某月某日「東北・鳥海山」

某月某日【山の伝承】「東北・鳥海山」(565)



県境(旧国境)はたいがい川や山を通るようになっていますが、鳥
海山を巡る山形・秋田県境は山頂を通らず、しかも、自然地形に合
わない真っ直ぐに書かれています。


中世に入り、鳥海山にも修験道が入ってきました。その発達に伴い、
天台系の本山派(順峰)と真言系の当山派(逆峰)の間に対立が起
こり、山頂の支配権、峰境をめぐって矢島口が蕨岡口を三宝院に訴
えました。


この争いは矢島藩・荘内藩を巻き込み大騒動。ついに解決は幕府の
手に。


宝永元(1704)年、幕府は「西ハ笙野岳腰ヨリ稲村嶽之八分ニ至リ
東ハ女郎嶺之腰迄不毛之地由利飽海両郡ニ相定」(飽海郡誌)との
裁断を下し、いまの境界線になったという。


幕府もいちいち大変です。
・山形県遊佐町




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http://toki.moo.jp/merumaga/yamatabi/yamatabi04.html








★おわり
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