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精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

こころの僻地、わたしの主治医

2006年10月14日 | Weblog
多くの現場の人の感動をよんだ、NHK、ETV特集の伊関友伸さんの「心の僻地」発言。

心が僻地だから医者は来ない。
住民は医療者の立場になる事も必要だ。
ちょっと体が心配だからって、夜中でもなんでも、
医者が叩き起こされるような病院では、
医者は黙っていても立ち去る時代。
僻地は都市から遠い所にあるんじゃない。
そこに住む人の心にあるんだ。
心が僻地じゃなければ、地理的にどんなに遠い所でも医者は来る。

『こころの僻地』というとことばの出所は2chらしいのですが・・・。
これは自分のこころの師匠である国保瀬棚診療所の村上先生がよく主張していたことと同じ。

先生は、

「結局は住民が医者を追い出しているんだよ。」
「だから、みんなが賢くならなくてはならない。」

とおっしゃっていました。

「医師や看護師はマゾヒストの集団ではない。」と ある医師のブログでは言っていました。

ちゃんとやっていても、不可避なことや、個人レベルではどうしようもないことでも、予想外のことがおこれば患者からの訴訟やマスコミからボロボロにされてしまう現実。

医師に権限(しかし本当に肝心な権限はない。)と仕事(雑用も含め)、責任、義務(患者や住民と分担すべきものまで。)があまりにあつまりすぎています。


それなのに現場を知らないコントーロール欲が強いだけの人(結局は市民の姿を反映)が予算や人事のマネジメントを握ってしまい、両手両足を縛られた状態で飛べという。

医師は、やりがいは確かにあるし面白い仕事なのですが、残念ながらよっぽどのスーパーマン、かつマゾヒストでないと勤まらない職業になりつつあります。

かならず出てくるのは医師は足りているのか足りていないのか、必要なのはジェネラリストかスペシャリストかという議論。

全体として医師は足りていないのでしょうが、配置の問題の方が深刻です。

年俸性をとっている病院も増えてきましたが、多くの病院では、命に関わりない9時5時の科でも24時間拘束の科でも勤務医の給料は基本的に同じです。

当然、リスクの高い科、そしてしんどい科ばなれが進んでいます。
ますます増えてきた女性医師の働く環境のひどさもあります。
出産、育児と仕事を両立できる環境から程遠い現実。

スペシャリストは確かに必要ですが、診断屋、人体修理屋ばかりいくら増えてもバラバラに動いていては意味がありません。
トータルなマネジメントがないと逆に患者や住民を不幸にしていることも多い気がします。

患者、家族、それぞれの人の生活を知り、健康問題を中心にトータルでマネジメントできる主治医としての能力、機能をもった人が必要です。
そうでないとスペシャリストやコメディカルの能力は活かせないし、患者は主治医不在となり医療難民と化します。

それは家庭医やプライマリケア医とは限らず、可能ならスペシャリストでもいいですし、できるなら患者自身でもいいのです。

新研修制度となり、多少はましにはなってきているのだとは思いますが、医学教育においては、さまざまな能力を持ったコメディカルや地域の能力をひきだして協業できるマネジメントや、患者自身に賢くなってもらうエンパワメントのトレーニングはうけるチャンスはまだまだ少ないように思います。


※「主治医」

(疾患の種類によらず心身各部の診療の求めに応じ、継続して患者の生命と生活に責任を持ち続ける医師(川越正平 (あおぞら診療所所長)の定義。)

イギリスのGPや、介護保険制度下でのケアマネのように、医師も主治医機能を果たすべく責任を明確にした形で登録性のようにはできないものでしょうか?と考えています。

主治医機能のバトンをわたしそこねて、主治医不在の期間ができたり、いろんな科にかかっていても結局、主治医がいなかったり、開業医も主治医機能を果たそうとしなかったり。

患者が「わたしの主治医カード(仮)」を医師に預けるような形にするとか。(もちろん自分で持っていてもいいのです。)
そして、医師はその数に応じた報酬も受け取るという仕組みつくれないものでしょうか。

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