特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第409話 ベッドタウン殺人事件の死角!

2008年05月30日 21時46分13秒 | Weblog
脚本 宮下隼一、監督 天野利彦
1985年4月3日放送

【あらすじ】
叶が住む団地のゴミ捨て場に捨てられていた冷蔵庫から、15歳の少女の死体が発見された。死因は窒息死であり、第一発見者である廃品回収の老人より前に、誰かが気づいてさえいれば助かったかもしれない。自分もまた、被害者を死なせた無関心な隣人の一人だと痛感しつつ、捜査に加わる叶。
死体に巻かれていたマフラーのイニシャルは、被害者のものではなかった。被害者の両親は、「2ヶ月前から人が変わったようになり、会話も途絶えていた」と嘆き、心当たりは無いという。被害者の親友である少女の証言や解剖結果から、被害者が覚醒剤や売春を繰り返していたことが判明する。
捜査を続けるなかで、団地に移り住んできた人々と、土地の人々との対立を感じ取る叶。駅前で無法駐輪の自転車を整理している廃品回収の老人と再会した叶は、「同じ街に住んでいるという意識がないんですな」と嘆息する老人の言葉に、対立の根を察する。そんななか、被害者の両親は、周囲の風評に耐え切れず団地を去る。親友の死を茶化すような少女の姿に、叶は思わずその頬を張る。その際、叶が落とした被害者の死体の写真を見て、少女の顔色が変わった。少女は何かを知っているのか?
一方、桜井は被害者の売春客の一人が、吹っかけられた腹いせに被害者の鞄を持ち去っていたことを掴む。鞄の中から見つかった2ヶ月前の新聞記事。それは、被害者と同じ学校の女生徒が、万引きと疑われたことを苦に自殺したことを報じていた。女生徒のイニシャルがマフラーのものと同じだと気づいた叶は、自殺の背景を調べる。女生徒は土地育ちの優等生で、万引きを否定していた。女生徒を万引き犯と断言した店員は、顔を見たわけでなく、決め手となったのはマフラーだったという。
ショックで倒れた女生徒の母親を訪ねる叶。被害者の死体に巻かれていたマフラーは、やはり女生徒のものだった。女生徒は制服を切り裂かれるなどの嫌がらせに遭っていたが、誰の仕業か語らなかったという。女生徒に嫌がらせをし、万引きの罪を着せたのは、被害者と少女ではないかと推測する叶。団地で少女を待ち受け事情を聞こうとする叶だが、逃げ出した少女が何者かに襲われ、負傷する。団地の窓に「救急車を呼んでくれ!」と叫ぶ叶だが、誰も応えようとしない。慄然としながらも、犯人の落としていった手拭いに気づく叶。それは、廃品回収の老人のものだった。素直に連行に応じる老人だが、事件については沈黙する。
少女に女生徒の遺体の写真を見せる叶。「眼を逸らさず見ろ!これが君たちのしたことだ!」「ただ嫌がらせをしただけよ!」と開き直る少女。そのきっかけは、少女と被害者が、花壇の花を掘り返していたのを女生徒に咎められ「あなたたち団地の子ね。あんな所に住んでいるから、花の気持ちが分からないのよ」となじられたためだった。その花壇は、老人が育てていたもので、女生徒は老人に「私の一言で、あの子たちを逆上させてしまった」と詫び、花壇の世話を手伝うようになったという。女生徒が命を絶った後、被害者がマフラーを捨てるのを目撃した老人は、すべての事情を察し、懲らしめるために冷蔵庫に閉じ込めた。「殺すつもりはなかった。ただ、彼女が万引きなどしてないことを証明して欲しかった。だが、ワシが自分で開けるまで、誰一人気づこうとはしなかった」そんな老人に、叶は語る。女生徒が身を投げた川に、被害者が花を供え続けていたこと。そして、自分の身体を傷つけることしか償う術を知らず、覚せい剤や売春に走ったことを。「私たちは人殺しだ、死にたい」とひたすら贖罪の言葉が綴られた被害者の日記に、老人は突っ伏し、涙をこぼした。
「3年もあの街に住んでいながら、自分は何一つあの街を知ろうとしなかった」と自分を責める叶に、「みんな同じ人間なんだ。大丈夫、きっかけさえつかめばね」と語る船村。その日、団地に帰った叶が見たものは、女生徒に花を手向ける少女や、被害者の発見されたゴミ捨て場に花を供える団地の人々の姿だった。そのとき交わした挨拶が、船村のいう「きっかけ」となることを信じ、叶は笑顔で団地を見上げた。

【感想など】
コンクリートの箱に囲まれた団地暮らしのなかで、希薄になっていく人間関係が生み出した悲劇を描いた一本。悲劇の主が、わずか15歳の少女たちだということが、余計にやり切れなさを掻きたてます。田舎育ちの私には、団地の人々と地元の人々との軋轢は正直言ってピンときません。団地暮らしが人間性を損なわせるという論旨も、少し決め付けが過ぎるような気もしますが、ここで言う「団地」とは、生まれ育った土地を離れて都会に移住してきた人々、すなわち地縁とは無関係に生きていく他ない人々の象徴でしょう。
地域のつながりを失った人々の「無関心の怖さ」というものが、ある種の社会問題として囁かれ始めた時期だったのでしょうが、そうした社会的なテーマ以上に、深く胸をえぐるのが、ドラマを通じて描かれる「他人と分かり合うこと」そして「人を許すこと」の難しさです。個人的には、陰湿な嫌がらせを重ね、女生徒を自殺に追い込んだ少女や被害者を許すことはできません(自殺を選んだ女生徒に対しても、「なぜ死んだのか?それが最も母親を悲しませることだと気づけなかったのか?」と言いたくなりますが、それは別の話として、ここでは深く触れません)。のうのうと生き延びた少女が幸福になるのは、何だか理不尽のように思えますし、被害者に対しても、あまり同情の気持ちは湧いてきません。ただ、自分の身体を汚すことでしか贖罪の気持ちを表すことができない15歳ならではの未熟さに、言い知れぬ哀れみとやり切れなさを感じるのです。
なぜ、女生徒の母親に土下座し、万引きが濡れ衣だと告白しなかったのか?それ以前に、女生徒になじられた際、なぜ「花を掘り返したのが、殺風景な団地に花壇を作りたかったから」と言えなかったのか?彼女たちも、望んで団地暮らしをしていたわけではない。神代課長の言うように、団地暮らしに心の渇きを覚え、言葉にならない悲鳴を上げていたことを、なぜ土地の子である女生徒にも分かってもらおうとしなかったのか?立場の異なる者同士が、互いを理解するのがいかに難しいことか、分からないではありません。大人同士が軋轢を解消できないなかで、15歳の少女にそれを望むのは酷かもしれませんが、だからと言って被害者と少女の行為が許し難いことに変わりはありません。
しかし、叶や老人は、被害者(そして少女)が罪の意識を感じていたというだけで、その罪を許します。私にはとてもできないことですが、被害者や少女を憎み続けたところで、誰も幸せになれないのも確かです。ラストシーンに垣間見えた希望に、空々しさを感じないでもない私ではありますが、そこにかすかな望みを掛けないことには、この社会に明るい未来は無いのかもしれません。陰惨なドラマのラストに、せめてもの明るさを示した脚本家の姿勢に敬意を表するためにも、少女や被害者の罪を許そうという気持ちを持ちたいものだと思います(許せるかどうかは自信がありませんが・・・)。

第408話 幻の女Ⅱ・妻という名の青い鳥!

2008年05月30日 01時10分33秒 | Weblog
脚本 阿井文瓶、監督 辻理
1985年3月27日放送

【あらすじ】
「ベルギー人女性と暮らす男が自殺したはずの商社マンなのか、その目で確かめて欲しい」と妻に依頼する桜井。「夫を警察に売り渡せというんですか?」と一度は拒否する妻だったが、一目でも夫に会いたいと思いから、桜井の申し出を引き受ける。
観光客を装い、桜井とともに男のもとを訪ねる妻。互いの姿を認め、顔色を変える男と妻。だが、妻は「夫ではない」と桜井に告げ、「これで諦めがついた。日本に戻ります」と語る。日本への土産にと、男が作るチーズを買い求める妻。互いに他人を装ったまま、短い会話を交わす二人。「私、以前はチーズが食べられませんでした。でも、チーズが好きだった人が死んでから、その人を偲んで食べているうちに好きになっていました」「僕も、日本にいる頃、漬物が食べられなかった。それが、ここに永住しようと決めてから無性に食べたくなり、今も自分で漬けています。もっとも、昔、僕のために漬けてくれた人のものとは、味も風味も劣っているでしょうが・・・」何かを察したベルギー人女性が妻を送る。「私は幸せです。でも、いつかは貴方のような人が訪ねてくると思っていました」女性の思いを受け止めながら、「私はただの旅行者です」と答える妻。そんな姿に、桜井は男が商社マンだと確信しつつも、何も言うことができなかった。
一方、神代は日本に残った吉野らに、商社マンのかつての上司を調べさせる。上司は商社マンの恩人であり、投機に失敗して60億円の欠損を出したと噂されていた。神代は、4年前の横領事件は、商社マンが上司の欠損を穴埋めするためにしたことではないかと推理していたのだ。
再び単身で男のもとに向かった桜井は、娘の存在と、妻が娘とともに日本に戻ることを告げる。妻が日本に旅立つ日、物陰から娘を見つめる男を発見する桜井。桜井に背中を押され、妻と娘のもとに歩み寄る男。無垢な笑顔を向ける娘を、男、すなわち商社マンは思わず抱きしめる。「あなた、早く逃げて」同僚から託されたメモを手渡し、商社マンを逃す妻。桜井は妻に阻まれ、逃走を許してしまう。
同じ頃、日本では吉野らが商社マンの横領や自殺を上司に報告したのが元同僚だったことを突き止める。元同僚は現在も多額の借金を抱え、宝石の闇取引のためにベルギーに来ているらしい。神代の監禁現場に落ちていたタバコ、故買商殺しの現場に落ちていた毛髪など、すべての証拠は元同僚の犯行を物語っていた。元同僚は、故買商殺しの罪を商社マンに押し付けることを思い立ち、その行方を探すべく妻を尾行していた。そこで神代らの存在に気づき、利用するために拉致したのだ。元同僚の狙いは、商社マンを再び自殺に見せかけ殺すことに違いない。
カーニバルの人込みに紛れて、同僚と落ち合う商社マン。同僚の手に光るナイフが商社マンを襲う。危ういところを桜井らが駆けつけ、同僚は逮捕される。同僚とともに連行されていく商社マンに、娘を抱いた妻が語りかける。「日本に恋人がいるの。この娘はその人の子供です」妻の言葉に、商社マンは「幸せなんだね」と呟くように応えた。
日本へと発つ妻に、桜井が搾り出すように言葉を掛ける。「なぜ、あんな嘘をついたんです」「私は、この国にとっても、あの人にとっても旅人に過ぎなかったんです。青い鳥は自分の近くにいると知っていても、一度は遠くまで探しに行くものなんですね。この娘が側にいれば、私は生きていけます」強い決意を胸に、日本へと戻る妻。その姿を見送る桜井に、神代が語る。「これでいいんだ。彼は日本の法律によって裁かれ、一人の日本人として、大地に根を下ろして生きていくだろう」

【感想など】
ベルギーロケの完結編。これまでの経験から、出張モノというだけで期待していなかった私ですが、前後編ともなかなかの仕上がりでした。前編では、神代が拉致されると前代未聞の危機を軸としたサスペンスフルな展開でしたが、後編では、「祖国とは何か」という骨太なテーマをもとに夫婦の愛情が細やかに描かれており、それぞれ特色ある展開が楽しめました。情緒豊かなベルギーの風景とあいまって、胸を打つ台詞やシーン(特に、互いに他人を装って交わしたチーズや漬物の会話は秀逸!)が満載の佳作と言えるでしょう。(周到に見えて行き当たりばったりな同僚の犯行や、ラストではお決まりのお祭りシーンなど、やや興ざめするシーンもありましたが・・・)

一番の語りどころは、中康次氏(ダイレンジャーの導師嘉挧役で有名)演じる商社マンの素性を軸に語られる「祖国のあり方」でしょう。3歳から18歳までをベルギーで過ごしたため、日本に恋焦がれながらも、なかなか日本の社会に馴染めなかった商社マン。彼は日本に焦がれるあまり、生粋の日本人以上に義理人情にこだわり、かつての恩人や同僚のために罪を被ろうとした。それが、本当の日本人になることだと思っていたから。しかし、その行為がもたらしたのは、ベルギー人でなければ日本人でもなく、どこにも属することない根無し草としてさ迷うことでしかありませんでした。
「4年前の彼の自殺は、偽装でもなんでもなく、今までの自分を消してしまうことだったのかもしれません」と妻が語るように、彼は日本人として生きることを諦め、ベルギーで新たな暮らしを始めようとしていた。しかし、それで本当に良かったのでしょうか?桜井は「否」と答えます。「人は、どこかに属さなければ生きていけない。身分や国籍の話じゃない。魂なんだ。魂の帰るところ、属するところのない人間は、幽霊のようなものなんだ!」たとえベルギーで生きていくにせよ、過去を偽り、桜井の言う幽霊のような人間として生きていくことで、本当の幸せはつかめない。だからこそ、桜井は「そっとしてあげて欲しい」という妻の願いを振り切って、商社マンを逮捕したのです。逮捕することが、商社マンにとって自分が日本人だという自覚を取り戻させることになる。その自覚を持った上で、日本人としてベルギーで生きていけばいい。それが桜井や神代の出した答えだったのでしょう。

その一方で、「妻という名の青い鳥」というタイトルはなかなか秀逸ですが、劇中ではやや説明不足というか、意味が混乱しているような気もします。ラストの妻の台詞からすれば、青い鳥を探した旅人は妻であり、妻が求めた青い鳥=幸せとは、子供と二人での暮らしだったということになります。しかし父親の無い子を一人で育てていくことが妻にとっての幸せだとすれば、あまりに自己犠牲が過ぎます。
タイトルの真意を深読みすれば、商社マンもまた旅人であり、彼が探し求め、日本では得ることのできなかった青い鳥=幸せをもたらすのが「妻」だったという意味ではないでしょうか。ここで言う「妻」とは、これからの彼を支えるベルギー人女性ではなく、彼の幸せを祈って嘘までつき、一人で娘を育てるという厳しい道を選んだ妻に他なりません。その愛ゆえの決断は、商社マンにとっての「青い鳥」だというだけでなく、これからの妻と娘にも「青い鳥」をもたらすはずだという、祈りにも近い確信。それがこのタイトルに込められている。つまり、妻の商社マンに対する無償の愛こそが、青い鳥、すなわち幸福そのものだと表現しているのではないかと、私は解釈しています。

長くなりましたが、実は私が一番ぐっと来たのが、次の台詞です。ドラマ中盤、「奴は、娘の存在を知っているんでしょうか?」という桜井の問いに対し、神代はこう答えました。「知っていたら、あんなところで別の女と暮らしているわけがない」そして、続けて「女房とは別れられる。しかし、子供とはな・・・」と深い溜息とともに呟きます。神代の妻と娘の切なく、悲惨な過去を知る者にとっては、格別な意味をもつシーンでした。

第407話 幻の女・霧のベルギー失踪事件!

2008年05月28日 03時19分48秒 | Weblog
脚本 阿井文瓶、監督 辻理
1985年3月20日放送

【あらすじ】
インターポールの会議に出席するため、叶をともなってベルギーの首都・ブリュッセルに出張した神代。無事に日程を終え、ブリュッセルの市街を散策するなか、神代はある日本人女性に目を止める。女を尾行する二人の背後に、武装した影が迫る。
二人が失踪したとの報せを受けて、桜井と紅林が渡欧。現地警察の協力のもと、捜査を解する二人だが、手掛かりはつかめない。やがて、郊外の森に捨てられていた叶が救出される。女の正体も、神代の行方もわからぬまま、自分だけ解放されたことに責任を感じる叶。
叶が撮影していた女の写真をもとに、日本に残った橘らがその素性を捜索。やがて、その正体が判明する。それは、4年前にオランダで数十億円を横領した末に支店長を殺害し、自殺したとされる商社マンの妻だった。神代は当時、その事件に対して疑惑を抱いていたという。
神代の行方をつかむべく、妻の行方を追う桜井たち。そこに、アントワープで日本人の死体が発見されたとの報せが入る。急ぎ駆けつけたところ、死体は神代ではなく、宝石の故買商だった。目撃者の証言によれば、犯人もまた日本人だという。そこに「死体が自分の夫ではないか?」と確認に来た女性は、商社マンの妻だった。素性を隠して妻に接近する桜井。妻は商社マンが生きていると信じ、その消息をつかむため、一年前に幼い娘を連れて渡欧した。娘が生まれたとき、すでに商社マンは消息を絶っていたが、妻は商社マンの望みどおり、娘に死んだ母親の名をつけたという。そこに、ようやく妻を探し当てた叶が現れ、事情を知らずに妻を詰問。桜井の素性も知られてしまう。妻は、神代の拉致については何も知らないと言うが、4年前の事件について商社マンの無実を訴え、その行方を探すよう懇願する。
故買商殺しも、神代を拉致したのも、商社マンの仕業なのか?だが、いったい何のために?謎を解明するには、商社マンを探し出すしかない。橘も合流し、何者かに呼び出された妻を尾行する特命課。日本人の男と落ち合う現場を押さえる特命課だが、男は商社マンのかつての同僚だった。
そこに、神代が発見されたとの連絡が入り、現場へ急行する特命課。神代は寒村の納屋に監禁されていたが、事情がわからぬまま解放された。その村には、日本人の男が現地の女性とともにチーズを作って暮らしていた。その男こそ、死んだはずの商社マンなのか?
一方、監禁されていた納屋を調べ直した神代は、日本製のタバコのパッケージが捨てられているのを発見する。神代監禁の背後には、最近日本から来た者がいる。果たしてその目的は?そして4年前の事件との関わりは?

【感想など】
ベルギーロケの前後編。詳しい感想や評価などは後編を見てからにしたいと思いますが、特筆すべきは、ベルギーの自然や街並みの美しさ。地方ロケには何かと難癖をつけがちな私でも、普段目にすることのできない幻想的な風景を見せられると、そうそう文句も言えません。なお、オープニングもベルギー仕様となっていますが、おやっさんと吉野、幹子はお留守番の模様。オープニングナレーションも特別仕様で、「深い傷を背負った石畳に、カリヨンの調べが響き渡る。哀しみがある。祈りがある。ベネルクスの国境へ国際犯罪を追う。彼ら、特捜最前線」というもの。モノ知らずな私は「カリヨン」が何かも知らなかったのですが、調べてみるとメロディーを奏でる鐘のこと。ちなみに「ベネルクス」とはベルギー、オランダ(ネーデルランド)、ルクセンブルクの3国のことだとか。いろいろ勉強になりました。

第406話 スキャンダル・スクープ!

2008年05月21日 02時37分13秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 宮越澄
1985年3月13日放送

【あらすじ】
予備校の事務員を殺した女を連行する桜井。警察前に殺到するマスコミに、女は「入試問題を売ってくれなかったから」と犯行動機を訴える。女は大学受験を控えた息子のために某大学の入試問題を入手しようとしたが、被害者は価格を吊り上げ、問題を渡そうとしなかったというのだ。マスコミが大々的に報じるなか、特命課は被害者と大学関係者の共犯による入試問題漏洩事件とみて、捜査を開始する。
被害者の交友関係にある大学関係者をリストアップした特命課。桜井はその一人、被害者の高校時代からの友人である助教授を訪問する。助教授は、高校時代に被害者の万引きの道連れで補導された過去があり、以来、付き合いを絶っていた。その人柄から、事件とは無関係だと確信する桜井だが、助教授宅をマークしていた新聞記者が、イニシャルながら助教授を共犯だとスッパ抜く。慌てて抗議に向かう桜井だが、記者は「知る権利」と「報道の自由」を盾に、「訂正記事を出せ」という桜井の主張を退ける。
記事を見た他のマスコミが助教授宅に押し寄せる。疑惑を否定すべく、記者会見を開く助教授だが、被害者との過去が明かるみに出て火に油を注ぐ結果に。責任を感じ、「俺が助教授のためにできることは、早く真犯人を捕らえることしかない」と焦る桜井だが、他に怪しい関係者は浮かばない。そんななか、神代は新聞記者がいち早く助教授の過去を掴んでいた不審さを指摘する。新聞記者に接触し、ニュースソースを聞き出そうとする桜井。だが、記者は「私が書かなくても誰かが書く」と開き直るだけだった。
その後もマスコミの報道熱は冷めず、ついには助教授の幼い娘が後妻の連れ子だという、事件とは無関係なことまで報道される。ショックを受けた娘が家出するが、殺到するマスコミに阻まれ、探しに行くことすらままならない。駆けつけた桜井の前で、助教授はマスコミに土下座する。「皆さん、私に娘を探しに行かせてください。あの子は、確かに連れ子です。しかし、私のたった一人の子供なんです!」やがて、助教授は夜の公園で娘を発見。助教授の胸で「お父さん!」と号泣する娘を、桜井は安堵の思いで見つめるのだった。
その後、助教授の姿に打たれた記者が、桜井にニュースソースを明かす。それは、助教授の同僚だった。特命課の取調べに対し、同僚は入試問題の漏洩と、疑惑を助教授に向けるために過去を暴いたことを告白する。こうして、助教授の無実は証明されたが、疲れ果てた助教授は職を辞し、妻と娘を連れて郷里に戻る。「今は、桜井さんも、あの記者も恨んではいません。彼もまた、マスコミの犠牲者なのかもしれません・・・」責任を取って新聞社を辞めようとする記者に桜井は、記者に語る。「二度と助教授のような犠牲者を出さないようにすることだ。そうしなければ、俺たちは助教授に許してはもらえない」

【感想など】
マスコミの過熱報道によって無実の者が翻弄される悲劇という、非常に今日的な話題を描いた一本です。多くの皆様も同様だと思うのですが、私はニュースのネタに群がるマスコミの態度に激しい嫌悪感を抱いています。特に、今回の記者(「大空港」や「二人の事件簿」で刑事役を演じた高岡健二)が前半で見せたような、「知る権利」「報道の自由」といった言葉を振りかざして、自分の行為を正当化する(正しいと思い込んでいる)ような連中には、反吐が出ます。いっそ、金になるなら(読者が喜ぶなら)真偽かまわず記事にするという、開き直った記者のほうが(それはそれで不愉快極まりないですが)まだマシに思えるほどです(東スポのような真偽もへったくれもない報道は例外)。
ドラマ中盤で「化け物のような情報機構の部品に過ぎない」と自嘲し、最後には記者を辞めようとしたように、自らの行動に疑問を抱いているマスコミ関係者も少なくないとは思います。安易な娯楽、分かりやすい情報だけを求める視聴者にも問題があるのだと思いますし、ある意味では助教授が言うように「彼らも犠牲者」なのでしょう。しかし、それでもなお、私は桜井がラストで言ったような「正しい報道をする姿勢」を、マスコミ関係者一人ひとりに要求したいと思います。マスコミが行う報道活動には、本来、大きな社会的意義と重要性があり、それゆえに、大きな責任が伴うものだと思うからです。
このように、テーマ的には大いに共感する本編ですが、ドラマ的な魅力はさほど感じません。特に助教授(やいと屋や五連発の旦那など時代劇でお馴染みの大出俊)のマスコミに対する卑屈にも思える態度には、疑問を感じないでもありません。勝手な言い草かもしれませんが、自分に非がないのであれば、いくらマスコミに責められようと「もう、自分が犯人でいい」などと言ってはいけないと思います。私自身が警察やマスコミに犯人扱いされたときに、そうした態度を貫き通せるかどうかは、正直なところ分かりません。しかし、少なくとも「貫かねばならない」とは思っています。

第405話 浅草の老警官・7分間の嘘!

2008年05月16日 03時16分51秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 宮越澄

ある夜、特命課に吉野がかつて世話になった老警官から電話が入る。殺人事件を目撃したと告げる老警官に、吉野は「まずは所轄に連絡するのが筋」と諭す。やはり事件が気になり、現場に駆けつけた吉野が見たものは、所轄の刑事に罵られる老警官の姿だった。
被害者は大手商社の重役で、コンクリート壁に後頭部を強打し、死亡していた。第一発見者である老警官は、先に特命課に電話したため、所轄署への通報まで7分間を要していた。そのために初動捜査が遅れたことを、刑事は厳しく追及していたのだ。
老警官は犯人の姿こそ見てないものの、犯人が被害者の名を呼び捨てにするのを聞いていた。刑事の態度に不満を抱いた老警官は、吉野にだけそのことを告げる。翌日、老警官を訪ね、所轄署に報告するよう忠告する吉野。そこに所轄署の刑事が現れ、再び老警官を罵る。階級(警部)を傘に着た刑事の態度に反発し、「階級でホシが捕まえられるのか!」と怒鳴る吉野(巡査長)。そんな吉野の態度を問題視し、所轄署の署長が特命課へ抗議に訪れる。「そんなに首を突っ込みたいなら、本件をお任せしましょうか?」嫌味で口にした署長の言葉尻を捕らえて、神代は捜査を引き受ける。
被害者の勤務先に的を絞り、怨恨関係を調べる特命課。吉野は犯人の声を聞いている老警官とともに、被害者の通夜の席に向かう。そこでは、老警官と同年輩の車両係が、若い上司に罵られていた。車両係の声に反応する老警官だが、吉野に対しては口をつぐんだ。
その後、被害者が合理化のために定年後の継続雇用制度を廃止したため、定年間近の社員から恨まれていたことが判明。該当する社員の中から深刻な事情のある者をリストアップする。そこには車両係の名もあったが、事件当夜は妻を病院に送って行ったというアリバイがあった。
「通夜の席で何かに気づいたのでは?」との吉野の追及に、老警官は頑なに口を閉ざす。何とか聞き出そうと、老警官の自宅を訪ねた吉野。老警官は戦友会に出席して不在だったが、吉野は老警官の娘から意外な事実を聞く。老警官が聞いた犯人の言葉とは「貴様、上官に向かって何を言うか!」というものだった。「なぜ、黙っていたんです?」戦友会の席に押しかけ、老警官を責める吉野。だが、老警官は逆に吉野の変節を責める。「わしは、あんたに手柄を立ててほしくて電話したんだ。昔のあんたなら、すぐに飛んできたはずだ・・・」
犯人は被害者の軍隊時代の上官と見た吉野は、被害者宅を訪れ戦友会の名簿を借りる。被害者は、軍隊時代は二等兵だったため、戦後になっても当時の上下関係を振りかざす上官たちを嫌悪していたという。名簿の中に、車両係の名を発見した吉野。車両係が妻を送っていったという病院に確認すると、妻が点滴を受けている間に病院から抜け出していたことが判明し、アリバイは崩れた。
会社を訪れ、車両係を連行する吉野。「わしはここで仕事をするんだぁ!」と机にしがみつく車両係だか、調べに対してすぐに犯行を自白。妻の治療費を得るためにも、働く必要があった車両係だが、被害者は60歳での定年を強要。事件当夜、病院を抜け出して被害者を待ち伏せ、土下座までして継続雇用を懇願した車両係だが、被害者に「みっともないですよ、上官殿」と嘲笑され、我を忘れてしまったという。
こうして、事件は解決。あわせて吉野の巡査部長への昇進も決定する。だが、老警官の言葉が引っかかり、吉野は素直に喜べない。だが、責任を取って辞表を出した老警官から「犯人に同情するような自分は、警官に向いてなかった。君は、もっと立派な警官になってくれ」と励まされ、昇進を受け入れるのだった。

社会に居場所を失っていく老人たちの悲劇を描いた一本。と言うと、先日の傑作、第403話「死体番号6001のミステリー!」と同一テーマのように思われますが、残念ながら、今回は牟田悌三(老警官)や稲葉義男(車両係)、田坂都(老警官の娘)といった豪華なゲスト陣にもかかわらず、さほどの感銘を受けませんでした。
同じテーマであっても、その描かれ方が違えば評価が異なるのも当然ですが、今回のエピソードの何が悪かったのかというと、老人たちの感傷に共感できるものがなかったという点に尽きるでしょう。長年勤め上げたプライドや、特命捜査課というエリート集団に対する反感など、老警官の気持ちが分からないではありません。同じ世代であり、同じ境遇にある車両係に同情する気持ちも分かります。しかし、それらは吉野が言うように「駄々をこねている」だけであり、共感できるものではありません。
また、以前に第331話「小さな紙吹雪の叫び」(これも佐藤脚本ですね。この人はそんなに合理化が憎かったのでしょうか?)でも指摘したように、合理化というものが一概に悪とも思えない私にとっては、被害者に対してそれほどの反感を持てません(愛人を囲えるほど高給をもらっているなら、その分を定年退職者に回せ、という気持ちも分からんことはないですが・・・)。加えて、これは個人的な事情なのですが、大学時代に学生寮で軍隊式の理不尽な上下関係を経験しているだけに、「過去の人間関係をいつまでも引き摺りやがって・・・」という被害者の不満も、多少複雑な思いはあるものの、頷けるものがあるのです。
車両係や老警官を「社会から押しつぶされる弱者」、被害者を「弱者を踏みにじる悪」と描きたかったのかもしれませんが(放送当時はそう感じる視聴者が多かったのかもしれませんが)、その構図が率直に受け入れられない私にとっては、感銘を受けるはずもありません。ただ、階級に関わらず、理不尽な態度を取る者には敢然と食ってかかる吉野の姿勢は、見習いたいものがあります。退場まで残り少なくなりましたが、晴れて巡査部長に昇進した好漢・吉野の活躍を、これからも見守っていきたいものです。

第404話 殺意を呼ぶダイヤルナンバー!

2008年05月15日 02時39分34秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 三ツ村鐵治

夫を亡くした子持ちの女教師と恋に落ち、半同棲生活を送る紅林。幼い息子にも慕われ、真剣に結婚を考える紅林だが、時折、女教師のもとにかかってくるいたずら電話が、かすかな影を落としていた。
そんななか、特命課は警官による射殺事件の究明に当たっていた。若い警官は、特命課の取調べに対し「不審尋問中の男にナイフで襲われ、威嚇のために拳銃を抜いたところ、もみ合いになって発砲した」と語る。人を殺しておきながら冷静な態度を崩さない警官に、船村や桜井は「計画的な殺害ではないか?」と疑惑を抱くが、紅林は「警官が殺意を持って拳銃を抜くなどあり得ない」と反論する。
律儀で模範的な警官と、性風俗のスカウトとして働く被害者との間に、どんな接点があるのか?被害者の部屋を調べた紅林は、窓から女教師の部屋が覗けることに、一抹の不安を覚える。部屋から発見された多数の女の写真を手掛かりに捜査を続けるなか、女教師がいたずら電話の主らしき変質者に襲われる。報せを聞いて駆けつけた紅林は、怯える女教師に「どういう具合に撫で回された?」と執拗に質問する。そんな態度に、女教師は紅林が刑事であることを改めて認識させられ、ショックを受けた。
その後の捜査で、写真の女の一人が愛人バンクに引きずりこまれた挙句、自殺していたことが分かる。その女は、警官の勤務する派出所によく花を届けに来ていた。女が自殺したことを恨んで被害者を殺したのではないかと推測する桜井。だが、警官は「自分が彼女と関係があったら、自殺するまで放っておきません」と否定する。「冷静な彼が、一時的な感情で人を殺すとは思えない」と疑問を呈する紅林。「どんな冷静な人間でも、大切なものを壊されたときには、普通じゃなくなる。お前ならどうする?」桜井の問い掛けに、紅林は「私は殺意を持ったりしません」と言い切った。
その夜、紅林が女教師の部屋にいるとき、例のいたずら電話が掛ってくる。紅林は「話を長引かせろ」と指示し、被害者の部屋へと走る。部屋は無人だったが、掛けっぱなしの電話は女教師の部屋につながっていた。変質者は、被害者の知り合いなのか?
事件の真相を解くカギを得るため、女教師の過去の男性遍歴を問い質す紅林。「嫌な仕事ね、刑事って・・・」あまりの無神経さに呆れ果て、紅林に黙って自宅に戻る女教師。そこに待ち伏せていた変質者が襲いかかる。窮地を逃れた女教師に「顔を見たんだね。誰なんだ?」と問い詰める紅林。女教師は諦めたように変質者の名を語る。それは、主人を亡くして寂しかった女教師の心の隙に付け込んだ、屑のような男だった。「そんな男と付き合っていたことを、貴方に話したくなかった・・・」
変質者の名は、被害者の交友リストにあった。変質者の部屋に踏み込む紅林。格闘の末、負傷しながらも変質者を逮捕。その姿は怒りに満ち、いつもの冷静さはどこにも無かった。自分が殺意を持っていたことに気づいた紅林は、負傷の身を顧みず、警官の取調べに臨む。「私は警察官としては失格だったかもしれん。だが、人間として間違ってないつもりだ。君が、彼女を愛していたならば、殺意を抱いても当然だ」同じ痛みを抱えた男として、殺意を持って射殺したことを告白する警官。こうして、事件は解決した。だが、それは紅林にとって、愛する人との別れの時でもあった。息子の手を引いて去っていく女教師を、紅林は黙って見送るしかできなかった。

あまりに不器用な紅林の、悲しい愛の終わりを描いた一本です(それにしても、サブタイトルは意味がなさ過ぎ)。刑事という仕事の哀しい習性ゆえに、愛する女を幸せにできない悲劇、といえば聞こえはよいかもしれませんが、紅林の言動には不自然なまでに人間性がなさ過ぎ、興ざめしてしまいました。
特に、女教師に対する言葉はひどすぎです。「どういう具合に撫で回された?」「亡くなったご主人以外に、どんな男と、どんな付き合いをしてきたんだ」「奴はね、君の体の特徴まで知ってるんだよ」などなど、いずれも変態的な趣味の持ち主でもない限り、愛する女に対して言える言葉ではありません。「変質者に襲われて震えていたとき、大丈夫かって抱きしめて欲しかった。いたずら電話のときも、バカヤローと怒鳴って電話を切って欲しかった・・・」女教師の言葉はまことにもっともであり、いくらなんでも紅林が無神経すぎ。ここまでいくと不器用というよりも非現実的であり、真面目に見る気も失せてしまいます。
また、もう一つの焦点である(こうして安易に複数の焦点を持たせるのも、ドラマに取り止めがなくなってしまう原因だと思うのですが・・・)警官の殺意の有無についても、紅林の主張は全くの空論に聞こえます。「愛する人が傷つけられても、警官ならば殺意を抱いてはいけない」という倫理観をもつことと、「愛する人が傷つけられても、殺意なんか抱くはずがない」という想像力の欠如とは、全くの別物。刑事として多くの事件を見てきたはずの紅林が、まるで自分の無垢さを信じる若者のような言葉を口にすることに、リアリティの欠如が感じられてなりません。
「私は刑事であるがゆえに、二人を幸せにしてやることができなかった。しかし、遠くから見守り続けることなら、できるかもしれない・・・」ラストの紅林の言葉も、それなりに良い台詞かもしれませんが、それまでの言動が言動だけに、ただ現実から逃げているだけにしか聞こえません。見るべきところといえば、「私にとっても、部下の一生の問題だからね」と語る神代課長の親心や、ラストで「お前がどんな思いで奴を殴ったか、伝えなくていいのか?」と気遣う橘など、周囲の刑事の温かさくらいでしょうか。
ちなみに、女教師を演じたのは、郷秀樹の彼女役で有名な榊原るみ。ナックル星人に惨殺されてから14年後だけに、えらく老けてしまっています。ちなみに、今秋公開の新作映画「大決戦!超ウルトラ8兄弟」で郷秀樹の奥さん役として出演するとかで、往年のファンにとっては嬉しい限りです。

第403話 死体番号6001のミステリー!

2008年05月10日 00時41分01秒 | Weblog
脚本 塙五郎、監督 天野利彦

新宿駅の地下道で焼死体が発見される。第一発見者は隣接するビルの管理人で、現場から若者が逃げて行ったと証言する。他殺か自殺かは不明のまま、特命課は死体番号6001を付けられた被害者の身許を捜索する。
解剖の結果、被害者は初老の男性と判明。胃の内容物は、豪華ではあるが和洋中華雑多なもの。橘は浮浪者との会話をヒントに、被害者が浮浪者でないかと推測する。また、船村と叶は焼け残った時計が勤続25周年の記念品だと突き止め、該当する会社を探す。一方、桜井らは被害者の着衣を仕立てた洋服店を探し出し、依頼人の名が「田中一郎」だと突き止める。被害者のことを気にかける管理人を訪ね、捜査経過を伝える叶。管理人は「田中一郎」なる浮浪者を知っていた。ビルに何度か水を貰いに来ており、会話を交わしたことがあったという。
ようやく「田中一郎」の勤めていた会社を探し当てた船村と叶だが、25年も働いていながら誰も知るものはなく、発見された妻子もまた、定年前に理由も言わずに会社を辞めて失踪したことを憤り、冷淡な態度を隠そうともしなかった。何一つ報われることのなかった「田中一郎」の人生にやり切れない思いを抱いた船村は、管理人を訪ね、同じ世代の者同士で酒を酌み交わす。そこに現れた叶から「田中一郎」の妻子の態度を聞き、管理人も他人事とは思えない共感を表す。「その田中って人は、いつも貧乏くじを引くような人生を送ってきたんだ・・・」
その後、飲み屋での目撃証言をもとに、現場から逃げた若者を発見する特命課。若者は浮浪者から金を奪って逃げたことは認めたが、殺人は否定する。若者の語った時刻は、管理人の通報した時間と隔たりがあった。特命課は管理人に疑惑を向けるが、すでに管理人は姿を消しており、住所氏名はデタラメだと判明。管理人こそが「田中一郎」であり、服や時計は管理人が浮浪者に与えたものだった。管理人の気持ちを代弁する神代。「彼は、家族に会いたかったんだ。だが、実際に会う勇気はなく、自分の身代わりとして死体を家族に会わせて、その反応を見たかったんだ」
家族のもとを張り込む船村と叶。「全く恥ずかしい話です。本当に死んでいればよかったんだ」と毒づく家族に、いたたまれない思いを抱く船村。夜の闇にまぎれて家族の住む自宅に近づく管理人。張り込みに気づき、妻と子の名を呼んで泣き叫ぶ管理人を、船村は強引に連行する。
管理人の口から明かされる真実。その夜、若者に金を奪われ呆然とする浮浪者を慰めようとした管理人だが、不意にこみ上げてくる怒りに、思わず「あんたなんか死んでしまえばいいんだ」と言い放ってしまう。その言葉に、浮浪者は止めるまもなく、ガソリンを被って火を放った。名も無き浮浪者は、やはり自殺だった。だが、船村は言う。「自殺じゃない、あの人は殺されたんだ。直接手を下さなくとも、あの人を死なせた人間がいる。若者や管理人だけじゃない、あの人を追い詰めた人間がもっともっといる。わたしゃね、何年掛かったって、あの人の身許を割り出します。そうして、あの人を死に追いやった奴らを突き止めて、『お前、人を殺したんだぞ』って言ってやる。言ったところで、ぬかに釘なんだろうけどね・・・」

塙脚本によるおやっさん主役編も、今回を含めて残り後3本。残り少ない貴重なエピソードに相応しく、見る者の心を揺さぶる名編となりました。
今回の脚本に感心させられたのが、浮浪者が名もない「死体番号6001」のままでドラマが完結した点です。おやっさんが「死体番号6011のままじゃ、あんまりだ」と言ったように、このことは被害者の孤独さや、社会からの疎外感を浮き彫りにさせるとともに、その「匿名性」によって視聴者の自己投影を容易にしているという効果があります。つまり、名前はおろか、その過去が直接的には一切描かれないため、(主に被害者や管理人、おやっさんと同世代の)視聴者に対して「自分もこの被害者と同じだ」という思いを容易に抱かせることができ、他人事ではない切実さをもってドラマに没入させることができるのです。
さらに絶妙なのは、被害者自身の過去は語られないものの、自殺の原因、すなわち被害者(そして視聴者)の抱えている虚しさは、同世代である管理人やおやっさんの口を借りてありありと語られている点です。「子供の頃は戦争で食うものもない。学歴もないから働き口もない、嫁の来てもない。ようやく見合い結婚をして、家族のためにわき目も振らず働いてきたが、あるとき振り返ってみれば、自分という人間が確かに生きてきたという痕跡がどこにもない。誰も自分のことなんか思い出すことはないと気づいたとき、どうしようもなく寂しい気持ちになる・・・」そこに語られているのは、数少ない例外(たとえば「社員は部品」と言い切った社長のような)を除いた、戦中生まれ世代の典型的な人生と言えるでしょう。金でも、地位でも、肩書きでもなく、ただ自分の生きてきた証を求める気持ちは、苦衷に満ちた人生の終りが見え始めた彼らにとって、実に切実なものでしょう。そして、その求めてやまないものが、社会のどこにも、さらには家庭にすらないという悲しい現実。それこそが被害者を自殺に至らしめたのです。

ラストのおやっさんの熱弁。その涙ながらの熱弁は、はっきり言って暴論であり、理屈は通っていません。そんな理屈が通るのであれば、罪なき者など一人もいないことになります。あたかも駄々っ子のようなおやっさんの言葉は、しかし、だからこそ、見る者の心を強く揺さぶります。おやっさんは、寂しかったのです。おやっさんは、悔しかったのです。本当は、誰も悪くなどない。犯罪ですらない(若者の行為は犯罪ですが、浮浪者の死の真の原因ではありません)この事件が、哀しくてしょうがなかったのです。吉野が言った「社会」や「世の中」という実体のない何者かのせいで、一人の人間の人生、いや、おやっさんや管理人を含めた同世代の多くの人生が、全く価値のないものとして踏み潰されてしまうのが、ただ耐えられなかったのです。せめて、実体のある誰かのせいにしなくてはやり切れない。そんな想いが言わせた台詞だったと、私は思うのです。だからこそ、おやっさんの眼には哀しげな涙が浮かび、その熱弁を聞いている神代課長の眼も、さらには視聴者である私たちの眼も、潤んでしまったのです。

おやっさんたち戦中生まれの世代にとって、唯一の生きた証があるとすれば、それは(放送当時の)豊かな社会を築いてきたという自負に他なりません。その「社会」が浮浪者を追い詰め、死に至らしめたのだとすれば、これほど皮肉なことはありません。「社会のために」「家族のために」生きた結果がこれだとすれば、その後に続く世代である私たちは、いったい何のために生きればいいのでしょうか?
自分が歩んできた人生は、結局、何の価値も生み出すことはなく終わっていく。人生の残りが見えたとき、人は誰もがそんな絶望感に囚われるのでしょうか?そんな人生に、果たして何の意味があるのでしょうか?そもそも、「生きる意味」などというものが本当にあるのでしょうか?
そんな虚しい問いに、わずかな救いがあるとすれば、それはラストに叶が見せた優しさでしょう。人の生きる意味を踏みにじるような「社会」は、その構成員たる一人ひとりが、無意識のうちに他人の人生を蔑ろにしているからこそ生まれてきたものと言えるでしょう。だとすれば、一人ひとりの優しさしか、人生の無意味さに絶望する人々を救うことはできない。どうか、貴方がたの父に、祖父に、そして職場の功労者たちに「あなたの生きてきた人生に、確かな意味があるのだ」と言ってあげてほしい。私たちの日々は、彼らが生涯をかけて成し遂げた成果の上にあるのであり、そんな彼らの人生に報いる術を、私たちは他に何一つ持たないのですから。

DVD Vol.6ラインナップ決定!

2008年05月02日 02時30分11秒 | Weblog
ふと気がつけば、DVD-BOX・Vol.5の発売と合わせて、Vol.6の発売決定が発表されていました。
今回のラインナップは、前回に引き続き「特捜課オールスター選PARTⅡ」とのことで、ベストエピソードランキングの残り14篇+埋もれた名作2編を収録。これまで「アレは入らんのか?」と思っていたエピソードもようやく収録されていますが、まだまだ「殺人クイズ招待状!」や「黙秘する女!」「撃つ女!」「虫になった刑事!」など未収録の傑作も残されています。その一方で「後2回(32本分)も出れば十分」かな、との思いもありますので、未視聴エピソードの中から「これはDVDに!」と思えるような傑作が出てくることを祈りたいと思います。

《特命課主役編》
第7話「愛の刑事魂」脚本:長坂秀佳、監督:村山三男(ランキング76位)
・・・ようやく収録という感じの記念すべき長坂脚本第一作。本来ならこのエピソードが第1話になるはずだったというのは有名な話。エリートの象徴・桜井と苦労人の象徴・高杉の対立が見所。初期編で唯一の庶民視点だった高杉。同じく苦労人ながらタイプの異なる叶とのコンビが見てみたかったと思います。

《神代警視正、桜井刑事主役編》
第17話「爆破60分前の女」脚本:長坂秀佳、監督:佐藤肇(ランキング64位)
・・・これも記念すべき「爆弾の長坂」第一作。全編サスペンスに満ちた傑作で、個人的にはこれで特捜にはまったとも言える、初期編では最も印象深い一本。

《桜井刑事、紅林刑事主役編》
第52話「羽田発・犯罪専用便329!」脚本:井口真吾、監督:天野利彦(ランキング88位)
・・・桜井がアメリカに旅立ち、代わって紅林が登場する特捜初の新刑事登場編。紅林が「甚一」という名前を高杉に茶化されて怒るシーンは、初登場時から紅林の生真面目さを印象づける実にいいキャラ立てだったと思います。

《津上刑事主役編》
第59話「制服のテロリスト達!」脚本:大野武雄、監督:天野利彦(ランキング73位)
・・・なんとなく特捜というよりGメン的なノリの一本。とはいえ、津上主役編としては第122話「痴漢になった警官」と並んで印象深いエピソードです。

《橘刑事主役編》
第74話「死体番号044の男!」脚本:長坂秀佳、監督:佐藤肇(ランキング73位)
・・・橘の息子が初登場。この親子のエピソードが最終回まで続くことを考えれば、なかなか感慨深いものがあります。残念ながら、ストーリー的に余り印象に残っていません。

《紅林刑事主役編》
第86話「死んだ男の赤トンボ!」脚本:長坂秀佳、監督:佐藤肇(ランキング64位)
・・・西村晃の名演が光る名エピソードがいよいよ収録。とはいえ、個人的には余りぴんとこなかったのが正直なところ。やりたいことは分かるんだけど・・・という印象しか残りませんでした。ずいぶん前に見たきりなので、改めて見直してみたい一本ではあります。

《吉野刑事主役編》
第100話「レイプ・十七歳の記録!」脚本:大野武雄、監督:野田幸男(ランキング80位)
・・・見逃したのか、ちょっと記憶がありません。しかし、何も100回という区切りの回に「レイプ!」はないのではないでしょうか?

《滝刑事、特命課主役編》
第110話「列車大爆破0秒前!」脚本:長坂秀佳、監督:天野利彦(ランキング51位)
・・・この直前に登場した滝刑事の発主役編。滝は最後まで好きになれなかったこともあってか、長坂爆弾編のわりにはあまり好印象は残っていません。ちょっと仕掛けに走りすぎて、散漫になってしまったような気がします。

《橘刑事主役編》
第155話「完全犯罪・350ヤードの凶弾!」脚本:長坂秀佳、監督:天野利彦(ランキング60位)
・・・犯人の周到なトリックを倒叙スタイルで暴いていく推理ドラマの傑作。橘ファンなら見逃せない一本。

《高杉婦警主役編》
第174話「高層ビルに出る幽霊!」脚本:長坂秀佳、監督:村山新治(ランキング58位)
・・・幹子メインの夏場の怪談モノの第一作。この手のエピソードは、個人的にはあまり興味がないのですが、幹子ファンにとっては嬉しいチョイスなのでしょう。

《叶刑事主役編》
第186話「東京、殺人ゲーム地図!」脚本:長坂秀佳、監督:田中秀夫(ランキング52位)
・・・これもファンの間で人気の高い一本。しかし、同じく東京の地理を扱った第169話「地下鉄・連続殺人事件」と比べると、トリックのみが一人歩きしている印象で、個人的には余り評価していません。

《船村刑事主役編》
第193話「老刑事 鈴を追う!」脚本:横山保朗、監督:天野利彦(ランキング54位)
・・・おやっさんファンの間で人気の高い感涙必至の名作。しかし、個人的には(なんかこんな寸評ばっかりですが)お涙頂戴的なノリが鼻について、「いい話なんだけど・・・」という印象でした。単に視聴時の私の気持ちがやさぐれていただけかもしれませんので、あまり気にしないでください。

《桜井刑事主役編》
第194話「判事、ラブホテル密会事件!」脚本:長坂秀佳、監督:天野利彦(ランキング64位)
・・・桜井の兄弟関係を中心としたエピソード。判事の長男と弁護士の次男、そして刑事の三男。次男を演じた名優・岸田森の死去もあって、以降、この関係が展開していかなかったのは残念でなりません。個人的なことですが、私も三兄弟の次男であり、大好きな岸田森が同じ立場を演じてくれているだけで感動したものです。

《橘刑事主役編》
第234話「リンチ経営塾・消えた父親たち!」脚本:長坂秀佳、監督:辻理(ランキング57位)
・・・姉妹編ブログにレビューがありますが、橘潜入エピソードの中でも屈指の傑作。長坂氏のストーリーテーラーぶりが遺憾なく発揮されています。

《吉野刑事主役編》
第334話「東京犯罪ガイド!」脚本:塙五郎、監督:辻理(ランク外)
・・・本ブログでも絶賛した吉野編屈指の名作。父親と衝突した経験をもつ男なら誰もが感涙必至。今回収録されたエピソードの中で最も見て欲しい一本です。

《犬養刑事主役編》
第455話「絆・ミッドナイトコールに殺しの匂い!」脚本:藤井邦夫、監督:宮越澄(ランク外)
・・・まだ未視聴。犬養刑事主役編はVol.5に続いて2本目だというのに、同時に登場した時田刑事主役編はいまだ未収録。この扱いの差は何なのでしょう。

今回は16本中10本が長坂脚本と、前回以上に長坂率が高くなっています。それは良いとしても、両輪と並称されるで塙脚本が一本のみというのは納得いきません。次回は塙脚本を中心に、第58話「緊急手配・悪女からのリクエスト!」(高杉主演)や第84話「記憶のない毒殺魔!」(高杉主演)、第220話「張り込み・閉ざされた唇!」(吉野主演)、第306話「絞殺魔の記念写真!」(船村主演)、第370話「隅田川慕情!」(吉野主演)、そして先日見たばかりの第403話「死体番号6001のミステリー」(船村主演:現在レビュー作成中)といったラインナップを期待しています。(あと、塙脚本ではないですが、第283話「或る疑惑!」(橘主演)や第309話「撃つ女!」(船村主演)も是非!)