」はストーリーと一切関わり無く、「地方名産をドラマに活かす」という地方ロケものの命題は果たせずじまいと言えそうです。
郵便局に二人組の強盗が押し入った。駆けつけた橘の目前で、強盗の片割れである老人がバイクにはねられ死亡。共犯の男もその場で取り押さえられた。男は取調べに対して「老人は最近知り合っただけで苗字しか知らない。強盗は老人から借りた金を返すためで、計画したのも老人だ」と主張する。二人が借金について言い争っていたという目撃証言もあり、男の言い分は確かに思われた。
一方、防犯カメラに残された犯行現場の映像を確認したところ、「老人は本当に共犯だったのか?」との疑問が生じる。だが「死人に口無し」で、男の主張を覆す材料は何もない。飯場を訪ね歩き、老人の友人を探し当てる橘と船村。友人の証言から浮かび上がるのは、故郷を懐かしむ孤独な老人の姿だった。老人がいつも口ずさんでいたという民謡の節回しから、船村は福島県の相馬(そうま)出身だと目星をつける。
福島県警に照会したところ、老人には10年前に失踪届けが出ていたが、届出人である妻はすでに死亡しており、娘は死体の受け取りを拒否。老人の過去を知るため、相馬に飛んだ橘は、老人が10年前に公金横領の嫌疑を受けていたことを知る。容疑は濃かったが、老人は黙秘を貫き、証拠不十分でやむなく釈放したところ、即座に妻子を残して失踪したという。老人の娘が教師として勤める学校を訪ねる橘。何も言わずに姿を消した老人のために苦難の日々を過ごしてきた娘は「憎んでいるわけではない、許せないだけです」と、死体受け取りを頑なに拒む。
その頃、特命課は老人と男が旧知の仲であったことを掴む。「男が10年前の横領にも関わっていたのではないか」と事件を洗い直す橘。だが、老人が強盗を働いたという新聞記事が原因で、娘は学校で生徒や父兄からの厳しい視線にさらされる。父親と離れて暮らす少年に「大人になるには父親離れをしないといけない」と励ましていた娘だが、少年から「先生は自分のお父さんが嫌いなんだろう。だから、パパの言うことしか聞かない僕が嫌いなんだろう」と罵られ、ショックを受ける。
その頃、橘はついに横領の真犯人が男だと突き止める。男は、かつて恩を売っていた老人から公金を騙し捕っていた。老人の失踪は、男を自分の手で捕らえるためだったのだ。真相を娘に伝えようとする橘だが、教師という仕事に自信を失った娘は自殺を図る。橘の説得にも耳を貸さない娘に生きる力を取り戻させたのは、橘に諭された少年の「先生、死んじゃいやだ!」という叫びだった。
同じ頃、特命課は老人が共犯ではなく、たまたま現場に居合わせ、男を追いかけただけだったことを立証し、晴れて老人の無罪が証明される。後日、改めて老人の遺骨を抱いて相馬を訪れた橘を、娘が迎える。父と娘との無言の再会を、橘は暖かく見守るのだった。
タイトルだけで「また地方名物巡りかよ」とげんなりしていましたが、エンディングを丸ごと祭りの映像に費やしただけあって、ドラマ部分を食われるほどではありませんでした。とはいえ、要素が詰め込み過ぎな上に、実にご都合主義的な展開であり、説得力に欠けるのは否めません。特に、汚名を来たまま何も語ることなく失踪した老人の行動は疑問です。一切黙秘したまま弁解しないのがこの世代の美徳とは言え、すべてを明かして警察に男を追ってもらえば、10年もかからずに解決したのではないでしょうか?
泣かせどころとしては、父親を慕う少年と娘との交流が挙げられますが、少年と娘の父親に対する想いの対比を、橘と老人の子を思う父親の気持ちの対比と重ね合わせて掘り下げれば、もっと泣ける話になったのではないでしょうか?
ちなみにタイトルにある「蛍の女」とは、娘の名前であり、相馬地方の名物でもあります。ドラマ上は、老人が思いを馳せる故郷の象徴として描かれていますが、ビジュアルとしては蛍の死骸しか見れないため、興を殺がれることこの上ありません。もう一つの名物である「相馬野馬追祭り」はストーリーと一切関わり無く、「地方名産をドラマに活かす」という地方ロケものの命題は果たせずじまいと言えそうです。