脚本 山田隆司、監督 松尾昭典
1985年10月31日放送
【あらすじ】
老人を狙った詐欺まがい商法が社会問題となり、捜査に乗り出す特命課。渦中の社長にマスコミが殺到するなか、桜井と犬養は心ならずも社長の警護役を務める。社長のマンションに押し掛けた被害者たちを制止した桜井は、老人の中に一人だけ混ざっていた若い女に目を止める。女のバッグから刃物を見つけ、問い詰める桜井。その背後で銃声が響く。負傷した社長をかばう犬養に、被害者集団のリーダー格の男が拳銃を向ける。咄嗟に銃を抜き、男を撃つ桜井。「どうして撃つの!あの人は被害者なのよ!」女の悲鳴が響いた。
査問会の呼び出しを無視し、女を追う桜井。女の父親は元受刑者で、出所後は靴の修理屋を営んでいたが、なけなしの貯金を騙し取られた挙句に自殺。父親の過去をマスコミが暴いたため、女は婚約者と破談となっていた。女の持っていた刃物は、父親の愛用していた靴の修理道具だった。女は父親の復讐のために、社長の命を狙っていたのか?
査問委員会で「問題無し」とされたものの、世間の同情は撃たれた男に集まる。軽傷ですんだ社長のガードを続ける桜井だが、マスコミや被害者の非難はむしろ桜井に集中する。犬養は「桜井さんを警備から外してあげてください」と神代に直訴するが、「でしゃばった真似は許さんぞ」と桜井に一喝される。一方、桜井が撃った男は被害者ではなかったことが判明。男は、社長とつながっていた暴力団が、口封じのために雇ったヒットマンだった。
その後も社長の身辺をうろつく女を、徹底的に遮る桜井。女は「私は父の位牌に謝って欲しいだけ!」と言い訳し、犬養も「私には、彼女が人殺しを企むとは思えません」と反論する。だが、女の殺意を確信する桜井は、女の元婚約者を訪ね「今でも彼女を愛しているなら、彼女を止めてくれ」と依頼する。女は元婚約者を巻き込んだ桜井を憎み「あなたは鬼です!」と罵り、平手打ちを浴びせる。「暴行罪で逮捕する」と手錠を出す桜井に犬養の拳が飛んだ。「もう我慢できません。いくら桜井さんでも横暴すぎますよ!」と女を連れ去る犬養。「同じ刑事としてお詫びします」と頭を下げる犬養に、「桜井刑事に会うまで、私は刑事を尊敬してたんです」と語る女。服役中の父親を勇気づけ、更正させたのは、父親を逮捕した刑事だったという。
特命課に戻った犬養は、父親を更正させた刑事と比較して「桜井さんのやり方にはついていけません」と桜井を非難する。「お前の目は節穴か!」と一喝する橘。父親を逮捕した刑事こそ、若き日の桜井だったのだ。その頃、社長はガードしていた桜井を昏倒させ、海外逃亡を図って逃走する。社長を追って空港へ向かう女。桜井や犬養も空港へ急行する。女が社長めがけて振りかざしたナイフを、身体で受け止める桜井。「貴方を恨みます!」憎悪の目を向ける女をよそに、桜井は社長を殴り飛ばして司直の手に引き渡す。特命課に連行された女は、神代や橘に真実を聞かされる。「ああ見えても、桜井が一番、君のことを考えていたんだ」橘の言葉に、女はようやく桜井の真心を知るのだった。
事件解決した後、桜井は一人、父親の仕事場を訪れる。「すまん、俺にはあれが精一杯だった」と、女に傷害の罪を負わせてしまったことを詫びる桜井の前で、父親の小さな仕事場は取り壊されていった。
【感想など】
美しくもなければ狙撃もしない女の身勝手極まりない物言いが不愉快極まりない一本(今回のサブタイトルをつけたのが誰かは知りませんが、とにかく「狙撃」の意味を辞書で引け、と言いたい)。何が不快かと言って、不幸慣れした女の偏りすぎたモノの見方がとにかく不快。序盤で桜井が男を撃った際に「何で撃つの!被害者なのに!」と凄い顔で叫んでいましたが、この女の頭の中では「被害者には加害者を撃つ権利がある」という理屈でもあるのでしょうか?この男を「親切で良い人です!」とかばっておきながら、いざヒットマンだと判明すると「私たちを騙していたのね!」と一転して非難に回るように、他人に対する評価が極端から極端へと走るのが、この手の女にありがちな傾向です。父親に対する態度も同様であり、憎んで憎み続けていいたはずの父親が、あっという間に「父の仇を討つために人殺しも辞さない」ほどの思慕の対象になってしまうあたり、「軽薄」と言われてもしょうがありません。
つい“この手の女”と書いてしまいましたが、ちょっと親切にされたら根拠もなく「良い人」と信じ込み、騙されたり、利用されたりしたら「人でなし」と罵るような、判断力に欠ける人は、女性に限らず意外と多いもの。典型的なのが被害者の老人で、ニュースを見て駆けつけた息子夫婦に「どうしてあんな会社に騙されたの?」と問われ、「お前たちよりは優しかったからじゃ」と答え「お前たちは、ワシのために何をしてくれた。朝飯を作ってくれたか?肩をもんでくれたか?布団を干してくれたか?風呂で背中を流してくれたか?」と憤る姿は、言っては悪いですが、八つ当たりとしか思えません。息子夫婦ですらそうなのに、何の縁も無い他人がそこまで親切にしてくれることなど“あり得ない”ことは子供でも判る常識。赤の他人を信じて、欲に駆られて金を託した本人の責任でしかなく、(もちろん、詐欺師が悪いのは当然として)息子夫婦を恨むくらいなら、自分の判断の甘さを反省して欲しいものです。
こんな年寄りのたわごとに「お年寄りの一人暮らしは死ぬほど寂しいんですよね・・・」と涙ぐむ女も、また愚かです。孤独を癒したいのであれば、誰かにとって「一緒にいたい」「側にいたい」と思わせるだけの存在になるよう努力するしかないのです。そんな努力も放棄し、孤独という不幸に逃げ込む老人は、「私、人から傷つけられることに慣れてるんです」などとほざいて「不幸な自分」に酔いしれる女と同類であり、まさに“同病相哀れむ”というほかありません。自分を孤独な状況に追い込んでいるのは自分であり、自分を傷つけているのも自分でしかない。そこに気がつかない限り、この女や老人たちは、何度も同じ過ちを繰り返すことでしょう。おそらく、この女は今頃「桜井さんって、なんて優しい人」などと激しく思い込み、桜井が閉口するような熱烈な手紙などをよこすことでしょう。おお嫌だ。
脚本の良し悪しを抜きにして、個人的な感情のままに罵詈雑言をぶちまけてしまいましたが、普通に見れば(ありきたりではあっても)まずまず楽しめる一本ではないでしょうか。2週続いた時田メインに続いて、今回はもう一人の新メンバーである犬養にスポットが当たっていますが、残念ながら桜井の引き立て役でしかありません。また、これもごく個人的な感想になりますが、桜井の真意を知った犬養の態度も、他の刑事たちに比べて浅はかな印象が残ります。たとえば、名作「シャムスンと呼ばれた女!」では、紅林が桜井と対立しましたが、桜井の真意(というか覚悟)を知ってなお、紅林は桜井のやり方に賛同したわけではなく「反対ではあるが、そこまでの覚悟を持っているなら認めざるを得ない」というスタンスが見て取れます。その当たり、「桜井さんは桜井さん、自分は自分」という揺ぎない自己が確立されており、好感が持てます。
他人同士が全く同じ考えや意見を持つことなどあり得ないわけですから、他人のすべてを肯定することなどナンセンスであり、同様に、すべてを否定することも無理があります。にもかかわらず、“全肯定と全否定のどちらしかない”という極端な結論に飛びつくのは、私が毛嫌いする女や被害者の意識と同様であり、思考停止とでも言うべき恥ずべき行為だということを強く訴えておきたい今日この頃です。
余談ですが、高齢者を狙った詐欺まがい商法は、先日の434話「悪女からのプレゼント」でも取り上げられていました。当時の社会問題だったのだろうかと調べてみると、ちょうどこの頃、豊田商事事件が世間を騒がせていました(会長が自称右翼に刺されたのが85年6月)。私もすっかり忘れていたくらいですから、今の若い視聴者にとっては「何それ?」でしょう。今も同様の手口で犯罪を繰り返すものが絶えないのは、事件が時とともに風化するからでもあるでしょうが、それ以上に、うまい話に騙されてしまう被害者が絶えないからなのでしょう。
1985年10月31日放送
【あらすじ】
老人を狙った詐欺まがい商法が社会問題となり、捜査に乗り出す特命課。渦中の社長にマスコミが殺到するなか、桜井と犬養は心ならずも社長の警護役を務める。社長のマンションに押し掛けた被害者たちを制止した桜井は、老人の中に一人だけ混ざっていた若い女に目を止める。女のバッグから刃物を見つけ、問い詰める桜井。その背後で銃声が響く。負傷した社長をかばう犬養に、被害者集団のリーダー格の男が拳銃を向ける。咄嗟に銃を抜き、男を撃つ桜井。「どうして撃つの!あの人は被害者なのよ!」女の悲鳴が響いた。
査問会の呼び出しを無視し、女を追う桜井。女の父親は元受刑者で、出所後は靴の修理屋を営んでいたが、なけなしの貯金を騙し取られた挙句に自殺。父親の過去をマスコミが暴いたため、女は婚約者と破談となっていた。女の持っていた刃物は、父親の愛用していた靴の修理道具だった。女は父親の復讐のために、社長の命を狙っていたのか?
査問委員会で「問題無し」とされたものの、世間の同情は撃たれた男に集まる。軽傷ですんだ社長のガードを続ける桜井だが、マスコミや被害者の非難はむしろ桜井に集中する。犬養は「桜井さんを警備から外してあげてください」と神代に直訴するが、「でしゃばった真似は許さんぞ」と桜井に一喝される。一方、桜井が撃った男は被害者ではなかったことが判明。男は、社長とつながっていた暴力団が、口封じのために雇ったヒットマンだった。
その後も社長の身辺をうろつく女を、徹底的に遮る桜井。女は「私は父の位牌に謝って欲しいだけ!」と言い訳し、犬養も「私には、彼女が人殺しを企むとは思えません」と反論する。だが、女の殺意を確信する桜井は、女の元婚約者を訪ね「今でも彼女を愛しているなら、彼女を止めてくれ」と依頼する。女は元婚約者を巻き込んだ桜井を憎み「あなたは鬼です!」と罵り、平手打ちを浴びせる。「暴行罪で逮捕する」と手錠を出す桜井に犬養の拳が飛んだ。「もう我慢できません。いくら桜井さんでも横暴すぎますよ!」と女を連れ去る犬養。「同じ刑事としてお詫びします」と頭を下げる犬養に、「桜井刑事に会うまで、私は刑事を尊敬してたんです」と語る女。服役中の父親を勇気づけ、更正させたのは、父親を逮捕した刑事だったという。
特命課に戻った犬養は、父親を更正させた刑事と比較して「桜井さんのやり方にはついていけません」と桜井を非難する。「お前の目は節穴か!」と一喝する橘。父親を逮捕した刑事こそ、若き日の桜井だったのだ。その頃、社長はガードしていた桜井を昏倒させ、海外逃亡を図って逃走する。社長を追って空港へ向かう女。桜井や犬養も空港へ急行する。女が社長めがけて振りかざしたナイフを、身体で受け止める桜井。「貴方を恨みます!」憎悪の目を向ける女をよそに、桜井は社長を殴り飛ばして司直の手に引き渡す。特命課に連行された女は、神代や橘に真実を聞かされる。「ああ見えても、桜井が一番、君のことを考えていたんだ」橘の言葉に、女はようやく桜井の真心を知るのだった。
事件解決した後、桜井は一人、父親の仕事場を訪れる。「すまん、俺にはあれが精一杯だった」と、女に傷害の罪を負わせてしまったことを詫びる桜井の前で、父親の小さな仕事場は取り壊されていった。
【感想など】
美しくもなければ狙撃もしない女の身勝手極まりない物言いが不愉快極まりない一本(今回のサブタイトルをつけたのが誰かは知りませんが、とにかく「狙撃」の意味を辞書で引け、と言いたい)。何が不快かと言って、不幸慣れした女の偏りすぎたモノの見方がとにかく不快。序盤で桜井が男を撃った際に「何で撃つの!被害者なのに!」と凄い顔で叫んでいましたが、この女の頭の中では「被害者には加害者を撃つ権利がある」という理屈でもあるのでしょうか?この男を「親切で良い人です!」とかばっておきながら、いざヒットマンだと判明すると「私たちを騙していたのね!」と一転して非難に回るように、他人に対する評価が極端から極端へと走るのが、この手の女にありがちな傾向です。父親に対する態度も同様であり、憎んで憎み続けていいたはずの父親が、あっという間に「父の仇を討つために人殺しも辞さない」ほどの思慕の対象になってしまうあたり、「軽薄」と言われてもしょうがありません。
つい“この手の女”と書いてしまいましたが、ちょっと親切にされたら根拠もなく「良い人」と信じ込み、騙されたり、利用されたりしたら「人でなし」と罵るような、判断力に欠ける人は、女性に限らず意外と多いもの。典型的なのが被害者の老人で、ニュースを見て駆けつけた息子夫婦に「どうしてあんな会社に騙されたの?」と問われ、「お前たちよりは優しかったからじゃ」と答え「お前たちは、ワシのために何をしてくれた。朝飯を作ってくれたか?肩をもんでくれたか?布団を干してくれたか?風呂で背中を流してくれたか?」と憤る姿は、言っては悪いですが、八つ当たりとしか思えません。息子夫婦ですらそうなのに、何の縁も無い他人がそこまで親切にしてくれることなど“あり得ない”ことは子供でも判る常識。赤の他人を信じて、欲に駆られて金を託した本人の責任でしかなく、(もちろん、詐欺師が悪いのは当然として)息子夫婦を恨むくらいなら、自分の判断の甘さを反省して欲しいものです。
こんな年寄りのたわごとに「お年寄りの一人暮らしは死ぬほど寂しいんですよね・・・」と涙ぐむ女も、また愚かです。孤独を癒したいのであれば、誰かにとって「一緒にいたい」「側にいたい」と思わせるだけの存在になるよう努力するしかないのです。そんな努力も放棄し、孤独という不幸に逃げ込む老人は、「私、人から傷つけられることに慣れてるんです」などとほざいて「不幸な自分」に酔いしれる女と同類であり、まさに“同病相哀れむ”というほかありません。自分を孤独な状況に追い込んでいるのは自分であり、自分を傷つけているのも自分でしかない。そこに気がつかない限り、この女や老人たちは、何度も同じ過ちを繰り返すことでしょう。おそらく、この女は今頃「桜井さんって、なんて優しい人」などと激しく思い込み、桜井が閉口するような熱烈な手紙などをよこすことでしょう。おお嫌だ。
脚本の良し悪しを抜きにして、個人的な感情のままに罵詈雑言をぶちまけてしまいましたが、普通に見れば(ありきたりではあっても)まずまず楽しめる一本ではないでしょうか。2週続いた時田メインに続いて、今回はもう一人の新メンバーである犬養にスポットが当たっていますが、残念ながら桜井の引き立て役でしかありません。また、これもごく個人的な感想になりますが、桜井の真意を知った犬養の態度も、他の刑事たちに比べて浅はかな印象が残ります。たとえば、名作「シャムスンと呼ばれた女!」では、紅林が桜井と対立しましたが、桜井の真意(というか覚悟)を知ってなお、紅林は桜井のやり方に賛同したわけではなく「反対ではあるが、そこまでの覚悟を持っているなら認めざるを得ない」というスタンスが見て取れます。その当たり、「桜井さんは桜井さん、自分は自分」という揺ぎない自己が確立されており、好感が持てます。
他人同士が全く同じ考えや意見を持つことなどあり得ないわけですから、他人のすべてを肯定することなどナンセンスであり、同様に、すべてを否定することも無理があります。にもかかわらず、“全肯定と全否定のどちらしかない”という極端な結論に飛びつくのは、私が毛嫌いする女や被害者の意識と同様であり、思考停止とでも言うべき恥ずべき行為だということを強く訴えておきたい今日この頃です。
余談ですが、高齢者を狙った詐欺まがい商法は、先日の434話「悪女からのプレゼント」でも取り上げられていました。当時の社会問題だったのだろうかと調べてみると、ちょうどこの頃、豊田商事事件が世間を騒がせていました(会長が自称右翼に刺されたのが85年6月)。私もすっかり忘れていたくらいですから、今の若い視聴者にとっては「何それ?」でしょう。今も同様の手口で犯罪を繰り返すものが絶えないのは、事件が時とともに風化するからでもあるでしょうが、それ以上に、うまい話に騙されてしまう被害者が絶えないからなのでしょう。