気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

「夢で逢いたい人」の続きを創作してみた。

2016-09-28 20:42:45 | エッセイ

 10数年も昔になるのか、もっと昔なのか・・・いまだに記憶に残る夢があった。          この不思議な夢をブログに「夢で逢った人に、夢で逢いたい」と題し投稿した。   元来、夢は朝起きるとともに消えて覚えていないのが夢であるとよく言われている。あれから幾夜寝ても逢わない。

 その後どうなるのか気になるものだ。この青年の代わりに続きを創作をしてはと考えた。 どうせ夢の中の話だから・・・。 青年の人生とは違って当然だ。 だって、知らないのだから。 創作と言うことは 小説という事になるのか・・。小説なら短編でも題名がなくてはならないかな。 ま~いいさ。 迷ったが面白いから遊び半分に成り行きは指まかせに執筆してみよう。 

 

「夏日の強い或る日、ひとりの青年が千曲川沿いを一両の車両で走り野島温泉らしき駅で下車をした。 初めてなのか青年は人気のないホームで辺りを見回していた。 青年は照り返しの強い日照りの中を汗を拭き拭き山間に向かって歩いた。 そして、大きな冠木門のある豪農の家の前に辿り着いた。 ここの家を訪ねるつもりでいたようだ。 青年は敷居をまたぎ敷地内を覗いた。 数人の家人が掃き寄せられた落ち葉を季節外れの焚火で燃やしながら談笑をしていた。 人の気配を感じ話声が途絶え、ひとりの若い女性が青年を凝視した。 女性の首の辺りは肉腫なのか太く腫れていた。 女性は懐かしそうな笑みをたたえ、いまにも何かを言いかけようとした時、青年は何か見てはならないものを視てしまったと言う顔になった。 反射的に顔を背けた。 女性の顔は悲しい、寂しい顔に・・・。女性は病を発症し養生のために退職し古里に戻ったのだ。一瞬とは言え顔を背けた青年は顔を戻した。 

 それから年が移り変わり・・・。

 青年は車窓から遠う去かる晩秋の山肌を物思いに眺めていた。                もう、何年になるのかなと頭の中で思考した。まだ、北陸新幹線も走っていない信越本線の時代だった。携帯電話もなかったな。 いまじゃ、何もかも欲しいものが手に入る時代になった。努力をせねば手に入らぬ時代では素朴に努力をしたものだ。いずれが幸せなのか分からない。

 あれから45年の月日が流れた。青年も傘壽を迎えた。 脚が大分弱くなってきたので、これが最後の訪れかも知れない。 

 美子と知り逢ったのは確か東京オリンピック開催の翌年だった。気づくとまた、2020年に東京でオリンピックが開催される・・。時折、車窓の外を見ながらひとり物想いに更けていた。 

 今日もこの列車に乗るのに東京駅でなく上駅まできて既に東京から確保してある自分の指定席に座った。 昔、星野温泉へは上野駅発で行っていた想い出が強い。 その想い出を大切にしたく頑なに上野駅からの乗車を拘わっている。でも、それも今回の旅で終わりだと思うと一抹の寂しさを覚えた。 

そうこうしているうちに、北陸新幹線は当然在来線より速く列車は長野駅に滑り込んだ。 小さな車輪の付いたキャリバッグを引き引きホームに降り立った。

 年に一度、美子の命日に墓参りに信州の星野温泉に訪れて45年が過ぎた。      JRの改札口を出ると、長野電鉄に向かって杖を支えにゆっくりと階段を降りていった。長電の愛称で親しまれてるこの車両は一両で運行され車掌はいない。 ドアの開閉は手動だ。油断すると大変なことになる。素朴なのは列車だけでなく遠くに山の稜線を望み、線路の脇に千曲川が流れ、どこまでも長閑だ。

 杖の先端をまず、ホームに降ろし、次にゆっくりと両足をホームに付け,キャリバックを引きよせた。 そして、見慣れたホームから山間の村落を背筋を伸ばし一望した。 今日が最後かと思うと何かが違うように見えるから不思議だ。 これと言って45年間、景観は変わっていない。 ホームに表示されている「星野温泉」の駅名を正すかのように一瞥し改札口をでた。 山肌に織りなす晩秋の彩の美しさは何とも言えない。樹々の梢越しに木漏れる陽射しは弱いものの自然の風情が漂う。いつ来ても好きだ。懐かしみ、惜しむかのように踏みしめて歩き小高い丘の上に辿り着いた。 

 おおきな墓どころの隅に遠慮がちに小さな墓石があった。 美子の墓である。 持ってきた供花を供え、ローソクを灯し、線香に火を灯した。         「美子  もう来られない。今日が最後だ」というと、暫し手を合わせた。 あたかも、それに答えるかのように爽やかな風が頬を撫ぜた。

 美子とは若い頃会社で知り逢った。仕事先から戻り受付けの前を通り抜けると呼び止められた。「こんど受付のバイトをしていただける美子さんです。素敵でしょう」と先輩の女性から紹介を受けた。 

 美子は長野から単身劇団で演劇を学んでいた。 だが、4年を経過した頃、頸部に小さな肉腫が見つかり無理を避けて退団して病院通いをしていると言う。 劇団員らしく背が高く素敵に見えた。 

 仕事柄、映画の切符が手に入っていた。 内線電話で「映画に行きませんか」と誘ってみた。「観たかった映画です・・」と喜んでくれた。 映画鑑賞後、「ピッツアはお好きですか。丸でなく四角いピッツアですが・・」「え~四角いピッツアですか・・面白い」と眼を輝かした。 手を高く上げてタクシーを止めて「六本木交差点・・・」と行き先を告げた。この店は交差点の角の地下にある小さなショップで知る人ぞ知る店であった。こうして、お付き合いが始まった。 

 そして、受付にも病欠が多くなり、仕事の忙しさもあり逢う機会がなかった。     病状も進行し、養生のため実家に戻ると告げられ突然に消えた。 

 それから月一回の遠距離恋愛が続いた。美子の案内で志賀高原を無理をしない範囲でふたりして歩いた。道沿いから対岸を望んだ三角池、そこを抜けると木戸池の草原に到達する。蓮池の畔にある山の郵便局・・。更に山頂へ。ボートを浮かべて遊んだ丸池、静かな佇まいの琵琶池・・・。三角池から屏風岩を抜けて丸池に、卓球をして遊んだ志賀高原ホテルなどふたりの想い出は消えない。  

 それから、数年後、病魔に勝てず美子は寒い晩秋の未明、家族に見守られながら短い人生に幕を下ろした。 青年は毎年の命日に墓参りを続けてきた。  

 年に一度、墓参りの常宿にしていた湯田中温泉の古い佇まいの旅館の廊下から遠くに白根山の初冠雪らしき白いものが望めた気がした。 晩秋とは言え早すぎる気がすると思った。 ここも最後か・・。と、ふと、口から漏れた。 

 帰りは急ぐ旅でもないので信越本線で碓氷峠越えで帰ろう。 長野駅の構内で懐かしい美子とふたりで頬ばった想い出の染み込んだ「おやき」を昼飯に買い求めた。

 時刻表の案内板を頼りに信越本線のホームに向かった。 もう、ここに戻ることはない。 ホームにはすでに列車が入線していた。 晩秋の彩の深さは眼に沁みるようだ。もう戻らないと別れを告げた。 終」 

 もう、二度と青年は夢にでてこないで欲しい。ややこしくなるので‥止めて欲しい。 歩いた人生が違っていたら一大事だから・・・。(違うに決まっている)

終わり

 

 

 


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1 コメント

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素敵な 夢 (屋根裏人のワイコマです)
2016-09-29 06:06:52
我が信州の地名や路線名が出て
来ますと、ウキウキとして読ま
せていただいてしまいました。
夢なのか、思い出なのか・・・
いい話ですね、青春とは甘くて
酸っぱくて、そしてちょっぴり
悲しくて、苦しいような思い出
信州長野県の観光に、貢献頂き
有りがたく感謝し、素敵な夢に
も心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。

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