玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します

質疑応答(16.11.15)

2016-11-01 15:27:08 | 生きもの調べ
講演後、会場から質問をもらいました。こういう場では具体的な質問(たとえばグラフのよみとりとか、語彙の説明など)が多いのですが、この日はそういうもののさらに奥にあるものへ言及する発言があり、驚きました。以下はその記録ですが、記憶を辿りながら、会話文を少しよみやすい文にしたり、その場で言い足りなかったことを補足したりしています(順不同)。

陣内(武蔵美大教諭)
すばらしいと思いました。こつこつと調べることの科学的な姿勢が大切だということがよくわかりました。私も観察会に3回ほど参加させてもらいましたが、訪花昆虫はすこしあいまいな感じもありました。あれは孤立緑地でもやるのですか。
高槻:訪花昆虫はデータをすべて使えるとは思っていません。ただ、多人数で調べることの力を感じたし、言えないことと言えることを整理して、「これはまちがいない」ということもかなりあります。来年は孤立緑地や花があまりない林内でも、また春夏秋と違う季節を比較することを予定しています。

陣内(武蔵美大教諭)
小緑地にも糞虫がいたということですが、犬の糞を利用して生きているのですか。
高槻:糞虫は糞だけを食べるのではなく、動物の死体なども食べるそうです。だから草が生えていて昆虫やミミズなどがいれば生きていけるのだと思います。重要なのはタヌキはある程度連続的な広い緑地が必要だが、昆虫にとってはちょっとした広さでも生息可能だということです。つまり動物の行動圏の違いによって必要な緑地面積が違うということです。

小藪(東大総合研究博物館)
外来種はいますか。コウモリはどうですか。
高槻:アライグマは確認していませんが、ハクビシンは撮影されています。アブラコウモリなどよくみかけますが、タヌキだけでもこれだけ調べることがあり(会場笑)、もっと調べたいことがあるので、タヌキ以外の郷物まではとても手がまわりません。

清水(Darwin Room ):先生のお話しされた生きもののリンクの話しがとても大事だと思いました。そこで日頃、希少動物の生命を守ろうという価値観は多くの人にすでに普及しているのですが、食物連鎖とかリンクのようなことまでは、なかなか理解されていないので、生命を守る本当の意味がぼんやりしています。そこで本日のお話しのリンクのように生きものの関係性を知るということを普及させれば、生命を守る意味の根本を理解できて、自然を大事にするということにもっと積極的になれるのではないでしょうか?先生のご意見をお聞きしたい。
高槻:津田塾大学のタヌキがギンナンをたくさん食べていることがわかったので報告したら、ある人が「ギンナンって触ったらかぶれるくらいだし、臭いのにそんなものばっかり食べて大丈夫なのでしょうか」と言いました(会場笑)。あるいはケンポナシという植物の果実を食べていたといったら「子供のころケンポナシを食べたことがあるけど、タヌキも食べるんですね」という人もいました。それで私は思いました。自分で食べ物を探したことも、作物も作ったこともない現代人は食べるというのはスーパーから食材を買ってきて簡単に料理する、あるいはそれさえしないで外食することを食べることだと思い込んでいるが、それは本来の動物の食とはまったく違うものです。野生動物は寝てもさめても「何か食べられるものはないか」といつでも探していて、食べ物に出会えばできるだけ食べる、それが生きるということです。うまいだのまずいだの、臭いだの硬いだの言っていたら生きていけません。このように、私たちは哺乳類という仲間のことさえわかっていません。ましてヘビや昆虫のことはほとんどわかりません。でも、動物や植物の生き方がわかってくると、行動や生き方の意味がわかってきます。それによって「タヌキはかわいそう」というのが勝手な偏見だということがわかります。また、タヌキもケンポナシを食べるのではなく、「人間も」ケンポナシを食べる(会場笑)というほうが正しいということがわかります。果実は人が食べるためにあるとか、花は人が見て楽しむためにあると思い込んでいる人はごくふつうにいます。そう考えると、動植物を知るということは、自分勝手な思い込み、つまり偏見から解放されることなのだということがわかります。
 そういう意味では、希少だから守るべきだとか、ありふれているから守らなくてもよいというのも偏見であると思います。絶滅危惧種や希少種を守るというのは、憐憫と自分たちの罪滅ぼしのような感覚から生じる感覚で、それ自体が悪いわけではありませんが、その裏返しとしての「ありふれた生き物は守らなくてもよい」というのは間違っていると思います。そうではなく、すべての生き物はひとしく価値があるというレスペクトを持つことが大切だと思います。そのような向き合い方のほうが普遍性があるように思います。


清水:緑地帯の存在を不動産開発のあるがままに任せている現状を、子供の遊び場とか大人のストレスの解放につなげる場が無くなってきていると憂いています。都市作りという観点で、景観デザインという視点だけではなく、本日の生きもののリンクの視点などを考慮した緑地帯を造っていくということが求められてもいいんじゃないでしょうか?
高槻:私は自分の孫をサルの一種として観察し、身体測定をしたりします。それは「ヒトというサルがどう育つのが本来の姿だろう」という興味があるのと、それからはずれた育て方にならないようにしたいという思いがあるからです。そういう目でみるとき、マンションに生まれ育って、でこぼこにない平坦な床しか歩いたことのないことはきわめて不自然で、そういう子供は歩きにくさや痛い思いを「することを奪われている」と思います。そういう意味で、ヒトという動物が生物学的、心理学的根拠に基づいて、快適に暮らす空間とはいかなるものかを考えるのが本当の都市計画で、東京などを見ているととてもそれが配慮されているとは思えません。自分のすむ家からどのくらいの距離にどのくらいの大きさの緑があることが望ましいのか。今日の話でいえば、糞虫には十分な緑地サイズでも、タヌキには狭すぎるというようなことがあるし、直射日光はあたらないので散歩には快適だが花の少ない林もあれば、夏は暑いが春、秋にはさまざまな花が咲く明るい空間もあるという具合に、緑地にもいろいろあるわけです。行き過ぎた都市化が見直され、生物多様性や人間の行動などを配慮した都市計画は大きな可能性を持っていると思います。

馬場(こだいら 水と緑の会):子供になぜ蚊やダニのような害虫は殺してもよいのかと聞かれて答えられませんでした。どう思いますか。
高槻:これはむずかしいですね。私もうまく答えられません。ただ、シュバイツァーは蚊に刺されても殺さなかったといいますが、これはうさんくさいです(会場笑)。生命は尊いが、自分に迷惑をかける動物、それも蚊のようにたくさんいるものを叩き殺すのが悪であるかのような言い方はおかしいと思います。蚊に刺されてぶくぶくに腫れて眠れなくて本業がおろそかになっても、「私は蚊も愛している」などというのはあやしいです。人は自分たちの生活の豊かさを追求し、生産活動にマイナスになることなら大水でも、害虫でも、予防し、対策してきました。それは医者が病気を治すのと同じです。それを否定するのは行き過ぎた原理主義だと思います。その子はとてもよい質問をしましたね。私はうまく答えられませんが、もともとむずかしい問題なので、そのことを恥ずかしいとは思いませんが・・・。

関野:生命圏平等主義という考え方があります。すべての生命には平等な価値があるから殺してはいけないというディープエコロジーのコン考え方です。
高槻:それはヨーロッパの概念ですか?
関野:アメリカです。これによると、病原菌を殺すことになるから抗生物質は飲めないんです。
高槻:そうだと思いました。どうもあの人たちは徹底的に考え込んで、極端なところまでいく。病原菌を殺したくないという人は「そうですか、どうぞ」という感じです。日本人はいいかげんだから、そこまで行きたがらない。私は「一寸の虫にも五分の魂」ということばが好きです。小さい奴だと見下しながらも、それでもゼロではなく5分の魂があると評価する。これでよいと思います。

XX(武蔵美大卒業生)
興味深いお話ありがとうございました。先生が目指しているのは、玉川上水を調べること自体ではなく、それを調べることでリンクを知るというだと察します。動物や人間のつながり、上下関係ではなくて、自分も自然も同じであるというような意識を皆に持ってもらうのが最終的な目的なのでしょうか。
高槻:それは無理だと思います。みんがそうはならんでしょう。ただ、全くそんなこと考えてもみなかったという人が多いと思うのです。そういう人に、こういう見方もあるんだよ、と伝えたいぐらいの感じですかね。さきほど関野先生が、長年通勤していたけども、ある日から玉川上水が違って見えるようになったとおっしゃいました。また、録画された小口先生もそうだと思いますが、コブマルエンマコガネのあの頑張りを見て、ああいうのがこの玉川上水にいると思うか思わないか、あるいは津田塾大学の学生さんが、キャンパスにタヌキがいると思うか思わないかは、かなり違うと思うんです。でも今の都会人は、そういう感覚をほとんど失っている。それは人間本来の生き方としては非常にアブノーマルなことで、どこの時代どこの社会でも人はもっと動植物に接して生ききてたはずだ。だから、それに戻るというか、ちょっとそういうことも考えたほうがよいということです。そのために、玉川上水で何が起きているかを調べることが自分のミッションかなと、という感じですかね。
XX:ありがとうございます。自分もずっと旅をしてて、自然も自分も一緒だっていう感覚がどんどん芽生えてきています。そういういろんなアプローチによって、そういう感覚が出てくるのだと思いました。」
高槻:それを音楽で表現する人がいれば、美術で表現する人もいる。いろいろあると思うんだけど、私の場合は自然科学的な手法で表現するということです。

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玉川上水の特徴(2016.11.15)

2016-11-01 10:57:23 | 生きもの調べ
 タヌキとともに解明したいと考えたのは、玉川上水が「細く、長い」ことの意味です。
 長いことの意味は、数年前に玉川上水の各所と孤立緑地で自動撮影カメラによりタヌキの撮影率を調べたところ、確かに玉川上水のほうが撮影率が高いので、タヌキにとっては連続した長い緑地があることが意味があることがわかりました。


玉川上水と孤立緑地でのタヌキの撮影率

 次に細いことの意義は植生の断面を調べることで示しました。


植生の推移を調べた玉川上水の断面の模式図

1m四方の調査区を帯状にとると、道路沿いに出る植物、玉川上水を多い林の縁に出る植物、林の下に出る植物などがあり、短い距離の中で植物がガラガラと変化することが示されました。


野草保護観察ゾーンでの植物群の推移。中央の空白は玉川上水の谷部分

 喜平橋の近くの「野草保護観察ゾーン」では、かつて豊富にあった野草が森林の発達によって少なくなったので、上層の木を伐って明るくしました。その結果、今ではススキ群落の植物がもどってきて、秋の七草のうち5種が生育するほどになっています。


玉川上水の野草保護観察ゾーンにみられる「秋の五草」

 この場所で、観察会のときに参加者ひとりがひとつの花の前で蜜を吸いに来た昆虫を記録してもらいました。


花の前に立って訪れる昆虫を記録する参加者

その結果、花によって訪問する昆虫に一定の傾向があることがわかりました。


それぞれの花にきた昆虫の訪問頻度。ピンクはハエ・アブだけが来た花

 これをよくみると、皿型の花をもつオミナエシ、キンミズヒキなどはさまざまな昆虫が訪問しましたが、カリガネソウ、クサギ、ノハラアザミなどの筒状の花にはチョウやハチが来て、ハエ・アブは来ないことが確認されました。ハエ・アブは棍棒のような短い口で蜜を舐めるのに対して、チョウやハチは長い口で深いところにある蜜を吸うことができるという違いがあり、そのことが訪問できる花との関係を生んでいるのです。


皿型の花と筒型の花


花と昆虫のネットワーク。ハエ・アブは皿型の花によく来た。

 つまり木を切って明るくなると、草原の植物が「戻って」きて、花を咲かせる。そうすると訪花昆虫が訪れてリンクが蘇るということです。

 この例では、森林の管理の仕方によっては草原の植物が回復し、花を咲かせることで、訪花昆虫が訪ずれリンクが復活することが示されました。このことは、玉川上水においては「自然保護では森林を伐採してはいけない」という硬直した原理主義的自然保護はなじまず、はっきりしたビジョンをもって適切に管理することが肝要であることをよく示しています。

<4月の講義での植生管理についての感想>
- 人工林が暗い林になってしまった話はショックでした。アファンの森ではわずか2年で環境、虫媒花、訪花昆虫が大きく回復したことに希望を感じました。森林が人の手によってよくも悪くも変わってしまうことを痛感しました。
- うちの庭が私が子供のころは日当たりのよい庭だったのですが、手入れを怠った結果、日あたりの悪い庭になっていまいました。ですからスギ人工林のお話は納得できました。うちの庭にも多様性を取り戻したいです。
- 自然にまかせることと人が手を入れることの線引きはどこに置くか考えさせられます。虫や動物の不思議な生き方はとてもおもしろく、ゾクゾクします。
- もともとあった森林が伐られて人工的にスギ林にされてしまったことは知っていましたが、虫や鳥がすめない林になっていることは知りませんでした。手入れの届いた、生き物にとってすみよい林が増えるといいなと思います。


こうして、玉川上水が「細く、長い」ことについて次の4つのオリジナル情報が明らかになりました。

つながっていることは意味がある
細いということは狭い範囲に異質な環境があるということ
森林の管理により草原の野草が「戻ってくる」
野草が増えれば訪花昆虫が増える


 つまり私たちはこの半年あまりで玉川上水の生きものについて15のことを明らかにしたのです。それらはどの本にも書いてない、誰から教わったのでもない、自分の目で観て、データをとって、その意味を考えたオリジナルなものです。

 こうした調査を通じて改めてわかったのは、生き物はつながっていきているのだ(リンク)ということです。タヌキが生きて行くためには食物になる動植物がいるし、タヌキが果実を食べれば種子を散布するし、糞をすればそれを利用する糞虫がいます。また木を伐るという管理をすることで野草が戻ってきて花を咲かせ、そうすると昆虫がよってくる、その花がさまざまであれば、よってくる昆虫もさまざまなネットワークが蘇るということです。


リンク:生き物はつながっている

<4月の講義でのリンクについての感想>
- 動物と植物とのリンクについて興味深くお聞きしました。この関係は双方向のリンクといってよいかと思いますが、このリンクを切らないようにすることは非常に大切だと思いました。
- 玉川上水のすぐそばに住んで43年になります。緑が多くて住みやすいと思っていました。何気なく毎日歩いている玉川上水を、先生のお話を聞いて、じっくり観察する習慣をつけたいと思いました。
- 具体的な生きものの関係を詳細に調べて説得力をもって説明してもらい刺激的な時間でした。
- 国有林と落葉樹林のリンクの違いに驚きました。玉川上水を景色として「キレイだな」と見ていますが、もう一歩踏み込んで知りたいと思いました。
- 今年、とくに勉強したいと思っていた植物と昆虫との関係についてとてもいい形で学べた。教科書的な勉強ではなく、実際の研究の中での具体的な話ははっきりとした実感とともに頭に入ってくる。さらに学びたい欲がわきました。
- 当たり前に思える世界が実は未知であり、不確かで、それを学生と調査しデータで示してもらううれしいひとときです。
- 玉川上水がより身近に親しみやすくなりました。世界遺産に匹敵する宝物と思われます。お話を聞いて自然に対する敬愛の気持ちがわいてきました。
- 動物や昆虫の営みを理解することは自分たち人間の存在を見つめ直すことにつながると思います。そうした視点は生命への敬意につながると思います。
-「みんなつながっている」という話を聞きました。中学の理科の授業で自然界の循環を学んで「みんなつながっている」ということを学んだとき、スキップしたくなるほど「生きているっていいなあ」と感動しました。その感動が還暦をすぎた今も私の原点として残っています。また日あたる部分も影の部分もあり、自然界が成り立っているのだなと改めて思いました。


 私は事実を集め、科学的に分析することで、動植物がいるだけでなく、どうリンクをもっているかを具体的に示すことで、生きもののすばらしさ、たくましさ、がんばりを伝えたいと思います。そうすれば、声高に自然保護を主張しなくても、おのずとその場所を破壊することがいかに間違っていると理解できるようになるという確信があります。
 ここで、科学的アプローチの例を示したいと思います。
 私たちは「チームぽんぽこ」というグループを作ってタヌキのことを調べています。その一例として、津田塾大学で5カ所に餌をおき、餌の中にプラスチックのマーカーをいれました。



 そのマーカーは5箇所ごとに違う色とし、番号をつけました。最初の調査のとき、糞からマーカーらしきものが出てきましたが、それは白いものでした。これはマーカーにしたテープの裏側の接着面を覆う薄膜で、そこには50番という番号がついていましたが、色がないのでどこの50番であるかはわかりませんでした。諦めかけていましたが、この調査を主導した棚橋早苗さん(武蔵野美大非常勤講師)はやさしい人で、彼女が「マーカーの角がとがっていると、タヌキのお尻が痛いのではないか」と考えて、一枚一枚の角をハサミで切っていたことを思い出したのです。もしその写真が撮影されていたら、そこに一縷の望みをつなぐことができるかもしれません。そこでそのことを棚橋さんに聞いたら、写真があったと送ってくれました。



 50番が5色ありましたが、それをよく見るとピンクと緑に絞られ、最終的にはピンクと断定できました。


マーカーのカットの形から白いマーカーに対応するのはピンクであることがわかった

 これによって津田塾大学内の津田梅子の墓所近くから中央のタメフン場まで運ばれたことがわかりました。私はあまりの嬉しさに、いつもは「棚橋様・・・」と書き出すメールに、思わず「さなえちゃーん!」と書いてしまったほどです。
 このエピソードは、私が「動植物の話を聞きたい」と思い、そのために科学的アプローチをしようとしていることの好例だと思います。自然の話を聞くためには、会話がそうであるように、単語を覚える(動植物の名前を知る)だけでなく、文法(何が起きているかを直感し、仮説を立ててそれを示すための方法を考え、地道にデータをとる)を知る必要があります。
 「科学的である」というと、無機質で心の通わない分析という印象がありますが、それは間違いだと思います。少なくとも生物学は生命の不思議さや生きもののすばらしさを讃える気持ちに支えられるべきで、科学的であることとやさしく暖かい心は矛盾なく並存すべきだと思います。



 玉川上水はいま大人も子供も楽しめる緑地として残っていますが、これがいつまでもそうであるという保証はありません。これをよい形で残すためにはさまざまな努力が必要ですが、私は生物学者としてこうした活動を続けることで、ささやかな貢献をしたいと思っています。この半年あまりの活動はその手応えを感じられるものだったと思います。ご静聴ありがとうございました。

付記:講義のあとの質疑応答感想もご覧ください
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講義に寄せられた感想(2016.11.15)

2016-11-01 10:50:38 | 生きもの調べ

今回の講義では1)今シーズンの調査で何がわかったかを報告するとともに、2)リンク(生き物のつながり)の重要性、3)玉川上水の自然は管理された半自然であること、4)ありふれた動植物に着目することの大切さ、5)科学的態度が説得力をもつことなどを話しました。講義を聞いての感想を項目ごとにまとめてみました。お名前はイニシャルにし、無記名のものはXX、読みがわからないものは?にしました。なお、わかりにくい文章などは最低限の修正をしていることをご了解ください。


質問に答える(棚橋さん撮影)

1)調査結果が理解できたという内容

MS(武蔵美大生)
 私は日曜の自然観察会に参加していたので、今日の高槻先生の話をきいて、調べた結果がこうして玉川上水の役割や、タヌキがまわりの生物にいろいろなよい効果をあたえていることがしっかり実感できました。自分でその場に足を運んだかいがありました。

KS
 春から聴講させていただき、玉川上水を新たな目をもって散策するようになりました。訪花昆虫は実に興味深く、家族で確認してみたいです。

KM
 津田塾の子ダヌキがかわいかったです。糞虫の動画で、働きがわかりやすくよかったです。調査により生き物の生態が生き生きと理解できました。特別ではないふつうの生き物の素晴らしさを感じることができました。

YO(武蔵美大生)
 何度か調査に参加させていただき、その過程をみてきましたが、こういったふうにきちんとしたデータとして形になると、わかりやすく達成感もありました。糞虫が糞を分解する動画、BGMをつけてYou tubeにあげてほしいです。玉川上水にはコブマルエンマコガネが多く、草食獣の糞を食べるセンチコガネが少ないとのことでしたが、玉川上水にいる草食獣の糞を食べる糞虫は何を食べるのですか。
→草食獣の糞を食べるといってもそれだけではなく、肉食獣の糞しかなければそれを食べます。
 高槻先生は、ふつうの研究者が珍しい動物だけを保護するのと違い、自然と対話し、尊重する姿勢なので尊敬します。私も自然に対してそういう姿勢で接していこうと思います。玉川上水はただ通りすぎるだけでなく、ゆっくり観察しながら歩いてこそよさがわかるのだと思いました。

2)リンクの重要性
TS(Darwin Room)
いのちのリンクを知ることがとても大事だと思います。

MN
 津田塾大学のタメフン・ローラー作戦に参加し感動しました。今日の話はとても整理されており、ビジュアルもわかりやすく、楽しく学ばせてもらいました。人間も自然の一部として生活しており、リンクの中で生きているということを忘れてはいけないと思いました。子供たちにもこの話を伝えます。とてもユーモアがあり終始楽しめました。

YS(麻布大学卒業生)
 高槻先生の講義を久しぶりに聞くことができました。冒頭の「どこどこの環境調査報告書」を作っている私はドキッとしてしまいました、反省。今年はじめて行った玉川上水のこと、タヌキのこと、少しずつ明らかになっていくのが楽しかったです。武蔵美へ聞きにこられた方々の質問や感想は麻布大のときとは違っていておもしろいですね。

3)玉川上水の自然は管理された半自然だということ
SY(武蔵美大生)
 4月の講演を興味深く拝聴いたしました。タヌキが好きでもっと知りたい、身近に感じたいと思い出席しました。今日は調査内容と結果をうかがい、たいへん興味深かったです。印象的だったことばは「玉川上水が原生的自然ではなく、管理された半自然」というものです。自然保護というと手をつけないことが最も大切なようにとらえがちですが、むしろ人が自然と対話し、管理することのほうが「人の自然との共生」を可能にすると考えました。タメフン調査のお話などから、タヌキが身近に感じられるようになりました。夜間カメラの映像、写真などを観られる機会がありましたらうれしいです。今回のような調査内容を知ることのできる場はとてもありがたいです。

HI
 玉川上水のケヤキを伐るという話を聞いたとき、悲しい気持ちがしましたが、今日の話を聞いて、木を伐ることが、ある生き物がすめる環境を作ることもあるんだなと知り、うれしい気持ちがしました。高槻先生のお話をうかがった夜は、生物群としてはそのくらいでは終わらないのだと思うのです。私は小平駅近くに住んでいますが、夏に自転車道を歩いていると、夜までミンミンゼミが鳴いています。ヒグラシが鳴かないのはなぜだろうと思っていましたが、あるとき津田塾大学近くに行ったときヒグラシの声を聞いて、ヒグラシもポケットのようなつづく緑が必要なのかと思いました。

4)ありふれた動植物に着目することの大切さ
HY
 都市に残された大切な移動経路としての玉川上水だけではなく、細く長い緑地に異なった環境が残存していることが理解できました。「ありふれた自然の大切さ」がよく伝わりました。

XX
 貴重だから残すのではなく、ありふれた自然を保護したいという思いは私にもあり、そのためには調査し、把握したいと思います。今日のお話を聞いて、その調査というのが非常に地道で、根気がいるということがよく感じられました。

5)科学的態度が説得力をもつこと
SY
 生き物を実際に自分の目で観て科学的に判断していく過程がわかりやすく、楽しい時間を過ごすことができました。今日の話は小学生や中学生の子供たちに聞かせてやりたいと思いました。生き物への関心だけでなく、科学的態度の有様を味あわせてやりたいと思いました。私のまわりの若い教師たちの多くが、狭い意味の「優等生」で、子供に正解だけを求めさせている傾向があるのを歯がゆく思っています。定年退職して数年たった元小学校教師

TJ(武蔵美大教員)
 タヌキからはじまる生物多様性のお話、まだまだ知りたくなりますね。今年は科学的に「地道にコツコツわかっていく、読み取っていく学習を学べました。

?K
 知るということ=偏見から解放されること。このことばが身にしみました。緑地での糞虫の「仮説」と「検証」もわくわくしました。

HY(武蔵美大生)
 感覚的にみているだけでは知ることができなかったことを知ることができて、世界を見る新しい目を手に入れたような気持ちです。研究の内容とともに先生の研究への真剣さ、純粋さ、喜び、生物に対するリスペクトが輝く姿に感動しました。私は「ロジカルをきわめるとロマンチックが生まれる」と思っています。今日のお話はまさにこれだと思い、興奮しました。「知るということは偏見から解放されることだ」というのはすべてのことに通じることだと思いました。本日の数々のことばで、日頃もやもやしていることがすっきりまとまったような感覚になっています。

DK(東大総合研究博物館)
 武蔵美で「動物の身体と進化」という講義をしていますが、今日、ビラで偶然先生のお名前を目にしてお邪魔しました。情に訴えることなく、自然科学者の冷静な科学的態度で自然をみることと、身近な環境保全、管理の重要性をわかりやすくお伝えになっており、強い感銘を覚えました。最近は社会と基礎科学者の関係性についていろいろ思い悩んでいたので、ひとつのヒントをいただいた気がします。

XX
 調査内容はうかがうたびに感動的で、辛抱強さに欠ける私にはとてもできないと思い、うらやましいです。「マーカー発見劇」すごい話です。高槻先生の科学的態度はとても納得できるもので、科学とは縁遠い人間にもわかるものだと思いました。環境保護を声高にいう人には、情緒に流されているように見える人、多いですよね。玉川上水を少なくとも今の状態のまま子供たちに残したいという主張には100%賛同します。開発の波との戦いにこの先なっていく可能性もあるのかなと危惧します。自然にどのように手を入れる、入れない、のデザインの決定権という話になると、どうしても政治の問題になりますよね。そう考えだすとどうしたらいいんだろうと思考停止してしまうのです。自分では動かない人間の典型的な意見で申し訳ないですが・・・。


6)発表全体についての感想
SU(武蔵美大生)
 宮崎駿監督は自分のアニメで子供が自然にうれあうようになってほしいと思っていたが、皮肉にも増えたのは家で宮崎映画を見るこどもだったと嘆いていたそうです。高槻先生のようなトークの上手な専門家が直接話をされることが大切だと思いました。

AK(高槻の東北大学ラグビー部時代の後輩。高校教諭を退職)
 「学び」の深まりにグループでの学習がどう関わっているのかについてまとめようとしているのですが、暗礁に乗り上げて青色吐息の日々です。今日は高槻さんのお話から大きなヒントを得られたような気がします。「オリジナルな情報をとる」「自分の目で見る」「自然の話を聞く」「ここで手を抜いてはいけないところでは頑張る」「事実を科学的に示す」「ありふれた生き物をじっくり調べる」「背後」などです。スキルやテクニックを身につけて競争力をつけて他をリードしていく、というようなムードが支配的な教育の現場に違和感を抱きつつここまで来てしまいましたが・・・。高槻さんが、昔からの純粋さとエネルギーを引き続き維持されていることに深く感動しました。

CA
 ユーモアたっぷりの先生のお話、本当におもしろかったです。短歌を読まれたところでグッときました。またお話を聞いた方の感想を紹介されましたが、とても身近に感じられました。糞虫が美しいと言われるとそうかなと思い、コブマルエンマコガネの映像に元気づけられると言われるとぜひともYou Tubeにアップしていただきたいと思いました。野草保護観察ゾーンの近くにすんでいますが、秋の七草の5つがあるなどその豊かさを知り、もっとよく見てみたいと思いました。

MI(武蔵美大生)
 高槻先生のお話は血が通っているような、生き生きした活力が感じられるもので、とてもおもしろかったです。目新しいエンターテインメントがもてはやされがちですが、身近な自然の営みこそが最もおもしろいと確認できました。虫が大好きなので、かわいいエンマコガネの貴重な画像や映像がたくさんみられてとても嬉しかったです。丸いシルエットに鋭角のアクセント、小さい体にたくましい熊手のような前肢、愛らしい顔からは想像だにしないパワー、たいへん美しいと思います。シデムシの幼虫の一見生物と思えない機会のような姿も好きなので、次はぜひとりあげてください。

EP(武蔵美大生)
 イラストかわいいです(美大生なのでこれが一番気になります)。先生の研究活動はすばらしいと思います。私も先生のように、あることに興味をもって研究したいです。タヌキのフンでさまざまなことがわかってうれしいし、おもしろかったです。タヌキだけではなく、他の動物の研究があったり、タヌキについてもっと広い研究があって、おもしろい結果がわかったらまた教えてください。糞虫がフンをバラバラにする映像とっても印象的でした。BGMがあったらよかったと思いました。

MA(Darwin Room)
 家の近くの公園を散歩することがありますが、先生みたいに花の名前や虫の名前を覚えるだけでももっと楽しめるなあと思いました。

NT
 津田塾大のタヌキのタメフン調査に参加しました。「玉川上水生きもの調べ」のことを知らなかったので、惜しいことをしたと思っています。この夏からセンチコガネに興味を持ち始めたので、また機会があればお話を伺いたく存じます。本日のお話だけでも、私の心の陽のあたりにくかった暗い林が一部伐採され、これから新しいものが訪れてくれる予感がいたします。

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ナンテンハギ

2016-11-01 05:46:04 | 10月の植物

ナンテンハギ 2016.10.26
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11月の観察会

2016-11-01 02:21:35 | 観察会

 11月はイベントが多い月だし、私も予定がぶつかったので、いつもの第2日曜日でなく第1日曜日にしたので、参加者は少ないと踏んでいました。実際、鷹の台に集まったのは5人でした。
 このところ肌寒くなっていたのが、昨日、今日と季節が逆戻りし、よい陽気になりました。カラッとしているのでとても気持ちのよい日になりました。
 いつもの鷹野橋から津田塾大学に向かって歩くことにしました。西武線の踏切のまわりにゴンズイ、マサキ、ヒサカキ、イヌツゲの果実があったので、あとでスケッチをするために少し採集しました。今回は果実の観察をしようと考えていたのです。
 「ヒサカキというのは本物ではないサカキというニュアンスの名前です。サカキは榊と書くくらいで、神道で神様にお供えする常磐木(ときわぎ)です。ヒサカキは暖かい地方の植物で九州や西に音ではわりあいふつうの植物ですが、関東以北では少なくなります。それでサカキの代用としてこれが使われます」
 といった話や
 「これはイヌツゲです。(セイヨウ)ヒイラギと同じ仲間です。これは黒い実ですが、ヒイラギは赤い実をつけ、常緑の緑の葉との対比がきれいなのでクリスマスに使われます。赤と緑の対比はきれいですから、日本でもナンテンやマンリョウなど同じようにめでたいものとして使われます」
 といった話をしながらゆっくり歩きました。
 津田塾大学までの道は玉川上水のほかの場所に比べて緑の幅がある程度広く、歩道と上水のあいだに柵があるのですが、その幅がいくぶん広くなっています。それに、北側には浅い用水があり、その分、上層の木が多くなっています。というわけで、玉川上水の代表的な森林群落といえるところなので、ここで林の下生えの調査をすることにしました。そのことの趣旨を説明しました。
 「このところ商大橋の東にある野草観察ゾーンで植生調査をしました。そこは長年玉川上水の植物をみてきた人たちが、最近木が育ちすぎて草花がなくなってしまったので、以前のように草花がある状態にしたいと行政に訴えて木を間引くことになり、その結果、実際に秋の七草のうち5つが戻ってきました。
 玉川上水の自然は原生自然ではないので、まったく手をつけないで自然を保護するという考え方を採用するのは正しくありません。管理のビジョンをもって適切な管理をすることが大切で、そのことがなかなか理解されません。木を切ることは絶対だめだという硬直した姿勢は都市の緑地にはなじみません。
 そういう考えで野草観察ゾーンでなかりデータをとったのですが、一番ふつうの林の中での調査が足りないので、今日はそういう林床での調査をするつもりです。」
 

調査区のようす

 そこで、適当な場所を選んで調査をすることにしました。おこなったのは面積-種数曲線を描くための調査で、調査区を決め最初10cm四方から始め、そこに出てきた植物を記録し、調査面積をほぼ倍にして2m四方まで調べるというものです。
 常連のリーさんが言いました。
 「最初はなんだかつまんないけど、やっているうちにけっこうおもしろいと思えるようになるわよ」
 そうか、つまらなかったんだ。それはそうだろう。花も実もない植物をみて、どうしてわかるのだかしらないが名前をいい、それを記録するだけだから。でもそれは違います。今日の場合もスイカズラ、ヤブラン、イヌツゲ、コナラなどはしょっちゅう出てきましたが、ノカンゾウやセンニンソウは一度だけでした。私の中では「あ、スイカズラだ。これは林の縁では上に伸びてきれいでいい匂いの花をさかせるんだ。イヌツゲもさっきは林縁で身をつけていたけど、林では小さくて耐えている感じ。コナラは今はこんなに小さいけど、このうち少しだけが生き延びてまわりにあるような大木になる」とか「ノカンゾウなどは本来明るいところに生えているけど、ここではモヤシみたいにヒョロヒョロで、ぎりぎりで生きているんだな」などと、それぞれの植物の生活史などが頭の中を飛び交います。そして「ヤブランでも小さいのだとジャノヒゲとちょっと見分けがむずかしいかも。ちゃんと認識しなくちゃ」とか「コナラは去年より今年はドングリが少ないみたいだな」など、頭の中をあれこれ駆け巡ります。それに、植物の被度(覆っている面積割合)の帆床などもけっこう集中力を要します。そんなこんなで退屈どころか、むしろ慌ただしいのですが、はたから見ているだけだと退屈なのでしょう。
 今日は観察会なので、ひとつひとつの植物の特徴や生き方などを説明したり、
 「ここに今までにないのが2種あるけどわかる?」
 などクイズ形式にして探してもらうなどしました。
 「あ、これ初めて出たんじゃない?」
 「いえ、それはもう出たスイカズラ」
 「え、でも葉っぱが違いますよ」 
 「ああ、スイカズラは若いのは切れ込むんですよ」
 「ええ、ぜんぜんわかんない」 
 「うん、形は違うけど、歯の質感やビロードみたいな毛が生えてるでしょ?そういうのをよく見ると同じだとわかります」
 「ほんとだ」
 「リーさんは、さっきクサボケに指がさわっていたのに言わないんだもの」
 「あれ、気がつかなかった」
 「私の場合ね、パッとみていろいろあっても同じのはもう済んだという感じでまだ出てないものを探す。そうすると「私ここにありますよ」みたいな感じで植物のほうから存在をアピールするような感じがあるんです」
 「へぇー」
 とあきれたような感心したような反応がありました。


植物の調査

 「さて、今の2回の結果をみると、4㎡でだいたい10種くらいですよね。野草観察ゾーンだと20種ほど出ます(文末参照)。ここももともとは林の下だったときは10種ほどだったはずで、これだけ下生えが増えたということがわかります。しかも、ここでは種数だけを表現していますが、たとえば同じ5種でも中身がどういうものかを見ると、林の植物か草原の植物かの違いがあるので、違いはもっとはっきりします。そういう資料をとっているんです」
 「今日出てきた植物のうち、ノカンゾウとセンニンソウはもともと明るいところに生える植物ですが、見てわかるように、生えてはいますが、やっと生きているという感じ。ひょろひょろしてもちろん花をつけるような状態ではありません。そういうことも見ながら調べています」

 データがとれたので、また進むことにしました。調査をしていてもスイカズラが多かったのですが、柵に巻きついているものがありました。
 「スイカズラは林床では地面を這うように生えていますが、すがりつくものがあると、垂直に登ります。柵はちょうどつごうがいいので、こういうふうに巻きついています。さて、これは右巻きだと思いますか、左巻きだと思いますか?」
 どちらの意見もありました。同じものを上からみるか、下からみるかで答えは逆になります。
 「もちろんスイカズラの立場から見て、ということですよ」
 また、ああだこうだと意見がありました。そこで私の結論、
 「軸があります。ここを進むとき、右に動くのが右巻き、左に動くのが左巻きです。だからこれは左まきです」


清原さんのスケッチ

 そんなことこれまで考えたことはなかったでしょうから、これからはつる植物を見るとそんなことを考えてくれるかもしれません。
 「右巻きか左巻きか決まってるんですか?」
 「だいたい決まっているみたいだけど、ときどきへそ曲がりがある植物があるそうです。ただ、では右のほうが有利だという理由は何かというとそれはわかりません」
 それからクモの巣にケヤキの「小枝」がひっかかっていました。長さ10cmほどのもので、葉が数枚ついていてその付け根に数個の種子がついていまする。植物学的には枝先ということになるのですが、実際はこの部分が折れやすくなっていて、風が吹くとこの単位で風に飛ばされます。したがってこれが全体として「果実」のように機能しているのです。これは東京農工大学の星野先生が発見したことで、気づいてみれば当たり前のことですが、それまで誰も気づかなかったことです。そう言うとリーさんが、
 「先生はそういう発見はないんですか?」 
 「ないっすね」


クモの巣にひっかかったケヤキの「枝先」

 もう少し進むとヤツデの花が咲いており、ハエが吸蜜していました。


ヤツデの花に来たハエ

 府中街道を超えて津田塾大学の南側に行くと明るくなります。ここにヤビミョウガ、ムラサキシキブ、ヤブラン、ノイバラ、ガマズミなどの果実がありました。時間もお昼をまわったので、果実のスケッチをすることにしました。
 「適当に場所を見つけてスケッチすることにします」
 「日差しが気持ちよくて眠くなりそうだね」
 楽しそうに話をしながらスケッチが始まりました。私もスケッチをしました。


気持ちのよい木漏れ日の中でスケッチをする

 さすがに美大生だけあって、私が説明しているあいだにもすばやくスケッチしていたようです。清原笑子さんはサラサラと描くタイプで、特徴を的確にとらえていました。


清原さんのスケッチブック

 木暮葵さんは線がシャープでごまかしのないすばらしいスケッチをしていました。微細な構造を描きながら描くと、全体の形が崩れがちなものですが、これにはそれがまったくなく、鋸歯の感じなどが的確に捕らえられていてヒサカキであることがよくわかります。


木暮さんのスケッチ

 私も6種の果実を描きました。

 
高槻のスケッチ

 よい時間になったので、まとめとして次のようなことを言いました。
「今日はたったの400メートルを2時間半もかけてゆっくりゆっくり歩きました。でもその短い中にいろいろな果実がありました。果実といってもケヤキやカエデのように風で飛ぶものとは違います。色がきれいで、果肉があるベリーと呼ばれる果実です。ヤブランはユリ科、ヤビミョウガはツユクサ科だから単子葉植物です。これらと双子葉植物は根本的に違います。その中にも草本と木本があり、ヒヨドリジョウゴは草本でそのほかのものは木本です。木本の中にはさまざまな科があり、ヒサカキはツバキ科、イヌツゲはモチノキ科、ノイバラはバラ科、ムラサキシキブはクマツヅラ科とそれぞれ別の科に属しています。つまりさまざまに違う仲間なので、花はまったく違う形をしています。また中に入っている種子もヒサカキは小さなものがたくさんありますが、ヤブランでは大きな種子が1個入っているだけです。

準備中

上左:ヒサカキの種子 上右:ヤブランの種子
下左:ヒサカキの果実 下右:ヤブランの果実 格子の間隔は5mm

 それなのに、みなだいたい直径5mmから1cmくらいでツヤツヤしていて、赤から黒など、緑の中で目立つ色をしています。黒は人の目にはあまり目立ちませんが、鳥の目には目立つのだそうです。これには理由があるはずで、それは動物、とくに鳥に食べてもらうために違いありません。自分では動けない植物は種子を運ぶためにさまざまな工夫をしています。風や水を利用するものもありますが、今日観察したのは動物を利用しようとするものです。私たちは、果実は季節になれば森を彩るために色づくくらいに思いがちですが、植物はそんな目的で色づくわけではありません。動物に食べてもらい、種子をはこんでもらうため、すべて自分自身のためです。そのために「おいしい実がありますよ」と広告して、動物の目を引いているわけです」
 「広告かぁ」
 みんな驚きながらも納得したようでした。
 今日はじめて参加した石井おりえさんは童話を作っているということで、童話の楽しさや重要さなどに話がはずみました。私もこどもに動植物の魅力を伝えたいと思っているので、なにか共同作品のようなものができればよいなと思ったことです。


記念撮影

 ここで解散とし、私はお昼を食べてから、また群落調査を続けました。今日、落葉樹林の下で10の調査区でデータがとれたので、野草観察ゾーンとの比較ができると思います。
 今日は人数が少なかったのですが、それだけに解説者と参加者という関係ではなく、大きな声を出す必要のない距離で話ができてよかったと思いました。


観察した果実


林床と草地の出現種数
 これまで調べて落葉樹林の林床6カ所での面積-出現種数と野草保護観察ゾーンや津田塾大学南の明るい群落7カ所でのそれの平均値を比較したのが下の図です。これをみると草地でほぼ2倍の種数があり、上層木の除去が大きな影響をもつことがわかります。


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