学校から遠く離れた繁華街は賑わいを見せていた。 露店が多く歩道を埋め、人も埋まり戦禍の傷は癒されつつ復興の兆しが見えてきていた。
自由が丘の街の洋画映画館「ロマンス座」で米国の映画を良く観に行った。
課外授業でも「豊かなアメリカの家庭」の映画を観せられた。
鮮明に目に焼き付いて残っているシーンはネオン輝く夜の繁華街の歩道に、人でなく機械が自動で攪拌しながら作る「ポップコーン」の実演ガラス箱だ。
ウエイターがトレイを手に厨房からせり台でせり上がってくるなど高度な技術の近代化の米国社会を知り驚きと羨望の感情を味わう。 娯楽中心のワイズミラー主演「ターザン」の映画にも魅了した。
映画を通して知った何もかも文化の違いに驚きを隠せなかった。
一方、当時の日本の普通の家庭生活を覗いてみると、電話は申込み待ちで設置まで数年も掛っていた。 便所は都会でも汲み取り便所で桶を天秤棒で担いで汲み取りに来ていた。
風呂も薪で焚き火を絶えさない苦労があった。家族七人家族ともなると長時間にもなる。 炊飯も薪である。 タイムスイッチがある訳でもなく温度調節を失敗すると大変だった。
冷蔵庫は氷でこれまた補充に気を配る。 冬ともなると、火鉢と炬燵の炭火も必要となる。後進国並みだ!
一日の始まりの朝は火事場だ。 家を守ると言う母親の苦労は大変なものだ。
その母の苦労姿を見て育った当時のこどもはいろいろな事を学んだ。
加えて、合理性、民主主義、自由も学んだ。
欧米の映画を通して学んだ文化を始め、高度な技術レベルの格差も知った。
一方、都心の街中では戦闘帽を被り白衣姿の傷病兵がアコーデオンを弾き「異国の丘」を奏で、同じ年頃の戦災孤児が靴を磨き、それぞれ生きて行かねばならない厳しい現実があった。戦禍が生んだ格差だ。
社会批判なのか、繁華街の中心地、東京銀座四丁目の交差点に犬を連れた乞食がいた。
右や 左の 旦那さま 馬が 西向きゃ 尾は東
何と悲しい戯れ言なのだろう。
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