特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第438話 美しい狙撃者! 殺意を呼ぶマネーゲーム

2008年09月26日 00時15分39秒 | Weblog
脚本 山田隆司、監督 松尾昭典
1985年10月31日放送

【あらすじ】
老人を狙った詐欺まがい商法が社会問題となり、捜査に乗り出す特命課。渦中の社長にマスコミが殺到するなか、桜井と犬養は心ならずも社長の警護役を務める。社長のマンションに押し掛けた被害者たちを制止した桜井は、老人の中に一人だけ混ざっていた若い女に目を止める。女のバッグから刃物を見つけ、問い詰める桜井。その背後で銃声が響く。負傷した社長をかばう犬養に、被害者集団のリーダー格の男が拳銃を向ける。咄嗟に銃を抜き、男を撃つ桜井。「どうして撃つの!あの人は被害者なのよ!」女の悲鳴が響いた。
査問会の呼び出しを無視し、女を追う桜井。女の父親は元受刑者で、出所後は靴の修理屋を営んでいたが、なけなしの貯金を騙し取られた挙句に自殺。父親の過去をマスコミが暴いたため、女は婚約者と破談となっていた。女の持っていた刃物は、父親の愛用していた靴の修理道具だった。女は父親の復讐のために、社長の命を狙っていたのか?
査問委員会で「問題無し」とされたものの、世間の同情は撃たれた男に集まる。軽傷ですんだ社長のガードを続ける桜井だが、マスコミや被害者の非難はむしろ桜井に集中する。犬養は「桜井さんを警備から外してあげてください」と神代に直訴するが、「でしゃばった真似は許さんぞ」と桜井に一喝される。一方、桜井が撃った男は被害者ではなかったことが判明。男は、社長とつながっていた暴力団が、口封じのために雇ったヒットマンだった。
その後も社長の身辺をうろつく女を、徹底的に遮る桜井。女は「私は父の位牌に謝って欲しいだけ!」と言い訳し、犬養も「私には、彼女が人殺しを企むとは思えません」と反論する。だが、女の殺意を確信する桜井は、女の元婚約者を訪ね「今でも彼女を愛しているなら、彼女を止めてくれ」と依頼する。女は元婚約者を巻き込んだ桜井を憎み「あなたは鬼です!」と罵り、平手打ちを浴びせる。「暴行罪で逮捕する」と手錠を出す桜井に犬養の拳が飛んだ。「もう我慢できません。いくら桜井さんでも横暴すぎますよ!」と女を連れ去る犬養。「同じ刑事としてお詫びします」と頭を下げる犬養に、「桜井刑事に会うまで、私は刑事を尊敬してたんです」と語る女。服役中の父親を勇気づけ、更正させたのは、父親を逮捕した刑事だったという。
特命課に戻った犬養は、父親を更正させた刑事と比較して「桜井さんのやり方にはついていけません」と桜井を非難する。「お前の目は節穴か!」と一喝する橘。父親を逮捕した刑事こそ、若き日の桜井だったのだ。その頃、社長はガードしていた桜井を昏倒させ、海外逃亡を図って逃走する。社長を追って空港へ向かう女。桜井や犬養も空港へ急行する。女が社長めがけて振りかざしたナイフを、身体で受け止める桜井。「貴方を恨みます!」憎悪の目を向ける女をよそに、桜井は社長を殴り飛ばして司直の手に引き渡す。特命課に連行された女は、神代や橘に真実を聞かされる。「ああ見えても、桜井が一番、君のことを考えていたんだ」橘の言葉に、女はようやく桜井の真心を知るのだった。
事件解決した後、桜井は一人、父親の仕事場を訪れる。「すまん、俺にはあれが精一杯だった」と、女に傷害の罪を負わせてしまったことを詫びる桜井の前で、父親の小さな仕事場は取り壊されていった。

【感想など】
美しくもなければ狙撃もしない女の身勝手極まりない物言いが不愉快極まりない一本(今回のサブタイトルをつけたのが誰かは知りませんが、とにかく「狙撃」の意味を辞書で引け、と言いたい)。何が不快かと言って、不幸慣れした女の偏りすぎたモノの見方がとにかく不快。序盤で桜井が男を撃った際に「何で撃つの!被害者なのに!」と凄い顔で叫んでいましたが、この女の頭の中では「被害者には加害者を撃つ権利がある」という理屈でもあるのでしょうか?この男を「親切で良い人です!」とかばっておきながら、いざヒットマンだと判明すると「私たちを騙していたのね!」と一転して非難に回るように、他人に対する評価が極端から極端へと走るのが、この手の女にありがちな傾向です。父親に対する態度も同様であり、憎んで憎み続けていいたはずの父親が、あっという間に「父の仇を討つために人殺しも辞さない」ほどの思慕の対象になってしまうあたり、「軽薄」と言われてもしょうがありません。
つい“この手の女”と書いてしまいましたが、ちょっと親切にされたら根拠もなく「良い人」と信じ込み、騙されたり、利用されたりしたら「人でなし」と罵るような、判断力に欠ける人は、女性に限らず意外と多いもの。典型的なのが被害者の老人で、ニュースを見て駆けつけた息子夫婦に「どうしてあんな会社に騙されたの?」と問われ、「お前たちよりは優しかったからじゃ」と答え「お前たちは、ワシのために何をしてくれた。朝飯を作ってくれたか?肩をもんでくれたか?布団を干してくれたか?風呂で背中を流してくれたか?」と憤る姿は、言っては悪いですが、八つ当たりとしか思えません。息子夫婦ですらそうなのに、何の縁も無い他人がそこまで親切にしてくれることなど“あり得ない”ことは子供でも判る常識。赤の他人を信じて、欲に駆られて金を託した本人の責任でしかなく、(もちろん、詐欺師が悪いのは当然として)息子夫婦を恨むくらいなら、自分の判断の甘さを反省して欲しいものです。
こんな年寄りのたわごとに「お年寄りの一人暮らしは死ぬほど寂しいんですよね・・・」と涙ぐむ女も、また愚かです。孤独を癒したいのであれば、誰かにとって「一緒にいたい」「側にいたい」と思わせるだけの存在になるよう努力するしかないのです。そんな努力も放棄し、孤独という不幸に逃げ込む老人は、「私、人から傷つけられることに慣れてるんです」などとほざいて「不幸な自分」に酔いしれる女と同類であり、まさに“同病相哀れむ”というほかありません。自分を孤独な状況に追い込んでいるのは自分であり、自分を傷つけているのも自分でしかない。そこに気がつかない限り、この女や老人たちは、何度も同じ過ちを繰り返すことでしょう。おそらく、この女は今頃「桜井さんって、なんて優しい人」などと激しく思い込み、桜井が閉口するような熱烈な手紙などをよこすことでしょう。おお嫌だ。

脚本の良し悪しを抜きにして、個人的な感情のままに罵詈雑言をぶちまけてしまいましたが、普通に見れば(ありきたりではあっても)まずまず楽しめる一本ではないでしょうか。2週続いた時田メインに続いて、今回はもう一人の新メンバーである犬養にスポットが当たっていますが、残念ながら桜井の引き立て役でしかありません。また、これもごく個人的な感想になりますが、桜井の真意を知った犬養の態度も、他の刑事たちに比べて浅はかな印象が残ります。たとえば、名作「シャムスンと呼ばれた女!」では、紅林が桜井と対立しましたが、桜井の真意(というか覚悟)を知ってなお、紅林は桜井のやり方に賛同したわけではなく「反対ではあるが、そこまでの覚悟を持っているなら認めざるを得ない」というスタンスが見て取れます。その当たり、「桜井さんは桜井さん、自分は自分」という揺ぎない自己が確立されており、好感が持てます。
他人同士が全く同じ考えや意見を持つことなどあり得ないわけですから、他人のすべてを肯定することなどナンセンスであり、同様に、すべてを否定することも無理があります。にもかかわらず、“全肯定と全否定のどちらしかない”という極端な結論に飛びつくのは、私が毛嫌いする女や被害者の意識と同様であり、思考停止とでも言うべき恥ずべき行為だということを強く訴えておきたい今日この頃です。

余談ですが、高齢者を狙った詐欺まがい商法は、先日の434話「悪女からのプレゼント」でも取り上げられていました。当時の社会問題だったのだろうかと調べてみると、ちょうどこの頃、豊田商事事件が世間を騒がせていました(会長が自称右翼に刺されたのが85年6月)。私もすっかり忘れていたくらいですから、今の若い視聴者にとっては「何それ?」でしょう。今も同様の手口で犯罪を繰り返すものが絶えないのは、事件が時とともに風化するからでもあるでしょうが、それ以上に、うまい話に騙されてしまう被害者が絶えないからなのでしょう。

第437話 逆転推理・秋の花火のメッセージ!

2008年09月22日 21時32分35秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 辻理
1985年10月24日放送

【あらすじ】
インターポールと協力してブランド品の偽造事件を追う特命課。英語を自在に操り、担当省庁である通商産業省(現:経済産業省)とも対等に渡り合うなど、まさに“エリート揃い”の環境に、居心地の悪さを感じる時田。ついつい元の所轄地域に足が向き、かつての同僚たちが捜索中の殺人現場を何気なく覗いたところ、被害者は時田と旧知の老売春婦だった。老売春婦は自室でなく、同業の女の部屋で、その女の服を着て死んでいた。被害者に冷淡な態度を隠さず「どうせ客と金でこじれた結果だろう」と決め付ける刑事たちに、不快感を抱く時田。現場に花火の燃え屑を発見した時田は「客の犯行ではない」と指摘する。老売春婦は客にあぶれると、死んだ子供の供養のため、季節を問わず花火をするのが常だった。
多忙を理由に事件を放置する所轄署に憤り、一人捜査を開始する時田。「誰だって一人じゃ弱い、仲間が要る。そうじゃないか?」助け舟を出そうとする橘らだが、時田は頑なに背を向ける。老売春婦の怨恨関係を探ろうとする時田に、「彼女は、女と間違えて殺された。探るなら女の怨恨関係だ」と助言を送る桜井。反発しつつも、時田は女を探し出す。女には恨まれる覚えはなかったが、数日前、ある客とホテルに行った後、「あの客とホテルに行ったことを証言して欲しい」と頼みに来た男がいたという。男は数日後に自殺を遂げたエリート官僚であり、その客は「産業白書案」と書かれた冊子を持っていた。
時田は神代に単独行動を詫びつつ「犯人はエリート官僚と出世を争っていた産業省の官僚」と自身の推理を述べる。エリート官僚は、犯人のスキャンダルを公表せんと女に接触。だが、犯人は逆にエリート官僚を自殺に見せかけて殺害。さらに女をも狙ったが、間違って老売春婦を殺してしまったのだ。
「産業白書“案”」は、産業省の中でも部長職以上の高官しか持ち得ない資料。該当者の中でアリバイのない官僚はただ一人だった。女はその官僚こそ例の客だと証言するが、官僚は「何の証拠がある」とシラを切る。執拗にマークする時田に業を煮やし、特命課に圧力をかける官僚。刑事局長に捜査中止を命じられる神代だが、「時田が罰せられるのであれば、その前に私が全責任を取ります」と敢然と拒否する。
神代の対応を知らず落胆する時田に、橘は女から託された部屋のカギを渡す。「行き詰まった時には現状に戻る。捜査のいろはだよ」心強い仲間たちとともに、現場を調べ直す時田。事件当夜、階下の住人が「花火をやめろ!」と怒鳴ったところ、部屋の明かりが消えたという。花火をするのに明かりは不要。犯人は老売春婦を殺害した後、死体を確かめるために明かりを点け、階下からの声に慌てて明かりを消したのだ。スイッチに残っていた指紋が決め手となって、官僚はついに犯行を認める。「この私がいなければ日本は困る。私の価値に比べれば、売春婦の一人や二人・・・」なおも強がる官僚に、時田は「その言葉、もう一度、この遺骨の前で言ってみろ!」と老売春婦の遺骨を突きつけた。
「彼女は、殺されても1行の記事にもなりませんでした」官僚の犯行を大々的に報じる新聞を前に、心の晴れない時田。「今夜、付き合えよ」と声を掛ける橘に、神代も「私も付き合おう」と続く。「とことん、付き合ってください」と応じたとき、時田は初めて本当の意味で、特命課の仲間入りを果たしたのだった。

【感想など】
前回に引き続き、新メンバーである時田のキャラ立てをメインとしたエピソード。かつての同僚たちから「秋の花火=季節外れにしょぼく咲く」とあだ名されるなど、決してエリートとは言えない時田が、特命課のメンバーへのコンプレックスから反発を抱くという人物描写は、時田本人のキャラ立てとしてはもちろん、“警察組織内でも独立したエリート集団”という特命課の立ち位置を(時間帯異動による新視聴者にも)再確認する上でも出色。ちなみに、同じく新メンバーである犬養は、若くして警視庁の捜査一課のメンバーだったように、違和感なくエリート集団に馴染んでいる様子。彼のキャラクターをどう立てるかは、以降のエピソードに期待しましょう。

自分と似た境遇の老売春婦の死、さらには、その死が誰からも顧みられないという事実に怒りを抱き「世の中、スイスイやってる奴だけが人間じゃない。這い上がろうとしてもできない人間がいるんだ。刑事っていうのは、そうした人たちの味方になってやらねばならんのだ」という味のある台詞を口にする時田には、スペシャルや前回で見せた“家族思いのマイホームパパ(死語ですが)”という設定に加え、“弱者への視線”というポジションが(ある意味、特命課全員に共通する視線ではありますが)割り当てられる様子です。その時田を中心に、弱者の象徴である老売春婦や、時田の説教を笑い飛ばしながらも、その真心を受け入れる若い売春婦、時田に同情的な所轄署の婦人警官など、周辺キャラクターの配置にも光るものがある本編ですが、佐藤脚本にしてはひねりのない、普通に良くまとまった話だというのが、(贅沢な話ですが)やや物足りません。
加えて、私のような世代の人間にとっては、犯人である官僚を演じるのが宮内洋というのが、なんとも切ない。かつての仲間である吉野との対面が無いのは救いでしたが、かつての先輩である桜井の前で跪き「私は死刑になるのか」と頭を抱える姿は見たくなかった。「高級官僚の仮面はがれる!」と報じる「仮面」の文字にまで敏感に反応してしまう自分が悲しく思えます。

話を本編に戻すと、“エリート=社会の底辺を顧みない連中”と見て、特命課に反発を抱いていた時田ですが、捜査を通じて神代課長以下の刑事たちが“優れた捜査能力”だけでなく“人間としての優しさと強さ”を併せ持っていることを理解していきます。ラストでようやく心を開いた時田ですが、今後も“エリート集団”に埋没することなく、叩き上げの家庭人ならではの“弱者への視線”を発揮して欲しいものです。

第436話 殺人警官・44000人の容疑者!

2008年09月19日 00時58分25秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 天野利彦
1985年10月17日放送

【あらすじ】
時田、犬養の両名が正式に特命課に配属された矢先、深夜スーパーに強盗が入り、店員が殺害された。目撃者の証言によれば、犯人は制服の警官だったという。都内4万4千人の警察官が容疑者となるこの事件を、特命課が担当することになる。複雑な思いを抱く刑事たちに「同じ警察官を調べるのは嫌なことだ。だが、誰かがやらねばならん」と神代の檄が飛ぶ。
交番勤務のベテラン警官が巡回に出たまま行方不明になっているとの連絡を受けて、時田と叶は交番に急行。同僚の若い警官から事情を聞く。職務熱心な余りに家庭を顧みないベテラン警官の仕事振りに、時田は渋い表情を見せる。
一方、深夜スーパーから奪われた紙幣が簡易旅館で発見される。紅林と桜井が向かったところ、宿帳にはベテラン警官の名が残されていた。警官本人の犯行なのか?それとも、警官から制服や装具を奪った何者かの仕業なのか?心ならずもベテラン警官の自宅を捜索する時田と叶。不安を抱える妻子を気遣う時田だが、妻は幼い兄弟を抱きしめ「この子たちは、父親が警官だということを誇りにしています」と気丈に答える。
そんななか、ベテラン警官の拳銃でキャバレーの客引きが射殺される。捜査に当たった桜井と紅林は、客引きとトラブルになっていたという不審な男の存在を知る。男を接客していながら捜査に非協力的なホステスを、強引に協力させる桜井。一方、橘と犬養は巡回コースを捜索。川岸で舫が断ち切られているのを発見した橘は、下流をヘリで捜索。やがて、漂着したボートの中にベテラン警官の死体を発見する。
神代から連絡を受け、妻子に殉職を伝えようとする時田だが、子供たちを前に言葉が出ない。悲痛な表情から事態を察した妻は、叶とともに遺体の確認に向かい、時田は子供らの面倒を見るべく警官宅に残る。「死ななきゃ、無実だと証明されなかったんですか・・・」夫の遺体にすがりつく妻の言葉に、言葉もない刑事たち。犬養は思わずその場に跪く。「俺たちは仲間として、疑うだけで何もしてやれませんでした!」同じ頃、子供たちに食事を作ろうとする時田に、長男が言う。「父さん、死んだんだろう。だから僕が、弟の面倒を見るんだ。おじさん、僕に料理を教えてよ」健気な言葉に、時田は涙を止めることはできなかった。
やがて、ホステスの協力で男の似顔絵が作られる。小心で気弱そうなその顔つきに拍子抜けする犬養だが、桜井は「警官の制服には、自分を特殊な人間だと思わせる効果がある」と指摘する。若い警官の証言で、似顔絵の男の素性が判明。交番の近所に住む無職の男で、よく交番に小銭を無心に来ていたという。男は「新宿で金を稼いでくる」と言い残して姿を消していた。指紋から男を犯人だと断定した特命課は、新宿に網を張る。容易に姿を見せぬ犯人。警察無線が傍受されていると気づいた桜井は「犯人は東口方面に向かった」と偽って西口方面を見張る。不審な単独行動の警官を発見する犬養。追い詰められた犯人は、通りがかりの酔っ払いを人質にビル内に逃げ込む。橘は援護を買って出た時田とともに階下から犯人を追い詰め、屋上に先回りした桜井が待ち受ける。巧みな連係によって、犯人は無事に逮捕。「制服を脱がせろ」と命じる神代。「その制服には、警官として誇りを持ち、誠心誠意生きてきた男の汗と血が染み付いている。その制服をお前のような奴に汚させるわけにはいかん」制服のポケットから落ちた一枚の写真。そこには妻と子供たちの笑顔が写っていた。妻子を残して死んだ警官の無念さを思い、時田は再び涙をこぼした。

【感想など】
警官という仕事に打ち込みつつ、暖かな家庭を築いてきたベテラン警官。彼を襲った悲劇を、彼に対する刑事たちの、警官として、そして家庭を持つ人間としての共感を軸に描いた一本。2時間スペシャルからレギュラーに加わった新刑事2名のキャラクターを立たせるべく、各刑事それぞれが事件を追う姿を重層的に描いていますが、なかでもスポットが当たっているのが、“家庭人”というこれまでの特捜に無かったキャラクター性を存分に発揮する時田です。特に、ベテラン警官の子供たちに見せる優しさや、涙もろい人柄などは、(視聴者に受け入れられるかは別にして)人情派刑事としての魅力を十二分に発揮しています。

その一方で、桜井の台詞に象徴される“制服の持つ魔力”というサブテーマも興味深いものがありますが、正直なところ中途半端な印象です。「警官を特権階級のように思っていた」ために採用試験に落ち、警官を恨んでいたという犯人ですが、そうした“誤った認識”を持ったまま職務に当たっている警官も少なくないはず。そうした“危うさ”をもっと描いても良かったと思うのですが、視聴者にとっては冒頭から犯人が警官でないことが明白であり、サブタイトルにある「44000人の容疑者」も、早々に「ある警官か、その警官を襲った何者か」の二択に絞られてしまうという拍子抜け振り。ストーリーとしては違和感なく展開するものの、終わってみれば子供の健気さ以外には特に印象に残らないという平凡な仕上がりでした。

スペシャル 疑惑のXデー・爆破予告1010!

2008年09月16日 22時41分20秒 | Weblog
脚本 長坂秀佳、監督 野田幸男
1985年10月10日放送

【あらすじ】
特命課に送られた謎の予告状「バクハヨコク1010」。神代は、そこから2つの事件のつながりを察知する。1つはラジコン爆弾による連続爆破事件。もう一つは元検事の一人息子の誘拐事件。特命課は、両事件を担当する捜査一課と所轄署の合同捜査会議を開催し、両事件が同一犯人によるものと指摘。「何を証拠に?」と異論を唱える捜査陣に対し、科研の新人女性技官が冷泉教授とともに証拠品を分析した結果を示す。3度の爆破に用いられたラジコンの主要部品の製造ナンバーは、いずれも1010。また、誘拐事件の予告電話の時刻は10時10分、電話ボックスの番号が1010など、両事件に同じ数字が付きまとう。この奇妙な符号を「犯人の警察への挑戦」と見た神代は、捜査一課の犬養清志郎刑事、所轄署の時田伝吉刑事を特命課のメンバーに加え、捜査を開始する。
その矢先、犯人から元検事の後妻を指名した身代金受け渡しのメッセージが届く。指定された山中に車で向かう後妻。特命課が後方から見守るなか、人質の子供を乗せて現れた男は、子供を後妻に渡すと車を交換して走り去る。男の車を追う特命課。だが、橘らが保護しようとした後妻も、犯人と交換した車を走らせる。「奥さん、どうしたんです?」隠しマイクを通じて後妻が答える。「ピストルで脅されています。後部座席にもう一人いたんです」「ついて来るなよ、刑事さん」挑発するような男の言葉に呼びかける橘だが、返事は無い。走り去った車の男は、何も知らない代行運転手だった。採石場に逃げ込んだ車を追うものの、爆破による落石で道を阻まれる。数時間後、ヘリで追った紅林が車を発見するが、中から倒れるように出てきたのは後妻だけだった。
その間、冷泉の分析により、爆破用のラジコンがすべて昭和39年製だと判明。また、用途不明の部品に見えたのは計量スプーンであり、それは爆薬=ニトログリセリンの量を示していた。時を同じくして、犯人から特命課宛に、子供たちの集合写真と合計2キロの計量カップが送られてくる。神代は「次は2キロのニトロで、大勢の子供を殺す」というメッセージだと察知する。
聞き込みの結果、ラジコンを仕掛けた犯人を目撃した少年を見つけ出す犬養と叶。子供の証言によれば、犯人は女だという。一方、紅林や橘、時田らは、これまで犯人が指定した身代金の受け渡し場所が、「ブルームーン」「黄色い部屋」「黒龍」「レッドサン広場」と、いずれも色を示していることに気づく。
さらに、神代は「1010」の謎を解明。それは昭和39年10月10日に起こったある事件を指していた。独身の女性デザイナーが殺され、交際中の子持ちの運転手が容疑者として逮捕された。運転手は容疑を否認したが、次々と不利な証言が現れ、公判で有罪となった末に飛び降り自殺を遂げた。当時、この事件を担当したのが元検事だった。事件が東京オリンピックの開会式の日だと気づく時田。4つの色「青、黄、黒、赤」はオリンピックの五色を現していた。残る「みどり」は、検事の取調べを受けて、父親に不利な証言をした運転手の娘の名だった。「バクハヨコク1010」。それは4日後に迫った10月10日の決行を意味するのか?特命課は21年前の事件を調べ直す。

「犯人と闘うべき刑事が、犯人の言いなりになって過去の事件の粗探しですか?特命課ってのは、そういうところですか?」不満を隠さない犬養に、「刑事というものは、無実の人間を救う義務がある」と諭す神代。「時効でもですか?」と指摘する時田に対し、「これは人間としての誇りの問題だ」と応じる橘。「しかし、10月10日の爆破はどうなるんです?」食い下がる犬養に、「俺たちは何としても爆弾だけは止めなきゃならん。そのために過去の捜査が必要だとすれば、たとえ無駄だろうとやろうじゃないか!」桜井の一喝で、捜査に全力を上げる刑事たち。
犯人と思われた男の声が、演劇の台詞を録音したものだと突き止める叶。では、車内で男に脅されたという後妻の証言は嘘だったのか?後妻を追及する特命課。沈黙する後妻に、特命課が突きつけた新たな事実。それは、彼女が殺された女性デザイナーの隠し子だというものだった。当時、彼女は新しい父、新しい妹を得て、ようやく暖かな家庭を持つことができるはずだった。その矢先、母が殺され、犯人として父となるべき運転手が逮捕された。「私への復讐だったのか?」意外な事実に、愕然とする元検事。特命課は後妻を連行するが、後妻は頑なに沈黙を守る。
そんななか、突然、人質の子供から特命課に電話が入る。「明日までに約束を守らないと、僕もドカンだって」子供の言葉を残し、電話は切れた。それは、後妻にも予想外の事態だった。「どうして?あの人ったら勝手なことを・・・」あの人とは誰か?その答は冷泉が語った。それは成長し、改名した「みどり」、すなわち女性技官だった。「冤罪事件など出さないように」と科研の技官となった彼女は、再審請求を出し続けていた祖母の死を期に、姉になるはずだった後妻とともに復讐を誓ったのだ。消息を絶った女性技官の部屋には「500→1010」と記された神代への手紙が残されていた。
血がつながらないとは言え、ようやく「お母さん」と呼んでくれるようになった子供への母性に苦しむ後妻。そこに女性技官から電話が入る。「子供は無事に返すはずだったじゃない・・・」制止する後妻に「私だって誰も傷つけたくない。でも、判ってほしい、私の恨みを!」母となるべく人を失った悲しみ。自分の証言によって父親を有罪に追い込んだ元検事への怒り。わずか6歳の少女には酷すぎた経験が、彼女を凶行に走らせたのだ。
逆探知で女性技官の居所が名古屋だとつかんだ特命課。「爆弾は5時ジャスト名古屋発、10時10分東京着のハイウェイバスに仕掛けられている」女性技官は特命課の推理を認め「ニトロは時限式、もしくは遠隔操作で爆破できる。バスを止めようとすれば爆破する。東京に到着するまでに真犯人を突き止め、テレビで自白させて」
客を装い、バスに乗り込んだ桜井と犬養が、仕掛けられた爆弾を探す。一方、他の刑事らは捜査に全力を挙げる。橘らは、当時の停電状況から、女性デザイナーの元愛人の「テレビで東京オリンピックの入場式を見ていた」という証言の嘘を見抜く。真犯人は元愛人だった。「あなたに一片の良心でも残っていれば、事件を起こした彼女らの気持ちをわかってやってください」橘の説得に、元愛人は事実を認める。
女性技官からの電話に、その事実を告げ、爆弾を止めるよう呼びかける特命課。だが、電話の向こうではモーツァルトの名曲が響くのみ。それは21年前の事件現場に掛っていた曲だった。「爆弾を止める気はないのか?」焦る紅林を制する橘。「彼女は、信じているんだ。爆弾を特命課が止めることを」冷泉も同意する。「そうですね。彼女は捕まる覚悟です。この曲は彼女の居場所を教えているんですよ」
その頃、バス内では桜井が人質の子供の胴に巻きつけられている爆弾を発見。犬養とともに起爆装置を解除する。子供たちの危機は回避され、特命課は女性技官を逮捕すべく出動した。彼女が覚悟の表情で待つ、モーツァルトの奏でられるコンサートホールへ。

【感想など】
愛を殺し、夢を葬り、心を奪い、人を犯す。都会という名の罪人たち。明日の見えない迷路に落ちた、真実の鍵を探し求めて、愛の光で闇を撃つ。彼ら、特捜最前線・・・『ニュースステーション』の開始に伴い、水曜夜10時から木曜夜9時への枠変更が行われ、新たなスタートを切った我らが『特捜最前線』。大きな節目となる本エピソードは、番組史上初(そして唯一)となる2時間スペシャルとして制作されました。このため、再放送時には2分割で放送されたとのことで、「あらすじ」中の◆の箇所が前後編の区切りです。また、放送順としては436話となりますが、各種資料を見ても通し話数にはカウントされていないため、当ブログでもこれに倣っています。

『必殺シリーズ』や『俺たちは天使だ!』などで知られる渡部篤史演じる時田は、所轄署の叩き上げで子煩悩な家庭人。『高速エスパー』『白獅子仮面』で主役を務めた三ツ木清隆演じる犬養は、若くして捜査一課に務めるエリートながら、二枚目半のちょっとお調子者。新レギュラーの紹介編として、この2名のキャラクター性を立たせるだけでなく、女性技官役の大場久美子、3度目の登場となった冷泉教授(演じるは二谷英明夫人である白川由美)、など豪華なゲスト陣にも活躍の舞台を与え、さらには爆弾、誘拐といった特捜(というか長坂脚本)の象徴的な要素を駆使し、おまけに「1010」の「五輪の色」などお得意のパズル的な仕掛けもふんだんに取り入れつつ、2時間という長さを感じさせないスピーディーな展開は、まさにメインライター長坂氏でなければ書けない娯楽大作と言えるでしょう。
とはいえ、こうした要素やアイディアを惜しげもなくつぎ込む余りに、全体としての整合性に掛けてしまうのも、長坂脚本の悪い面での特徴。今回は特にそれが顕著で、たとえば“科研の詳細な調査”が拡大鏡で部品の製造ナンバーを発見することだったり、法歯学が専門だったはずの冷泉教授がとてもそうは見えない博学ぶりを見せたり、一緒に車で追っていたはずの紅林がヘリにテレポートしたとしか思えなかったり、山道の電話ボックスが異常に違和感のある小道具だったり、些細なことかもしれませんが(後の2つは脚本というよる演出の問題かもしれませんが)、いちいち気になるシーンの連続で、苦笑しながら見ていたというのが正直なところ。何よりおかしいのは、犯人の行動が一貫性と整合性に著しく欠けていること。そもそも、最初から「21年前の事件を調べ直せ」と要求すればよいものを、わざわざ「1010」とか「五輪の色」といった回りくどいヒントを提示する理由が無い。さらに、わざわざ大芝居を打ってまで身代金を手に入れる必要も乏しく、“見せ場ありき”のシナリオづくりの弊害と思わざるを得ません。女性技官のラストの行動も支離滅裂であり、「人を傷つけることを恐れる優しい女性」と「手段を選ばぬ凶悪な復讐鬼」の二面性を描いたつもりかもしれませんが、単にシナリオが破綻しているとしか思えませんでした。

そのほかにも、モーターやエンジン、電話ボックス、高速バスと、すべて「1010」が揃うのも都合が良すぎてリアリティを損ねている、名古屋から東京までバスで移動する園児たちの存在も理解不能など、おかしな所を挙げたらキリがありません。とはいえ、「2時間という長尺でも視聴者を飽きさせない」「新登場のキャラクターを立てる」といった脚本としての命題を存分に果たしているのは、さすがの一言。特に、登場時には特命課に対する反感を露にしていた2人が、捜査を通じて理解と共感を深めていくドラマ性は圧巻でした。
橘の地道な捜査と犯人への情のこもった説得が時田の胸を打ち、桜井の不屈の闘志と子供へのいたわりが犬養の心をつかむ。そして、心ならずも犯罪に手を染めた者への理解と哀れみを胸に秘め、つねに沈着な判断を下す神代課長への信頼感が、二人の胸に育まれていく・・・もちろん、今回のみで二人が特命課に完全に融和したわけではなく、これからの数話は新刑事2人にスポットを当てた話が続きます。おやっさんと吉野という、長年にわたり親しまれてきた二人に変わる存在として、なにかと厳しい視線にさらされる時田と犬養ですが、この二人が、そして新たなメンバーを加えた特命課が、これからどんな魅力を発揮していくか、まずは見守っていきたいと思います。

第435話 特命課・吉野刑事の殉職!

2008年09月11日 21時24分25秒 | Weblog
脚本 竹山洋、監督 三ツ村鐵治
1985年10月2日放送

【あらすじ】
吉野の作文が『警察月報』に掲載された。そこには、東京駅で張り込み中に出会った同郷の男への想いが綴られていた。男は自慢の息子に会うために上京してきたが、乗り換えが分からず困っていた。酔った勢いで「中目黒まで連れて行け!」と叫ぶ男に、乗り換え方法を教えて立ち去った吉野。『傷』という作文のタイトルには、捜査のために、男を送ってやれなかったことを悔いる気持ちが込められていた。
そんななか、警官が刺され、拳銃を奪い去られるという事件が勃発。捜査に乗り出した矢先、吉野に郷里の母親から電話が入る。上京中の父親が、若い女に大金を渡そうとしていると知らされ、驚く吉野。その間にも、犯人は奪った拳銃で強盗を働いた。被害にあったパチンコ屋へ駆けつけた吉野は、野次馬の中に父親と若い女の姿を発見する。
女を父親の愛人だと思い込み、父親を尾行する吉野。だが、父親は女を「お前が東京駅で会った人の娘さんだ」と紹介。奇妙な縁に驚く吉野だったが、女から「父はあの日、死にました」と聞かされ愕然とする。吉野と分かれた後、男は渋谷駅で口論になり、殴られて頭を強打したという。「道を尋ねたつもりが、酔っていたので絡んだように思われたんでしょうね・・・」狭い町のことだけに、父親は男の死を知っており、吉野から送られてきた『警察月報』を読んで驚き、香典を持って訪れたのだという。「・・・なぜ、言ってくれなかったんだよ」「お前を責める言葉しか出てこんような気がしてな」
女は、弟(=男が自慢していた息子)が拳銃を奪い、強盗を働いた犯人ではないかと心配していた。「息子さんが犯人だとしたら、お前にも責任がある。自首させることはできんのか?」内心では激しく自分を責めながらも、と父親の言葉を拒否する吉野。だが、パチンコ屋に弟の写真を見せ犯人だと確認した吉野は、特命課に報告せず、再び女のもとへ。弟からの電話で出かける女に、自分も連れて行くよう迫る吉野。「逮捕したくないんです!」その言葉を信じた女は、吉野とともに弟の隠れる埠頭へ。後には、吉野から拳銃と手錠を託された父親だけが残された。
一方、特命課では吉野が弟の犯行だとつかんだことをつかむ。そこに父親が訪れ、神代は吉野の身が危ないと予測。緊迫した面持ちで出動する刑事たち。
その頃、埠頭では、神代が案じた通り、弟の拳銃が火を吹いていた。肩を撃ち抜かれ、流血しながらも弟を追う吉野。「拳銃を捨てろ!一緒に警察に行くんだ!」吉野の叫ぶも虚しく、スナックに立て篭もる弟。後を追った吉野の脚を、再び銃弾が貫く。
駆けつけた警官隊に包囲させるなか、自棄になって自殺を図る弟に吉野が語りかける。「お前のお父さんは、お前を褒めてた。中学しか行かせてやれなかったのに、でっかい工場の班長になったと、嬉しそうに言ってたぞ。お父さんは、そんな君を励ましに東京まで来たんだぞ」どれだけ真面目に働いていても、中卒というだけで蔑ろにされる日々を、恨みを込めて語る弟。「カッとしても、畜生と思っても、辛抱するしかないんだよ。頑張ってくれよ、なぁ!」
ようやく特命課が現場に到着するなか、吉野の必死の励ましが弟の胸に届いた。泣き崩れる弟を立たせて、朝焼けを見せる吉野。「きれいな朝だ・・・」そのとき、手柄を立てようとでもしたのか、逃げそびれていたスナックのバーテンが背後から弟に襲い掛かる。「やめろ!」はずみで引き金が引かれ、その銃弾が吉野の胸を貫く。スナックから倒れ出る吉野。警官隊を押しのけ、駆け寄る刑事たち。吉野の胸に耳を当てていた神代の表情が固まる。「吉野・・・」泣き崩れる父親。涙にくれる女。そして、刑事たちの頬を涙が伝う。「吉野、吉野!起きろ!起きてくれ!」神代の叫びが、埠頭に虚しく響いた。

【感想など】
第1話から一度の離脱もなく活躍し続けた唯一の男、好感・吉野がついに特命課を去る時が来た。それも、津上に続いく殉職という形で。刑事の交代劇自体が少ないとはいえ、10年にわたる歴史のなかで、(セミレギュラーを除いては)2人しか殉職していないという事実に、やはり『特捜最前線』という番組ならではの独自性を感じずにはいられません。
それはともかく、劇中でも、そして視聴者からも、誰からも愛される存在であった吉野という男の死を前にしては、語るべき言葉もありません。女に惚れっぽい吉野。他人にだまされ易い吉野。自分に対してはことのほか厳しく、他人にも厳しくありながら、限りなく優しい吉野。その優しさを素直に表せない吉野。つねに真っ向から正論を唱え、ときに周囲の刑事たちと衝突する吉野。父への愛憎、血のつながらない母親への感謝の思いを胸に、家族の繋がりを大切にする吉野、人を愛し、人に愛され、人を愛するという気持ちを何よりも大切にしてきた吉野・・・「あの吉野が死んでしまったとは、どうしても思えないんです・・・」ラストで神代課長が涙ながらに漏らした言葉は、まさに私たちの想いそのものであり、今はただ、安らかに眠って欲しいという他はありません。

せめてもの慰めは、これまで意地を張り合い、和解する術も無いかに見えた吉野と父親が、ドラマ中盤になって、ようやく素直に気持ちをぶつけ合うことができたこと。
犯人を自首させるべく、あえて特命課に口をつぐむ吉野に対し、父親はこう言いました。「考えたんだが、やっぱり課長さんに話したほうが・・・」「いや、自首させたいんだ」「そのことで、お前、警察をクビになりゃせんか・・・」息子の将来を案じる父親に、吉野は警察学校時代に、嫌気がさして実家の母親に電話したときの思い出を語ります。電話を奪い取って「バカ」と切った父親だが、不意に上京して吉野に面会すると、二人、喫茶店で1時間も黙ったままだった。「何と言っていいか、わからなかった」「それでも嬉しかったんだ。幸せだった」「そうか・・・」「おれは、彼を父親に会わせてやれなかった。それを、さも気にしたような文章を書いて、恥ずかしい。女々しい感傷だ・・・」
自ら「幸せだった」と振り返る、貴重な父親との思い出。あの日の自分の過ち(父親の言うように、それがすべての原因ではないにせよ)がなければ、男が犯人と会ってさえいれば、犯人が苦しい現実に耐え抜いていたかもしれないという『傷』。そうした想いが吉野を死に追いやったのだとすれば、その運命の皮肉さを、どう嘆いたらよいのでしょうか・・・

冷静に振り返ってみれば、バーテンの行動が意味不明だったりと、ケチの付け所はありますが、「吉野の死」というテーマのもと、吉野の生き様、そして吉野への刑事たちの想いを描くという面では、誠直也氏の希望(殉職編の脚本に竹山氏を希望したのは誠氏本人だったと聞きます)に十二分に応えた脚本であり、演出だったと思います。とくに、ラストシーンは埠頭のシーン以上に涙腺を刺激し、見るたびに心を揺さぶります。
・・・吉野の遺骨とともに、特命課に別れを告げに来た父親。「そんな顔をせんでください。よくやったと、笑って送ってやってください」父親の言葉に、涙眼で応じる神代「私にとっても、一番、手のかかる息子でした。お骨を拾っているとき、ちょっと気が遠くなりかけました。余りに、軽いんで・・・」父親が去った後、悲痛な面持ちで立ち尽くす刑事たち。橘は無言のまま、吉野が飾っていた鉢植えの花を叩き捨てる。「やめてください!」高杉が悲鳴を上げる。「あんな無骨な顔して、何かといえば女に惚れて、花を贈って…あいつは死んじまったのに、花だけはきれいに咲いてやがる。そんなもの、毎日見ていられるか」
刑事たちにとってと同様、演じる俳優陣にとっても、この日が苦楽を共にした“戦友”との別れであり、そんな彼らの本気の哀しみが、画面上からも伝わってくるような気がします。さようなら、吉野竜次。これからの特捜を見続けながら、私たちはつねに、あなたとおやっさんの不在を、心に刺さったトゲのように感じ続けることでしょう。

第434話 悪女からのプレゼント!

2008年09月08日 20時03分29秒 | Weblog
脚本 矢島正雄、監督 辻理
1985年9月25日放送

【あらすじ】
銀行の女子寮で若い行員が自殺を遂げた。「彼女が自殺するはずはない」行員の親友の言葉をもとに捜査を開始する吉野だが、女子寮に出向いたところベテラン行員の女に撃退される。芯の通った女の姿勢に、吉野は惹かれるものを感じた。
その頃、特命課は若い女性に屑ダイヤを売りつけて荒稼ぎするマルチ企業を追っていた。法の網を巧みにかいくぐる手口に、手を出しかねていた特命課は、その資金源を追及。マルチ企業のメインバンクが、自殺した若い行員が勤めていた銀行だと知った吉野は「自殺の原因がマルチ商法に関連しているのでは?」と推測。疑惑を問い質そうと、女にカマを掛けた吉野だが、目の前で泣かれてしまい自己嫌悪に陥る。
吉野は不正融資の証拠をつかむべく、銀行が主催する夏祭りのための阿波踊りの練習に飛び入りで参加。再会した女にお詫びの気持ちを込めて、郷里の父親が送ってきた梨を送ったことをきっかけに、女と接近する吉野。30前の女は「自分には若さがない」と卑下するが、吉野は「貴方は若いし、綺麗だ。これからですよ」と励まし、互いに意識しあうようになる。だが、不正融資の手掛かりがつかめぬことに焦った吉野は、思い余って銀行とマルチ企業との関係を問い質したため、女から別れを告げられる。
そんななか、吉野の父親が九州から予告抜きに上京してくる。それとなく見合いを勧めに来た父親だったが、いつもの通り、意地の張り合いで終わってしまう。
一方、特命課は、女がマルチ企業の社長の情婦だという情報をつかみ、女がマルチ企業と銀行の橋渡しをしているのではないかと睨む。動揺を隠せない吉野は、深夜に女を待ち伏せするが「明日になれば話す」と言った女は、翌日、銀行から姿を消した。支店長にマルチ企業との関係を追及する吉野だが、もちろん何の証拠もなかった。
その間、吉野不在のアパートを女が訪ねてくる。応対した父親の素朴さにほだされた女は、誘われるまま食事を共にし、吉野と父親の仲を気遣う言葉を残して立ち去る。
神代は最後の手段として銀行の本社を動かし、疑惑の支店に対して抜き打ち監査を行う。「貴方の仕業ね」と吉野をなじる女。吉野は改めて行員の自殺の原因を追及するが、女はあっさり「自分がダイヤを売りつけたから」と認め、開き直ったように女性ベテラン行員の悲哀を語る。社長はそんな女に金と結婚をちらつかせ、言葉巧みにマルチ商法に加担させたのだという。
やがて、監査の結果、巨額の不正融資が明らかになるが、本社は「事を荒立てずに処理したい」と支店とマルチ企業の告訴を拒否。その代わりとして、同時に発覚した女の横領を告訴する。「それはマルチ企業の社長に騙されたからだろう!」と憤る吉野だが、マルチ企業の社長は、横領への関わりを否定する。
そして祭りの日、阿波踊りで練り歩く行員の列では、若い行員が人目につく位置に配置され、女を含むベテラン行員たちは目立たぬよう列の中心部に配置されていた。女を連行すべく列に近づく吉野は、見物客の中に父親の姿を発見。女を吉野の恋人と思い込んでいる父親は、帰郷する前に、女の踊る姿を見に来たのだ。横領の事実を告げる吉野に、父親は「踊り終わるまで待ってやればよかろう。そんなこともわからんのか」と叱責する。吉野は女を列の先頭に連れ出し「ここで踊ってくれ。俺の親爺がな、あんたの踊りを見たいと言ってるんだ」と頼む。「あんた、綺麗だよ。他の誰よりも」吉野の言葉に、堂々と列の先頭で踊り続ける女を、父親は満足げに見つめていた。
祭りの後、女はすべてを明かし、マルチ企業を壊滅させることができた。だが、吉野の胸に喜びはなく、深い喪失感だけが残っていた。

【感想など】
失われていく若さを嘆き、周囲の心無い対応に傷つく女心。そこに付け込む卑劣な男もいれば、若さとともに失われぬことのない女性本来の魅力に気づく男もいる。好感・吉野が演じてきた数多くの悲恋ドラマの最後のお相手は、銀行という組織の中で排斥される悲しみを抱えたベテラン女行員でした。「銀行にベテラン女子社員なんていらないの。若くてきれいな女がいればいいのよ」「女なんて年がすべて。職場では、新しく入った若い女ばかりちやほやして、私のようなおばさんには、早く辞めろといわんばかり」30前の女が漏らす本音は、女性ばかりでなく、我々男性の胸にも鋭く突き刺さりますが、正直なところ「だからどうしろと言うの?」という本音も隠せません。

また、こうしたドラマの本筋よりも、次回への伏線として上京してきた吉野の父親の存在感が際立っており、本筋との脈絡の乏しさもあって、どうにも取り留めのない印象が残る一本となっています。母親の名を借りて吉野に梨を送る父親と、父親の名を借りて母親にプレゼントを贈る吉野。似たもの同士の親子の姿が微笑ましいだけに、本筋との乖離が残念に思われてなりません。

父親の存在を抜きにしても、事件の推移とドラマの展開とで時系列が錯綜しているように感じられ、吉野と女の感情の動きが把握しづらいことが気になりました。脚本の問題なのか、演出の問題なのか、それとも両方に問題があるのか、いずれにしても、一気に見てしまった次回の吉野殉職編の印象が強く、あえて深く考察する気力もありません。ただ、一つはっきりしているのは、あらすじで省略した(と言うより抹殺した)被害者の親友の拙すぎる演技がすべてを台無しにしていること。ストーリー的にもあまり意味のない人物なので、編集時にばっさりと消せなかったものかと(もちろん無理だと判っていますが)思ってしまいます。

第433話 モーニング・コールの証明!

2008年09月05日 01時47分03秒 | Weblog
脚本 押川國秋、監督 宮越澄
1985年9月18日放送

【あらすじ】
ある日、特命課に富山県の女性から手紙が届いた。そこには、東京に単身赴任した夫の窮地を救って欲しいとの願いがしたためられてあった。一年前、酒場の女店主が自宅マンションで絞殺された事件で、夫は容疑者として逮捕された。検察が証拠不十分のため処分保留とし、夫は釈放されものの、一年経った今でも被疑者のままであり、世間の目は厳しかった。
再捜査に乗り出した特命課は、職を失って酒浸りの日々を送る夫や、事件を担当した所轄署に事情を聞く。被害者の店は「望郷酒場」と呼ばれる単身赴任者の溜まり場で、夫は酒も飲めないのに酒場に通い、閉店後に被害者を自宅まで車で送り届ける仲だった。事件当夜も車で送っており、マンションの管理人は、夫に背格好が似た男が、深夜に被害者と一緒にマンションに入り、早朝になって出て行く姿を目撃していた。
しかし、夫の証言では、被害者を送るのはアルバイトであり、犯行当日はマンションから1キロも前で被害者を降ろし、犯行時刻にはアパートにいたという。夫のアリバイを証明するのは、故郷の妻からのモーニング・コールと、パトカーらしきサイレンで目を覚ましたという自身の証言だけ。だが、所轄署が調べたところ、事件当日、パトカー類がアパート付近を走ったという事実はなかった。
紅林らは、夫が被害者を降ろした付近で聞き込みを開始。コンビニの防犯用カメラにたまたま残っていた事件当夜の映像から、被害者が買い物をしている姿を確認する。管理人が目撃した男が待っていたようだが、顔は判別できなかった。
そんななか、所轄署は「新たな証拠を発見した」と、夫を再逮捕。逮捕した窃盗犯が所有していた写真の中から、事件当日の早朝、現場近くを走る電車に夫が乗っている姿を発見したのだ。写真の日付は確かにものだったが、紅林は電車内の中吊り広告から、その日付が一日ずれていたことを立証。さらに、夫の聞いたサイレンが、隣室の子供の持つおもちゃのパトカーのものだと判明し、夫の無実は立証される。
一方、桜井は被害者が過去に子供を産み、養子に出していたことを調べ上げる。子供の父親は、望郷酒場の常連の一人だった。養子に出した我が子の姿を、陰から見つめる父親を逮捕する特命課。被害者は、自分の都合で子供を養子に出しながら、前夫との離婚が成立するや、事情を知らない子供や養父母の気持ちも顧みず「子供を取り戻す」と言い出したという。父親はそれが許せず、口論の末に殺害したのだ。
「故郷の奥さんやお子さんが可愛そう・・・」富山から上京してきた妻の涙は、夫の無実を喜ぶものか、それとも、真犯人として逮捕された父親とその家族を哀れんでのものか、紅林にはどちらとも分からなかった。

【感想など】
「処分保留」という宙ぶらりんの状態のまま、殺人犯の汚名を着せられた男の悲劇を、妻子との触れ合いのなかに描いた一本。特命課の捜査によって新たな証拠が次々と(それもあっさりと)見つかる展開に、特命課の有能ぶりよりも、所轄署の無能かつ強引な捜査が際立つばかりで、「こんな杜撰な捜査で冤罪が生み出されているのか・・・」と薄ら寒い思いがしました。
夫役の河原崎次郎氏と父親役の北条清嗣氏、いずれも孤独な単身赴任者(第431話に続いて単身赴任者がドラマの中心というのは、よほど当時の社会が単身赴任を問題視していたのでしょうか?)を演じたゲスト俳優陣の好演はともかく、起伏に欠ける割に唐突なドラマ展開には見るべきものがなく、長々と感想を書くほどのこともありません。