玉川上水 生きもの調べ

四季おりおりの観察

玉川上水3月の観察会

2016-10-01 03:12:08 | 観察会


<生物学と美術>
 関野先生は「一からカレー」プロジェクトのように、学生に実践させることを重視しておられる。玉川上水の動植物を調べるということもそのような位置付けで、興味をもつ学生がいたら参加させるということだった。私は二〇一五年三月に退職したが、その代わりのように武蔵美の学生さんと交流が始まることになった。もちろん生物学を専攻する学生とは違うのだが、私としてはむしろ別の意味での期待があった。
 私自身、絵が好きで、研究対象の動物を美的対象でながめるのは日常的なことだ。だが、それを生物学の論文で表現することはない。ただ論文のグラフに動植物のイラストを入れることはときどきする。
 フクロウの巣箱には、雛を育てるときに運んできたネズミの骨が残されているが、八ヶ岳のフクロウの巣箱の中身を分析したときに、おもしろい結果が得られた。八ヶ岳には牧場があり、牧場に近い巣箱から遠くになるにつれ、ネズミ集団の内訳が変化し、草地にすむハタネズミの仲間の割合が少なくなる傾向が認められた。この論文を書いたとき、グラフの右上に隙間があるので、そこにハタネズミのイラストを描いて入れた。


フクロウの食性を調べた論文に添えた図.
横軸は牧場からの距離、縦軸はハタネズミの割合

 論文は学術雑誌に投稿すると、査読者からコメントがくる。そのときは、このグラフのハタネズミのイラストはいらないと言ってきた。たしかにグラフの内容そのもので十分といえば十分である。しかし私はただ真っ白い空白があるよりは、イラストがあったほうがイメージしやすいし、なにより楽しくていいと思った。そこで、編集部に対して「イラストがいらない理由を論理的に説明してほしい」と返事をしたら、「入れてもよい」という返事が届いて溜飲を下げた。
 そういうわけで、私は絵に関心があるので、美大の学生さんと玉川上水を調べる場合、データをとって解析するというスタイルだけでなく、動植物を絵や彫刻などで表現する作品を作ってもらうという創作的な活動をするのも楽しみだった。
 そうして玉川上水で調べてみたい5つくらいの課題を設定し、関野先生に呈示した。そのうちのひとつに植物の葉の観察があった。この提案の中で私は次のように書いた。

 私たちは玉川上水の緑を景色としてとらえます。それを「接写」してみると違って見えます。実は私たちはときどきはそうしていて、花が咲けば、あるいは結実すれば近づいてみることがあります。私の提案はそれをもっと具体的に見るということです。たとえばあるコナラのある枝を見ることにします。枝に印でもつけておきます。その枝についている一〇枚なら一〇枚の葉をすべて覚えます。その葉が冬芽を破って展開し、色を濃くしながら大きくなり、もしかしたら虫に食べられ、枝先に花をつけ、紅葉し、結実しといった変化を見せます。「コナラの葉」という集合名詞ではなく、一枚一枚の葉に名前をつけてはどうでしょう。ケンタでも、アヤカでもよい、あるいはジョンやエリーでもクエルクス(コナラの学名)などでもよい、名前をつけて呼べば、集合名詞で読んだ「コナラの葉」とは違って見えるはずです。その葉が芽を破って出てくるところから、枝から落ちるまでずっと観察し、絵に描いたらどうでしょう。


コナラの新芽          コナラの黄葉


コナラの花      コナラのドングリ

 そして次のような具体的な作業内容を添えた。

 葉の表現法もさまざまです。図鑑類は葉を上あるいは斜め上からみたものがほとんどです。しかし横、あるいは斜め下から見ると違って見えるし、葉の表面と裏面を同時に描くのはむずかしいものです。
 コナラの場合、新芽は表面に銀色の微毛が無数に生えてビロードのように見え、表現がむずかしいです。その後も鮮やかな黄緑色から濃い緑色に変化します。
 一方、カシ類は「常緑」と呼ばれますが、常緑とは冬に緑色であることで、葉は落葉します。そのタイミングが違うだけです。ナラとカシは同じ仲間なのに落葉と常緑という違う生き方をしているおもしろさもあります。それを比較するのもおもしろいと思います。そのほかにも、玉川上水にはエゴノキ、ヤマザクラ、ヒサカキ、シロダモ、ゴンズイ、マユミなどがごくふつうにあります。
 この作業をするためには、なんといっても植物の名前を覚えることが必要です。一番よい方法は植物を知っている人と歩いてどんどん質問することです。そしてメモをとることです。週に一度はたとえば小川橋から嘉平橋まで、あるいは最低でも武蔵野美術大から津田塾大までを歩いて咲いている花があったら、図鑑で調べ、わからなくても写真をとり、スケッチをすることです。ちゃんと撮影できていれば、高槻に送ってくれれば教えます。そうすれば、人にわかってもらうためにはどう撮影するかということもわかってくるでしょう。
 まずは二〇種を目標にしましょう。五〇種覚えればかなりのものです。草の葉の下や、木の上でも咲く花があります。訓練をつめば、花がなくても、どんな花が咲くかがイメージできるようになります。花が終われば、消えるわけではなく、子房がふくらんで果実を作る準備を始めます。そういう変化を丁寧に観察すると、植物が一日も休みなく次の準備をしていることがわかります。
 植物が活動を始めるよりも少し前の三月から観察を始めると、落葉樹の枝の美しさに気づきます。冬芽の大きさや形も木によってさまざまです。冬芽の変化(冬芽そのものもおもしろい形をしている)、その冬芽を破ってでてくる葉のようすが観察できます。四月に入ると地面からでてくるアマナなどがあり、油断していると消えてしまって、来年まで見ることができなくなります。

<冬芽の観察会>
 そういうわけで、春休み中であることはわかっていたが、関野先生に三月のうちに観察会をしませんかと提案した。そして三月一四日に玉川上水を散策することにした。
 ところが、当日はあいにく小雨でしかもとても寒かった。そこで、散策はさっとして、一部の枝を採集して室内でスケッチすることにした。
 美大の学生さんと一部先生方も参加され、私が解説をすることになった。手始めに玉川上水にもっとも多い、クヌギ、コナラ、イヌシデを紹介したが、まだ冬芽の状態だから、幹の樹肌で判断する。
「これがクヌギ、これがコナラ、そしてあれがイヌシデです」
 というと、笑いともつぶやきともいえない声がした。
「なんで幹をみて樹の名前がわかるんだ」
 ということだったようだ。
 野外ではいつもそうなのだが、私は注目に値するものを見つけると立ち止まって説明を始める。今回は植物になじみのない人ばかりだから、基本的な話をするようにした。このあたりで最も多い木であるコナラとクヌギの葉の区別法を説明したりした。


コナラ(左)とクヌギ(右)の葉を説明する
(武蔵野美術大学棚橋早苗さん撮影)

 また、去年の秋はコナラが豊作だったので、ドングリがたくさん落ちていた。中には殻を割って「実」が見えているものもあった。そこでクエスチョンを出すことにした。
「ドングリのお尻とチョンと尖ったのの、どっちが上でしょう?」
質問の意味がわからないようだった。
「お尻というくらいだから、これが下でチョンのほうが上かな?」
それとも
「帽子をかぶっているみたいだから、こちらが頭でチョンのほうが下かな?」
なんだか意味がわからず、混乱しているみたいだ。でも、「お尻」とか「帽子」というのが私たちが勝手にイメージで読んでいるだけで、植物学的なこととは違うことは察しているみたいだ。


ドングリの上下

「では」
とドングリには悪いが根を出しているものを1本引き抜いて、
「ドングリは秋のうちに根を出します。根は植物の下にあるのだから、根を出すほうが下というのはいいですよね。根はどっちから出ていますか?」
「チョンのほう」
「そうです。だから根が出るチョンのほうが下なので、帽子のほうが上でよいということになります。」
「なあるほど」
「というのは実は正しくありません」
と意地悪なことをいう。
「ドングリの中身は子葉です。つまり根を出したのは子葉、つまり双葉です。根を出したあとは同じほうから茎を伸ばして本葉を出します。だから、ドングリのチョンは根よりも上にあるという意味で上ですが、茎を支えるという意味では下になるというわけです。」


コナラのドングリから出た根と茎(2016.3.22)

 しばらく観察をしたが、体が芯まで冷えたので、「武蔵美」の教室にもどって冬芽のスケッチをしてもらうことにした。
 さすがに絵心(えごころ)のある人が多く、すばらしいスケッチをしていた。中にはイヌシデの花芽を分解して、並べている人もあった。シデの花序は苞(ほう)ひとつひとつの奥に花が入っている。まだ伸びる前のものだが、分解するとちゃんと雄しべが見える。そのことに感動したようすでスケッチはしていなかったように見えた。それでよい。
 別の男子学生はつる植物が好きだということで、アカネやツタなどを採集していた。いずれも枯れたものだったが、ツタには壁などにつくための吸盤があったので、その説明をすることにした。

つる植物
 つる植物はなかなかおもしろい。そもそも陸上植物は自立するのを基本とする。日本のように湿潤な環境では、乾燥による生育制約はあまりないため、生育の制約になるのは光ということになる。実際、植物同士は光をめぐって熾烈な競争をする。そのために高くなれることは有利になる。ヒマワリやブタクサのように大型になる草本もあるが、一般には木本植物は光合成した一部を支柱である幹に投資し、毎年背を伸ばしながら高くなってゆく。翌年は高いところから枝葉を出せばよいから、低い草本などよりも有利になる。しかし生産物のすべてを葉に投資できないから、着実に幹への投資をしながらの高さを稼ぐということになる。
 この点、つる植物は巧みといえば巧み、ずるいといえばずるいことをする。自立することには投資せず、同じ生産物をもっぱら長さをかせげる茎に投資する。だから、フジやアケビ、ナツヅタ、キヅタなどは驚くような高さまで伸びることができる。十メートルあるいはそれをはるかに超える高さにもなる。これらは木本だが、アカネやヘクソカズラ、ボタンヅルなどは草本だ。毎年の蓄積はないが、それでも数メートルの高さにはなる。つかまる、あるいはからまる木を利用しての高さの荒稼ぎだ。だからジャックと豆の木の豆の木というのはありえない。あのお話では豆の木が自立してどんどん空に伸びていくが、それはつる植物ではありえないのである。
 つまり、つる植物は数十年もかけて少しずつ伸びてきた樹木にとりついて、その高さを利用してするすると伸びて明るいところまで達し、ちゃっかりと光を利用するのだ。
 このことはつる植物の生育地と関係する。暗ければ光が乏しく不都合だから、林の中はつる植物に適さない。かといって草原のようなところは、明るくはあるが、からまる植物がない。一番都合がよいのは林縁である。林縁であれば光もあるし、寄りかかったり、からまったりする木もある。その意味では林縁の連続のような玉川上水はつる植物にとって好都合な場所といえるかもしれない。
 「玉川上水にどんなつる植物があって、どんな生え方をしているかを観察したら、おもしろそうだねえ」
 と私。そうしてくれれば、いろいろ発見があるだろう。
 つる植物はちゃっかりほかの植物を利用できる代わりに、ほかの植物はしないことをする。ひとつは巻きつくということだ。フジでもクズでも利用する木に巻きつきながら上へ上へと伸びてゆく。一番先端部は次にどこにとりつくかを探している。そして先をカギ状に曲げてひっかかるチャンスを狙っている。アカネやサルトリイバラ、カナムグラなどは茎に棘やカギのような「ひっかかり」をもっており、ひっかかる確率を高めている。
 もうひとつはくっつくということだ。適当な太さの木があればまきつくことができるが、木が太くなると小さいつる植物では簡単にはまきつけない。大きな岩があれば上に登るチャンスなのだが、まきつくことはできない。そういう場合、吸盤があれば有利である。その代表がツタ(ナツヅタ)だ。ツタは茎からカエルの足のような吸盤を出すが、それはまさに吸盤そのもので、半円形の皿状のものだ。

 
ツタ(ナツヅタ)の吸盤(2016年3月16日、東京文京区)

 これがあれば、太い木であれ、大きな岩であれ、面的な場所を登っていくことができる。まったくの平面が広がるということは自然界ではあまりないから、人が作った壁は自然界にまれな平面的空間ということになる。庭のある家があれば草本類は低いところに、木は家の壁からある程度離れたところに植えられるから、ナツヅタの独壇場になる。光は燦々(さんさん)とあたり、競争相手はない。地面からは水が供給されるから、水と光と二酸化炭素という光合成に必要なものはすべて満たされることになる。
 ナツヅタは落葉性で、ただツタといえばこれを指す。これに対して常緑のツタもあり、これはキヅタという。欧米にもあり、英語ではアイビー(Ivy)という。一九七〇年代にアイビールックといって若い男性に流行したファッションがあるが、これはアメリカ東部の大学からはやったスタイルで、東部の大学の校舎にはよくキヅタがあったことからこの名がついたというのをどこかで聞いた。
 そんな雑談をしたのだが、「つた」というのはナラとかサクラというような分類学状の一グループだと思っている人がいた。そうではない、フジやクズはマメ科、ナツヅタはブドウ科、キヅタはウコギ科、アケビはアケビ科とさまざまな分類群にある。中にはサルトリイバラのようにユリ科だから、単子葉植物もあるし、カニクサのようにシダ植物にさえある。
 ある人は熱帯にある「絞め殺し植物」のことをご存知で、そのことにとても興味があるようだった。これはイチジクの仲間で、最初、宿主になる植物の庇(ひさし)を借りるように生育しているのだが、どんどん成長するにつれ、宿主よりも大きくなり、からまっているので、宿主を絞め殺してしまい、その段階では自立できるようになっている。アンコールワットなどでは遺跡の石像や建築物が飲み込まれるようになったものもある。そういう話も出た。すると関野先生がアマゾンで撮影した絞め殺し植物の写真をスマホで紹介され、話が盛り上がった。
 全体像があり、伝達すべきことが決まっている講義とは違い、対象物を見てスケッチをする、その対象物にまつわる話題を提供し、質問があれば受けるという、筋書きなしで時間制限もはっきりしないクラスというのはおもしろいもので、聞く側の主体性を引き出すという意味ではより効果があるものかもしれない。

学生の反応
 というわけで、学生がとってきたナツヅタの小枝ひとつから、話がどんどん展開していった。ナツヅタにもどって私が吸盤の説明をすると、皆さん真剣なまなざしで聞いているようだった。
 よく「最近の学生は受け身で、言われたことをボーッと聞いているだけだ」と言われる。私自身そう感じることが多い。だが、それにはそうなる理由があるはずだ。学生がこれまで育った教育環境、物質的に豊かな生活、おもしろくない講義などが複合的にそうさせているはずで、「この頃の学生は」ということは、自分自身の話に魅力がないことを実証していることになるともいえる。
 私はこのときの学生の表情を見て、おもしろいと感じるものがあれば、今の学生でも目を輝かせるのだということを確認できたような気がした。


ツタの説明を聞く学生たち(武蔵野美術大学小口詩子先生撮影)

 そういうわけで初めての観察会はそれなりに手応えのあるものになった。これまで何気なく歩いていた通学路の玉川上水が、学生さんにとって少しでも違って見えるようになればうれしいことだ。
 その日の夜、私は感想とお礼を書き、自分が三月三日に撮影していたクヌギの冬芽のスケッチを描いて送った。


クヌギの冬芽のスケッチ(高槻)

リーさんと関野先生から返事が来た。

 3月14日<リ—さんから高槻へ>
 今日の観察会、雨でしたが、学生たちの得たものは大きいと思います。これはスゴいことですよ。とても価値のあることが進行していると、私は思います。こういう体験をするかしないかで、彼らのものの見方、これからの生き方が全く違って来ると思います。

 3月14日<関野先生から高槻へ>
高槻先生
 今日は寒い雨の中、観察の指導をしていただきましてありがとうございました。若者たちもいつもと違う風景の玉川上水を感じていたと思います。小平の薬草園につとめる、あるいはアニメーションつくりをしている、日本画主任教授推薦の卒業生も来ていました。一方では今週卒業し、関西に進学したり、一般職に就くため4月から参加できないので、最後に一緒に玉川上水を一緒に歩きたいというので来たものもいます。ほとんどが「一からカレー」、「モバイルハウス」、「青梅での芸術と循環の森」などに参加している関野ゼミの学生です。土や動物、草木が似合っている若者です。
 高槻先生の冬芽の絵を見てため息をついてしまいました。医学生時代、病理組織の絵を描きましたがへたくそでした。観察力の欠如かもしれません。輪郭は描けるので、それだけは描いていこうかなと思います。

 私の中では、これまで接してきた生物好きの学生とは違い、美術に関心のある人たちとの出会いから何が展開されるだろうかという期待が生まれた。
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