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精神科医師のブログ。
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若月俊一、お別れの会

2006年10月08日 | Weblog
かつて国際農村医学会も開催された佐久総合病院の教育ホールで「若月俊一」お別れの会が行われた。



職員の献花、それからOBや地域の人、若月を慕う人が全国から3000人以上集まり別れを惜しんだ。一つの時代がおわったことを痛感させられた。
 
 病院前では、パネル展示や若月の声の映像の紹介があった。当院を巣立っていった研修医も何人か来ていた。昔からの職員には懐かしい創立当初の人たちも大勢あつまったようだ。



 今の佐久病院は混乱を極め、ある意味、危機的状況ではある。

 しかし、60年前にほとんど0からはじめたことを考えると、それでも今は恵まれている状況なのだろう。

 地域出身の人のもならず、全国から若月の影をおってくる若い人(特に医師)がそれでもあつまる状況がかろうじてのこされている今のうちに何とかしなくてはならない。

 地域のニーズをリアライズすることで大きくなってきた病院ではあるが、今の厳しい医療情勢の中、いかに上手く、それこそ「農民(地域住民)とともに」この地域のニーズに応えられる医療をつくっていけるかという課題が突きつけられているといえよう。

 若月が農村でおこなってきたのは医療の民主化だという。しかし、それでも3割しか実現できなかったという。いまはそれが2割くらいまで後退しているように思われる。

 今後、佐久病院は、地域医療センター(臼田)と高度医療センター(北中込?)とに分かれて再構築する話がある。

 しかし、再構築に当たって忘れてはならないのは、「医療とは文化でありきわめてローカルなものである。」ということだろう。清水茂文前院長もよく言うように他の病院以上に佐久病院が果たすべき使命は「地域性、社会性をもった医者をそだてる。」ことなのだ。

 地域にそのままつながる地域医療センターで支える医療、寄り添う医療、ともに作る医療を担わなくてはならない。地域医療センターでは地域の実情を理解しつつ主治医機能を果たせる医師をあつめ育て、世界の先端医療にもつながる高度医療センターに集積された技術、知識を必要に応じてコントロールしながら利用できるような体制を築いていかなければならない。生物医学的に100点のことはできなくても都会ではできない細やかなケアが可能となりトータルでみるといい医療ができることもあるに違いない。

 新幹線で1時間ちょっとで東京までいけるような高速交通網をつくってしまった現在、高度医療センターでどの程度のことが必要かなどということは議論が必要だ。どの地域の医療のどの部分を責任をもって担うのかということを突き詰めて考えなければならないだろう。

 農村ローカルなテーマ以外の分野で、純粋生物医学的なテーマ、数を集めての高度先進医療で勝負するなどということはマンパワーや予算、かかえる人口、教育機関などの点で都会の大病院や教育機関には普通に考えてかなわない。

 しかし普段から待機的な手術や処置もやっておかなければ緊急の手術野処置のレベルがおちてしまうというジレンマがある。農村過疎地だからレベルが低くてもいいということにはならないのだ。
 
 そのためには高度医療は集約化すること必要だ。厚生連、国公立、民間などの経営母体の差や、おらが町にも総合病院をといった地域エゴにとらわれず、東信地区広域でどのような医療が必要で、それぞれの医療機関が、どのような役割分担を果たしていくのかということを広い視野で議論していく必要があるだろう。そういった意味では高度医療センターは、作ってしまった高速道路や新幹線といったインフラを利用し、インターチェンジや駅に隣接させた場所に病院を作るといった発想もありなのだとは思う。