大きな本番が一つ終わった。新年1月4日からスタートしたこの取り組み、このイベント実現に向けていろいろな形で協力を頂いた方々に感謝の気持ちを伝えたい。
さて、当日の感想はHPのほうに書いたが、バンドのメンバーにもレポートが課せられているので、私もレポートを・・・
この企画、作曲家の先生方が自ら取り組んでくださっていることが、すごいことである。北爪先生の「最近、子ども達の周りには悲しいニュースが多い。作曲家として子ども達に何か伝えられることはないだろうか?私達の社会の未来のために何か出来ないだろうか?」という言葉が今でも忘れられない。そしてそれを実現させるために、出版関係の東京ハッスルコピー(以下、団体は全て敬称略)、CD録音をしてくださったキングレコード、自衛隊中央音楽隊、莫大な資金的な援助をしてくださったローランド芸術文化振興財団、具体的な準備を一手に引き受けてくださった浜松市、浜松市文化振興財団はじめ、多くのスタッフが一切の利益無しに心を込めて取り組んでくださったことが何よりもこのイベントの素晴らしさである。芸術家、演奏家、企業、行政、学校、地域・・・本当にみんなの手で実現させたこのイベントに自分も参加できたこと、初日のトップバッターと最終のオオトリを務めさせていただいたこと、一生の宝である。
以前、宮川彬良さんも「無理なことや困ったことがあったら、その時はその時だ。四の五の言わんと、まずやってみようじゃないか。という、YARAMAIKAが気に入った。」と、仰っていた。コレだけのまとまりを見せられるのも、まさに浜松の『やらまいか』精神であろう。
演奏をプロの演奏家でやるほうが良いだろう。金銭的な負担を考えて、セミプロや全国級の大学・職場・一般バンドだって可能かもしれない。世間の反応や、某匿名掲示板でもそのように言われているのは、わかりきっている。しかし、作曲家の先生方の「子ども達の未来に何か伝えたい」という熱いメッセージがこのイベントのスタートだとしたら・・・作曲家の先生方が、「吹奏楽(ブラバンと仰る先生方が多数)なんて書く気もなかったし、嫌いだった。なんで書いたかって・・・」このスピーチを聞いたときに、改めて今回のイベントにこめられた熱いメッセージを感じた。この初演が大人の演奏団体やプロの演奏団体だったとしたら、果たしてこれだけの先生方が書いてくださっただろうか?
バンドの子ども達について考えてみる。彼女ら(彼ら)は、管楽器を始めて1年~2年である。半分は去年の今頃、ランドセルをしょっていた。管楽器の演奏どころか、ピアノすら弾けない子がほとんど、それどころか、楽譜のドレミすら出来ない子たちばかりである。『ベー』といえば、『アッカンベー』レベルである。それが、今回の『並びゆく友』では、「減三和音の響きを意識しよう。5音を抜いてあるから、根音を完璧に合わせよう。慎重に短7度をのせていこう・・・」と、机を丸くして、スコアを片手に、オルガンを弾きながらみんなで研究したのである。「三拍子のリズムと四拍子のメロディーのニュアンスを違いをはっきりさせつつ、合わせていこう。でないと、楽譜から自然に生まれるアクセントが表現されないよ。」「ポリリズムに注意して生き生きと表現しよう。」「始まりのテンポに対してのPoco Meno、accel、Piu Mossoをより工夫しよう。」一人一人が音楽を真剣に考えた。何かヒントはないだろうかと、北爪先生の作品である『映照』『サイドバイサイド』を聞き、他にもストラビンスキー等のCDも聞いた。もちろん、楽器でそれらを表現するための技能を身に付けるための地道な基礎練習、曲の練習などは、毎日行われた。子ども達の成長は、とてつもないスピードなのだということを、子ども達から教えてもらった。
作曲家の先生方(特に北爪先生)は、そんな私達のやることを、全て受け入れてくださり、優しく包んでくださり、最後には、暖かい拍手までしてくださった。こんなことってあるのだろうか!?信じられない!
今回の演奏会ほど、ステージがアマチュア(しかも中高生)で客席にプロフェッショナルが多くいた演奏会も珍しいだろう。しかも、トップバッター、オオトリは音楽無免許教員である。まさに『維新』である。来年もこの企画、続きがあるという。第一線の作曲家、音楽家と、子ども達とで広がる波紋が、浜松から世界に広がっていくことを願ってやまない。
さて、当日の感想はHPのほうに書いたが、バンドのメンバーにもレポートが課せられているので、私もレポートを・・・
この企画、作曲家の先生方が自ら取り組んでくださっていることが、すごいことである。北爪先生の「最近、子ども達の周りには悲しいニュースが多い。作曲家として子ども達に何か伝えられることはないだろうか?私達の社会の未来のために何か出来ないだろうか?」という言葉が今でも忘れられない。そしてそれを実現させるために、出版関係の東京ハッスルコピー(以下、団体は全て敬称略)、CD録音をしてくださったキングレコード、自衛隊中央音楽隊、莫大な資金的な援助をしてくださったローランド芸術文化振興財団、具体的な準備を一手に引き受けてくださった浜松市、浜松市文化振興財団はじめ、多くのスタッフが一切の利益無しに心を込めて取り組んでくださったことが何よりもこのイベントの素晴らしさである。芸術家、演奏家、企業、行政、学校、地域・・・本当にみんなの手で実現させたこのイベントに自分も参加できたこと、初日のトップバッターと最終のオオトリを務めさせていただいたこと、一生の宝である。
以前、宮川彬良さんも「無理なことや困ったことがあったら、その時はその時だ。四の五の言わんと、まずやってみようじゃないか。という、YARAMAIKAが気に入った。」と、仰っていた。コレだけのまとまりを見せられるのも、まさに浜松の『やらまいか』精神であろう。
演奏をプロの演奏家でやるほうが良いだろう。金銭的な負担を考えて、セミプロや全国級の大学・職場・一般バンドだって可能かもしれない。世間の反応や、某匿名掲示板でもそのように言われているのは、わかりきっている。しかし、作曲家の先生方の「子ども達の未来に何か伝えたい」という熱いメッセージがこのイベントのスタートだとしたら・・・作曲家の先生方が、「吹奏楽(ブラバンと仰る先生方が多数)なんて書く気もなかったし、嫌いだった。なんで書いたかって・・・」このスピーチを聞いたときに、改めて今回のイベントにこめられた熱いメッセージを感じた。この初演が大人の演奏団体やプロの演奏団体だったとしたら、果たしてこれだけの先生方が書いてくださっただろうか?
バンドの子ども達について考えてみる。彼女ら(彼ら)は、管楽器を始めて1年~2年である。半分は去年の今頃、ランドセルをしょっていた。管楽器の演奏どころか、ピアノすら弾けない子がほとんど、それどころか、楽譜のドレミすら出来ない子たちばかりである。『ベー』といえば、『アッカンベー』レベルである。それが、今回の『並びゆく友』では、「減三和音の響きを意識しよう。5音を抜いてあるから、根音を完璧に合わせよう。慎重に短7度をのせていこう・・・」と、机を丸くして、スコアを片手に、オルガンを弾きながらみんなで研究したのである。「三拍子のリズムと四拍子のメロディーのニュアンスを違いをはっきりさせつつ、合わせていこう。でないと、楽譜から自然に生まれるアクセントが表現されないよ。」「ポリリズムに注意して生き生きと表現しよう。」「始まりのテンポに対してのPoco Meno、accel、Piu Mossoをより工夫しよう。」一人一人が音楽を真剣に考えた。何かヒントはないだろうかと、北爪先生の作品である『映照』『サイドバイサイド』を聞き、他にもストラビンスキー等のCDも聞いた。もちろん、楽器でそれらを表現するための技能を身に付けるための地道な基礎練習、曲の練習などは、毎日行われた。子ども達の成長は、とてつもないスピードなのだということを、子ども達から教えてもらった。
作曲家の先生方(特に北爪先生)は、そんな私達のやることを、全て受け入れてくださり、優しく包んでくださり、最後には、暖かい拍手までしてくださった。こんなことってあるのだろうか!?信じられない!
今回の演奏会ほど、ステージがアマチュア(しかも中高生)で客席にプロフェッショナルが多くいた演奏会も珍しいだろう。しかも、トップバッター、オオトリは音楽無免許教員である。まさに『維新』である。来年もこの企画、続きがあるという。第一線の作曲家、音楽家と、子ども達とで広がる波紋が、浜松から世界に広がっていくことを願ってやまない。