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精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

認知症の地域ケアと総合病院の精神科病床

2011年09月26日 | Weblog
最近は専ら福祉分野を取材され、「寝たきり老人のいる国、いない国」などの著作でも有名なジャーナリストの大熊由紀子氏の新聞記事がありました。
「認知症ケアは訪問診療で。精神科病院への入院はやめよう」という主旨には基本的には賛成です。
マンパワーの足りていない忙しい病院に入院する事で身体機能や認知機能が低下し生きる意欲やADLも低下することはよく経験します。
病院であれ、高齢者施設であれ、志が低く、ケアの質の低い施設に入れば、生きる力を失い認知症も悪化するのは当然でしょう。

認知症の方の精神科病床への入院はできるだけ避けられるべきものであることは確かです。

訪問診療では本人の生活の場、土俵におじゃましての診療であり、家族関係の隙間もよく見えます。自宅にあるさまざまな物を利用して本人の世界に入っていけますし、家族も連れてくることで一仕事ということもありません。
継続的に関わる事で、いよいよ看取りの時期もみえて来た終末期に自宅でやれる範囲でのケア(キュアを目指しやりすぎない)という選択肢がとりやすいなどのメリットもあります。
しかし弱体化する家族福祉と乏しい地域の公的福祉の資源で在宅で認知症の方をささえていくことは簡単ではありません。

農村地域での認知症ケアの現場からすこし反論というか意見も述べさせていただきたいと思います。




たしかに、長期入院されていた精神疾患の方が地域移行したり高齢となり亡くなったりして空いた病床に、認知症の方をケアの質が介護福祉施設などとくらべても低いまま集めるだけ集めて生き残りを図っている精神科病院もあります。
民間病院のあまりに多すぎる精神科病床は精神障害者の隔離政策が産んだ、日本の精神医療の暗黒の歴史の結果です。



だからといって全ての精神科病院や精神科の病院医療を否定し、敵対する対立構造にしてしまっては変わるものも変わらないと思います。
そこで働くスタッフがみな高齢者の「生きがいや誇りを剥ぎ取る」悪意をもった極悪人なのでしょうか?
住みなれた環境で生活を支えるシステムを、どのように実現するかという過程において精神科病床とそこで働くスタッフに活躍してもらうという事や、病院から出て行って、地域に多様で質の高いケアを展開していくということはあり得ないでしょうか?

農山村などでは相当に進行した認知症でもそれがそれほどハンディとなることなく過ごされている方もいます。
また、もともとの性格に加えて、家族や周囲の理解や支援に恵まれ、認知症を抱えつつも人生の最後の期間を穏やかに経過させる事の出来るケースもあるでしょう。

しかし多くのケースではBPSDはそれほど甘くはありません。
アルツハイマー型認知症などの認知症を早期発見しても今のところ根治的な治療法はありませんし、認知症が進行し混乱期に入ると、加速しながら中核症状が進行しますから本人も家族もなれません。まるでジェットコースターのようです。その混乱や不安がBPSDとして表現されます。

福祉ネットワークの太田さんの番組も見ましたが、当事者活動をされ、あれだけ自分で認知症とむきあってこられ、家族や周囲の理解と支援のあった太田正博さんですらあれだけ混乱しているのです。
(「シリーズ 認知症と向きあう(1)太田正博さん いつまでも自分らしく」ハートネットビデオで10月5日までの限定公開。かなり衝撃の映像です。)

その場面に医療・福祉は先手先手で対応し、本人と家族に粘り強く、また見捨てる事なく寄り添うことが求められています。


また家族のだれかが要介護状態、特に認知症になると、それを支える家族も生活スタイルや生き方を変える事を迫られます。
親が認知症になり介護が必要な状況になるのは、多くは働き盛りや、定年直後の年代です。

地域の医療福祉資源を活用して在宅ケアでなんとか乗り切れる条件がととのっている人はまだいいでしょう。
しかしサポートに乏しい地域や、家族や介護者がいない人はどうなるのでしょうか。

在宅でのケアや環境調整、関わり方で落ち着かせるのが上策で、施設に入ったり入院したり薬物を使うのは悪という風潮があります。

しかし在宅至上主義では全ての人が幸福になれません。
在宅でできる医療だけなら良いのですが、認知症の方にも入院医療は必要な場面はかならずありまし、さまざまな事情から在宅医療がどうしても困難な方もいます。

警察の調べでは認知症で徘徊高齢者が行方不明になったり死亡したケースは全国で年間約900人件もあるといいます。
老年精神医学会の調査では認知症の運転者の6人に1人は事故を起こしているというデータもあります。

しかし訪問系のサービスはコマ切れのタイムケアで、介護者がいることが前提の介護保険制度ですからそれだけでなかなか支えきれるものではありません。特別養護老人ホームなどの施設やグループホームもまだまだ数も足りず、希望すればだれでもすぐに入れる状況にはありません。特に経済的に余裕のない層は・・。高い入居一時金を払って民間有料老人ホームに入居した方も、認知症がすすみケアしきれないと追い出されてしまうことだってあり得ます。
よっぽど貧困や虐待などの状況では養護老人ホーム、特別養護老人ホームに措置入所という事もありえますが・・・。

こういった状況の中、訪問診療で実際に経験したケースでは、家族がついていられない日に、家に外から鍵をかけたり実際に家の入り口にブロックやタイヤを積み上げて出られないようにしていた家もありました。認知症の高齢者の方が内側から鍵のあけられないホームに監禁されていたり、届け出制の民間ケアホームでベッドに拘束されているのが発覚した事もありました。


認知症の方を介護している家族だって社会の中で様々な役割を担った上で介護もおこなっている当事者です。
疲れた家族に介護されている認知症の方が幸せとは思えません。
介護に疲れた家族を救うという大義名分だって十分成り立ちます。

本人の意向を尊重し、それに寄り添うのは当然の事ですが、入院や施設ケアや薬物治療も、本人や家族が穏やかに過ごせるための一助として一概に否定すべきものではないと思います。

認知症の方の尊厳を維持しながら在宅で看ていく体制を行政がバックアップするには今以上の費用がかかるでしょう。予算やマンパワーの乏しい中で、やみくもに実行すると別の不幸が生じそうな危惧を覚えます。




介護者に自分が認知症になったらどこで生活したいかというアンケートをとると「施設に入りたい」という解答が一番多かったのです。

私は農村部の312床ののうち90床(閉鎖45床(うち高齢者15床)、開放45床)が精神科病床の中規模総合病院に勤務しています。
認知症疾患医療センターであり、認知症に関しても外来を中心に家族や地域の医療福祉職のあらゆる相談に乗っており、病院のキャッチメントエリアに関しては訪問診療、訪問看護も積極的におこなっています。
また近隣の施設や特養などにも訪問していますし、看護師をはじめとした病棟の多職種のスタッフも可能な限り担当患者の自宅へ訪問する機会を作るようにしています。

数少ない総合病院の精神科病床に診療圏としているエリア以外からも入院患者が多数おしよせ、病床は常時ほぼ満床で回しています。
地域で唯一の認知症疾患医療センターであり、本当に困っている人を断ると言う選択肢はありません。
しかし当地域は高齢者の介護施設が需要の割に比較的少なく施設側が利用者を選べるような状況のため、自前の老人保健施設などの高齢者施設をもたない当院のベッド運営は正直苦しい状況です。

認知症を中心とした老年期のエリアは45床の閉鎖病棟の一角に15床あり、他のエリアと完全に分けられているわけでなく緩やかにつながっています。(しきりはありますが、スタッフが開け閉めして必要に応じて患者も出入りしています。)
リストカットを繰り返している思春期の子が老年期のエリアで過ごしたり、認知症の方が一般のエリアに散歩にいったりしています。

なるべく自由に動いてもらうのは良いのですが、転倒骨折や誤嚥、窒息などリスクも高くスタッフは大変です。
地方の病院で認知症病棟、思春期病棟、依存症病棟とわけるだけの患者、リソースがないということもありますが、多様性を確保することが、癒しや気づきの多い環境につながると考えているからです。
病棟では様々なレクリエーションや音楽療法、回想法などもおこなわれており、にぎやかです。家族や地域の医療福祉職も頻繁に出入りしています。
生きる力を取り戻してもらうために「あなたは大切な人で生きている価値がある。」というメッセージにあふれる環境を心がけています。

さまざまな事情から長期になってしまう方もいますが、たいていは2ヶ月程度で退院します。

介護が破綻し、家族が虐待に至ったり、拒食などのセルフネグレクトが見られたり、徘徊がどうしようもなかったり、家族へのあてつけのような行動化(家に火をつけようとする)などでどうしようもなくなって緊急入院となることがあります。
また他院へ入院中に入院継続が困難で(だまされて)転院してくる方もいます。
介護保険施設のショートスティなどでBPSDへの対応も含め機敏に動ければ良いのでしょうが、医師が必要性をみとめれば入院できる医療(一番融通の効く福祉ともいえます。)のように素早い対応はなかなか難しいケースが多いです。
緊急ショートを使ったとしてもBPSDが激しければマンパワーが乏しく薬物治療と言う選択肢ももたない施設のスタッフも支えきれず、あちこちの施設を転々とした後に当院に入院となるケースもあります。

また身体的治療が優先され、治療中はじっとしている事が求められている一般の病棟ではスタッフの少ない夜間帯などにせん妄や不穏がでるとあっさりと抑制されてしまうことも多いです。
しかし精神科病棟ではスタッフの苦労のもとほとんど抑制せずにみており、他の認知症をもつ患者さんもいるゆったりとした雰囲気の精神科の病棟に移るだけで落ち着いてくることも多いのです。
(逆に精神科病床の方が自由に出入りができない閉鎖病棟という環境もありますが、精神保健福祉法という厳しい法律に基づいて運営されているので簡単には抑制などできないのです。)
一方で総合病院ですので身体合併症をもつ認知症の方の肺炎や尿路感染などの感染症も内科医の連携のもとみていますし、時には手術出しをしたり、人口呼吸器もつかったり、といったこともあります。
病棟では身体のリハビリや口腔ケア、NSTなどのチームも積極的に関わっています。

こういった環境の中で家族と一時期はなれ、病院のスタッフに大切にされ、家族も余裕ができ、やっとそこからショートスティや訪問系のサービスを受け入れる体制がつくれたことで在宅での生活継続が可能となるケースも多いです。

ただ、こういった病棟があることで他の病棟や施設がなんでもお任せになってしまうというジレンマがあります。
混乱し大変な状態の高齢者をお願いされて受けたのにもかかわらず、落ち着いても介護施設には「精神科に入院していたような高齢者は・・・。」と断られたりします。
同じ院内の医師や看護師からも精神科入院中の患者さんは「認知症だから痛いんじゃないの?」といわれたり、「こんな人みられません。はやく引き取ってください。」といわれたりということが続き病棟のスタッフも悔し涙を流すことも稀ではありません。
そういった安易な隔離や収容を許すことなく、認知症やその他の精神障がいを持つ人を地域で支える体制をつくるために、一例一例を丁寧に関わるとともに、様々な活動をしています。

一例として、もともと大変なわがままで若い時からクレーマーとしても地域で有名だった方で、ケアマネが常に呼び出され介護保険外のあらゆるニーズに応えてきた方が、多発脳梗塞もあり、いよいよADLが低下して来たケースがあります。
脳血管性認知症と、それにともなう慢性的な尿閉(残尿)によりせん妄が出現し、介護職や他の利用者に相手を選んで無茶難題をふりかけ暴力や暴言を繰り返し、個室でないと対応できないのですが、夜間に寂しがりいわゆる「純粋ナースコール」がやまらず、とてもみていく事ができないと地域の幾つもの施設から拒否され入院となりました。
泌尿器科で評価をおこない、本人を説得し尿道留置カテーテルをいれたことで夜間のせん妄は改善しました。
保護者としての一人息子に代わり、後見人を立て、地域の施設の現場のスタッフに集まってもらい、本人にも参加してもらいカンファレンスをおこない、医学的な問題がでたり、施設スタッフが疲れた時は病院でレスパイトするということを保障することで地域みんなでみていこうという雰囲気になりました。
こういう最後まで自分を通す負けない方を、地域で支えぬく事を通じて、地域でケアにかかわる人がつながれますしスタッフは鍛えられます。

また、透析治療をおこなっており、認知症でてきて転倒し頭部外傷によりせん妄が遷延し、診療圏を越えたエリアから入院された方もいました。激しい記憶障害とせん妄がみられた通過症候群を乗り切りなんとか自宅近くの病院に転院してきました。
透析をしている認知症の方のケアというのも全国的に大きな問題です。
当院では幸いに病院の隣に特養があり、そこのスタッフがショートスティや入所者の送迎をボランティアでおこないニーズに応えてれていたのですが、特養がはなれば場所に移転するために今後どうするか問題になっています。

身体的、精神的に落ち着いたにもかかわらず、病棟から退院できず残っている認知症の方をみると、家族がいないかあるいは見ていく力が無く虐待、介護放棄のような状態になっている状態の方がほとんどです。
BPSDが落ち着いたところで、そういったかたはお金もなく有料老人ホームなどに入れるわけも無く、民間の施設には避けられ、公的な特養の入所判定は在宅で頑張っている方が優先となりいつまでも退院できません。
(措置で入所できる事はありますが・・)
認知症の方が落ち着いて過ごせるグループホームなどは当地にはまだまだ不足しています。
新しくグループホームができたり特養が増床されても、在宅でそれなりに落ち着いて生活がおくれていた方が「選ばれて」入っていきます。
行き場が無く病棟の住人となった方は、いい雰囲気をつくってくれています。
しかし本当は病院以外の地域資源でもっとしっかり支えるべき方だと思います。

しかし収容するだけの病床は病院のやる医療ではありません。
収容するのではなく、地域のケアをしっかりと支援し、認知症を含む精神障害を抱える方やその家族の生活を支えていくには手間もお金もエネルギーもかかります。

精神科の病床、特に、総合病院の精神科病床は、バラバラの福祉サービスに乗れなかったり医療を上手に受ける事ができない方、医療から排除された方を断る事無く引き受けています。
総合病院精神科の病床には様々な機能を持たせることができますのであらゆるニーズで依頼が来ます。
しかし精神科病床は民間の単科(精神科)のみの病床が圧倒的に多く、総合病院の精神科病床の意義を唱えるには数が小なすぎまたその余裕もないため診療報酬に反映されません。
そのため不採算部門となりがちで病院経営を成り立たせるために、縮小あるいは廃止するところが増えています。
数少ない絶滅危惧種となった総合病院精神科病床ですが、そこのスタッフは医療・福祉のフロントラインそしてバックエンドを引き受けている自負で働いています。
しかし、これはスタッフのギリギリのモチベーションに支えられていますので、モラール(志気)が低下し、大変な患者を選んで避けるようになればあっという間に機能しなくなるでしょう。
そういうところが増えれば、患者を選ばずに引き受けている病院がますます大変になります。
(救急医療などでみられる状況と同様の事がおこります。)
そういった病床がなくなれば、連鎖的に病床や施設が立ち行かなくなり認知症の地域のケアの体制は回らなくなるでしょう。

貧困化がすすむ現在において我が国では、どれだけの覚悟をもって認知症にとりくむことが出来るのでしょうか。
もっといえば認知症を含む障害をもつ人が社会の一員として参加できる社会にどうかえていくか・・。
それが今、問われているのだと思います。

乏しい医療福祉の予算の中で認知症の方が本人の望む生活を続けていけるような制度も体制も、多様な住居もまだまだ不十分です。
悲劇をなくすためには高齢者、認知症ケアに十分なコストをかけ、地域ケアの体制をつくり、福祉施設、介護施設などがレベルアップさせ、質の低い精神科病院から解体し、その人的リソースを地域に向けていく方向にもっていくしかないと思います。
ニーズが高まる総合病院精神科については公の責任において、より強化する必要があるでしょう。

増え続ける高齢者を支えるためには、日本には住み替えという習慣はあまりまりませんが、自宅での生活継続にこだわりすぎず、それが出来ない人でも次善の策として見慣れた景色、方言のとびかう地域の中で、出来れば交通の便の良く病院や商店にも近い町の中心に、自宅でも施設でもない多様な居住福祉を多数展開し、「緩やかな集住」を推進していくことがどうしても必要となってくると思います。




認知症の講演会には人が集まります。それだけ関心が高いという事がうかがえます。
当院でも地域で認知症の講演会(社協職員などとともに寸劇をしたりしています。)や勉強会、シンポジウムなどを頻回におこなっています。



「認知症とはこういう障害で、こういう心理です。誰にでもなりえます。
これから増えます。こんな例もあります。認知症は怖くありません。
認知症の人を理解し尊重し、住みなれた環境で生活を支えるシステムを作りましょう。」

とさんざん言っても、必ず参加者からは

「認知症になるのが怖い。ならないようにするにはどうすれば良いのですか?」

という質問がでます。まだまだ道のりは遠いなと思います。

今後は、さらに当事者や家族にも語ってもらう機会をつくっていきたいと考えています。



不器用で、医療や支援を受けること自体に支援が必要な人を対象にしているのが精神医療です。
統合失調症や気分障害、依存症などで混乱する当事者や家族を支えて来た経験は認知症の方や家族、福祉職のケアやサポートにも活きることでしょう。
私たちにできることは、鈍くならずに、でもめげずに、まっとうで丁寧な、投げ出さない当事者に寄り添う医療や福祉を提供する事です。
数も多く身近になった認知症の方を理解し支援していく事で地域社会の雰囲気が変わり、それ以外の精神障害(発達障害や統合失調症など)への理解も深まり、だれもが産まれきてよかったと感じ、まぁ良い人生だったと死んでいける社会にしていきたいというのが私たちのやろうとしていることでもあります。

「医療は黒子」には賛成です。「精神医療は精神医療無きを期す。」と思っています。

でもまだまだ黒子になりきれない地域社会の実情があります。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
レスパイトケアもいけないの? (so-shiro)
2011-09-27 22:30:04
この書き方だとレスパイトケアも否定されそうな雰囲気・・・大熊さんは御自分の影響力の大きさに気づいていないのでしょうか?
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医療現場とジャーナリズム (といぴ)
2011-09-29 00:15:36
医療者は、理想はもちつつも、変化する状況の中で、今現実に目の前で困っている人のために、とりあえず使える現実にあるものを最大限利用して、悩みつつも、投げ出す事なく日々、実践し、なんとか落としどころを探ろうとする。

一方でジャーナリストは巨悪(仮想敵)を想定してそれを徹底的に叩く、と言うステレオタイプのパターンになってしまいがちのようです。

丁寧で現場を取材して、バランス良く。また建設的な報道をしてくれるジャーナリストもいますが、ステレオタイプに当てはめた大衆受けする思い込みが先走っただけの雑な報道もまだまだ目立ちますね。
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Unknown (といぴ)
2011-09-29 19:44:41
極論をしめすことで議論を呼び起こすという火種という意味では良いかもしれませんが・・。
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Unknown (そらとびねこ)
2011-10-27 00:21:22
大熊さんは所詮、インテリもどきなのだと思います。
認知症ケアに関してもこのように語り、特養も全個室にして、尊厳を守ろうなんて言っていたし。
ユニットケアの弊害もすでに全国で出ているのが現実ですし。

厚労省の、机上論理で動く官僚が、好みそうなことばっかり言ってますね。

最前線の現場職人が言葉を持って、声を届けないといけませんね。
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