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精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

ささえる医療へ~地域医療第三世代の必読本

2012年03月27日 | Weblog
医療の世界にパラダイムシフトが起きている。
一言でいうとキュア偏重から、キュアとケアとのバランスを取った医療へ。
闘う医療から寄り添い支える医療へ。

病気ではなく生活や人生を相手にするならば医療は主役ではなく黒子になり裏方である。
そこで大切になるのは物語(ナラティブ)である。

機能障害のみに目を向けるのではなく、活動や参加へも目を向けることが必要になってくる。
そうすれば当然、地域づくりや教育、社会のありよう、文化というところまでカバーすることになる。

その実践の一つが「在宅医療」だ。
そしてもちろん私の今の実践の中心分野である「精神医療」だってそうだとおもう。

ささえる医療へ (HS/エイチエス)
村上 智彦
理論社


私の学生時代からの師匠の一人であり、私がこの分野に飛び込むきっかけをあたえてくださった村上智彦先生が「ささえる医療へ」という本を上梓された。

「村で病気とたたかう(若月俊一)」が地域医療第一世代の、「地域医療の冒険(黒岩貞夫)」を第二世代の代表的著作とすれば、この本は地域医療第三世代の決定版となる本だろう。
第一世代、第二世代の内容もしっかり取り込みこれからの日本の医療のあり方を示してくれている。
その実践や思想の多くは必然的に若月俊一先生のものと重なる。

序盤からテンポのよい軽快な語り口で一気に読んでしまった。
医療従事者、地域住民、行政に携わる人、多くの人に読んでもらいたい内容だ。

札幌からも函館からも遠い海辺の町、瀬棚(せたな)から、破綻した町、夕張へ。
村上智彦先生は常にメディアとともにあり全国への発信を絶やさなかった。
だから遠くはなれていても私は常に刺激をもらいつづけることができた。

炭鉱都市の繁栄から急激な人口減少を経て過疎の山村になった夕張市。
しかし行政組織などは縮小できず、赤字を垂れ流す大きな総合病院をかかえていた。
この本はそんな街にあえて飛び込み有床診療所と福祉施設に一新しそこをベースに医療再生をおこなった5年間の記録である。

母体となる組織である「夕張希望の杜」はベンチャー企業であり常に闘ってきた。
特に行政組織と・・。そして地域や組織の内と外の有象無象と。

その過程で憤ることも多かったが、私憤ではなく公憤であった。

曰く、「権力者なのにちゃんとやらない人に怒っているだけです。」
責任は取りたくないけど権限は欲しいという人たちを許せなかった。

官との協業で、公設公営で診療所を作った瀬棚での教訓・・・・。
その後に公設民営のやり方を模索し湯沢町へ行ったが行政の公はやっぱり官だったと気づく。

それなら初めから住民参加の公をつくろう。
官でも民でもない公でやるしかない。
住民がお金をだしあって会社を作り診療所を立て直すようなモデルを目指した。
総合病院を有床診療所と老人保健施設に転換した。
訪問診療や訪問看護など在宅の仕組みをつくっていった。

「診療所らしいというのは従来の総合病院から離れることです。」

診療所らしいといえば、かつての佐久病院はまるで診療所のまま発展してきたような病院だった。
職員が仲がよく職種に限らず地域にも出ていきニーズを発掘し技術で応えた。
病院祭や地域にでて寸劇をまじえた健診(八千穂村全村健康管理が有名)などをおこない健康指導員なども巻き込んで運動にまでたかめ、医療文化を変えていった。
偉いところは農村医学として学問的にも裏付けをしていったところだ。
夕張のチームも多職種が学会などで盛んに発表している。


夕張では変革に対する反対もすごかった。
さまざまな屁理屈をいわれた。
妨害もされた。
去っていく人も多かった。

このあたりも佐久病院での「赤い病院」「地下水グループ」「お上による農村医科大学の妨害」などとかさなる。


しかし誰々憎しで批判しているだけだとそれ以上にはなれないものだ。
文句ばかり言っている人間は、自分でやれよと相手にされなくなり、結局おとなしくなった。

「高齢化もすすんで公が求められているのに、相変わらず官が出しゃばって、でもお金はないから民はこない。じゃあ公でやろうよって言ったらみんな違うというわけです。」

「経営をする人にはとっても倫理観が求められていて、公を理解した人間同士がやらないとだめなんです、経営をするってことは、倫理観がなかったら終わりですよね。」

「医療っていうのは収入がどうだとかではなくて、みんなのためにというか公共ですね、それを目指さなければだめなんですよ。」

「無責任な人たちの議論に混じってやれば破綻するんで僕らはあくまでも公で行こうとしているだけなんです。」

「経営をやる人間と医療をやる人間は別だが、その人達がいつも喧嘩している姿を世間に見せることで、地域の人達に安心をあたえるべきだということです。」

「ディスカッション、ディベートがないと人間ってだめですね。対立はあったけども、結果的には良いものができて、最終的には住民が良いサービスを受けられればいいんです。」

かつては地域医療では先進地であったはずの長野県の当地域の現状、安曇総合病院の現状を考えると実に耳の痛い言葉が並ぶ・・・。


確かに夕張は破綻した過疎の山村ではある。
しかしもとから炭鉱の町、あるいは夕張メロンで有名であり、さらに全国に先駆けて破綻したことにより有名となり注目を浴びた。
高齢化が激しく財政難の夕張は日本の将来の縮図でもある。
夕張の住民は自分の健康のことも医療に丸投げで生活は行政に依存的であり、お任せの態度になれきってしまっていた。

ここならモデルをつくれるかもしれない。
そこでどう公を再生するか。
しかし、お金も暇も人もいない。

その過程では強力なリーダシップで強引にやることもあった。

「仕事をシェアリングするとか、マルチスキル化など、まさにお金も人材もない場所での公という発送をもたなければなりませんね。」
「仕事のシェアリングがすごく進んで事務の子が介護もやって検査もやって外来もやるようになった。」
「ディの送迎に事務員もでてくるとか、役割をシェアリングしながら普段から職員全員が患者さんにたくさん接するようにしています。」


それはLabor(いやいややらされる労働)ではなくWork(創造的な楽しんでやる仕事)だろう。
そう、佐久病院の創成期のように。


メディアに牙をむかれたこともあったし、メディアを利用したこともあった。
新聞はある種権力者であろうとする。
よほど意識して付き合わなければダメだと思った。
その一方でテレビはセンセーショナルにならなきゃいけない宿命がある。


そして救急医療の問題がおきた。

「何かあったら命にかかわる。」この言葉に弱いんですよね。みんな。」
「高齢者だと何か必ずあるに決まっているんですよ。特に高齢者は、ほら救急車だ、さあ病院だということはならない。」
「この問題は死をどう考えるか、という死生観の問題とも大きく関係しています。」
「責任を取りたくないから救急にして預けちゃう。」

特に若い人達への訴追としてインターネットは必須ツールとして大きな力になった。
それはいつのまにか自分たちがメディアをもつことであった。
全国から反響があった。
地方紙を意のままにでき世論をコントロールできると思っていた役所にすれば誤算だっただろう。


下り坂となった社会でインフラとしての医療、社会保険をどう守るかを考えてきた。
その答えが「キュアからケアへ、戦う医療からささえる医療へ。」ということだった。
そしてその方法論が在宅医療である。
しかし在宅は外にでた病院ではない。
大切なのは高齢者が日常生活をとりもどすこと。
死を敗北ではなく必然と捉えて、(北澤先生の言葉をかりると「人生の集大成」)、自分自身で健康や人生を考え、自らも汗を書いて次の世代のことを考えるということ。

「高齢化っていうのは障害と共に生きることなんです。」
「ある意味ケアっていうのは障害を受け入れることなんです。」
「高齢者の問題は障がい者の問題と同じですね。ただ、みんなバリアフリーということを建物やハードで考えていますが、人のバリアフリーなんです。」

キュアとケアの両方を習っている唯一の職種である看護師を前面にだし福祉を前面にたてて在宅医療に本気で取り組んだ。
口腔ケアなどにも力を入れ地域包括ケア高齢医療のモデルを示した。
破綻した病院から出発して、一気に先端としての地域医療へモデルをつくり広げた。
藤沢町のこと、被災地支援のこと・・。
全国に仲間も増え人も集まった。
そして人材育成へ。
破綻した街、夕張の医療を全国の医療モデルへ。
これからは外の支援がメインだと村上智彦先生はいう。


最後に教育というところに行き着くのは農村医科大学を目指した若月俊一と重なる。
佐久病院で20年以上かけて作ってきたような地域ケアの仕組みをわずか5年でつくりあげた。
しかし文化になるにはまだまだ時間はかかるろう。
その過程で実は佐久総合病院で育った医師も夕張で活動している。
そして村上智彦先生は若月賞を受賞している。



公というのは住民側の問題でもある。
住民たちも権利だけを要求するのはおかしい。
たたかう医療では住民から見ると医療におまかせだったから自分で考えなくてもよかった。
ところが支える医療では住民も参加しなきゃならないから面倒臭い。

若月俊一先生が言っていたことに「医療は文化である。」ということがある。
技術を持って地域に入り運動論としての地域医療を展開した。
それはまさに文化をつくっていくということだと思う。


「その地域で死んでもいいなって思えたら地域医療は充実します。」


風の人である医師が土の人と交わることで風土が生まれる。
地域を変える3つのものはよそ者、若者、馬鹿者だそうだ。
そして二人に共通するのは熱いハートとともにクールな頭脳がある点と、地に足がついた「実践家」であるということだろう。
きたりっぽ(よそ者)であった若月俊一先生が信州で最後に母なる農村への愛、農なるものへの回帰に行き着いたように、この本にかかれている村上先生の実践からは根底に村上智彦先生の北海道への愛、地域への愛を感じた。

そして自分もまたがんばろうという勇気が湧いてきた。

この本を読んで感銘をうけた方で「村で病気とたたかう(若月俊一著)」を読んだことのない方は是非一度並べて読んでみて欲しい。今なお古びていないその内容に驚かされることだろう。


医師・村上智彦の闘い


村で病気とたたかう (岩波新書 青版)
若月 俊一
岩波書店

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
若月ー村上論に賛成 (永森です)
2012-03-29 00:05:09
お久しぶりです。夕張の永森です。僕のことまで取り上げてくれてありがとう。さすがな読み方と感心しました。僕らはずっと若月先生を意識してきました。そして、先生が考えたようなことを考えて、夕張でしあわせにしねるまちづくりにとりくんでいます。
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佐久は危機なのでは? (坂口志朗)
2012-03-29 23:36:53
樋端さんの感覚は鋭いです。

佐久総合は東信の医療拠点として高いものを求められているがゆえに、本来の地域に根ざした医療の展開が困難になっていることが心配です。

25年度の新構築後に臼田に残る地域医療センターが上手く継承しないと、若月イズムは途絶えてしまうかもしれません。

もっとも、若月先生の弟子を自認する医師は日本中に居るから、だいじょうぶかな?
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実践家、運動家 (といぴ)
2012-03-30 00:59:56
高度先進医療を行うためには集約化が今以上に必要でしょうし、地域に根ざした医療は運動論的展開が鍵になると思います。
2足のわらじはなかなか難しそうです。
今は若月イズムは小海分院を中心とした南部でよく残っているのではないでしょうか?
「佐久病院は遠くにありて思うもの」と誰かが言っていましたがずっと遠くから注目はしています。
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