特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第403話 死体番号6001のミステリー!

2008年05月10日 00時41分01秒 | Weblog
脚本 塙五郎、監督 天野利彦

新宿駅の地下道で焼死体が発見される。第一発見者は隣接するビルの管理人で、現場から若者が逃げて行ったと証言する。他殺か自殺かは不明のまま、特命課は死体番号6001を付けられた被害者の身許を捜索する。
解剖の結果、被害者は初老の男性と判明。胃の内容物は、豪華ではあるが和洋中華雑多なもの。橘は浮浪者との会話をヒントに、被害者が浮浪者でないかと推測する。また、船村と叶は焼け残った時計が勤続25周年の記念品だと突き止め、該当する会社を探す。一方、桜井らは被害者の着衣を仕立てた洋服店を探し出し、依頼人の名が「田中一郎」だと突き止める。被害者のことを気にかける管理人を訪ね、捜査経過を伝える叶。管理人は「田中一郎」なる浮浪者を知っていた。ビルに何度か水を貰いに来ており、会話を交わしたことがあったという。
ようやく「田中一郎」の勤めていた会社を探し当てた船村と叶だが、25年も働いていながら誰も知るものはなく、発見された妻子もまた、定年前に理由も言わずに会社を辞めて失踪したことを憤り、冷淡な態度を隠そうともしなかった。何一つ報われることのなかった「田中一郎」の人生にやり切れない思いを抱いた船村は、管理人を訪ね、同じ世代の者同士で酒を酌み交わす。そこに現れた叶から「田中一郎」の妻子の態度を聞き、管理人も他人事とは思えない共感を表す。「その田中って人は、いつも貧乏くじを引くような人生を送ってきたんだ・・・」
その後、飲み屋での目撃証言をもとに、現場から逃げた若者を発見する特命課。若者は浮浪者から金を奪って逃げたことは認めたが、殺人は否定する。若者の語った時刻は、管理人の通報した時間と隔たりがあった。特命課は管理人に疑惑を向けるが、すでに管理人は姿を消しており、住所氏名はデタラメだと判明。管理人こそが「田中一郎」であり、服や時計は管理人が浮浪者に与えたものだった。管理人の気持ちを代弁する神代。「彼は、家族に会いたかったんだ。だが、実際に会う勇気はなく、自分の身代わりとして死体を家族に会わせて、その反応を見たかったんだ」
家族のもとを張り込む船村と叶。「全く恥ずかしい話です。本当に死んでいればよかったんだ」と毒づく家族に、いたたまれない思いを抱く船村。夜の闇にまぎれて家族の住む自宅に近づく管理人。張り込みに気づき、妻と子の名を呼んで泣き叫ぶ管理人を、船村は強引に連行する。
管理人の口から明かされる真実。その夜、若者に金を奪われ呆然とする浮浪者を慰めようとした管理人だが、不意にこみ上げてくる怒りに、思わず「あんたなんか死んでしまえばいいんだ」と言い放ってしまう。その言葉に、浮浪者は止めるまもなく、ガソリンを被って火を放った。名も無き浮浪者は、やはり自殺だった。だが、船村は言う。「自殺じゃない、あの人は殺されたんだ。直接手を下さなくとも、あの人を死なせた人間がいる。若者や管理人だけじゃない、あの人を追い詰めた人間がもっともっといる。わたしゃね、何年掛かったって、あの人の身許を割り出します。そうして、あの人を死に追いやった奴らを突き止めて、『お前、人を殺したんだぞ』って言ってやる。言ったところで、ぬかに釘なんだろうけどね・・・」

塙脚本によるおやっさん主役編も、今回を含めて残り後3本。残り少ない貴重なエピソードに相応しく、見る者の心を揺さぶる名編となりました。
今回の脚本に感心させられたのが、浮浪者が名もない「死体番号6001」のままでドラマが完結した点です。おやっさんが「死体番号6011のままじゃ、あんまりだ」と言ったように、このことは被害者の孤独さや、社会からの疎外感を浮き彫りにさせるとともに、その「匿名性」によって視聴者の自己投影を容易にしているという効果があります。つまり、名前はおろか、その過去が直接的には一切描かれないため、(主に被害者や管理人、おやっさんと同世代の)視聴者に対して「自分もこの被害者と同じだ」という思いを容易に抱かせることができ、他人事ではない切実さをもってドラマに没入させることができるのです。
さらに絶妙なのは、被害者自身の過去は語られないものの、自殺の原因、すなわち被害者(そして視聴者)の抱えている虚しさは、同世代である管理人やおやっさんの口を借りてありありと語られている点です。「子供の頃は戦争で食うものもない。学歴もないから働き口もない、嫁の来てもない。ようやく見合い結婚をして、家族のためにわき目も振らず働いてきたが、あるとき振り返ってみれば、自分という人間が確かに生きてきたという痕跡がどこにもない。誰も自分のことなんか思い出すことはないと気づいたとき、どうしようもなく寂しい気持ちになる・・・」そこに語られているのは、数少ない例外(たとえば「社員は部品」と言い切った社長のような)を除いた、戦中生まれ世代の典型的な人生と言えるでしょう。金でも、地位でも、肩書きでもなく、ただ自分の生きてきた証を求める気持ちは、苦衷に満ちた人生の終りが見え始めた彼らにとって、実に切実なものでしょう。そして、その求めてやまないものが、社会のどこにも、さらには家庭にすらないという悲しい現実。それこそが被害者を自殺に至らしめたのです。

ラストのおやっさんの熱弁。その涙ながらの熱弁は、はっきり言って暴論であり、理屈は通っていません。そんな理屈が通るのであれば、罪なき者など一人もいないことになります。あたかも駄々っ子のようなおやっさんの言葉は、しかし、だからこそ、見る者の心を強く揺さぶります。おやっさんは、寂しかったのです。おやっさんは、悔しかったのです。本当は、誰も悪くなどない。犯罪ですらない(若者の行為は犯罪ですが、浮浪者の死の真の原因ではありません)この事件が、哀しくてしょうがなかったのです。吉野が言った「社会」や「世の中」という実体のない何者かのせいで、一人の人間の人生、いや、おやっさんや管理人を含めた同世代の多くの人生が、全く価値のないものとして踏み潰されてしまうのが、ただ耐えられなかったのです。せめて、実体のある誰かのせいにしなくてはやり切れない。そんな想いが言わせた台詞だったと、私は思うのです。だからこそ、おやっさんの眼には哀しげな涙が浮かび、その熱弁を聞いている神代課長の眼も、さらには視聴者である私たちの眼も、潤んでしまったのです。

おやっさんたち戦中生まれの世代にとって、唯一の生きた証があるとすれば、それは(放送当時の)豊かな社会を築いてきたという自負に他なりません。その「社会」が浮浪者を追い詰め、死に至らしめたのだとすれば、これほど皮肉なことはありません。「社会のために」「家族のために」生きた結果がこれだとすれば、その後に続く世代である私たちは、いったい何のために生きればいいのでしょうか?
自分が歩んできた人生は、結局、何の価値も生み出すことはなく終わっていく。人生の残りが見えたとき、人は誰もがそんな絶望感に囚われるのでしょうか?そんな人生に、果たして何の意味があるのでしょうか?そもそも、「生きる意味」などというものが本当にあるのでしょうか?
そんな虚しい問いに、わずかな救いがあるとすれば、それはラストに叶が見せた優しさでしょう。人の生きる意味を踏みにじるような「社会」は、その構成員たる一人ひとりが、無意識のうちに他人の人生を蔑ろにしているからこそ生まれてきたものと言えるでしょう。だとすれば、一人ひとりの優しさしか、人生の無意味さに絶望する人々を救うことはできない。どうか、貴方がたの父に、祖父に、そして職場の功労者たちに「あなたの生きてきた人生に、確かな意味があるのだ」と言ってあげてほしい。私たちの日々は、彼らが生涯をかけて成し遂げた成果の上にあるのであり、そんな彼らの人生に報いる術を、私たちは他に何一つ持たないのですから。

5 コメント

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ふむー (特オタ)
2008-05-10 02:12:09
管理人様。深いですね、素晴らしい。
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いつもどうも。 (袋小路)
2008-05-13 01:03:32
特オタさん、いつもありがとうございます。
お褒め頂誠に恐縮ですが、深いのは私ではなく、塙氏の脚本だと思います。
それにしても、特捜を見て、人生について深く考え、語る。これほど楽しく、満ち足りた時間はそうそうありません。特捜という番組に出会えた幸福を、これからも噛み締めていきたいものです。
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ロケ地 発見! (コロンボ)
2010-05-14 22:28:24
ラストの印象的な地下道をついに見つけました。嬉しくってコメントします。叶に向かって船村が「おい、そこらで一杯やろうや!」と呼びかける場所です。

殺風景な地下道だからでしょうか。冬の薄日に染まるコンクリートの壁だからでしょうか。それとも人間を番号で呼ぶからでしょうか。かえって男が子供の頃は潮風の吹く場所で育ったのではないか、あるいは田園風景でフナやドジョウと戯れる時期を過ごしたのだろうか。私にはかつての日本の原風景が強く浮かび上がって来ます。

NHK衛星ハイビジョン特集「全身”役者魂”大滝秀治~84歳 執念の舞台~」(1月23日放送)で、大滝さんと同期の内藤武敏さんが当時の稽古場(現在は地域の親睦会館)を訪れ、田園調布の住宅街での大滝氏との出会いを語られてました。

私にとって田園調布はドラマ「陽あたり良好!」(「隅田川慕情!」の小林聡美さんも出演されてました)のロケ地としての印象が強いのですが、意外な処が現在の劇団民藝の出発点なんだと新発見でした。

民藝と云えば、日色ともゑさんも所属されてますね。件の地下道は「十字路・ビラを配る女!」や「子供の消えた十字路」のロケ地の近くでした。なので第3回以降のオフ会で紹介できたら良いなと思ってます。

第N回 ロケ地探訪~池袋・大塚エリア編とでも銘打ちましょうか(笑)。雑司が谷方面から副都心線や都電荒川線を利用して「昭和60年夏・老刑事船村一平退職!」の坂道あるいは「警視庁番外刑事!」の教会を皮切りに池袋で〆るなんてイキじゃないですか。

割とせっかちな性分なので、上野・浅草エリアと赤坂周辺エリアも現在候補に入れて探索・検証中です。

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恐縮です (袋小路)
2010-06-01 21:48:52
コロンボさん、いつもコメントありがとうございます。返信が遅くなってしまって大変失礼しました。

ロケ地の探索が順調に進んでいるようですね。印象深いシーンのロケ地が次々と割り出されているようで、コロンボさんにご案内いただける日が楽しみです。

こちらはGWをのんびり過ごした反動で、GW明けから多忙を極めておりました。ようやく少し余裕ができてきましたので、更新を再会していきたいと思います。
今後とも何卒よろしくお願いします。
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Unknown (特捜大好き)
2022-01-22 04:15:48
誰も悪くないということはないだろ!悪いのはご馳走になっておきながら金を奪った若者です。それなのにそいつにガソリン買ってきてとか何か突っ込むと変な話。だって若者は逃げたんでしょ!それにそれまで親切にしてた管理人が何でそんな酷いこと言うんだ?
突っ込みどころがたくさんある話でした。
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