玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します

5月15日の観察会

2016-05-15 05:15:02 | 観察会

 5月15日は昆虫専門の新里さんと韓さんの指導による観察会があった。私がおこなうときは植物を中心にした解説で、ゆっくりゆっくりと歩いて、花が咲いていたらその説明をし、関連した植物学や生態学の話をするようにしている。ふつうの散歩をする人に比べれば、えらくゆっくりした歩みだと思っているが、この日のスピードはそれよりはるかに遅いものだった。
 ある古い切り株で韓さんが「これ、キノコムシです」というので、見たが、なんだかわからない。よく見ると長さがせいぜい1mmほどのゴマ粒の大きさもない小さな甲虫がいた。写真にとって拡大すると、なかなかおもしろい形をしており、ツツキノコという仲間だということだった。筒のような形をしたキノコムシということらしい。これなど、ただ歩いていても絶対に気づかないことだ。キノコがあれば、キノコムシがいるのではないかと思って、キノコを崩してみる人がいて、しかも微細なものでも見分ける目があってはじめてわかることだ。


ツツキコノの一種

 その古い切り株がちょうどテーブルみたいで、みんなもキノコを崩したりしていた。材が腐ってボロボロになった部分を崩すと小さな茶色いアリがたくさんいてうごめいていた。この切り株が「教卓」がわりになって、昆虫講座が始まった。新里さんが取り出したのはコクワガタだった。「あっ、すごい!」といっしょに参加していた小学生の男の子が目を輝やかせている。これを使って甲虫の体の説明が始まり、昆虫の体は3つに分かれていること、そのどこから脚が出ているか、口はどうなっているかなどの説明があり、みんな一生懸命に聞いていた。


切り株の「教卓」で昆虫学教室が始まった(棚橋さん撮影)

 といった具合で、その後もエゴノキの葉の虫瘤や、オトシブミの巻いた葉などで立ち止まっては説明があり、人数も多かったこともあっていっかな進まない。
 そうした観察をしながらのんびりと昼までを過ごした。


新里さん(右)と韓さん(左)

 最後は私が前の日に設置していた糞トラップ(コラム参照++)をチェックしに行った。小さなバケツに糞をぶらさげたものだが、犬の糞を2カ所、馬糞を2カ所おいていたが、馬糞は両方何も来ていなかった。犬糞はひとつにコブマルエンマコガネが2匹、もうひとつにエンマムシと、どういうわけかコメツキムシが来ていた。

 お昼を食べて、午後は訪花昆虫の実習をすることにした。津田塾大学の南側に明るいスポットがあり、マルバウツギやエゴノキが咲いていたので、そこでひとつの花の株に2人が担当して、花に来ている昆虫を記録してもらうことにした。記録の内容は、ノートに時刻、花、昆虫の3項目である。はじめにいっしょに記録のしかたを説明した。それからマルバウツギ、エゴノキ、ハルジオン、ノイバラの4ペアに分かれて、10分間の観察を時間をあわせて3回おこなうことにした。


訪花昆虫の記録をとる参加者(棚橋さん撮影)


マルバウツギに来たハチ(棚橋さん撮影)

 これを3回繰り返した。終わってから、ノートを見せてもらい、必要項目の記入もれがないかどうかを確認した。
「よい資料がとれたと思います。今後こういうやりかたで別の季節でも記録をとりたいと思います。こういう資料がたまればすごい情報になると思います。ただ、私としては訪花昆虫がいたというデータだけでなく、いないところでもデータをとることで、群落の多様さが生き物のつながりを多様にしているということを示したいと思っています。」
「こうして観察し、記録をとってみると、いままで何気なく歩いていた玉川上水が、ちょっと違ってみえると思います。花の気持ちになって待っていたと思いますが、たくさんのハチを記録していたところに、チョウが近づいてきたら、ちょっとワクワクしたはずです。あるいは飛んできたのに自分が記録する範囲の外側だったら、「もうちょっとなのに」と思ったはずです。そういう、これまで感じたことのない気持ちを持つことに意味があると思うんです。」
 その説明が終わるころに一人の学生が私の背後にあったイヌビワの木に実がなっているのを目にとめて見ていた。
「あ、おもしろいものに気づいたね。これはイチジクの仲間で、イヌビワといいます。いま小さなイチジクができています。もっと大きくなり、最後は黒に近い紫色のジューシーなベリーになって鳥が食べて種子を運びます。」
「へえー」
「イチジクは無花果と書くくらいで、私たちがイメージする花はありませんが、花がないのではなく、この実が花なんです。花の袋という意味で「花嚢」といいます。実の内側にあるつぶつぶみたいなのが花で、実の先端にある小さな花からイチジクコバチというハチが入り、そこで翅が落ちて、もう飛べなくなってしまいます。そして、たくさんの花のなかでうごめいて授粉し、そのなかで一生を終えるんです。」
この説明は間違いではないが、不十分だった。それはコラムをみてもらうことにして、そこでは会話が続いた。
関野先生が聞いた。
「そのことはハチにとってなにかメリットがあるんですか」
「メリットねえ」
私はちょっと考えた。メリットとはなんだろう。そのハエにプラスになること、おいしいものを味わうとか、子孫を残せるとか、そういうプラスになることということであろう。ハチが授粉をするのが植物側にプラスになるのはわかるが、狭いイチジクのなかで死んでしまうのではなにのプラスもないという意味であろう。
「私たち人間は自分たちのくらしから、つまり体が大きくて、明るいところ、広いところがよいと思い、長生きをする、そういう生活がよくて、そうでないものはよくないだろう、かわいそうだと思いがちです。私はよく思うのだけど、セミは地上に出て数週間で「一生を」終えるので、それは虚しいと考え、「空蝉」などといってはかないものにたとえるけど、セミはそれまで17年とかもっと長いあいだ地中で暮らすわけです。地中で暮らすなんて暗くて狭くてかわいそうと思うけど、それは人間の感覚であって、セミとしてはそれが人生の99%以上であり、きっとセミからすればそれが「人生」であって、最後の瞬間のような地上生活は鳥などに狙われて危険に満ちたいやなときなのかもしれません。モグラも同じで、モグラにすれば雨は降る、風は吹く、直者日光が当たって明るくなったり、暗くなったり、鳥やキツネなどに狙われる危険きわまりないところなわけです。それにくらべれば、土のなかは安定していて、ほっとできる空間なんじゃないですか。モグラからすれば、「あんたらなんでそんなところにいるの、かわいそうに」と思うんじゃないですかね。」
「ふーん、そうか」
と別の参加者。関野先生は言う。
「サケの一生は、生まれたところまで一生懸命もどっと、卵を産んで死ぬ、あの
「やった」
という感じの生き方は理解できるよね」
「動物にはそれぞれの事情があり、全部はできないにしても、なるべくその事情を理解することがだいじだと思うんですよ。私たちはどうしても自分たちの基準で考えてしまう。イチジクコバチってイチジクのなかで死んでしまうなんてかわいそうだなんてね。でも、イチジクコバチにいわせれば、「大きなお世話」じゃないですかね。生物学を学ぶことの意味なんて、違う動物のことを理解することの大事さに気づくことにあるんじゃないかな。」
と私。
「うん」
「ところでイヌビワっていうけど、ビワとは関係ないんですか?」
と参加者。
「はい、関係ありません。実がちょっとビワに似てからですかね。ところで琵琶っていう楽器があるでしょ?あれは果物のビワが最初にあって、それに形が似ている楽器として琵琶という名前になったんでしょうね。逆じゃあないよね。」
「そうでしょう」
と陣内先生があいづちをうつ。
「琵琶湖はその楽器に形が似ているから琵琶湖になったっていうけど、あの湖の形を空から見て琵琶に似ているなんて昔の人がわかったんですかね。」
ととりとめのない会話は続く。
 ひょんなことからおもしろい会話ができた。

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