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脱炭素の嘘とEV車の未来

2023年04月25日 | インポート


 私のブログでは、すでに何回も、「EV車に未来はない」ことを書いている。

 一番大きな理由は、①EV車普及の根拠になっている二酸化炭素温暖化論が嘘であることと、②EV車のエネルギー効率が、化石燃料車の30分の1しかない致命的な燃料としての脆弱性、③それに、電気料金の暴騰傾向である。



  電気自動車を買うのはやめた方がいい2020年12月17日

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827429.html



 EV車の未来 2021年12月05日

http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5868567.html



 二酸化炭素温暖化論が嘘であることは何十回も書いているが、異常気象における高温現象が確実に進んでいると思われることから、多くの人が「二酸化炭素が温暖化の原因」と思い込まされている。

 これは、新型コロナ禍においてワクチンに期待を寄せる洗脳された心情に似ているように思える。

 しかし、真実を言えば、世界中の気象学者のなかで、二酸化炭素と温暖化を結びつけているのは、ごく一部の政治的目的を持って、ユダヤ系金融資本の資金援助を受けている研究者だけだ。

 彼らは、「温暖化抑止のために原発新設、再稼働が必要」と口を揃えて発言していることが問題の本質を露呈している。

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827323.html



 私は、温暖化の真実は、①新自由主義下の贅沢浪費文明による無益な熱放出 ②熱帯雨林やタイガを皆伐していることで気象のクッションが失われ、極端から極端への変動が起きていること ③過去60年間、世界で300基の原発が膨大な量の温排水を海洋に垂れ流したことで数十年かけて海水温が上昇し、その結果、海水中の二酸化炭素が大気に移動したこと…であると考えている。

 実際には、地球は太陽活動の低下に伴って、小氷期に向かう可能性が強くなっていて、緩衝を失った地球気象が暴走する傾向にある。だから高温と同時に信じられないような寒冷化も起きている。



 二酸化炭素温暖化論を主張し、世界に炭素ビジネスを導入したのは、GAFAMやゴールドマン、モルガンのようなユダヤ金融資本である。

 彼らの真の目的が原子力発電の主導権と、炭素ビジネスでの権益にあることは非常にはっきりしている。

 ビル・ゲイツやバフェットの投資は、新型原発開発に向いている。そして、アル・ゴアは、世界最大のウラン鉱山保有者だ。

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5949905.html



 今回、この文章を書く動機は、またまた問題の本質が見えない陳腐な評論家によって、「EVへの取り組みが遅れている」かのような警鐘記事が目に入ったからだ。



 2023.04.25 上海で「日本車のガラパゴス化」が鮮明に この残酷な現実をトヨタは? 近藤大介

 https://gendai.media/articles/-/109482

 以下抜粋引用



 世界最大の自動車市場である中国は、「油改電」(ガソリンを電気に代える)を合言葉に、ガソリン車から電気自動車(EV)を中心とする新エネルギー車(NEV)への大転換を図っている。

 そしてこの中国の動きに触発されたかのように、ヨーロッパやアメリカ市場も、同様の動きを見せている。もちろん「脱炭素」という世界的潮流も、この動きを後押ししている。



 ここに、日本の自動車メーカーが戦慄するようなデータがある。マークラインズの発表によれば、今年第1四半期(1月~3月)の中国市場における新車出荷台数のシェアは、以下の通りだ。

 中国メーカー: シェア53.0% / 前年同期比出荷台数+5.5

ドイツ系メーカー: シェア19.1% / 前年同期比出荷台数-8.9

日本系メーカー: シェア15.9% / 前年同期比出荷台数-31.9

アメリカ系メーカー: シェア9.4% / 前年同期比出荷台数-8.8

 トヨタ・日産・ホンダら日本系メーカーは、わずか1年前に比べて、出荷台数を3割以上も落としているのである。同時に中国市場において、ついに中国メーカーのシェアが過半数を超えたことも明らかになった。



 これは、日本車の性能が悪くて、中国車の性能がよいからではない。中国メーカーはとうの昔にEVに完全シフトしているのに、日本系メーカーはいつまでもガソリン車を作り続けているからである。過去一年、EV技術の戦略判断ミスが原因で、トヨタはまさに中国市場で「最大の潰滅的敗北」を経験した。そのうち一汽トヨタ(天津の第一汽車との合弁会社)は販売量を前年同期比で5.6%減らした。

 蔚来の李斌会長の「発言」というのは、昨年末の同社のイベントで、「来年(2023年)にわが社の販売台数がレクサスを超えるのなんか当然さ」と語ったものだ。「トヨタはそこまで蔑まれる存在になったのか」と、中国のSNS上でちょっとした話題になった。



 私の知人で、上海モーターショーを取材した中国の経済紙記者に聞くと、こう答えた。

 「日本メーカーの中国市場における戦略ミスは、主に二点あると思う。第一に、決断が遅すぎて、市場の急激な変化に対応できていないことだ。

 そもそも中国市場に参入したのは、ドイツのVWが1984年、アメリカのGM(ゼネラルモーターズ)が1996年だったのに対して、トヨタは今世紀に入った2002年だった。『中国市場の動向を見極めたい』とか言っているうちに、おいしいパイは取られてしまったのだ。



 今回の『油改電』も同様で、モタモタしているうちに、中国メーカーが続々台頭してしまった。いまやEVに関して、性能からデザインまで、大手中国メーカーはトヨタにまったく見劣りしない。

もう一つの戦略ミスは、日本メーカーはEVを、『ガソリン車の変形』と捉えていることだ。それに対して中国メーカーは、『スマホの変形』として捉えている。『動くスマホ』と考えているから、次々にバージョンアップを思いついて、進化させていく。その意味では、もしかしたら今後、中国メーカーと日本メーカーの差は、縮まるどころか広がる一方かもしれない」



 まさに、長いコロナ禍が明けてみたら、日本メーカーは浦島太郎のようになっていたというわけだ。「日本車のガラパゴス化」が迫っているというのに、昨年わずか2万4000台しかEVを生産していないトヨタの佐藤新社長は、なぜ上海モーターショーに行かないのだろう?

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 一部引用以上

 この論評を見て、「中国問題専門家」を自称する近藤大介が、中国問題の本質を何一つ理解できていない人物であることが分かった。

 まだYou Tubeの妙佛の方が桁違いに真実を見抜いているし情報量も多い。



 破滅の淵に瀕している中国共産党政権に未来があると思っているだけで評論家としての適性がまるでない。

 中国は、これからロシアとともに壮大な崩壊に向かい、いずれも国家体制が消えてしまう必然性がある。



 私は、2030年に、これらの国(北朝鮮やベラルーシ、ハンガリーを含めて)が存在しているとは思わない。

 地球上では、現在よりもはるかに細かい、小さな自治政権が大量に成立して、一種の「群体社会」になると予想している。



 冒頭に述べたエネルギー効率の問題から、EV車は駆逐されないまでも一部の利用にとどまると予想していて、それは安価な自然再生エネルギーの普及次第だ。

 二酸化炭素問題の嘘が暴露されるとともに、自動車の主力は相変わらず化石エネルギーであり続け、エネルギー効率と車両耐久性から、相変わらず日本車の天下が続くと予想している。



 しかし、自然エネルギーの利用拡大は贅沢浪費文明へのアンチテーゼを生み出し、健康維持の理由から、山岳地帯を除き、自転車など非原動機車にシフトしてゆくものと予想している。

 自転車社会になれば、人々は間違いなく大きな健康効果を獲得するのだ。成人病医療を必要としない社会がやってくる。



 中国でも同じことで、共産党極悪政権が消えれば、世界覇権戦略としてのEVカー構想など、あっというまに消えてしまうだろう。

 大量生産、効率化、農薬化学肥料の現代農業路線が放棄され、中国の人々は、100年前の炭素循環自然農法に回帰してゆくのではないだろか。



 近藤大介が「何も分かっていない」と思うのは、自動車というものは、たかだか数十年の経験では通用しない、ものづくりのエッセンスが詰まった乗り物であることだ。

 中国車の正体は、実は日本車なのだ。日本の技術的蓄積を利用しなければ、車体ひとつとってみても、また電気モーターの技術も、中国程度の経験では手に負えない。日本の技術を失ったなら、中国自動車産業はたちまち崩壊してしまう。



 中国が独自に車作りを始めたとしても、モノになるのは100年後だろう。日本では、1907年からで、すでに100年以上前から自動車生産が始まっているので、100年にわたる技術者、生産者、使用者の膨大な経験の上に産業が成立している。

 この差は数十年程度で追いつくものではない。



 ましてやEV車産業は、炭素ビジネスという虚構の上に無理やり作り出されたものであって、本当の目的は、原発電気のニーズを生み出すことなのだ。

 脱炭素問題の嘘については、新自由主義陣営内部からも告発の声が上がっている。

 https://cigs.canon/article/20210811_6115.html

 https://cigs.canon/article/20210812_6116.html

 https://cigs.canon/article/20211006_6240.html



 だから、化石燃料の抑制については、影響を直接受ける先進国から猛烈な反発が続いている。炭素ビジネスのお膝元であるアメリカ共和党は、京都議定書など脱炭素条約を拒絶している。

 また、ウクライナ戦争後の世界情勢は、電気料金の暴騰を招いていて、炭素ビジネスにも完全な逆風が吹いている。

 それを再生エネルギーではなく、原発再稼働に結びつける自民党政権の「ユダヤ金融資本の飼犬ぶり」にも、大きな批判が集まっている。

 原発再稼働は、電気料金を暴騰させる推進力だけに働くのであって、むしろ電気利用を萎縮させる結果しか生まないことが自民党員には理解できていない。

 ただ核開発、核兵器保有の期待だけで原発を捉えている。



 経済負担ひた隠しにする政府 世帯電気代は年間60万円…9年後、あなたは払えますか?

 https://www.zakzak.co.jp/article/20210811-FUSYFYADNVLLZCVYDGXUWZ7ZTQ/



 私は、菅義偉が「2030年に化石燃料車を全廃してEVに変える」と宣言したとき、2030年には、まだスズキアルトが走り回る世の中だと書いた。

 方向性としては、電気料金が高騰する一途の情勢で、EV車が普及するのは不可能であって、EV車生産とインフラのために、実は膨大な化石燃料の浪費が必要になることから、炭素ビジネスの観点からも、EV普及に大きな疑問が提起されるようになる。



 わずか数年で高価な電池交換が必要となり、寿命の短い、膨大な充電インフラ整備を必要とするEV車を選択するよりも、長寿命の低燃費、化石燃料車を利用し、さらに、人々が健康効果を求めて、移動の主力を自転車や徒歩に切り替えるインフラ整備の方が、桁違いに二酸化炭素抑制効果が高く、人類の未来に有益である。

 何はなくとも、新自由主義による贅沢浪費文明をやめて質素な炭素循環式ライフスタイルに転じることが、もっとも合理的な選択なのだ。

人生の目的は失敗であること

2023年04月24日 | インポート
 



 ほとんどの人は、「人生は成功するためのものだ」と思いこんでいるから、世間には「成功を賛美する情報」しか存在しない。

 しかし、霊的真実をいえば、「人は失敗するために生きている」のだ。「失敗するために生まれてくる」と言ってもいい。



 その目的は、前世における失敗=カルマを返すためだ。

 この人生では前世における失敗を同じように繰り返すことになる。そして、失敗を克服できればカルマは消えるので、すべてのカルマが消えたなら、新しい人生(輪廻転生)は必要でなくなるから、あの世で左うちわで暮せばいいわけだ。

 ヘーゲルの言う「絶対精神」に到達したことになる。残念ながら酒池肉林の快楽に耽溺できる世界ではなさそうだが…。



 この世に生まれて苦しい思いをする意味は、失敗し、カルマを克服することである。つまり、もう同じ失敗をしなくてすむ段階だ。

 苦しさに耐えかねて自殺する人も多いが、残念ながら次の人生でも同じ失敗が待っている。カルマを克服できるまで、延々と同じ失敗を繰り返さねばならない。



 私自身も、生まれてこの方、無数ともいえる失敗を重ねながら、一度も成功者とみなされないまま、もうすぐ、あの世に戻ってゆく運命なのだが、しかし、たくさんの失敗こそ、私がこの世に生まれてきた目的だったことを、この年になって、やっと理解できるようになった。



 我々、人間が、この世=物質的世界に誕生してきた意味は、失敗を重ねて真実を理解することだ。

 釈迦は、これを「業」=カルマと呼んだ。

 以下のサイトは、比較的わかりやすくカルマの意味を教えてくれている。

 https://www.youtube.com/watch?v=duCk2dcz9Lc&ab_channel=%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E8%AB%96by%E8%8F%8A%E8%B0%B7%E9%9A%86%E5%A4%AA





 カルマの意味は、失敗の反対である「成功」を考えれば分かりやすい。

 ひとつの人生で、たくさんの成功を得ると、それは心の奥底にある蔵に積み上げられ、人生や人格を彩る要素となる。

 「成功体験」というのは、その人生の「無意識領域」に積み上げられた方法論でありプログラムである。

 成功体験は、脳の奥深くに沈殿し、無意識の所作、判断の基底情報となる。



 何度も同じ成功体験を繰り返せば、それが、その人の属性となり、人生のプログラムとなる。だから企業を成功させる人は、何度も同じように成功させる。

 逆に、失敗させる人も、失敗の意味を理解するまで同じ失敗を繰り返すことが多い。



 例えば、車を運転していて、信号無視を繰り返して事故を起こさずにいると、いつのまにか、それが無意識の成功体験として、無意識が信号無視を容認するようになるのだが、リスクが上がるため、信号無視をしない人の何百倍の確率で事故を引き起こすことになる。

 だから、成功体験化した習慣とは、本当に恐ろしいものだ。



 車の運転のような仕事は、ほとんど無意識領域に支配されることが多いので、事故を起こさない人は、必ず、無意識で危険な行為をしないよう、意識して安全運転の習慣(クセ)を身につけている。

 確認が甘いクセとか、スピードを出しすぎるクセとかを身につけてしまうと、いずれ確実に事故として返ってくる。これが無意識の王=カルマの所業である。



 山歩きでも同じだ。危険な斜面でバランスを崩さないためには、普段からバランスを崩さないで慎重に歩く無意識のクセをつけていないと、いつか雪道や泥道で転倒して滑落してしまう。

 私は、山の超人だった小西政継が、よく転倒したエピソードを知って心配していたが、彼はヒマラヤで転倒して帰らぬ人になった。

 

 人を騙すクセをつけて、成功体験を重ねてしまうと超恐ろしい結末が待っている。

 成功体験は自分に対する自信を増幅させるので、最初は小さな万引きであっても、やがて立派な詐欺師になる。

 そして取り返しのつかない結末に至る。「人は騙すもの」という習慣をつけてしまえば、人の愛によって得られる心休まる日々を永久に失ってしまうのだ。

 詐欺の人生も、延々と繰り返される。死刑になったり、被害者の怒りで殺されたりしてもカルマが解消するわけではないので、同じ詐欺を繰り返す。



 詐欺や窃盗の成功者が安息の人生を得られた例など見たことがない。私の家の近所にもいる。彼は警察まで騙すことに成功したが、今は怯えて家の外に出られなくなっている。

 私は相当な被害を受けたので、まだ彼を許してはいないが、私がこうした運命に遭うのも、前世のカルマが原因だと理解している。



 霊的には、この男は前世でも、私に関与したことになる。運命は解決するまで延々と同じことが繰り返されるのだ。

 「地獄」を紹介する物語でも、同じ苦痛が延々と繰り返されるところがミソだ。拷問の火で焼き殺されても、すぐに再生して、同じ拷問が繰り返される。これが地獄の意味である。

 だから、私は前世でも今と同じ運命に遭っていたことにある。



 上のリンクにも出てくるが、釈迦は、因果応報論のなかで、自分の些細な行いも含めて、人生で行ったすべての行為に結果が生まれると指摘している。

 「自分が撒いた種は必ず芽を出す」

 良い種も悪い種も、必ず大きな運命に成長して、自分の人生を左右すると言っている。



 人間として生まれてきたことの意味は「失敗する」ことなのだから、すべての人が大なり小なりの間違いを抱えている。

 この世に、誰一人として完璧な人がいないのは、そのためだ。

 すべての間違いを悟り克服できたなら、もう肉体としての人間に生まれてくる意味が消えるのだから、完全無欠の人間などいるはずがないのだ。

 生まれてくる子供達も、前世でカルマを返せなかった人たちが新しい肉体を得て登場してくるのだから、やはり欠点だらけということになる。



 だから、人生とは失敗し、その意味を学ぶための人生である。

 私は、10年以上前まで、「よりよき社会」を求めて努力するための人生であると思っていた。

 だが、今は少し違う。「より良き社会」は失敗の結果にすぎない。人生の本当の意味は、「よき社会を求める」ことではないことが分かり始めた。



 人生には、ものすごく多様なバリエーションがあってもいいのだ。失敗の意味を突き詰めるために、もっと失敗を深化させる場合だってある。さらに大きな失敗を求める人生だってある。

 つまり、カルマを増やし、より深くする人生だって必要なことがある



 私は、かつて霊能者から、ナチスで人々を虐殺していた人たちが北朝鮮に生まれ変わっていると聞いたことがある。

 彼らも、ナチスと同じことを繰り返している。自分の肉体と人生を使って、ナチスの被害者の体験をしているし、加害者として同じことを繰り返す者もいる。



 「カルマ」というものは、それがカルマと意識=認識された段階で、はじめてカルマとして成立し、「地獄の業」として人生に作用することになるようだ。

 だから、自分のやっていることが「悪事」であるとの認識がなければカルマは成立しない。だが、成立した段階から地獄に突入することになる。

 反省しはじめてから、本当の地獄が始まるのだ。



 もう一度書くが、人間として生まれたという意味は、肉体によって失敗=カルマを知ることだから、釈迦であろうとキリストであろうと、同じように間違いを抱えているから、彼らを神格化する必要などない。同じ人間として生まれ、同じ苦悩を抱えているが、前世の経験や理解が深いだけだ。

 それを神格化して利益を貪り、あらたな悲劇や苦悩を再生産するということは、宗教自体が一つの巨大カルマであることを意味している。

 だから、キリストは自ら「石造りの建物=教会に自分はいない」と言ったし、釈迦は比丘尼に「霊界のことなど考える必要はない=不記」と言った。



 巨大な伽藍や、巨大な宗教的形象がある理由は、それを金儲けに利用しているだけのことなのだ。

 本当の救世主は、一人ひとりのカルマを知る心にあるというのが正解だろう。

 みんながカルマを理解すれば、その社会は、もう存在理由が失われてしまう。



 だから、人間世界に最期まで残る国家民族は、たぶん独裁権力のロシアや中国、北朝鮮なのだろう。

 日本人は、人類のなかでは、割合カルマの少ない民族なので、日本国家は早く滅ぶことになる。たぶん、世界で最初に滅亡するのかもしれない。

 この世に生きる本当の理由は「カルマ」すなわち失敗することなのだ。



 もしも日本人が生き残る必要があるとすれば、もしかしたら、それは性の問題かもしれない。

 日本は「性の抑圧」が強い国だ。男尊女卑を国是としているような朝鮮半島、韓国などより、日本女性の地位は遅れている。

 だから、日本では、トランスジェンダーのような性の解放がこれから激増するのだろう。これも霊的な必然性といえるかもしれない。



 もちろんイスラム諸国は、日本より性の抑圧がはるかに強いので、このカルマが、どんな形で社会に現れるのか興味深いことだ。

 私は、これから日本やイスラム諸国など性の抑圧が強い民族では、物凄い勢いでジェンダーフリーの波が押し寄せるのではないかと予想している。



 これから一夫一婦制や、イスラムのような一夫多妻制に大きな文化的変革が起きるような気がしている。

 それは、たぶん心を依存(帰属)する「家族」が、一夫一婦制ではなく共同体になると考え、そのことに焦点を当ててブログを書き続けている。



 まだ遠い先かもしれない。今のところは、はっきりした兆候は確認できないが、もしも核戦争による大虐殺のような巨大イベントが起きれば、急速に進展するような気がする。

 まだ、我々はたくさんの失敗を重ねなければならないのかもしれない。



なぜ、「みんなが幸せになるために」という人がいなくなってしまったのか

2023年04月22日 | インポート




 私の若い頃、今から半世紀以上前の国内の書物やメディアの情報は、「利他主義」に満ちていた。

 小田実、大江健三郎、吉野作造、本多勝一、有吉佐和子と思い出す人たちは、すべて戦争の惨禍を体験し、空襲爆撃に逃げ惑った人たちだった。



 もちろん、中道も極右もいたが、みんな戦争体験の上に「利他主義」を前提に発言していたように思う。

 少なくとも、「自分の利益のためだけに生きよう」と主張する人はいなかったし、いたならば徹底的に排撃された。

 そこには、戦前の軍部専制独裁による軍国主義の再現を許さない、「民主主義と正義」の理念が核心に据えられていたと思う。



 この当時の言論は、何よりも「みんなが幸せになるためには、どうしたらよいのか?」という問題意識=哲学が社会全体で共有されていたように思う。

 この頃は、「自分さえ良ければいい」という利己主義は、強く批判されていた。



 それから、戦争体験を土台にした知識人が寿命によって次々に消えて、江戸時代生まれが全滅した1970年代の半ばあたりから、新左翼が赤軍派と心中して没落するとともに、中曽根康弘が持ち込んだ「新自由主義」の影響がじわじわと国内に拡大しはじめた。



 当時、戦後、日本軍が大陸や朝鮮半島で行った731部隊の人体実験殺戮や三光作戦の隠されていた真実が「悪魔の飽食」のような暴露小説で暴かれ、社会全体を震撼させた。松本清張も、小説のなかで次々に権力犯罪をやり玉に挙げた。

 社会全体に「正義を実現しなければならない」という価値観が共有された時代だったように思う。



 だが、同時に、新自由主義による「金儲けだけが正義」という思想が日本社会に持ち込まれ、1980年代には、バブルが全盛期を迎え、投機バクチの風潮が社会全体を席捲する時代がやってきた。

 当時、私は国立駅前で、「営業研修」と称して、お立ち台の上で、営業目標をお大声でがなり立てていたグループを見て、日本の底知れない地獄の始まりを予感させられた。



 世の中全体が金儲けに発狂した時代だった。そして、急速に利他主義思想が失われ、徹底した利己主義にとって代わられた時代だったように思える。

 戦前から日本社会を支える底辺の細胞だった「隣組」の連帯はもう失われ、見渡す限り社会全体が敵意に満ちた時代に変わり果てたように思えた。



 バブル崩壊とともに、繁華街で豪遊する人たちが大騒ぎする一方で、街角に浮浪者が目立ち始め、ゴミを漁って辛うじて生きている人も激増した。

 社会全体に、もうかつての連帯感、相互主義は失われていた。そこにあるのは、「自分さえ良ければいい」 「他人のことなどどうでもいい」という社会観であり、利己主義の人生観だった。

 私だって、例外ではなかった。



 1990年代、山一證券の崩壊から、日本社会は沈滞と低迷の時代に入った。それは30年以上を経た2023年の今でも続いている。

 原因は消費税にあることがはっきりしているが、自民党保守政党はもちろんのこと、革新系の政党でさえ、簡単明瞭な消費罰金税がもたらす社会の停滞について、理解できる人はほとんどいなかった。



 ただ、私は、消費税という繁栄抑止の毒薬が、底辺の社会に、「モノを大切にし、無益なゴミを作らない」効果が生まれたことだけは評価している。

 自民党は、金持ちの特権階級だけが贅沢を謳歌する社会を作りたかったのだろう。



 20世紀が終わるころになると、自民党内に強力な新自由主義勢力が登場するようになる。

 それは、ハーバード大ロックフェラー経済研究所の竹中平蔵が、ユダヤ金融資本から日本保守政界に送り込まれたからだ。

 竹中平蔵を閣僚として採用し、戦後社会の市民・労働者としての権利を剥奪し、安定雇用が約束された正社員から、ルンペンプロレタリアート(臨時・派遣社員)の地位に貶めたのは小泉純一郎である。



 それは、戦後労働運動を支えた総評を解体するところから始まった用意周到で計画的なものだった。この背後には、岸信介~中曽根康弘の壮大な陰謀があった。

 岸は、もしかしたら両親が李朝王族関係者で、文鮮明とともに、韓日反共統一国家を目指していたのかもしれない。



 竹中平蔵らの計画は、「金儲けだけが正義」という新自由主義の思想を日本の若者たちに浸透させて、徹底した利己主義の価値観・人間観を定着させるところから始まっていた。

 これを支えた組織が、国際勝共連合→日本会議であり、ギャンブル王、笹川良一がその資金を提供していた。

 そして小泉純一郎は、「日本を金融(バクチ)国家に変える!」と宣言した。



 日本人の多くが、戦後教育の土台としての競争主義に洗脳されていたので、「人間として生きる価値の根源は金儲け競争だ」と容易に受け入れてしまった。

 この結果、人々の関心は、蓄財と増殖、利己主義だけに向いてしまい、1970年代に社会的に共有されていた「みんなが幸せになるためには、どうしたらいいのか?」というテーゼを思い浮かべる者は、ほとんどいなくなってしまった。



 日本社会全体が「カネがすべて」という価値観に席捲され、「みんなが幸せになることで、自分も幸せになれる」という理念を主張する者は、どこにもいなくなってしまった。

 本来は、人間社会の本質を霊的視点で見ているはずの霊能者たちですら、金儲けと利己主義が正義であるかのように語り始めた。

 https://www.youtube.com/watch?v=g00flJ4Qlyw&ab_channel=KenHonda%E6%9C%AC%E7%94%B0%E5%81%A5



 霊能者たちの多くが、金儲けビジネスに吸収されてしまっている。

 江原啓之も木村藤子も検索すれば、有料クラブサイトに誘導される。下ヨシ子は、頼めばひどくカネがかかるらしい。



 本来、霊的世界にはカネなど何の関係もなく、「みんなを幸せにすれば自分が幸せになれる」という霊的真実を教える立場のはずなのだが、なぜか、それを前面に出している人は見当たらない。

 釈迦は、「因果応報論」のなかで、自分が他人に対して行ったことが、すべて自分に返ってくるカルマ論を教えているのだ。人生は利他のなかにだけあると諭し、利己的な権力と蓄財を勧めたことなど一度もない。



 話を本題に戻そう。

 「なぜ、『みんなが幸せになるために』という人がいなくなってしまったのか」

 という理由は、日本人が戦争で地獄に堕とされた体験を忘れてしまったからだ。

 戦争を実際に体験した人は、現在80歳以上で、記憶に残している人は、90歳を超えた人くらいだから、もちろん私も経験していない。



 だが、私の周囲には両親はじめ、凄まじい恐怖の体験をした人たちが無数にいて、その記録もいやというほど教えられてきた。

 だから、私の世代は、いわば戦争を疑似体験できた世代なのだ。だから反戦や軍部専制独裁という社会を二次的に理解しているといっていい。

 しかし、一次的に戦争を体験した世代のほとんどが死に絶え、二次的に疑似体験できた我々の世代も、多くが死に始めている。



 だから、今の若者たちは、正真正銘の「戦争を知らない世代」なのだ。

 今の若者たちは、もしかしたら体験したことのない戦争に好奇心を抱き、「戦争を経験してみたい」と思っているのかもしれない。

 だから、ネット上では軍事大国になることに憧れているような発言が非常に多い。



 霊的真実をいえば。「みんなが憧れ、希望することが実現する」のである。

 だから、日本は戦争に向けてひた走っている。やがて、実際にその凄まじい惨禍を体験させられることになるだろう。



 もう一つの視点として、今、「日本社会のやさしさ」が、ネット上で語られることが多い。

 これは、戦争と同じ意味で、阪神大震災、熊本震災、東日本大震災を体験させられた人が多く、被災者に同情して支援を寄せた人たちが、巨大震災を疑似体験することで、人が困難な状況に置かれたことから生まれる助け合い=利他主義を獲得しているからだと私は思う。



 竹中平蔵の金融バクチ主義=新自由主義に向かった者たちは、投機に旨味が失われると、特殊詐欺のような詐欺集団に取り込まれていった。

 小泉純一郎が「日本を金融国家にする」と宣言してから、日本社会にはオレオレ詐欺など詐欺師が跋扈する社会に変わったのだ。



 しかし、大震災の被災者を援助することで疑似体験した人々は、心に「優しさ」という財産を蓄積した。

 これは釈迦の言った利他=「他人を幸せにすることが自分を幸せにする」という因果応報の原理が実現したものといえるだろう。



 結論をいえば、我々は、目先の金儲けや利己主義を賛美してはならない。

 我々が語ることは、いつでも「みんなが幸せになるためには、何をすべきなのか?」という視点だけである。

 そして、「三人寄れば文殊の知恵」システムに目覚め、人と対話を重ね、良いアイデアを得て実現してゆく人生、利他主義に人生の価値を見出すことが必要なのだ。

 

 江原啓之は、今年、「終焉のワルツ」と警鐘を鳴らした。

 たぶん、これから未曾有の凄まじい災厄がやってくる。日本社会が終わりになることを実感させられるほどのことだ。

 だが、みんな、そんな恐ろしい未来など見たくもないし、考えたくもないから、気分の良いことだけを見せられて、明るい未来を信じてワルツを踊っている。



 なぜ、人々が、「嫌なものを見たくない」と思うようになったのかというと、ネットの共有倫理をネット支配者であるユダヤ金融資本が、今世紀に入って「不快になるものを見せない」という管理を徹底するようになったからだ。



 私の知る限り、前世紀末には、ネット上には真実が溢れていた。そこには、残酷な死体の写真や、人間の強欲、大きな過ち、それを糾弾する声など、あらゆる真実が溢れていた。

 だが、GAFAMユダヤ金融資本と新自由主義は、ネットの媒体から、そうした真実を「保護」の名の下に排除していった。



 だから、かつてあれほど溢れていた残酷な写真や動画など、ほとんど見ることができなくなった。

 あらゆる、ある種の人々が「見せたくない」ソースが排除されるようになり、情報から真実が失われていった。

 いわば、キレイゴトだけの情報に包まれるようになったのだ。



 こうした傾向が、社会に対する危機感を失わせ、「みんなが幸せになるために、どうしたらよいのか?」という問題意識を人間社会から追放してしまっているのではないか。

 我々に必要なものは、見たくもない真実なのだ。

慰安婦・強制徴用問題

2023年04月21日 | インポート
 



 在日者の非常に多い名古屋市中村区で育った私は、子供の頃から、在日朝鮮・韓国人との関わりが多く、差別の実態を思い知らされてきた。

 また、小中学校で、私は同級生の在日者子弟から激しいイジメを受け続け、生涯にわたるトラウマを抱えている。



 さらに、東京で反戦活動を行っていたときは、高田馬場での立ちんぼ仕事から在日者の経営する解体工事屋で働いたこともあった。

 このとき、戦争中の朝鮮問題について茶飲話を聞いて強く記憶に残っている。

 だから、普通の日本人よりは肌身感覚として在日差別の実態を知っている方だと思う。



 現在、慰安婦強制連行問題、強制徴用問題では、ほとんどの若者が韓国左派勢力による捏造だと認識していることは、ネットYouTubeの朝鮮半島問題コンテンツから鮮明に見える。

 それは一部事実なのだが、私は、朝鮮半島問題を自分の体験を通じて知っている分だけ、今の若者たちとはかなり違った認識を持っているので説明したい。



 私は、若い頃から、日本人による朝鮮・韓国人差別の実態を目撃してきた。

 また、北海道の雨竜ダム問題や炭坑労働者問題をたくさん学んできたので、強制徴用者に対して凄まじい虐待と虐殺があった事実を知っている。

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828100.html

 また、子供の頃から周囲で見られた朝鮮人蔑視も肌身で知っている。



 私の子供の頃から若い頃の、1960~70年代のことを思い出すと、まず在日者と部落出身者に対する、今では想像もできないほど激しい差別意識があったことを、どうしても言っておかねばならない。



 今はもう存在しない私の実家は中村区で、いわゆる「被差別地域」にあった。

 近くには烏森(カラスの森)という地名や万場(よろずの場)という地名があった。百メートルほど離れた惣兵衛川という用水脇には未解放部落があって、子供の頃はいつでも川で毛皮をなめす人がいて、ホルモンを焼く良い臭いが漂っていた。



 未解放部落とカラスの森は、そこが江戸時代に処刑場だったことを意味している。私は図書館で記録を探したが、なぜか地図や記述が空白だったことに驚かされた。歴史資料に地名さえ出てこない。

 1960年代の部落問題糾弾の嵐のなかで、未解放部落に関する一切の資料が削除(廃棄)されていたのだ。それは触れてはならない漆黒の闇に変わっていた。

 我が家も地図の空白地帯のなかにあった。



 だが、たぶん1980年代くらいまで、明治の差別時代に生きていた人たちの証言によって、そこに何があったのかを知ることができた。

 やがて、その地域に住んでいる人に対する呼び名を知った。それは「四つ」というものだった。四つとは四足の獣を意味する言葉で、部落出身者に対する名古屋地方の差別用語だった。



 我が家が、中村区のその土地に居を構えた理由は、父親が国鉄名古屋機関区のSL運転員で、職場から徒歩10分程度で通える、地価が異様に安い土地だったからだ。田んぼを購入し、機関区仲間の手を借りて、石炭残滓を埋め立てて土地を造成した。

 石炭殻にはヒ素が含まれているので、たぶん井戸水に混入した影響によって、水道が整備されるまで家族には病気が多発した。



 私は、通った学校で、ひどくイジメを受けた。それは、たぶん私が住んでいた地域と関係があり、私はいじめっ子によって「四ツ」と呼ばれたのだ。

 だが、そのいじめっ子たちは、実は、大門という赤線に寄生する在日者暴力団の子弟だった。後に、同級生が殺人罪で無期懲役になっていることを知った。



 私の若い頃の記憶をたどると、当時の日本社会は、かなりひどい権威主義社会で、家柄とか財産とか地位がものをいう社会だった。

 在日者は部落民とともに、ひど差別を受けていた。就職を受け入れてくれる企業は、同じ在日系でなければ土木関係、飲食水商売関係など限られていた。ただ芸能・スポーツ関係は、昔から「河原者」と呼ばれた被差別者の仕事だったので、日本の代表的な芸能スポーツ人には、在日者・部落出身者が多く、もしも在日者がいなければ業界が成立しないほどである。



 例えば、プロ野球には金田正一、張本勲以下、プロスポーツでは力道山、大木金太郎以下、芸能界では五木ひろし、都はるみ以下、まず日本を代表する実力者の半分くらいではないかと思う。

 全国の遊戯産業や土建産業、夜の街、水商売の半分以上もたぶん在日者で、ついでにいえば、暴力団の8割がそうだと公安調査庁幹部が発言している。

 山口組も篠田組長以外の幹部全員が在日といわれている。



 逆に、一般社会では、在日者や部落民を差別意識で嫌悪する人が多く、在日者は肩身の狭い思いを強いられていた。

 在日者を「チョン」とか「チャンコロ」と蔑称する者も多く、在日者は社会の底辺でしか生きてゆくことができなかった。



 こんな価値観が、1900年前後、李朝崩壊時に、朝鮮半島から大量の移住者がやってきてから、日本人のなかで一般化してしまったのだ。

 最初にやってきたのは崩壊した李朝官僚たちで、彼らは、秀吉が連れ帰った陶工たちの里に住むことが多かった。田布施や加世田もその1つだ。



 次に日本が朝鮮を正式に併合してからは、朝鮮の被差別民である白丁の人々が差別と蔑視を忌避して移住してきた。

 彼らは、日本敗戦後、爆撃で荒廃した土地に多く住み着いた。中村区もその1つだ。



 朝鮮人が日本庶民から蔑視された理由で思い当たるのは、大正昭和期は、ほとんどの庶民が銭湯を利用していたので、入浴文化が日本と異なり、サウナに入って川で体を洗う朝鮮式の習慣を日本でも行った在日者が、湯船を体を洗う在日者を嫌悪したことがあった。

 関東大震災直後、六千数百名の在日者が東京で自警団によって虐殺されたのは、そんな在日者嫌悪感が原因だったという指摘もある。



 こうした文化習慣の違いが激しい差別意識を生み出し、大量殺戮と在日差別を生み出していたから、太平洋戦争でも、戦時徴用を受けた朝鮮人に対する差別意識には凄まじいものがあった。

 だから、「日本人は朝鮮で良いことをした」という今の日本賛美コンテンツの氾濫の裏側に、凄まじい虐待と人権侵害があったことを私はよく知っている。



 だから、私は、「慰安婦問題の真実」というとき、当時の朝鮮人女衒が朝鮮貧しい婦女子を「良い仕事がある」と売春に連れ出した事実を、在日者から直接聞いていると同時に、今の韓国左派が言う通りの「日本軍による強制連行」や性的虐待があったであろうと推察せざるをえないのだ。

 それは雨竜ダムや新宿戸山の731部隊跡地に埋められた大量の朝鮮人遺骨が真実を訴えている。

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827395.html



 朝鮮人 従軍慰安婦問題などについて 2009年08月18日

http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/1420631.html



 上の記事は14年前に書いたもので、当時はまだ日本人の朝鮮人差別や虐待について強く憤っていた時代のものだ。

 最近では、北朝鮮の指示を受けた韓国左派勢力と両班階級残党が共謀して、反日運動に慰安婦問題を利用してきたことが次々に暴露され、韓国人の主張の嘘を意識するようになっている。



 韓国における反日運動の多くに、北朝鮮による工作を示す事実が明らかにされつつある。

 https://www.youtube.com/watch?v=PbaPIzsLwiU&ab_channel=%E6%97%A5%E3%83%86%E3%83%ACNEWS



 これによって、「日本が朝鮮併合時に人権侵害の悪事を働いた」という韓国世論の嘘が暴露されているのだが、一方で、雨竜や戸山の遺骨が、「日本もひどいことをした」という事実を永遠に告発し続けている。

 https://www.sasanobohyo.com/kokenji



 そもそも「強制徴用など存在しない、すべて有償自発労働者だ」という説明はひどい嘘だ。

 私の母親は、戦時中、17歳くらいのときに、新潟で半強制徴用に遭っている。軍需工場に無理やり駆り出され、航空機製造などの下働きをさせられたのだ。

 日本人の大半が強制徴用されているのに、兵役を免除された「日本国民」である朝鮮人が平和な生活に放置されているはずがない。



 日本は現在価値で数百兆円のインフラ投資を朝鮮に対して行ったのだから、住民が戦争に際して放置されるはずがない。

 当然、「日本人としての義務」として強制徴用に遭ったことは間違いないのだが、しかし、それは在日朝鮮人を蔑視して、関東大震災で6000名の在日者を殺戮してみせた日本社会に送られたとき、いったい何が起きるのか? 容易に想像がつくはずだ。



 最悪のケースが、人体実験による殺戮で知られた731部隊の跡地に埋められた朝鮮人遺骨の山だった。

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827631.html



 だから、私は、現在のネット情報、YouTubeコンテンツの主流である「日本は朝鮮で良いことしかしていない」かのようなデマ情報に対して、何があったのか、自分の目と足と頭で調べるよう、若者たちに促すために、この文章を作った。

儒教国の世界一斉崩壊! 韓国が壊れる

2023年04月20日 | インポート
 

 私のブログでは、人間者社会の序列主義、権威主義による住みにくさ、生きにくさの根源に、旧約聖書や儒教があると書き続けている。

 2500年前の春秋時代に、孔子が体系化したといわれる儒教の本質は、「人には生まれながらの侵し難い序列がある」というものだ。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%92%E6%95%99



 孔子の主張した「徳治主義」は、絶え間のない戦争の負荷に苦しんでいた春秋戦国時代の封建社会、王政支配の平和な安定化に貢献するものだったので、当時の社会に広く受け入れられ、民衆を納得させる哲学理論として普及した。

 「王は暴力ではなく徳によって統治する」

 という思想は、新鮮で合理的な哲学として東アジア社会に浸透し、本家中国から朝鮮半島、日本、ベトナムなどで社会安定化思想として信奉された。



 日本では、奈良時代にすでに遣唐使などによって持ち込まれていたが、本格的な「国家思想」として導入されたのは、家康の命により、林羅山らが全国の武家階級に藩校を設置させ、朱子学を学ばせることを指示してからである。



 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%AD%90%E5%AD%A6#:~:text=%E6%9C%B1%E5%AD%90%E5%AD%A6%EF%BC%88%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%97%E3%81%8C%E3%81%8F%EF%BC%89%E3%81%A8,%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%81%E9%81%93%E5%AD%A6%E3%81%A8%E3%82%82%E5%91%BC%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82



 江戸時代、全国の津々浦々にまで、当時としては世界最大の先端教育システムである、藩校、寺子屋が普及し、儒教の「四書五経」と呼ばれた教科書が採用され、日本人の識字率は8⃣割と世界のなかでもずば抜けて高かった。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%9B%B8%E4%BA%94%E7%B5%8C



 この意味で、日本は世界でも有数の儒教国になり、儒教による序列・権威主義が、民衆の生活思想の根源に定着したといえる。

 ただし、日本が儒教発祥地である中国や、宗教的にまで昇華された朝鮮半島と異なる点は、日本では、鎌倉時代に高野山や比叡山の聖たちが全国を遊行して広めた仏教思想が広く普及していて、中国朝鮮が序列主義を利用して権力者が自分の利権を拡大したことに対し、日本では鎌倉仏教の利他思想の上に持ち込まれたので、中朝ほど強欲で残酷な権力者が生まれず、利他主義も死んでいなかった。



 また、日本には世界有数の恵まれた降雨と森林の恵みがあり、中朝のような巨大な飢餓が発生したことが少なく、そのため残酷な戦争による争いも少なかったことが日本人の特性を定め、中朝の儒教とは異なる展開を見せた。

 日本の恵まれた自然環境が、日本人の優しさを作り出していることは間違いないだろう。



 儒教は、東アジアの中国・朝鮮半島・日本・ベトナムで国家思想として採用されたが、その価値観は、モンゴルのような中央アジア諸国や、インドシナ半島にまで影響が及んでいる。

 これらの国では、儒教の序列主義からくる価値観として「一にメンツ、二にメンツ、三に利権」という権力者の思想が定着しているといえる。

 しかし、現代において、もっとも強烈な影響を及ぼしている国は朝鮮半島の朝鮮・韓国である。



 朝鮮半島では、序列主義が著しく、「男性は女性に従属する、家族は父親に従属する、弟は兄に従属する」という序列価値観が人々を完全に洗脳していて、「民衆は権力者に従属しなければならない」という歴史的な観念の上に、民衆に強権をふるいながら、民衆を飢えさせる理不尽な金王朝の権力が成立している。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E5%84%92%E6%95%99



 朝鮮半島の儒教思想の特徴は、建前とホンネの分離を前提としながら、建前が何よりも重視されることで、社会全体が建前の虚構を容認していることだ。

 これについては、近年の慰安婦問題をはじめとする日韓問題でも次々に不可解な矛盾が暴露されている。

 韓国民は、ほとんどの人が竹島問題や慰安婦問題の真実を知っていても、それを認めず、建前の屁理屈を優先させて自らを窮地に追い込んでゆく。



 見え透いた嘘であっても、メンツと自尊心の方を大切にするのだ。

 だから、韓国では、男尊女卑思想を背景に、女性の地位を貶め、子供のうちから性犯罪が多発することになる。

 建前を重視するあまり、「謝罪すれば許される」という方便がまかり通り、世界各国で終身刑になるような重犯罪でも、謝罪した犯人が解放されてしまう。

 また死刑制度があるのに、謝罪したことで史上最悪の殺人を重ねた犯人が無期刑になっている。

 https://bunshun.jp/articles/-/42625



 https://www.banger.jp/drama/70606/



 こんな現実の人間関係の倫理を無視した儒教による統治スタイルが何をもたらすかといえば、権力者のメンツを前提とした強欲な利権体制が成立し、社会の不満が吸収されないから、凶悪な犯罪が多発することになり、嘘のまかり通る社会になってしまう。

 日本でも、建前主義の傾向があるのだが、中朝では、桁違いに深刻な「解決されない不満」が鬱積し、社会矛盾が社会全体の明るさを奪うことで暗い硬直した社会が成立してしまう。



 こんな社会では、社会的ルールが、ほとんど権力者の強欲によって捻じ曲げられ、どんどん権力者のための社会システムだけが整備されてしまい、それはやがて合理性を欠いた利権一辺倒の国家に変質することで、社会全体が根底から崩壊してしまうのだ。



 今、まさに中朝(韓)では、その矛盾崩壊が始まったように思える。筋の通らない合理性を欠いた政治システムにより、透明性がなければ成立しない世界経済システムが、中朝を崩壊に追い込んでいるのだ。

 いわば「儒教社会の一斉崩壊」が始まったと思えるほどだ。



2022.09.03 先進国”韓国が「経済崩壊」のカウントダウンで…! もはや「日本超えできない」“危ないシナリオ”が浮上してきた…!

 https://gendai.media/articles/-/98857



 https://www.youtube.com/watch?v=0euyb-JzDC4&ab_channel=FNN%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3



 https://www.youtube.com/watch?v=KkrMru7Nvf8&ab_channel=%E4%B8%8A%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E6%98%8E%E3%80%90MBA%E4%BF%9D%E6%9C%89%E3%81%AE%E8%84%B3%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%80%91



 中国経済が崩壊の瀬戸際に追い詰められていることは世界中が報道している。

 中国経済破綻は、リーマンショックやニューディール大恐慌の数百倍の未曾有の巨大恐慌を招くと指摘されている。

 

 私に言わせれば、こうした究極の経済崩壊の正体は、実は儒教思想の必然的帰結である。

 ネットの普及により、世界中の人々が、人間の合理的なライフスタイルを評価し、それを共有することができるようになると、それまで狭い世界で封印されてきた儒教思想の非合理性=欠陥が、人々に共有され、それを糾そうとする動きが浸透してゆく。



 これによって、「間違っている!」と人々が叫び始めるのだ。

 韓国社会の、旧両班階級によって恣意的に作り出された「反日運動」も、その嘘や誤りが次々に暴露されるようになって、それが嘘で固めた屁理屈であったことが韓国民衆の間に共有されるようになった。



 このことで、韓国社会に根付いた、儒教思想によるあらゆる嘘が白日のもとにさらされることになった。

 実は、日本でも同じなのだ。「女性の地位向上」を口にする日本社会が、どれほど男性優位の儒教社会なのか、人々が知り始めた。

 ひとたび、民衆が矛盾に気づいたなら、それは正されずにはおかないのだ。



 ネットは、世界の儒教価値観を根底から崩壊させている。

 それとともに、権力者を畏敬するという儒教習慣も崩壊してゆくのだ。もう国家権力など怖くない。力を失って、本当に大切なことは、国家や権威システムに頼ることではなく、一人一人が自覚し、発言することだという思想が共有されるようになるのである。



 権力信仰の果実である天皇制に対する幻想も、これから死滅してゆくだろう。