特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第424話 渓谷に消えた女秘書!

2008年07月29日 03時05分07秒 | Weblog
脚本 塙五郎、監督 宮越澄
1985年7月17日放送

【あらすじ】
東京郊外の渓谷で、女の全裸死体が発見される。死体は車から渓谷に投げ捨てられたらしく、顔は潰れており、身許の手掛かりは左手薬指の指輪しかなかった。その日、珍しく休暇を取っていた神代の元に報告に向かう橘と吉野。若者たちが集う店で一人酒を飲む神代を見つけるが、橘は声をかけようとした吉野を制止する。「今日は、亡くなったお嬢さんの命日だ。課長は今日だけは絶対に仕事をしない。お嬢さんの墓参りをして、お嬢さんとよく来た思い出の店で一人飲む。それも徹底的に・・・」居合わせた若い娘に、夏子の面影を見ていた神代は、若者たちに絡まれる。若者たちを追い払って報告を始める吉野に対し、神代は意外な言葉をかけた。「今日は仕事はせん。俺は仕事中毒じゃない。仕事なんか大嫌いだ。仕事しか考えん奴はもっと嫌いだ」
鑑識の結果、死体の指紋から、女の身許が判明する。女には18歳の頃から売春で逮捕歴があり、今は靴メーカーの社長秘書として働いていた。事情を聞くべく、神代自らが社長のもとを訪れるものの、靴メーカーは乗っ取り屋による株買占め騒動の渦中にあり「協力している暇はない」と拒絶される。
現場に残された塗料や目撃証言から、女の死体を捨てた車を突き止める特命課。その車は靴メーカーの課長のものであり、事件当日は社長に貸していた。「あの車は秘書に頼まれ、課長から借りてやった。運転していたのは彼女自身だ」と主張する社長。吉野は社長が犯人と決め付けるが、神代の意見は違った。「彼女は何のために車を借りたのか、そこに事件のカギがある」
収監中の女の兄を訪ねたところ、女が親の遺した土地を金に変えていたことが判明。女は兄に「この指輪を買ってくれた人のために必要なの」と語ったという。玩具のような安物の指輪だったが、女はその相手に惚れていたのだろう。「あいつは昔から、男に夢中になっては、捨てられた。なのに何度も同じことを繰り返す。バカなんです」
その後の捜査によって、女に指輪を売った露店が判明。女に指輪を買い与えたのは、やはり社長だった。だが、女が社長のために家を売った作った金はたかが知れており、それだけで乗っ取りを防ぐことはできない。女はもっと大きな目的のために、誰かに会いに行ったに違いない。女が乗っ取り屋と面識があったことを知った神代は、乗っ取り屋を見張らせるが、そこに社長が現れ、乗っ取り屋と和解する。乗っ取り屋が女を殺したという証拠をつかんだ社長が、それをネタに和解したと推測する特命課。だが、何の証拠もなかった。
会社を守るため、自分を愛した女の死すら利用しようとする社長に、神代は自身の過去を語る。家庭よりも仕事を重視した挙句、妻も娘も失った過去を。やがて、社長は神代に、女から届いた手紙を届ける。そこには、かつて女が乗っ取り屋に売春を強要されたことや、銀行と手を組んで乗っ取りを繰り返したことなど、過去の悪事が綴られていた。女の死を利用しようとしたことを認め「汚い男です、私は・・・」と語る社長を、神代は責めることはできなかった。
乗っ取り屋は逮捕されるが、その株式は銀行に引き取られ、社長の会社はやはり乗っ取られる運命にあった。だが、社長はそれでも仕事を続けると神代に語る。「私から仕事を取ったら何も残らない。笑わんでください」「私にはお説教をする資格はない。私だって、貴方と同じだ」負けると分かっている株主総会に臨む社長の後姿を、神代は黙って見送るのだった。

【感想など】
仕事に熱中し、家族を顧みなかったがゆえに、妻と娘を最悪の形で失った神代課長。その過去への悔恨を描いた一本。塙脚本もいよいよラスト2本、ということで期待していたのですが、正直言って期待はずれと言わざるを得ませんでした。塙五郎と言えばおやっさんですが、桜井や吉野、高杉の主演作でも名作を残しています。しかし、神代課長とはどうにも相性が悪いらしく見受けられます。本編でも触れている、妻の駆け落ちというショッキングな過去が語られた第239話「神代警視正の犯罪!」でも感じたように、ドラマの整合性が今ひとつであり、一人ひとりの行動がどこかチグハグな印象を受けます。

特に違和感を覚えるのが、本編の主役である神代課長の言動です。冒頭で酔って部下に醜態をさらすという貴重なシーンがありながら、次のシーンではいつもと変わらぬ姿で捜査の陣頭に立っており、「さっきのシーンは何だったの?」と思わせます。「俺は仕事中毒じゃない。仕事なんか大嫌いだ」という自己否定の台詞は、今回のドラマの核であり、非常に重要な台詞です。にもかかわらず、そうした台詞を吐いたことを何の説明もなくスルーされてしまうのは、非常にもったいなく思われました。
この台詞は、ラスト近くで社長を説得する際にも繰り返されますが、そこでの社長の返答がトンチンカンなせいもあって、さほどの感慨もなく、最後まで消化不良のままで終わってしまいます。「自分以外の誰かのために生きたいと思っても、私には、もう妻も娘もない・・・」では、今の神代課長は、何のために生き、何のために刑事という仕事に取り組んでいるというのか?社長のように、そして課長自身が語ったように「仕事を取ってしまったら、何も残らない」という後ろ向きの気持ちで取り組んでいるとは、私には思えない。刑事という仕事はそんな気持ちで取り組めるほど安っぽいものではないし、そんな課長に他の刑事たちが付いて来るとは、どうしても思えない。そもそも、そんな偽悪的な自嘲を口にすることすら課長らしくはないし、それが「娘の命日」(ちなみに、本当の命日は3月)。という感傷的にならざるを得ない日ゆえの泣き言だったとしても、他の刑事たちが(たとえばおやっさんが)「しかし、それだけではないはず」と語るといったフォローしないのも腑に落ちません。
もちろん、課長といえども超人ではなく、時には泣き言も言うし、上記の台詞だって一部は本音でしょう。ただ、そうした普段は出てこない「本音」と、いつもの颯爽とした「建前」の間に何があるのか?吉野らに醜態をさらした直後(翌日?)、いつもの神代に戻れたのは(戻ったのは)なぜなのか?どろどろした矛盾を抱えながらも、そうした内面を周囲に見せることなく、つねに颯爽と振舞う課長を支えているのは一体何なのか。そこまで描いて、初めて内面を描いた意味が出てくるのではないでしょうか?

また、ハナ肇が演じる社長については、女の過去を知っていたのかどうか、女の自分への気持ちに気づいていたのかどうか、そもそも女を愛していたのかどうかもよく分からず、言動に整合性が欠けているような印象です。ハナ肇の演技自体、典型的な叩き上げのワンマン社長を演じているのはわかるのですが、余りに典型的というか、分かり易すぎる演技がかえって空々しく、ラストで神代課長に証拠を持ってくる当たりの演技は特に白々しく思われました。結局、女が家を売って作った金を自分のものにする当たりも、どうにも納得できません。「仕事が大事」という意外には何の共通点がないこの人に、何で課長が自分を投影させたのかも、よく分かりませんでした。

さらに言えば、最も同情されるべき女秘書も、何を考えているのかよく分からない(というかしっかりと描かれていない)。なぜ、安物の指輪だけで妻になったつもりにまでなるのか?それ以前に社長との間にどのような心の繋がりがあったかが全く描かれていないので、感情移入する余地がありませんでした。課長がこの女に娘さんを投影させる理由も不明ですが、同じ年頃の娘なら、容姿や境遇を問わずに投影させてしまうのが、子供を亡くした親の常ということで(実際、酒場で似ても似つかぬ若い娘さんに夏子さんを投影させていましたし・・・)、そこは問題なしとしましょう。

批判的なことばかり長々と書いてしまいましたが、これも塙脚本への期待が高いがゆえですので、ご不快に感じた方は何卒ご容赦ください。また、私とは違った解釈をされた方もいらっしゃると思いますので、私の感想へのご批判でもかまいませんので、よろしければご意見をお聞かせください。
それはともかく、次回脚本担当話は、いよいよおやっさん退職編。これを持って塙氏も特捜を去ることになります。見逃せない一本を刮目して待ちましょう。

第423話 破獄48時間・水色の傘の女!

2008年07月25日 01時04分49秒 | Weblog
脚本 藤井邦夫、監督 天野利彦
1985年7月10日放送

【あらすじ】
殺人罪で服役中の男が脱獄した。男が脱獄間際に見ていた週刊誌には、「父親は受刑者」と告白する16歳の少女歌手の記事が載っていた。男の戸籍に結婚の記録はなかったが、内縁の女性がいた可能性はある。その歌手が男らしき人物とともに姿を消したとの通報を受け、出動する特命課。目撃者の証言によれば、男と歌手は親しげな様子だったらしい。やはり、二人は親子なのか?
しかし、歌手の父親は別にいた。娘に寄生するダニのような父親は、男のかつての流し仲間だった。「父が受刑者」というのは話題づくりのための嘘で、歌手の年齢や名前も、男の娘から借りたものだった。歌手の父親から得た情報をもとに、男の内縁関係だった女と娘の消息を追う叶と橘。女はすでに別の男と家庭を築いており、娘は自分が連れ子であることを知らずにいた。「男は、娘さんに会うために脱獄した可能性が高い」と聞かされた女は、娘に真実を知られることを恐れ「そっとしておいてください」と叶を追い返す。女の家庭を伺っていた若い女が、姿を消した歌手だと気づき、特命課に連行する叶。だが、歌手は自分の父親への反発もあって男に同情し、その行方を語ろうとはしなかった。
女の家庭を張り込む叶と橘。娘とともに帰宅する父親と、二人を迎える幼い弟。中睦まじげな親子の姿に、叶は目を細める。やがて、男から女のもとに電話が入る。事情を知った父親は、男の逮捕に協力する代わりに、娘には知らせないで欲しいと懇願する。「真実から逃げてはいけないのかもしれませんが、知らなくてもいい真実もあるはずです」
一方、叶は不良少女らに強請られている娘を助け、一緒に雨宿りをする。かつて荒れていた時期があった娘は、不良少女らをかばう。「あの子たちも、もうすぐ誰かに自分が馬鹿なことをしてるって教わるはず。私にそう教えてくれたのは、お父さんでした」そこに、父親が傘を持って迎えに来る。自分用の傘を叶に貸し、父親と相合傘で帰っていく娘。二人を見送りながら、叶は血のつながらない父と娘の間に確かな絆が生まれていることを確信する。
その夜、男が女の家庭近くに姿を現すが、雨にまぎれて逃走を許してしまう。男が再び現れると見て、目立たぬように張り込みを続ける橘だが、叶は所轄署に警備させるよう食ってかかる。「万が一、娘が真実を知ったらどうなるんですか?犯人を逮捕するために、幸せな家庭が壊れてもいいんですか?」だが、神代の判断は橘と同じだった。
釈然としないまま、娘の張り込みを続ける叶。男は歌手を使って特命課を東京駅に誘導し、その間に女に接触を図る。一人残った叶の隙をつき、男と待ち合わせた女。「お願い、娘には会わないで!」必死の懇願にも耳を貸さない男を、思わず線路に突き落とそうとする女。駆けつけた叶が女を止めるが、男は逃走。「どうして邪魔したんです!貴方を恨みます!」逆上して叶を責める女を、橘が諭す。「叶は、貴方を犯罪者にしたくなかった。貴方の大切な家族を守ろうとしたんです」男が娘のもとに現れると見た叶は、娘の通う学校に急行。現れた男を逮捕する。「一目でいいんだ。娘に会わせてくれ!」と懇願する男に、叶は答える。「お前の娘はここにいない。いるのは、両親と弟の四人で幸せな生活をしている娘だ」
男の身柄を確保しながら、車を出せない叶。下校する女学生たちのなかに、娘の姿を捜し求める男。橘から差し出された傘を手に、叶は車を出て、娘のもとに駆け寄る。貸してもらった水色の傘を娘に返し、今度こそ車を出す叶。叶に向けて傘を振る娘の姿を、男は食い入るように見つめていた。

【感想など】
一目娘に会いたいと脱獄した実の親と、血のつながらない娘にひたむきな愛情を注ぐ義理の父親、そして実の娘に寄生するダニのような父親。三者三様の父と娘の関わりを通じて、本当の親子の情とは何かを描き出そうとした一本です。ひねりもなければ、見る者に衝撃を与えるわけでもなく、声高に名作と言えるほどの作品ではないものの、じんわりとした何ともいえない余韻を残す良作であり、こういう(悪い意味でなく)普通にいい話をコンスタントに書けるあたり、藤井邦夫脚本のレベルが特捜全盛期のレベルに達したことを如実に物語っている一本です。

娘に会いたい一心だけで、娘の気持ちや将来を思いやれない男に対し、「あの娘は(もう)お前の娘ではない」と諭す叶の台詞は痛烈ですが、決して男の気持ちを思いやれないわけではありません。叶の真意は、ラストの神代課長に向けた台詞に現れています。(余談ながら「今度の事件で何か感じたことはあるかね?」とわざわざ聞いてやる課長の優しさには胸が熱くなります。)「あの家族は、私の夢なんです。施設にいた頃から、勤め帰りの父親を、迎えに走る子供になりたかった。子供になれないなら、子供に迎えてもらう父親になりたかった。男があの娘に夢を見たように・・・」男も、叶と同様に、幸福な家庭を夢見ていた。同じ夢を持つ男の気持ちが、叶には痛いほど分かり、それゆえに、ラストで水色の傘を娘に渡すというかたちで、男に娘の姿を見せてやったのです。
ただ、少し残念なのが、叶に傘を差し出したのが橘だというのが、画面上で分かりづらいこと。車を出そうとしない叶を黙認したのは、同じく人の親として、男の気持ちが分かる橘ならではの優しさです。叶に傘を差し出し、「行って来い」と言わんばかりに頷く橘(思わずそんなシーンを脳内補完しましたが)を見られなかったのはつくづく残念です。

あと、印象に残ったのは、歌手役の大沢逸美の微妙な演技に比べて、娘役のお嬢さん(クレジットから察するに茂野幸子?)の(決して達者とは言えないまでも)爽やかな演技は好印象。特に、叶に対し父親との絆を語るシーンは、父親が語ったという言葉の力もあって、胸に響きました。「どっちが自分に正直に生きていくか、一生かけて勝負しよう。もし正直に生きているつもりなら、とことんやってみろ。その代わり、自分も親として正直に行動する」とっても怖い顔で、泣きながら娘を諭したという父親。道を踏み外そうとする娘に対し、そんな娘の親であることから逃げない父親の態度は立派と言うほかなく、わが子の犯した罪を他人事のように語る腐った親どもに聞かせてやりたいものです。

第422話 姑誘拐・ニッポン姥捨物語!

2008年07月23日 20時56分17秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 宮越澄
1985年7月3日放送

【あらすじ】
「呉林刑事さん、助けて」と走り書きされたチラシが特命課に届けられる。一体、誰が助けを求めているのか?頭をひねった紅林は、「紅」を「呉」と間違えていることから、広島の呉出身だと語った老婆を思い出す。それは、1年ほど前の雨の日、自宅の門の前で家族から閉め出されたようにうずくまっていた老婆だった。
念のために老婆宅を訪ねたところ、応対した息子の妻は「義母は散歩に出ている」と答え、老婆に異常があったようには見えなかった。今度は老婆から所轄署に「誘拐された」との電話が入るが、所轄署の刑事らは、これまでにも老婆のガセネタに振り回されていたため「どうせ婆さんの悪ふざけだ」と相手にしない。「なぜ悪戯と決め付けるんです?」と食い下がる紅林だが、所轄署では別の誘拐事件を抱えており、それどころではなかった。
老婆の老人会仲間から「老婆が数日間姿を見せていない」との情報を得て、再び老婆宅を訪れる紅林だが、息子夫婦は「母の悪戯です」と誘拐を否定。一方、老婆宅の近隣を聞き込んだ特命課は、所轄署の追う誘拐事件の被害社宅に行き当たる。「2つの誘拐事件に接点はあるのか?」と疑念を抱く紅林。そこに犯人らしき若い男から電話が入り、近所の医院を名指しして「子供を返して欲しければ放火しろ」と要求する。
そんななか、老婆が所轄署に現れ「犯人に『もう用はない』と釈放された」と語る。老婆の待遇を巡って所轄署と対立しながらも、老婆を介抱し、犯人の手掛かりを得ようとする紅林。だが、老婆は「あの子はとっても親切にしてくれた」と犯人をかばい、息子夫婦に「医院に放火しろ」と要求したこと以外は、頑なに話そうとしない。
2つの誘拐事件は同一犯人の仕業だった。「なぜ、息子夫婦は黙っていたんだろう?」だが、息子夫婦は老婆を心配する様子もなく、出かけたまま帰ってこない。ようやく深夜に帰って来た息子夫婦は、吉野の追及に悪びれることもなく「人を使って悪戯したと思っていた」と語り、「ついでと言っては何ですが、今晩だけでも警察で泊めてください」と言い放つ。
チラシのミスプリントを元に犯人の居所を絞り込んだ特命課だが、なかなか特定には至らない。そんななか、誘拐された少年の母親は、思いつめた末に放火を図る。異変を察した桜井が止めて事なきを得たものの、もはや猶予はない。「老人は、時として非常にエゴイスティックになる。お婆さんは家庭で不遇にされている分だけ、お前に甘えている。それは間違っている」橘の言葉に、紅林は意を決して老婆を問い詰める。はじめは犯人をかばっていた老婆だが、「あなたの思いやりは、ちっとも彼のためになっていないんです!」と諭され、監禁されていた犯人宅の様子を証言する。老婆の証言をもとに、犯人は逮捕され、少年は保護される。犯人は医院の娘に失恋した腹いせに、犯行を思いついたのだという。
事件後、何食わぬ顔で老婆を迎えに来た息子に、紅林の怒りが爆発する。「あんた、誘拐されたのをチャンスに母親を捨てたんだ!」思わず息子の胸倉をつかんだ紅林。神代に制された紅林に、息子は反論する。「刑事さんたち、年寄りと暮らしたことがありますか?年寄りって嫌なもんです。どこかで死んでくれればいいと、正直思わないわけじゃありません」息子の後を追って帰っていく老婆を見送る刑事たち。「ああいう男を取り締まる法律はないもんですかね」と吐き捨てる吉野に、「人の心までは縛れんよ。結局、帰っていくのは息子の家しかないということは、あの婆さんが一番よく知っている」と答える神代。その言葉を聞きつつ、紅林は「紅林さん、親切にして下さってありがとう」と書かれた手紙を手に、遠くから何度も振り返る老婆を見送り続けた。

【感想など】
人や社会の醜さを描かせたら右に出る者がない佐藤五月氏ですが、今回、取り上げたのは老人問題。息子夫婦に邪魔者扱いされ、どこにも居場所のない老婆に対する紅林の優しさがドラマの主軸となっていますが、佐藤脚本の冴えている(というか意地の悪い)ところは、ラストの息子の反論だけでなく、紅林と対立する所轄署の刑事の「あんたは年寄りと暮らしたことがあるか?俺のうちにはボケた老人がいる。糞小便は垂れ流す。夜中でも歩き回る。大声を出して暴れる!俺の女房は、その看護でぶっ倒れたんだ!」という台詞など、老人を疎ましがる側の主張に異様な説得力があり、むしろ紅林の主張が「単なるキレイ事」だと思えてしまう点にあります。
確かに、この婆さんの日頃の行動を考えれば、何度もガセネタで所轄署を振り回すのは、善意でもあるがゆえにタチが悪く(あえて「でも」としたのは、本来の動機が「誰かにかまって欲しいから」であることが明白なため)、所轄署の対応も無理はありません。「ここは警察だ、老人ホームじゃない!」「子供の命が、あの婆さんの証言にかかっているんだ!」という、紅林からすれば「勝手だ!」と言われてしまう刑事の態度も、(世間に奉仕する公僕としてはともかく、犯罪捜査を生業とする刑事としては)非難されるものではないように感じられました。

ラストで神代課長が冷静に語ったように、結局のところ、老人と同居する苦労は当事者にしか分からないものであり、(程度問題はあるでしょうが)軽々しく他人が非難できるものではありません。同様に、息子夫婦に蔑ろにされる老人の気持ちも、他人が軽々しく思いやれるものでもありません。老婆自身が「息子は私を邪魔にしてません。嫁も優しくしてくれます」と否定したのは、強がりでもあり、母親としてのプライドでもあるのでしょうが、やはり「帰る場所は他にない」という現実を認識しているからでしょう。
今回描かれた紅林の優しさが所詮は「キレイ事」でしかないのは、息子夫婦の立場にも、老婆自身の立場にも立ってみることなく、他人として「可愛そうに」と思っているだけでは何も解決しないということを、脚本家が確信的に描いているからです。その確信犯的な主張が最も現れているのが、紅林が独身だと知った老婆が「私を住み込みで働かせて。お金なんか要らない。置いてもらえればいい」と頼むシーンです。咄嗟に返事もできない紅林ですが、そこで快諾しなかったことを責めるのは無茶というもの。ほぼ確実に自分よりも先に死ぬであろう老人を、自分の生活の中に受け入れるということは、その老人の「死」を受け入れるという常人には耐え難い重荷であり、紅林に、そして私たちにできることは、あくまでも他人という立場から「かわいそうに」と想い、そんな老人を蔑ろにする人々を「人でなし」と罵ることしかありません。安易な解決策を提示することなく「解決策などない」ことをきっぱりと言い切る佐藤脚本は、ある意味で非常に誠実なのではないかと私は思います。

第421話 人妻を愛した刑事!

2008年07月17日 02時30分54秒 | Weblog
脚本 長坂秀佳、監督 辻理
1985年6月26日放送

【あらすじ】
吉野が恋した相手は人妻、それも殺人容疑で拘留中の有名カメラマンの妻だった。夫の無実を主張する妻の言葉を信じ、濡れ衣を晴らすべく捜査を続ける吉野。
殺されたのは、カメラマンとの醜聞が噂される女優だった。事件当日、カメラマン宅に押し寄せたマスコミ陣を、カメラマンはインターフォン越しに追い返した。その後、女優がカメラマン宅に到着。やがて、カメラマン宅から出て行く車をマスコミ陣が追う。特殊ガラスで覆われ、車内の様子は分からない。スタジオまで車を追ってきたマスコミ陣は、焼却炉から女優の着衣と、後に凶器と判明したトロフィーを発見。異常を察知し、カメラマン宅に戻って踏み込んだマスコミ陣が見たものは、撲殺された女優の死体だった。
カメラマンは「ずっとスタジオにいた」と主張。妻もアリバイを証言するが、マスコミ陣の証言もあり、所轄署はカメラマンを犯人と断定した。特命課が見る限り、所轄署の捜査に落ち度は無かった。「吉野の奴、厄介な事件に手を出したな・・・」特命課の刑事らが心配するなか、吉野は捜査に名を借りた妻との逢瀬を楽しんでいた。「奥さん、どんな男が嫌いですか?」「女々しい男、だらしの無い男、誠意の無い男・・・吉野さんは?」「ガムをかむ女、人前で化粧をする女、タバコを吸う女・・・」
そんな吉野を詰問する神代。「カメラマンの無実を証明できる自信はあるのか?夫人を信じる根拠はあるのか?」「わかりません」「では、なぜ?」「好きだからです!刑事が犯罪関係者を好きになっちゃいけませんか?その人の言葉を信じちゃいけませんか?」吉野の言葉に、神代は5日間の猶予を与える。
吉野は妻の証言をもとに、カメラマンがスタジオにいたことを証明する第三者を探す。それは、妻が弁当を届けに着た際にすれ違った若い女だった。女が撮影モデルだと考え、マネージャーの協力を仰ぐ吉野たちだが、マネージャーは事務所を畳む準備に追われて協力を拒む。だが、やがて吉野の執念が実り、女が出前を届けに来たアルバイトの女学生だと判明する。
同じ頃、特命課の刑事たちも事件の真相を追っていた。「カメラマンや夫人のためじゃなく、お前のために動いてみたよ」桜井や橘が見つけたのは、カメラマンが他人を立ち寄らせなかった部屋に飾られた、大量の妻の写真だった。その写真の美しさに、吉野はカメラマンの妻に対する確かな愛を知る。
その後、特命課はカメラマンに濡れ衣を着せたトリックを暴く。犯行現場にいた真犯人は、スタジオにいたカメラマンに電話をかけた上で、インターフォンの受話器と重ね合わせ、あたかもカメラマンが自宅にいるかのように見せかけた。その上で女優を殺害し、誰にも顔を見せぬまま車でスタジオに向かい、焼却炉に証拠品を投げ込んだのだ。それができた者は唯一人。マネージャーに他ならなかった。
一方、女学生を訪ね当てた吉野と妻は、カメラマンのアリバイを証明する証言を得る。だが、そこに証拠隠滅を図るマネージャーが現れ、拳銃で妻と女学生を襲う。間一髪のところを吉野が救出。駆けつけた特命課がマネージャーを連行し、事件は解決した。
カメラマンが釈放される日、吉野は妻に公園に呼び出される。勇んで駆けつけた吉野が見たものは、清楚な和服姿に似合わぬ素振りで、ガムをかみ、人前で化粧をし、タバコを吸う妻の姿だった。あえて吉野の嫌う女の姿を見せて、無言のまま立ち去る妻。その哀しげな後姿には、吉野への確かな感謝と、そして訣別の想いが込められていた。「カメラマンは釈放され、吉野さんの恋は終わった・・・」

【感想など】
好感・吉野の切ない恋を描いた一本であり、その主題においては紛れも無い傑作。トリックが陳腐だとか、真犯人に意外性がないとか、事件そのものへの不満を口にするのは、はっきり言って野暮というもの。ここは吉野が切ない胸の内をストレートに語る、素晴らしい台詞の数々に酔いしれましょう。「天使っているんだ!惚れちまった、俺!」「あの人の頭は旦那のことで一杯だ。旦那の無実が証明できれば、俺はそれ以上逢うことはできない。俺は、あの人と別れるために捜査をしている。苦しいな・・・」「奪っちゃおう。本気でそう考えたこともある。しかしな、あの夫婦には9年間培ってきた歴史がある。俺は、その歴史にどうしても勝てんのだ・・・」注目すべきは、これらの台詞がすべて叶に向けて語られていること。なんだかんだ言っても、吉野が最も心を許している存在が叶だったということでしょう。ラストのモノローグが叶の台詞だというのも、二人の確かなつながりを印象づけています。

叶に限らず、吉野の無謀とも言える捜査を期限付きながらも認める神代課長や、「お前のために動いてみた」の名台詞を残して真相を暴く橘たちの姿から、吉野がいかに仲間たちから愛されていたかが伝わってきます。そんな仲間が見守る中、吉野の恋は今回も悲恋に終わります。悲恋でもいいじゃないか。恋は悲恋だからこそ、美しいままに終わることができる。その意味では、あえて吉野の嫌う姿を見せ、去っていく妻の凛とした潔さは、「さすがは吉野が惚れた女」と言うほかありません。妻は捜査を通じて、吉野の想いを知り、少なからず好意を抱いたと思われます。しかし、だからこそ、最後はあそこまでして吉野を拒絶したのでしょう。拒絶することこそ、彼女のカメラマンへの、そして吉野への愛情であり、人としての優しさでもあったのだと私は思います。そんな彼女の真意が分かったからこそ、彼女を見つめる吉野も、当初の険しい(そんな彼女を認めたくないような)表情から、やがて涙をこらえるような表情へと変わっていったのではないでしょうか。彼女が嫌う男とは、女々しく、誠意の無い男。そんな男にならないために吉野ができることは、彼女の切ない真意を思いやり、思わず溢れそうになる涙をこらえることしかなかった。泣くな吉野。泣くなら家に帰って布団の中で泣け。そして一晩泣いたら、いつもの笑顔を見せてみろ。彼女を愛したことは決して間違いではなく、辛い想い出として君を苦しめるものではないのだから。

第420話 女未決囚408号の告白!

2008年07月16日 00時21分32秒 | Weblog
脚本 長坂秀佳、監督 天野利彦
1985年6月19日放送

【あらすじ】
土地ブローカーである夫を殺した容疑で逮捕した女に会うため、足しげく拘置所に通う桜井。証拠も自白も揃っており、女の犯行は明らかだった。だが、桜井は2つの疑問点が引っかかっていた。1つは、凶器の刺身包丁に2本の指の指紋だけが欠落していたこと。もう1つは、犯行直後、女が妹宅で電話を借りるのを見ていた幼女の「お電話が『メリーさんの羊』って言ったの」という謎の証言だった。
裁判が迫っても拘置所通いをやめない桜井の真意を問い質す神代たち。改悛の情も見られず、取調べ中もタバコを催促しては、火の点いたままの吸殻を放り捨てる女の態度に、特命課の刑事らは不快感を隠せないでいた。「彼女のためではなく、私自身のためにすっきりさせたい」と主張する桜井に、神代は再捜査を認める。
強引な取調べから女との面会を禁じられた桜井は、父親の死後、女手一つで娘らを育てた母親や、3人の妹のもとを訪れる。そこで明らかになったのは、激し過ぎる気性ゆえに2度も罪を犯し、肉親からも見捨てられた女の姿だった。1年前のお盆には、母親に「父親の墓参りをしたろう!」と問い質し、否定する母親と口論になり、ナイフを手にするほどの荒れようだったという。火の点いたタバコを放り捨てて立ち去った女の真意は、妹たちにも分からずじまいだった。
やがて、妹たちの証言の断片から、殺された夫が母親の土地を狙っていたことや、女と母親が口論になった直前、墓地の裏で一家五人が焼け死ぬ火事があったことが判明する。もし母親が墓参りに来ていたとすれば、火事の原因となるタバコの投げ捨ての容疑者ということなる。「潔癖で、世間の目を気にする母は、自分のタバコの不始末で火事になったという噂だけでも自殺しかねない」妹の一人から得たその証言で、桜井は真相に気づく。
女は火事の日までタバコを吸ったことはなかった。さも以前から吸っていたように見せかけ、火の点いたタバコを放り捨てたのは、母親をかばうためだった。たまたま夫とともに母親が墓参りする姿を見た女は、母親に墓参りに行ったことを否定するよう仕向け、仮に疑いが向けられたとしても自分の仕業だと印象付けるよう芝居を打ったのだ。その後、土地が値上がりしたため、夫は火事をネタに母親から土地を脅し取ろうとし、女はそれを止めようとして刺殺したのだ。
桜井の推理に対し、「あの女は、自分の苦労が母親のせいだと逆恨みし、憎んでいます。そんな母親をかばうなんて信じられません」と反論する吉野。だが、桜井は「犯行直後、彼女は母親に電話をかけようとした。それが母親を心から憎んでいない証拠だ」と語る。その証拠こそ「メリーさんの羊」、すなわちリダイヤル時に電話機が奏でたメロディー「ミレドレミミミ」だった。女のアドレス帳に残された電話番号のなかで、その音階に当てはまるのは、母親宅のものだけだった。
神代の尽力で再び面会が可能になった桜井だが、女は頑なに面会を拒否。やむなく手紙を送る桜井。「たぶん、あなたは認めようとしないでしょう。しかし、お母さんのことなら心配無用です。お母さんは、初めてあなたの愛と優しさに気づき、それに応えるためにも、自殺など考えず、法の裁きを受けるために自首しました。仮に、私の考え通りだとしても、罪状に大差はないかもしれません。ただ、心が違います。あなたは、心を見直すことができる。そして妹たちも。さらに、私たちにとっても、こうした事件を上辺だけで判断する前に、もう一歩真実に踏み込むことが必要だという戒めになるのです・・・」
そして裁判の日、法廷へと送られる女は、見送る桜井に向けてもう一つの疑問点を明かす。無言のまま、桜井に見せ付けるように握った女の手は、指2本の指紋が残らぬような凶器の握り方とともに、桜井に心を開いたことを示していた。

【感想など】
一見して憎み合っているかのように見えた母と娘の、深い愛と絆を描いた一本です。布団に枕を置く仕草、絞ったタオルを干す仕草・・・何気ない仕草を積み重ねる演出だけで、辛らつな言葉とは裏腹の、強くて深い絆を描き出す手腕は、お見事と言うほかありません。ラスト近くになって、針仕事をする母親を見て真似をする幼き日の女が描かれます。それはドラマ的にも母と娘の絆の証明という意味深いシーンですが、単にそれだけではなく、視聴者に対して、無条件で親を慕った幼き日々へのノスタルジーとともに、それだけ深かったはずの親との絆が途切れがちになっている現状を、淡い後悔とともに思い起こさせる効果をもたらしているのではないでしょうか。

2つの謎のうち、「メリーさんの羊」が「言葉」でなく「音」だったというのは、まさに長坂氏ならではの「奇想」であり、これもまたお見事。真相が分かった上で見返すと、幼女の証言の一つひとつ(たとえば桜井の「男の声?それとも女の声?」という質問に「お電話の声」と答えるなど)が納得でき、「裁判まで残り○日」というテロップにいちいち「メリーさんの羊」が流れるあたり、長坂氏にとっても会心のトリックだったことが伺えます。その割に、と言ってはなんですが、もう一つの謎は、ラストで桜井に心を開いたことを示す以外に、特に大きな意味があったとは思えず(私が理解できなかっただけ?)、少し残念です。

第419話 女医が挑んだ殺人ミステリー!

2008年07月05日 01時46分37秒 | Weblog
脚本 長坂秀佳、監督 松尾昭典
1985年6月12日放送

【あらすじ】
ホステスが河原で射殺され、死体の左肩に犯人の歯形が残された。数日前にはホステスの母親が自宅で絞殺され、同じく肩に歯形が残されていた。法歯学の権威、冷泉教授が鑑定に当たったものの、母親の遺体を写真でしか見られなかったことなどから、歯形が同一人物のものかは判定できなかった。その後、所轄署の若手警視とベテラン警部の活躍により、犯人としてヤクザが逮捕される。警視は警察庁上層部の息子であり、ホステス殺しの第一発見者でもあった。ヤクザは「ホステスとの別れ話がもつれたため」と両者の殺害を自白し、事件は解決したかに見えた。だが、特命課を訪れた冷泉は、神代に対し「今回の事件は10年前のケースと同じ」と語り「彼はシロ(無実)です」と断言する。
10年前、暴力団と刑事の銃撃戦の巻き添えになって市民が射殺された際、法医学の助教授だった冷泉は、銃弾を刑事の拳銃によるもの鑑定し、捜査指揮を取っていた神代と対立。神代はその銃声を録音していたテープを探し出し、銃声紋から暴力団の拳銃によるものと突き止める。その事件を機に、冷泉は法医学という広い分野を捨て、専門分野の第一人者になるべく法歯学の道に進んだ。
特命課は、冷泉がホステス殺しの銃声を録音したテープを入手していたことを突き止める。その銃声紋を鑑定した結果、犯行に使われた拳銃が、警部補以上でしか所有できないものだと判明する。警視か警部のいずれかが真犯人と見た特命課は、所轄署に乗り込みヤクザを尋問。最初は「俺がやった」と主張していたヤクザだが、橘の追及の前に「警察に無理矢理自白させられた」と証言を変える。警部らはヤクザを釈放するが、その直後、ヤクザはラブホテルで絞殺され、またも歯形が残される。自白は真犯人との取引によるもので、口封じのために殺されたと推測する特命課。隣室にいた不審な男が真犯人と見られたが、フロントは男の顔を見ていなかった。
母親の殺害現場を捜索した船村は、湯飲みが不自然な位置にあることに気づく。現場の指紋はことごとく拭き取られていたが、湯飲みにはわずかに拭き残されていた。そんななか、別件で逮捕されていた強盗犯が母親殺しを自白。だが、ホステスと暴力団員が殺された際は獄中にいたため、それらの犯人は別にいるはずだった。
一方、母親殺しの初動捜査時の現場写真を入手した神代は、湯飲みをつかんでいた捜査員が手袋をしてないことに気づく。特命課は「手袋をするのを忘れ、現場に自分の指紋を残してしまった捜査員が、ミスの発覚を恐れる余り、犯人の指紋ごと拭き消したのではないか」と推測。さらに、ホステスの同僚の証言によれば、ホステスは殺される直前に「刑事が現場検証の際に指紋を拭き取っていた。そいつを追及してやる」と言っていたという。写真では顔の見えない捜査員こそが、ホステスとヤクザを殺した犯人に違いなかった。
ホテルのフロントが、男のネクタイだけは見ていたことを突き止める冷泉。そのネクタイは洒落た柄だったらしいが、二人の容疑者のうち、お洒落に気を遣うのは警視に他ならない。さらに、警視の歯形がホステスと暴力団員の歯形と一致したため、冷泉は警視を追及。警視は「銃声がした際は聞き込み中だった」とアリバイを主張する。聞き込み相手の老婆の耳が不自由だとつきとめ、警視のアリバイを崩す橘。だが、それだけでは二人を殺した証拠にはならない。
その後、かつて警視と警部が殺人容疑で取り調べ、証拠不十分で釈放した歯科技工士が殺害され、同じく警視の歯形が残される。歯形が奥歯まで残っていたことから、冷泉は「人間の歯形ではなく、歯形の模型を押し付けたもの」と見破る。ホステスとヤクザに残された歯形も、同様に模型によるものだった。時を同じくして、湯飲みの指紋が警部のものだと判明。「警視に罪を押し付けるために、警部が歯科技工士に模型を作らせ、証拠隠滅のために殺した」と推理した特命課は、警部を連行する。
一件落着を祝い、神代に電話を入れる冷泉。だが、神代は「材料が多いときほど、穴が多いもの。用心しないといけない」と結論を急がない。神代の言葉に、ある疑惑に気づいた冷泉は、再びホテルのフロントを訪れる。ネクタイの位置から割り出した男の身長は、警部のものではなく、警視のものだった。真相に気づいた冷泉は、ビルの屋上へと警視を呼び出し、自らの推理を披露。すべては冷泉のミスディレクションを促すための警視の罠だった。計画が見破られたことを悟った警視は、冷泉に殺意を向ける。だが、それこそが特命課の罠だった。神代らに囲まれた警視だが、「証拠はどこにある!」となおも抵抗。だが、歯形の模型の裏側に残された指紋という証拠を突きつけられ、ついに観念する。
自暴自棄になって引き金を引いた警視の拳銃には、弾が入っていなかった。「いつもそうなんだ。あの日も、脅して黙らせるだけのつもりだった。なのに、弾が入っていた・・・」神代らの前で、隠し続けていた胸の内をさらけ出す警視。「私は能無しだ。刑事なんかに向いてないのに、昇進試験には親父の力で受かってしまう。だのに私は、殺しの現場に指紋を残してしまった。あぁ、言われる。あいつは親の七光りの能無しだと。私は怖い。助けてくれ。事件なんか扱いたくない。死体なんか見たくない。普通に暮らしたいんだ」警視の言葉が、神代らの胸に虚しく響いた。

【感想など】
神代課長を演じる二谷英明氏の奥様、白川由美氏演じる法歯学の権威・冷泉教授が第350話「殺人トリックの女」以来の再登場を果たした一本。長坂氏の本格志向が遺憾なく発揮された練りに練った脚本、と言えば聞こえは良いが、正直なところ、余りに練りすぎて視聴者の多くは置いてけぼりだったのではないでしょうか?少しでも目を放せば、ストーリーが理解できなくなってしまうほどの難解さは、余り褒められたものではありません。

念のため、事件の流れをもう一度整理しておきますと、以下のようになります。
強盗が母親を殺害→現場に駆けつけた警視はうっかり指紋を残してしまい、慌てて拭き取る→そこをホステスが目撃→ホステスに追及された警視が誤って射殺→母親との連続殺人と見せかけるため、ホステスに歯形をつける(この時は自分の歯で?でも冷泉教授はホステスの歯型も模型と言っていたような・・・)→工作がばれた時に備え、警部に罪をなすりつけようと、何も知らない警部に茶碗を持たせ、わざと少しだけ指紋を残して現場に戻す→現場付近をうろついていたヤクザを逮捕し、取引して自白される→耳の不自由な老婆を利用してアリバイ工作→ヤクザの偽証がばれたので、ヤクザを殺害し(模型の)歯形をつける(このとき、警視を装った警部の犯行に見せかけようとして、あえてお洒落なネクタイをするが、身長については考えが及ばず)→歯形の模型を作らせた歯科技工士を証拠隠滅のために殺害、その際、歯形が模型であることを気づかせるため、これ見よがしに奥歯まで歯形をつける→首尾よく警部が連行されて一安心→やっぱり世間は甘くない
整理したおかげで、いったい歯形の模型はいつ用意したのか?という疑問が発覚しましたが、そんな突っ込みも面倒になるような、難解極まりない一本でした。おかげで、あらすじの分量もいつもよりかなり多め。読む方にはさぞご面倒かと思います。

とはいえ、長坂脚本らしく、ドラマの端々に印象的なシーンが盛り込まれています。特に印象に残ったのは、冷泉教授の挑戦的な態度の裏に、神代に助言を求めていることをおやっさんが見抜くシーン。「誰だって初歩的なミスを犯してしまったことがあるはずだ」と神代に言われ、「素手で凶器を掴んでしまった(おやっさん)」、「犯人の足跡を踏んづけてしまった(紅林)」など恥ずかしい過去を自ら暴露するシーン。そして何よりも、ラストの警視の独演シーン。ただ難解だったという感想だけに終わらせない、一ひねりしたラストはさすが、という感じです。

第418話 少年はなぜ母を殺したか!

2008年07月02日 04時00分26秒 | Weblog
脚本 長坂秀佳、監督 辻理
1985年6月5日放送

【あらすじ】
母親殺しの罪に問われた少年の裁判が開かれる。自らの犯行を認める少年の弁護士を務めるのは、特命課と因縁浅からぬ仲田弁護士。傍聴席には神代以下、特命課の刑事たちの姿があった。
女検事が罪状を読み上げる。少年は麻薬や賭博で逮捕歴があり、犯行直前にも猥褻物頒布の現行犯で逮捕されていた。少年を更正させようと、母親は日頃から少年の住むアパートに通っていた。事件当日、少年は言い争った末に母親を絞殺。一度は首吊り自殺に見せかけようとしたものの、結局は断念し、自ら警察に通報した。
その後、少年の父親や妹が証言台に立ち、少年の生い立ちが語られる。両親の離婚後、幼かった姉弟は親戚に引き取られ、少年は仕事で留守がちな父親と二人で暮らしていた。寂しい生活のなかでも、少年は時折電話で姉弟を勇気づける優しい兄だったという。若い頃に左腕投手として鳴らした父親の手ほどきで、少年は右利きながら左手の腕力が強かった。それは母親の首に残された締め跡の特徴と一致していた。証拠もあり、本人が認めていることからも、少年の犯行は明らかに見えた。しかし、仲田弁護士には少年が無実だという確信があった。その理由は証言台に立った特命課の刑事たちから語られる。
紅林は、別件で張り込み中、事件直前に少年が公園で女友達から鳥かごを押し付けられているのを目撃していた。少年が起訴されることを知った紅林は、少年が公園を去った時間が自白と食い違っていることに気づき、神代に進言。神代は検察に再捜査を申し出たが、検事はそれを一蹴。神代は特命課に独自捜査を命じる。
続けて証言台に立った船村は、鳥かごの中にインコが死んでいたことを突き止めたが、現場に鳥かごが無かったことから「少年がインコを埋葬した」と推測。白骨化したインコの死骸が埋められていたのを発見する。埋葬に要した時間を考えれば、少年は母親の死亡時刻にはアパートに戻っていないはずだった。だが、女検事は紅林の時計が頻繁に修理に出されていること、インコは少年が埋めたとは限らないことを指摘。アリバイ証明には至らないとし、少年に無期懲役を論告する。
神代と叶は特別弁護人となって法廷に立ち、桜井、橘に証言を求める。二人が調べ上げた真実は、少年と母親の立場が全く逆だった。麻薬や賭博に溺れていたのは母親の方であり、猥褻物頒布は母親の借金を返すために割りの良いアルバイトを求めた結果。さらに、母親が少年の部屋を再三訪れていたのは、少年の同居人と愛人関係にあったためだった。「あなたはお母さんの非行を、お父さんや妹、弟に隠すため、必死でかばっていたんじゃないですか?」「違います!」「犯行を自白したのも、真犯人をかばっているんじゃないですか?」「僕がやったんです!」仲田弁護士の言葉を必死に否定する少年。だが、最後に証言台に立った父親は真実を明かす。母親を殺したのは、父親だった。少年の部屋に母親を探し当てた父親は、母親こそが少年を苦しめ続けていた元凶だと知り、思わず凶行に及んだ。そこに戻ってきた少年は、病気がちの父親を守るため、姉弟を悲しませないため、そして何よりも母親の非行を世間から隠すために、自ら罪を被ることを申し出た。「こんな母さんでも、僕や妹、弟にとっては女神のような存在なんだ。お願いだから、母さんの名誉を守ってくれ」父親が嗚咽とともに搾り出した少年の言葉に、法廷の誰もが、言葉を失った。「判決、少年を無罪とする」

【感想など】
「ワンセットドラマで法廷劇をやりたい」という長坂氏の目論見のもと、ほぼ全編法廷シーンのみで描かれた異色の一本。辻監督の判断で場面転換の際に裁判所の外観を挿入したことを長坂氏は残念がったらしいですが(長坂氏の著書「術」からの引用)、正直なところ、視聴者にとっては、全編ワンセットかどうかは興味がなかったのでは?
同書によれば、刑事を(無実の人間を救う)弁護側で活躍させたかったため、法律を調べて「刑事訴訟法第31条」を発見し、特別弁護人という「盲点」をついて、神代課長に見せ場を与えたとのこと。ドラマと現実の整合性に妥協を許さないその執筆姿勢は素晴らしいと思いますが、無理に弁護側に立たなくとも、刑事たちの証言によって真実が明らかになればストーリーとしては成立したわけで、せっかくの取材成果がドラマとしての面白さを増すことにつながっていないのが少し残念です。

特捜ファンの間でも人気が高く、「後期特捜を代表する名作」としてDVDにも収録(Box4)されている本編ですが、私の個人的な感想としては、印象的であり、意義深い一本であることは認めるものの、手放しに賞賛できるものではありませんでした。
理由はいくつかありますが、たとえば、まるで少年を憎悪するかのように厳しく追及する女検事の背景が描かれてないため、検察=無実の人間を罪に陥れる悪、という通り一遍の描写にしか見えないこと。女検事が尊属殺人を憎む理由や過去が、たとえば特命課の刑事の口からでも語られれば、深みが出たのではないかと残念に思われます。
あと、これまでにも(第338話「午前0時30分の証言者」および第394話「レイプ・白いハンカチの秘密」)仲田弁護士が登場する際に不快さを指摘していましたが、今回も自分が利口だと思い込んでいる女に特有の人を見下したような表情が不愉快極まりません。まあ、これは私の個人的な好き嫌いであり、ドラマの評価とは別問題ですが(だったら書かなければ良いのですが、どうにも不快だったもので・・・ご容赦ください)。

それはともかく、最も納得できなかったのが、少年と父親の気持ちです。少年は、自ら罪を被った理由として「①心臓の弱い父親を刑務所に送らないため」「②妹や弟を傷つけないため」「③母親の非行を世間に知られたくないため」の3点を挙げましたが、②については、「非行に走った母親を父親が殺した」という事実と「非行に走った兄が母親を殺した」という嘘と、どちらが姉弟にとってよりショックか、と比較すること自体がナンセンスです。①と③についても、酷な言い方をすれば、大切な人(の名誉)が傷けられるのを見ることで、少年自身が傷つきたくないだけであり、自己犠牲というものを美化しやすい年頃の若者が、長男ゆえの責任感もあって安易な判断を下したという見方もできます。
もちろん、多感な少年(といっても21歳ですが)にはやむを得ないことであり、その決断を責めるつもりはありません。しかし、そうした(敢えて言えば)未熟な判断を、いい大人である父親があっさり受け入れてしまうのは、どうにも納得できません。
現実には、もっとひどい父親がいることも承知しています。しかし、それでもなお、自分の罪を息子に背負わせようとする父親の存在にリアリティを感じることができません。息子の罪を被ることはあっても、(どれだけ息子が望もうとも)自分の罪を息子に被せることなどできるわけがない。それが父親というものであり、それゆえ、本編が好きだという方には申し訳ないのですが、本編を名作と称える気にならないのです。