ひねもす日報

このブログももうすぐ開設20年とは

法事、みたいな弾丸帰省

2015年10月28日 | Weblog
 先週の月曜日に車バッテリー上がり案件に対応しており、
その中で博多の父に電話を掛けた。その時に、「あのKちゃんが
福岡に今週末きてくれんしゃあけん、あんたも帰ってき」と言われる。
Kちゃんとは亡き母のお友達でわたしのこともよぅ知ってくれとる
人、らしい。わたしは12歳で母を亡くしたが、始めの数年げな
あんまり記憶がなく、そのKちゃんのこともうろ覚えではあった。
けれど80歳にして「体調と見合わせてももうこれが最後の墓参り
になる」と言ってきてくれる方を、お出迎えしないという気持ちに
もならず、マッハで飛行機を取って帰省することに。
 行きは無理しない時間の午前中に飛行機を取る。
飛行場に早く到着してしまったので空港で休憩ルームを使ってみる。
羽田空港のルームはすごい景色よくて良かったなぁ☆福岡のは
窓もなくそうでもなかった…。もうひとつの方は良いのかな。

 昼前くらいに博多入りし、学生時代の友人宅へ。
お引っ越し後の彼女の家は初めてでお宅訪問。前から彼女の家は
リラックス出来るんやけれど、今回もやった。眺めもよくて
大小のグリーンがセンス(今、変換したら扇子って出た。
将棋…)がよく飾られており、素敵なお部屋だった。
リフォームの話など聞かせてもらう。そこから色々話して癒される。
癒されただけでなく料理上手な彼女の手料理が次々と登場し
感動。どれも美味しくて食器も素敵だった。
マルキョウのレジ。3レーンくらいのベルトコンベアーで
シメにぶんちんみたいなの置いてたよねとか、福岡市のバスレーンを
川崎に生まれ育った人に画期的!と言われたんだよ、とか
福岡の夜のゴミ収集の役職についてなど爆笑しながら話す。
あとは日経ウーマンの読者モデルと勝手に位置づけた吉田晴乃
姉さんについても。彼女、夏に発売された日経ウーマンに掲載されて
いたのを見つけてからウォッチャー。第二の勝間になるのかしら。

 その後おばに会う。春先に我が家にきてくれて振り。
来月入院手術を行う。それまでの経緯について聞く。その間
身体をマッサージしてあげる。弱ったなぁ、身体。
わたしは40代で働き盛りの母を亡くしたので、その後老いていく母を
見ていない。「そこで世代交代というか、また関係性が変わる
のが母子なんだけれど、あんたはそれを知らないままだから
ある意味辛いね」と50代のナース幼馴染姉さんに言われたことが
ある。言われるまで気付かなかったが確かに。
「身体楽になったよ」と言ってくれるおばと一緒に、Kちゃんを
父と兄が連れてくるおきよ食堂へ向かう。少し早く到着したので
日本シリーズを見ながら待つ。おきよは父の友人の店。
「お帰りー!」とY子おばさまに迎えてもらう。「日本シリーズ観るなら
こっちのテーブル席にしようか」という提案を受けて、セットして
あった席を引っ越す。そういうの一緒にお盆で手伝うと、博多感。
「先飲みよくね?」と言われるので、ひとりビールを
始める。Kちゃん到着。約25年振りの再会。わたしの名前を呼びながら
ハグしてくれる。兄は正月振り。白髪増えたなぁ。亡くなった母との
思い出話たっぷり。出会いを聞けば兄が通っていた小学校の
PTA役員決めの会場だったらしい。竹を割ったような性格。
ハッキリ言葉を言うところ。責任取ります!な感じのところ。
色々な共通点がKちゃんと母にはあったんだろうなぁと感じた。
わたしが知らなかった母の苦労も聞く。生きててそういう話、聞かせて
欲しかったよ。兄が母がなくなったことで自分はこう考えるように
なった、という話も聞く。そういうのも聞く機会なかったから
良かった。

 翌日はKちゃんと父と納骨堂へ。兄はKヤングラガーズのコーチを
この春から始めた。息子の双子らと小戸でラグビー中らしい。
小戸にラグビーやる子が300人くらい集まっとるよと父は言うけれど、
本当そんな人数おるのか。父と一緒に納骨堂行くのも数年振り。
行くときはいつもひとりだった。その後「俺の友だちが店始めたけん」と
二見ヶ浦へ。二見ヶ浦はよぅ原付きで泳ぎに行ったり車でサンセット
行ったりした思い出の場所。ざうおをおばが教えてくれて、昔の
雰囲気良いざうおへ行ったのもいい思い出。西浦イカ活造り 波平 で
昼食。もうばりうま!てんぷら!また食べに行きたい。父の友だちは
その日サーフィンの大会を開催していた。そのポスターの愛らしいこと。
久しぶりに大昔からサーファーのRおじさんに会う。「おじちゃんかわっとらんね!」と
言うと「お父さんより9歳下やけんねー」と言っていた。

 その後父宅でラグビー終わりの兄を待ち、兄到着し、みんなで記念撮影。
母の形見である彼女が乗っていた車SLの前でも撮る。コンビニですぐ
現像し、Kちゃんに渡す。空港で兄と別れる。「あんた出産の時は
どうしたと」など、女親にしか気付かないことなど聞いてくれる。
「今までよう頑張ったね。これからは何かあったら名古屋おいで」
と言ってくれた。その後名古屋時代の友だちという御夫婦を交えて
Kちゃんと空港のロイヤルホストで歓談。このロイホ側の空港も久々ー。
友人夫婦がわたしと別れ際にいいこと言った。「Kちゃんて竹を割ったような
性格で苦労もしてそれ乗り越えた経験と生まれ育った環境が彼女を作って
いるけれど、その周りにも似た人が集まるよね」。最近忘れていたことを
思い出せた。

 自分が娘であり妹であるという体験が久しぶりだった。
福岡に住んでいたら日常なのに、離れて暮らすとなぁ。昔の自分を知る人と会えること。
それに何だかしみじみした一泊二日の弾丸博多だった。


コメント (4)
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