ひねもす日報

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告白/湊 かなえ

2010年10月19日 | 本・映画
 今朝はいきなり寒かった。ちょうど仕事が休みだったので、カーペットを干して掃除機をかけて敷いた。冷凍庫の中を整頓。常備菜の料理本を読んで何を作ろうか考え、スーパーへ。食用油の詰め替えを初めて見る。すごく良いことだと思った。久しぶりに幼児遊ばせセンターへ。別室で保育園相談会が開催されていた。わたしも昨年今の時期に参加した。昨年は参加希望者が定員を上回り、急遽回数を増やしていたが、今年は定員に及んでいなかった。幼児遊ばせセンターの砂場には自宅にはない砂場グッズがあるのでそこでたくさん遊ぶ。砂場にはわたしとセガレ二人だけなので気楽だった。屋内外両方、偶然かも知れないが、わたしが行っていた頃より人が少なかった。

数日前から「告白」を読み始め、夜遅くまで読んで、遅読のわたしにしては速く読み終わった。先が気になったからだ。三人の母親がでてくる。小説の中の話であるし、すべての子どもに当てはまるわけではないが、母親の存在や影響力を感じた。出てくる人物の思春期特有の描写が上手かった。思春期の友人関係ってやや恋人同士みたいなところがあるもんなぁ。こちらが信じていた相手にばっさり切られたら辛いよなぁ。

わたしはセガレへの投薬や病院への付き添いのことを書いて「疲れた」と記す時がある。しかしセガレへの愛情とその「疲れた」は別だ。世相として、子にまつわることや妊婦体調を「疲れた」というと、子に愛情がないとされるところがあるとやないかいな。「イキイギマ!!」や聖母みたいな妊婦を推進する風潮を感じる。わたし今年になってふと思ったんやけれど、じゃあ本田 宗一郎が数々の偉業を成し遂げる途中に挫折や困難を感じたときに、一言も誰にも愚痴をこぼさなかったんだろうか?そりゃ否でしょ。人間だもの。じゃあ、長いスパンの育児で、妊婦の頃からは想像もつかなかったようなことが起こったときに疲れたと感じたり凹んだり困ったりすることってフツーにあるんじゃないと?と思ったんよねー。この聖母信仰が、妊婦や母親をやっている人らに精神的に制圧を加えている部分があるような気がする。
コメント
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