プシコの架空世界

ホレホレ触るとはじけるゾ。
理性がなければ狂いません(妄想の形成にも理性の助けがいる)。

小林秀雄

2016年10月30日 12時29分42秒 | 日記

小林秀雄著『Xへの手紙』から一部抜粋。

 何故約束を守らない、何故出鱈目(でたらめ)をいう、俺は他人から詰(なじ)られるごとに、一体この俺を何処(どこ)まで追い込んだら止(や)めてくれるのだろうと訝(いぶか)った。俺としては、自分の言語上の、行為上の単なる或る種の正確の欠如を、不誠実という言葉で呼ばれるのが心外だった。だがこの心持ちを誰に語ろう。たった一人でいる時に、この何故という言葉の物蔭で、どれ程骨身を削る想いをして来た事か。今更他人からお前は何故、と訊ねられる筋はなさそうなものだ。自分をつつき廻した揚句が、自分を痛めつけているのかそれとも労(いたわ)っているのかけじめもつかなくなっているこの俺に、探る様な眼を向けたところでなんの益がある。俺が探り当てた残骸(ざんがい)を探り当てて一体なんの益がある。

俺は今でもそうである。俺の言動の端くれを取りあげて(言動とはすべて端くれ的である)、俺に就いて何か意見をでっち上げようとかかる人を見るごとに、名状し難い嫌悪(けんお)に襲われる。和(なご)やかな眼に出会う機会は実に稀(ま)れである。和やかな眼だけが恐ろしい、何を見られているかわからぬからだ。和やかな眼だけが美しい、まだ俺には辿(たど)りきれない、秘密をもっているからだ。この眼こそ一番張りきった眼なのだ、一番注意深い眼なのだ。たとえこの眼を所有することが難(むず)かしい事だとしても、人は何故俺の事をあれはああいう奴と素直に言いきれないのだろう。たったそれだけの勇気すら何故持てないのだろう。悧巧(りこう)そうな顔をしたすべての意見が俺の気に入らない。誤解にしろ正解にしろ同じように俺を苛立てる。同じ様に無意味だからだ。例(たと)えば俺の母親の理解に一と足だって近よる事は出来ない、母親は俺の言動の全くの不可解にもかかわらず、俺という男はああいう奴だという眼を一瞬も失った事はない。

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