脚本 亜槍文代、監督 三ツ村鐵治
1985年12月12日放送
【あらすじ】
若者の街、原宿で頻発する放火事件。目撃証言が得られない“都会の無関心さ”が犯行をエスカレートさせる恐れがある――そう危惧した神代の指示で、特命課が捜査に乗り出す。神代の懸念どおり、放火魔は白昼堂々の犯行におよぶが、それでも一人の目撃者も現れない。被害者の出ていないことが、せめてもの救いだった。杉、犬養とともに聞き込みを続ける叶だが、若者たちの享楽的な姿に戸惑いを隠せなかった。
そんなある夜、またも放火による火事が発生。足の不自由な老婆が取り残される。駆けつけた杉が炎の中に飛び込み、老婆を救出。現場に居合わせた娘の案内で、叶は老婆を近所の病院に運び込む。だが、容態が急変して、老婆は死去。ショックを受けた娘は、ハンカチを残して病院から姿を消した。老婆の死因は心臓麻痺と診断され、杉は「自分が水をかぶせたことが原因で」と落ち込み、風邪をこじらせ寝込んでしまう。
犠牲者が出たことで、特命課も捜査に本腰を入れる。火事の現場を訪れた叶は、病院に案内してくれた娘と再会。勤め先の地味な制服姿を恥ずかしがり、足早に立ち去る娘。だが、その表情の裏には、叶を刑事と知った驚きが隠されていた。
一方、紅林らは放火現場のブティックの女店員に聞き込むが、「不審な人物を見なかったか?」と聞かれて彼女らが思い出すのは、時代遅れの服を着た青年を笑いものにしたことくらい。だが、報道カメラマンを気取った少年が撮影した一連の火事現場の写真を調べたところ、どの現場にも女店員の語った青年の姿があった。
青年は高校卒業後にアテもなく上京して原宿に住みついたが、いくつもの夢が破れ、今はぶらぶらとする毎日だった。特命課が張り込むなか、青年はまたも放火を企む。現行犯で逮捕した青年は、「気がついたら、友達も誰もいなくなってて、1週間も10日も、誰とも口をきかない日が続いて・・・誰かに俺のことを分かってもらいたいって思って・・・」と動機とも言えない動機を語る。素直に犯行を認める青年だが、老婆の死んだ一件だけは「自分ではない」と否定する。確かに、あの一件だけは火の回りが早かった。
叶はふとしたきっかけで、あの現場に火を点けたのは娘ではないかと直感。念のために調べた娘のハンカチからは、火事の現場と同じ土が検出された。娘を訪ねた叶は、おどけた態度の娘に「自分に嘘をつくのはやめなさい。自分が傷つくだけだ。それだけならまだしも、その傷を癒すために他人を犠牲にするのを見過ごすわけにはいかない」と厳しく追及する。娘はあっさりと犯行を自白した。
「親の目を盗んで、精一杯おしゃれして原宿に行ったのに、友達から服のセンスをバカにされ、悔しかった」とくだらなすぎる動機にあきれ返る刑事たち。「原宿なんてなければよかったのに!」と責任転嫁する娘に「悪いのは原宿か?そうじゃないだろう?悪いのはあんた自身だ!そうなるとは思わなかった?悪いのはその甘えなんだよ!」醜く泣きじゃくる娘の頭上に、叶の断罪の言葉がこだました。
【感想など】
若者の街・原宿に集まる笑顔の裏で、理想と現実のギャップにさいなまれる若者たちの孤独感を描いた一本。「悪いのはその甘えなんだよ!」という叶の言葉で、すべてが語り尽せてしまったような気もしますが、脚本家は、若者たちのやり場の無い孤独感を代弁したかったのか、それとも甘ったれた若者に対する視聴者層の不快感を代弁したかったのか、どちらなのでしょうか?やや、どっちつかずに終わってしまった印象もありますが、私が共感を覚えたのは、もちろん後者。二人の犯人はもちろん、原宿に集う若者たち全般に対して(わざわざ原宿に住んでいる杉も含めて)不快感を禁じえませんでした。
ブティックの女店員(わざわざ「ハウスマヌカン」とカタカナで呼んで話をややこしくするのは、彼女らのプライドの問題らしい)から見れば、タートルネックのセーターにGジャン、ベルボトムのブリーチジーンを着ているのが「信じられない」「ギャグでしょう」というくらいダサい格好なのだそうだが、かつて学生時代(本放送から数年後)に似たような格好をしていた私としては、叶や橘のように「理解できない」と肩をすくめざるを得ません。
ラストの叶の厳しい言葉はもちろん、「そんなの友達と言えるのか?」(紅林)「寂しいからって火を点けられたらたまったもんじゃないぞ。そんな屁理屈が通るか」(橘)など、刑事たち(先輩を敬う気持ちに欠ける犬養や杉、妙に若者に理解を示す桜井や時田の言葉は除く)の台詞ひとつひとつに大きく頷いてしまいました。
とはいえ「若者を、若者という言葉でひとまとめにしてしまうのはどうかね?」という課長の言葉ももっとも。青年や娘のような、衝動的に他人に迷惑を及ぼすような連中は、いくつになっても周囲に迷惑をかけ続けるもの。若者というくくりではなく「バカ者」というくくりで断罪し、かなうことなら世間から隔離してもらいたいものです。
とはいえ、「気がついたら」ポリタンクに用意した灯油をぶちまけて火を点け、それでも「こんな大きな火事になると思わなかった」などと抜かすように、この娘は精神と頭脳に重大な欠陥があるように思われますので、責任能力を問えるのかどうか、はなはだ疑問です。
ちなみに、叶が娘の犯行に気づいた「ふとしたきっかけ」ですが、詳しく書けば、江崎婦警がやたらと重いハンドバッグを持ち歩いていた→あの娘も事件当夜、重いバッグを持っていた→火事の現場には植木鉢が倒れていたが、犯人がつまずいたにしては、手足の跡が残っていなかった→娘のカバンがぶつかって倒したのでは?→ハンカチでカバンについた土を拭いたかも?という、なんとも遠まわしなもの。異常にカンが良すぎるような気がしないでもありませんが、まぁ、どうでもいいことです。
1985年12月12日放送
【あらすじ】
若者の街、原宿で頻発する放火事件。目撃証言が得られない“都会の無関心さ”が犯行をエスカレートさせる恐れがある――そう危惧した神代の指示で、特命課が捜査に乗り出す。神代の懸念どおり、放火魔は白昼堂々の犯行におよぶが、それでも一人の目撃者も現れない。被害者の出ていないことが、せめてもの救いだった。杉、犬養とともに聞き込みを続ける叶だが、若者たちの享楽的な姿に戸惑いを隠せなかった。
そんなある夜、またも放火による火事が発生。足の不自由な老婆が取り残される。駆けつけた杉が炎の中に飛び込み、老婆を救出。現場に居合わせた娘の案内で、叶は老婆を近所の病院に運び込む。だが、容態が急変して、老婆は死去。ショックを受けた娘は、ハンカチを残して病院から姿を消した。老婆の死因は心臓麻痺と診断され、杉は「自分が水をかぶせたことが原因で」と落ち込み、風邪をこじらせ寝込んでしまう。
犠牲者が出たことで、特命課も捜査に本腰を入れる。火事の現場を訪れた叶は、病院に案内してくれた娘と再会。勤め先の地味な制服姿を恥ずかしがり、足早に立ち去る娘。だが、その表情の裏には、叶を刑事と知った驚きが隠されていた。
一方、紅林らは放火現場のブティックの女店員に聞き込むが、「不審な人物を見なかったか?」と聞かれて彼女らが思い出すのは、時代遅れの服を着た青年を笑いものにしたことくらい。だが、報道カメラマンを気取った少年が撮影した一連の火事現場の写真を調べたところ、どの現場にも女店員の語った青年の姿があった。
青年は高校卒業後にアテもなく上京して原宿に住みついたが、いくつもの夢が破れ、今はぶらぶらとする毎日だった。特命課が張り込むなか、青年はまたも放火を企む。現行犯で逮捕した青年は、「気がついたら、友達も誰もいなくなってて、1週間も10日も、誰とも口をきかない日が続いて・・・誰かに俺のことを分かってもらいたいって思って・・・」と動機とも言えない動機を語る。素直に犯行を認める青年だが、老婆の死んだ一件だけは「自分ではない」と否定する。確かに、あの一件だけは火の回りが早かった。
叶はふとしたきっかけで、あの現場に火を点けたのは娘ではないかと直感。念のために調べた娘のハンカチからは、火事の現場と同じ土が検出された。娘を訪ねた叶は、おどけた態度の娘に「自分に嘘をつくのはやめなさい。自分が傷つくだけだ。それだけならまだしも、その傷を癒すために他人を犠牲にするのを見過ごすわけにはいかない」と厳しく追及する。娘はあっさりと犯行を自白した。
「親の目を盗んで、精一杯おしゃれして原宿に行ったのに、友達から服のセンスをバカにされ、悔しかった」とくだらなすぎる動機にあきれ返る刑事たち。「原宿なんてなければよかったのに!」と責任転嫁する娘に「悪いのは原宿か?そうじゃないだろう?悪いのはあんた自身だ!そうなるとは思わなかった?悪いのはその甘えなんだよ!」醜く泣きじゃくる娘の頭上に、叶の断罪の言葉がこだました。
【感想など】
若者の街・原宿に集まる笑顔の裏で、理想と現実のギャップにさいなまれる若者たちの孤独感を描いた一本。「悪いのはその甘えなんだよ!」という叶の言葉で、すべてが語り尽せてしまったような気もしますが、脚本家は、若者たちのやり場の無い孤独感を代弁したかったのか、それとも甘ったれた若者に対する視聴者層の不快感を代弁したかったのか、どちらなのでしょうか?やや、どっちつかずに終わってしまった印象もありますが、私が共感を覚えたのは、もちろん後者。二人の犯人はもちろん、原宿に集う若者たち全般に対して(わざわざ原宿に住んでいる杉も含めて)不快感を禁じえませんでした。
ブティックの女店員(わざわざ「ハウスマヌカン」とカタカナで呼んで話をややこしくするのは、彼女らのプライドの問題らしい)から見れば、タートルネックのセーターにGジャン、ベルボトムのブリーチジーンを着ているのが「信じられない」「ギャグでしょう」というくらいダサい格好なのだそうだが、かつて学生時代(本放送から数年後)に似たような格好をしていた私としては、叶や橘のように「理解できない」と肩をすくめざるを得ません。
ラストの叶の厳しい言葉はもちろん、「そんなの友達と言えるのか?」(紅林)「寂しいからって火を点けられたらたまったもんじゃないぞ。そんな屁理屈が通るか」(橘)など、刑事たち(先輩を敬う気持ちに欠ける犬養や杉、妙に若者に理解を示す桜井や時田の言葉は除く)の台詞ひとつひとつに大きく頷いてしまいました。
とはいえ「若者を、若者という言葉でひとまとめにしてしまうのはどうかね?」という課長の言葉ももっとも。青年や娘のような、衝動的に他人に迷惑を及ぼすような連中は、いくつになっても周囲に迷惑をかけ続けるもの。若者というくくりではなく「バカ者」というくくりで断罪し、かなうことなら世間から隔離してもらいたいものです。
とはいえ、「気がついたら」ポリタンクに用意した灯油をぶちまけて火を点け、それでも「こんな大きな火事になると思わなかった」などと抜かすように、この娘は精神と頭脳に重大な欠陥があるように思われますので、責任能力を問えるのかどうか、はなはだ疑問です。
ちなみに、叶が娘の犯行に気づいた「ふとしたきっかけ」ですが、詳しく書けば、江崎婦警がやたらと重いハンドバッグを持ち歩いていた→あの娘も事件当夜、重いバッグを持っていた→火事の現場には植木鉢が倒れていたが、犯人がつまずいたにしては、手足の跡が残っていなかった→娘のカバンがぶつかって倒したのでは?→ハンカチでカバンについた土を拭いたかも?という、なんとも遠まわしなもの。異常にカンが良すぎるような気がしないでもありませんが、まぁ、どうでもいいことです。