気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

幼き頃の友を偲んで・・・

2016-09-21 00:15:16 | エッセイ

 先日、先輩の七回忌に共に仕事にをした仲間6人が集い想い出を語った。    その時の仲間で、元気のいい老人の集いがあった。 そこに参加するのに後輩が介添えをしてくれると言う。 ありがたい。 途中での転倒の不安がなくなった。 でも老老介護である。何時までも甘えられるものではない。 

 現役時代は仕事に追われ気はあれど会う機会が持てず、その適時を迎えた時は時すでに遅く会えずじまいに終えた友がいる。

ふと、そのひとりの友を思い起こした。

 戦後間もない頃、確か昭和32年春だと記憶している。 いや、第一報はその前かな・・・。 米国からエログラムの簡易外国封書が自宅に届いた。 差出人をみると、中国北京時代の友人からである。戦後間もなかったから10年も会っていない友の名だ。 よく住所が分ったものだと訝った程だ。同姓同名かとも思い開封し文面を読んで本人に間違いはなかった。 驚きと懐かしさで一気に読んだ。 その後、九州久留米からの手紙に東京で会いたいと言ってきた。 

 私の亡き母は北京時代に母親同士でよく知っていた。私の記憶は自宅にグランドピアノがあり音楽に長けていた記憶がある程度しかない。 成長盛りのブランク10年は大きく、もう青年になっていて容姿が互いに分かるかが不安だった。 逢う場所は二幸側の新宿駅西口前と決まった。 不安だったが、あっさりと互いに手を挙げて「や~・・・」といとも簡単に不安は解消した。 所在を知るふたりの友のいる東京駅前と有楽町に案内し旧交を温めた。 多くを記憶していないが、たった一つだけ忘れていない事がある。 東京銀座通りの一本裏に入った処に小さな洋食店があった。 私でなく九州に住む彼が案内し昼食をした。 その店の名が「紅花」と言った。

 後に、米国で成功した日本料理店と言うか日本式ステーキハウスである。 サンフランシスコのベイ・エリアに住む娘家族にとっても大好きな店のひとつである。 。 

 その後、米国に留学されたとの話を伺い医学の路に進まれ、結婚をされたところで、いつしか文通が途絶え疎遠になった。 更に、10数年が過ぎ、或る新聞紙面で医学での活躍を知り、連絡をと思った時、地方に単身赴任となり東京から遠ざかってしまった。また、或る時、妻がアメリカにホームステイに送り出すラボっ子に「海外で病気になったら」本の名前は違うが、このような注意を書いた小さな本を手に教育をしていた。 その本の著者が彼だった奇遇には更に驚いた。 

 やっと、社会人人生も終えて単身赴任も解けて自宅に戻り、思い起こして同君との再会を期待し探したところ,余りにも時が過ぎ早世していたのを知った。

 いまや、いい時代になった。 本人とも会わずとも世に業績を残された方の消息はパソコンと言う手段で知ることができる世の中になった。

 日本だけでなく海外にも整形外科学会に業績を残されたと知り嬉しく、懐かしく思うこの頃です。

H.O君 ご冥福を祈る! T.Uより

終わり

 

  


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
人生 (屋根裏人のワイコマです)
2016-09-21 09:26:14
さてこれから、昔の旧交を・・と
探りますと意外とその仲間が少なく
なっていることに気付かされます
でもその名がいろんな場面で・・
ネットで検索できる人って幸せな人
本を出版されたりニュースや業界紙
等で取り上げられていると探しやすい
でもそのような機会も得られなくとも
素晴しく幸せに活きている人も沢山
いるtiburontaさまのようにまだこれから
最高幸せな人生を謳歌し様としている
人もあり人生って生きた様はそれぞれ
沢山の物語が面白いですね
tiburontaさまの交遊録とか自叙伝とか
期待したいものです。

返信する

コメントを投稿