降って来るもの

写真と散文とぽえむ

心訓抄Ⅱ.63

2018-12-22 05:50:27 | 心訓抄.Ⅱ

                63.供養


折に触れて 思い出すことが 供養だと悟る

なるほど その通りだと・・

其処に 実在は無いけど

其処に確かに anataは居て

いつでも 慈しみの 笑みをくれる

会うことはfreedom

語り掛けるも自在

anataの手は 掴めないけど

anataの掌の温もりは 記憶にある

帰る言葉は 無いけど

そっと心は 重ねられる

手を合わせるとは 拝むとは

そういう事なのだと

人生の五分の四を費やして

ようように 一子相伝の 一言のように

天から降る 惠のように 解った


僕の片手に 合わさるanataの片手

僕は 千手の温かさを望んで

そのように 生きたい!!

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