赤い水性の部屋

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忘れてしまうこと

2006年03月08日 | Weblog
 昨日、同じ吹奏楽愛好家で、本業も同じ友人夫妻が実家にやってきた。以前より、目光という魚を食べたいとやたら熱心に言うので、「そんなもの、普段の晩御飯に出てるよ、普通に」という話になり、「じゃあ、うちの母ちゃんが今度採れたら開いて干しとくよ」てなことになったわけ。店のものを一度食べただけというので、我が家流で数匹その場で焼いてあげたら、いたく感動してくれた。「こんなうまいものを普通に食べてるとは、トクは自分の幸せがわかってない」と友人夫妻は仰る。
 
 『なくなってみて、そのありがたみがわかる』というが、「ある」ということが当たり前、「やる」ということが当たり前になると、人間は『わかっていてもありがたく思わなくなる』ものだ。食べ物は大事だとわかっていても、やはり満腹では残してしまう。食糧難の国では考えられないことだろうし、つい最近の日本だって食べるものが無く貧しい時代があったはずだ。
 
 江南は部活だ存分にできて当たり前(これはどの部活にもいえる)である。練習場も、練習環境もあるのが当たり前である。楽器だって保護者の協力もあり、充実している。コンクールでは学校がバスやトラックを手配してくれるし、県大会などの上位の大会にも出場することができている。定期演奏会もあるし、その他にも自主的な演奏会やイベントへの参加ができる。確かにそれは今は当たり前になっているが、その環境や機会を当たり前にしてくれた人たちの支えを忘れてはいけない。やりたくても教えてくれる人がいないバンド、さまざまな事情で思い通りに活動ができないバンドが浜松、いや日本全国にはたくさんあるはずだ。テレビにでる吹奏楽部が当たり前なのではない。

 目光はうまい。舞阪生まれの舞阪育ちという当たり前が、その感動を忘れさせているように、江南育ちのバンドのメンバーが大切なものを忘れないようにしなければいけないと思った昨日の出来事だった。

 今日は画像も無く、まじめになってしまいすいません。今度、目光の画像でも入れておこう。