プシコの架空世界

ホレホレ触るとはじけるゾ。
理性がなければ狂いません(妄想の形成にも理性の助けがいる)。

負けず嫌い

2010年06月02日 08時15分21秒 | インポート

 僕はとても負けず嫌いな子供でした。いちいち勝敗にこだわる子供でした。でも思い出してみると、そのベースには他者に対する恐怖心と劣等感があったことに気がつきました。

 僕が恐怖を抱いた記憶で最も古いものは夜、幼稚園内で催された映画会においてのものです。僕は映画に出てきた村人たちを襲っている大きな赤鬼たちを見て生まれて初めて(だと思う)恐怖というものを感じました。

 次はS市内で行われていた祭りにおいてのものです。青い鬼の仮面をかぶった男が親に抱かれていた僕を脅した時のものです。僕は大声で泣きながらその鬼の顔を何度も叩いて抵抗しました。

 これからは僕が小学生になってからの話。

 僕のおばあちゃんと自宅の白黒テレビで『ゴジラ』を見た時。高圧電線をブチブチ切りながら前進するゴジラを見て、僕は大変だ!と思いました。

 次は部屋に置いてあった少年誌に描かれている赤い顔の口元が耳まで裂けている『デビルマン』の絵を見た時。小さな絵なのですが本当に怖くて部屋の隅に置いてもどうしてもそれに注意が向かってしまうのでした。

 次に市民体育館内の柔道場を覗いた時。そこには見たこともないほどの巨体の男たちがドスン、ドスンと戦っていました。僕と同じ人間の中にも僕を脅かすものたちがいるという事実が僕にあれほどのショックを引き起こしたのだと今では思います。

 次に巡業でT市に来た相撲取りたちを間近で見た時。土俵にいる相撲取りたちは相撲をする前に口喧嘩をするのですが、僕は大人の男たちが本気(僕の目にはそう映った)で罵り合っているという光景をみるのは初めてだったのでとても怖かったです。でも観客の多くはそのやりとりを笑って見ているので僕は自分の臆病さを恥じました。

 今から思うと、子供の頃の僕は年がら年中、戦い続けていたと思います。

 僕の負けず嫌いな性格は精神分析によれば自我防衛機制の一つである「補償」にあたるのでしょう。人間には肉体のどこかに劣等感を抱くと無意識のうちにそれを克服しようとして並はずれた努力をする傾向があるそうです。まさしくそれは子供の頃の僕だったような気がします。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする