脚本 大川タケシ、監督 山口和彦
ある夜、紅林の自宅近くでタクシー運転手が殺された。現場に駆けつけた紅林が見たものは、車内に散乱する大量の一円玉だった。所轄署は「いまどき一円なんて紙屑同然。客が落としたか、捨てたんだろう」と気にも留めず、目撃者の証言をもとに近所のヤクザを逮捕。ヤクザは売上金を奪ったことは認めたものの、殺人については否定する。納得いかない紅林は、現場付近の草むらでスーパーの紙袋に入った数百個の一円玉を発見。すべて同じ年に発行されたもので、車内に残された一円玉も同様だった。
神代の許可を得て再捜査を始めた紅林は、現場付近で立ち尽くしていたスーパーの女店員に疑念を抱く。犯行当夜の行動を確かめたところ、女店員は「病院にいた」と答え、一円玉については「何も知らない」という。病院で確認したところ、女店員は犯行当夜、バイクに跳ねられた近所の少年を病院に運び込んでいた。女店員は同じく近所に住む老人とともに、鍵っ子である少年の面倒を見ていたという。少年は頭を打って意識不明のままで、その日も老人が付きっ切りで看病していた。
老人と女店員、そして少年のただならぬ絆を感じ、その身辺を聞き込む紅林。定職屋で料金が5円足りずに困っていた女店員に、老人が助け舟を出したのが二人の出会いだった。二人は母親にかまってもらえず寂しい思いをしていた少年とともに、孤独な者同士が慰め合うようにして暮らしていた。老人が大量の一円玉を貯めていたことを知った紅林だが、老人宅を捜索しようとした矢先、女店員が特命課に自首。女店員は明らかに老人をかばっていた。女店員の自首を知り、苦しげな表情を浮かべる老人に紅林は語りかける。「子供の頃、一円玉を粗末にする私を、母は『一円を笑う者は一円に泣く』と叱った。それ以来、私も一円玉を貯めるようになった。一円玉を大切にするあなたが、理由もなく人を殺すはずがない。正直に言ってください。でないと、あなたが大事にしている一円玉が悲しみますよ」そのとき、看護婦が少年の意識が回復したことを告げ、老人は安堵の吐息とともに犯行を告白する。
その夜、女店員から少年が撥ねられたとの連絡を受けた老人は、財布を少年に渡していたため、貯めていた一円玉を紙袋に入れて部屋を飛び出した。タクシーで病院に向かう途中、一円玉で料金を払おうとした老人に、運転手は「今時一円玉なんて何の役にも立たない」と受け取りを拒否。一円玉を蔑ろにされた老人は、怒りにかられて運転手を殺してまったのだ。「私は、一円玉をバカにした運転手が許せなかった。使い途がなくて、孤独で寂しい一円玉が、つい自分のような気がして、いつの間にか貯めるようになった」誰にも顧みられることのない一円玉に、社会に居場所のない自らの境遇を重ね合わせる老人の呟きに、紅林は黙って耳を傾けるのだった。
ファンが選ぶベストエピソードで上位にランクされ、DVD-BOXVol.1に収録された一本だけに、期待して見ていたのですが、正直なところ期待はずれ。むしろ老人が一円玉を大切にする理由や犯行動機について、納得いかないものを感じました。
ご存知の通り「一円を笑うものは一円に泣く」という言葉は、「わずかのお金でも大切にすべき」という教え。私たちの世代であれば、親に言われるまでもなく、自然と身についた道徳観だと思います。しかし、今回の老人の場合は単なる1円玉コレクターであり(発行年度別に分類するなど、本人以外には何ら意味のない貯め方をしていることからも明白)、自分の大切なコレクションをバカにされてキレたとしか受け取れません。もちろん運転手の態度はひどいとは思いますが、数百個の1円玉を数える手間を考えれば、法律云々ではなく断られるのが当然でしょう。仮に、老人をフィギュアオタク、大量の一円玉をプレミアのついたレアなフィギュアに置き換えて、老人の行為を検証して見れば、犯行動機の理不尽さ分かるでしょう。
お金を大切にするということは、決して発行年度別に分類して溜め込むことではありません。もし一円玉に気持ちがあるならば、日々の暮らしの中で、大切に使われることを望んでいるのではないでしょうか?消費税がどうとかではなく、募金箱に入れるなり、銀行で両替するなり、流通させることは難しいことではないはず。日々の暮らしの中で一円玉を役立ててこそ、お金のありがたみが分かるのではないかと思います。
また、ラストで特命課の面々が「硬貨は20枚までしか強制通用力はない」と定めた臨時通貨法について感想を述べ合いますが、ここでも結局のところ何が言いたいのかよく分かりません。「こんな法律はおかしい」とでも言いたいのか?それとも「誰も知らないマイナーな法律を持ち出して人の行動を規制するな」と言いたいのか?そのあたりのテーマの曖昧さや、あらすじ中に長々と引用した紅林の台詞の論理性の無さも、私が本作を評価できない理由の一つです。
※ちなみに「臨時通貨法」は昭和62年に「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」に改定されましたが、「貨幣は額面の20倍までを限り法貨として通用する」とされ、20枚までしか強制通用力がないルールは変わりありません(紙幣は別)。
ある夜、紅林の自宅近くでタクシー運転手が殺された。現場に駆けつけた紅林が見たものは、車内に散乱する大量の一円玉だった。所轄署は「いまどき一円なんて紙屑同然。客が落としたか、捨てたんだろう」と気にも留めず、目撃者の証言をもとに近所のヤクザを逮捕。ヤクザは売上金を奪ったことは認めたものの、殺人については否定する。納得いかない紅林は、現場付近の草むらでスーパーの紙袋に入った数百個の一円玉を発見。すべて同じ年に発行されたもので、車内に残された一円玉も同様だった。
神代の許可を得て再捜査を始めた紅林は、現場付近で立ち尽くしていたスーパーの女店員に疑念を抱く。犯行当夜の行動を確かめたところ、女店員は「病院にいた」と答え、一円玉については「何も知らない」という。病院で確認したところ、女店員は犯行当夜、バイクに跳ねられた近所の少年を病院に運び込んでいた。女店員は同じく近所に住む老人とともに、鍵っ子である少年の面倒を見ていたという。少年は頭を打って意識不明のままで、その日も老人が付きっ切りで看病していた。
老人と女店員、そして少年のただならぬ絆を感じ、その身辺を聞き込む紅林。定職屋で料金が5円足りずに困っていた女店員に、老人が助け舟を出したのが二人の出会いだった。二人は母親にかまってもらえず寂しい思いをしていた少年とともに、孤独な者同士が慰め合うようにして暮らしていた。老人が大量の一円玉を貯めていたことを知った紅林だが、老人宅を捜索しようとした矢先、女店員が特命課に自首。女店員は明らかに老人をかばっていた。女店員の自首を知り、苦しげな表情を浮かべる老人に紅林は語りかける。「子供の頃、一円玉を粗末にする私を、母は『一円を笑う者は一円に泣く』と叱った。それ以来、私も一円玉を貯めるようになった。一円玉を大切にするあなたが、理由もなく人を殺すはずがない。正直に言ってください。でないと、あなたが大事にしている一円玉が悲しみますよ」そのとき、看護婦が少年の意識が回復したことを告げ、老人は安堵の吐息とともに犯行を告白する。
その夜、女店員から少年が撥ねられたとの連絡を受けた老人は、財布を少年に渡していたため、貯めていた一円玉を紙袋に入れて部屋を飛び出した。タクシーで病院に向かう途中、一円玉で料金を払おうとした老人に、運転手は「今時一円玉なんて何の役にも立たない」と受け取りを拒否。一円玉を蔑ろにされた老人は、怒りにかられて運転手を殺してまったのだ。「私は、一円玉をバカにした運転手が許せなかった。使い途がなくて、孤独で寂しい一円玉が、つい自分のような気がして、いつの間にか貯めるようになった」誰にも顧みられることのない一円玉に、社会に居場所のない自らの境遇を重ね合わせる老人の呟きに、紅林は黙って耳を傾けるのだった。
ファンが選ぶベストエピソードで上位にランクされ、DVD-BOXVol.1に収録された一本だけに、期待して見ていたのですが、正直なところ期待はずれ。むしろ老人が一円玉を大切にする理由や犯行動機について、納得いかないものを感じました。
ご存知の通り「一円を笑うものは一円に泣く」という言葉は、「わずかのお金でも大切にすべき」という教え。私たちの世代であれば、親に言われるまでもなく、自然と身についた道徳観だと思います。しかし、今回の老人の場合は単なる1円玉コレクターであり(発行年度別に分類するなど、本人以外には何ら意味のない貯め方をしていることからも明白)、自分の大切なコレクションをバカにされてキレたとしか受け取れません。もちろん運転手の態度はひどいとは思いますが、数百個の1円玉を数える手間を考えれば、法律云々ではなく断られるのが当然でしょう。仮に、老人をフィギュアオタク、大量の一円玉をプレミアのついたレアなフィギュアに置き換えて、老人の行為を検証して見れば、犯行動機の理不尽さ分かるでしょう。
お金を大切にするということは、決して発行年度別に分類して溜め込むことではありません。もし一円玉に気持ちがあるならば、日々の暮らしの中で、大切に使われることを望んでいるのではないでしょうか?消費税がどうとかではなく、募金箱に入れるなり、銀行で両替するなり、流通させることは難しいことではないはず。日々の暮らしの中で一円玉を役立ててこそ、お金のありがたみが分かるのではないかと思います。
また、ラストで特命課の面々が「硬貨は20枚までしか強制通用力はない」と定めた臨時通貨法について感想を述べ合いますが、ここでも結局のところ何が言いたいのかよく分かりません。「こんな法律はおかしい」とでも言いたいのか?それとも「誰も知らないマイナーな法律を持ち出して人の行動を規制するな」と言いたいのか?そのあたりのテーマの曖昧さや、あらすじ中に長々と引用した紅林の台詞の論理性の無さも、私が本作を評価できない理由の一つです。
※ちなみに「臨時通貨法」は昭和62年に「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」に改定されましたが、「貨幣は額面の20倍までを限り法貨として通用する」とされ、20枚までしか強制通用力がないルールは変わりありません(紙幣は別)。